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減少ブラームス

c0060659_5454766.jpg【ORFEO/C 070 231】
<ブラームス>
● 交響曲第2番ニ長調 op.73
⇒ラファエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団
● セレナード第2番イ長調 op.16
⇒ガリー・ベルティーニ/ウィーン交響楽団

秋はブラームスの季節だね、とかいった陳腐なイメージが勢いをつけて走り出す前に、クラの世界に棲むヲタクは、ブラームスが秋に似合うという感覚を直感的に得ていたと思うのです。
夏から秋へ遷移するときの、頂点から「減り出す」感じが、ブラームスの(全部とは言わないが、いくつかの)作品にも同様に感じられる。寂しいメロディとか消え入るようなフレージングが多いとか、そういうシンプルな理由ではないところに何かがあるようだけども、よくわからん。

このディスクは3月に入手していたものですが、ようやく聴く気になったのであります。
クーベリックがメインかもしれないが、僕にとってはベルティーニの貴重な音盤だ。

セレナード第2番はオケからVn軍団がまるごと欠落した不思議な編成の作品です。この物理的な減少が響きの肌合いにも直接働きかけて、「減る」感じをいっぱいに湛えている。色で言えば赤→橙→黄のあたりの領域がすっぽり抜け落ちているんだけど、そのかわり緑とか青とか、それ以外の色のグラデーションと重なり合いが異常に細かいんですね。
全部で5つある楽章のうち、第3楽章と第4楽章の巧みな出来栄えには惚れ惚れとします。25、6歳でこの翳りあるマチエールをすでに会得していたわけですからね。。

イ短調・パッサカリア風の第3楽章は、ここから第4交響曲の第4楽章を連想するなと言われても無理な話です。この楽章だけは他の楽章に比べて明度も彩度もぐっと落ちるために、とにかく古風で禁欲的でいかにも「減っているなあ」という印象を与えますが、ベルティーニ+ウィーン響の面々は感傷の沼地にはまり込むことを良しとしません。先日リリースされた彼らのマーラーはライヴでしたが、このブラームスはスタジオの中でベルティーニががっちりと組み上げたものであるからオケも反抗のしようがなく、大人しくエッセンスを供出している。

しかしもっと見事なのは第4楽章で、この「ほとんどメヌエットのように」という楽章のトリオに当たる部分が、艶めかしい輝きを放っております。少し小豆の舌触りを残したあんこに、粉砕された黄色の栗が覗いているような感じね。
ごく弱いトゥッティによる暗がりの中から、時おりソロ楽器がぬらっと浮かび上がってまた沈んでいくこの様子、、悶絶するほど美しいと書かなければならないし、このバランスを構築したベルティーニの唯美主義的センス、さらにウィーン響が持つ味わい深い響きに脱帽。
by Sonnenfleck | 2008-09-30 05:48 | パンケーキ(19)

on the air:名曲のたのしみっ。吉田秀和。

c0060659_5562621.jpg「今日は試聴室っ。」 鎌倉の蝉の声が後景に広がっている。

【2008年9月27日(土) 21:00~22:00(NHK-FM)】
<私の試聴室>
●ガーシュウィン:《ラプソディ・イン・ブルー》*
●同:《パリのアメリカ人》
→パスカル・ロジェ(Pf *)
⇒ベルトラン・ド・ビリー/ウィーン放送交響楽団
(OEHMS/OC623)
●ラヴェル:《亡き王女のためのパヴァーヌ》、《水の戯れ》、
        ソナチネ~第2楽章
⇒アレクサンドル・タロー(Pf)
(harmonia mundi/KKCC501-2)

「今のは、An American in Paris。」
このアーティキュレーションの自然なダンディさ、および、頻出する鼻濁音の美しさは筆舌に尽くしがたい。今、吉田先生は《名曲のたのしみ》にプーランクを招いているところなんだけども、この日の「試聴室」はガーシュウィンとラヴェルの幸福な関係について。

ビリー+ロジェ+ウィーン放送響のガーシュウィンはアタックがきつくて音もギラギラし、いかにも表現主義的な感じで好みではありませんでしたが、続いてタロー兄さんのラヴェルが選ばれたところでガッツポーズ。
ずいぶん堂々とした体躯の《パヴァーヌ》はきっと微妙な皮肉が効いているせいだろうし、逆にソナティネの傷つきやすい風情も納得の品質。

「そいじゃ来週また。さよなら。」
先生さようなら。来週もラジオの前で待ってます。
これ以外に、95歳のパーソナリティが毎週喋る番組がこの世界にあるんだろうか。
『永遠の故郷―夜』買わないとな。
by Sonnenfleck | 2008-09-29 05:58 | on the air

わが人生に登場した芝といくつかの孔

c0060659_63742100.jpg昨日、早起きして岐阜のゴルフ場へ出かけてきました。
末生りインドアクラヲタ・アンチ体育会系の自分が、こうしてゴルフをやらざるを得ない状況に追い込まれることになろうとは、ゆめゆめ思っていなかったのであります。

とにかくオジサンと妙に厳格な不文律が多いという点は、クラヲタとしてそうした環境に入り浸ってきた自分にはイメージがしやすいし、むしろとっつき易いとも言える(バッグの預け方とか着替え方とか休憩の過ごし方とか掛け声とか、一々キザ)。
クラの世界に初めて飛び込んでくる人も、クラそのものではなくてこうした「環境」に強い戸惑いを感じているのかもしれない。クロークとかもぎりとかカフェとか拍手の流儀とか。

人生初のラウンド…実に惨憺たるスコアを叩き出したし、同行者には多大な迷惑をかけたし、身体のあちこちに生まれた筋肉痛の予兆に気は重くなります。
しかしそのいっぽうで、自分と向き合い、芝を踏みしめてコースを駆け回り、急に秋になった風の匂いを嗅ぎ、鳥や虫の声を耳にし、うろこ雲を眺めてコースに立っていると、これは意外に悪くないぞという気がいたしました。林の植生も池も全部ツクリモノなわけだけども、この場合は、そんなものにさえ感興を催すようになった自分の退化を笑うべきだろうか。

問題はね、、これが社会的にあれな意味を持つ独特な競技だってことですよ。
仲間内であれば風に吹かれて空を見る余裕もあるでしょうけど、そうじゃなければそれはそんなことはないってことですもんね(婉曲的に)。
by Sonnenfleck | 2008-09-28 06:41 | 日記

二十世紀静養梨

たまにはゆっくり静養したい。

c0060659_510399.jpg【DGG/477 7452】
<メシアンへのオマージュ>
●《8つの前奏曲》
●《鳥のカタログ》~〈ヨーロッパウグイス〉、〈モリヒバリ〉
●《4つのリズムのエチュード》~〈火の鳥Ⅰ〉、〈火の鳥Ⅱ〉
⇒ピエール=ロラン・エマール(Pf)

細かい音の粒がさらさらさらーっと流れ落ちていくのをただ眺めているだけのようですが、さりとて悪意により干からびているわけでもなく。
ちょうど、甘い水分を適度に含んだ梨を齧っているような感覚かな。歯に当たってさくり、舌にじわり、喉にごくり、鼻腔にふんわり。

《8つの前奏曲》はドビュッシーから引かれた直線上に完璧に位置しているようですね。このアルバムの半分を占めながら非常に叙情的で、エマールのクリスタライズされたタッチが案内してくれなければ、梨園の奥深くに彷徨い込んで出てこられないのではないだろうか。
第1曲〈鳩〉や第7曲〈静かな嘆き〉のように濃密な芳香と甘みを持つナンバー。そこへ対置された第5曲〈夢の中の触れ得ない音〉や第8曲〈風の中の反射光〉といった運動的性格の強い曲とが葛藤して、奥行きがあります。
エマールはどっちも軽くいなして捌いちゃうけどね。

そんな甘い路線から、《鳥のカタログ》になると一気にガチ・メシアンモード。相変わらずジューシーだけれども、味覚よりは触覚が優先されるようになります。
子どものころは夜中に鳴くトラツグミの「キィッ!」という声を聴いて背すじを冷たくしていた記憶がありますが、メシアンの耳が捉えた「鳥の声」は、それ自体とそれにまつわる感興が練り上げられてるんだろうなあと思う。〈ヨーロッパウグイス〉がいかつい。

《4つのリズムのエチュード》って〈音価と強度のモード〉しか知らないのだけど、耳にした感じ、受け取る感触は〈火の鳥Ⅰ〉〈火の鳥Ⅱ〉もそんなに変わらない。
テクスチュアは錯綜しきってるように思われます。でも、どの線分もエマールの包丁捌きで巧妙にばらされて皿に並ぶんですよね。生の梨→梨ジャムくらいのギャップはありますが、形態が変化しても芳醇な香りにはクラリとします。
by Sonnenfleck | 2008-09-27 05:16 | パンケーキ(20)

ミクラシックは停滞しているか

5月以来チェックしていなかった、「初音ミク」ほかヴォーカロイドによるクラシック作品を。

しかし…どうやらビミョーに寂れつつあるようで、UPされている作品に占める良作佳作の割合がかなり減少している。いいものを作っていた人々も飽きてしまったかな。
ヴォーカロイドの本来的な使い方である「歌わせてみた」系統の作品で、選曲も作り込みも共に「おっ」と思わせるのは以下の2作品。ただしどちらも発音に苦労しているようで、機械らしさは抜けないです(フォーレはフランス語の難しさを端的に伝える)。。

【初音ミク】シューベルト ミサ曲第2番 ト長調より2.Gloria(ニコニコ動画)

【初音ミク】月の光(フォーレ)(ニコニコ動画)

もう一方の「ヴォーカロイド器楽」系統では、やっぱりライヒが人気みたい。
「ライヒが聴いたら面白がりそう」というコメントがあるんだけど、恐らくそのとおりだろう。

【鏡音リン】Nagoya Marimbas(ニコニコ動画)

【初音ミク】New York Counterpoint(ニコニコ動画)

ちなみに"New York Counterpoint"は元ネタもUPされてたので、リンクしときます。

スティーブ・ライヒ New York Counterpoint(クラリネット11重奏)(ニコニコ動画)
by Sonnenfleck | 2008-09-26 06:28 | 広大な海

on the air:ムーティ/VPOのチャイ5@サントリーホール

c0060659_625373.jpg【2008年9月23日 サントリーホール】
●ロッシーニ:歌劇《セミラーミデ》序曲
●ストラヴィンスキー:《妖精の口づけ》によるディヴェルティメント
●チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 op.64
  ○ヨゼフ・シュトラウス:ワルツ《マリエン・クレンゲ》 op.214
⇒リッカルド・ムーティ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(2008年9月23日/NHK-FM生中継)

個人的には食指が動きにくいプログラムが並んだ今年のVPO来日公演。この公演がソールドアウトになったのは、祝日だからということだけじゃなく、最も安心してお金を預けられる曲目だからというのもあったんじゃないかなあ。ブル2やロータを想像するのはかなり難易度高いけど、これなら何となく横綱相撲っぽくないスか…という心理で。

で、どうでしょう実際のところ。
《セミラーミデ》序曲は軽ーく腕ならし。。強奏で音に混濁が少ないってのは最近はだいぶん常識的なスペックになってきてるけど、VPOの場合は夾雑物が極めて絶妙なバランスで混じっているのが面白いですよね。それでいてきれいな音だなあ…と心から思わせるのがこのオケの凄味だよなあ。自分にはその「夾雑物」が何であるか言い当てることができないし、VPOを心から愛しておられる方からしたらバカタレ!と言われても仕方がないですが。
ムーティが仕掛けるロッシーニ・クレシェンドは、糊がぱりっと効いていて爽快です。
最後の見得の切り方だけ「ドガガン!」とゴツいのもムーティ風。

ストラヴィンスキー・マラソンの途中で《妖精の口づけ》を聴いたときはなんと保守的な肌触りの曲だと思ったんだけども、このプログラムの中ではずいぶん革新的に聴こえます。
ただチャイコフスキー・インスパイヤの作品だし、もともと挑発的な棘はほとんど生えていません。品質のいいホイップクリームのようになめらかでふんわりした響きが支配的だったように思いますね。この作品がいちばん気持ちよかったなあ。

チャイコフスキーの第5交響曲
歩みはどっしりがっちりしているし、アクセントの癖が強いために目鼻立ちはかなりくっきりしている。しかしまずもって響きが明るい。中音域から高音域にかけてが極めてブリリアントな発色であり、低音域はフォルムづくりの材料だわ、と割り切るくらいのバランスにするとこういう感じになるのかな。暗くて黴臭いチャイコフスキーとは一線を画しますね。
ところどころ、ぐわあぁぁぁっと熱烈なテヌート+レガートが巻き起こる場面がありますが(あれほどオトコっぽい、膏っぽい、ツンデレオヤジっぽい第2楽章は今や少数派)、これはムーティらしい強引なドライヴをオケが愛して理解している、幸福な状況でありましょう。

や、実はiioさん「魔神」という表現が、こんなチャイコフスキーを作り上げている今のムーティにはどうしようもなくよく似合うということを、一言申し上げておきたし。
by Sonnenfleck | 2008-09-24 06:28 | on the air

95年目の初夏の思い出

c0060659_6363218.jpg【fontec/FOCD9195】
●マーラー:交響曲第7番ホ短調
⇒ガリー・ベルティーニ/東京都交響楽団
(2003年6月29日 横浜みなとみらいホール)

前島良雄さんのエントリで、9月19日がマーラーの第7番の初演から100年目にあたるということを教えていただきました。

もう5年というか、まだ5年というか。2003年の6月29日、僕はみなとみらいホールLAブロックの後方、限りなくPブロックに近い場所に座っていました。あの日は空模様も微妙で、そんなに暑い日ではなかったような気がする。
細かい部分に関しては残念ながらそれほど明確には思い出せないのだけど、自分の座席から見るステージのオケメンツとベルティーニの映像、そして第1楽章コーダの爆発的幸福感だけはよく覚えています。心拍数があのように上がったことは、これまでに聴いたライヴを振り返ってみてもそんなに多くあったわけではない。

で、そのときの録音を取り出してみる。ちゃんと聴くのは初めてかもしれません。
ケルン放送響のようにブリリアントな厚みやスタミナを感じることはないんですが、都響は逆にサラサラと薄く軽やかな肌触り、表情の幅広いオプションでもってベルティーニの細かな要求に応えているように思います。都響の表現力が国内随一と僕が思うのは、現にこういう演奏を聴かされているから。
長いこと記憶に留まっている第1楽章は確かに素晴らしい完成度だったけれども、もう一度冷静に聴いてみて、第3楽章は煮え切らずにぐじゅぐじゅな感じであるから、もっと行けるとこまで行けたなあと思わないではない(リズムの角が擦れ合ってちょっとカッコワルイ)。逆に第5楽章の皮肉っぽい生温かさ、それから第2楽章第4楽章の低体温かつメタリックな叙情には心を奪われました。いいねえ。都響いいねえ。

指揮者の解釈自体はケルンとの相違を見つけられないし、それにベルティーニのストレートなマーラー構築がオケのカラーの違いを際立たせるんでしょう。
ああ。よくこのジャケ写真みたいな顔してたなあ。
by Sonnenfleck | 2008-09-23 06:41 | パンケーキ(20)

さるぼぼ以外の高山

c0060659_623515.jpg

バスで高山に行ってきました。名古屋からだと3時間半くらいかしら。

フツーに考えればこの古い町並(国選定重要伝統的建造物群保存地区)が小京都・高山の名物なんですから、トップに写真が来るところでありましょうが、実際に目にしてみるとウランカナウランカナの商店ばかりが軒を連ね、作為の臭いでいっぱいです。「町人文化が今も息づいています」ってのは皮肉だったのか。がっかり。

ガイドマップから外れると、すぐに地元の方の生活エリアへ入ってしまいます。高山は大きな街ではなかった。
この生活エリアの方に、東山白山神社という神社がありましてです。
立て看板の由来を読むと西暦718年鎮座、高山郷最古の氏神とのこと。現在の祭神は伊弉諾・伊弉冉・菊理媛神(ククリヒメ)で、つまり白山信仰ですが、いつから一体化したのかは不明であります。美濃も白山信仰のお膝元だから、当然と言ってしまえばそれまでかも。
上の写真は参道を上から見下ろした様子なんですが、深閑とした木立の中に物音一つせず、脇には苔むした墓が並んで神仏習合な感じ。

境内は意外に明るくて、巨大な夫婦杉、無人の社務所、原っぱで弁当を広げて談笑する近所の皆さん等等。作為にまみれた町人文化ではないものも息づいているよね。"MICHELIN Voyager Pratique Japon"を読んで高山(この街は三ツ星なのだ)を訪れている外国人には、こういうところも見てほしい。
by Sonnenfleck | 2008-09-22 06:24 | 絵日記

on the air:ブリュッヘン/オランダ放送室内フィル CPE→WAM

c0060659_6391820.jpg【2008年9月12日 ユトレヒト・ヴレデンブルク】
●フォドール:シンフォニア第4番ハ短調 op.19
●ハイドン:協奏交響曲変ロ長調 Hob.I/105
→エリザベス・ペリー(Vn)、ミヒャエル・ミュラー(Vc)、
  ユスティン・ヘレトセン(Ob)、近衛一(Fg)
●カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ:Fl協奏曲イ短調 Wq.166
→イェド・ヴェンツ(Ft)
●モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K504 《プラハ》
⇒フランス・ブリュッヘン/オランダ放送室内フィルハーモニー
(2008年9月13日/Netherlands Radio 4 生中継)

ブリュッヘンが過去の録音でしか語られない日本は不幸だ。
ネットで頻繁にエアチェックするようになってから、ブリュッヘンのライヴはますます貯まる一方なのであります。今日はアムス、明日はワルシャワ、次はパリ、、こんなに四方八方で活躍しているのに、深刻な顔して「あの人は今」とか言ってらんないでしょ。
で、ショパンブラームスマルタンまで広がったレパートリーを、一旦置いといて。
この日は古巣のユトレヒトでエマヌエル・バッハからモーツァルトまでを聴かせてくれました。

まずはフォドールという作曲家のシンフォニア第4番なんですが、知らない。。
作品を聴いてみた感じでは、せっかくハ短調なのに何だかもっさりしてて、「展開」よりは「その瞬間のアトモスフィア」を練り上げることに興味があるみたいなんですよ。「疾風怒濤期のハイドンに似ています」という情報をググって得たんだけど、それよりもさらに古めかしい最後期バロック寄りのスタイルを感じるんだよなあ。
オケはいかにもスロースタータ。気の毒なくらい全然温まらないんですけど、ブリュッヘンらしい粘ついたマチエールがようやく第3楽章のメヌエットで出現。キッチュなメロディてんこ盛りの(ジェミニアーニから独自に進化しました、みたいな)第4楽章も、大真面目に重々しい。

ハイドンの協奏交響曲イ短調
何とも煮え切らない作曲家の後に聴くと、ハイドンが未来へ目を向けているのがなんとなくわかるであります。協奏交響曲だって「その瞬間のアトモスフィア>>>展開」みたいに聴こえる古っぽい形式だけど、アトモスフィアのつくりがハイドンではすでにバロックを遠く離れて、何本かの独立したソロコンチェルトを束ねて太い綱にしたように堅牢な響き方をする。
4人のソロはみんなオケのプレイヤーのようで(オランダ語わからないアルヨ)、ナチュラルに溶け合っている様子が気持ちいい。オケは完全に立ち上がって、混沌としたねばねば(これもブリュッヘンらしいのだが)から弾力のあるコシの強い響きへと質が変わっております。

そして!エマヌエル・バッハのFl協奏曲
これこれ。ブリュッヘンの「一様に隈取りが濃いバロック」を聴いていると、わけもなく安心するんだよなあ。。アクセントがきつくてジェットコースターにみたいなバロックもいいんだけど、土曜の午前にまったりとした気分で聴くのであればやっぱこれでしょう。。
オランダ放送室内フィルは決して超絶技巧のスーパーオーケストラではなくて、音程なんか本当に終始ヤバげなんですが、ブリュッヘン節を聴くと開き直れば、指揮者に共感して指揮者の音楽を忠実にやろうとするオケの演奏は気持ちがよいものです。
イェド・ヴェンツってムジカ・アド・レーヌムを主宰してBrilliantにメジャーレパートリーを録音しまくってる人ですよね。ライヴは初めて聴きますが、笛のライオンと交錯する凄まじいプレッシャー(たぶん)にも関わらずそつなくこなしてしまいます。衆人を振り向かせるような特徴はないかもしれないけど、重たいブリュッヘン節に乗っかって、第3楽章のキメ所もばっちり。

+ + +

…しかし…この《プラハ》はどのような感想を書いたらよいのか?
ここまでは遊びだったのか?
前の3曲の印象はおろか、この曲の陽気なニ長調の調性感も吹っ飛んでしまう。この閉塞感は一体何だろう?極めて微細で柔らかい毛で包まれて、前に進むこともなく穴倉に沈降していくような、、展開もせず同じところをぐるぐると回っているような。。以前のブリュッヘンであれば濁流のようなコーダに重要な意味を持たせていたかもしれないけど、ここではほとんど無目的的であり、その浮遊感には背すじが冷たくなります。
最近のブリュッヘンは、稀に、こういう生気の抜けきった不思議な演奏をするみたいなんですよね。ううむ。新日フィルのハイドン・プロジェクトはどうなってしまうのか。。そして自分は月に3回も4回も上京できるのか。。
by Sonnenfleck | 2008-09-21 06:42 | on the air

Pの福音

c0060659_6412939.jpgそうそう。ケータイを替えたのでした。docomo P906i。
5年以上NECを使っていたN信者だったのですが、いよいよNのデザインが自分にとって好ましからぬ方向へ遷移するに及び、断腸の思いでPanasonicへ乗り換えたのです。

コンサート直後から、ブログにUPする感想文の下書きをケータイで入力することも多いのです。慣れ親しんだ入力方式が崩れるのが嫌で、そのためにNを使い続けていたと言っても決して過言ではないものですから、初めてのPは実に恐ろしい。
SONYからNECへ、6年前に初めて「メーカ鞍替え」をやった際に凄まじい違和感を感じて、それがトラウマになっていたのかもしれませんが…いや、実際のところはユーザインタフェースの雰囲気はそんなに違わなかったのです。メーカ間の摺り合わせが起こったのでしょうか?とにかくえがったえがった。

◆良い点
清潔感のあるデザイン
→不要な色も不要な曲線もない。これに尽きる。
内蔵カメラ
→なるほど510万画素は凄いし、微妙な補正をかなりやってくれているようです。ケータイにはカメラとメールと通話機能があれば済む自分にはベストな選択だった。
横オープン方式によるインターネットフルブラウザ機能
→外出先でインターネットが見られないし、ブログの様子もイマイチよくわからないのがこれまでの悩みでしたが、それも解決。残された問題は料金だねえ。。物凄い量のパケットを受信しているような気がするもの。。
なめらかワンセグ
ワンセグいらない派だったですが、あると便利だなあ。布団に潜り込んでタモリ倶楽部が見られる幸せ。他社のワンセグより動きがなめらからしい。

◆良くはない点
意外な大きさ
→存在を主張します。でかいです。3.1インチフルワイドVGA液晶のおかげで。
横オープンのギミックが脆弱
→ガタガタいいます。不安。使い倒した暁にはボッキリ?
by Sonnenfleck | 2008-09-20 06:42 | 日記