<   2010年 07月 ( 12 )   > この月の画像一覧

on the air:ヤーコプスが魔笛でやってしまった@エクス

c0060659_0492663.jpg【2009年7月30日 プロヴァンス大劇場】
<エクサン=プロヴァンス音楽祭'09>
●モーツァルト:《魔笛》 K620
→ダニエル・ベーレ(T/タミーノ)
  マリス・ペーターゼン(S/パミーナ)
  アンナ=クリスティーナ・カーッポラ(S/夜の女王)
  ダニエル・シュムツハルト(Br/パパゲーノ)
  イム・スンヘ(S/パパゲーナ)
  マルコス・フィンク(Bs-Br/ザラストロ)
  クルト・アツェスベルガー(T/モノスタトス) 他
→RIAS室内合唱団
⇒ルネ・ヤーコプス/ベルリン古楽アカデミー
(2010年7月25日/Catalunya Musica)

いやはや!なんとも!
周到に計算され尽くした最強エンタメ系魔笛が、今宵、カタルーニャよりお届け。
こんなにいじくり回されても、まだかたちを崩さないモーツァルトが凄い。
ヤーコプスの魔笛は、9月にセッション録音としてハルモニア・ムンディから発売されますから、楽しみにされている方は、以下はお読みにならないほうがいいかもしれない。このような演奏では、「一回性」が何よりも大事でして。

+ + +

音楽は、ヤーコプスのなすがままにされている。オケも、ソロも、合唱も、すべてヤーコプスのなすがまま。驚くほど一糸乱れずヤーコプスの思い通りに運んでいて、これでライヴだというのだからたまらない。
立ち止まったり、急ダッシュしたり、うさぎ跳びで進んだり、期待どおりにうるさいヤーコプス節全開、あの「面白がらせ」が芬々としているので、嫌な人は本当に嫌でしょうな。僕も、これはCDを購入してまで聴きたいとは思わないけど、一回限りの愉しさは無類と言える。この「面白がらせ」のために、シリアスなシーンはだいたい台無しなのですが、ザラストロが第2幕のアリアで装飾を入れまくるのを聴くと、彼も気のいいオッサンみたいに思えてくるから不思議。

ただ、この演奏の一番の面白さは、セリフ部分のレチタティーヴォ化に集約されてしまう。急停止急加速は想定の範疇だったが、これには度肝を抜かれた。
たとえば、冒頭の3人の侍女の、シュプレッヒシュティンメと化したパパゲーノ脅しには、歌舞伎のような凄味のある色気があって、侍女の一人がふざけて夜の女王のアリアを口ずさんでいるのも許せる。なんという恐ろしいオバハンたち。

その上さらに、この演奏にはフォルテピアノがいるんだよね。
フォルテピアノはアリアの中にもいて、遠慮なくジャラジャラと鳴っているんだけど、やはり圧倒的な存在感を示すのがセリフの伴奏。そこで、その直後のアリアや重唱の旋律を先取りしたり、人物の感情を代弁したりする(パパゲーナ(婆)のシーンも凄かったが、第2幕のモノスタトスのアリア直前のセリフに、陽炎のような上昇音型の伴奏が付いたのは、なんというエロさかと感動した)。これはやっぱり、フィゲイレドが弾いているのか。
これがオーセンティックなやり方でないことは想像がつくのだが、ちょうどコジファントゥッテみたいに、つくりものじみて儚い美しさが音楽に漂い始める。魔笛を真摯にやろう、というのが20世紀呪縛だったとしたら、これはそこから自由。
by Sonnenfleck | 2010-07-31 01:01 | on the air

夏のБрусника

c0060659_2205397.jpg

藝大シャガール展のグッズ売り場で買い求める。こけもものジャムは、近傍では案外売られていない。
スプーンいっぱいに掬い上げて、いい食パンにたっぷり塗って齧ると、美味しい。
by Sonnenfleck | 2010-07-28 22:02 | 絵日記

シャガール│ロシア・アヴァンギャルドとの出会い@東京藝大美術館

c0060659_19305853.jpgシャガール展かと思ったら、ミニ・ロシアアヴァンギャルド+魔笛展だった。展覧会としての構成は若干弱いのだけども、出品作における名作率?が高くて、かなり満足がいきます。

14時半の灼熱上野公園を縦断して藝大まで辿り着く。何もかも色彩がくっきりしている。この会場はだいたいいつもそうなのだけども、この日も土曜日の午後のわりには会場が空いていて、眺めやすい。真夏の日なかは狙い目なのだね。


◆ゴンチャローワ+ラリオーノフ レイヨニスム
c0060659_19311523.jpg
左 ナターリヤ・ゴンチャローワ 《葡萄を搾る足》(1911年)
右 ミハイル・ラリオーノフ 《タトリンの肖像》(1913年)

美しいね。夫妻の作品が、他に埋もれずにしっかり見られたのは、この規模の展覧会ならではかもしれません。

特にゴンチャローワの《葡萄を搾る足》《孔雀》の2点は、厳密にはレイヨニスムではないかもしれないけども、ヴィヴィッドな色彩と直球勝負な構図が爽快で、この素敵な時代の勢いを感じます。のちのストラヴィンスキーとの協同は(《結婚》とかね)、この時期の作品からしても十分に予想される。要するに、好きだ。もっと知られてほしい。
夫のラリオーノフのほうは、様式で様式を描いている感がなくはない。それでも《タトリンの肖像》は、マチエールが異常なまでに透き通っていて(jpgだとこんな見え方ですが)、タトリンのトンガリぶりを見事に表現していると思われた。

+ + +

◆MET 1967 THE MAGIC FLUTE

1967年、メトロポリタン歌劇場の依頼で《魔笛》の舞台美術を担当したシャガール。その一連のシリーズ約50点が、まとまった形では今回が本邦初公開なのですな。ちなみに、以下がこのときの豪華キャスト(METのアーカイヴより抜粋)。
Pamina..................Pilar Lorengar
Tamino..................Nicolai Gedda
Queen of the Night......Lucia Popp [Debut]
Sarastro................Jerome Hines
Papageno................Hermann Prey
Papagena................Patricia Welting
Monostatos..............Andrea Velis
Speaker.................Morley Meredith
First Lady..............Jean Fenn
Second Lady.............Rosalind Elias
Third Lady..............Ruza Baldani
Genie...................Kevin Leftwich [Debut]
Genie...................Peter Herzberg [Debut]
Genie...................John Bogart [Debut]
Priest..................Gabor Carelli
Priest..................Robert Goodloe
Guard...................Robert Schmorr
Guard...................Louis Sgarro

Conductor...............Josef Krips [Debut]

Production..............Günther Rennert
Designer................Marc Chagall [Debut]
c0060659_19313028.jpg
上 マルク・シャガール 《背景幕 第2幕第30場 フィナーレ》(1966-67年)
最上部左 同《パパゲーノ》(1966-67年)

それにしても、見蕩れてしまった。どれもこれも本当に美しい。舞台のデザインなのだが、画家シャガールがあの色彩をそのままデザインにぶつけているので、衣装も、背景も、煌めくような仕上がりなんですな。それだけでなく、どの人物にもシャガールの温かい愛情が注がれているのが、僕にとっては感動であった。かわいそうなモノスタトスにも、ザラストロの車を牽く獅子にも。

フィナーレの音楽を頭で再生しながら、フィナーレの背景幕を眺めていると、久々に、絵を見て涙が出た。この強い幸福感。

+ + +

そうそう、シャガールの他の作品は…。今回もポンピドゥーの所蔵品から選ばれているために、2002年の都美での大規模展に来ていた作品ばかりで、新たな発見はなかったけれども、それでもこの人のエッセンスが濃縮されてたなあ。《ロシアとロバとその他のものに》、そして《イカロスの墜落》との再会。

そのほかにも、カンディンスキーの闘争的風景画や、マレーヴィチのデザインに基づく夢想的建築模型など、見所が多い。なんと10月11日までという長期開催なので、もう一度行ってみようかと思っています。
by Sonnenfleck | 2010-07-25 19:32 | 展覧会探検隊

遠い田園に逃避したい。

c0060659_10405228.jpg【Alpha/148】
<田園気分で、ソナタと組曲>
●P. D. フィリドール:組曲第5番ホ短調
●シェドヴィル(伝ヴィヴァルディ):《忠実な羊飼い》
 ~ソナタ第6番ト短調
●オトテール:組曲第2番ハ短調
●ルベル:《ラ・ミュゼット》
●ボワモルティエ:ソナタ第6番イ短調
●クープラン:《恋のうぐいす》
●モンテクレール/シェドヴィル:《イフィーズの嘆き》
●クープラン/シェドヴィル:《ラ・ベルジェリ》
●モンドンヴィル/シェドヴィル:エール
●デゲー氏:トリオ・ソナタ第1番ハ長調
⇒レ・ミュジシャン・ド・サン・ジュリアン

こういうアルバムがあるから、Alpha贔屓になっちまうのだ。
曲名をずらり拝見いただくと、後期フランス・バロックの綺羅星のような作品が居並んでいるのがおわかりかと思います。ロココヲタは狂喜乱舞ですね。
その上で、このアルバムの主役はミュゼット。ご多分に漏れずミュゼット好きでもあるワタクシには、たまらない一枚になりそうです。

ミュゼットという楽器が一般的にどれくらい知られているか、よくわからない。
この楽器はルイ15世時代に流行した宮廷のバグパイプで、「田園性」を想起さすものとしての強い性格をもっていました。僕は、ずいぶん前に、大倉山記念館で行なわれた平尾雅子氏と上尾直毅氏のデュオコンサートで、上尾氏の強烈なミュゼットを身体に食らって以降、この楽器のファンであります(小さい部屋で聴くミュゼットは愉快な音がする)

+ + +

なんといってもこのアルバムで物凄いのは、モンテクレールからモンドンヴィルに至る、ミュゼットとハーディガーディの二重奏。この圧倒的に泥臭い音響を聴いたブルボンの王侯と貴族たちは、たとえば今日の僕たちがLED液晶を眺めたときと同じくらい鮮やかな田園の情景を、やすやすと眼前に思い浮かべたものと思う。土ぼこりや、収穫の汗や、イナゴや。

「デゲー氏」作曲のトリオ・ソナタは、さらに、ミュゼットとハーディガーディを宮廷の側に取り込んでしまった恐るべき作品である。テレマンのような模範的トリオ・ソナタ構造の中にあの強烈な楽器が座っているだけでも可笑しいのに(ハ長調!)、生真面目な通奏低音との対比が奇天烈な音響を生み出す。これを体験するだけでも、このアルバムを手に入れる価値があるのよ。

もちろん、そのほかのトラックも疎かにできない。
このアンサンブルを主宰しているフランソワ・ラザレヴィチが聴かせるトラヴェルソは、彼が前述のトラックで奏しているミュゼットと同じようにちょっと芯が残ったような強めの音がして、甘美な脱力よりも秘めたる哀感を感じさせる。このようにかたちのはっきりしたフィリドールも、絶品である。
ルベルの《ミュゼット》がちゃんと入っているのも高評価。

+ + +

で、Perfumeの音楽とミュゼットの音色はたぶん合うと思うんだよね(言い逃げ)
by Sonnenfleck | 2010-07-24 10:43 | パンケーキ(18)

ヴヴラームス


あーだめだ。おかしすぎる。1分すぎくらいから死ぬ。
(『ぶらあぼ』8月号の、舩木氏の連載に出てくるクリップはたぶんこれ。)

by Sonnenfleck | 2010-07-19 22:56 | 広大な海

そして非伝説へ…

c0060659_8554224.jpg【TELARC/80139】
<モーツァルト>
●交響曲第40番ト短調 K550
●交響曲第41番ハ長調 K551 《ジュピター》
⇒サー・チャールズ・マッケラス/
  プラハ室内管弦楽団


恐らく、バーンスタイン/VPOの録音で初めて聴いてから、今の今までずうっと、このト短調交響曲が得意じゃない。

そのあとバロックの谷底に転落したせいもあってか、この作品に纏わりついている浪漫性の何物かに対して、あるいはもっと言うなら、この作品を意味あるものとして演奏する行為そのものに対して、近寄りがたさを感じ続けてきた。
悲しみが疾走したりするネトネトの演奏も、「悲しみは疾走したりしません!」というピリオドの演奏も、そのどちらも、この作品が普通ではないことを前提にしていて、それが腑に落ちなかった。なんか、、もっとフツーの曲なんじゃないの?

そんな中で、ほぼ唯一、聴いていて厭にならないト短調演奏が、実はマッケラスの録音であった。これこそが、標題も伝説もないK550という作品の、すっぴんの演奏だと思うんだよね。
ちょっと聴いただけだと、速めに流してるだけのどうってことのないパフォーマンスに聴こえがちなのだけども、この演奏の縦方向における肌理細やかさ(第2楽章)、通奏低音が引き締めるリズムの輪郭(第3楽章)は、モダンもピリオドもなく、無類である。
「伝説」で勝負できないセレナードやディヴェルティメントは、演奏に際してはすっぴんの魅力を掘り起こすしかないわけですが、「大ト短調」だって、その方策が適用できるんです。かくして、セレナードやディヴェルティメントのように等身大で、非伝説的な、いち管弦楽組曲としての「大ト短調」が提示されるというわけ。

マッケラスは自分を伝説化しなかった。このあたりも、徹底していたよね。
by Sonnenfleck | 2010-07-18 09:03 | パンケーキ(18)

さようならマッケラス

Conductor Sir Charles Mackerras dies
(The Sydney Morning Herald/7月15日)

ジュピターの第4楽章を聴こう。それからディーリアスの、楽園への道を聴こう。
黙祷。
by Sonnenfleck | 2010-07-15 23:00 | 日記

シュスタコーヴィチ:交響極大10番

c0060659_2193714.jpg【RCA/09026-60448】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
⇒クラウス・ペーター・フロール/
  ロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボウ管




いやー。ずいぶん変な演奏だわ。
タコ10は好きでいろいろ聴いてきたけど、こんなに変なパフォーマンスは滅多にお目に掛からない(なぜか2回も録音しているアンドリュー・リットンの指揮もなかなか酷いが、これも負けず劣らず…)。1991年の初出以来、一度も再発売された形跡がないのもよくわかる。ニブチンもここまで徹底していると、一回りして却って価値があるような気がしてくるのですよ。

単に全編にわたってブルジョア的怠惰な雰囲気というのなら、前述のリットン新旧録にとどめをさすのだけども、このフロール盤に「ダメ演奏としての奥行き」があるのは、以下の二点の理由による。

◆1. オーケストラの響きが美しすぎる。
コンセルトヘボウの非常にふくよかな残響の中に包み込まれて、曇り空のような重みがあるくせに透き通った、このオケならではのサウンドが、、適当に放置されてます。響きの濃度がほとんど変化せず、輪郭もオール面取りでもやもや、ずっと40%くらいの出力で走らせているだけ。
全体に対して、指揮者から何か明確な指示があるようには思えず、オケメンたちはただいつものようにしているだけなのだと想像される。それでも美しいのは、オケの高いポテンシャルにすべての要因がありそう。

◆2. ところどころの脱力哀感。
ところがその一方で、そこでやるか!そんなことしなくていいのに!…という指示が、木管を中心にところどころ指揮者から飛ぶ。優秀なオケがそんな謎の指示に対して鋭敏に反応した結果、背中の力がへなへなっと抜けるような奇怪な表情がごくたまに付くことになる。
第1楽章に顕著な、目覚まし時計のような機械的トリル、第2楽章のクラリネット一転チンドン屋、第4楽章のDSCH最強奏後の異様な粘つきなど、初めてこの曲を聴いたときのような新鮮な気持ちにさせられる。

+ + +

休日の昼下がりに、安いビールでのんびりしながら。
by Sonnenfleck | 2010-07-15 21:12 | パンケーキ(20)

低酸素系一家

僕は古楽とピリオド楽器の愛好者だから、これは贔屓に過ぎないかもしれないけど。普段のメインフィールドを古楽に限定している音楽家というのは、高地でトレーニングしているアスリートみたいなものじゃないかと思っている。

古楽を好まない方ほどよくわかっていただけると思うが、たとえばショパンや、たとえばマーラーのように、濃密な「要素」が、古楽には少ない。ピリオドの演奏家は、その「少ない」ところから、微妙なニュアンスを汲み取る能力が強く鍛えられているんじゃないかと思うのですよ。薄い酸素の中で、低い気圧の中で、いかに肉体を操作するかを意識するアスリートのように。

+ + +

c0060659_21404263.jpg【ARCANA/A303】
<ドビュッシー>
●弦楽四重奏曲 op.10 (1893)
●《シランクス》(1913)
●VcとPfのためのソナタ(1915)
●Fl、VaとHpのためのソナタ(1915)
●VnとPfのためのソナタ(1916-1917)
⇒クイケン・ファミリー

高地に家を構えるクイケン一家が、ドビュッシーに下りてきたアルバム。
これを聴いて、そうした考えを確かなものにする。本当に素晴らしい。どのトラックも隅から隅まで音楽している!

弦楽四重奏曲第3楽章の玄妙な味わいは一体何だろう?
モダンのカルテットの演奏では、こうした空気感を味わったことがないのです。バロックの高地で鍛えた繊細なアーティキュレーションをドビュッシーに適用すると、こんなに柔らかな風合いになるのだな。
反対に、第4楽章の水がうねるような盛り上がりは、もしかしたら一流のモダンカルテットに及ばないかもしれない。要素が並列的に扱われるのは古楽では自然なことなのだから、仕方がない。僕はこちらもアリだと思うけど。

Vc+Pfソナタは、ヴィーラント師が巧すぎて。。なんも言えね。。
彼がここで用いている楽器は、彼の長男であるフィリップが1999年に製作したものなんだけど、チェロなのにガンバのように鳴る不思議な音感が漂っている。これはヴィーラントの右腕が、その根幹からメッサ・ディ・ヴォーチェ仕様だからなんだろうと思う。音の粒ひとつひとつがふんわりと膨らんでいる。
エラールを弾く次男ピートは、偉大なる親父と対決はしない。影のように従う。

この調子だと全曲について感想文を書いてしまいそうなので、このへんにしておく。しかしこのアルバムの白眉は、バルトルドのトンデモ柔らかフルートが聴ける、《シランクス》Fl+Va+Hpソナタかもしれん。
by Sonnenfleck | 2010-07-09 21:42 | パンケーキ(20)

うま

c0060659_223625.jpg

はやい
by Sonnenfleck | 2010-07-06 22:36 | 絵日記