<   2010年 04月 ( 8 )   > この月の画像一覧

ショルティ・ライム

c0060659_10392638.jpg例年通り、本業が劇的な一ヶ月間だった。疲れた。
今日この「昭和の日」は一切の生産的活動を停止し、ブログなどの非生産的活動に終始することに決めた。いま決めた。

+ + +

いつも楽しみな<世界のキッチンから>シリーズの最新作は、「ソルティ・ライム」
スポーツ飲料系の味は「岩塩」の文字と半透明の液色からすぐに想像がついたけれども、香料のバランスが思いのほか独自路線で、好きだな。ビタミン摂取やらアディダス共同開発やら、今や打算に堕ちまくっているスポーツ飲料と一線を画すのは、飲み物は美味しくあるべきという自然なスタンス。真理のジャンクドリンク。

+ + +

友人から借りて、返せなくなったショルティ/VPOの《魔笛》ハイライト盤を聴く。
(もしここを見ていたら連絡ください。返せていないことを悔やんでいます。)
ドイテコムのクイーンとシュトルツェのモノスタトスが強すぎて夜の国大勝利!!な歌手陣を、しかしいささかも意に介さず、すっぱすぱと正道に切り分けて太陽教団の勝ちにもっていくショルティ。心裡にスポーツドリンク。
by Sonnenfleck | 2010-04-29 11:21 | ジャンクなんて...

ブロムシュテット/N響 第1671回定期公演Cプロ(4/17)

長引いている謎の咳を診てもらうため早くに家を出ると、外にはまだ前夜の雪が残っていました。郷里で過ごしてきた「4月」はおずおずとしているのが常だったから、初めて上京したとき、春の人懐っこさと力強さに衝撃を受けたが、今年の東京の「4月」はまるで北国のようによそよそしい。

+ + +

c0060659_9383813.gif【2010年4月17日(土)15:00~ NHKホール】
<ベートーヴェン>
●Pf協奏曲第5番変ホ長調 op.73 《皇帝》
→ルドルフ・ブフビンダー(Pf)
●交響曲第3番変ホ長調 op.55 《英雄》
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団


咳を(幸い、「謎の」は取れた)抑える薬を飲んで、NHKホールに向かう。
一ヶ月前のインバル/都響のベートーヴェン・プロ(皇帝+運命)とは、いきおい、比較関係になるのだが、あのときとはまるで正反対の音楽が存在することになったのだから、つくづくベートーヴェンって面白いなあと思う。
(後半は薬由来のひどい眠気に襲われてしまったために、誠実な鑑賞態度を維持できなかったので、今回は前半に関してのみ感想文を書きます。)

《皇帝》は華々しいけど奥行きのない作品だなあと、正直、思っていた。
炭水化物系のたとえを使うなら、チーズがごってりと乗ったパンだとか、二郎の麺だとか、そういうものをイメージしていた。でもこの日の演奏は、ひとことで表すならおコメの《皇帝》だったと言える。この作品がこんなに飽きの来ない、聴き疲れしない姿になることがあるんだなあ。

まず第1楽章の最初の和音を聴いて、つややかなのに非常に透き通っていることに驚く。確かに編成が小さかったし、響かないホールで聴いているから、そもそも豊麗な響きにはならないんだろうけど、どうもそれ以前にブロムシュテットがかなり細かくバランスをいじっているような気がする。でも、おうおうやっとるわい、、というあざとい雰囲気にならないのが最近のブロムシュテットの面白いところだと思います。
要するに、炊き立ての白米の中に、管楽器の「オコゲ」が顔を覗かせたりする絶妙のバランスが幾箇所も聴かれたというか。もとは同じ白米であるところの「オコゲ」であって、決して梅干しではないというか。

第2楽章第3楽章は異様に精緻で、コンチェルトグロッソのような認識のフラット感+実音響の多層感が、心にドキドキ、かつ耳に心地よい。
このように聴こえる理由はピアニストのブフビンダーにも求められそうな気がしました。第3楽章のはしゃぎがちなロンド主題においてすら、ほとんど浮上してこない潔さ(悪く言えば目立ちたがらなさ)が、自らをして、やはり梅干しではなく「オコゲ」としてキャラクタライズする。フラットエンペラー。20世紀の皇帝は死んだ。
by Sonnenfleck | 2010-04-24 09:11 | 演奏会聴き語り

所蔵水彩・素描展@国立西洋美術館(3/7)

c0060659_9263248.jpg3月12日エントリの続き。
フランク・ブラングィン展をひととおり見終えた後、閉館までの1時間弱を平常展に充てようと思って順路を辿っていたら、途中の小部屋でこの「所蔵水彩・素描展」が。ところがこのミニ企画展が、残り時間でちゃちゃっと見るにはあまりにも惜しい優品・佳品揃いだったんだよねえ。。

水彩や素描といった紙の作品は光や湿度、温度の変化に弱いので、所蔵作品とはいえ普段の展示機会はほとんどない。
アングルとドラクロワから始まって、モネ、セザンヌ、モロー、シャヴァンヌ、セガンティーニ、シニャック、ルオー、ピカソ、藤田、マティスまで、筆や鉛筆の運びが想像できるくらいの小さな画面を独り占めできる贅沢!ミーハーなお客さんはそもそも西美の平常展まで足を踏み入れないので、まず鑑賞の環境自体がしっかり守られていると言える。これは東京では大きい。

1. セザンヌ 《舟にて》(1900-06年)[鉛筆の下描、水彩、紙]
c0060659_9265019.jpg
実物は12.5 x 22.0。小さい。小さいが極上の揺蕩。
セザンヌ最晩年の作品に属する水彩です。同時期のいくつかの「サント=ヴィクトワール山」シリーズと同じように対象が揺らいで形を留めなくなっているけれども、水彩のマチエールがその揺らぎを自然に受け止めているよね。
キャプションに「音楽的」という言葉があった。
セザンヌはリズムをぶつけ合ってあたかもハーモニーみたいに見せるのが得意だと思うんですが、この作品はその手法に拠っておらず、むしろハーモニーそのものに回帰してきているような気がする。

2. モロー 《聖なる象(ペリ)》(1882年)[水彩、グアッシュ、紙]
c0060659_927770.jpg
このクドさを油彩でやられた日はたまらないが(いや、モローの大部分の作品はそうなんだけど)、恐ろしく緻密な画面ですね。隣に掛けられた聖チェチーリアを描いた作よりも、象の鼻と天人の翼が美しい本作のほうがメロディアスな不思議。

+ + +

全部で40点に満たない出品数なので、特に、なるべく人のいない時間帯を選んでお運びください(日曜日の夕方とかね)。5月末まで。

+ + +

このエントリを書きながらミュンシュ/パリ管の幻想交響曲ライヴ(Altus)を流していたんだけど、驚くほど合わない。
by Sonnenfleck | 2010-04-18 09:30 | 展覧会探検隊

(Violin), Voice and Ensemble

上野のパルジファルにも行かず、初台のBCJマタイにも行かず、溜池山王の「ドレスデン・アーメン」プログラムにも行かず、本業年度始を今年も無事に乗り切った。

c0060659_22554987.jpg【DGG/UCCG1466】
<バッハ>
●《マタイ受難曲》BWV244から第51曲〈私のイエスを返してくれ!〉
●カンタータ第140番《目覚めよ、とわれらに声が呼びかける》BWV140から
 第3曲 二重唱〈いつ来てくださるのですか、私の救いよ〉
●カンタータ第204番《私は自分の中で満ち足りている》BWV204から第4曲 アリア〈この広い大地の宝が〉
●カンタータ第32番《慕わしいイエス、私の願いよ》BWV32から
 第3曲 アリア〈ここ、父の住み家に〉
●カンタータ第205番《破れ、砕け、こぼて墓穴を》BWV205から
 第9曲 アリア〈心地よい西風よ〉
●《ミサ曲ロ短調》BWV232から〈私たちはあなたを讃美します〉
●カンタータ第157番《あなたを離しません、祝福してくださらなければ》BWV157から
 第4曲 アリア〈そうだとも、私はイエスに固くすがる〉
●カンタータ第59番《私を愛する人は、私の言葉を守るだろう》BWV59から
 第4曲 アリア〈すべての王国をもつ世も〉
●カンタータ第58番《ああ神よ、いかに多き胸の悩み》BWV58から
 第3曲 アリア〈私は苦難の中でも満ち足りている〉
●カンタータ第117番《讃美と栄光がいと高き宝にあるように》BWV117から
 第6曲 アリア〈慰めと助けは、いつかは必ず欠ける〉
●カンタータ第158番《平安がお前にあるように》BWV158から
 第2曲 アリアとコラール〈世よさらば、私はお前に疲れた〉
●《マタイ受難曲》BWV244から第39曲 アリア〈憐れんでください〉(メンデルスゾーン版)

→ヒラリー・ハーン(Vn)
  クリスティーネ・シェーファー(S)、マティアス・ゲルネ(Br)
  クリスティン・フォン・デル・ゴルツ(Vc)
  北谷直樹(Cem, Org)、ロザリオ・コンテ(Tb)
  ヘンリク・ヴィーズ(Ft)
→アレクサンダー・リープライヒ/ミュンヘン室内管弦楽団

去年、ラトルのブラ全(国内盤)を衝動買いした友だちから唆されて、思わず国内先行発売のときに買ってしまったハーンのバッハ・アルバム。

ハーンのファンの方ってたくさんいらっしゃると思うので、いかにも心苦しく、ここからは声を小さくしますが、、僕は彼女のヴァイオリンに「余白のなさ」みたいなものを感じるんですよね。自分のように、あれやこれやと妄想したい人間にとっては、一から十まで完璧にコントロールされたパライソは澄明すぎて辛い。
交響楽団だとか、弦楽四重奏であるとか、とにかく二人以上のパフォーマンスであればむしろ澄明のほうが好きなのに、弦楽器ソロとなると途端に辛い。なぜこのように感じるのかはわからない。

このCDも最初のうちはハーンの音しか聴こえなくて、あーやっぱこの人とは相性悪いんだなーと思っていたのだけども、よく聴いていると、実は稀に見るほど優れたアンサンブルが楽しめるアルバムなんじゃないかという気がしてきた。
澄明な弦楽器ソロ+澄明なソプラノ+澄明なバリトン+澄明な室内管弦楽団で、複数形澄明に転回するのがミソその1なのかなと思う。A=442のピッチで演奏されたモダン・バッハの完成形にして最後の末裔という感じもあり(カラヤン直系ではなくバウムガルトナー直系、という感じの清潔感がミソその2)

さらに、この演奏がモダン最後の末裔であったとしても、古楽風味が上手に混ぜられているのが心憎い。
バイエルン放送響の首席にトラヴェルソを、ミュンヘン・フィルの首席にObダモーレを吹かせ、元フライブルク・バロック管の名手にBCVcを任せ、鍵盤とテオルボにやはり名手を呼んでるんですよね。その結果、トラック1トラック8トラック9など明確に古楽テイストをまといながらモダンの押し出しの強さを兼ね備えた音楽が出来上がっているというわけ。

全方位を克明に塗るハーンのオブリガートはとりあえず措くにしても。。
by Sonnenfleck | 2010-04-15 23:00 | パンケーキ(18)

on the air:ブロムシュテット/N響、春の新マーラー

謎の咳が3週間も治まらず、ライヴから遠ざかっている。
この日もFM定期会員。間が大事な作品がNHKホールで演奏されるときは、FMで聴くのが一番、NHKの収録力は世界一ィ!というのが持論。

+ + +

c0060659_18421184.gif【2010年4月10日(土)18:00~ NHKホール】
<第1670回定期公演>
●マーラー:交響曲第9番ニ長調
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団
(2010年4月10日/NHK-FM 生中継)

少し前だったら、こういうマーラーは嫌いだったかもしれない。
表面はざらりとしたマットな仕上げ。
縦方向は空隙が多く、決して均一ではない。
横方向への流れも、人間の呼吸のように、やはり均一ではない。
でも、そうだ、ブロムシュテットはこれだ。予想に違わずこれだ。素晴らしい。

宇野功芳が(いつも持ち出してしまうのはきっと「オヤジ」への反抗心なのですが)「生への凄まじい執着といえよう」と表現するこの作品は、FMマエセツで沼野雄司氏が言ったように、ストレートな葬送行進曲が実は存在しない、珍しいマーラー作品でもあるんだわなあ。
そんなことを思うと、この演奏の第1楽章がカラフルなサラダボウルというか、音色セリーみたいに聴こえるのは、とても新鮮だが、そのことにこちらが気づいていなかっただけで、まったく自明のことなのかもしれない。

陰気な皮肉が快速3/4拍子で遠心分離されて、いとも軽やかな第2楽章
ホ長調(B部分?)に突入すると、運動体としての健やかな面白さがさらに強調される。2年前に同じ組み合わせで聴いた《グレイト》のときに「各要素が悪戯っぽく自己主張しながら、それでもふわっと1本にまとまって流線型に推進している」って書いているんだけど、これはそのまま今日も当てはまるなー。あー面白ぇー。ディヴェルティメントだ。
これが82歳ブロムシュテットが僕らに伝えてくれる芸道。なんだろうと思う。

第3楽章がこれまた面白いのは、フツーの演奏ならここで一気に響きを刺々しくしてそれらしい雰囲気を醸成しようとするところ、むしろ逆方向に突っ走ってレガートを(かなり)増量し、今まで以上に繊細優美な音色にしてしまうところ。こういうやり口は初めて体験するぜ。

そんななかで第4楽章がどのように表現されるかについては、それまでの楽章の間中、脳内会議の主要議題だったのだが。
それまで粒状・線状だったマチエールが集合し、太い綱のようにして揺らぐ。これは当然かもしれない。でも、ここに至るまでのバラケ具合が良好だったためか、いざ集合してもずいぶんしなやかに、呼吸するように揺らぐんですね。そのためにトゥッティが官能的なメロディを熱っぽく歌い上げる際にも窒息感がない。かと言って、圧力が弱くて届かないという状況とは根本的に違う。

そして、なぜそのように感じるかわからないのだけど、この演奏からは肯定することの幸福みたいなものを強くイメージするんですわなあ。「おじいさんが指揮するマラ9」的なものをなんとなく期待していた自分の脳髄は、何かまったく新しいものをスパコーンと提示される。N響も素敵でした。
by Sonnenfleck | 2010-04-11 18:57 | on the air

on the air:ハーディング/マーラー室内管のブラ3(およびtwitterについて少し)

【2009年3月30日 ブダペスト・バルトーク国立コンサートホール】
●ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 op.90
⇒ダニエル・ハーディング/マーラー室内管弦楽団
(2010年4月4日/NHK-FM)

全編にわたってリズムの取り扱いが衝撃的であった。
宇野功芳が例の新書で、ブラームスは魚座だからウジウジしててだめだ、とか書いてた遠い記憶があるんだけれども、ハーディングのブラームスは「今日の運勢、第1位は魚座のあなた!」みたいな爽快なかっとびセンスに溢れる。
それから、ブラームスが愛するシンコペーションを、あえてしんなりしたブラームスらしさの文脈から切り離すと、シューマンにそっくりの熱狂的な形をしているのがようくわかったですな。

たとえばボールトのブラームスを愛する方にとっては、このハーディングのブラームスは冒涜としか感じられないかもしれません(しかし一方で、この第3交響曲ならではの、後ろ髪を引かれるような終筆の美しさを失っていないのは素敵と言わざるを得ない)。この調子でいろいろ聴かせてほしい。新日でも。

+ + +

これだけ書いて本体だけで350字。twitteryな場所には入らない。

土曜朝に移動したNHK『世界遺産への招待状』、3日に放送されたモロッコ・マラケシュの回を見た。かつてのサハラウィ(砂漠の交易民の末裔)のキャンプが、住民たちの移住によってほとんど廃墟と化しているんだけど、まだキャンプに残って移住の是非を巡りあーだこーだと論争し続けているサハラウィもおり。

なんかな。今のクラブログ界隈を見ているようだったんですわ。面白いことを言っていた人たちはみーんなtwitterに行ってしまって、僕のようなうだうだ残留民もおり。この「普通ブログの過疎化」ってきっとクラ界隈だけの現象じゃないんだろうな。でも今さら、普通ブログは離れられ、ぬ。
by Sonnenfleck | 2010-04-10 01:48 | on the air

春初めての西風を感じて

年度末年度始。

c0060659_2231224.jpg【DHM/88697630232】<ヘンデル>
●カンタータ《ヴィーナスとアドニス》、《心が躍る》
●トリオ・ソナタ op.2-3、2-5他
→ゲンマ・ベルタニョーリ(S)
⇒アンサンブル・ゼフィロ
  アルフレード・ベルナルディーニ(Ob)、
  パオロ・グラッツィ(Ob)、
  アルベルト・グラッツィ(Fg)、パオロ・ズッケリ(Vl)他

ヘンデルやテレマンを聴いて恐ろしく安心している自分を客観的に見ると、もしかしてバロックのストライクゾーンが途轍もなく狭いんではないかと不安になってくるがそんなの気にしないのよ。

このディスクは、ベルタニョーリというソプラノを迎えたカンタータがメインディッシュのようだけど、僕はむしろ副菜のトリオ・ソナタにめろめろになってしまう。
ここに収録されているトリオ・ソナタは全4曲で、op.2-32-5のほかに、ト短調 HWV393ヘ長調 HWV392/401。学生時代へのノスタルジーから、作品2と作品5のほうを贔屓しがちなのはどうかご理解いただきたし。

新鮮な驚きをもって聴くことになったのは、通奏低音に至るまで管楽器メインで演奏されたop.2-3。ご丁寧にチェンバロもいない。
変ロ長調のさりげない幸福感が、通常よりもずっと多く満ちているこの空気。第2楽章は「これぞヘンデルのトリオ」というような爽快なアレグロですが、上の二声が両方ともオーボエだとこんなに柔らかな音響になるんだね。拍感を維持しつつカチャつかないのは偉大。
唯一のごしごし楽器であるヴィオローネも、ファゴット・テオルボ・オルガンの中にあってはいたずらに威を示すこともなく、全編を通じてひっそりと行間に溶け込んでいるのみ。おっとり編成BC隊の中ではファゴットが活発すぎるという気もするけど(第4楽章とかね)。

一方op.2-5は、ト短調の硬質な響きが、オルガンの代わりに登場したチェンバロによって強調される。同じように爽快なアレグロである第2楽章も、op2-3に比べると幾分エッジが鋭いんだよね。チェンバロの輪郭線ドローイング機能に改めて感心するところだし、ゼフィロの老獪な技巧に感心するところでもある。

+ + +

ベルタニョーリが加わると、響きはもう少し複雑になる(当たり前か)。
もしかしたら以前にどこかで聴いているかもしれないが、このソプラノの声は吐息成分が多くて、ざらざらとした麻のような肌触りです。ロハス。子音が細かく音を区切るドイツ語のカンタータより、母音がすらりと伸びるイタリア語のカンタータの方が強みが出ると思った。
by Sonnenfleck | 2010-04-02 22:33 | パンケーキ(18)

野放しの「非実在巨匠」を規制へ 都条例改正案

野放しの「非実在巨匠」を規制へ 都条例改正案(asali.com/4月1日)

 東京都は1日までに、80歳以上と判断される高齢の音楽家への誇大な賞賛行為を業界の自主規制の対象にした上で、事実に反する内容の商品は青少年の購入、鑑賞を禁止する青少年健全育成条例の改正案を定例議会に提出した。

 都によると、「野放し状態」となっている「最後の巨匠」「巨匠最後の来日」などといった誇大広告から青少年を保護することが目的で、全国でも初めての試みという。一方、識者からは「表現の自由が侵害されかねない」などの反対意見も出ている。

 改正案では、服装や外見、動作などから80歳以上と判断されるが、実際の中身が伴わないケースを「非実在巨匠」と定義。こうした高齢の音楽家への事実に反した盲目的賞賛が見られる商品を、これから鑑賞眼を磨くべき青少年に触れさせないよう業界に自主規制を求めた。
 そのうち、巨匠風に見せかけて単に弛緩した演奏など著しく悪質な内容の商品は不健全録音に都が指定するとした。

 音楽評論家の鵜野功鵬氏は「巨匠の味とは、80歳以上になれば自然とにじみ出てくるものといえよう。知らなかったとは言ってほしくない」とコメントしている。また、同じく音楽評論家の吉口秀和氏は「私は巨匠なのかしら」とコメントしている。
+ + +

うーむ。どさくさに紛れてえらいことになってしまいそうです。
うちみたいな素人ブログもやがて規制されたりするのかなあ。。
by Sonnenfleck | 2010-04-01 06:07 | 日記