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on the air:バレンボイム/シカゴ響の「第九」

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【2006年6月 シカゴ・シンフォニーセンター】
●モーツァルト:《フリーメーソンのための葬送音楽》 K.477
●ベートーヴェン:合唱幻想曲 op.80

●同:交響曲第9番ニ短調 op.125
→カミッラ・ニールンド(S)
  ミカエラ・シュスター(MS)
  ブルクハルト・フリッツ(T)
  ロベルト・ホル(Bs)
  ドゥエイン・ウォルフェ/シカゴ響合唱団
⇒ダニエル・バレンボイム/シカゴ交響楽団

シカゴ響ネット配信から。いや、全部聴くつもりはなかったんですよ。

ワーグナーもブルックナーも、これをマネしたんだなと思わせる第3楽章。
僕がベートーヴェンだと思う要素がここにはなくて、不思議なことにワーグナーやブルックナーを思わせる要素があちこちに見つかる。古楽風味しか聴かない負の古楽ヲタの耳になり切っているつもりはないけれども、実に実に不思議なベートーヴェン。。
懐古趣味?…いや、違うなあ。
第4楽章のマーチから先、今度はリヒャルト・シュトラウスに聴こえる。不思議不思議。

たとえばノリントンを聴いた後にこれを貶すのは実に簡単でしょう。不純物がいっぱい混じっていて。でもそれゆえに人間くさくて、要するに聴きものです。オンエアは12月2日まで。
by Sonnenfleck | 2007-11-30 07:34 | on the air

1500年代のミクラシック

1600年より前の音楽はまったく馴染みがないんですよ。焼き物の見方がわからないのと同じで、たぶんある専門的な聴き方を身につければ絶対楽しい、というのはわかってるんだけど、いまだ知らぬ世界。年取ったら挑戦してみようと思う。。

【ミクとMEIKOとKAITOと俺】ゲレーロのアヴェマリア【歌ってみた】(ニコニコ動画)

で、今日ニコニコ動画を検索してみたら、フランシスコ・ゲレーロ Francisco Guerrero(1528-1599)の《アヴェマリア》を発見。ゲレーロって名前しか知らなかったんですけど、こうしてサブカルに手を引かれて16世紀音楽に出会うことになるとは。。

もちろんタイトルどおり、このクリップは「ヴォーカロイド」3人に作者(Bs)が加わった4声合唱の形態で演奏されているのです。どうも「ヴォーカロイド」っていうソフトウェアは「初音ミク」が初代ではなくて、それより前にも数種類が発売されてたらしいんですよ(今となってはプロトタイプ的な雰囲気がありますが)。
それらの声質の違いとラテン語への親和性を巧く利用、さらに作者自身がBsパートを歌って編集まで行い、今回かなり完成度の高いクリップが出来上がったみたいです。前回紹介したヴィヴァルディの《グローリア》よりずっと聴かせる…のは作者さん(「俺」)が妙に巧いからでしょうか。。ちなみに楽譜はこちら(PDF注意)。

初音ミクにジャヌカン「鳥の歌」を歌ってもらった(第2版)(ニコニコ動画)

そしてもうひとつ。クレマン・ジャヌカン Clément Janequin(1480頃-1558)の《鳥の歌》がうpされてました!残念ながらフランス語ではなくて日本語訳詩による歌唱なんですけど、まあ仕方ないかなあ。
上のゲレーロが巧みな編集で真面目に人間への接近を図っているのに対し、こちらのクリップは「初音ミク」のみの4声合唱、しかも編集度合いも比較的薄くて、とんでもない器械のポリフォニーが展開されてます。気持ち悪いのに気持ちいい。。

ちなみにこれを聴いた後にクレマン・ジャヌカン・アンサンブルのCDを聴くと、逆に彼らの人間離れした歌唱に仰天せざるを得ないという捩れが生じます。
by Sonnenfleck | 2007-11-29 07:43 | 広大な海

バイエルンのブログ魂

いつも拝見している横浜逍遙亭さんで、シュターツカペレ・ドレスデンの中の人によるツアーブログが面白い、というエントリがありましてですね。もしかしたらと思ってバイエルン放送協会のサイトへアクセスしたら、案の定BRSOのツアーブログを発見。
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Mariss Jansons und das Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks in Japan und Taiwan (C)BR

いそいそと辞書を取り出してきて、僕が出かけた18日の翌日、11月19日付けのエントリを読んでみますと…。豊田市コンサートホールが高層ビル(豊田参合館>13階建てだけど)の最上階にあることへの驚き、やっぱりあのホールは小さくてバランス調整に苦慮したことなど、豊田公演に関する雑感がまとめられてますね。面白いッス。

あとはヤンソンスがサントリーを誉めたコメントを拾ったり、大阪のビアレストラン「ニューミュンヘン」(笑)を面白がって写真に収めたりとか、気取らない調子でいろいろ書いてあるみたいですが、とても全部を読める気はしないのでこのへんでお茶を濁しときます。
しかし…11月13日のエントリに載せられた、山手線の中で眠りこける「Schwerarbeiter」の写真が哀愁をそそるなあ。。

ヤンソンスとオケはあのあと台北に行ったんですね。お疲れさまです。
by Sonnenfleck | 2007-11-28 07:00 | 日記

都城のメタボ。

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これ、何だかわかりますか。

答え:都城市民会館(宮崎県都城市)。

前に都城に来たとき道路から見かけて、周囲への溶け込みを拒否したその奇怪な外見に瞠目したのです。蛇腹というか貝というか、眺めていて表面的な心地よさを感じる建築じゃない。。そのときは工場か何かじゃないかということにしてその場を収めたんだけど…。

今回の出張の前にふと思い出してこの建物について調べてみましたら、菊竹清訓という巨匠の設計による「メタボリズム建築」の典型的な作例の一つだったんです。
建築には不案内なので巨匠のこともメタボリズムのこともよく知らないんですけど(ググってください)、菊竹氏は江戸東京博物館や、かつて(今もまだ?)上野の不忍池から見えた階段状マンションホテルですよね!間違えた!marutaさんありがとうございます)を設計した方ということで。「挑戦的な空気読まなさ」はこの建物と一緒ですね(笑)

近寄ってみると、建物の入り口には「当面閉鎖」の貼り紙。老朽化と莫大な維持費のため、当初は来年の1月に解体される予定だったんですよここ。
でも実は世界的に有名な建築物なのデスということで保存運動が巻き起こり、結局どこかの学校法人が買い取って維持していくことになったらしい。めでたしめでたし。
by Sonnenfleck | 2007-11-27 07:09 | 絵日記

かるかん買いたい

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出張で鹿児島に来てます。
朝晩は思ったより冷えるなあ。
ということで今週のストラヴィンスキー・マラソンはお休みします。コメントへのお返事も若干遅れます。
by Sonnenfleck | 2007-11-26 08:35 | 日記

バッハ・コレギウム・ジャパン《エジプトのイスラエル人》@初台

c0060659_8191984.jpg【2007年11月23日(金)15:00~ 東京オペラシティ】
<2007→2009 ヘンデル・プロジェクトⅠ>
●ヘンデル:オラトリオ《エジプトのイスラエル人》HWV54
  (ハレ新全集より第2部・第3部を上演)
○アンコール 同:《司祭ザドク》HMV258
→野之下由香里、松井亜希(S)
  上杉清仁(A)
  藤井雄介(T)
  浦野智行、渡辺祐介(Bs)
⇒鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン


10月に聴けなかったシェーンベルクの仇をヘンデルで討ちました(出エジプト的な意味で)。
それでですね、、うーむ。以下まとまらない感想。

全曲はそもそも3部構成になっているんですけど、第1部〈ヨセフの死を悼むイスラエル人の嘆き〉はヘンデル自身により旧作葬送アンセム《シオンの道は悲しみの道》HWV264がそのまま転用されているために、大概の演奏では「オリジナリティが弱いよねー」ということで省略されることになってるらしい。今回も省略。
で、第2部〈出エジプト〉が、序曲も何もなくいきなりレチタティーヴォで始まると。定食が出てきたら箸がなかった、くらいの気まずさをまずここで感じ、またBCJのソロも合唱もオケも決して磐石な立ち上がりではなかったけれども(これはちょっとショック。なんであんなにふらついていたのか?)、かねてから噂に聞いていた「露骨な<出エジプト>描写」が始まります。

水は血に変じ、大地にはカエル・ハエ・シラミ・イナゴが溢れ(※1)、天からは炎に包まれた雹が降り(※2)、世界が暗闇で覆われた挙句(※3)、エジプト人の初子は命を奪われてしまう(※4)。イスラエルの民は主の力で割れた海を難なく渡るけれども、それを追いかけるエジプトの軍勢は波頭に飲まれて全滅(※5)。

◆※1…特徴的な付点リズム(カエル?)やVnの滑稽なくらい微細な運動(ハエ?)が大真面目に演奏されますが、その区切々々で3本のトロンボーンがそれぞれに主の威光を示すので、ユーモラス。
◆※2…、、、、タン、、、、タン、、、タン、、タン、タン、タタタタダダダダ、という雹の描写が呆れるくらいの効果を伴って繰り出される。映像を見ているように。
◆※3…ちょっと不思議な和音で、匂い立つように充満する暗闇が見事に表現されてました。極限まで抑えて絞った響き。
◆※4…草取りを思わせるようなトゥッティのブチ!ブチ!という音型。ここは恐怖を感じました。ある程度までは残響(余韻)が残っているのが、残酷な状況を想像させる。
◆※5…右から左から覆いかぶさる波が、ティンパニの華麗な名技で映像のようにはっきりと見える。見慣れないおじさんが叩いているので誰かしらとパンフレットを見てみたら、読響を退職された菅原氏ではないですか!


それでです。
オペラシティの特設ページや『ぶらあぼ』11月号で雅明氏は、この作品のそういう箇所が「スペクタクル」で「エンタメ」であると何度もおっしゃってました。
でも、僕の中のミンコフスキやヤーコプスを好む心からすると、今回のBCJの「描写的演奏」には到底満足がいかなかった。やろうと思ったらどこまでも下品に、どこまでもエンタメ丸出しに突き進むことができる音楽で、BCJは品のいい高みからついに降りてくることがなかった。却って「スペクタクル」でも「エンタメ」でもない一月前の《ロ短調ミサ》のほうが、一昨日の演奏よりもずっと鮮やかな記憶を残しているんですもの。

その解決は、第3部〈モーセの歌〉において為されたように思う。
「エンタメ」だというアナウンスのわりに、第2部「エンタメの時間」はすぐに終わってしまって、作品の大部分を占める第3部は、むしろ声高な主張のない観念的でゆったりしたつくりになっている。第2部でも描写性の強い部分以外は優しい柔弱な響きが支配的で、一般にヘンデルらしいと思われている甘い旋律や豪快なオーケストレーションは意外に影が薄い。
ソロの傷つきやすい声、滅多矢鱈に飛んでくるわけではない合唱、オケの柔らかいアタック(通奏低音の静けさはいつもの比ではない)。「エンタメ」な部分ではなくて、冬の弱い日差しのような「ヘンデルらしくない音楽」にこそ立脚して、それを忠実に温かく再現した演奏だったのかなと思います。
それでも終局にはちゃんと高揚が用意されていて、アロンの姉ミリアム(この日は松井さん>ってBCJで聴いてたっけ?)が、まさかの無伴奏ソロ(!)で「主に向かって歌え!」と声を張り上げると、抑制されていた合唱とオケがこの日いちばんの豊かな響きを轟かせて幕。

しかし「エンタメ」部分に気を取られて聴き逃した「非エンタメ」部分が多かった。ヘンデルだからって決め付けてかかっちゃったなあ。猛省。。
by Sonnenfleck | 2007-11-25 08:21 | 演奏会聴き語り

やがて訪れる師走

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オペラシティの辻音楽師。(と、シンギングマンのつま先。)

by Sonnenfleck | 2007-11-24 08:53 | 絵日記

初台駅改札からオペラシティまでぐるり周遊(0泊1日)

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初台のイスラエル人を聴きにエジプトへ行ってきます。<間違い探し>

by Sonnenfleck | 2007-11-23 08:00 | 絵日記

オーダーメイドДシャツ

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ダスビの人はこれを着たらきっと盛り上がると思う。
来年は9番と11番なんすね。あの荒々しい音響が(あと「周囲も重度タコヲタ」という連帯感が)懐かしいので、今年は久しぶりに聴きに行ってみようかなーと考えています。

いっぽう「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」は…リアルでは東の方角、ネットでは主として巨大匿名掲示板で物凄い盛り上がりを見せていましたが(「伝説」という書き込みが象徴的だったです)、名古屋ではよくわかりません。広響の第14番は大名演だったみたいですがー。いいなー。
あ、でも名フィルは12月に入ってから第11番と第12番を担当するんだよな。頑張れ名フィル。もう「鐘はない」から。。
by Sonnenfleck | 2007-11-22 06:53 | 日記

ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団@豊田

【2007年11月18日(日)17:00~ 豊田市コンサートホール】
●メンデルスゾーン:Vn協奏曲ホ短調 op.64
→サラ・チャン(Vn)
●ブルックナー:交響曲第7番ホ長調
⇒マリス・ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団


土曜日の午後に思い立ってボックスオフィスに電話したら、ずいぶんいい席が残ってたので急遽予約して聴きに行っちゃったですよ。この組み合わせはちょうど2年前の11月にも横浜で聴いてるんですが、これといってヤンソンスのファンというわけでもないので、近場で休日で悪くないプログラムなのにチケットを押さえてなかったというのも、自分の中では別に怠慢ではありませんでした。
…しかし。もし聴き逃していたら、ヤンソンスを理解しようと思う気持ちはさらに後退し、ますます興味が湧かない指揮者として片づけることになっていったと思う。聴きに行ってよかった。

+ + +

メンデルスゾーンについては筆が進みません。
サラ・チャンの音と彼女の演奏する姿からわかったのは、汚い音でガリガリと表情をつけるやり方に自分のアイデンティティを感じているらしいということ。音楽を荒らした挙句「どうだ!」という顔をするのを見てゾッとしました。これは好きじゃない。

で、ブルックナーです。まずは一見すると、金の楽観銀の無関心でもって織り上げられた何物か、だったのではないかな。
第1楽章。スコアは明るい響きで完璧に再現されます。バイエルン放送響は2年前よりさらに一歩進んで放恣な鳴り方をするようになっていましたが、それも当然でしょう。最大公約数を信奉することと、それを恥だとする考えは説得力を持たないということを、ヤンソンスは徹底的に教え込んだのだと思う。
速いテンポは懐疑が付け入る隙を与えない。パウゼはただのパウゼでそこに意味を付加する必要はないし、逆に意味を付加することが悪であるように思われる。このつるりとした金銀の圧迫感は相当なもので、些事を気にすることに慣れたクラヲタには抵抗が難しい。

第2楽章。ふてぶてしいくらい太く朗々と演奏される主要主題は、これこそが現代オーケストラ演奏の一つの傾向が極まった結果なのだと思われました。ジューシーで不毛な贅沢。さすがにこれには弓を引かれない。ホールの椅子の上であんぐりと口を開けてしまった。
ただ、ノヴァーク版の炸裂を経て放心したような葬送行進曲の結尾(僕はこの神秘的な「放心」がブルックナーをブルックナーたらしめていると思うんだけど)、ここを愛おしく撫でるように造形したヤンソンスのやり方は、ちょっと意外でした。ここだけは金と銀の織物に常ならぬ慎重な色彩が加わっていたような気がします。

第3楽章。威力で懐疑を一掃するスケルツォがまったくもって凄いのひとことなんですが、その直後に、「放心」した中間部がまたも慎重の苦みを得ていたので驚きました。銀の無関心は、こういったパッセージに意味を与えないのではなかったのか。。
豊田市コンサートホールは巨大なホールではありません。紀尾井ホールに毛が生えたくらい、もしくはオペラシティの横幅を狭めながら3階部分を丸ごと取り去ったような感じ、と書けば関東の方にはわかっていただけるかしら。ヤンソンスもバイエルンも、響きの巨きさには定評があるかと思われますけど、そういう彼らがキャパ1000人の空間に向けて楽観的に砲撃を加えるジオラマに心を奪われます。心は奪われつつも、しかし、中間部に充満する「放心」がずいぶん丁寧な扱いを受けていることに考えを巡らせないではいられません。

第4楽章。ある瞬間では軽すぎ(第1楽章)、ある瞬間では最大公約数すぎた(第2楽章)これまでの展開と比較して、最終楽章では独自の表情を探るような素振りがあちこちで強く感じられました。
でもそれを逆の方向から見ると、激しく緩急をつけて咆哮するオケの表面とは裏腹に、恐らく今のヤンソンスにしか構築できない最強の楽観無関心が、ここへ至って揺らいだようにも思われる。…もしかすると、単に全曲の統一の中でキャラ立ちが弱い第4楽章に濃いアクセントを付けたかっただけなのかもしれないんですけど。

+ + +

2年前に聴いたヤンソンス/バイエルンの演奏には、今思い返しても楽観の縦糸と無関心の横糸しか存在せず、僕の感想文でもそのことによる最大公約数への接近しか取り上げていないわけです。
しかし今回のブルックナーには、複雑な色をした装飾糸が(ごく少数ではあるものの確実に)混じっていたように思われます。楽観的最大公約数を信奉し、この日の演奏が終わって手が捥げそうなくらい熱狂的な拍手を送っていた向きにとってはこの装飾糸は邪魔でしかないはずだし、今のところはヤンソンス自身にも積極的にマッチするわけではないだろう。
この曖昧で複雑な装飾糸が、今や世界最高の金銀の間にどれくらい紛れ込んでくるか。。それによって、ヤンソンスは一昔前の芸人状態に戻るかもしれないし、逆に金銀の奥行きを極めるかもしれません。カラヤンみたいに。
by Sonnenfleck | 2007-11-20 07:10 | 演奏会聴き語り