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この世界に沈降しようと試みる

c0060659_6201484.jpg【SONY/SK 69 290】
●シューベルト:ミサ曲第6番変ホ長調 D950
→ルート・ツィーザク(S)、ヤルド・ファン・ネス(A)、
  ヘルベルト・リッパート(T)、ヴォルフガング・ビュンテン(T)、
  アンドレアス・シュミット(Bs)
→ミヒャエル・グレーザー/バイエルン放送合唱団
⇒カルロ・マリア・ジュリーニ/バイエルン放送交響楽団

有楽町のお祭りが迫ってまいりましたが。
この1ヶ月でシューベルト世界に馴染むつもりが、どうも上手く入り込むことができずにいます。仕事から疲れて帰ってきてシューベルトを聴くと、死にたくなるような絶望的な気分になるんですよー。そこが問題だよなー。疲れにシューベルトを注いで…(危険混ぜるな)

なのでこの1ヶ月、「Langsamer Satz」さんの、作曲家への深い愛情を感じる「私のシューベルティアーデ」シリーズを拝見してシューベルトに親しんだつもりになっています。今日はLFJ前に、私も「私のシューベルティアーデ」。

「拒絶されるようなシューベルト」が好きな僕にとってジュリーニのシューベルトは温かすぎ、僕なんかが近寄ってもいいのかなと思わせてきたのです。
この最後のミサ曲も初めて聴いたときはあまりの温かさに目が眩み、聴くのが申し訳なくなってしまったのですが、それでも素直に身を委ねる訓練を重ねてきた結果、ようやくここにエントリできるくらいまでになりました。拍の一つ一つ、和音の一色一色がふんわりと蝸牛を振動させるのがわかります。形容詞をつければつけるほど実態からかけ離れてしまうけど。。

古今の作曲家が内面を吐露してきたCredo、シューベルトも暗い内面世界の一端を覗かせます。「Credo in unum Deum,...」は何やら放心したような白っぽさが漂うし、「Crucifixus etiam pro nobis sub Pontio Pilato, passus et sepultus est...」の一文に付された残忍なシンコペーションは何度聴いても身震いがする。なんという恐ろしい音楽を書いているんだろう。
その怖さを引き立たせるような無理な味つけは決して行なわないジュリーニだけど(金管もあくまで柔らかい)、Crucifixusに至るところで、温かい風景そのままに画面から人の姿だけがすーっと消えてしまうような恐怖を演出する。それでも最後のAmenで人を戻してくれるのが、ジュリーニ神の優しいところだ。
by Sonnenfleck | 2008-04-30 06:25 | パンケーキ(19)

on the air:バレンボイム/ベルリン国立歌劇場 《モーゼとアロン》

c0060659_6132689.jpg【2007年10月18日 東京文化会館】
●シェーンベルク:歌劇《モーゼとアロン》
→ジークフリート・フォーゲル(語り/モーゼ)
  トーマス・モーザー(T/アロン)
  カローラ・ヘーン(S/若い娘)
  シモーネ・シュレーダー(MS/病人)
  フロリアン・ホフマン(T/若い男、裸の男)
  ハンノ・ミュラー・ブラッハマン
  (Br/もう一人の男、男、エフライム)
  クリストフ・フィシェッサー(Bs/祭司) 他
→ベルリン国立歌劇場合唱団
⇒ダニエル・バレンボイム/ベルリン国立歌劇場管弦楽団
(2008年4月27日/NHK-FM)

観に行けず涙を呑んだ《モーゼとアロン》。まさか放送されるとは!
僕がNHKに払った受信料は、このライヴを収録するための機材を運んだトラックのガソリン代になったのだと思えば、まったく心安くいられるというものです。ありがとうNHK!

これまでに聴いた《モーゼとアロン》は以下の4つ。
・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団(Deutsche Schallplatten)
・ブーレーズ/BBC交響楽団(SONY)
・ブーレーズ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(DG)
・メッツマッハー/ハンブルク国立歌劇場(2004年11月@ハンブルク)
ハンブルクで観たコンヴィチュニー演出は、モーゼとアロンがキッチンにいたり、「蛇」がエロい女ダンサーになってモーゼを撫で回したり、第2幕の狂乱で当時のドイツ政界要人のお面をかぶった人物たちが踊ったり、乱交パーティ寸前のところまでいったり、とにかく大変な体験でしたが、いつかここで書こうと思いながらいまだに書けてません。

11月の雨のように昏いケーゲル、明晰でちょっと素っ頓狂なブーレーズ旧盤、磨き上げられて心地よいブーレーズ新盤。今回のバレンボイム/ベルリン国立歌劇場の演奏は、少なくとも音だけ聴く限り、これらのいずれとも似ていない。
まずオーケストラの音が濃密でうねるようで(あと、ちょっぴり楽天的で)、これが最初にして最大の特徴であります。
恐らく生で観ていたら演出の方に意識が集中してしまっていたと思うけど、第2幕前半のいくつかの俗悪なナンバーにおけるトゥッティの白熱ぶりだけでなく、第1幕冒頭でアロンが登場するシーンなど艶めかしい木管のアンサンブルに心を奪われました。それに第2幕後半の対決シーンは表出性がずいぶん強くて、なるほどこういうやり方もあるんだなあと感心。

アロンのトーマス・モーザーは第1幕まで声が揺れたり掠れたりしてかなりヒヤヒヤしましたが、第2幕に向けて尻上がりに調子を整えてきてましたね。
いっぽうジークフリート・フォーゲルのモーゼは極めてドラマティックな造形で、結尾の「O Wort, du Wort, das mir fehlt!」まで強い疑問と怒りを秘めていました。バレンボイムの濃厚なオケドライヴと対等に渡り合っていたです。
合唱は終始ノリノリだったなあ。

次に生で観る機会は、20年くらい先だろうか。。
by Sonnenfleck | 2008-04-28 06:15 | on the air

Koba-Ken Special Vol.13

c0060659_2130521.jpg【2008年4月26日(土)16:00~ 愛知県芸術劇場】
<コバケン・スペシャル Vol.13>
●ロッシーニ:《セヴィリャの理髪師》序曲
●ドニゼッティ:《愛の妙薬》~〈人知れぬ涙〉
●マスネ:《ウェルテル》~〈春風よ、なぜ我を目覚ますのか〉
●マスカーニ:《カヴァレリア・ルスティカーナ》間奏曲
●ヴェルディ:《仮面舞踏会》~〈今度の航海は無事だろうか〉
●プッチーニ:《トスカ》~〈星は光りぬ〉
  ○アンコール カルディッロ:《カタリ、カタリ》*
           ナポリ民謡:《オーソレミオ》*
→佐野成宏(T)
●ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 op.92
  ○アンコール 《ダニー・ボーイ》はあったのか?途中で席を立ったのでわかりません。
⇒小林研一郎(*Pf)/名古屋フィルハーモニー交響楽団


「コバケン」かつ「スペシャル」ですから、推して知るべし。
わずか1週間前にツィンマーマンの不健康なスコアを炸裂させたばかりなのに、今度は桂冠指揮者であるコバケン大明神の掛け声の下、大明神のフェイヴァリットを威勢よく演奏する名フィル。プロは大変だ。

前半は普段まったく聴かない曲ばかりでしたので、却ってリラックスして楽しめたなあ。マスネのオーケストレーションってチャラチャラしてるのに品があって面白い。
佐野氏は名古屋の演奏会チラシでもよく名前を拝見していますが、声は明るくて軽くて甘くて、さらに上背もあるために舞台映えもして、ええなあと思いました。
オケの団員をみんな袖に帰して、コバケンのピアノ伴奏で歌ったアンコール2曲。なんでこのプログラムでステージの上にピアノが置いてあるのか冒頭から謎だったんですが、なるほどねえ。。ねっっっっっっとり歌うコバケンのピアノ伴奏も興味深かったし、リラックスして本プロよりさらにムーディに歌う佐野氏がずいぶんよかった。コバケンのアナウンス曰く、ソロ歌手佐野を合唱団の中から見出したのはコバケン自身とのことで、中でも《カタリ》は彼の歌唱指導の賜物だとか。。道理であの演歌的装飾。。

いっぽう後半のベト7は稀に見る品のない造形で、これはもう笑うしかない。
もちろん品のないことを批判するのは簡単ですが、こういうとんでもない(しかしわかり易い)演奏をライヴで安定的に聴かせてくれる指揮者が他にいるかというと、他にはいません。コバケンの文脈で考えればずいぶんいい演奏だったように思います。
前半2つの楽章は比較的すっぴんでありましたが、後半は超スパーク。古典派とかピリオドとか、どっかにすっ飛んでいきました。第3楽章のトリオではちょっと考えられないような凄まじいリタルダンドがかかってオケが崩れかかってましたし、第4楽章はスフォルツァンド(+粘着テヌート)とアクセントの嵐で、お客さん大興奮。名古屋の人ってあんまりブラヴォ飛ばさないなあと思ってたけど、そうでもないみたい。
要約すれば、面白がったもん勝ちということでした。

ベト7ということで、小学生を含む家族連れや普段クラシックには興味がなさそうなカポーを多く見かけたんですが、彼らがこの熱狂的な演奏を聴いたり、終演後の熱狂的な歓声を一構成員として成したりした経験が、後々生きてくれるといいなあと思ったです。定期でヲタを処理し、コバケンのシリーズ(実質的には「名曲シリーズ」)で啓蒙活動をやっている現在の名フィルの体制は、なかなか良好なバランスでありましょう。
by Sonnenfleck | 2008-04-27 07:09 | 演奏会聴き語り

on the air:木村かをりのメシアン

c0060659_7544475.jpg【2008年2月4日 紀尾井ホール】
<木村かをりとアンサンブルの世界 メシアン>
●《ステンドグラスと鳥たち》
●《天より来る都》
●《鳥たちの目覚め》

●《天の都の色彩》
●《七つの俳諧》
  「導入」、「奈良公園と石燈籠」、「山中~カデンツァ」、
  「雅楽」、「宮島と海の中の鳥居」、「軽井沢の鳥たち」、「コーダ」
→木村かをり(Pf)
⇒野平一郎/新日本フィルハーモニー交響楽団
(2008年4月13日/NHK-FM)

4月からのNHK-FMは、日曜午後から夜にかけてをクラアワーに設定してくれたようです。
特に19時20分からの「オーケストラの夕べ」は東京名古屋大阪のオケ演奏会ほぼ一晩分を放送するということで(まあ「FMシンフォニーコンサート」が別枠として復活しただけだが)、この時間帯にあっては貴重なライヴ番組になりそう。
さらに21時から「ビバ!合唱」、21時30分から「吹奏楽のひびき」で、N響アワーはお客を幾分取られるかもですね。僕は相変わらず18時から「現代の音楽」を聴取。

先々週と先週の2回に分けて木村かをりのメシアン@紀尾井ホールライヴでしたが、先々週は聴き逃したので後半のプログラムだけ。こういう演奏会が、ある一晩、ポッと存在しちゃうのが、東京という都市のいいところだと離れて理解しています。いいないいなー。

積極的メシアンファンではありませんので、彼の重要な作品でも聴いてなかったりします。
《七つの俳諧》も、そう。
MCの西村朗氏は、「メシアンの心の鏡に映ったヘテロフォニー」であるところの「雅楽」と「軽井沢の鳥たち」が印象深いと述べておられました。前者は和風の旋律だけを取り去った見事な脱構築で確かに惚れ惚れとするし、後者の鳥たちも喧しくて愛らしいひと時なのだけど、僕は「山中~カデンツァ」に惹かれます。例の灰色曇天の笹藪風景が、高速でグルグルと回転するので。これはまあ、メモなので放っておいてください。
木村さんのピアノは怜悧で質量がなく、要するに良い。

《天の都の色彩》の方が、一般的にはメシアンらしい大規模官能作品のようです。
キラキラホロホロと輝くエルサレムが、終末と最後の審判の後で地上に降りてくる、そのエルサレムの様子を描写しているとのこと。直截なテーマを直截にオーケストレーションするメシアンの嗜好が好きです。
新日フィルも久しぶりに聴いたけど、ニュートラルで薄くて素敵だなと思わせました。
by Sonnenfleck | 2008-04-26 07:57 | on the air

たぶんビアンカ派

■ニンテンドーDS版 ドラゴンクエストⅤ 2008年7月17日(木)発売(スクウェア・エニックス)

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これは買うだろうなぁ。ノスタルジーを抜きにしてもⅤは優れた作品だと思う。

by Sonnenfleck | 2008-04-25 06:37 | 日記

期待しないで

c0060659_73171.jpg【PHILIPS/PHCP-5142】
<シェーンベルク>
●モノドラマ《期待》 op.17 *
●キャバレー・ソング **
  (1)ガラテーア (2)ギゲルレッテ
  (3)分をわきまえた愛人 (4)単純素朴な歌
  (5)警告 (6)それぞれに取り分を
  (7)《アルカディアの鏡》~アリア (8)夢遊病者
⇒ジェシー・ノーマン(S)
→ジェイムズ・レヴァイン(指揮*Pf**)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団*

西洋音楽史上、最恐の作品では。シェーンベルクの《期待》―夜の森に女一人、死体一体。

夜の森で女は錯乱していて、死体(=自分が殺してしまった恋人)に話しかけたり、死体を詰ったりして、最後に「何か」を見つけてしまう(何を?)。メデタシメデタシ。
そこへ表現主義時代のシェーンベルクが、大編成のオーケストラで容赦なくギャァァァとかヒィィィィとかやるもんですから、その怖さといったらないです。
何年か前にジェシー・ノーマンが「パリ・シャトレ座プロジェクト」として来日し、この《期待》とプーランクの《声》を演じたことがあって、結局行けなかったのだけど、結果的には行かなくて正解だったのかな。あれに生で接するのは危険すぎるような気がする。

CDでも《期待》は怖すぎて数十秒も聴いていられないので、本題はカップリングのキャバレー・ソング(ブレットル・リーダー)。
20世紀最初の数年間に作曲されたこれらの歌は、たとえばワイルに比ればどれも生硬で、「藝術」の手慰みといった雰囲気。ノーマンの歌唱も重く輝いているので、先日書いたラーベのヴァイル・アルバムに比べてしまうと、いかにも重量級オペラ歌手が歌いました...という感じが拭えない。
で、そのぶん〈夢遊病者〉のように半リート的作品が映えるわけですよ。
「俺」が月明かりの街を行進する様子が、Pfだけでなく、実際にスネアドラムとピッコロ、トランペットの伴奏とともに描写される。しかしグロテスクな歌詞、シンコペを根底に置くギクシャクとしたリズム、明るいようで不安を掻き立てるようなメロディに、マーラーの影を認めないわけにはいきません。「鼓手」ってイコノグラフィ的には「死」へ関連づけられる?
あれ、、一周して《期待》に戻るのか?
by Sonnenfleck | 2008-04-24 07:05 | パンケーキ(20)

この世は悲しいことばかり

だから楽しい音楽を聴くのです。

c0060659_675584.jpg【SONY-BMG/88697279652】
<CHARMING WEILL>
Dance Band Arrangements KURT WEILL
《マハゴニー市の興亡》、《三文オペラ》、《星空に消えて》ほか
→マックス・ラーベ(Vo)
⇒ハインツ・カール・グルーバー/パラスト・オーケストラ

イッセー尾形が惚れこんで日本に招聘したベルリンのキャバレーソング歌い、マックス・ラーベ。彼のヴァイル・アルバムが格安で再発売されていたのを店頭で見つけて、何も知らずに買ったのでした。実は凄ぉぉぉぉくヴァイル好きなんです。

21世紀に生きるラーベの声は、見事に1920年代にチューニングされているみたいで、あの甲高くも甘い歌唱は名人芸です。彼のヴォーカルが入るトラックは半分もないんだけど、他にもダンス・バンド用に編曲された「頽廃的な」ナンバーがずらりと並んでおり、幸せな気分になります。これは酔っ払った状態で聴いたら相当気持ちいいだろうね。

大切なアルバムを手に入れた。
ラーベの歌う《アラバマ・ソング》が、絶品すぎて、何も手につかない。
独アマゾンで試聴可能なので、ぜひ聴いてみてください。聴いて頽廃に浸りましょう。
by Sonnenfleck | 2008-04-22 06:11 | パンケーキ(20)

名古屋フィル 第346回定演

【2008年4月19日(土)16:00~ 第346回定期/愛知県芸術劇場】
<ツァラトゥストラ1―大いなる質問…見えない答え…>
●アイヴズ:《答えのない質問》
●B. A. ツィンマーマン:Tp協奏曲《誰も知らない私の悩み》(日本初演)
→フィリップ・シャーツ(Tp)
●ハイドン:交響曲第22番変ホ長調 Hob.Ⅰ-22 《哲学者》
●R. シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》 op.30
⇒マックス・ポンマー/名古屋フィルハーモニー交響楽団


名フィル新シーズン。<ツァラトゥストラ>シリーズの幕開けです。
しかしながら、新しい親方・ティエリー・フィッシャーは19日の南西ドイツ放送響の演奏会を振っているために来日できず、代わって開幕指揮者として白羽の矢が立てられたのが、なんとマックス・ポンマーでした。実はアイスラーを録音したりしている凄爺さん。

シーズンを象徴するらしいアイヴズ《答えのない質問》
この日のコンマスは日比さんでも後藤さんでもなく、ゲストの植村くん。何かの布石かな。
さても冒頭の弦楽合奏、物凄くクリアな響きでした。2006年にフィッシャーが客演したときのブリテンに匹敵するくらい、冷たくて美しい響き。馬力に優れる名フィルですが、まずはこれで気合いがわかるというものです。
ソロのシャーツはステージに姿を現しません。下手のドアを全開にして、姿を見せないまま問いを投げかけ、木管アンサンブルがテキトーな答えをピロピロッと言い放つ。そして7回目の質問が空しく発せられたところでシャーツが静かに舞台へ進み出て、そのまま聴衆に拍手をさせる暇を与えずアタッカで《誰も知らない私の悩み》に移行してしまう。効果的な演出。

で、今回の定期で何がよかったですかと訊かれたら、ツィンマーマンと答える。
GWの新国《軍人たち》に先駆けて生ツィンマーマンが聴けたわけですが、、いやあ、、圧倒されました。アヴァンギャルドの語法とジャズの要素を一度ぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたものを材料にして、カオスの設計に成功しているんですよ。嵐のような変拍子と苛烈な音塊の向こう側に、明らかに楽しい音楽世界が広がっているのですから、表層のゲンダイオンガク部分に引いてしまっては勿体ない!アドレナリン出まくり!ビュービュー!
シャーツは2種類のミュートを慌しく付け替えながらの超絶名人芸を披露、ポンマーは大振りなパフォーマンスで変拍子を振り分け、名フィルも「付いていくのにやっと」ではない余裕を感じさせる名演だったと思う。

案の定客席は見事に引いていて、拍手もあんまり大きくなかったですけど、こういう音楽の存在を知らしめることの重要さに思いが至る。フィッシャーはプログラムの中で「音楽はあまりにも長い間夢を見続けていた。今こそ、我らは覚醒を望む。我らは夢遊病者だった。今こそ、我らは日中の旅人となるのだ」というニーチェの言葉を引用してますが、もうちょっと敷衍すると、これこそ新シェフが「ツァラトゥストラ」シリーズでやりたいことの要約なんだろうなあという気がします。その意味でこの2作品が、まさに我々音楽的夢遊病者の強制的覚醒にふさわしい作品だったと感じられるのです。

前半最後にハイドンの《哲学者》(弦は6-6-4-3-2)。
このハイドンがまた、、ピリオド・アプローチだったんですから驚きです。凄いギャップ!
左手はフレーズの頭とお尻に最低限のヴィブラートを付けるだけ、弓の圧力やスピードで細かなアーティキュレーションを表現していて、なかなか堂に入ったものでした。これはポンマーの作戦勝ちでありましょう。第3楽章メヌエットでVc首席の太田氏がニヤリとしていたので、あのデフォルメされたリズムも指揮者の遊びかな。

後半の《ツァラトゥストラはかく語りき》は、残念ながらバテバテ。。この曲は派手な部分以外の静かな箇所が肝要だと思いますが、強奏がヤケクソになって暴発したり、弦のディヴィジがメタメタになったりしてちょっと聴くのが辛かったです。ポンマーも意外に派手好みな造形なので、余計静かな部分が目立つ…。でも前半あれだけのものを聴かせてもらったんですから、あまり大きな声で文句は言えません。
植村くんのソロ(と日比さんのアシスト)はとてもよかった。何と楽しそうに弾くことか。

ところでその1。後半の2ndテューバが元N響の多戸さんでした。どうりであの迫力。
ところでその2。オルガンはPAだったんでしょうか?ご存知の方教えてください。
ところでその3。ホワイエの4人体制はいくらなんでも多すぎだと思うんですが。。
ところでその4。山尾さんがプログラムに新連載!
by Sonnenfleck | 2008-04-20 00:18 | 演奏会聴き語り

on the air:シフ@オペラシティ

c0060659_8235427.jpg【2008年3月10日 東京オペラシティ】
●シューマン:《蝶々》 op.2
●ベートーヴェン:Pfソナタ#17 ニ短調 op.31-2 《テンペスト》
●シューマン:幻想曲ハ長調 op.17
●ベートーヴェン:Pfソナタ#21 ハ長調 op.53 《ワルトシュタイン》
  ○アンコール バッハ:フランス組曲#5 ト長調 BWV816
           シューベルト:《ハンガリーのメロディー》 D817
           シューマン:《アラベスク》 op.18
⇒アンドラーシュ・シフ(Pf)
(2008年4月18日/NHK教育テレビ)

前回のエントリで塩川悠子さんのことを話題にしたばかりですが、偶然にも昨晩の「芸術劇場」で、彼女のパートナーたるアンドラーシュ・シフのリサイタルが放送されていました。
ていうか先月なのね。来日してるの知らんかったよ。

《蝶々》は、稚気溢れるわんぱくタッチと穏やかな親御さんタッチが交錯してちょっと面白かったです。子供が砂場で遊んでいるような、しかしながらその砂場は完全に消毒されてゴミひとつ雑草ひとつ存在しないのが、シフのシューマンなのかなと思う。
したがって、雑草が砂場に落とす影や、砂に埋まったおもちゃのロボットの腕がキーになるシューマン世界においては、ちょっとキレイ過ぎかなと思われました。シューマンにキレイさを求める人がいたっていいだろうけど、僕は毒や汚れのあるシューマンが好きなので…。
対して《幻想曲》は、いちおう雑草は植えました的な感じで、浪漫性混濁にもある程度は配慮があるように感じます。第3楽章冒頭主題の後ろに何かがあったりとか。

きつい浪漫を持ち合わせるシューマンに比べると、淡い浪漫が漂うベートーヴェン2曲の方が、シフらしさが生きてました。《ワルトシュタイン》のうそ寒い第2楽章から快活な第3楽章にかけて、むやみに広がっていかない円い響きがとても心地よかった。
シフが展開しつつあるベートーヴェン全集、買っていってみようかな。

そして長ーいアンコール。
フランス組曲第5番は確かに、、絶品ですね。
タロー兄さんの弾くクープランを耳にして、モダンピアノ+バロックの可能性に改めて気がついています。拍感がソフトフォーカスになる半面、和音と残響がぐっと豊饒になるんですから、チェンバロはその面では敵わないのかもしれません(それをやってのけるチェンバリストが少数いるのがまた面白いんだけど)。
ただ、シフはバッハにおいて、モダンピアノのそういう武器を振りかざすことをしないようです。ところどころ効果的な部分で「ピアノ」を感じさせるほかは、円っこい音を基本としたストイックな路線でした。装飾も品があって素敵だったなあ。
by Sonnenfleck | 2008-04-19 09:01 | on the air

シンフォニア・コレギウムOSAKA 名古屋公演 with 塩川悠子

c0060659_751325.jpg【2008年4月12日(土)18:00~ しらかわホール】
●モーツァルト:ディヴェルティメントヘ長調 K.138
●ベートーヴェン:Vn協奏曲ニ長調 op.61
  ○アンコール バッハ:無伴奏Vnソナタ第2番~アンダンテ
→塩川悠子(Vn)
●ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調 op.60
⇒当間修一/シンフォニア・コレギウムOSAKA


先週の土曜日は、大曽根でテオルボ&リュートを楽しんだ後、珍しくダブルヘッダをやりました。名古屋はせっかく徒歩10分の栄圏内に4つもホールがあるのに(東京でもここまでの密度は考えられないでしょう?)、コンサートの密度は低いんだからやり切れません。

しかしながら12日は突発的にコンサート密度が高い一日で、この他に17時から愛知県芸でケント・ナガノ/モントリオールの公演があったために、こちらのしらかわホールはやや寂しい入り。名古屋近在のクラヲタ(特にオケ好きな)諸兄はモントリオールへ行かれた方が多いんじゃないですかね。でもこちらの公演も、よかったんですよ。

シンフォニア・コレギウムOSAKAという団体、大阪を中心に活動している老舗の室内アンサンブルで、活動の母体がバロックの声楽作品演奏ということらしく、もしかしてピリオド団体なのかなあというかすかな望みを持って出かけたら、6割方アタリでした。
この日の弦の編成は6-6-4-4-2と小ぶり。楽器はモダン、配置もモダン、同じパートの中でもヴィブラートへの判断はバラバラで若干見苦しいところがあったけれども、全体として聴いたときにあちこちから感じられるアーティキュレーションへのマニアックなこだわりは、明らかにピリオドアプローチに端を発していると考えてよさそう。

最初のモーツァルトは第2楽章がキモでしたね。
大変失礼な書き方だけども、心配していた技巧が安定していた上、指揮者の意図を表現しようとする意気込みが強く感じられたわけです。各パートの塗りわけが巧い。後半部分で一瞬の隙を突いてVcとKbが空気を一変させてしまったのには驚いた。

協奏曲を飛ばして後半の交響曲第4番。
第1楽章の序奏に迷いがあったというか、もっと抑制してもっと集中することができる団体だと思われましたので、ここだけは残念。主部に入ると快調さを取り戻して一気に駆けていったので安心したんですけどね。
第3楽章からはティンパニ協奏曲状態に突入して一段とダンサブルになり、なかなか楽しめました。ティンパニの激しい強打と音を割るHr隊、弓の付け根をガツガツと当てて弾くVc隊は、先日取り上げたマンゼのエロイカよりずっとマンゼらしい。指揮者・当間氏のセンスと構築力、そしてオケの面々にブラヴォでした。隠れた名アンサンブルだと思いますよ。ほんと。
さてもVc隊は、表現主義的ピリオドスタイル(前半はなんとエンドピン無し)の首席氏と、フレーズ毎に冷静なヴィブラートを掛けていくトップサイドさんとの間に恐ろしい断絶があって、こっちはひとりでハラハラしてしまった(笑)

+ + +

でも、、この夜の主役は塩川女史でした。
アンドラーシュ・シフ夫人にして、30年以上にわたってヤン・クーベリックのヴァイオリン「エンペラー」を操ってきた名ヴァイオリニスト。初めて生演奏に接しました。失礼を承知であえて書きますが、還暦を過ぎられてなお凛とした音の輪郭を保持され、気品ある歌い口にはさらに磨きをかけられたご様子。
無論、メカニックの面では無傷ではなかったけれど、あのようにベートーヴェンの協奏曲の第3楽章を「うきうきし過ぎずに」演奏する背景には、重ねられた齢から醸し出される何かがあるのだろうと思う。フィナーレのカデンツァ、そしてアンコールのバッハは神でありました。
by Sonnenfleck | 2008-04-18 07:13 | 演奏会聴き語り