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masaaki - bach - 草野球

毎年恒例、職場の草野球に駆り出されて、今年もボロ雑巾のように草臥れきった日曜の朝。若手だって身体中ばきばきになるんだわい。しかし、やればやったで爽快なのは今年も同様で、日焼けも愉し。土ぼこりにまみれるのも愉し。

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c0060659_21123777.jpg【BIS/1113-1114】
<バッハ>
●フランス組曲 BWV812-817
●組曲イ短調 BWV818a
●組曲変ホ長調 BWV819a
⇒鈴木雅明(Cemb)


タイトルは三題噺のようでもあり、ようでもなし。
録音のいいフランス組曲のディスクがほしかったところに、ディスクユニオンのセールに未開封新品を見出す。
聴いてみれば、その控えめで地に足のついた表現にむしろ驚きを覚えるのです。テンポはあまり揺れず、装飾もさりげなく、鮮やかな原色を排する代わりにグリーン系ペールトーンで占める感覚。センペ熱やアンタイ症に浮かされた脳のヒダの奥までナチュラルにクールダウン。

僕が守ったライト前には、薄緑色のシロツメクサが彼らの流儀で生活していて、それらを見下ろすのがとても久しぶりであることよ。シロツメクサのなんということなさ、なんということのないことの確かさ。
BCJのバッハのことを能面古楽とか書いたこともあったけど、masaaki氏のソロを久しぶりに聴いてみて、この淡々とした味わい、予想以上のゲージツぶらなさに、不思議な安心感を覚えるのはなぜか。なぜかな。
by Sonnenfleck | 2010-06-29 21:14 | パンケーキ(18)

ふだん、僕らが使うことばで。

c0060659_2331642.jpg【Coviello Classics/CD30301】
●ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版)
⇒マルクス・ボッシュ/アーヘン交響楽団

原始霧とか、アルプスとか、大伽藍とか、石造りとか、神降臨とか、崇高とか、機能美とか、宇宙鳴動とか、素朴の勝利とか、もう、どうでもよろしい。

ただ、今日の私が聴いて、疲れないブルックナー。
ボッシュ/アーヘン響のブル8は、ついにその条件を満たす。

第8交響曲は図体がでかい。その大きな時間に、西洋古典巨匠名匠異才鬼才の「オレがオレが自意識」が混入する。
年に数回なら、そんな時間に浸るのもいいかもしれない。でも普段、日本国の都市部でコセコセと暮らしている自分の身の丈にはそれが合わないのだわな。
普段使いのブル8というのは、これまでにひとつも見つけられませんでした。曲調のせいもあって、どの指揮者もどのオケも肩に力が入るのは仕方がないにせよ、一見普段使いの「ような」演奏であったとしても、実際のところは普段使いの「ように」見せる術が見え隠れする。

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マルクス・ボッシュという指揮者のブルックナーが良いらしいぜという話は、これまでもネット上でたびたび見かけていたのだけども。実際にディスクを入手し聴いてみて、確かに、この演奏が旧来のブルックナー的評論言語(冒頭に列挙しました)に落とし込みにくいのがわかる。

まずその軽やかなテンポ設定に心惹かれることになります。総演奏時間76分足らずで、当然ながらCD1枚に納まっているんだけど、たとえばヨッフムやテンシュテットのような急加速・急ブレーキをまったく感じさせずにこの時間を達成していることからわかるように、土台からしてがかなり速い。
その上で、淡々としている。いわゆるブルックナーっぽい、これ見よがしの見得をほとんど切らない。シューベルトの初期交響曲のように、またメンデルスゾーンの弦楽シンフォニアのように、するするさらさらと流れていく局面の多いこと!

アーヘン響が超絶技巧すぎないのも、この「身の丈感」に一役買っている。ドイツの中央のオケとは違って響きもほんのりと温かいし、フレーズの角が適度に丸っこいので、耳に刺さらないのがいい。最強サイボーグみたいなモダンオケにブル8をブリブリやられると、疲れてしまうのよ。

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amazonのカスタマーレビューに、
「ブルックナー独特の不可思議な「音楽的時間」や、物理的空間概念が壊されるような膨張、収縮のダイナミックはほとんど感じさせない。スーパーフラット(中略)村上隆の絵画ですな。(中略)評者はハッキリ言って少しも評価しない」
という★2つのコメントがあるんだけど、この演奏の特徴を非常に巧みに表現していると思うので、最後に引用させていただきました。

ボッシュ/アーヘン響がやってるのは、評価する/評価される、というような20世紀時空とは無縁に、こちらは勝手にナチュラルさらさらブルックナーやってます、冷やし中華も始めました、みたいな演奏だもん。
自室にティントレットなんか飾りたくないけど、村上隆なら飾ってみたい―この演奏では、そういう、ブルックナー価値の転換が起こっている。
僕は、こっちのほうに行きますよ。
by Sonnenfleck | 2010-06-25 23:37 | パンケーキ(19)

めでたしのつぶやき

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当ブログにて応援中のピアニスト・佐藤卓史が、日本人として唯一、今エリザベート王妃国際音楽コンクールのファイナルに進出し、入賞しました。
結果からすれば数字のついた順位ではないけれども、ここでの経験が、彼の高潔なピアノにさらなる磨きを掛けることと思います。おめでとう!

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彼の公式サイトからコンクールの公式サイトにリンクが張られており、セミファイナルおよびファイナルの映像が全編に渡って試聴可能です。
ファイナルは、コンクールの魔がステージ上空を飛行していて、僕は最後まで聴くことができなかった。あれは彼のベスト・パフォーマンスではなかった。これは友人としてだけじゃなく、一クラヲタとしてとしてもそのように思う。無念。

そのかわり、と言っては身も蓋もないけれども、セミファイナルの演奏は、ソロもコンチェルトも大変に素晴らしい。
ベートーヴェンのop.111の第1楽章は、彼にしては珍しい、筋骨隆々たる漢っぽい音楽に仕上がっている。その流れの中でも、副次主題がシューベルトのような風貌をしているのが、僕には面白い。第2楽章の知的な静けさは、こうした楽想でもなお、感情ロケットに乗ってどこかに飛んでいってしまうロシア勢や韓国勢とは完全に違う、彼の持ち味。

モーツァルトの協奏曲第17番は、彼の話し方を思い起こさせます。
彼は昔から妙に話が巧いんだけども、ここでのタッチもやはり適度なウィットに富み、端正でいながら愉しい。ああ、、シューマンの《献呈》もええなあ。。たまに知的なところから清冽なロマンに降りてくるのが面白いんだ。。

筋肉バリバリでも、お涙頂戴なよなよでもない、気品のある若い男性ピアニストをお探しであれば、クラヲタとしての僕が、彼のことを推薦します。

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7月下旬、ロン=ティボー覇者のヴァイオリニスト、シン・ヒョンスとのツアーを楽しみに(僕は武蔵野市民文化会館に向かいます)、今日は、おめでとうを。
by Sonnenfleck | 2010-06-23 22:44 | 日記

インバル/都響 第701回定期演奏会@サントリー(6/19)

c0060659_229059.jpg【2010年6月19日(土) 19:00~ サントリーホール】
●マーラー:交響曲第2番ハ短調 《復活》
→ノエミ・ナーデルマン(S)
  イリス・フェルミリオン(MS)
  二期会合唱団
⇒エリアフ・インバル/東京都交響楽団



激しい蒸し暑さ。
W杯は、僕にとっては遠い国の遠い出来事。

インバルは、何度か実演を聴いても、正体が掴めない指揮者であった。全局面に渡ってクリティカルヒット!というライヴを聴いていないのも大きかった。
しかしよく考えると、これまでに聴いたインバルのライヴは、いずれもベートーヴェンだったんだよなあ。徹底解釈者・インバルにとっては、ベートーヴェンは革新的というより古典的で、彼が20世紀から後ろを振り返ってベートーヴェンを捉えているのが、あの演奏からはよくわかる。ピリオド系の人々が尊ぶ「フォルムそのものの運動性」には、たぶん彼は興味がないんだと思う。

それを踏まえた上で、マーラーは、彼の巨大な自意識や解釈したい気持ち、みたいなものが存分に充満できる大きな水槽だということが判明する。アマゾンの白くて巨大な魚が大きな水槽の中を悠々と泳ぐようにして、インバルのトップギアが入る。つまり、非常に壮絶な演奏が展開されることになる。

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特に第1楽章第3楽章後半の空気感は、忘れることができない。
時折烈しく畳み掛けるような強いテンポをメインとし、ソリッドな響きでもってそれを固めていくやり方。また同時に、インバルが歌いたい、テクスチュアが薄い箇所で急激に歩調を緩めて、とろりとして美しい「澱み」を混ぜるやり方。これは2008年にNHKで視聴した《千人の交響曲》と同じアプローチでありました。第1楽章の第2主題は効果的にポルタメントが用いられ、甘い蜜のようで胸が熱くなったよ。

ただ、この両楽章に特徴的に頻出する破裂音・炸裂音が、調理されないままと言ったらいいのか、原始的な硬い音響で処理されていたのはいささか意外であった。僕の席が打楽器に近かった(というか舞台真横)ので、打楽器の直接音によってマスクされたためかもしれないけど、もっと多層的にうごめく炸裂音を予想してたんだよね。全体を俯瞰する席で聴かれた方、いかがでしたか。

しかし、空気がこんなに張り詰めているとは。。指揮者とオケの緊張感も鋭いし、お客さんもそこから緊張が伝染して厳しく集中しているし、音の行間には空調のかすかなホワイトノイズだけが乗っている。楽章が終わったところでお客さんがふうっと息を吐き出すのがわかる。

第4楽章第5楽章のつくりはオーソドックスで予定調和的。でも感動しちゃうのがこの曲なんだよねえ。在京オケ定演では数年に一度聞かれるかどうかというクラスの、大人数&大音声のブラヴォが飛び交う。

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この公演では、都響のポテンシャルが最大限に引き出されていたことも触れておきたいなあ。
都響の管楽首席陣はみんな自律的に歌心があって素敵だし(Ob広田氏、Tp高橋氏、独唱に合わせる局面の歌心が素晴らしかったです)、弦楽もやはり、自律的にアンサンブルを形成する意気込みを強く感じる(この日はあの湿気にも関わらず弦楽陣の精度が抜群に高かったが、なかんずくVaとKbが実にクールであった)
矢部コンマスがマーラーで美音を奏するとどうしてもベルティーニのことを思い出しちゃうけど、あの時ともまた違う、第一級のマーラーが繰り広げられた。
by Sonnenfleck | 2010-06-20 22:28 | 演奏会聴き語り

精神と時のお買い物XXIII(棘ロード、終着?)

【アリアCD】
1 ブラームス:Sym全集(EMI) *ラトル/BPO
2 ブルックナー:Sym#7(Coviello) *ボッシュ/アーヘン響
3 ブルックナー:Sym#8(Coviello) *ボッシュ/アーヘン響
4 ショスタコ:Sym#10(DIRIGENT) *ロジェヴェン/香港フィル

アリアCDの開店10周年記念セールから。。

⇒1、ラトルのブラ全。発売当初、定価で国内盤を衝動買いしていた友人には申し訳ないが、その半分以下の価格で入手に成功。たぶんとても刺激的な演奏だと思う。
⇒2と3も同じく、普段の半額で。世評の高いボッシュ/アーヘン。
⇒4は買わざるべからずでしょう。ロジェヴェン先生、昨年の読響客演のひと月前に香港に立ち寄って、ショスタコ第10を指揮してました。この組み合わせ、どうなってるのかまっっっっったく想像がつかない。第10ヲタ歓喜の裏名盤登場か。

【disk UNION 新宿店】
5 カプレ:室内楽曲集(HMF) *Ensムジク・オブリーク
6 ドビュッシー&ラヴェル:四手Pf作品集(DGG) *コンタルスキー兄弟
7 ショスタコ:Sym#10(CAPRICCIO) *キタエンコ/ギュルツェニヒ管
8 ショスタコ:Sym#10(RCA) *フロール/コンセルトヘボウ管
9 ショスタコ:Sym#4(RUSSIAN DISC) *ロジェヴェン/ボリショイ管

たま~に仕事帰りに寄れてしまうと、タガ崩壊の危機。

⇒5と6は青柳氏のドビュッシー本からモロに影響されて。しかしコンタルスキー・ブラザーズの録音、安かったけど、かなり珍しいんじゃない?聴くのが楽しみですよ。
⇒第10ヲタ棘の道。7は全集を買わずに済んでよかった、くらいですが、8!!やった!!やっと見つけた!!これでCDの正規盤はほぼコンプリート!!!

⇒で、9です。物凄いプレミアが付いていて、あっと驚く店頭価格。しかしこのディスクは現物を目にしたことが一度もなかったし、脳内で湧き上がる一期一会コールに押されて、購入に踏み切ってしまいました。大切に聴きます。演奏の内容からすると、大切に聴くと聴神経を傷めそうな予感がありますが。

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さて、ショスタコの第10交響曲、最近になって新録音が再び活発化。
パーヴォ・ヤルヴィ/シンシナティ響(TELARC)は、、かの指揮者に疑いを抱きつつもそろそろ購入するつもりだけど、アレクセーエフ/アーネム・フィル(EXTON)は、店頭試聴してみたら予想外に「かなり」良さそうな感じでした。
by Sonnenfleck | 2010-06-19 08:56 | 精神と時のお買い物

続・はぐれラモーでレベル上げ。

「♯Credo」のkimataさんが、BCJのしらかわホール公演のレビューで「バッハの音楽から遠ざかっていたのですごーーーくホッとした」と書かれているのを拝読しました。そうなんだよなあ。シューマンもラヴェルもショスタコーヴィチも、僕にとっては大切な外側なのですけれども、完全に全面的に心を許せるかというと、少し微妙な気がする。
僕の場合は、ラモーにそういう「内側感・居場所感」が強くて。いやもちろん、バッハだって大切な内側作曲家なんだけど、職人の最高級手工芸品としてのラモーの作品はいい意味で人格性に乏しく、自分の内側にあって拒絶反応を示さない。なにか、密かに積まれている。

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c0060659_22325534.jpg【Alpha/142】
●ラモー:室内編成による《ゾロアストル》《ザイス》
⇒フレデリク・アース(Cemb)
  /アンサンブル・オーゾニア




と言いつつ、ラモーのオペラはでかい。
同じようにラモーのゴーストの破片を積んでいるらしい鍵盤楽器奏者、フレデリク・アースが考えたのは、《ゾロアストル》《ザイス》という2つのオペラを一旦解体し、なだらかで長大な起伏の寸法をもう少し詰めて、1本のコンパクトな音楽的流れに統合しちゃうことだったんだな。

「音楽的流れ」なので、ラモーらしい派手な高みと官能的親密の両方を効果的に味わうことができる(翻訳された解説を読むと、どうやら物語的にも統合されてるっぽいんだけど、自分はあんまりそこには興味が湧かない)
この統合は、ソプラノとバリトンの歌手が1人ずつ参加してちゃんとテキストを歌われているために、ブリュッヘンやミンコフスキがやったような「管弦楽組曲」スタイルよりもさらにラモーそのものに近いように思われる。1パート1人に制限されたオケも、声を塗り潰さない官能的親密を明らかに志向しているわけです。

さらに、1パート1人制では相対的に管楽器の音響占有率が上がって、《コンセールによるクラヴサン曲集》が延々とつながっていくような、異常に贅沢な気持ちになる。ラモーの髄としての《コンセール...》に、血肉としてのフランス語歌唱、表皮としての物語、なのかな。

2008年のAlphaに録音するような古楽アンサンブルは、もう巧拙がどうこうというレベルにはない。このしなやかさが当然、この瑞々しさが当然。ロスとインマゼールの弟子であるアースは、呼吸するように自然な通奏低音魔術を響かせて、お師匠さんたちからのさらなる進化を見せつけます。

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初めてラモーに触れる人にはあえてお薦めしません。その代わりに、太鼓ズンドコ喇叭パーパー...以外のラモーに簡単にアクセスしてみたい、という方にはこれ以上ないくらい、群を抜いた贈り物だと思う。
by Sonnenfleck | 2010-06-15 22:35 | パンケーキ(18)

科学部コンピュータ班

iPad のスタンドを自作してみる – Macintosh iPad Stand(site hirac)



これまじほしい

by Sonnenfleck | 2010-06-13 00:57 | 広大な海

毒の沼地の二丁目:さよならオカルトこんちはデカルト

AV環境大手術を控え、秋葉原のオーディオショップの門を叩いたわたくし。STAXのSRS-4040Aで、3枚のCDを試聴させてもらうことになったのです。
1. ラモー:クラヴサン曲集(AVIE) *ピノック
2. バッハ:アリア集(ARCHIV) *コジェナー
3. ショスタコ:交響曲第13番(DECCA) *ショルティ/CSO
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1. ラモーと反オカルト主義オーディオの出会い

これまで長い間、オーディオ趣味というのはオカルト半分だと思っていた。より正確に書けば、微細な差異が聞き分けられるほどの耳は持っていないから、安い機器で全然問題ないと思っていた。

ところがどっこい、4040Aを通して開いた世界には、明らかに僕の耳でもわかるくらい、本当に信じ難いような広大な音場が広がっていたんですわな。クラヴサンが揺らしているのが無色透明の空気なのだということ、そして、適切に録音されたクラヴサン音がヒステリックな金属音とは無縁なこと、これを身を以て体感しました。オーディオはオカルトじゃなかったんだ。納得した。

ミクロ的には、《一つ目巨人》が格好の聴き込み対象になったのだが、29小節めから左手が連打するD音(たぶん)に痺れた。4040Aだと、太くて長い弦がボン...ボン...と鳴っている様子が明らかにわかったのですが、今これを書きながら自宅のATH-A500で同じD音を聴いてみると、弦がティンパニのようにお化粧されているのがわかってしまった。衝撃的。

2. ネオこじぇなま

コジェナーの声質がひゅうっと透き通ってしまったのもショックでした。
もっと重たい声の人で、時には茶褐色で塗り潰すようなこともすると思っていたけれども、それが4040Aでは高音方向にすっと抜けて涼しげな雰囲気に。
その上でさらに恐ろしいことに、まるで自分の背後で歌われているような、エロティックな生々しさを伝えてくるからたまらない。STAXは女性ヴォーカルが凄い、という情報は聞いていたけれども、ここまでとは。

僕の聴く機会が最も多いと思われる古楽合奏は、一本一本の楽器にマルチで焦点が当たっているような、これまでに聴いたことのない様子になっている。
この状況は生にとても近いが、人間が意識的・無意識的に焦点をずらしながら擬似マルチづくりに励むのに対して、4040Aは自らご丁寧に分離してくれるので、慣れないうちはひょっとすると情報量が多すぎて目が回るかもしれないなあ、という危惧がなくはない。

3. 《バービィ・ヤール》、STAXで聴く大交響楽団について

心配だったのが、モダンのフルオーケストラのショスタコーヴィチがSTAXでどのように鳴るのか、という点でした。
以前STAXについて触れたエントリで、コメント欄で「ちょっと役不足」という指摘もいただいていて、先に試したラモーとバッハの様子からしても、フルオケには似合わないかも、という予感があり。

実際のところ、確かに押し付けてくるような音圧は期待すべくもない。このショルティの録音はもともとスマートなコンディションのようだけども、それでも団子状の分厚さはまるでない。
しかし、覚悟していたほど物足りないかというと、僕はそこまで気にならなかったなあ。高い方と低い方の輪郭がくっきりして、なおかつ奥行きが出ているので、果物や野菜で満腹になるような、そういうヘルシーな満足感があった。それは逆に、ロジェストヴェンスキー/文化省オケの交響曲全集とか、マキシム/ボリショイオケの劇音楽集とか、露悪的なコンディションのソヴィエト録音たちは、4040Aでは大きく割りを食うかもしれないということでもあるけど。。

こちらも、ミクロ的に、第2楽章〈ユーモア〉の冒頭を聴いてみた。金管楽器の英雄的な輝かしさは、これまでのヘッドホン試聴ではついぞ感じたことのない印象だったし、木管楽器が(やはりバッハと同じく)マルチ・フォーカスとでも言うような立体感を伴っていて、不思議でした。で、アレクサーシキンはコジェナーと同じく、エロカッコイイおやじに大変身(笑)

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さて総合的に振り返ると、STAXが幅広い支持を集めていることには、同意せざるを得ない。
今回の持ち込みソフトはいずれも90年代中盤以降のデジタル録音ばかりだったので、もし次の試聴の機会があれば、もう少し状態の悪い録音も試してみたい。それから、、モノラル録音が物凄いことになる気もします。

「三丁目」に続く。
by Sonnenfleck | 2010-06-11 23:39 | 精神と時のお買い物

毒の沼地の一丁目:ここが沼地の入口

5/30夜、自室のTV(東芝15型フラットテレビデオ、ブラウン管、2002年製)から異音。ついに壊れた。よく丸8年も無事に駆動し続けた。偉い。
しかし感傷に浸る間もなく。
前々から、アナログ放送の終了、もしくはTVの寿命が尽きたところで、音楽鑑賞もオーディオラックも含めたAV環境を完全に一新しようと思っていたんですよ。いよいよこの時がやってきた。大手術になりそう。

TVのほうはそんなに選択肢があるわけじゃないし、すでに目星もついているので、また別の機会に書きましょうか。今回のエントリでは、本丸の音楽鑑賞システムについて。

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告白しますが、僕の現在の音楽鑑賞の環境というのは、ソニーのCMT-J3MDというミニコンポ(たぶん1998年製)に、オーディオテクニカのATH-A500というヘッドホンをつないだ、たぶんクラヲタの皆さんからはひどくお叱りを受けるようなお手軽セットなんです。
ミニコンポ自体はもう10年以上現役なので愛着も深いものがありますが、静かな余生のために引退してもらい、CDプレイヤーとヘッドホンだけの、新しいシステムを組むことにする。スピーカーも買わないから、普通のアンプも買わない。

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c0060659_22453929.jpgまずは秋葉原のオーディオショップに行って、STAXを試聴させてもらうことにしました。情報収集の段階から、恐らく自分の聴く音楽に最適なのはSTAXであるとしか思えず。
しかし、おっかない老店長に「こわっぱが生意気じゃ!」とか言われそうで(偏見)、ビクビクしながら入店。オーディオショップってどうしてあんなに入りにくげなのか。メイドさんにビラでも配らせたら。

店員の方に経緯を説明して相談を持ち掛けると、非常に丁寧に応対してくれる(まあそりゃそうだわな)。ラックスマンのすんごい高そうなプレイヤーにSRS-4040Aをつないでくれ、こちらが用意していったCDを掛けさせてくれます。

用意していったのは以下の3枚。こうやって並ぶとまるで違う音だよねえ。
1. ラモー:クラヴサン曲集(AVIE) *ピノック
2. バッハ:アリア集(ARCHIV) *コジェナー
3. ショスタコ:交響曲第13番(DECCA) *ショルティ/CSO
で、結果、どうだったか。次回「二丁目」に続く。
by Sonnenfleck | 2010-06-08 22:46 | 精神と時のお買い物

何かをもたらすもの(6/3)

国内発売7日目にしてついに、山手線車内にiPadユーザを発見する。
なんとなくエポックな感じがするので記録しておく。

【登場人物たち】
ユーザA:30台前半。広告系(予想)。
革製のケースに入れたiPadをするすると操作している。左手にはiPhoneを持った重装備マカー。

左隣席の男A:30台後半。くたびれた金融系(予想)。
興味なさげの風を装いつつ、横目でユーザAの操作をまじまじと観察しているのがもろわかり。

右隣席の男B:60代前半。若々しくも上品な雰囲気。
ユーザAには関心を払わずにいたが、ユーザAがiPadを鞄にしまおうとしたところ、意外にも彼に声を掛ける。

隣男Aの仕草も面白かったのだけど(僕もあのポジションに座ってたらガン見してたろう)、隣男Bの行動が予想外でした。
隣男Bはきっと「これがあの、ニュースでやってる、、」みたいな質問をしてたのですが、ユーザAがまた親切で、使い方や仕様について丁寧にレクチャ(そして耳をそばだてる隣男A)。仕舞いには話に夢中になり、降りる予定の駅でハタと気がついて、隣男Bになぜかお礼を言いつつドタドタと降車していった。

殺伐とした山手線車内ではいかにも珍しい、ほのぼのコミュニティ。電車の中にコミュニティができちゃうようなガジェットって、やっぱり見たことない。
すごいぞiPad。強いぞiPad。僕は今のところ様子見ですが。。
by Sonnenfleck | 2010-06-06 21:40 | 日記