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ニケ/ル・コンセール・スピリテュエル 《アーサー王》@神奈川県立音楽堂(2/28)

c0060659_2172069.jpg【2010年2月28日(日)15:30~ 神奈川県立音楽堂】
●パーセル:《アーサー王》
→アナ・マリア・ラビン(S)
  シャンタル・サントン=ジェフェリー(S)
  アーウィン・エイロス(C-T)
  マーク・キャラハン(Br)
  ジョアン・フェルナンデス(Bs)
⇒伊藤隆浩(演出)
⇒エルヴェ・ニケ/
  ル・コンセール・スピリテュエル


チリの地震が太平洋を泡立てているさなか、また、ニケと仲間たちによるピリオド音波に浸ってきました。桜木町の音楽堂もずいぶん久しぶりだなあ。東横線桜木町駅の最後の日を写真に収めたのが、昨日のことのような気がするね。

津波警報発令のために電車が止まりまくったので、開演が30分繰り下げられる。会場はほぼ満席だったけど、火曜日に電話してまだ残っていた最前列を確保できたのは幸運であった。

+ + +

ニケはなんだかんだと二年置きくらいには聴いているような気がする(《大地の歌》室内編成版@みなとみらいヘンデル@名古屋)。しかし彼と彼らの真骨頂が発揮されるべきフランスバロック、もしくは亜フランスバロックは今回が初めてなんですよね。
8割がたリュリのようでいて、リュリに比べると微妙に陰気なパーセル。パーセルは僕にとって因縁の作曲家で、その正体はいまだ掴みがたい。
ガーディナーの《メアリ女王...》やホグウッドの劇音楽にパーセルの謎を解く鍵が入っていないのは、彼らの穏和な音楽づくりとこの作曲家との親和性が高すぎるからのように思う。でもその一方で、元気印のヤーコプスによる《ディドーとエネアス》はなんだか他人行儀、ここでもイマイチ感が拭えなかったからには、何かパーセルには深大な意味があるんじゃないか。

…という妄念は、この日、フランスバロック側からのあっけらかんとしたアプローチによって、簡単に棄却されてしまった。ああ…やはりリュリみたいにウソっぽく造形しちゃえばよかったんだ。。正攻法すぎる。。ニケのパーセルの録音って聴いてなかったもんなあ。
あくまでフランスバロック流に、ひたすらキザに軽~く流れてゆくパーセルの心地よいことといったら!スコアに漂う微妙な陰気さもウソっぽさで塗り固めちゃえば跡形もないぞ!楽勝だぞ!

コンセール・スピリテュエルも改めていい団体だと感じました。
初体験時のヘンデルはあの管楽隊の爆音に気圧されてしまった感があったけども、弦楽と通奏低音が平常通りに運転される今回のような編成においては、それだけに留まるはずがない。もちろんこのアンサンブルのオーボエ、フルート、バソンは、単純に人数が減ったからといって存在感を減ずることなんかなくて、相変わらず南国のフルーツのように強い香りを発散している。しかしそれと渡り合う余力が今回の弦楽とBCには備わっていて、両者が溶け合いながらピチピチと色気のある拍感を醸し出し、それとともに雅やかな弱音が聴こえてきて嬉しかった。
(しかし、ルーヴル宮のように決定的に圧力のある器楽でもなかったのは事実。彼らに比べると、コンスピはもう一段フランスローカルという感じがした。)

+ + +

コンスピの合唱隊は、CDではおなじみながら今回が初めてのライヴ体験。予想を上回る技巧的かつエロティックな合唱で、ああなるほどニケがいつもフランスバロックのディスクで聴かせる音楽の本体はこっちなのかもなと思われました。

ソリストはカウンターテナー君がいささか安定を欠いたほかは皆どっしりとしており、特にバスのフェルナンデスという人は豊かな声量と絶妙のギアチェンジで、ソリスト陣の要にふさわしい歌いっぷりでした。ブラヴォ!

+ + +

あー。それにしてもね。あの演出はなんだろうね。
あんなクソくだらない演出を考える脳ミソにブドウ糖を補給するために自分の払ったお金が一部使われるのかと思うと、実に胸クソ悪いね!

何が酷いかというと、無策ならば無策なりに妖精とか魔法使いとかそのまま出しときゃよかったものを、そういう台本の表層をなぞることすら放棄して、夕刊フジ的に浅はかなネタを(困ったことに愉快な風刺のつもりで)得意満面に組み込んでいらっしゃるところなのです。
何?war?tank?missile?食料自給率?事業仕分け?関係しているようで実はなーんにも関係のないものをいかにもそれらしく並べるのは、関係ないものを関係なく遊びで並べるのよりずっと罪が重い。そしてそれらさえ、スクリーンに投影する文字に頼らなければ何もできない愚かしさ。

台本の要請によるエロスの表現も、ありゃエロスではなくて、ただの昭和スケベっていうんだよ(♂♀とかモンキーパンチかっつうの。)
スクリーンには「寒」とか「暖」とか「R-18」とか(しかも間の抜けたフォントで)映し出しちゃうし、なぜか多用された顔文字の選択もいちいちダサくて((@_@;)とか(~o~)とかどうなのさ>悔しかったらエロ場面に麻呂AAでも仕込んでみなよ)、いかにも40、50のオッサンが部下相手に放ちそうな珍妙なウケ狙いそのまま、、こんなのは週日に会社で食らうので十分なんだよ!!

音楽は最高なのに演出が全部台無しにする。もう途中から腹が立って腹が立って。でも人生で初めて生ブーを飛ばす機会を与えてくれた演出家として、伊藤とかいう人の名前はしっかり覚えておかないとね。ね!!

◇◇◇ 3/1追記 ◇◇◇

各ブログ、また巨大匿名掲示板でも指摘が出ているように、哀れな演出家もどきである伊藤大先生は、我々のブーに対して「お?もっと飛ばせや」という挑発的態度でいらっしゃった。
これは大先生の「オレの考えた最先端の過激な演出を、頭の固いお前らは受け入れられないんだろ?」という愚かな思い違いによっていたのだと想像するが、我々は、演出になっていないことに対してブーを飛ばしていたのである。
by Sonnenfleck | 2010-02-28 21:07 | 演奏会聴き語り

束芋|断面の世代@横浜美術館(2/13)

c0060659_21432777.jpgヴァン・アレン帯デー前日の横浜はとんでもない氷雨で、雪の多いこの冬を代表するように暗い午後。同行者と落ち合ってからも、まずは寒さをほぐすためにみなとみらいシラー下のカフェで休息することになる。

審議中...

横浜美術館に行きましょう。

何年か前からその名前を聞くようになったアーティスト・束芋。感度の高いその筋の知り合いが口々に評価するので、気になる存在ではあった。その束芋の個展が開かれています。この雨でしかもゲンダイビジツなので、みなとみらい駅の「美術館口」からして僅かな人間しか視界に入らない。実は横浜美術館、これが初訪問なのス。

+ + +

本展示の8割は映像インスタレーションで、残り2割はドローイングに偽装したインスタレーションで構成されている。固形・映像を問わず、インスタレーションの感想文ってすんげえ難しいんだよね。。並んでいると無差別級の格闘技のようで、しかもそれが「在る」こと自体に価値が紐づけられているから、少なくとも「無い」のでなければそれだけで「何か」であるわけで。。
だから、
鑑賞することによって現実では認識できないような感覚を味わうことができるものに、優れた価値を見出したい。そうすることにしている。あれっ、これおかしいな、と感じさせられるものであれば。

日常生活をなぞったインスタレーションは、そこから飛び立つときの距離計測を誤って、案外表面的なものに落ち着いているケースが多いと思う。いろいろと調べてみると、束芋という30代中盤の女性がこれまでのキャリアで大事にしているのは日常生活とそこからの剥離のようなので、どうだろうか。

全部がいいとは思わなかった。(以下、公式の「作品紹介」を参照のこと。)

長い長い絵巻物のように構成されたインスタレーション《惡人》、それからその変奏である映像《油断髪》は、作者の内面が抉り出されて陳列されるようで、おかしいなとは思わされるまえに、その生臭さにギブアップであります。狂ったように繰り返される髪と指とクルマのモチーフに、生理的なおぞましさを感じないと言えばウソになる。
その一方、団地の乱雑なポリフォニーをモチーフにした《団地層》《団断》には、生煮えではなくちゃんと調理された束芋の想念が潜んでいるように思われた。特に後者は、人の狂気そのものではなく狂気の残り香のようなものが漂っていて好ましかったです。密室で他人が何をしているかなんて、、わからないじゃない。

生活(団地)ポリフォニーを生体活動(人体)ポリフォニーに置き換えた《BLOW》なんかは、最後のスペースに展示されているあたり、束芋の新境地なのかもしれないと思った。《惡人》《油断髪》のような抉り出しを、生ではなく、型崩れすることなく芯まで火を通して煮込んだような。

+ + +

常設展示もいいのがたくさんあったけど(豊田市美のシュルレアリスム展で見た覚えのあるダリのトリプティークがあった!)、時間切れであんまり見られず。今度は時間をたっぷり用意して行ってみよう。
by Sonnenfleck | 2010-02-25 22:28 | 展覧会探検隊

ホリガー、シューマン、藤田まこと

c0060659_23163614.jpg【PHILIPS/UCCP3149】 <シューマン>
●ObとPfのための3つのロマンス op.94
●夕べの歌 op.85-12
●アダージョとアレグロ 変イ長調 op.70
●幻想小曲集 op.73
●民謡風の5つの小品 op.102より
⇒ハインツ・ホリガー(Ob)
 +アルフレート・ブレンデル(Pf)

ハインツ・ホリガーが来日して、全国各地で公演を行なっている。実は26日・27日の名フィル客演を聴きに行こうかと計画していたのだけど、ちょっと無理そうであります。
で、その代わりに、40代のホリガーとブレンデルががっぷり四つに組んだシューマン・アルバムを聴いた。うーんいいねえ。

芥川也寸志の『音楽の基礎』の中に、たとえばいろいろな種類の楽器でA音を持続して鳴らしてみると、楽器固有の音色の違いというのは存外わからないものだ、われわれが違いを聴き取っているのは発音のタイミングやノイズの差にすぎぬ、という趣旨の一文があったように記憶しています(本当にそんなもんかいなあ、と思ったことも覚えている)。
しかし、壮年期のホリガーがこのシューマンで聴かせてくれるオーボエの音色は、芥川理論の裏づけになるくらい、均質で滑らかで美しい。

じっと浸って聴いているとクラリネットやヴィオラのようにも感じてくるし、いよいよ人の声のようにも思われ始める。ついには、何というか「音波」そのものに変容していくような気もする。でも、ぐるりと一周して最後はやっぱりホリガーのオーボエであることを知覚させられる(有名なop.94の第2曲なんか、あるいはオーボエ・ダモーレに持ち替えたop.73の第3曲なんか、どうだろう)。こういう気持ちは他の演奏家ではハイフェッツくらいにしか感じないので、面白い。

+ + +

俳優の藤田まことが亡くなって数日が経つ。
夕方に見る中村主水と安浦刑事は、身体が弱く学校を欠席しがちな僕のヒーローだった。コメディアンだったころの藤田を知らない僕のような世代にとっては、彼は二枚目の、少し面長な温かいおじさんという印象。これは今でも変らない。

そしてまた、風邪を引いて寝ていた20日土曜日の午後、「剣客商売」の追悼再放送を偶然見た。
藤田が「剣客商売」で秋山小兵衛を演じているのは知っていたけれども、原作も好きだし、藤田の雰囲気もなんとなく想像がついてしまって、ついにこの日までテレビの画面で藤田=秋山を見たことはなかった。

今回の再放送は「春の嵐」というエピソードで、まあいろいろあるけれども、凄腕の剣客というより老父や老人としての秋山小兵衛がクローズアップされる回なんですね。無実の罪で捕まった息子・大二郎の疑いが晴れ、屋敷に戻ってくるのを出迎えるシーンの藤田の顔。あるいは、すべてが解決し、酒を飲みながら若い妻に甘えるラストシーンの藤田の顔。これに釘づけになる。

間違いなく俳優の藤田まことでありながら、秋山小兵衛その人に感じられ、やがて老いた人間そのものの顔に変容し、しかしぐるりと回って藤田まことに戻る。
僕たちは名優を喪った。合掌。
by Sonnenfleck | 2010-02-22 23:21 | パンケーキ(19)

精神と時のお買い物XXI(および池袋のこと)

非常に珍しいことに池袋でお仕事。夕方だったこともあり、直帰してやるぜヒャハーというホットな気持ちのままHMVに入ってしまった。ストレスが残ったまま仕事帰りにCD屋さんに入ってはいけないのだ。

【HMV 池袋メトロポリタンプラザ店】
1 モンテヴェルディ:Teatro d'Amore(Virgin) *ラルペッジャータ
2 ヘンデル:室内カンタータとソナタ集(DHM) *アンサンブル・ゼフィーロ
3 ラモー:室内編成によるオペラ(Alpha) *アンサンブル・オーゾニア
4 J.C.バッハ:La dolce fiamma(Virgin) *ジャルスキー+ロレール/ル・セルクル・ドゥラルモニー
5 シューマン:室内楽リサイタル(EMI) *アルゲリッチと仲間たち

⇒あれ?モンテヴェルディ? 1を買った理由についてはそのうち。。
⇒2には作品2が入っていたので即決。ゼフィロの2-5とか良さそうすぎる。
⇒ラモー聴きたし3。ミンコフスキのライヴの感想文はいつ書くのか。
⇒4はクリスティアン・バッハのアリア集。ジャルスキー。想像つかんねえ。
⇒シューマン室内楽を聴きましょうプロジェクトの、5。

+ + +

池袋は不思議なところですよね。北関東から東北にかけての田舎ムードを強く感じさせる一方で、東京の「都会」ではもうほとんど見ないような陰惨な都会らしさがそこら中に残っていたりする。いまTBSで深夜に放送されている「デュラララ!!」という作品も、アニメ版『池袋ウエストゲートパーク』みたいな調子で、池袋の重層構造を素直かつ丁寧に描写している。意味より雰囲気、というのも00年代サブカルらしくて面白い。オススメ。

さても、池袋駅から芸術劇場までの地下道はそんな雰囲気がある場所だったけど、あそこもいつの間にかエチカだかエソラだか、、東京メトロがお得意の女子女子した空間に再開発してしまって、またひとつ池袋らしさが消えてしまった。
by Sonnenfleck | 2010-02-20 11:49 | 精神と時のお買い物

造園五周年

結局、誰かに話を聞いてほしいんだな。
そのためのシンプルな場所でいい。

皆さんのおかげで続けられてます。
本日から六年目に突入。
by Sonnenfleck | 2010-02-17 08:19 | 日記

09-10シーズンのジャンクソーダを振り返る。

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世に出ては消えてゆくうたかたソーダ、今シーズンの代表的な商品の感想文を以下に。「庭は夏の日ざかり」はジャンクドリンク活動を応援しています。

(1)ペプシあずき ●○○
なんだろうこの落ち着き、この物足りなさは。。
キューカンバーブルーハワイシソ」と築かれてきた異端ペプシの系譜に、唐様で書く四代目、では困るのだ。
初代から三代目まで、異端ペプシは破調の美とでも言うべき大胆な味で我々の度肝を抜いてきたわけです。しかるに「あずき」はその伝統を忘れ、保身に走って常套的なあずきバー風味で誤魔化しを掛けているとしか思えなかった。異端ペプシの系譜は、来夏のけばけばしい新作に期待しましょう(この次は「ペプシ<歯磨き粉味>」くらいでもおかしくはない)。

(2)チョコレートスパークリング ○○●
いち早くiioさんのレヴューが登場し、クラブログ界隈にもその名を轟かせたサントリー発のチョコソーダ。
異端ペプシシリーズが破調ならこちらは正調という感じで、非常に優等生的な味がする。チョコのチョコらしい風味と、正体不明の爽やかサイダーテイストが、完全同時進行で口腔および鼻腔に進んでくる様子、確かに今までにない存在なのですな。ヒラリー・ハーン、とでも書いたらええかしら。

(3)チェリオ なんちゃってコーラ ○●○
しかしこれが、文句なしの今シーズンMVP。
味で勝負なんかせんわいというそのセンス、コンビニ売りの規模で堂々と昭和の駄菓子スピリットを展開してしまう心意気、とても2010年の未来に棲むとは思えない存在です。
「赤色××号」「黄色××号」の記載も鮮やかに、オサレな輸入ミネラルウォーターと並んでこれが棚に陳列される姿には、まさに20世紀の妖怪、イヴリー・ギトリスを思い浮かべずにはいられませんな。ホンモノB級テイストに刮目せよ!

+ + +

ところで、ソーダではないが、00年代初頭のある一時期だけ存在していた「唐辛子清涼飲料水」が、、忘れられないんですな。アクエリアスのような爽やかケミカル甘味に、なぜか唐辛子をプラス。味方向であれを凌駕するジャンクドリンクは、結局00年代には登場しなかった。
by Sonnenfleck | 2010-02-14 00:02 | ジャンクなんて...

on the air:チョン・ミョンフン/東フィル ブラームス・ツィクルスⅠ

金曜日お仕事@大阪→名古屋で会社同期と一席→名古屋泊→土曜お仕事@名古屋→名古屋で同僚たちと一席→土曜深夜帰京。名古屋でも雪が降るくらい寒かったこともあって今回は特に疲れたああ。
いろいろ行きたいコンサートもあれど、体力の乏しいリーマンは家で休養しなければならない。…って寝てたらもう夜だよ!午後のギーレン特集聴きたかったよ!
昼食だか夕食だかよくわからない食事を摂って、FMにかじりつく。

+ + +

c0060659_22121924.jpg【2009年7月24日 サントリーホール】
<ブラームス>
●交響曲第1番ハ短調 op.68
●交響曲第2番ニ長調 op.73
⇒チョン・ミョンフン/東京フィルハーモニー交響楽団
(2010年2月7日/NHK-FM)

一時期どっぷりとはまっていたウェブラジオ。
2004年製のPCがそろそろ発熱を伴うようになってきて、負荷を掛けぬように最近はアクセス凍結中です。「on the air」カテゴリも久しぶりね。
久しぶりといえばチョンも東フィルもずいぶん久しぶり。いつごろからか東フィルの定期演奏会がほぼすべて平日に移行してしまったために、在京オケの中でも最もライヴで聴く機会の乏しいオケになってしまった(新国立劇場のピットに入っているときは別だけども)。久しぶりだ。どうだろうか。

いや、いいねえ。もんのすごくいい。

半ば強引に、音響をグイグイと前に持っていくチョンのスタイルは以前聴いていたまま、しかし東フィルがそれに応じる能力が着実に進化しているように思った。
チョン・ミョンフンの直截な音楽趣味を10年近くにわたって注ぎ込まれてきた結果なのかなあ。オケの側に、燃焼することに対する抵抗みたいなものがもう全然なくなってるんですよね(ノリのいい指揮者の下でもノリきれずにぶすぶすと不完全燃焼を起こされてしまうと、ノリの悪い指揮者と一緒にノリの悪い演奏をされるよりもなお、客としては空しい気持ちになる)

ブラ1もブラ2も、ひたすらシンプルに、熱い音楽をやってやろうというスピリットを燃やして運転が行なわれている感。自分のキャラを把握した上での能天気や、逆に猜疑心を音に込めたような暗さばかりが悪目立ちする傾向にあって、これは貴重な記録だと思う。
しかしプロとしての大切な一線―アンサンブルの精度だったり、自分が和音の一部であることを忘れない節度だったりすると思うけど、それがないがしろにされていないのも驚き。こんな積載量のうえこんなスピードで突っ込んだらプロオケでも曲がり切れない!というようなヘアピンカーヴを、グンッ…とドライヴするチョンさんかっけえ。第1番の第4楽章は胸がすくようなパフォーマンスでございました。

一方、チョンさん(さん付け)の趣味も、強引niマイYeah~!という感じでなくなってきたのが興味深い。
第1番の第1楽章、そして第2番の第4楽章で聴かせてくれている「てろり」とした奥行きのある輝きは、この人の新たな境地としか思えない。アーティスティック何とかの任期は終わるかもしれないが、次にチョンさんが振りに来るときは、生を聴かねばならぬ。これでは。
by Sonnenfleck | 2010-02-10 22:17 | on the air

日曜ナポリタン!

c0060659_1029282.jpg【DHM/88697 281822-1】
●ドゥランテ:マニフィカト
●アストルガ:スターバト・マーテル
●ペルゴレージ:《主よ、あなたに告白します》
⇒トーマス・ヘンゲルブロック/
  バルタザール・ノイマン合唱団
  フライブルク・バロック・オーケストラ

年頭に申し上げたように、久しぶりにイタリア・バロックの波が来ている。いよいよ本業がシーズンに突入したために、土日さえ削り取られながらの毎日ではありますが、そうなればますます、日々の慰めは大切だ。

ただ、イタリア・バロックと言っても僕の場合は中後期のことなので、相変わらずモンテヴェルディとかウッチェッリーニにはアプローチできていない。DHM50周年箱を開けて、親父スカルラッティの《ヨハネ受難曲》を聴いてみたのだが、様式が古っぽくてすぐにSTOPボタンを押してしまう。
その点、ナポリ楽派の皆さんの作品はいずれも底抜けに後期。モーツァルトの元ネタのひとつとして、ナポリ楽派はもう少し広く聴かれていいと思うんだよね。

このCDだって、ジャケットがマリアさまでこういうテキストの宗教作品が並んでいるから、残念ながらいかにもアピールが弱い。でも実際に聴いてみれば、それは華美な様式でブイブイ言わせたナポリ楽派の作品であるから、どの作品も能天気な通奏低音を土台にした肯定的な旋律美に溢れています。そして信頼のヘンゲルブロック/FBOブランド。

ドゥランテはナポリのボスとして、ロッシーニの雛型とでも言えるような直線的アレグロを形にしてしまっている。イタリア・オペラを老後の楽しみに取ってある僕としては、どうやらここに登山口のひとつがありそうだということをメモしておかなければならない。
アストルガはちょっと湿っぽいけど、しかしながらここではあのペルゴレージでさえ、主よ、あなたに告白しますが、告白の内容をすっかり忘れてしまったのでまた明日来ますあっそこのお姉さんボクとお茶しませんか、といった軽い調子で世のスタバファンを怒らせるに十分。
by Sonnenfleck | 2010-02-07 10:29 | パンケーキ(18)

飯森範親/東響 名曲全集第53回(1/30)

c0060659_22522861.jpg【2010年1月30日(土)18:00~ ミューザ川崎】
●リスト:Pf協奏曲第1番変ホ長調
 ○ショパン/リスト:17の歌曲
   ~第12番《私の愛しき人》
→ベンジャミン・グローヴナー(Pf)
●マーラー/クック:交響曲第10番(第3稿第2版)
⇒飯森範親/東京交響楽団


マーラーイヤーの第一歩は第10交響曲で!
…と思って威勢よく踏み出したのです。
でも、第一歩を踏み外して大怪我。あーあ。

まずは本題の前に、前半のリスト。1992年生まれグローヴナーくんのピアノは、青少年らしい自然な衒いが素敵だった。たぶんこの曲ってそういう曲じゃんね。はしゃぎ過ぎたり老成しすぎたりする「若者」たちの中で。

+ + +

で、本題。第1楽章の全体と、第5楽章の最後はよかった。
クック版を隅から隅まで知悉しているマラヲタではないから、詳しいことはよくわからんけど、少なくともこの両端の楽章では、何の小細工も弄さずに嫋々とメロディを歌い上げる作戦がかなり功を奏していたと思う。
特に第1楽章のコラール絶叫は響きが澄んでいてとても美しかったです。が。

真ん中の第2、3、4楽章は、ちょっと弁護のしようがない。あれほど縦の線が破綻していて、それをお客に聴かせてお金を取ろうというのだろうか?プロでしょう?
主旋律への愛は飯森センセの指揮ぶりから大変よく伝わってまいりましたが、コンマス高木氏による決死の統率が何度も見られ聴かれたのは、なかなか辛かった。センセが指揮する公演のチケットは、よほどのことがない限りもう二度と買わないことにしよう。感動した方、ごめんなさいね。

ブラヴォ飛び交う終演後、拍手するのももったいなくてすぐにホールを飛び出すと、ピアス光らす少年たちがぞろりぞろりとたむろする、川崎西口インフェルノ。
by Sonnenfleck | 2010-02-01 22:51 | 演奏会聴き語り