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O brave new world, That has such people in't !

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いったいどこのお屋敷の天井でしょうか。答えは明日!

by Sonnenfleck | 2008-10-31 06:26 | 絵日記

【アニメ】のだめカンタービレ 巴里編 第3話

c0060659_6423956.jpg【2008年10月30日(木) 東海テレビ(予定)

パリ編第3話は、原作のLesson61(シュトレーゼマン再訪)Lesson62(ひじきとユンロン)Lesson63(Ruiの登場)、そしてLesson64(のだめとオクレール先生の「ぜんぜんダメー」)
うわー。そりゃ正味20分間に4話分詰め込もうとしたらエピソードはカットせざるを得ないけどさ、、ズタズタに切り貼りされてるですよ。。
巴里編はそういう方向で行くことにするのね。だったらこっちもそのつもりで見るまでだが、原作の丁寧な映像化にこそアニメ版の意義があったのに、これではなあ。

ユンロンの役割
アニメ版のユンロンは、のだめにRuiの演奏ビデオを見せるためだけの装置として働いていました。人間としては造形されなかった。不憫だね(前回のジャンも同じだった)。
のだめと無銭飲食しそうになり、店の親父が歌う《私は町の何でも屋》をピアノで伴奏して自信を回復するあのエピソード、好きだったんだけどな。。カットされちゃった。。

優しくリライトするシュトレーゼマン
シュトレーゼマンの落ち着いた声が好きです。
日本を舞台しているときはそりゃ竹中直人でもよかったけど、パリ編ではシリアスなシーンが一気に増えるし、人間らしい弱さも見せなきゃならないから、渋い声の声優さんを選択したのは大正解と思う。第1期のころの英断であった。
その老巨匠が「ウットリのだめのことを想い」ながら放置している千秋に向かって、「もう拒絶するのはやめなさい、みっともない」と諭す。この部分は原作では指示代名詞が多くて、シュトレーゼマンの吹き出しの中には「そーゆーの もうやめなさいヨ」としか書いておらず、いかようにも解釈できるんですが、監督さんと脚本家さんはそのように読んだようです。
最新の第21巻でシュトレーゼマンはメフィストフェレスになってのだめを誘惑しますが、制作側にそこまで描くつもりがないんであれば、まあいいんじゃないでしょうか。

今週のクラヲタポイント
・千秋不在中ののだめが弾くショパンの夜想曲第8番 変ニ長調 op.27-2
それから、Ruiの演奏ビデオ、およびオクレール先生ののだめ初レッスンで、リストの超絶技巧練習曲第4番 ニ短調《マゼッパ》。ううむ…両方とも原作には出てこないじゃないッスか…。特に後者、原作でRuiが演奏してるのは《鬼火》なのに、どうして変えたのか理解に苦しむ。
・ブラ3のアナリーゼも超!期待外れ。あーあ。
by Sonnenfleck | 2008-10-30 06:43 | on the air

精神と時のお買い物XIV

10月になって手に入ったものたち。

【バナナレコード 本店】
1 シュニトケ:合奏協奏曲第1番(DG) *クレーメル/ヨーロッパ室内管
2 ファン・エイク:笛の楽園(TROUT RECORDS) *花岡和生

【アリアCD】
3 ベートーヴェン:交響曲全集(SCRIBENDUM) *レイボヴィッツ/ロイヤル・フィル

【サウンドベイリパブリック 金山店】
4 ヘンデル:アリア集(naive) *バーヨ+センペ/カプリッチョ・ストラヴァガンテ
5 ボッケリーニ:作品集(ALIA VOX) *サヴァール/コンセール・デ・ナシオン
6 モーツァルト:交響曲第35番《ハフナー》(En Larmes) *ブリュッヘン/北ドイツ放送響
7 ディーリアス:管弦楽曲集(DECCA) *マッケラス/ウェールズ・ナショナルオペラ管
8 ブゾーニ:Pf協奏曲(hyperion) *アムラン+エルダー/バーミンガム市響
9 ロスラヴェツ:Vnソナタ集(OLYMPIA) *ルボツキー+ボチコフスカヤ
10 ポポフ:交響曲第5番《田園》(OLYMPIA) *カラペティヤン/ソヴィエト国立響

【ピーカン・ファッヂ】
11 ヘンデル:Recソナタ集(TROUT RECORDS) *花岡和生ほか
12 ジャン・アラン:Org作品全集上巻(ERATO) *マリー=クレール・アラン
13 フォーレ:歌曲全集1(hyperion) *ロットほか

⇒たぶんフィッシャー親方がフルートを吹いてる1。
オトテールが素晴らしかった花岡氏のファン・エイク(2)とヘンデル(11)。ラッキー。
⇒入手し損ねていたレイボヴィッツ(3)。何やらすごい演奏という噂ですが。

⇒金山の文化会館裏、サウンドベイリパブリックが大爆発。
どれもこれも聴くのが楽しみなんだけども、一番はブリュッヘンの海賊盤二枚組(6)だなあ。
北ドイツ放送響とのまさかの組み合わせに期待が高まりますが、カップリングにはさらにゲヴァントハウス管との《エロイカ》まで入ってて、驚愕するしかない。
⇒あとは10、ガブリール・ポポフの田園交響楽。コルホーズは荒れ狂っているのか。

⇒11月の豊田公演が楽しみなアラン。ジャン兄の作品集を未開封で12。
by Sonnenfleck | 2008-10-29 06:41 | 精神と時のお買い物

鉄の日の名残り

c0060659_6324868.jpg【OLYMPIA/OCD 558】
<ニコライ・ロスラヴェツ>
●Vnソナタ第6番(1940)
●Vnソナタ第1番(1913)
●Vnソナタ第2番(1917 ※マリーナ・ロバノヴァによる再構成)
●Vnソナタ第4番(1920)
⇒マルク・ルボツキー(Vn)+ユリヤ・ボチコフスカヤ(Pf)

サロメ@びわ湖の帰りに立ち寄った金山の中古屋さん「サウンドベイリパブリック」で購入。あそこは変に回転が速くて、しかも誰が売ったかわからないような変な出物が多い。

12音の独自発明者とされることも多いロスラヴェツ Roslavets (1881-1944)の、今日遺された4曲のVnソナタが演奏されています。
アヴァンギャルドの旗振りをしていたころに作曲された第1、2番はスクリャービン+バルトーク的な尖がり風味が特徴なんだけど、これら1910年代の2曲は(あえてはっきり言うと)もうスクリャービンを聴いちゃえば済むような気がするんです。ギスギスとした無調世界―たぶん独自の12音体系になってるんだろう―は、聴感上そんなに革新的な感じは受けない。
一方で、1920年の第4ソナタは短いフレーズが次々と登場するので、蛾がひらひらと舞っているようでずいぶん美しい。10年代のガチガチ理論武装が解け、自然な情緒の中でねっとりとした無調が展開される。終結部分はめちゃめちゃクールです。

ところがです。これらに比して、完全に失脚し自己批判を余儀なくされ、ただ細々と生きていた1940年の第6番は、異様に内省的な音楽になっているのでした。
すべて単一楽章で演奏時間も十数分であった第1、2、4番とは異なり、第6番は3つの楽章を持ち、演奏時間も30分に迫る。全編が懐かしく切ない映画音楽のような旋律で(旋律で!)彩られ、ところどころ無調らしきスパイシーな香りはするものの、無性に悲しげな音楽が出来上がっています。「糖類80%減のラフマニノフ」というのは言い過ぎとも思えなくて、これは演奏会のレパートリーに定着しても全然おかしくない作品だと感じられる。
悔やんでいたんだろうか?ロスラヴェツは?

ルボツキーというヴァイオリニストは、ブリテンがVn協奏曲の自作自演録音のソリストに選んだ人らしいです。瀟洒でダンディな歌い回し、かつ美音の持ち主で(ちょっとフランチェスカッティみたいな感じ)、第4や第6のソナタにはよく似合う。
by Sonnenfleck | 2008-10-28 06:34 | パンケーキ(20)

ニケ/ル・コンセール・スピリテュエル@名古屋

c0060659_14283032.jpg【2008年10月25日(土)17:00~ 愛知県芸術劇場】
●ダンドリュー:《戦争の描写》
●ヘンデル(以下同じ):組曲《水上の音楽》第1組曲 HWV348
●組曲《水上の音楽》第2組曲 HWV349
●合奏協奏曲 op.3-4、3-5からの6楽章
●組曲《水上の音楽》第3組曲 HWV350
●組曲《王宮の花火の音楽》 HWV351
 ○組曲《水上の音楽》第3組曲~〈アレグロ〉
⇒エルヴェ・ニケ/ル・コンセール・スピリテュエル


こういうライヴを聴くと、CDって何だろうなと思う。
やっぱり音の出るパンケーキかもしれない。
予習用に買ったCDをあえて聴かずに出かけたのは正解だった。

ちょうど80人の大所帯、、しかし半数以上が管楽器(ひえー)。
弦楽器はフツーの対向配置で座ってるんですが、その後ろが凄いのです。
雛壇にオーボエ18人バソン8人コントラバソン2人(でいいのか?)がずらりと並ぶ(彼らの半数以上はリコーダー持ち換えアリ)。舞台下手にはホルン9人、上手にはトランペット9人が構え、さらにティンパニ2人が左右に分かれて鎮座、さぁさお客さま一斉射撃にございます、というわけですから異様です。

こうした編成から放たれる音は、まず物理的にでかい。
で、それを下支えするバソン隊の存在感が圧倒的なのです。完全に通奏低音の主役。チェロとかコントラバスとかヒョロいよ。
それでいて響き全体は軽快かつ煌びやかで、旨味もたっぷり(立ち上がりこそ鈍いけど、アクの強い地声で歌うバソンの温かみはここでもよい方向に働く)。モダンオケからは到底立ち昇ることのないような不思議な香気が漂っています。和音がキマって響きが消えていく様子が途轍もなく美しい。こうした香気は録音されない類のものだろう。
ありえないことだけど、この編成にマーラーが曲をつけていたらどんなことになっていただろうかと考える。もしもフランス革命がなかったなら、フランスバロック音楽はジジ臭いと蔑まれながらも、直系の子孫を残すくらいの影響を保ったんじゃないだろうか。

それから、各奏者のポテンシャルが高い。メチャウマです。
まず46人の管楽器をまとめる総リーダー、オーボエのエロイーズ・ガイヤール女史。
彼女の熱烈な歌い口と濃厚な音色が管楽器群に伝播していたのは間違いないし、発音がどうしてもワンテンポ遅れるホルンにひたりと寄り添ってテンポを落とす技は鮮やかでした。彼女の名前、どっかで見たなあと思ったら、ああそうか。アンサンブル・アマリリスのリーダーじゃないですか。
そしてソロが頻発したコンミスのアリス・ピエロ女史、やったら巧い人だなあと思ってググってみると、ルーヴル宮音楽隊のコンミスをずっと務めていた人であるということが判明。

さらにホルン隊!彼らがもう信じられないくらい巧い!

+ + +

しかし、この演奏会で最も感銘を受けたのは大編成古楽オケによる音量や音色の珍奇さではなくて、ヘンデルに流れ込んでいるフランス様式が完璧に洗い出されて、その軽やかな美しさが表沙汰になっていたという点なのであります。言い換えると、《水上の音楽》ってこんなにフランスバロックっぽい造りだったのね、ということに気づかされたわけです。

ニケが物凄ぉぉぉく丁寧に指示しているアーティキュレーションは、彼らのシャルパンティエと何ら変わらない。エモーショナルな指揮ぶりによって彼が示すのは、ヘンデルの時代よりももう少しだけ前のフランスバロックさながらの、浮世離れした軽さ、あるいは音の繊細な重ね合いによる一時の快楽。これをそのまんまヘンデルに適用するんですよ。
すると、アラ不思議、ヘンデルが補強したイタリアンな粘土が溶けて、フランス様式に基づいた骨格が見えてしまう。特に《水上の音楽》第1組曲なんか、畏まって各曲に速度記号の名前がついているけど本当は熱烈に舞曲舞曲したピースの集合体で、もうマジでベッタベタのフランス趣味で作曲されていることがわかってしまう。これは面白い体験だ。

一方で《王宮の花火の音楽》が作曲されるころになるとヘンデルのフランス趣味は薄れ、代わりにヘンデル様式とも言えるあの豪壮な旋律美が前面に押し出されるのでした。このへんの様式感の相違が巧妙に焙り出されていたのも素晴らしかった。
最後、いつのまにかバソンの中にセルパンが紛れ込んでたなあ(笑)

+ + +

初めのうち、当夜のお客さんは反応が極めて薄く、高額の席に座ったジジババが(数十人単位で)感性も何もかも錆びつかせて眠りこけているのを見ては無性に腹が立ちました。でも実際は何のことはない、ほとんどの良識ある聴衆たちは、これをどう捉えたらよいのか戸惑って考え込んでいただけだったんじゃないかな。
《王宮...》が終わるころには会場は万雷の拍手。終演後にニケのサイン会に並んでいたら、そこかしこから楽しかった面白かったという声が聞こえてきて、えがったえがった。
by Sonnenfleck | 2008-10-26 09:18 | 演奏会聴き語り

on the air:ブリュッヘン/スタヴァンゲル響のベートーヴェン 3

c0060659_674717.jpg【2008年10月11日 スタヴァンゲル・コンツェルトハウス】
<ベートーヴェン・フェスト3>
●交響曲第6番ヘ長調 op.68 《田園》
●交響曲第7番イ長調 op.92
⇒フランス・ブリュッヘン/スタヴァンゲル交響楽団
(2008年10月18日/NRK Klassisk)

《田園》は平滑、とにかく平滑。
そしてピュア。
全体に薄いゴムのようにレガートが引かれる一方、メロディごとの表情はまったく用意されない。ひとつの区切り、ひとつの旋律線として纏めるためのアゴーギクはほとんど使われません(1990年に正規録音された18世紀オケとの演奏と並べて聴くと、その旋律感の脱落に衝撃を受ける)。
でも、音符ひとつひとつの発音がいかにも怜悧であるために、それらがいくつか連続してリズムを形成すると、透き通った蜻蛉の羽のような模様がホールの空気に浮かび上がるという按排。

あるいは平滑になった老人の白い肌を想起する、と書いたらいけないでしょうか。
第1楽章第2楽章の現実離れした美しさを、ほかにどう表現したらいいだろう?本当に強く意識しないと到底田舎踊りとは思われない、遊びも何もなくただ滑らかで純粋な第3楽章を。不穏ささえなくなって、異様に美しい響きと抽象的なリズムの交錯と化した第4楽章を。それから息が詰まるくらいシンプルな第5楽章を。なんなんだよこの響き。あああああ。

指揮者ブリュッヘンはどんどん透き通ってきています。
この《田園》は、僕には伝説の演奏と感じられる。ここまで聴いてきたツィクルス中から1曲挙げるとしたら、文句なくこの演奏を選びましょう。この異様に平滑で静謐な演奏を。

+ + +

ほんの少しの休み時間を挟んだだけで、この《田園》の後に第7番を聴かなければならなかったスタヴァンゲルの聴衆たちに深く同情します。

それにしても…第6番を境にして明らかに潮目が変わっている。同じリズムの乱舞といっても、第2番や第4番のようにちょっとコミカルなドタバタの結果として多少の濁りが伴うような展開さえもうありません。第1楽章の主部のデリケートなタッチに仰天しない聴き手がいるだろうか?なんでこんなに音が濁らないんだろう?
逆に第2楽章は不思議と無造作。そして楽章が進むにつれてどんどん響きが実体を取り戻してゆくようで、第3楽章はオケの団員が緊張をほぐすようにして伸び伸びと弾いているのが興味深いし、第4楽章になると《田園》とは明らかに異なる熱狂が生まれている(もちろん前半ほどではないにせよ、音の混濁は極めて少ないままだ)。このへんはオケのスタミナ配分やブリュッヘンのこだわりの差が関わってくるのかもしれない。

on the air:ブリュッヘン/スタヴァンゲル響のベートーヴェン 1(第1番~第3番)
on the air:ブリュッヘン/スタヴァンゲル響のベートーヴェン 2(第4番+第5番)
by Sonnenfleck | 2008-10-25 06:10 | on the air

ヨハネス・モーザー Vcリサイタル@しらかわホール

順番は前後しましたが、先週の日曜日に出かけたコンサートの様子。

c0060659_50789.jpg【2008年10月19日(日)11:00~ しらかわホール】
●バッハ:無伴奏Vc組曲第1番ト長調 BWV1007
 ●ブリテン:「ザッハー」の主題
 ●デュティユー:ザッハーの名による3つのストロフ
 ●ベリオ:《言葉は去ってしまった》
 ●ヘンツェ:カプリッチョ
 ●ルトスワフスキ:ザッハー変奏曲
●バッハ:無伴奏Vc組曲第3番ハ長調 BWV1009
 ○ショスタコーヴィチ:Vc協奏曲第1番変ホ長調 op.107~第2楽章カデンツァ
⇒ヨハネス・モーザー(Vc)


しらかわホールの名物企画「ELEVEN AM」の、4回目かな。
日曜の朝からこんなにマニアックなプログラムを用意するしらかわホールが大好きです。

バッハでサンドイッチしてあるけれども、今回のプログラミングの中核は「ザッハーもの」。
すなわちパウル・ザッハー70歳の誕生日プレゼントに贈られた、12人の作曲家(ベック、ベリオ、ブーレーズ、ブリテン、デュティユー、フォルトナー、ヒナステラ、ハルフター、ヘンツェ、ホリガー、フーバー、ルトスワフスキ)による無伴奏Vc曲集であります。今回はそこから5作品が選ばれました。
このときの発起人であったロストロポーヴィチは、自分の孫弟子がこの曲集を易々と弾きこなす未来を想像していただろうか。1979年生まれのヨハネス・モーザーは、ゲリンガスの弟子。ゲリンガスはスラーヴァの弟子。

+ + +

金髪長身にメガネのモーザーが出てくると、僕のそばに多く座っていたオバハンたちがわーとかきゃーとか言ってました。ううん確かにカッコええね。
彼の音は非常に見た目どおりというか、スマートでクレヴァー。抉られたり胸倉を掴まれたり、そんなことはまったくない。ひたすらスマート。でも与えられた要求に高いレベルで応えるためだったら汚らしい音も野蛮な歌も辞さないよHAHAHA、という感じなのが可笑しい。

まず外周を固めるバッハ2曲がずいぶん脱力した演奏で、面白かったでした。
激しい抑揚も軽い機知も、全部承知の上であえて柔弱な演奏に終始していたように感じられます。あのぬるま湯のような雰囲気が意外や意外、逆に集中し切った「ザッハーもの」と対比を描いて、新鮮な趣きを与えるんですよ。なるほどねえ。

さてさて5曲の「ザッハーもの」ですが、セレクションが非常によかった。
ブリテンはもう功成り名遂げた大作曲家ですから、あの軽やかな(テキトーな)筆致。
ヘンツェとルトスワフスキの作品は、過去からの流れの上に自分たちが立っていることをよく意識したトラディショナルな雰囲気だし、一方でデュティユーとベリオは特殊奏法を課しまくりでまったく意気軒昂。要するに5曲聴いていてとてもバランスがいい。

それでもあえて選ぶとすれば、デュティユーザッハーの名による3つのストロフと、ルトスワフスキザッハー変奏曲が、個人的には特に感銘を受けました。
前者はC線とG線がスコルダトゥーラされ、ベリオほどではないにせよスル・ポンティチェロも頻発するとげとげシリアスな作風。どっちを向いても藪の中みたいな印象を受けはしますが、モーザーの歌い方(そう!歌っていた!)には不思議な色彩感があって、それを味わっているうちに最後まで進むことができました。
反対に、後者はパウゼが効果的なコミカルな作品。モーザーもそれを意識してか、急発進と急ブレーキでホールの空気を前後左右に揺すります。最後は彼が踏んだ急ブレーキでお客さんは前方へすっ飛ばされる(慣性の法則)。それを見てにやりとするチェリスト。
by Sonnenfleck | 2008-10-24 05:00 | 演奏会聴き語り

【アニメ】のだめカンタービレ 巴里編 第2話

c0060659_6162139.jpg【2008年10月23日(木) 東海テレビ(予定)

パリ編第2話は、原作のLesson55(プラティニ指揮者コンクールへの旅)Lesson56,57,58(コンクール1次~3次予選)、およびLesson59,60(コンクール本選)(全部やっちゃった!)
途中のエピソードが入れ替えられたりするものの、セリフは原作の吹き出しそのままのものが多いし、コマの中の文字が画面に現れたりして、基本的に原典重視路線は変わらず(紙芝居)、と思ってたんだけど…。

CG指揮者の時代
千秋の《ロンドン》【黒】とジャンの《ウィリアム・テル》序曲【白】がそれぞれ流れる。このアニメでピアノ等の作画に生かされている「実写加工」が指揮にも適用されたのかどうか、、一気に流麗になりすぎて笑ってしまった。ジャンのヘコヘコした動きに萌え(笑)
2次予選の「間違い探し」ドヴォ8って…間違い探しVer. ?わからん。

3次予選はジャンが《ティル・オイレンシュピーゲル》、千秋も同じ。で、千秋はまた「人間性」のところでやらかすんですが、このへんは急ぎすぎちゃって面白くない。

「ハイドンで試されるのは光栄である」という部分がなかったのはクラヲタとしては悲しいし、そうでなくても作劇上せめてジャンの人となりを形成するくだりはあってもよかったはず。コンクールの話はもっとじっくり取り組むべき素材なんだけどなあ。監督さんが第1期と変わったらしいという情報を見つけたんだけれども、こういうところに姿勢の違いが現れつつあるのかねえ。

片平!!
そんな中でひとり気を吐く片平元(30)のエピソード。彼のジャンプ式《ルスランとリュドミラ》序曲はアニメでもやっぱり面白いですね。ドラマ版はアリキリ石井の怪演にブラヴォだったけども、アニメ版では動きそのものが重力から自由で素晴らしい。

D
いい演出。しかし着実にエンタメ化しつつある。

今週のクラヲタポイント
・そんなわけで、《舞踏組曲》もラロもチャイコフスキーも、本選の様子は根こそぎカット。
・これはやっちゃったっぽいですね。ハイドンがDOOON。↓
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【アニメ】のだめカンタービレ 巴里編 第1話
by Sonnenfleck | 2008-10-23 06:44 | on the air

驚くべき、驚くべきシュトライヒャー@宗次ホール

c0060659_2217224.jpg【2008年10月20日(月)18:45~ 宗次ホール】
<メンデルスゾーン>
●Vnソナタ ヘ短調 op.4
●Vcソナタ第2番 ニ長調 op.58
●《ロンド・カプリチオーソ》 ホ長調 op.14
●Pf三重奏曲第1番 ニ短調 op.49
 ○同第2番 ハ短調 op.66~第2楽章
⇒小倉貴久子(Fp/1845年 J. B. シュトライヒャーによる)
  桐山建志(Vn)
  花崎薫(Vc)


おおよそ僕がこれまでに聴いた、どのメンデルスゾーンよりも素晴らしかった。
本当によかった。心の底からメンデルスゾーンを味わった。

当夜の主役は、ヨハン・バプティスト・シュトライヒャーが制作した跳ね上げ式ウィーンアクションの木製フォルテピアノ。これが制作された1845年というのは、鉄骨フレームによるイギリスアクションが登場する前に栄華を誇ったウィーンアクションが、最後の輝きを見せていた頃らしいです。
見た目には木目が大変美しいけれどもオール木製ではない。現代のコンサートグランドとは比べ物にならないくらい弱い張力の線ではありながら、それでも木製だと耐え切れずに割れてしまうので、それを支えるため箱の中に鉄柱が渡してある由。

+ + +

このシュトライヒャーから流れてくる音が、心を捉えて離さないのです。
音の頭はあくまで粒立ちがよく、高音域には鳥の声のような軽やかさが、低音域には生々しく残酷な属性があり、それらが消えてゆくときには惻惻とした風情がある。
何より、和音のさまざまな色合い、これが堪らない。
明らかにモダンのピアノとは違うし、これまでに聴いたほかのフォルテピアノとも味わいが異なる。和音の違いが空気の揺れの違いであることを、直感的に感じさせるのです。こぼれてくる和音を聴き逃さないように、ひとつ残らず掴まえられるように、こんなに夢中になったようなことはあまり記憶にありません。

自由席だったのをよいことに、前半2曲はホール2階の最前列で、後半2曲は1階の最前列に移動して聴き比べをさせてもらいました。興味深いのは、1階最前列のように通常であればピアノの音が巨大すぎて何も聴こえないような場所に座っていても、和音のさまざまな色合いを感じることができ、ピアノの筐体が振動しているのがはっきりと感じ取れるという点。
バランス的にはVnとVcの音量に負けるくらいではあるけれども、そのぶん弦楽器との溶け合いは極上としか言いようがないのです。シュトライヒャーの発音が、弦楽器のピツィカートによく似ているというのも面白い発見。

その上で、演奏がいい。小倉さんのタッチも、桐山さんの弓づかいも、花崎さんの歌い回しも、みなピリオド・アプローチを自然に昇華し、軽快で清冽な印象を聴き手に与えます。これ見よがしのメンデルスゾーンなんてまっぴらごめんだものね。
和音を掴まえる愉悦に溺れることができたのは、Vcソナタ第2番第3楽章
シュトライヒャーのしなやかで優しい風合いに感服したPf三重奏曲第1番第2楽章、透き通ったとんぼ玉がコロコロコロ...とたくさん転がっていくように感覚的触覚的な第3楽章marutaさんが7月に予言されていたとおり、このナチュラルさがメンデルスゾーン演奏の最先端であると言うことができそうです。
本当に胸がいっぱいになってしまったので、当夜は宗次オーナーに深く感謝し、いつものようにホール出口に立っていらした彼に頭を下げてホールを後にした。

今日の19時より、まったく同じプログラムの演奏会が静岡で行なわれるので、距離も時間も自由になる方は(ならない方もぜひそのようにして)駆けつけるべきと思います。
by Sonnenfleck | 2008-10-21 06:16 | 演奏会聴き語り

名古屋フィル 第351回定演

c0060659_19563831.jpg【2008年10月18日(土)16:00~ 愛知県芸術劇場】
<ツァラトゥストラ6―墓の歌>
●ベルリオーズ:カンタータ《クレオパトラの死》
→加納悦子(MS)
●ハイドン:交響曲第45番嬰へ短調 Hob.I.45 《告別》
●アデス:《…されどすべてはよしとなり》 op.10
●バルトーク:管弦楽のための協奏曲 Sz.116
⇒マーティン・ブラビンス/名古屋フィルハーモニー交響楽団


これまでの「ツァラトゥストラ」シリーズは、プログラムを見た時点でピンと来るか、そうでなくても実際にホールで聴いて納得がいくパターンでしたが、今回の「墓の歌」を貫く一本線は見えず。うーむ。

指揮者ブラビンスの名前は今年のプロムスでも見かけていました。10年以上BBCスコティッシュ響の副指揮者を勤め、その間ほかのBBC系オケも含めて彼がハイペリオンに録音したCDは30枚以上らしく、都響にも来年早々に客演するみたいです。いかにもフィッシャー系の人脈っていう感じですよね。
そのブラビンス、とにかく何でも器用にこなす人だなあという印象。
本定期の4作曲家の様式に関する途方もないギャップをちゃんと振り分けることができるし、ただ事務的に振り分けるんじゃなく、その上で聴衆が喜ぶ「ふりかけ」みたいなものもちゃっかり知っていてパラパラとやる。お客さん喜ぶ。オケメンも喜ぶ。みたいな。

+ + +

最初の《クレオパトラの死》は沈没。ダメだね最近。寝てしまう。

しかしハイドンの《告別》が、これが素敵な演奏だったので飛び起きることができました。
弦の編成は8-6-4-3-2と一気に刈り込む一方、その小編成にも関わらずアーティキュレーションは必ずしも原理主義的ではなく、レガートやヴィブラートも何食わぬ顔で表現パレットの上に乗っています。ブラビンスが作る土台はとろりとして温かい響きであって、そこへピリオド奏法の軽快さを抽出したふりかけをパラパラ(Fgシャシコフ氏が座っている場所は完全に通奏低音部隊だったね)。
これまでの「ツァラ」シリーズに3度練り込まれていたハイドンの中では、この日のブラビンスのスタイルがもっとも明解に成功していたと思われる。愛知県芸の豊かな残響も考慮に入れて、爽快かつふわとろな演奏でありました。

日本にいてフツーのクラヲタをやっているかぎり、アデスをライヴで聴くのは人生にそう何度もないことと思われます。今回の《…されどすべてはよしとなり》は、いやー可愛い曲だ。
打楽器群が重層構造になったリズムを叩く→トゥッティに飛び火する→いつの間にかごく簡単な山型のメロディが一本流れるようになる→リズムが落ち着いて静かに解決する、というのが大まかな流れですが、バルトークのオケコンとほぼ同じ大きさの巨大な編成なのに響きは省エネな感じ。ショスタコが交響曲第15番の最後でやった「チャカポコチャカポコ…」と同じ線上に位置する、「無邪気な」音の遊びです。
こういう無目的的な音楽って、定期演奏会なんかではまだまだ受けないのかもしれない。拍手の薄いことといったら!熱狂してる自分が恥ずかしくなるくらい!

最後にバルトークの管弦楽のための協奏曲
これはブラビンスとオケの共同作業が非常に上手くいっていた感アリです。ブラビンスはここにきて聴衆大喜びのガハガハ系バルトーク像を持ち出し、濃ゆい味つけを施すんですが、(多少の破綻もあったけども)基本的にはそれがスムーズに再現されるあたり、もう馬力だけの名フィルではないのだなあと。
もちろん第1楽章第3楽章の濃厚な静けさもよかったけども、第2楽章第4楽章のスパイシーな凹凸が実に刺激的でした。ああいう豊かな抑揚は日本人指揮者+日本のオケだとあんまり現れないですよね。面白かった。

ここまで書いて、今回の「墓の歌」は、ニューヨークのバルトークが葬った、しかし絶えず憧れてやまなかったヨーロッパ的な過去を並べたのかなあという気がしてきた(ニーチェの「墓の歌」ってそういう感じじゃなかったっけ?)。ベルリオーズもハイドンもアデスも、病身のバルトークが懐かしく思い描いた非合理性を背負っているものね。
by Sonnenfleck | 2008-10-19 08:18 | 演奏会聴き語り