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晴読雨読:青柳いづみこ『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』

c0060659_18533030.jpg青柳いづみこ『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』、1997年、東京書籍(2008年、中公文庫)

面白かった。新たな視点が提供された。
ドビュッシーが、特に彼のテキスト付き作品において「作曲家」ではなく「解釈者」だったと喝破するくだりには、目からうろこの盾でした(痛い)。猫として育てられた犬のように、作曲家として育てられた文学青年・ドビュッシーは、音楽によってテキストに「解釈」を試みてしまう人物だったと。

著者はドビュッシーが音楽化しようとしたものを「いうにいわれぬ秘めた思い=
エクトプラズム」
と名づけている。
この「エクトプラズム」は、演奏家が読譜を元にして内側に想起し、演奏行為によって聴衆に伝えるものと同義で、つまり青柳説に従えば、ドビュッシーがテキスト作品を音楽化した作業というのは、解釈を音楽化する作業に他ならず、演奏行為と何が違うのか、ということになる。

「解釈」命のドビュッシーは、さらに、若い頃の演奏家としての立場からも自由になれなかった。よく知っている聴衆の保守性と、自分の中にある「19世紀末文学ヲタク」の黒々としたぬめりとの間に大きなギャップを見つけてしまい、その妥協点として、ぬめりを脱色して「状態としての印象主義」に甚だ接近してしまった、という言説もなるほどなと思わせる。
未完のまま遺された《アッシャー家の崩壊》は、聴衆の保守性に合わせて脱色された語法が用いられた結果、ドビュッシーが原作から捉えたエクトプラズムの音楽化にも成功していないのかもしれない。確かめたいぞ。

去年の夏、青柳氏が、浜離宮朝日ホールで「アッシャー家コンサート」を開いていたんだけど、いくつかのブログでレヴューを拝見してみると、《アッシャー家...》の遺された部分の演奏のみならず、他のプログラムもまさに本著に語られた内容に即した内容だったようで、行かれなかったのが悔やまれる(《アッシャー家...》のいくつかの主題は、弦楽四重奏曲や〈カノープ〉、《6つのエピグラフ》なんかに共通したものが認められるようです)

+ + +

本著は単純な伝記ではありません。豊富な一次資料を用いて、ドビュッシーが文学ヲタとして出発する原因となった世紀末文学の流れ、彼が《ペレアスとメリザンド》《アッシャー家の崩壊》という2作品へ辿り着くまでの道のり、およびその山に分け入ってからの登山の道行きから、上述のような袋小路にはまるまでを描いていくという、がっしりとした論文です。

それもそのはず、本著の土台は、青柳氏が藝大博士課程の学位論文として提出した文章なんですな。だから、ドビュッシーの真髄を探るには絶対に欠かせない資料なのだけど、論文としての整合性を保つための生硬さが繊維状に残っているので、ちょっと消化には手間取る。読み物としての伝記を期待する人にはあんまりオススメできないかも。熱い内容で興奮するけどね。

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2009年12月、谷中霊園の黒猫。この次はポーを読み返そう。

by Sonnenfleck | 2010-05-30 18:55 | 晴読雨読

真鶴タクシー

藝大でライプツィヒQを聴いたその足で、同行者たちとともに小田原へ。
友人の家に泊めてもらって(地場のサバ塩焼きとアジ刺身、マジ旨でございました)、翌朝、真鶴に行ってみることにする。
関東ネイティブの皆さんにとってはメジャーな観光地なんですかね。僕はこの日まで真鶴という場所の存在を認知していなかった。

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干潮で磯が露出し、岩を渡って岬突端の三ツ石まで30分。滑る足場に悪戦苦闘。途上、海の有機物と触れ合う。ウメボシイソギンチャクって知ってますか。

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てっぺんまで登攀することができる。でもかなり高いのですよ。

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登り切って岬本体を望む。鳥居の残骸と小さなお堂。

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何となしに『狂骨の夢』を思い出す。

by Sonnenfleck | 2010-05-29 09:08 | 絵日記

シューマン生誕200年記念企画 ライプツィヒQ@東京藝術大学

c0060659_20333253.jpg【2010年5月15日(土) 15:00~ 藝大奏楽堂】
<シューマン>
●Pf三重奏曲第2番ヘ長調 op.80
→松原勝也(Vn)+山崎伸子(Vc)+野平一郎(Pf)
●《童話の挿絵》 op.113
→川崎和憲(Va)+鈴木慎崇(Pf)
●弦楽四重奏曲第3番イ長調 op.41-3
 ○同第1番イ短調 op.41-1~第1楽章?
→ライプツィヒ弦楽四重奏団


藝大のコンサートは安くて嬉しい。
一度は聴いてみたかったライプツィヒQの登場を狙って上野へ。

開演前に、国立音大教授の藤本一子氏によるレクチャー「室内楽におけるシューマンのポエジー」が聴けた。
コンサートのオマケで付いてくるレクチャーはなんちゃってなケースがほとんどだけども、今回は藝大主催らしく、真面目なレジュメが配布され、音源も用意され、わりと手加減なく音楽学のレクチャーでした(若干の総花的散漫さはあったけど、ソジェットカヴァートの話がたくさん聴けて嬉しかったです)

冒頭の第2Pfトリオは、残念ながらいい演奏ではなかったなあ。
どうぞどうぞ、いえおたくこそどうぞどうぞ、と互いに気を遣って、寒々しい低空飛行ながらも無事に着陸することがアンサンブルなのだとすれば、あれは見事なアンサンブルだったと言えるでしょう。
僕の聴いた範囲では、原因はヴァイオリンの調子の悪さにあったように感ずる(同行者は鳴りの悪さをしきりに指摘していた)。その低いフェーズにチェロもピアノも合わせた結果、飛翔しないシューマン。浪漫も何もない。

次の《童話の挿絵》は、技量的には十分だったし(さすが川崎氏の安定感は抜群)、掌に乗るくらいのプチロマンが漂っていて、「安心のうちに」聴けた。シューマンの浪漫はたぶん掌には乗らないくらい肥大しているのだけど。

+ + +

で。釈然とせぬまま後半の弦楽四重奏曲第3番
うーん。ライプツィヒQ素晴らしい。
こういうのを聴くとなあ。クラヲタの本場もん信仰が確実に補強されちゃうよなあ。
第1楽章の冒頭、最初のレクチャーでちょっと触れられた「初稿」と思われる不思議な和音が付け加えられて、まずその和音のシルクのような肌触りにノックアウトされてしまった。最近聴いたカルテットではカルミナもその青磁のような硬質さが段違いだったわけだけども、ライプツィヒはちょっと重心の位置が違うというか、細マッチョというか、しなやかで柔らかい筋肉を想像させます。

ライプツィヒの4人が編み上げるテクスチュアのしなやかさは、互いに譲り合うだけで相互の補いすらない前半のトリオと著しい対比を形作る。アンサンブルです。

同行者たちの意見に完全に同意だったのが、このカルテットのVaの個性。
Vaバウアー氏は、他の3人の下支えを完璧にやってのけるほとんど軟体動物のような器用さを持つのと同時に、当人も美音の持ち主のために表面に浮かび上がるとえらく目立つという、ドラクエ5で言えばスライムナイトのような全能キャラなんだよなあ。ライプツィヒQのしなやかさの多くの部分は、彼の能力の高さに関わっているような気がする。
by Sonnenfleck | 2010-05-26 20:35 | 演奏会聴き語り

イーヴォ・ポゴレリチ リサイタル@サントリーホール(5/5)

4月28日のデュトワ/フィラデルフィア管との超対決、5月3日の怒号飛び交うLFJ出演などのレヴューが上がるにつれ、この伝説を聴き逃すわけにはゆかぬと思われて、5月5日の当日券に並ぶことにした。
カラヤン広場に薫風吹き抜けるこどもの日、30枚の当日券を求める長蛇の列は、おのおのの時間を心地よい期待のうちに過ごしたものと思われる。あの中の誰が、その後展開されることになる人心惑乱時間を想像していただろうか。

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c0060659_10142736.jpg【2010年5月5日(水) 14:00~ サントリーホール】
●ショパン:ノクターン第18番ホ長調 op.62-2
●同:Pfソナタ第3番ロ短調 op.58
●リスト:メフィスト・ワルツ第1番
●ブラームス:間奏曲イ長調 op.118-2
●シベリウス:《悲しきワルツ》
●ラヴェル:《夜のガスパール》
⇒イーヴォ・ポゴレリチ(Pf)



開場遅れること10分、開演遅れることさらに15分。
極端に照明を落とした暗い舞台に、急ぐでもなく悠々と歩み出てくるポゴさん。

前半のショパンとリストの80分間は、この二人の作品に縁遠い僕にとっては、まさしく気が遠くなるような時間でありました。
かの有名な停滞的テンポと極端に幅広のデュナーミクを全身に浴びることで、こちらの集中力は十数分で完全に切れ、幾度も短い眠りに落ち、目覚めてもまだ曲の終わりが来ない地獄。「吉田秀和 meets クナッパーツブッシュ」を追体験した。

プログラムに掲載された過去のインタビューで、こう語るポゴさん。
「私の音が長く続くのは、それが深い響きだからです。私はやたら速く弾くなどということを好みません。もちろん、非常に速く演奏することはできますよ。けれど、深い音には長い生命があるのですからね。響きを維持することを好み、2つの音を直ちにひとつの線に連結することは求めない。それよりも私は、をみたいと思うのです。」(「ムジカノーヴァ」2006年1月号)
ぶつかり合った音符が虹のように透き通って、人智を超えていた瞬間も多かったけれど、あるいは絶望的に混濁して、雨のアスファルトに滲んだガソリンの虹のように醜悪な瞬間も多かったのは事実。

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後半、急に追加されたブラームス、それからシベリウスは、原曲を多少知っているために、前半に比べればまだポゴレリチの行為が追い易かったといえる。(プログラムの前半は、だからショパンをしっかりと知っている人なら、凄まじい感激に襲われたのかもしれなかった。)
いま、比較の試みにアファナシエフのop.118-2を聴いてみました。
そうすると、アファナシエフがいかに遅いテンポを以て任ずるピアニストであったとしても、彼の咀嚼はあくまでも理知の辺縁に踏み止まっているのだということがよくわかる。つまり、シンプルに歩くのが遅い人と、意識の森林をさまよいながら足を前に運んでいるだけの人では、速度の意味が違いすぎるということ。

深い森や臭いのする沼地に変わってしまったブラームスのスコアは、拍動や旋律がばらばらにほどけて、和音の雰囲気だけがゆらっとたちこめる異様な空間として示されました。このやり方を、ポゴレリチはここまでのすべての作品に同じように適用するという本当に野蛮なことをしていたのだけど、作品側からの反応・照り返しが最も良かったのは、意外にもブラームスだったように思った。

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《夜のガスパール》。これはたぶん、昔のポゴレリチの「かたち」が破壊されずに残っていた。
ピアノという黒い楽器の秘孔を突いてビーストモードに変えてしまうポゴさんの手腕は魔術的であったが、また同時に、この日唯一、自分がステージに立っている世界的ピアニストで、聴衆に囲まれていることを思い出した瞬間だったのではないかと思う。コンサート会場で聴くホロヴィッツというのは、こういう感じだったのではないかと、なんとなく想像する。

心胆コールド。しかし、久しぶりに、藝術行為を聴いたような気がします。
by Sonnenfleck | 2010-05-22 11:33 | 演奏会聴き語り

ティエリー・フィッシャー/名フィル 東京公演2010(5/17)

c0060659_21324131.jpg【2010年5月17日(月)19:00~ サントリーホール】
●オネゲル:交響曲第4番《バーゼルの喜び》
●ラヴェル:Pf協奏曲ト長調
→北村朋幹(Pf)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 op.47
 ○プロコフィエフ:組曲《3つのオレンジへの恋》
  op.33bis ~第3曲〈マーチ〉
⇒ティエリー・フィッシャー
  /名古屋フィルハーモニー交響楽団



月曜日のソワレなんてホントに絶望的だったのですが、運良くうるさい上司が全員出払ってくれて、ほいほいと溜池山王へ(ミラクル1)
そうして当日券の列に並んでいたら、まるで冗談みたいなんだけど、僕の目の前で非情の完売コール。
途方に暮れていると、今度は親切なおじさまが、来られなくなった友人のチケットを譲ってくれると(ミラクル2)。もう、これはクラシックと名古屋とサントリーの神様のおかげに違いない。。おじさまに全力で感謝。。

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さて、自分の贔屓がみんなに発見されることほど嬉しい出来事は、そんなに多くない。これまでこのブログでは、フィッシャー+名フィルの良さを微力ながらも伝えてきたつもりであります。この夜をもって彼らが東京の楽壇に「実際の」姿を現し、また聴衆を虜にしたことは、その良さが認識されるのを十分に扶けたものと思う(悔しいけれど、日本のクラ世論の中心はたぶん東京だ)。

オネゲル《バーゼルの喜び》ではまだ十分にエンジンが掛からない。第1楽章冒頭は薄い弦がふらふらっとしていかにも頼りなげだったけど、終盤のタムタムに乗せる透明なパッセージのあたりから、僕の知っているフィッシャーサウンドが現れます。
第3楽章では顕著に、この数年で名フィルがちゃんと進化したことがわかる。フィッシャーの要求する小股の切れ上がった鋭いリズムがクリアされていく様子…。これは、かつて聴いたフィッシャー+名フィルの《ダフニスとクロエ》の「あと一歩」感が、確実にブラッシュアップされた結果と思われて、何かとても嬉しいのです。

続くラヴェルの協奏曲、いよいよ親方の本領発揮ですね。
ソロの北村くんは青年っぽいシンプルなロマンティシズムに不思議な粘り気が伴って、当方の予想を裏切る。その粘性を推進力燃料に変換して、強く主張するのがこの夜の伴奏だったんだよなあ。
前面に出て個性的な表情で歌う木管(ティモシー君に代わる新しいクラの人がクール!)、いくつも仕掛けられた急激なアッチェレランドに負けない足腰を身に付けた弦楽陣(低弦の敏捷な身ぶりには驚かされた)、いずれもハイレベルでした。
フィッシャー特有の冷たく湿ったような音色は、ここでは第2楽章にくっきりと出現した。あれがコンスタントに聴けるのは名古屋クラシーンの特権。

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そして休憩後、タコ5ですよ。これが本当に面白い名演奏であった。
この有名な交響曲において伝記的要素を顧慮しないことは、とても勇気の要る判断だと思う。フィッシャーは墓銘碑も強制された歓喜も何もかも打っ棄って、純粋なバレエ組曲のように、あるいはモーツァルトのように、ニュートラルな愉悦を造形することに全力を投じていたように思う。モダン!

第1楽章冒頭がスピカート気味に跳ねたところから予感はあったけども、展開部の気楽な咆哮にもびびっていてはいけない。
驚くべき諧謔ゼロフリーを達成した第2楽章では、新しい知見がもたらされた。皮肉から自由になると、ショスタコーヴィチのアレグロは運動性に焦点が合うので、まるで干潟から潮が引いていくようにして真摯なモダニズムが現れる。この演奏スタイルはソヴィエトのいくつかの古い録音を彷彿とさせるんだよなあ。第4楽章もやはり軽快なインテンポで威嚇がなく、同様の「ソヴィエト・ピリオド」。いやあ。第5番は初期社会主義リアリズムの最後の煌めきだったのだなあ。

しかし僕らは世知辛い2010年に生きているから、この夜の第3楽章のような慰めの抒情も必要としているわけです。
この楽章のアンサンブルの美しさは大変素晴らしかった。弦楽の全パート全員が本気で静謐な美音を出そうとしていたのが明らかだったし、僕がこれまでに聴いてきた名フィルのベストフォームだったと思います。フィッシャーの霧のような音色づくりが完全に成功して、お客が静まりかえってしまった。名古屋での定演のレヴューは辛口のものが多くて心配していましたけど、なんのなんの。もっと名フィルに自信を持つべきですよ>名古屋の皆さま。

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もちろんライヴならではの傷は方々にあった。それに、以前からこのオケで気になるトランペットの弱々しさが、全然改善されないどころかむしろ悪化しているのは非常にまずい。大胆な改革が要るのかもしれない。そのことを含めても、フィッシャー親方にはさらに長い任期を望みたいのですが、来年2月のマラ9が不気味な存在感を放っている。お別れなのか。

アンコールはショスタコのバレエ組曲でもやったらいいなと思っていたところで、嬉しい《オレンジ》!親方のプロコ愛が伝わるセレクトに、開放感のある陽気なサウンドで応じるオケ。
拍手に応えて、最後に笑顔でガッチリ握手を交わす日比コンマスとVc太田首席の姿を見、フィッシャーがいつまで一緒にいてくれるかわからないけれど、これからも「おらが名フィル」を応援してこうと思う帰途なのでありました。
by Sonnenfleck | 2010-05-18 23:03 | 演奏会聴き語り

溜池山王のナゴヤナイト

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これがフィッシャーサウンド!
by Sonnenfleck | 2010-05-17 20:09 | 日記

精神と時のお買い物XXII(珈琲散歩からの散歩、5/9)

【disk UNION 吉祥寺店】
1 ヴィヴァルディ:HEROES(Virgin) *ジャルスキー+スピノジ/Ensマテウス
2 ドビュッシー:室内楽作品集(ARCANA) *クイケン一家
3 ドビュッシー:ビリティスの歌(DGG) *ドヌーヴ+Ensウィーン・ベルリン

【リブロ 吉祥寺店】
4 中村光:荒川アンダー ザ ブリッジ 10(スクウェア・エニックス)

⇒2と3。いま青柳いづみこ氏の『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』(中公文庫)を読んでいて、この文学ヲタ作曲家の特異性に気がつきつつある。(名著!!なのだが、同時にいかに自分に仏文学の教養がないかがわかって、悲しくなってくる。)特に3はラヴェルとドビュッシーが絡み合った素晴らしい選曲センスで、一も二もなく購入。聴くのが楽しみス。

⇒4。『聖☆おにいさん』で一部おなじみの中村光さんの、もうひとつの側面。最近珍しいくらいアクの強いギャグマンガのくせに、切ない詩情が漂う不思議な作品なんですね。最近アニメ化されたみたいで、とても気になっております。

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【吉祥寺中道通り 珈琲散歩】
5 カルモシモサカ(深煎り)200グラム

さて、素晴らしい五月晴れ。
正午過ぎの「珈琲散歩」に、一番乗り。自宅の豆が底をついて1ヶ月、別の店の別の豆に浮気することなく頑固にコーヒー断ちを敢行していたので、まずこの日席について注文した「季節のオリジナルブレンド 初夏味」に涙が出るほど感激してしまった。
いつもの、ジブリの映画に出てきそうなご主人と奥さんに「カルモシモサカ」の焙煎と挽きをお願いして、20分ほどの至福タイム。これまで頼んでいた「散歩ブレンド」から冒険してみた。どんな味がするだろう。

その後、あまりにも気持ちが良かったので、中道通りを西北方向に直進し、1時間弱の道のりを歩いて帰宅することにしました。武蔵野市近辺は樹陰が多くて嬉しい。iPodでペルルミュテールのフォーレを聴く。
by Sonnenfleck | 2010-05-12 23:06 | 精神と時のお買い物

のだめカンタービレ ‐ 最終楽章 後編(5/4)

ポゴさん@サントリーの感想文は、まだ書けてない。

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c0060659_856494.jpg【2010年5月4日(火) 19:10~ 新宿バルト9】

観てしまった。前編観てないのに。

4コマのように小さなエピソードを積み重ねるのが好きで、なおかつその点で抜きん出ていた二ノ宮さんは、パリ留学以降の長編のストーリーテリングで彼女の持ち味を発揮したかというと、そうではない。

原作のあの結末は、拡げすぎて抱えすぎてしまったものを、自らの手で全部ご破算にするようなヤケクソ感が強く、何かタコ6の最終楽章みたいなものを髣髴とさせた。のだめ原作の長編化の構想自体、作者にとってはもしかしたら不幸だったのかもしれないなあというのが、僕の現時点での結論。(短編的なつくりに戻ってきた原作エピローグの第24巻は普通に面白く、面白うてやがて少し無念。)

月9時代とは異なり、独自演出をやや弱め、だいたい原作通りに作り込まれた今作。それに対してプロットに関する文句を言っても実に詮ないので、思ったこと・同行者と話し合ったことを箇条書きにて。

■3年も経つとみんな顔が変わる。瑛太と小出君はそろそろきつさが漂うね。。
■ヤドヴィは蒼井優がカツラ+カラコンでやればよかった。
■ラヴェルの協奏曲祭りの予感。のだめのイメージCGもいい。
■のだめは伴奏もソロパートも含めて、無理やり全部ピアノで再現していたが、あれはクラヲタ的にはニヤけるポイントだよねえ。あのゴーストプレイヤーもランランなんだろうか…聴いてみたいぜ…。
■山田優の弾いてなさが、ぐるり一周してRuiっぽい。逆に樹里のだめや水川清良はすっかり堂に入っているということがわかる。
■そこ、第1楽章じゃね?
■あれって《ファウスト交響曲》なのか。
■玉木千秋は指揮がずいぶん上手くなった。すごい。
■ベートーヴェンのop.110は名曲すぎる。原作でこれが選曲されたときには非常に驚いたけれども、実写になって流れてくると、戦慄を覚えるくらい。
■少しも変わらず怪しい竹中シュトレーゼマンにも戦慄。
■モーツァルトの2台ピアノはちゃんと暴走してましたね。恐怖の多重ランラン。
■結論としては、地上波お正月スペシャル、とかでもよかった気もする。

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今調べたら、2005年の過去ログで、当時第11巻まで出ていたのだめのことを取り上げてました(恥ずかしいのでリンクは張りません)。この5年ですっかり国民的ヒット作に祭り上げられたのが、なんだか夢のような。知る人ぞ知る秀逸クラ漫画のままであったら、それはそれでよかったのかもしれないな。
by Sonnenfleck | 2010-05-09 08:55 | 演奏会聴き語り

熱狂の復習―【178】ネムタヌ+ドマルケット+シャマユ(5/3)

ポゴさん@サントリーの感想文は、とりあえず措いといて。

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c0060659_23205550.jpg【178】5/3 2015-2100 G409〈グジマワ〉
●シューマン:Vnソナタ第1番イ短調 op.105
●メンデルスゾーン:Pf三重奏曲第1番ニ短調 op.49
⇒デボラ・ネムタヌ(Vn)
  +アンリ・ドマルケット(Vc)
  +ベルトラン・シャマユ(Pf)


5月3日の二公演め。
群衆の中で休息を取るのは非常に難しいということが過去5回分の経験からわかったので、朝一アンタイの後、すぐに会場を脱出して、近くの秘密の隠れ場所に潜伏。夕方からは友人たちと合流して、東京駅南のほうで寿司をつまんだり、ビックカメラで家電を見たりして、夜までの時間を消化する。(うわさの羽レス扇風機、一度見たほうがいいですよ。凄いですよ。)

さてこの公演のチケットは、正直に言ってしまうと、【183】アラ・ポロッカまでのつなぎのつもりで入手したものだったんです。奏者は全員知らないし、まあでもメントリ1番が聴けるんならいいなあ、というくらいで。
でも、これだからLFJは面白い。
5月3日に聴いた三公演の中で、この時間が最も濃密で、素晴らしかった。

まず、シューマンの第1ソナタ。この曲は実は初めて聴いたんだけども、馥郁たる浪漫が立ち昇るシューマンらしい(しかしそんなにビョーキっぽくない)音楽で、これまで知らずにいた贅沢を噛み締めるほかなし。
ネムタヌという若い女性ヴァイオリニストは、あの響かないGの空間でも柔らかい音を維持できる右腕の持ち主で、五月の薫風のように空間を撫でる。お菓子みたいな名前のシャマユというピアニストも、細心の注意を払って部屋の大きさに見合うアーティキュレーションを実現させる。第3楽章で冒頭から上昇しすぎた結果、終盤でそれ以上に持っていけなくなり、全般に少ーしだけ平板になってしまった以外は、とても素晴らしいライヴだったと言えるだろう。おしまいで第1楽章の主題が静かに戻ってきたときは、思わず泣けてしまった。

で、Vcのドマルケットが加わってメンデルスゾーンの第1トリオ
常設のトリオじゃないのに、リハも満足にできないと言われるLFJで、この完成度!両端楽章で登り詰めた高みは、メンデルスゾーンを軽んじる多くの日本人クラヲタにリピート再生を義務づけたいくらいだな。
全体に漂う重量感は、C線に独特のソリッド感があるドマルケットに理由が求められそうだけど、ここでは曲調の要請もあってシャマユのPfが表層に浮かび上がることも多く、彼の爽快な音質が全体を一段階上に掬い上げたのは間違いない。ネムタヌ嬢は重量を男二人に任せて、よりいっそう開放感のあるスタイルに移行する。

この公演はアーティストの立ち見がずいぶん多かったのも不思議で、彼らの歓呼も混じって万雷の拍手へ。本当にいいロマン派の音楽を聴いた。
by Sonnenfleck | 2010-05-07 23:24 | 演奏会聴き語り

白日夢

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ポゴレリチ@サントリーホール休憩中。前半だけで80分あったよ…何だよこれ…
by Sonnenfleck | 2010-05-05 15:48 | 日記