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君もテレマンと手をつないでスキップ!

c0060659_6474399.jpg【Paradizo/PA0002】
<テレマン>
●Rec、弦楽と通奏低音のための序曲 イ短調
●無伴奏Recのための幻想曲 ロ短調、ホ短調、イ長調
●Rec、Gamb、弦楽と通奏低音のための協奏曲 イ短調
→ジュリアン・マルタン(Rec)
→ジョシュ・チートハム(Gamb)
⇒スキップ・センペ/カプリッチョ・ストラヴァガンテ

お気に入りのチェンバリスト、スキップ・センペが、自主制作レーベルを立ち上げました。
Alphaに腰を落ち着けるのかなと思いきや、まさかの攻め。
ちなみにこの「Paradizo」というレーベル名は、アリアCDのインフォによると「何かをあきらめる、あるいは何かを他の人にゆずる能力のことをいう。この行為は胸を引き裂かれるような辛いもので、感傷を通り越したもの」ということらしい。センペの「一歩退いたお洒落さ」と大胆なセンスによく似合っているじゃないですかー。

カプリッチョ・ストラヴァガンテのリコーダー吹き、ジュリアン・マルタンのテレマンによって編まれたこの1枚では、テレマンの中にあるフランス趣味(序曲)とイタリア趣味(協奏曲)の衝突を、硬いイ短調の枠内で鮮やかに処理して見せる。真ん中の幻想曲がちょうど緩衝材になって、一連の流れが浮かび上がってきます。録音場所については記載がないんですが、1パート1人の親密さが大切にされたデッド気味の音響も効果的。

イ短調の《序曲》は、思い切ってフランス趣味へ舵を切ってるのが面白い。テレマン演奏の中には恥ずかしがって彼の(とても重要な!)フランス様式に踏み込み切れないものが案外多いように思うんですが、センペの思い切った采配がここでは効果的に働きます。
冒頭の序曲は鈍く光る通奏低音のバランス、そしてセンペの豪奢な装飾が好み。フーガから復帰するところで全然リタルダンドしないのがまさしくクール!
吃驚したのは次の〈Le Plaisirs〉という楽章で、今度は逆にラモーの一部の作品のように全声部がねっとりと絡み合って渾然一体となる、あの「練り」が現出してるんですな。この「Plaisirs」は「愉快」ではなく「快楽」と訳されるべきでしょう。。

対してRec+Gamb協奏曲は確かにイタリア趣味なんだけど、(たとえばヴィヴァルディの協奏曲とは明らかに異なる)テレマンの生真面目さへの配慮を欠かしていないんですね。
Dolceの記号が付いた第3楽章、ここで糖分カット気味の「浅い」アーティキュレーションを実施するところなんか、テレマン内部の照れみたいなものをよく表したなあと感心します。
by Sonnenfleck | 2008-05-30 07:09 | パンケーキ(18)

読売日響名曲シリーズ 名古屋公演

調べてみると、最後に読響を生で聴いたのはなんと2005年9月、ロジェストヴェンスキーのオールグラズノフ―西行短歌の朗詠付き―@芸劇という珍妙なプログラムでありました。。オレ(アタシ)聴いたよっていう方、おられますか。。
つまり、スクロヴァ爺さん+シモーノ体制になってからの読響をライヴで聴くのはこれが初めてなんですよ。アルブレヒト時代からどう変わったか?あるいは変わらないのか?

c0060659_6581148.jpg【2008年5月27日(火)19:00~ 愛知県芸術劇場】
●ドヴォルザーク:序曲《謝肉祭》 op.92
●グリーグ:Pf協奏曲イ短調 op.16
→清水和音(Pf)
●ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 op.88
  ○アンコール バッハ/ストコフスキー:アリア
⇒下野竜也/読売日本交響楽団


プログラムもチラシも…どうなのよ…って感じですが、お懐かしやの読響のためであれば駆けつけます。
でも客席を観察すると、読売新聞からの「聴衆」が非常に多く入っているらしい上に、企画自体が某大手警備会社の冠をかぶってるため、果たして正規料金を払って入場したのはどれくらいいるのかなあという感じ。マナーはここ最近出かけた演奏会の中でも随一の酷さで…飴ちゃんおしゃべり咳くしゃみ、指揮マネ着メロフライング拍手。

で。読響の音は一層ブリリアントに、そして一層重くなったような印象を受けました。
悪い言い方をすれば、箍が外れて放恣な方向に向かっているような気もする。これであの細かいスクロヴァチェフスキとぶつかってるんですから、予想がつきません。
しかし同時に、マエストロ下野と物凄くいい関係を築いているらしいことも伝わってくるんです。1曲目の《謝肉祭》みたいに派手派手な作品であっても、彼の指揮棒にまめまめしく反応して丁寧な造形を(一応)心がけているあの様子、、聴いててちょっと妬けてくるくらい。このコンビをフツーに聴ける東京の人々が羨ましいなー。

グリーグは寝落ち。

ドヴォ8は、(恐らく最後に生で聴いた)フェドセーエフ/東フィルの呪縛から逃れられずにいたんだけれども、当夜のまったく地に足の着いた演奏には感心しました。
まず、下野さんって結構「効果的」すれすれな演出を施すなあという印象があって。今回のドヴォ8でも第1楽章でベッタベタに歌ったり、第4楽章の「コガネムシ」を仰々しく飾ったりする。しかし、それなのに脂っこくないのがこの人の音楽の面白いところで、ギラギラはお手の物である読響を操りながらも、最終的にはほっこりした丁寧な響きを届けてくれるんですね。

グラデーションの文目が微細にコントロールされたり、弱音で歌うことがちゃんと要求されたりした結果、全曲を通じて最も強く印象に残るのが第4楽章の穏やかな再現部なんです。後ろに爆発的なコーダが控えているのに(事実シモーノは大いに煽っていたけど)、あの長閑な抒情を低い姿勢からじっくりと造形するセンスに惚れました。

ノーラン得意の「わりと気ままなソロ」も久しぶりに聴けたし、満足満足。
by Sonnenfleck | 2008-05-29 06:59 | 演奏会聴き語り

G=E/2(1+ν)

c0060659_6511474.jpg【CHANNEL CLASSICS/CCS 19098】
●ラモー:コンセールによるクラヴサン曲集
⇒トレヴァー・ピノック(Cem)
  レイチェル・ポッジャー(Vn)
  ジョナサン・マンソン(Gamb)

高値を見て買いあぐねていたピノック一派の演奏。新宿ディスクユニオンでついに1K円になっていたので、ようやく手に入れました。
2001年に彼らが来日したとき、紀尾井ホールでコンセール第5番を含む演奏会をやったんですけど(どなたか行かれた方はいますか?)、NHK-FMで放送されたそのパフォーマンスが本当に本当に素晴らしかった。外出のときはその放送をエアチェックしたMDを携帯プレーヤに入れて、繰り返し聴いていた思い出があります。あのころはまだiPodがなかった!

すでにランヌー姉さんたちによるぶっ飛んだコンセールを耳にしてしまった今、改めてピノックたちのセッションを聴くと、マジメだなあという感想が最初にどうしても出てきてしまいます。件のエアチェック録音を引っ張り出してきて聴き比べてみても、バランスや揺れが完璧に整えられていて、白磁のようにつるりとした肌面になっているのがわかる。
おまけにこの録音は、フラウト・トラヴェルソが参加しないんですな。これがでかい。
トラヴェルソのロハスな音が入らず、ピノックもポッジャーも輪郭のくっきりした音楽をやるから、マンソンひとりでは抗すべくもない。したがってソリッドな響きが支配的になって、もともと剛性が高いラモーにしても、やや厳しい風貌になります。

なので、第3コンセールの〈内気〉とか第4コンセールの〈ラモー〉とか、もっと鼻に掛けてグニョグニョやってほしいなあと思わせないではありません(後者に現れた自尊心の高さは、西洋音楽史上屈指のものだと前から思っているんですがどうでしょう)。ここまで硬すぎるとボッキリいきやすいのかな?
一方で、このセッション録音ならではと思われる、硬質な煌めきに溢れている部分が確かにあります。第2コンセールの〈ブコン〉中間部で空を仰ぐように上行する音型や、お馴染み第3コンセールの〈タンブーラン〉で聴かれるポッジャーのスタッカートなんかは、なかなか他の演奏では見出せない痛烈な瞬間です。
by Sonnenfleck | 2008-05-28 06:52 | パンケーキ(18)

ボッセ教授の大バッハⅣ

c0060659_2264572.gif【2008年5月25日(日)16:00~ しらかわホール】
<ボッセ教授の大バッハⅣ>
●ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調 BWV1049 *
●2つのVnのための協奏曲ニ短調 BWV1043 **
●カンタータ第82番《われは満ち足れり》 BWV82 +
●同第209番《悲しみを知らぬ者》 BWV209 ++
●ブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調 BWV1047 ***
  ○アンコール 同曲~第3楽章
→太田光子(Bf *,***)、宇治川朝政(Bf *)、
  高橋敦(Tp ***)、富久田治彦(Fl ++,+++)
  平松英子(S ++,+++)、
  日比浩一(Vn *,**,***)、矢口十詩子(Vn **)、山本直人(Ob ***)
⇒ゲルハルト・ボッセ/名古屋フィルハーモニー交響楽団


「ボッセ教授の大バッハⅡ」は2年前に聴いているんだけど、昨年行なわれたはずの「Ⅲ」は記憶がない。たぶん何かあって行けなかったんでしょう。

1922年生まれの御大は今年で86歳になられるはずなんですが、2年ぶりに目にした姿にはまったく変化がない。袖から出てくるときはいかにもふらついているとはいえ、2時間いっぱい立ったまま指揮台の上にいるし、長い腕を下から掬い上げたり、指先で鋭い矢印を作って地面へ叩きつけたり、時には赤ん坊を揺らすように空気を抱え込んで左右にスライドさせたり、指揮棒を持たない独特の柔軟な動き(しかし必要最小限の動き!)も相変わらず。

そしてやはり変わらないのが…その音楽の構築性。
特に両端のブランデンブルクは、あれ?!っというくらいアグレッシヴなリズムがいまだに耳に残るのですよ。やっぱり「老人性枯れ」はボッセには無縁なんだ。それに加えて拍を自在に伸縮させるのが19世紀生まれの指揮者やピリオド派のやり口なんでしょうけど、ボッセの音楽がそれらと決定的に異なるのが(必要がない限り)フォルムを絶対に崩さないという点です。ここにモダニズムの厳格な側面をしっかり垣間見せるところなんか、ヴァントの古典派演奏によく似ているなあと思う。
そのためオケはボッセのそっけない打点の一撃々々に必死で食いついていかざるを得ず、表面的な速度以上に、音楽の奥底を貫く熱いビートが伝わってくる格好。ブラ4の第3楽章のフーガやブラ2の第1楽章および第3楽章は、それぞれの享楽的な旋律に反して燃えるような厳密さを纏っていて、この演奏会の白眉であったと言えます。

「Ⅱ」のときと同じように、各パートのトップおよびトップサイドを中心にした極薄編成の名フィル。今回は最大でも4-3-2-1-1とさらにダイエットして強いやる気を感じさせましたが、そのわりには妙に音程が揃わない。。ボッセの目指すのが色とりどりの和声美ではないから、そこは第一に重要ではないけど、、もうちょっと頑張ってほしかったというのが正直なところ。特に真ん中のカンタータ2曲は練度がガクンと落ちていたような。。
(BWV209の終曲の大詰めで事故ってしまったのは返す返す残念。)

その2曲のカンタータ、上で述べたようなボッセらしさがあんまり聴かれず、妙に甘くて汁っぽい。ソロで可憐な声質を誇示する平松さんも、ディクションは(ホールの音響のせいなのか知らないが)明瞭とは言い切れず、一緒にプログラムに並んだ器楽アンサンブル曲の明快な演奏とはかけ離れたモヤモヤが残ってしまったかな。雰囲気としては「平松さんに合わせました」っていう感じだったんですが、もしかするとボッセの中にカンタータについて確たるイメージがあるのかもしれないし、真相は不明です。

さてこの演奏会、NHK-FMの収録が入っておって、6月22日夜の「オーケストラの夕べ」で放送されるみたいなんですよ。
実はドッペルコンツェルトの第2楽章終盤で、2ndソロの矢口さんのVnの弦が思い切り緩むか切れるかして演奏がストップするというハプニングがあり、ボッセがそこを巧く収めて再開させるというエピソード付きなんです。…果たしてそのまま放送されるかしらん?
加えて、放送では(上で述べたように)必ずしも名フィルのいいところだけが伝わるわけではないと思うんですが、ボッセの中にあると思われる「アンチ浪漫性」がストレートに析出する場面も多いので、他地域の皆さんお楽しみに。
by Sonnenfleck | 2008-05-26 06:51 | 演奏会聴き語り

喜べだって?誰とともに?

c0060659_6541780.jpg【SONY/SK 62615】
<ブリテン>
●祝祭カンタータ《キリストと共にいて喜べ》 op.30
●カンティクル第2番《アブラハムとイサク》 op.51
●《キャロルの祭典》 op.28
●《聖処女賛歌》
●婚礼のアンセム《我愛す、ゆえに我あり》 op.46
●《アンティフォン》 op.56b

→ティモシー・ディキンソン、リチャード・ファーンスワース、トビー・ダンハム(Tr)
  マイケル・チャンス(C-T)、イアン・ボストリッジ(T)、サイモン・バーチャル(Bs)
  アリン・ブレワー(Hp)、ジュリアス・ドレイク(Pf)、マーティン・ベイカー(Org)
⇒マーティン・ニアリー/ウェストミンスター寺院聖歌隊

有名な《キャロルの祭典》を始め、どれもブリテンらしさに貫かれた佳曲ばかりですが、耳を奪われたのは冒頭の《キリストと共にいて喜べ》という短いカンタータ。歌詞はクリストファー・スマートという18世紀の詩人の作品なんですけど、当時彼は「宗教的な熱狂」に憑りつかれて精神病院に入り、そこでこの詩を書いたらしい。
まさしくアウトサイダー・アートですね。で、とある一節を引用してみます。。
For I am under the same accusation with my Saviour ―
For they said, he is besides himself.
For the officers of the peace are at variance with me,
and the watchman smites me with his staff.
For Silly fellow! Sille fellow!
is against me and belongeth neither to me nor to my family.
For I am in twelve Hardships,
but he that was born of a virgin shall deliver me out of all.
この部分は合唱が歌うんですが、恐るべきことに、「レミ♭ドシ」の音型が執拗に17回も繰り返されるんですよ。特に赤字の「staff」の箇所では、オルガンの強奏でもって恐ろしい威圧感とともに…。前提知識が何もない状態で聴いて、飛び上がりました。

大変妄想し甲斐のあるテーマです。まず、ブリテンがこれを初演した1943年9月の時点で、ショスタコーヴィチは「DSCH」署名を音楽の中に使っていたのか?交響曲第1番第1楽章の冒頭は確かに「DS」で始まるけど、この時期に署名がはっきり現れているのはピアノ・ソナタ第2番の第3楽章くらいではないかと思う。そして、この第2ソナタは1943年6月の初演なんですよ。そもそも第2ソナタをブリテンが耳にしたかどうかまったく資料がないけれども、もし何らかの形で聴いたとして、ブリテンはすでにこの時点で「署名」だと読み取っていたのか?

ネットで検索していくと「Silly fellow!(バカなやつ!)」に「レミ♭ドシ」が重なってることだけを指摘する例が多いんですが、「レミ♭ドシ」はこの節全体を覆うように何度も用いられているし、バルトークがやったような揶揄とは考えにくいのではないか。
詩の内容を重視すれば、遠くレニングラードのショスタコーヴィチを想い、ブリテンがここで痛烈に揶揄しているのは、むしろ「officers of the peace」と、口髭をたっぷり蓄えたグルジア系の「watchman」ではないかしら。。

このテーマで書いてる論文って絶対あるだろうなあ。読んでみたいなあ。

+ + +

96年の録音で、比較的若い頃のボストリッジが参加してます。《キリストと共にいて喜べ》でも、件の合唱の前の節(やっぱりちょっと狂信的な内容)をしみじみと歌ってますね。
by Sonnenfleck | 2008-05-25 06:55 | パンケーキ(20)

達成されたミクラヴィーア

平均律ミクラヴィーア曲集(ニコニコ動画リスト)

初音ミクによる平均律クラヴィーア曲集第1巻 第24番【1/2】と、初音ミクによる平均律クラヴィーア曲集第1巻 第24番【2/2】の完成をもって、ヴォーカロイド「初音ミク」による、バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の再構築が達成されたようです。世界初の偉業だ。

鍵盤楽器とはフーガの聴き取り易さの次元が違います(…それぞれヴォカリーズの母音を変えてるからちょっとずるいんだけども)。ちなみに第2巻の制作も始まってる模様。
ご連絡まで。
by Sonnenfleck | 2008-05-24 05:35 | 広大な海

これも冬の旅行の一日

c0060659_63217100.jpg【TELDEC/0630-18824-2】
●シューベルト:《冬の旅》 D911
⇒クリストフ・プレガルディエン(T)
  アンドレアス・シュタイアー(FP)

祭りが終わった後なので告白しますが、不吉なキャラが立ったあの音楽と、島崎藤村みたいにナヨナヨっとした歌詞が嫌で、実はこれまで《冬の旅》をそれほど積極的に聴いてこなかった経緯があります。今年のLFJで押さえたチケットが白井光子さんの「通常版」ではなくて、(結局行けなかったが)「ツェンダー版」であったのもそのせいと言っていいでしょう。

特に「キャラ立ち」に関しては、音楽的と言うよりも文学的すぎると言いますか、「高等遊民」のもっさいオッサンが嗚咽しながら浸っているような不透明なイメージが僕の中にあって、なかなか近づきがたかったんですよ。最初に聴いたのがハンス・ホッターの絶唱だったのがいけなかったのかもしれない(「菩提樹」じゃなく「世界樹」だな)。これに自己投影できる人とできない人でクラヲタは二分されているのではないかと思っていました。

でも、変ホ長調ピアノ・トリオの第2楽章で、ポツポツ歩く音型が出てくるじゃないですか。あれを深夜時間にヘロヘロになった頭で聴いて、あーただ「歌いながら」歩いてるだけで、《冬の旅》だって全然いつものシューベルトと同じじゃんー...という風につながったんですよね。歩く音型がちょっと異なる位相で現れているだけだということがわかり、iioさんがおっしゃるところの「健やかな病み方」が自分の中で発見された気がしてます。

シュタイアーとプレガルディエン。タキシードを着た歌手がひとりで突っ走る「リートの夕べ」はここにはなく、互いに互いの抜けるタイミングを巧く補完しあって、きれいな球面になっている。それでも恐らく本質的な支配権はシュタイアーにあって、プレガルディエンの歩みを甘美なアゴーギクで止めてしまう瞬間がたいそう美しいです。1825年頃制作された「ヨハン・フリッツ」の音色が、この表現をさらに高めていますね。
by Sonnenfleck | 2008-05-23 06:35 | パンケーキ(19)

桃山・江戸絵画の美@徳川美術館

尾張徳川家名古屋別邸跡に位置する徳川美術館は、アクセスにやや難があり(東京都現代美術館といい勝負)、しかも「美術館」というよりは「観光スポット」みたいな位置づけなので、微妙に行きにくいです。大曽根駅からの街区も実に白々しくて、気分も高まりません。。

でも、尾張徳川家に伝わっていた美術品・工芸品が散逸することなくそのまま倉庫に入ってるわけですから、所蔵品が凄い。今回の企画展「桃山・江戸絵画の美」では、徳川美術館が誇る近世絵画の名品がずらりと(遠慮なく)並んでいて溜息が出ました。
もっと宣伝したらいいのにな。
他の美術館における企画展のメインになりそうな逸品だけが集まって展覧会を成しているので、さながらルツェルン祝祭管弦楽団といったところでしょうか(その豪華さを厭う人がいるだろうなという意味でも)。僕はルツェルンのオケ、好きですけどね。

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というわけで、Vaトゥッティの中にいるヴェロニカ・ハーゲンに萌えようか、ズーン教授のFlに耳を傾けようかという贅沢なひとときなわけです。円山応挙の透明な《鯉亀図風炉先屏風》、金緑色に輝く田中訥言《百花百草図屏風》などはアカデミックな優美さに溢れていましたし、一面茶色に褪色した歌川国芳《人をばかにした人だ》は第13代当主・徳川慶臧の副葬品であったらしく、なかなかオカルトなオーラを纏っております。。若くして亡くなった慶臧はこの一枚を大変好んでいたということで、、いやいや、、掘り返したらダメだろ…。

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いろいろと目移りしたんですが、じわじわと脳髄に来るような衝撃を受けたのが、上に画像をUPした伝岩佐又兵衛 《豊国祭礼図屏風》(重要文化財/17世紀)でありました。
六曲一双、左右合わせて12枚のパネルを埋め尽くす人人人。その数1000人とされる。
数えた人は偉い。

これほど多くの人物が描かれた画面はほかに見たことがないし、この画像のように遠くから眺めると、あまりにも厖大な数のためにあたかも「人」による平面的な装飾文様に見えてしまうけど、近寄って視るとすべての人物が恐るべき執念で細密に描き込まれてるんですよ。
横を通る外国人観光客が「Wow!!」と叫ぶのも、これは当然でしょう。踊る人、舞う人、人馬、料理人、虎、簾越しの男女、孔雀、門番、喧嘩、、と細かく視ていって、優に20分は張り付いていたんじゃないだろうか。
金色の雲と松の緑、社殿の朱色が、狂乱状態を不思議とひとつの方向にまとめています。騒がしいけど静か。こんなに異常な絵画をこれまで知らなかった無知を恥じるほかない。

5月18日まで。あ、終わってしまった。
by Sonnenfleck | 2008-05-22 06:38 | 展覧会探検隊

せっかち、南へ行く

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次の予定までかなりの時間が空いていて、急ぐ必要なんか全然ないのに、高速を走ってるとなんとなく前のクルマを追い越しがち。
ちょうどFMから流れてくるのがエルガーのVc協奏曲でありました。エルガーのメロディも、聴き手を追い抜いてさっさと先に行ってしまうように思います。

鹿児島中央駅のあたりを歩いていたら、運良く中古屋さんを発見!

■テレマン:室内楽曲集(PHILIPS) *フィリドール・アンサンブル
■《エロイカ》+《未完成》(DG) *レヴァイン/MET管

⇒テレマンを演奏するのは18世紀オケ首席たちから成るアンサンブル。ブリュッヘンが久しぶりに笛を吹いてるのがミソで、ずっと探してたんですが…まさかこんな場所で見つかるとは。。
⇒レヴァイン、バイロイト33枚箱の中のパルジファルを聴いて見直しました。これはメトのオケだからちょっと様相が異なるかもしれないけど、ナチュラルホワイトな明るい未完成を期待。
by Sonnenfleck | 2008-05-21 08:41 | 絵日記

港と船の関係

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出張で西国に来ています。
ちょうどこの時期の九州に上陸してるのに、別府アルゲリッチ音楽祭も宮崎国際音楽祭もカレンダーの都合で聴けないんですよ。後者はデュトワのエロイカがいかにも面白そうなんすけどね。
来年は日程を合わ…ゴニョゴニョ。

…なーんて企んでいたら、昨日乗った特急が豪雨のために山奥で立往生。三時間くらい車内に閉じ込められた挙げ句、バスで代行輸送されたのであった。その間iPodに入れたレヴァイン/バイロイトの《パルジファル》を聴いて、ひたすら救済を待つ。

(TBへのお返事等、少し遅れます。)
by Sonnenfleck | 2008-05-20 07:06 | 絵日記