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スコラ・カントールム 《聖ペテロの涙》@武蔵野市民文化会館

c0060659_0492677.jpg【2009年3月28日(土) 18:30~ 第18回定期演奏会/武蔵野市民文化会館小ホール】
●ラッスス:宗教的マドリガーレ《聖ペテロの涙》
●ヘンデル:《ディキシット・ドミヌス》 HWV232
→朴瑛実(S)、狩野芳子(A)
  桐山建志・大西律子・鍋谷里香・磯田ひろみ(Vn)
  上田美佐子・長岡聡季(Va)
  高群輝夫(Vc)、櫻井茂(Kb)
  今井奈緒子(Org)、水永牧子(Cem)
⇒野中裕/スコラ・カントールム


もしかしたら歩いていけるかなあ、、と思って出発したら、少し時間はかかったけどちゃんと辿り着けた武蔵野市民文化会館。未踏ホーもついに制覇だ。

相変わらずモンテヴェルディ以前を苦手とする自分ですが、そこから変わらなければならないこともよくわかっているつもりなので、あえて無伴奏合唱に挑みました。モンテヴェルディから時代はそんなに遡らないけど、ドンチャンドンチャン騒ぐことなんか絶対にないと思われるラッスス。ペテロの否認がテーマならばきっとわかり易かろうと思ったのもあるし、今年の四旬節は受難曲を聴きにいく暇が到底なさそうなので。

果たして―これがなかなかよかった。
《聖ペテロの涙》はラッスス最後の作品で、イタリア語テキストが20曲+ラテン語テキストが最後に1曲の合計21曲を、約60分で歌いきる極めて長大なマドリガーレ集。当日のプログラムノートによると「少人数のアンサンブルでも、楽器を入れて色彩感を加えてもよし」らしいのだけど、この日は曲の本質を十分に引き出すため、アカペラで取り上げたみたい。
その結果、確かにストイックなモノトーンではあるのだけど、そのかわりラッススが頭の中で鳴らしていたであろうキメ細やかなグラデーションが浮かび上がってきていたように思う。椅子の上で拘束されて聴き込んでいると、徐々に墨の濃淡のようなものが味わえるようになってくる自分がおりまして、、これは僕の中では大変重要な一歩であります。バッハの《マタイ受難曲》の聴きどころが掴めずにいたころ、ホールで逃げ出すことができない状況下に置かれて初めて作品の魅力に気がついた経験がありまして、よーく似てるんだなこれが。

スコラ・カントールムさんというところは全部で30人くらいの小規模の合唱団で、早大と日本女子大の合唱団が母体であるらしく、今は半プロ半アマみたいな感じなのかな。何しろ1時間の長丁場を無伴奏で突き抜けるので、20曲目・21曲目になるとアンサンブルに乱れが出て単語が聴き取れない箇所もあるにはあったけど、総体として振り返れば予想していたよりもずっとハーモニーが美しく(特に男声)、聴き応え十分でした。
墨の濃淡の中に、たとえば「雄鶏 il gallo」という単語にきついアクセントを施したりするこだわりも見えますし、前21曲を7曲ごとに区切って沈黙を挿みながら進行する工夫も効果的だったと思います(沈黙の後の音楽は、乾いたパンにスープが沁み込むようだ)。ルネサンス・ポリフォニーに詳しい方ならば、さらに多くの隠し味を発見されたことでしょう。

+ + +

で、小麦の味がする乾いたパンをじっくり噛み締めて味わった後に、あえてダブルクォーターパウンダー・チーズを注文するだろうかという話。
今回のヘンデル《ディキシット・ドミヌス》はオケのメンバーも豪華ですし(チェンバロは偶然にも水永さん)、第6曲以降の技巧が凝らされた演出も、ヘンデルそのものとしてはとてもうまくいっていたと思う。Conquassabitとかね。でもそれゆえに、ラッススの後では心の底から白けてしまって、あまり拍手もできずホールを立ち去ったわけでした。繰り返しますが、ヘンデルとしてはとてもいい演奏だったと思います。けど、ラッススだけじゃダメだったのかな。。
by Sonnenfleck | 2009-03-31 06:32 | 演奏会聴き語り

小説家占い

小説家占い
Sonnenfleckさんはヴァージニア・ウルフです!

●ヴァージニア・ウルフさんは、繊細な感性の芸術家タイプ。人をもてなすことも得意なので、気の合う仲間とサロン的な雰囲気で芸術談義を繰り広げるのが楽しみです。ファッションセンスもばつぐんで、仲間内のファッションリーダー的存在になっています。ロマンチックな性格で恋愛経験は少なくありませんが、独立心が強さゆえになかなか結婚には結びつきません。時として報われない片思いを身を焦がすこともあります。
★今のあなたにぴったりの本は『灯台へ』です★

●Sonnenfleckさんがこれからおつき合いする人の数は、4人です!

ヴァージニア・ウルフ…読んだことないよ…。渋いよ…。
日付を変えて試したらトマス・ピンチョンが出てきた。英米文学特化型なのか。
by Sonnenfleck | 2009-03-30 06:23 | 日記

ずっとこのまま

c0060659_858376.jpg【RCA/74321322402】
●モーツァルト:《魔笛》
→テオ・アダム(B/ザラストロ)
  ペーター・シュライアー(T/タミーノ)
  シルヴィア・ゲスティ(S/夜の女王)
  ヘレン・ドナート(S/パミーナ)
  ギュンター・ライプ(Br/パパゲーノ)
  レナーテ・ホフ(S/パパゲーナ)
  ハラルド・ノイキルヒ(T/モノスタトス)
  ジークフリート・フォーゲル(B/弁者)
⇒オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ドレスデン+ライプツィヒ放送合唱団

s_numabeさんの「私たちは20世紀に生まれた」に掲載された「聴衆は息子ひとり」を拝読して、熱烈にスウィトナーのモーツァルトが聴きたくなり、数年ぶりに《魔笛》を取り出す。取り出して、久しぶりにトレイに乗せて、ああ、この録音にはこんなに美しい響きが充満していたのか、と大変驚いたわけであります。

序曲は、夜の間の雨にしっとりと濡れた林の向こうから太陽が昇ってくるような、そういうひどく肯定的な低音楽器の充実に耳が開く思いがするし、〈なんと美しい絵姿〉でシュライアーが2回目の "Mein Herz mit neuer Regung füllt..." と歌い終えたあとから木管隊のアンサンブルが始まると、ここの和音の美しい重ね合わせに鳥肌が立ってしまう。
それから〈フムフムフム〉の五重唱!魅力的なナンバーだらけのこの作品の中でどれかひとつだけ選び取りなさいと言われたら、きっと〈恋を知るほどの殿方には〉と散々迷った挙句、僕はこの重唱を選びます。この極めてくだらない歌詞に、どうしてモーツァルトはこんな音楽を付与したのだろうか。特に最後で3ババたちが3人の童子を紹介する箇所は、モーツァルトが考えたもっとも美しい響きのひとつだと思うのだけど、スウィトナーの手綱さばきとシュターツカペレ・ドレスデンの深いポテンシャルから生み出される演奏は、その期待をまったく裏切らない。一体どうやったらこんなバランスで楽器が鳴るのか?ぐちゅぐちゅに涙が出る。

弁者と言い争ったあと、タミーノが魔笛を吹きながらパパゲーノとパミーナを探す場面で、四度 "Vielleicht..." と叫ぶシュライアー。ここを支えるオーケストラが凄い。歓喜に満ちた三度目へと爆発的に駆け上る角度と、その直後四度目の深く官能的な響きと、両方を完璧に使い分けているのです。すんげえなあ。
モノスタトスの欲情アリア〈誰でも恋の喜びを知っている〉でさえ、古い袈裟みたいな落ち着いた色合いに仕立て上げられていて面白い。普通なら痙攣するようにしか聴こえない弦楽器のトレモロやFlソロが、ここではいかにも整然としているからだろうけれども、凡百の演奏であればそれが死んだようなつまらなさにつながりかねないのに、ここではそれがプラスにしか働いていない。これはどうしてだろうか。スウィトナーのマジックだろうか。

歌手はやや凸凹があって、それも味わい深い。
ライプのパパゲーノはいい加減で憎めない感じ。夜の女王を歌うシルヴィア・ゲスティという人は銀緑色というか、少し金属っぽい声質でちょっと好みが分かれるかもしれないけど、シュライアーのタミーノ、アダムのザラストロ、ドナートのパミーナは鉄板。何よりもみんなドイツ語が美しいもの(当たり前か)。
by Sonnenfleck | 2009-03-29 09:06 | パンケーキ(18)

無手勝広報係~宗次ホール編

去年の11月に、exciteが独自で運営してるアクセス解析ツールを導入してみたんです。
アクセス数よりも「検索ワードランキング」が出るのが面白くて見ているんだけど(「まだ鐘がある」はいまだに人気ワードのひとつです…)、年が明けてから急に「宗次ホール」を検索してやってこられる方が増えてます。確かにGoogle先生で検索すると、公式サイトの次に当ブログのエントリが引っ掛かってしまう。しかもこれがまたちょっと失礼な内容のエントリなので、申し訳ない気持ちでいっぱいであります。というわけで。

この名古屋の貴重な小ホールを応援するために、罪滅ぼしも兼ねて勝手な宣伝を。
名古屋にいたらきっと全部行ってただろうなあというラインナップです(中辛進化中だで)。

+ + +

◆シリーズ「世界のカルテット ∽ カルテットの世界」
これはいい企画!パヴェル・ハース弦楽四重奏団(7/1)、アミーチ・クヮルテット(7/26)、アトリウム弦楽四重奏団(10/4)、カザルス弦楽四重奏団(11/3)と、ネット上でたびたび名前を見かけるカルテットが呼ばれてますね。ルンデの伝統(って僕はほとんど体験できなかったが)は、やっぱり宗次ホールが受け継いでナンボと思うです。
東京に戻って、ああ意外と室内楽の演奏会が少ないんだなあと感じてるんですよ(思い返すと名古屋はオケと室内楽の供給バランスがよかった)。オケがあんなに連日連夜コンサートを開いているのなら、それに見合う分の室内楽も気軽に聴いてみたいんだけどなー。

◆ピアノリサイタルシリーズ「未来のヴィルトゥオーゾ」
北村朋幹(5/23)、マルティン・シュタットフェルト(6/12)、当ブログで勝手に応援中の佐藤卓史(7/18 ※土曜ソワレ、プログラムは彼の十八番ばかりです)、山本貴志(8/30)、アンナ・ヴィニツカヤ(9/16)、イリヤ・オフチニコフ(11/10)、、と、80~90年代生まれを代表するピアニストが名古屋に集まる。新しいご贔屓ピアニストを見つけるなら名古屋へ飛ぶしか。

◆鈴木秀美と仲間たち Quintet 珠玉の五重奏
4/17。「仲間」にロレンツォ・コッポラが。モーツァルトとウェーバーの五重奏。。

◆メンデルスゾーン生誕200年記念 弦楽四重奏曲全曲演奏会 第1夜
5/19。エルデーディQですのでこれはマジで聴きたし。第2夜は9/4。

◆クヮトロ・ピアチェーリ 宗次ホール・デビューコンサート
5/31。ナンカロウ#1→矢代秋雄→ショスタコーヴィチ#2。来てます来てます。

◆やすらぎと慈愛のバロック・コンサート~心癒される教会の響き~
7/20。アニマ・コンコルディア(西山まりえ+パウロ・エレラ+戸田薫)による、たぶんトリオ・ソナタの演奏会になるんではないか。演奏会タイトルに腐心のあとが。。

◆ヴェンツェル・フックス クラリネット・リサイタル
10/13。BPO首席の?

+ + +

気になるラインナップを挙げるとこんな感じ。うーんうらやましい。
by Sonnenfleck | 2009-03-27 09:10 | 日記

トゥルノフスキー/群響@地方都市オーケストラ・フェスティヴァル

c0060659_6163263.jpg【2009年3月22日(日)15:00~ すみだトリフォニーホール】
●チャイコフスキー:幻想序曲《ロメオとジュリエット》
●プロコフィエフ:Pf協奏曲第3番ハ長調
→ヤロスラヴァ・ピエフォチョーヴァー(Pf)
●ドビュッシー:3つの交響的スケッチ《海》
⇒マルティン・トゥルノフスキー/群馬交響楽団


素晴らしいトゥルノフスキー!

熱狂的なファンの方をたびたび見かける指揮者で、一度生で体験してみたかったんですが、群馬まで出かけるのは遠いなあと思ってたんです。それが地方都市オーケストラ・フェスティヴァルに来てくれるっていうんだから、嵐になりそうな曇天だったけど錦糸町まで行ってきましたよ(実際、終演後は嵐に)。
80歳を超したトゥ氏は、フルトヴェングラーをキュッと小さくしたような細身の体躯。しかし歩く姿は優雅で指揮も非常に俊敏、同年代のブロムシュテットよりなお若々しい。

最初の《ロメオとジュリエット》は、、睡魔が見逃してくれず爆沈。無念。

続くプロコフィエフの第3協奏曲。少し前のN響アワーで花を踏み潰す重戦車みたいな醜い演奏を聴いたばかりだったものだから、ちょっと身構える。
でも第1楽章のアレグロへの飛び込みから、こりゃ完全に杞憂だなと思いました。ピエフォチョーヴァーのソロは「踏み潰してやろう」なんていうどころか、量感についてはひょっとすると物足りないくらい軽やかであって、一面を花で覆われた美しい火器のようでしたよ。

さらに輪をかけて美しかったのが、トゥ氏に統率された群響!
単純な個々の技量で言えば公共放送オケに敵わない点もあるかもしれない。でも指揮者の音楽に近付こうという意識が全体から漂っていて(こういうのって視線や素振りから案外伝わってくる)、結果として極めてハイレベルな音響に。
トゥ氏の音楽づくりは物凄く老獪でして、突飛なところなんか全然ないので聴衆には聴き終えた音楽の素晴らしさだけが残るけど、そこに至る道筋の細やかなこと!響きが相次いで交錯するこのような曲では、どんなにかすかな、どんなにちょっとした瞬間でもフレーズの階層化をないがしろにしないので、信じられないくらい立体的な音響が立ち上がっていきます。第3楽章の興奮したコーダを、大きな上昇曲線を描いて金管隊が貫いてゆく有り様!

《海》は…理想的だった。技量とかアンサンブル能力とかではなくて、構造が。
ドビュッシーの中でも特にこの《海》という作品は複雑で自由度の高いプラモデルみたいなもんだなと思っています。パーツは一見、何を意味するのかわからないような形をしているが、説明書通りに組み立てればいちおうそれらしいモノになる。けど、パーツをペンチで切り離して、接着剤を塗る前に、パーツ自身の役割を地道に一つ一つ認識しないと(パーツ同士をくっつけた時に階層化を怠ると)酷いことになってしまう。

この演奏では、その完璧なパーツ認識がオケの隅々にまで徹底されたのではないかと思う。自分が今この瞬間に弾いている音が何なのか、トゥ氏はよくコーチして、群響でもそれを認知した、言ってしまえばたぶんそれだけだと思うのだが、出てくる音響の豊饒さは筆舌に尽くしがたい。
11時45分から正午にかけての素早い歩みと全方位的爆発、そして〈嵐と海との対話〉での凶暴な描写には鼻水が出るくらい感激したけど、特に〈波の戯れ〉は本当に素晴らしかった!何本もの波が重なりあって砕け、合一する、あの豊かな音響はしばらく忘れられそうにありません。最後は感激して久しぶりにブラヴォを飛ばしちゃいました。

+ + +

トゥルノフスキーは、オケをこう突けばこういう音が出る、というのを完璧に熟知しているものと思われます。こういう人を巨匠って呼ぶんじゃないのか。
by Sonnenfleck | 2009-03-25 06:19 | 演奏会聴き語り

ファーストグノー⇔ファウスト

c0060659_6372246.jpg【timpani/1C1102】
<グノー>
●交響曲第1番ニ長調
●同第2番変ホ長調
⇒エルヴェ・ニケ/ベートーヴェン・アカデミー

クラシックを聴き始めたごくごく初期の頃、実はグノーの《ファウスト》ハイライトを聴いて痺れておった記憶があるのですが、いかんせんそれ以降の経験値がたまっておらず、したがってレベルも非常に低いのです(序盤で活躍したのにモンスターじいさんに預けたままのブラウニーみたいなもの)。

彼の交響曲に接触したのは、恥ずかしながら本当にこれが初めてでありまして。
第1番は、これ骨格はそのままハイドンですよね?
19世紀のちょうど半ばに作曲されたとは思えない、この明快なクラシシズム!2月のブリュッヘン体験を経ても根本的にはハイドン音痴が改善されなかった自分ですが、しかしこのグノーの中にハイドンを思いながらも絶妙な心地よさを感じるのはどうしてだろう。
ベートーヴェンほどの逸脱感はないし、メンデルスゾーンみたいな人工的清潔感にも、シューマンのような狂熱感にも乏しいけど、そのかわりハイドンのようにキュッと小さく硬くまとまっていて、しかもハイドンよりも確実に彩りが鮮やかで飽きが来ない。鳥肌を立たせ身を震わすような大藝術ではないけれども、骨董市で何の気なしに手に取れるようなトンボ玉みたいな親しみやすさがいいね。

ところが第2番のほうは、《エロイカ》と《ライン》から変ホ長調のエッセンスを抽出して炭酸水で割ったような風情が謎です。第1番の親しみやすいクラシシズムから、いかにもハイカラな気質に急変している。でも第2番のスケルツォこそ《ファウスト》で聴いていたメフィストフェレスの音楽に近いような気がするので、仮の姿は第1番のほうだったのかしらん。

いずれも演奏は、一見するとほとんど何もしていないフツーのピリオド風味にしか聴こえないんですが、よぅく聴いていると、その実はひどく丁寧に磨き込まれたゆえのササクレのなさ、およびハーモニーの美しさが際立っていて。。惚れ惚れとします。

このベートーヴェン・アカデミーというオーケストラはよく知らないのですが、ライナーノーツを読むと1993年にはすでに結成されていたモダン楽器のアンサンブルみたい。もともとピリオド・アプローチを是としていたのが、2004年にニケをシェフに迎えたことで(このディスクを聴くかぎり)いっそう引き締まった響きになったようです。エルヴェ・ニケはその風貌も録音実績も特殊で、変な意味で損をしていると思うんだけど、ル・コンセール・スピリテュエル来日公演でも窺われたように、根底には地味すぎるくらいの丁寧さがあると思うんですよ。
by Sonnenfleck | 2009-03-24 06:37 | パンケーキ(19)

3/21 アーレントオルガン・ランチタイムコンサート@カザルスホール

カザルスホールに行ってきた。
ホールが壊されるかも、というのは体験したことのない災厄なので、もちろん悲しいことは悲しいのだけど、いかんせんこのホールにほとんど通ったことがないのであまり実感が湧かないのがホントのところ。何より、ホールに関わられたマネジメントの方々の、さらにここのホールで名演奏に出会った方々の声が聞こえてきて、新参者のクラヲタは入ったら怒られるかな?という感じも微妙にあります。

せいぜい日大の施設になってからのことしか知らないし、僕はホールが買える大金持ちじゃないから、以下が無責任な発言なのは百も承知ですが、このホールは最近、フツーの音楽ファンに多くの魅力的なコンテンツを提供する場だったのかな?という気がします(最近の、です。凄かった昔のことは噂でしか知らない)。
ただのファンとしての自分は、トッパンホールとカザルスホールの催物カレンダーをこの先数か月分見比べても、「昔は凄かった…メセナ責任…日大…」とは思わなくて、ふうんじゃあトッパンのほうが面白そうだねトッパン行こうね、というだけなのです。ドライだろうか?でも「伝説の萩元晴彦さん」が実際何をされたのかよくわからない自分は、こういう方法しか取れない。「今」ハコの中で何を演っているの、というその点しか見られないということです。

【2009年3月21日(土) 12:15~ カザルスホール】
●スウェーリンク:リチェルカーレ
●シャイデマン:コラール・ファンタジー《イエス・キリスト、我らの救い主》
●ブクステフーデ:シャコンヌ ホ短調 BuxWV160
●ムファット:トッカータ第7番
●バッハ:コラール・パルティータ《喜び迎えん、恵み深きイエスよ》 BWV768
⇒早島万紀子(Org)


前置きが長くなって、さらに前置きの一部分と矛盾しているようだけれども、しかしこれは素敵な時間でした。こんな素敵なコンサートが開かれているホールがいずれ黄色と黒の破砕機に砕かれるのは見たくない。見たくないけどいずれそうなるのかしら無常オルガン。
なかなか機会がなく、このランチタイムコンサートに参加したことはなかったのだけど、開演間際に行ってみたらほぼ満席状態で吃驚。客層が「高い」のも特徴的だなあ。

あらゆるクラシック音楽の中で、オルガン曲だけはCDを買う気になれない。「空しい度」が高いからです。この日はその思いを新たにしました。
というのも、この日のオルガニスト・早島さんによるストップのブレンドがあんまりにも素晴らしかったから。あれは直接皮膚で感じなきゃ意味がない。特にシャイデマンのコラール・ファンタジー《イエス・キリスト、我らの救い主》での倍音の生成が錬金術的というか、元の古雅な旋律をメタリックグリーンショッキングパープルの螺旋のように倍音が取り囲んでいて、それはそれは見事でした。
さらにブクステフーデのホ短調のシャコンヌ。愴々としたバス主題の上に突然、人間の声のような色合いのメロディが流れるに及んで、電撃的なショックを受ける。楽器の音がこんなに人の声のように聴こえるのは、知るかぎり、フランソワのラヴェルに伴奏するパリ音楽院管のバソンくらいだったものですから。
華やかで細身のムファットはやっぱりリュリに似ていて、苔むしたブクステフーデから一気に色彩を開放して演奏されたトッカータ第7番も気持ちよかった。
by Sonnenfleck | 2009-03-22 10:22 | 演奏会聴き語り

しゅ○ぶんの○

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はらぺこなのです。        

by Sonnenfleck | 2009-03-21 08:06 | 広大な海

吉祥寺 [珈琲散歩]

c0060659_02442.jpg新しい住み処から、吉祥寺が存外近い。ので、折りよく友だちからの誘いの電話があったこともあり、先週の日曜に出かけてみたです。

名古屋にいる間は少し離れてしまったけど、基本的な路線として珈琲好きなものですから、「美味い珈琲屋がある」との誘いは嬉しいのです。春先の日曜夕方の吉祥寺は本当に混んでいて、不況なんてのはファンタジーではないかと思う。同じことは金曜夜の新橋にも言える。

ともあれこの「珈琲散歩」(あるいは「散歩」)というお店も、そのような時間なればファンタジックに混みあっており、しばし並んで待つ。
入口部分がガラス張りの「焙煎ルーム」になっていて、ジブリの映画に出てきそうなご主人が焙煎とお会計を、同じく奥さん(?)が喫茶部分を担当されています。「焙煎ルーム」がせり出しているためにもともと広くない店内はさらに狭小なのですが、照明も、店内を切り盛りされるお二人も印象がとても柔らかく、お客たちも静かで、時間が気持ちよく流れるわけでした。

席に着いて注文したのが、「季節のオリジナルブレンド 春味」
実際のところ、エグみが強くて重いボディが好きな自分にも、この爽やかな風味は非常に強く訴えかけました。華やぎはいまだ淡いままで、春先の澄明な空気を感じます。黄色みの強い木目と黒みの強い木目を(大胆にも)ストライプにあしらった器がアクセント。
by Sonnenfleck | 2009-03-20 09:38 | 日記

on the air:ブリュッヘン/18thCOの《ロ短調ミサ》@ワルシャワ

c0060659_6261913.gif【2009年3月15日 ワルシャワ・ヴィトルト・ルトスワフスキ・コンサートスタジオ】
●バッハ:ミサ曲ロ短調 BWV232
→ドロシー・ミールズ、ヨハネッテ・ゾマー(S)
  ヤン・コボウ(T)、ペーター・コーイ(Bs)
→カペラ・アムステルダム
⇒フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
(2009年3月16日/Polskie Radio Dwójka 生中継)

2月に錦糸町で提供されたハイドン・プロジェクトは瞬く間に過ぎ去りましたが、いくつかの交響曲よりも、やはり最初に聴いた《天地創造》の印象が強烈です。ゆえに―この《ロ短調ミサ》には、真冬のような、強烈な透徹を予想していました。曲も曲だしね。。

ところが、いざ聴いてみると全然そんなことなかったのです。
響きに(いい意味で)甘さがあって、冬の間であったら、たぶんこの楽観的な素振りに我慢がならなかったと思う。しかし冬が一目散に退却していくこの時期には、これ以上はないだろうというくらいよく嵌り込んでいました。
馴染みの18世紀オケの音がこの日はいつもよりもさらにずっと緩くて、ブリュッヘンが一人で昇ってしまわないよう優しい文鎮になっていたような。最近は18世紀オケ以外への客演が続いていたようだけど、古巣の団員たちは誰よりも指揮者のことを思っているのかもしれない。

2回目の〈Kyrie eleison〉〈Crucifixus〉だけが異様なプレッシャーを含有していた(ここは指揮者の強い意向を抑え切れなかったと見える)他にそうした傾向は見当たらず、〈Gloria〉の冒頭が曖昧にずれたりするのもご愛嬌。合唱もいい具合に編み目に空気を含んでいて、遊びの部分があるって素晴らしい。
何よりも―これは音楽の感想文では禁じ手だと思うのだがあえてやりますと―、ちょうど再読していた『潮騒』の大団円に、偶然〈Dona nobis pacem〉が重なってきたときの陶酔感といったら!最初の小節における音の拡散の仕方も、石のように冷徹なフォルムではなくてどこか温かく湿っていましたが(これはカペラ・アムステルダムの味わいがよく出たのかもしれない)、特殊な装甲を誇るあの小説の結末部分にはぴったりでした。

ワルシャワのお客さんは基本的に手拍子になってしまうのか。ミンコフスキのときも。
by Sonnenfleck | 2009-03-19 06:39 | on the air