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on the air:LFJ Nantes 09/ベルリン古楽アカデミーのカンクミ

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【2009年1月30日 ナント ホール「リューネブルク」】
<バッハ>
●管弦楽組曲第1番ハ長調 BWV1066
●管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068
⇒ベルリン古楽アカデミー
(2009年1月31日/France Musique 生中継)

今回も「おかか1968」ダイアリーさんのお導きにより。
日本のLFJ「バッハとヨーロッパ」はそろそろプログラムが発表かなというところですが、それに先駆けて本家ナントの「シュッツからバッハへ」の様子が、「France Musique」で完全生中継されてます(異常に豪華なプログラムとアーティストの陣容はこちら←PDFなのでご注意)。たぶんこの内容が日本公演に平行移動してくるのだろうし、ネタバレになっちまうので一方ではちょっともったいない気もするんですけど、夜更かしして1公演だけ聴いてみたよ!

、、と言っても特別に何か書けるわけではなく(LFJ単位って、放送で追っていると会場で聴くよりもずっと短く感じますね。)。いかにもこの団体らしくストイックでかっちりとした佳演でした。最近たゆたうようなバッハばかり聴いていたようで、硬質な美感が逆に新鮮。

それよりも、すぐに手拍子化しちゃう客席とか、ノイジーだけどしっかり集中して聴いているお客さんたちだとか、会場の外の雑踏だとか、コメンタリーの後ろに流れているスティールドラムの1055とか、あの感じに今さらながらうきうきしちゃいますね。LFJの雰囲気は自分の中で確固たる地位を築きつつあります。解説のフランス人たちもすんげえ楽しそうに会話してるんだけど、固有名詞しか聴き取れなくて悔しい(笑) 早く5月にならないかなあ。
by Sonnenfleck | 2009-01-31 10:20 | on the air

ホラーホテル

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どーも何か…。
by Sonnenfleck | 2009-01-30 08:05 | 絵日記

オハン・ドゥリアンは誰でしょう

c0060659_58872.jpg【Lanne/LHC7086】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
オハン・ドゥリアン/バイエルン放送交響楽団
(1980年1月10日 ヘラクレス・ザールでのライヴ?)

非常にたまげた。こんな演奏があったのか。
当方70何種類目かのタコ10録音ですが、ここまでの演奏はそれほど存在しないと思います。よく発掘されてきたなあ。。

この演奏、まず第1楽章とにかく遅いのです。ここですでに30分を使い果たすその歩みは、たとえばミトロプーロス/NYPによる演奏の1.5倍のペース配分。実測値以上に、耳に伝わる遅さのレベルが半端ではない。
しかしながら驚くべきは、このスピードでまったく弛緩しているように聴こえない音響設計の巧みさでありましょう。縦方向の意味のない膨張を戒める指揮者の働き、そこから生まれる物凄い緊張感がオケの弛緩を防ぎ、巨大な黒い立方体が滑らかに移動しているような趣きがあります。たとえばチェリビダッケの音響研磨術とは(結果的に同じように聴こえるけど)根本的に方向が違っているし、一方でクレンペラーのやり口にも少しだけ似ているけど、この指揮者はもっとずっと意志的。
第1楽章の終結部、この深沈として野太い響きはまるでザンデルリングのようで、、こうした肌触りの音楽は第一級の指揮者と素晴らしいオケの共同作業によってしか生まれないと思います。知り尽くしたと思っていたこの曲を聴いて、本当に手に汗を握らせてくれる演奏は久しぶりのことでして…ドゥリアンとは一体何者なのでしょう?!

ところが第2楽章になるとそのギアは一気にトップに入れられてしまって、驚きます。
スピードアップしながらも前の楽章のような引き締めをやめないものですから、バイエルンの優秀なオケはギリギリまで追い込まれて、音響運動体として理想的な動きをします。この整然とした焦燥感こそショスタコーヴィチの本質のひとつではないだろうか。たとえばムラヴィンスキーが生涯追求したようなところに、ここで到達している。
惜しむらくは、もともとナイスな状態ではないこの録音が、この楽章では盛大に荒れてしまっている点です。テープの回転ムラ?が酷くて音程が上下する有り様ですから、フツーな鑑賞という意味ではちょっと聴くに堪えない。でも、、聴いてほしい。。

テープが変わったらしく音質が一旦改善する第3楽章。重心が極めて低く設定されていて、神秘的という名の無為に陥りやすいこの楽章を片づけるためには、確かにこの策は有効なのです。スコアの読みが本当に深いと思う。そうとしか言えない。
ホルンの「エリミーラ!」3回目を導き出すあたりからのトゥッティの音が、これほどブルックナーのように響くことがあっただろうか。ゾクゾクしてしまいます。ヒートアップしがちな中間部でも響きを荒らさずに威厳を保つ自制力、そこに付いてきているバイエルン放送響の見事な合奏能力!
この楽章が納得できる演奏ってほとんど見当たらないのだけど、これは。これはいい。

そして第1楽章と同じように重々しく開始される第4楽章
冒頭のFgソロの歌い回し、それからそれを支えるトゥッティがセンス抜群で、まずここでうっとりします。Allegroへ入るとモーツァルトのように華麗な擬ロココ風世界に一変するわけですが、ここも凡百の演奏であれば今後の展開を(意味もなく)見越してしまった挙句、変に生臭く嫌らしくなってしまうんですね。ところがこの演奏の初々しさといったら!まったくどこまで完璧に造形してくるんだ!
DSCHの絶叫でホルン?が1名入りを間違えていますが、このレベルの演奏の中では瑕にはなりません。一旦がっくりとテンポが落ちて精妙な弦楽合奏ののち(このアイディアも面白い)、再び這い上がるようにしてFgとClの見事な掛け合いを聴かせて、最後は軽いタッチでディヴェルティメントのようにコーダへ突っ込んでいきます。。

+ + +

オハン・ドゥリアンは誰でしょう?
こんなに素晴らしいショスタコーヴィチを造形する人はあまりいません。「アリアCD」店主さんのコメントは全然大げさではありませんです。
ショスタコファンにはぜひともこっそり入手していただきたいと思いますが、一応のステレオ録音とは言え、全編にわたる大きめのヒスノイズ、前述した回転ムラによる音程の揺らぎ等、録音状態は万全ではありません。コンドラシンの第4交響曲の録音状態が我慢できる方ならば、、大丈夫だと思いますが。
by Sonnenfleck | 2009-01-28 05:09 | パンケーキ(20)

時代の寵児

c0060659_665623.jpg【hyperion/CDA67323】
<フランセ>
●交響曲ト長調(1953)
●セレナード(1934)
●序曲《アナクレオン》(1978)
●《生ける天才のためのパヴァーヌ》(1987)
●《バレエ学校》(1933)
⇒ティエリー・フィッシャー/アルスター管弦楽団

フィッシャーはやはり僕にとっては親方です。しばらく生を聴くのはムリっぽいけど、12月の(まだ11ヶ月も先だ!)名フィル定期は万難排して駆けつけなくちゃと思っています。トヨタの元気がなくなったことが名フィルの先鋭的なプログラムに影響したりせぬよう祈るのみ。。

さて、その親方が2001年に録音したジャン・フランセの作品集。
フランセってルーセルと同じくらいの時代の人だよね、と勝手に思い込んでいたのですが、調べてみたらケージやナンカロウと同じ1912年生まれで、なんと1997年没じゃないですか。。でも彼の曲を聴いていたら仕方がないでしょう?明確な調性とリズムのセンスに彩られた罪のない作品たち、何ともかわいらしい新古典主義的な作風を、20世紀末までずっと保持し続けたわけですからね。眉間に皺を寄せているだけが藝術音楽ではないということです。

たとえば1953年に作曲された交響曲ト長調など。
1953年といえばブーレーズは《ル・マルトー・サン・メートル》を、シュトックハウゼンは《コントラプンクテ》を、ストラヴィンスキーでさえ七重奏曲を作曲していたころで、ここに産み落とされた「古典交響曲」の佇まいには吃驚。
プロコフィエフのそれよりもところどころ寂しく、妙にアダルトな空気感がありますが(第2楽章の切なさは「戦後の」ものと思われる)、豊かなメロディによってデコレイトされたメリーゴーランドのような逸品です。フィッシャーのひんやりした音響まとめ術はすでにここで活きていて、繊細優美なフランセの音響を巧みに捉えている。アルスター管も素敵だなあ。

ラヴェルへのオマージュ《生ける天才のためのパヴァーヌ》も、世紀前半の美しさを見事に回顧した佳品と言えます。非常に薄い筆致で描かれた水彩画のような音響で、曝け出されることのない「音楽の神秘」を1987年まで保存していた作曲家に驚かざるを得ません。こういう曲をやると親方はとんでもなく威力を発揮するみたいです。

それに比して、1933年の《バレエ学校》の勇ましさとバタ臭さ、小股の切れ上がった調子に21歳の若さと熱さみたいなものを感じるのは当然のことかもしれません。
《プルチネッラ》を前向きにしたようなコミカルなタッチに往時の雰囲気も感じますが、逆にフィッシャーとアルスター管の組み合わせでは、戦後の作品の方により適性があるようにも思えます。とまれ親方のフランセはもう何枚かありますから、聴き逃す手はないですね。
by Sonnenfleck | 2009-01-27 06:08 | パンケーキ(20)

Weekend Concert 37th in 田園都市 ~冬の団欒 合奏の愉しみ~@横浜市歴史博物館

c0060659_8534338.jpg【2009年1月25日(日)15:00~ 横浜市歴史博物館講堂】
●テレマン:トリオ・ソナタ ニ長調

<ルネサンスのコンソート音楽>
 ●カベソン:イタリア風パヴァーヌによるディフェレンシャス
 ●同:ティエント第7番
 ●モーリー:《移り気》、《狩》
 ●シンプソン:《愛しのロビン》
 ●ジャヌカン:《恋の手習い》

●クヴァンツ:3本のRecのためのトリオ ニ長調
●バッハ:2声のインヴェンション第6番、第8番
●テレマン:ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ ホ短調
●コレッリ/シックハルト:トリオ ニ短調 op.6-3
 ○アンコール パーセル:シャコンヌ
⇒山岡重治、本村睦幸、平尾清治(Rec)、平尾雅子(Gam)、下山真理子(Cem)


土日は所要で外出していましたが、その計画の〆に立ち寄った演奏会。
日本人ガンビストの第一人者・平尾さんと、そのパートナーでもいらっしゃるリコーダー奏者/製作家・山岡さんを中心としたアンサンブル。この「田園バロック」は、「ヨーロッパの都市のように地域に密着した、気軽な、しかし本格的なコンサートを提供できないか」というコンセプトのもと開催され、まもなく開始20年に垂んとするシリーズとのことです。

所要が前日の深夜まで及んだためにとんでもなく睡眠不足だったのが実に悔やまれます。耳元に睡魔の羽音が聞こえるくらい強烈な眠気でした。そんなわけですから、前半のテレマンから後半のバッハにかけてはほとんど意識を集中できなかったので、感想文はパス。。最近こういうのが多くてホント情けないッス。

表情も虚ろに内側へ沈降していくようなカベソン2曲、和音が美しく決まったクヴァンツなど、睡魔を振り払いながら途切れ途切れに感激していたのですが、一気に目が覚めてしまったのがテレマンのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ ホ短調。これですね、楽章割りが
Cantabile
Allegro
Recitativo
Arioso
Vivace
ということで、あたかもヴィオラ・ダ・ガンバのためのソロ・カンタータといった趣きなのです。こんなにかっこいい作品を知らずにいたのは悔しい。第1楽章の痛切な語り、第3楽章の小気味好いディクション(まさしくエヴァンゲリスト!)、第4楽章の深い歌、こうしたところを巧みにモデリングしてしまった平尾さんの手腕に完全に脱帽でした。
そんなに大きくない講堂を埋めたお客さんたちも、ここでは拍手の質が違っていたです。

それから最後の、コレッリのニ短調「ソナタ」
コレッリの作品番号6ですからもちろんコンチェルト・グロッソなのですが、今回は、後期バロックの笛吹き・シックハルトによってトリオ・ソナタ形式に編曲されたバージョンでの演奏。この編曲が実に見事で、コレッリの清冽なオーケストレーションが凝縮しているのがよくわかる。
加えて山岡さんと本村さんの両声部による美しい遣り取り、さらに先ほどのソロ・ソナタとは明らかに異なる、チェロにずっと近い太い音色に変わった平尾さんの通奏低音、耳福でございました。新年から気持ちのいいコレッリが聴けて本当に嬉しい。

小空間で、豪華メンバーなのに、無理に日常から背伸びをすることのない親密な合奏が聴きたければ、東京圏の方はこの「田園バロック」シリーズを逃す手はないでしょう。
by Sonnenfleck | 2009-01-26 08:57 | 演奏会聴き語り

ラモーの旨み

c0060659_1225407.jpg【Paradizo/PA0005】
●ラモー:鍵盤作品集
⇒スキップ・センペ(Cem)+オリヴィエ・フォーティン(Cem)

「ちょっと出し」になった今年のLFJ情報、「あの人(イケイケ系クラヴサン奏者)」がセンペだったらとっても嬉しいです。H氏でも嬉しいけど、少し期待して待ちましょう。

さてスキップ・センペの自主制作レーベル「Paradizo」からの新譜は、待望のラモー作品集。ここのセンペはイケイケの仮面の上にさらにねっとりとした豊饒の仮面を注意深く被り直していて、とろけるようなタッチでラモーの音楽を奏でています。植物的かつ妙に「安定した」ルイ・クープラン、あるいは南国フルーツのようにケイオティックなドメニコ・スカルラッティを思い出してみると、同じ奏者の指からこんなに動物の肉汁を感じさせる音楽が流れ出していることに驚きますね。でもこの千変万化するスタイルこそがセンペの魅力であり、いずれも根幹には、注意深い様式リサーチと、藝術としての豊かな感情表現、そしてもちろん目覚しいテクニックが混淆状態で渦巻いているわけで。

トラック2の《メヌエット》やトラック9の《クーラント》、トラック10の《サラバンド》など、こんなにミニな曲でさえ滴るような旨みを閉じ込めているのは、センペの旋律線へのこだわりのおかげでしょう。拍が破綻する寸前までメロディを追い込みながら、それを破綻と感じさせないのはとても不思議です。話が脱線するけど、もしかするとこういう手法はコルトーなんかがやっていたこととそんなに遠い領域ではないのかもしれない。
あとはご存知《キュクロプス(一つ目巨人)》。技巧と歌心の幸福な結婚。

オリヴィエ・フォーティンと一緒に2台クラヴサンで弾いている第1コンセール第5コンセールも、期待にそぐわぬ金襴緞子の豪華世界。轟然たる大音響に目の奥がチカチカしますが、巧者二人が二人してねっとりとしたアゴーギクを効かせているわけで、単細胞な大音響とは一線を画しています。
第5コンセールの《ラ・キュピ》なんか腐敗寸前のバナナみたいに深い甘みを放っていて、この感覚は他では体験したことのない類のものですね。複雑に絡み合うメロディの息、崩壊しそうなくらいたっぷりした和音、生で聴いたらどんな感興を催すことやら。。
by Sonnenfleck | 2009-01-24 09:40 | パンケーキ(18)

8PMのこととそれ以外のこと

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速報!しらかわホール2009ラインナップ(しらかわホール)

久しぶりにしらかわホールのサイトを覗きに行ったら、面白い企画ができてました。
しらかわナイト~8PM [エイト・ピーエム] シリーズ
夜を愛するあなたに。香り漂う優雅なナイト・ライフ。
うーん。これはついに踏み出しましたねとしか。

名古屋は「18時45分開演」の慣習があるようなんです。
これは名古屋に行って驚いたポイントの一つで、全部のコンサートがその時間で動いているわけじゃないんですが、なかなかその比率は高い。最初は名フィルだけなのかと思っていたらそうでもなく、ジャンルによるのでも、またホール側が設けた制約だとも思えない。この理由が、素人にはまったくわからないんですが、駆けつけるのに困る困る。
この15分間が致命的なのは、新日本フィルが「19時15分開演」にして多くのチケット保有者を救済していることを考えれば、自然と結論づけられること。明確な理由があるのなら聞きたいし、そうでないなら自分の首を絞めているだけだからやめてほしいと言いたかったんですが、そんなツテがあるわけでもなく、胸にしまったまま名古屋を去らねばなりませんでした。

そんな中、しらかわホールに新しいシリーズ「8PM」が誕生したのだから吃驚です。
第1回のラ・フォル・ジュルネで深い時間帯のコンサートを初めて体験して、こりゃ影響を受けて20時開演のコンサートが出てきたりするのかなあ…と浅はかな予想をしました。もちろん追随者が現れることなんかなくて、その後のコンサートもそれまでと同じように「19時開演」に固定されたままだったわけです。
(※ググってみたら浜離宮朝日ホールで2006年に導入実績アリ?今は立ち消え?)
19時開演21時終演のスタイルが、日本では、ホールのスタッフさんに無理がなく、お客も無理なく集まり、アーティストの機嫌も損ねない一応の限界なんだと思います。これは日本の大都市の規模とか人々の移動スタイルが絡んでるんでしょうから、欧米と比べてその点で劣っている!とか叫んでも詮ないことです。

だから余計にしらかわホールの英断を賞賛したい。
昨年から始まった「11AM」シリーズもそうだったんだけど、ホール側が自ら常識を破ることで(そしておそらく、幾分ムリをすることで)新しいファン層を獲得していく攻めのスタイル、素晴らしいと思います。
「11AM」は名古屋のソワレではあんまり見かけなかったクラヲタ系おひとりさまとか、おそらく食事→買い物の中にコンサートを組み込んだと思われるおばちゃんグループが多かったし、きっと「8PM」も、疲れた(けど精神は死なせたくない!)サラリーマンや、洒落こんだカップルが多く訪れるんではないでしょうか。紀尾井といずみの両ホールも、同路線を行ってみません?

+ + +

あと、せっかくの機会だから書いておきますが、宗次ホールはもっと公式サイトをしっかり作りこまないとダメだと思います。
トップページのデザインが崩れていたり、翌月のスケジュールすら空っぽで何も書かれていないなんて(縦に長すぎる「コンサート情報」をいちいちスクロールして下まで見ろということなんでしょうか?)、自治体運営の市民会館文化会館レベルならまあ仕方ないかなと思うけど、民間の、プロのコンサートホールとしては失格では。。せっかく公式ブログも復活したんだし、あのホールへは愛着も感じるので、それゆえの苦言ということで。。

遠くから、名古屋のホールを応援してます!
by Sonnenfleck | 2009-01-22 06:45 | 日記

The Best Job in the World

c0060659_6364675.jpg◇1 募集職種
島の管理人

◇2 勤務地
ハミルトン島(グレートバリアリーフ内)

◇3 採用人数
1名

◇4 報酬
150,000豪ドル/6ヶ月

◇5 業務内容
(1)魚のえさやり
(2)プール掃除
(3)郵便物集配
(4)毎週ブログを更新すること
(5)メディアのインタヴューに応じること

◇6 条件
(1)コミュニケーション能力
(2)英語能力
(3)冒険心
(4)アウトドア精神
(5)水泳能力 とか。

◇7 応募方法
60秒のPRビデオを作成、送付(2/22〆)

◇8 詳細
専用サイト
オーストラリア・クイーンズランド州観光公社

ウソっぽすぎて可笑しいの取り上げてみました。南方志向の方は要検討。北方志向の僕でさえ心を揺さぶられる仕事です。グールドの全集とか持ち込んでさ。。
by Sonnenfleck | 2009-01-21 06:44 | 日記

on the air:メトロポリタン歌劇場 《ドクター・アトミック》

METライブビューイングで見逃した《ドクター・アトミック》。
原始的な発見なのかもしれませんが、ネットラジオを録音してmp3に変換すれば、iPodに入れて持ち運ぶことができるじゃんしかも簡単じゃんということに気がついた週末でした。さっそく「午後のこ~だ」をダウンロードして実行してみましょう、と。

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【2008年11月 メトロポリタン歌劇場】
●アダムズ:歌劇《ドクター・アトミック》
⇒ペニー・ウルコック(演出)
→サシャ・クック(MS/キティ・オッペンハイマー)
  メレディス・アーワディ(MS/パスクワリータ)
  ジェラルド・フィンリー(Br/ロバート・オッペンハイマー)
  リチャード・ポール・フィンク(T/リチャード・ポール・フィンク)
  エリック・オーエンズ(Br/グローブス将軍)
→アラン・ギルバート/メトロポリタン歌劇場管弦楽団
(2009年1月17日/NRK Klassisk)

ああ、しかしこのオペラを、iPodに入れて通勤時間に気軽に聴いてやろうらんらんるーという気持ちにはならない。iPodに入れる前に自室で聴いていたら、実に気持ちが塞いできたのだった。映像がなくて音だけ聴いてこれですから、我々の感覚(とするのが傲慢であれば、ワタクシの感覚)に対してはシビアな働きかけをする作品です。何も言えねえ。

全2幕。オッペンハイマー博士のアリアや妻キティのモノローグなど、ストラヴィンスキーにまで遡るような静謐かつスタイリッシュな音楽がしばらく続きます。ギルバートの切れ味のいい音捌きがまたよくスコアと合致しているし、映画のサントラみたいで大変聴き易いけど、これはもうミニマリズムとは完全に別の流儀だよねえ。第1幕最後のオッペンハイマー博士のアリアに伴う音楽が(これがまたカッコイイ)、METライブビューイング《サロメ》のときに見た予告編に使われていたのだということがわかる。

ところが長いオペラの最後の30分間は、カウントダウンやアラーム音、爆発音、加工された絶叫の果てに、若い日本人女性の声で「お水をください。子どもたちがお水をほしがっているんです。谷本さん、助けてください。夫が見当たらないんです。お水をください。」と来る。訓練された女優さんとか声優さんの声ではなく、そのへんの日本人学生を捉まえてサンプリングしたんじゃないかというような、そういうストレートなしゃべり口なのですな。それがきつい。
(ヘッドホンで注意深く聴いていると、「お水をください」に反応してお客たちがヒソヒソと会話するようなノイズが乗ってくるのがわかります。英語だったらどうなっていただろう?)

もしこの場にいて、周囲のお客がブラヴォとか言ってたら。アンタッチャブルなところをグリグリとやられた挙句、陽気なアメリカ人たちがハリウッド娯楽大作を見た後のようなカタルシスを感じていたら。まったく堪らないと思います。しかしこっちだって正当な評価ができなくて、尻尾を引っ張られたドラえもんのように機能停止。
by Sonnenfleck | 2009-01-20 06:21 | on the air

ジンマン/N響 第1638回定期公演

c0060659_10483968.gif【2009年1月17日(土)15:00~ 第1638回定期公演/NHKホール】
●ウェーベルン:《パッサカリア》 op.1
●マーラー:交響曲第10番~アダージョ
●R. シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》
⇒デイヴィッド・ジンマン/NHK交響楽団


噂どおり、3階席に余裕ができた気がする。というわけで久しぶりにNHKホールへ。最後に行ったのは…色光ピアノをマジでやったアシュケナージの《プロメテウス》だ!

結論から申し上げると、ジンマンやるじゃんジンマンという感じでした。ベートーヴェン全集を愛聴している以外に別段この指揮者を意識したことはなかったんですが、実演で聴くと素晴らしくクリアな響きを志向していることに気がつきます。その上で、N響がずいぶん言うことを聞いているなあ…という印象も付け加えねばなりません。
ウィークデイの疲れが出て、いつもよりさらに夢うつつであったことは差し引きつつ。。

ウェーベルンの《パッサカリア》で面白かったのは、多くの要素を並列的に処理していってしまおうというシステマティックな手法でした。浪漫的ドロドロに落とし込んで結果論として力業で持っていってしまえというのではなく、音楽を設計図どおりに組み立てていくストイックな楽しみが横溢している。出てくる音響は尖がり(こんなやり方をしたらオケの音がすっぴんで聴こえるんだから―そりゃそうだ)、甘い陶酔とは無縁でしたが、こうした方向が好きな自分にはご馳走でした。

次のマーラー、第10交響曲のアダージョが、これがよかった。
前述のとおり響きはあくまでもクリア(を志向している)。どこがどのように、と説明できるほどこの曲に馴染んでいないのですが、冒頭のVaにせよ、中間部の木管のざわめきにせよ、金管の絶叫コラールにせよ、あんなに柔弱に(すっかり脱脂して)流してしまうという解決策には度肝を抜かれた次第です。ジンマンのマーラーが話題になっている理由がなんとなくわかりました。
しかし、そのようなスタイルであるぶん、N響に対してはこちらも少しハードルを上げざるを得ません。今回ジンマンに対してはずいぶん協力的なように聴こえましたし、もともとのN響の音が比較的無理なく活きて、やっぱりある程度以上の実力を持ったオケなのだというのがわかるわけですが、それでもアンサンブルにもう一段の精度が望みたい場面があったなあと。「紺」マスもあの音色はないと思うけどなあ…信じられんなあ…。

《ツァラトゥストラはかく語りき》ではあまり意識が持たなかったので感想文を書く資格がないのだけど、こちらのほうは前半2曲に比べてもうちょっと恰幅が大きい。それでも、大風呂敷を広げるだけ広げて包むものなしではなく、音楽の運動性に焦点を絞った精緻な肌触りになっているのが面白いですね。《英雄の生涯》とか《ドン・ファン》だと推進力が強くて「豪華大風呂敷」でも流れに乗れてしまいますが、この曲はあまり推進しないような気がするので、ジンマンのやり方はよく合っているように思います。

それにしてもこの日はお客さんがちゃんと余韻を楽しむことを意識していて、マナーが改善されてるじゃないですか!3階席の改善以上に驚かされたポイント。
by Sonnenfleck | 2009-01-18 10:52 | 演奏会聴き語り