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インバル/都響『作曲家の肖像』Vol.76 《ベートーヴェン》@芸劇

c0060659_20121816.jpg【2010年3月14日(日) 14:00~ 東京芸術劇場】
<ベートーヴェン>
●《エグモント》序曲 op.84
●Pf協奏曲第5番変ホ長調 op.73 《皇帝》
→小菅優(Pf)
●交響曲第5番ハ短調 op.67
⇒エリアフ・インバル/東京都交響楽団


ラザレフ/日フィルから二日連荘で組んでしまったためか、はたまた週日の疲労が蓄積したためか、体調激悪。《エグモント》《皇帝》はほとんど完全に寝スルー。

初めに、残念だった点を書いておくと。
ついにライヴ体験した小菅さんは、これならばどうしてこんなにブログ界隈で評判が高いのか…と首を傾げざるを得ない大味な様子でした。大きなミスタッチ、不安定なテンポ、ドスンバタンと鍵盤を叩きつける重量感、きっと3月14日が絶不調だったのだろうとは思いたいものの。

で。運命ですよ。これ、大名演だったんじゃないですか。
昨年のエロイカで感じざるを得なかった違和感、違和感で構成された音楽、今回もそういったものを予想していたので「眠気は飛ぶけど神経が疲れるだろうなあ」という気持ちがありましたが、蓋を開けてみたら、なんということもない直裁運命だったわけだ。
今日、倍管のモダンフルオケでベートーヴェンを聴く意義は…などという辛気臭い考えもぶっ飛ぶほどのエネルギー。ところどころ「ん?」と思わせるような違和感のある仕掛け、これがほとんどなかったのが逆に新鮮。秘技・サプライズ封じによる逆サプライズ。塩とブラックペッパーだけで軽く味つけされた分厚いステーキに齧りつくような、そういう健康的ワクワク感がこの日の主役だったなあ。解釈者インバルはステーキの後ろに隠れていたよ。

それから都響はいいオケ。やっぱりこれを再認識する。
by Sonnenfleck | 2010-03-28 20:13 | 演奏会聴き語り

甦るフルヴェンニコ、トスカニコ、

3連休最終日でまったりとしつつニコニコ動画クラ界隈に潜っていたら、驚愕のクリップ群がアップロードされておりました。作者氏が「ステレオワイド化」と呼ぶこの作品群は、かつて流行った擬似ステレオの不自然さから自由であり、ここで大きく称賛の声を上げたいと思います。
exciteがいつの間にかニコニコ動画の外部プレイヤーに対応していたので、貼ってみよう。まずはこちら(ヘッドホン試聴推奨)

◆【ステレオワイド化】フルヴェン&PO:《トリスタンとイゾルデ》より


パブリックドメイン・クラシックに収められた元の音源と聴き比べて二度びっくり!!なんつう生々しさ。。フルトヴェングラーはこんなにエロい響きを作る人だったのか(すいませんねえ今さらで)。。
ウェブラジオでライヴをストリーミング再生してるんだよ、ちょっと回線が不安定で、と言ったらほとんどの人は騙されてしまうんではないかしら。我々がPCで音楽を聴くことに随分慣れた、というのも大きかろうが、この作者氏が凄いのは、いかにもステレオステレオした不快な音場ではなくて、あえて初期のステレオ録音程度の緩やかな広がりにとどめているところなんだよね。

さらに、トスカニーニが凄い。

◆【ステレオワイド化】トスカニーニ&NBC響:ブラームス・交響曲第1番


もしも今日、桂冠名誉終身永久エグゼクティヴ音楽監督であらせられるアルトゥーロ・トスカニーニ(143歳)/ニューヨーク・フィルが来日してサントリーホールでこれが展開されたとしたら、東京の聴衆は泡を吹いて失神するほかないんではないかという爆発的推進力。
その一方、モノラルでは塊にしか聴こえない音が実は幾つもの層になっている様子がくっきりと窺えて、トスカニーニ観も変わろうというものです。このステレオワイド化により、第2楽章の明朗さ、見通しのよさを知ることになった。

+ + +

昔、あるクラ先輩の家に招かれて、すっごく高級なスピーカーでトスカニーニ/NYPのベト7(1936年録音)を聴かせてもらったことがあります。モノラル録音は巨大で優れたスピーカーで聴くとどうやら真価が現れる、ということがわかったのはそのときだったのだけども、軽薄短小な若輩クラヲタがあの装置を揃えるのは無理だよね、、という諦めも同時に感じたんだわな。

ところが、この作者氏のステレオ化技術は、あの重厚長大スピーカーと瓜二つの体験をさせてくれる(もちろん、アップロードされているすべての音源が等しく成功しているわけではないけれど)。でもそれにしたって、半世紀前に死んだ巨匠の音楽がニコ動みたいな場所で(しかもハイパー魔改造のすえ)復活するなんて、衝撃じゃないですか。2010年てのはやっぱり未来なんだね。

*関連リンク:シベニコ、マラニコ、
by Sonnenfleck | 2010-03-26 00:18 | 広大な海

on the air:大野和士/リヨン歌劇場管@東京オペラシティ

c0060659_861936.jpg【2009年11月9日 東京オペラシティ】
●ショーソン:交響曲変ロ長調 op.20
●ドビュッシー:《牧神の午後への前奏曲》
●サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調 op.78《オルガン付き》
 ○フォーレ:パヴァーヌ
 ○ブラームス:ハンガリー舞曲 第1番
⇒大野和士/フランス国立リヨン歌劇場管弦楽団
(2010年3月12日/NHK-FM)


たまにこうして、外国の味のあるオケを耳にすると、いつも聴いてる在京オケとは「文法」のようなものが違っていることに気がつく。
でも、この「文法」の違いを生で確かめるためには少なからぬ出費が必要だし、何よりもその日の隣に座る御仁が無神経だったりする危険が大きすぎて、恐怖を感ずることが増えてきた。さらに、そうした恐怖とセットで、年々狭量になる自分にも腹が立ってきて。最後に自分の狭量が周囲を立腹させている可能性に思い至ってしまうと、もうどうしようもない。

いいんだ。ここは家で、ラジオの前だ。

ショーソン交響曲がとっても素敵な演奏だなあ。
大野氏はこの作品の中のワーグナーらしさに蓋をするどころか、それらしい悲劇的パッセージの塊にアクセントをつけてさらに強調する。でもリヨンのオケはトゥッティ透過率45%くらいで、響きに圧迫感がなく、聴いていて疲れない。11月の月曜日の1曲目から飛び交うブラヴォにも深く納得。

ところが次の《牧神の午後への前奏曲》では、興味深いことに透過が弱まり、何本もの太い線が交錯するざらざらとした肌触りに変異する。
カサドシュが弾くドビュッシーやクリュイタンスのラヴェルでもこういうことが起こっているのですが、僕らがおフランスものとしてイメージしている音楽ほど、当のフランス人たちはマジックインキみたいな強い線で描くことがあるんだよなあ。それでも終結部は、太い線がほろほろとほぐれて細い糸の集合になるような様子も聴かれて、大野和士はそのあたりの秘密をよく知悉しているような気がしてならない。

トリはサン=サーンス。この曲はなんだか随分久しぶりに聴いたな。
フレーズの塊が熱心に書かれすぎていて(>あなたがオーケストレーションの大家なのはわかったから!なんて言いたくなる)、心休まる隙間がないためなのか、そんなに好きな作品でもない。しかしこの演奏では、再び透過率をアップさせたオケの響きで聴く第1部の後半や、オルガンがお休みの第2部後半にゆったりとした隙間がいくつも観測されて、淡い色合いが印象に残る。

+ + +

アンコールのフォーレが佳いのはほとんど当然だけども、問題はブラームスね。
独墺系のオケでは絶対に聴かれないような、実に不っ思議な軽さで演奏されたことに瞠目しなければならない。アクセントに乏しく、リズムのパターン化もやめてしまって(これは凄いことではないか?)、ふよふよ揺れる春ブラムース苺味。
by Sonnenfleck | 2010-03-22 08:14 | on the air

ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊@オペラシティ(11/5)

快楽瞬間沸騰型のコンサートの感想文を今から書く必要があるのかという気もするが、年度を越す前に簡単に書いちゃおう。

c0060659_2294685.jpg【2009年11月5日(木) 19:00~ 東京オペラシティ】
●ラモー/ミンコフスキ:もう一つのサンフォニー・イマジネール
* 『カストールとポリュクス』序曲(1754年版)
* 《ゾロアストル》(1756年版)より
 〈エール・タンドル・アン・ロンド〉(第1幕第3場)
* 《レ・パラダン》より〈怒りのエール〉(第2幕第8場)
* 《優雅なインドの国々》より〈アフリカの奴隷たちのエール〉、
 〈太陽への祈り〉、〈西風の神へのエール〉、
 〈西風の神への第2のエール〉、〈北風の神へのエール〉
* 《アカントとセフィーズ》序曲
* 《カストールとポリュクス》(1754年版)より〈エールI・II〉(第2幕第5場)、
 〈ガヴォット〉(第3幕第4場)、〈タンブーランI・II〉(第1幕第4場)
* 《ピグマリオン》より〈彫像のためのサラバンド〉
* 《アカントとセフィーズ》より〈リゴードン1・2・3〉(第2幕第6場)
* 《カストールとポリュクス》(1754年版)より〈シャコンヌ〉(第5幕第5場)

●モーツァルト:セレナード第9番ニ長調 K320 《ポストホルン》
〈付〉行進曲ニ長調 K335/1(K.320a/1)

○ラモー:《優雅なインドの国々》より〈トルコの踊り〉
○モーツァルト:セレナード第7番ニ長調 K.250 《ハフナー》より第4楽章〈ロンド〉
→Thibault Noally(Vn)
○グルック:バレエ《ドン・ジュアン》より〈怒りの舞〉

⇒マルク・ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊


この日は午後から有給休暇を取得し、アートギャラリーでヴェルナー・パントン展を見たり、面影屋珈琲店でぼんやりして、そのときに備えた。

で、2時間半におよぶパフォーマンスの内容によって得られたもの。
強烈な快感、だけじゃなくて、そこに深い絶望感がくっついてきたんだな。
ノッてやろうぜノらせてやろうぜ!という自信満々の押し出しの強さ。これがミンコフスキ/ルーヴルの本質のひとつであった。こうしたノリのラモーをライヴで、しかもあのように巨大な編成で聴くことは、いまの日本の古楽シーンではまず叶わない(あの、大きく筋肉を使った奏楽の姿からして全然違う)。

たとえば青白く燃える精妙なバッハであればたぶんBCJに一日の長があるけれども、それ以外の側面においてはまったく大人と子どもくらいの差が見えてしまった。
この場合は「どちらもいい」というきれいごとは書きたくない。「どちらもいい」というのは、どちらのタイプも存在した上でないと説得力がないんだからな。日本の古楽界は先鋭的・意欲的な小アンサンブルを除き、総体的には能面古楽としてガラパゴスの島々のように取り残されるよりほかにないのか。戦後に来日した一流のフルオケを聴いた人たちはこういう気持ちになったんだろうか。

+ + +

ラモーの細部について書くことにはあまり意味がないと思った。
アルバム「une symphonie imaginaire」が生です、もっと情報量が多いです、といったふう(曲順等は微妙に異なったけれども)。

彼らのモーツァルトは、いかにも軽佻浮薄で、とっっっても好きです。ト短調とジュピターのアルバムで聴かせていたシリアスも造られたシリアスだったようで、《ポストホルン》のように展開単位が小さい組曲になると一気にフランス革命前の気分にコネクトされてしまうのがまた不思議愉しい。
※少し前のottavaで林田さんが、ロマン派音楽を理解する上で欠かせない資料として山川の『フランス革命の社会史』を取り上げておられた。ここらはちゃんと勉強し直す必要がありますな。

+ + +

明日3/19の「芸術劇場」で、11/6のハイドンの公演が放送されるようです。
by Sonnenfleck | 2010-03-18 22:15 | 演奏会聴き語り

ラザレフ/日フィル 第618回東京定期演奏会(3/13)

c0060659_17432112.jpg【2010年3月13日(土)14:00~ サントリーホール】
<プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクト vol.4>
●モーツァルト:ミサ曲ハ短調 K427
→天羽明惠、加納悦子(S)
  鈴木准(T)、成田眞(Bs)
→東京音楽大学
●プロコフィエフ:交響曲第4番ハ長調 op.112(改訂版)
 ○同:《ロメオとジュリエット》第2組曲~〈ダンス〉
⇒アレクサンドル・ラザレフ/
  日本フィルハーモニー交響楽団


毎回べた褒めで申し訳なく。しかし今回もプロコに関してはべた褒め。

第4番はプロコフィエフの交響曲の中でも最も謎な存在だったのですが、この演奏で初めてじっくりと聴いてみて、もしかしたら第6番と同じくらい懐の深い大傑作なんじゃないかと思われた。
この作品は抒情と凶暴の分裂状態が他の作品に比べても本当に酷くて、悲惨なくらい苦しい音楽なんだよね。これを聴いて、ジダーノフ批判一歩手前のプロコフィエフを想像し、伝記的涙を流すことも許されるほどに。

第1楽章の主部には白々しくも「アレグロ・エロイコ」などという表情が付されているのだけども、バネやネジを飛ばしながらきりきり舞いするようなヤケクソの主題からして、いかにもショスタコの第9と同様の苦吟ぶりを感じさせる。
ラザレフはその第1主題を煽りまくって物凄い焦燥感を焙り出すことに成功し、第2主題の静謐な透明感(日フィルは本当にいい響きだった!)との悲惨な対比を描いていましたな。(帰宅してからロジェヴェンとゲルギエフの録音を取り出してみたら、どちらも第5番みたいな鷹揚スタイルによってこの楽章を仕上げてるんだよねえ。うーむそれって何か違うくない?)

第2楽章は泣いてしまった。この美しさがソンツォフカのリリカルマシン!
ラザレフお得意の「ここだよ!ここ聴けよ!」が飛び出した、冒頭のFlによる主題提示。これが徐々に拡大し飛散していく行程に、影のように邪魔をする凶暴。自分で自分を妨害せずにはいられないプロコフィエフのセルフツンデレぶりがよく現れた楽章なんだな。
ラザレフが、こうした特殊なアンダンテを随分巧みに形にしてしまう人だというのは前回からもわかっていたけども、、低弦の圧倒的充実ぶりとか、感情を表出させないにも関わらず色彩的な木管隊だとか、肝の据わったTp客演首席とか、オケの濃密なアンサンブルを含めてとても素晴らしかった。。

しかしそれはそれとして、第4楽章の終結部で、抒情も凶暴も吹っ飛ばすような宇宙的大音量でスカッとさせてくれるのもラザレフらしいところ。
あ、この上にまだ昇るんすか、みたいな(笑)

その余勢を駆ったアンコールも凄まじいスピードで、エンタメ路線まっしぐら!最後の拍でくるりと客席に向き直り、これもお得意の投げキッスで〆。

+ + +

モーツァルトは、一緒に取り上げた意図が最後まで掴めず。途中で完全に寝てしまったし、あれこれと感想を語る資格もなし。
やはりミッドセンチュリー的バターテイストのモーツァルトではあったが、前回のK595に比べるとちょっと精度が下がったような気もする。それでもグローリアの中盤、Qui tollis peccata mundi, miserere nobis... の部分では、伝統的バッハ造形が援用されて、もう過去の録音でしか聴けないような重厚な音響が立ち昇っていたために、ちょっと感激であった。
by Sonnenfleck | 2010-03-14 17:44 | 演奏会聴き語り

フランク・ブラングィン展@国立西洋美術館(3/7)

c0060659_21141646.jpgうそ寒い雨の日曜日でした。初春の守護聖人・サン=カンシオンもお手上げだな。

夕方にすっぽりと時間ができたので、せっかく東の方に出てきていることもあるし、ArtScapeをむりやり携帯のブラウザで見て(ぶらあぼもArtScapeも早く携帯ページを作ってくれえええ)、西美にあたりをつけて上野に向かいました。日曜夕方の美術館は総じて空いていて素晴らしい。

画家、壁面装飾家、工芸デザイナー、建築・空間デザイナー、版画家、コレクター。多彩な顔を持つ、ベルギー生まれ・英国を代表する作家フランク・ブラングィン。国立西洋美術館の礎となった松方コレクションは、この男の存在なくして語れない。
ということらしいね。この展覧会は大当たり!面白かった!

画家で工芸デザイナーで建築デザイナーで、、とマルチな美術家だったフランク・ブラングィン(1867-1956)。教科書に名前が記されるような超一流の芸術家ではなかったのかもしれないけど、そこから一段下、マイナーリーグの超一流のような気がする。この展覧会を見て強く感じた。

◇画家として
1. 《海賊バカニーア》(1892年)
c0060659_22154619.jpg部屋を照らし出すほどに眩しい海の絵。カッ、と光る。
こんな小さなjpgデータでは何の手がかりにもならないけども、緑がかった深い紺藍色の海、暴力的な赤、テキトーにかすむ白壁の家が醸し出す空気感は恐るべきものがある。
海賊のおじさんたちもダルかっこいい。

一方、同じ部屋の中に掛かっていた《海の葬送》という作品は(主題から離れた部分だけども)、海の生臭さや有機的な脂っぽさを描いて現実的な海を示している。ブラングィンは船員として働いていた時期もあったそうで、観念としての海と非情に観察された海と、両方を内面に持っていたんだろう。

2. 《白鳥》(1920-21年)
c0060659_2355950.jpgタペストリー的と言ったらいいのか、ブラングィンの絵画は込み入っていればいるほど奥行きが減少し、形と色の併置状態になるのが興味深い。
この作品も遠くからメガネを外して眺めると、空色と白と橙色の抽象画のように見える(ほとんどカンディンスキーすれすれ)。同様の傾向が《ラージャの誕生日の祝祭》《市場の露店》などいくつもの作品に認められる。

◇工芸デザイナーとして
3. ビングの店アール・ヌーヴォーの外壁のステンシル・デザイン(1895年頃)
4. ダイニング・チェア(1902年頃)
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そして、アール・ヌーヴォーの最大公約数のようなデザインを数多く生み出している人でもある。「元祖」に近い人ほどあっさりしているのはどの世界も同じみたいで、このアール・ヌーヴォーには退廃性は感じられず、むしろ徹底的に軽い。

+ + +

松方幸次郎の協力者としてのブラングィンも、この展覧会で語られる部分。
松方がコレクションを公開するために構想していた「共楽美術館」の設計と内装デザインが、ブラングィンに任される。後半部分に「共楽美術館」再現CG放映および空間再現が行なわれているのも、この展覧会の面白いところで、ブラングィンのデザインしたベンチ(復元)に座って作品が眺められたりする。

レンブラントのような版画群、お皿にカーペットにキャビネット、第一次大戦の戦意高揚ポスターまで、ありとあらゆるものをデザインせずにはいられなかったようです(絵画も版画も、広くデザインの一環だったんだろうね)。細かい作品も多いので、ぜひ混み合わぬうちにどうぞ。
by Sonnenfleck | 2010-03-12 23:39 | 展覧会探検隊

無題のドキュメント:バッハ

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【SONY CLASSICAL/5033832】
<バッハ>
●トッカータ ホ短調 BWV914
●イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
●パルティータ第2番 ハ短調 BWV826
●フランス組曲第6番 ホ長調 BWV817
●ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番 イ長調 BWV1015*
⇒ロベール・カサドシュ(Pf)+ジノ・フランチェスカッティ(Vn*)

友人宅で聴かせてもらって、電撃的に痺れた一枚。
どこを探し回っても全然見つからず、その友人に頼み込んで譲ってもらおうとまで考えていたのだが、期待しないで入った雨の日曜のお茶の水のディスクユニオンで、ついに見つけた。

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恣意に満ち満ち凝りに凝った00年代のバッハだっていいのですが、この50年前のバッハには強い衝撃を受ける。
晴れ渡った真っ白な砂浜のようでいて、そのくせ歌う貝殻や装飾的海草もなく、音波だけが規則正しく押し寄せてくるようで。これほど精緻に作り込まれた人工物があっていいのだろうか?
グールドのバッハは不自然の姿に擬態した自然なのだろうと思うが、カサドシュのバッハは自然の姿に擬態した不自然ではないのか?騙されていいのだろうか?トッカータの後半、あるいはパルティータ第2番のサラバンド→ロンド→カプリッチョにおける、いささかのささくれもないツルリとした音の流れ。

さて、カサドシュの人工砂浜に呼ばれてきたフランチェスカッティは、お構いなしに虹色のビーチパラソルを立ててしまうのです。ターコイズブルーのビキニパンツなんかも穿いたりしてね。
でもピアノは毫ほども動じずに精巧な波を提示し続ける。その上からさらにお構いなしに燦燦とした音色を放射し続けるヴァイオリン。BWV1015の黄金比には目の眩むような思いがする。僕がカサドシュ+フランチェスカッティのデュオのことが最高に好きな理由はこの辺にあるんだよなあ。
by Sonnenfleck | 2010-03-07 22:39 | パンケーキ(18)

モンテヴェルデ屋襲撃

更新を心待ちにしているブログやサイトの数を数えだしてしまうと、両手両足の指を使っても到底足らないわけだが、その中でも特に文章が美しくて好きなのが「Langsamer Satz」「音のタイル張り舗道。(旧『はた迷惑な微罪』)」、そして「ゴロウ日記」なのであります(敬称略)。文体の傾向は三者三様ながら、この方たちのような文章が書けたら悔いはないなと思いながらの日々。

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c0060659_21471510.jpg【Virgin/5099923614024】
●モンテヴェルディ:『愛の劇場』
→ヌリア・リアル(S)
  フィリップ・ジャルスキー(C-T)
  シリル・オーヴィティ(T)
  ヤン・ファン・エルザッカー(T)
  ジォアン・フェルナンデス(Bs)
⇒クリスティナ・プルハール/ラルペッジャータ

このアルバムは、その「音のタイル張り舗道。(旧『はた迷惑な微罪』)」さんが取り上げていたもの。
そして、僕のモンテヴェルディ観がすっかり変ってしまった記念の一枚。

ラルペッジャータ、というアンサンブルは名前のみ知っていて、エスニックなスタイルを売りにしているようだ、ぐらいの理解でありました。偏狭なクラヲタ精神に蝕まれているせいで、辺境的な演奏に近づくのがなんとなく恥ずかしいナ、という阿呆な想念も、このアンサンブルを見つけるタイミングを遅らせた。

モンテヴェルディはアレッサンドリーニもサヴァールも一応聴きましたが。彼らのような「ヌーヴェル・キュイジーヌ」でさえ、この食材にもってりとクリームソースを掛けて料理していたんだなあ。ラルペッジャータの演奏を聴いてしまって、なんだかそういう気がした。
この、香草というか山菜というか、いずれ古い時代の強い残り香を伴う繊維質の音楽に、厚いクリームを纏わせるのも一つのやり方ではありましょう。しかし自分には、クリームによってその瑞々しい歯ごたえや苦みがスポイルされていたように思われる。むしろスパイスと岩塩だけで味つけするラルペッジャータのやり方は、僕にとってはこれ以上考えられないくらい、モンテヴェルディの本質を浮かび上がらせているように感じられるのです。

+ + +

たとえば(いきなりアルバムの最後で恐縮だけども)、トラック16の〈西風が戻り〉というナンバーの軽快さ。余白が多いスコアの隙間を乳成分で満たしてしまうのではなく、岩塩の粒々でむしろ隙間を拡げて空気を含ませてしまう。チャッコーナのチャキチャキした軽さをこのように表現するのかあ。すごいなあ。。そしてジャルスキーとリアルの声で決定的に背すじを射抜かれるステレオ。

それから、ああこんな曲があったんだな―トラック3の〈ずっとあなたを見つめ〉
これは《ポッペアの戴冠》のフィナーレを飾る二重唱とのことで、天国的に美しい音響。僕がラルペッジャータを称賛したいのはまさに、こういうゆったりとしたナンバーにしつこさが微塵もないという点なんだよねえ。擦弦楽器はあってもごく薄く振りかけるくらいに、逆に強く撥弦楽器のスパイスを効かせて(トラック6の〈苦しみが甘美なものならば〉、トラック10の〈安らかにみな忘れ〉などみなそうだ)。

でねでね。トラック2〈ああ、私は倒れてしまう〉の異様な表現は、ぜひご自分の耳で確かめてみてほしいス。セクシーすぎるコルネットの音もあり、、アントネッロのライヴだと瞬間的にこんな感じになってることは珍しくないけどね。。しかしジャルスキーの声はエロいな。。
by Sonnenfleck | 2010-03-04 21:55 | パンケーキ(17)