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借りぐらしのアリエッティ(9/11)

「もののけ姫」のなかに(たぶんアシタカがムラを旅立った場面に)巨大な分水嶺があって、それ以前と以後ではジブリ作品の質が全然違うように感じている。それ以前は、淡白なストーリーと、淡白な演出から、観る側が観る側のために自分で何かを見つけ出せばそれでよかった。あるいは、自分がそうと思わなければ、見つけ出す必要もなかった。

でもあの作品以降は、ストーリーに変な臭みが増して、演出も幼稚化する一方なんだよね。これは、かわいい女の子が出てきてどたばた走ったり、むしゃむしゃと食い物に齧りついたりする、身体的幼稚さは宮崎駿から切り離せないから、そういう意味ではない。そういう意味ではなくて、「見つけ出されるもの」の押し売りとか、「見つけ出し」の強制ということ。どう見るかなんて自分で決めるっての。

+ + +

c0060659_22295153.jpg【2010年9月11日(土) 18:30~ ユナイテッドシネマ豊洲】

で。「もののけ姫」より前のジブリ作品を思い出した。

屋敷に隠れ住む小人が主人公だから、世界は屋敷とその周りの庭だけ。ストーリーは淡白の極みで、なおかつ全編がほんのりビターであって、ハッピーエンドでもバッドエンドでもない。
ここ!ここに「意味」が隠れてるよ!という最近のジブリの臭みがまったくなくて、昔みたいに、素晴らしく美しい植物の描写や、小人たちの身体の動きや、美味しそうな料理や、裏表のないストーリーに、僕はぼうっと見入ればよかった。

BDが出たら真っ先に買いたい。BDプレイヤーないけど。
by Sonnenfleck | 2010-09-28 22:33 | 演奏会聴き語り

マリナー/N響 第1681回定期公演(9/25)

数ヶ月前に上司が変わって、彼と非常にそりが合わない。
彼はたぶん、自覚していないけど、否定的な言動しか取ることのできない人である。だから毎日が、でもとだっての主題による33の変奏曲なんである。
そろそろたまらない。
ここに来ていただける方の多くは、僕よりも年かさでいらっしゃるだろうし、かつ部下をお持ちの方も多いと思う。マネジメントの中で上司による否定が大事な効能を持つことを僕は認めるし、それがなくてはならないことも知っているが、それだけに、慢性的な否定がどれほど部下を苦しめるか、どうか心にお留めいただきたい。

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c0060659_912139.gif【2010年9月25日(土)18:00~ NHKホール】
<シューマン生誕200年>
●序奏、スケルツォとフィナーレ op.52
●Pf協奏曲イ短調 op.54
●交響曲第3番変ホ長調 op.97 《ライン》
⇒サー・ネヴィル・マリナー/NHK交響楽団


《ライン》。おまえも生きてていいんだよ、という演奏だった。
肯定されたような気持ち。
第1楽章の最初の一音めから、底抜けにぽうっと明るい響き。裏表のない進行。冷笑も懐疑も融けて消える温かい音楽の放射。最近の潮流とは違って確かに隙が多いんだ。でも、こんな音楽の胸倉を掴んで、ここの音量が適当だ、あそこの和音が散漫だ、なんてやるのはたいへん野蛮な行いだよね。

縁あって、1階センター十数列目中央という、普段ならば絶対に座らないような場所で音楽を聴いていた。あのほんわかとして明朗な響きのブレンドが、NHKホールの3階の奥まで伝わったのか、あるいはFMの電波に乗ったのか、わからない。わからないけど、僕は自分の耳であれを聴いた。

カーテンコール。団員が立ってくれず、逆に足ドタドタで讃えられて、真っ赤になりながら困って腕を広げるサー・ネヴィルを見てたら、なんかグッときちゃった。
NHKホールを出たら、寒い。
by Sonnenfleck | 2010-09-26 09:34 | 演奏会聴き語り

わが北北東の祖国

局所的に話題になっていて可笑しかったので僕も真似してみよう。
すなわち6曲、「出羽柵」「雄物川」「内舘牧子」「白神の森と草原より」「後三年の役」「戊辰戦争」である。

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あんまり面白くないな。でも構わない。僕らには、混声合唱と大吹奏楽団のための県民オラトリオ《大いなる秋田》があるからねフフン(無理やり)。


2分20秒過ぎからのカッコよさは異常。
くだんの部分は1930年の作曲なので、いかにもその時代らしい。
今はけっして歌われない歌詞、
篤胤信淵巨人の訓 久遠に輝く北斗と高く 錦旗を護りし戊辰の栄は 矢留の城頭花とぞ薫る 歴史はかぐわし誉の秋田
を思うもよし。音楽はリヒャルト・シュトラウス→山田耕筰→成田為三という感じだすべかな。YouTubeには初音ミクVerも存在する。
by Sonnenfleck | 2010-09-25 09:07 | 日記

ル・ジュルナル・ド・パリ(9/20)

c0060659_21573915.jpg【公演9 2010年9月20日(月)14:00~15:00】
●ラヴェル:4手のための《マ・メール・ロワ》
⇒アンヌ・ケフェレック+児玉桃(Pf)
●ドビュッシー:《前奏曲集》第1巻より
 〈デルフォイの舞姫〉〈帆〉〈雪の上の足あと〉
 〈亜麻色の髪の乙女〉〈パックの踊り〉〈吟遊詩人〉
⇒クレール=マリー・ルゲ(Pf)
●同:《前奏曲集》第1巻より〈沈める寺〉
●同:《前奏曲集》第2巻より
 〈オンディーヌ〉〈月の光がそそぐテラス〉〈花火〉
⇒アンヌ・ケフェレック(Pf)


桃氏の柔らかい低音パートに、ケフェレックの怜悧な打鍵による高音が輪郭を施していく。《マ・メール・ロア》が理想的な名演奏だったなあ。この作品のまったき本来の姿である連弾版は、ライヴで出会うことが極端に少なく、千載一遇の好機を逃さずに済んだ。
〈美女と野獣〉の暖かさも格別だったけども、〈妖精の園〉の気高い佇まいには昇天の心地せり。じぃんと痺れて拍手もままならず。

ルゲ嬢の前奏曲は地上的にして生活的で、あれもドビュッシーの一側面かもしれなかった。大掴みの和音が逞しい。
かたやマダム・ケフェレックの前奏曲は、峻厳な居ずまいがどこまでも鋭く尖り、軽い疲労感を感ずるほどなのですな。〈花火〉は〈火花〉であった。

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【公演10 2010年9月20日(月)16:00~17:00】
●ドビュッシー:《前奏曲集》第2巻より
〈霧〉〈枯れ葉〉〈ヴィーノの門〉〈ヒースの草むら〉
〈風変わりなラヴィーヌ将軍〉〈ピックウィック卿をたたえて〉〈カノープ〉
⇒クレール=マリー・ルゲ(Pf)

●フォーレ:舟歌 第10番イ短調 op.104-2
●同:舟歌 第11番ト短調 op.105-1
●同:夜想曲 第11番嬰ヘ短調 op.104-1
⇒ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)


ルゲ嬢のいくつかの前奏曲は(〈ラヴィーヌ将軍〉とか)、打鍵がきつすぎ、無理に自分を大きく見せようとしているみたいで少し居心地が悪かった。等身大でオーガニックな〈ヒース〉、とってもよかったのにな。

ペヌティエのフォーレは何かの啓示だった。おじいさんと一緒にホットミルクを飲むみたいな。
手にしたマグの中身がホットミルクになるまで、何がしかの何かがあったのだろうけども、孫たる聴き手はビターな何かを感じても、その正体は掴めない。ペヌティエの静かな語り口は、そのようであった。

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【公演11 2010年9月20日(月)18:00~19:00】
●フォーレ:即興曲 第6番変ニ長調 op.86
⇒ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)

●ドビュッシー:4手のための《古代のエピグラフ》
⇒児玉桃+クレール=マリー・ルゲ(Pf)
●同:《12の練習曲》第1巻より〈4度音程のための〉〈8度音程のための〉
●同:《12の練習曲》第2巻より〈半音階のための〉〈反復する音符のための〉
⇒アンヌ・ケフェレック(Pf)


《エピグラフ》まで睡魔強襲。個人的この夏のテーマソングだったので無念。

さてもマダム・ケフェレックの弾くエチュードの凄まじさよ。彼女のストイックさとドビュッシーが考えていたモダニズムが化学反応を起こして、厳しい「かたち」ができあがってきた。触れるものを拒む。聴き手は遠巻きに万雷の拍手。

+ + +

【公演12 2010年9月20日(月)20:00~21:00】
●ドビュッシー:語りとピアノのための《おもちゃ箱》
⇒石丸幹二(朗読)+児玉桃(Pf)

●フォーレ:夜想曲 第13番ロ短調 op.119
⇒ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)

●ラヴェル:VnとPfのための《フォーレの名による子守歌》
⇒フィリップ・ベルナール(Vn)+ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)


最終公演。入りは本日最多やも。
《おもちゃ箱》がちゃんとして上演されるのはそうそうないことだろうから、これも貴重な体験だった。兵士の物語に似た他愛ない筋だけど、ヴァイオリンを持った悪魔がぶち壊していかないのと、ドビュッシーの甘く冷ややかな音楽のために、後味悪からず。桃氏の柔らかい音もそれを手助けする。

そのあとのフォーレは、おじいさんのホットミルクが最後にもう一度だけマグの中でぐらぐらと煮え立つような、たいそう胸苦しい音楽であった。
いったいフォーレとは何者だったか。ペヌティエは自分で考えろと言った。

ラヴェルがエピローグを書く。じんわりとした小品だったけど、しかし決定的にラヴェル工房のクリスタル。ヴァイオリンとは不思議な音のするものよな。
by Sonnenfleck | 2010-09-22 22:29 | 演奏会聴き語り

ジュルナル中

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ペヌティエが弾くフォーレの舟歌に、何とも言えない何かを感じる。
by Sonnenfleck | 2010-09-20 17:06 | 日記

森は蠢いている

c0060659_2237539.jpg【DISCLOSURE/DS0055-2】
●ヤナーチェク:序曲《嫉妬》
●ドヴォルザーク:交響的変奏曲 op.78
●ヤナーチェク:《シンフォニエッタ》
⇒サー・チャールズ・マッケラス/
  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(2004年1月22日、マッケラスのBPOデビュー)

昨年も書いたように僕はヤナーチェクの音楽に距離を感じていて―それはバルトークに感じる微妙な距離とは比べものにならないくらい、絶望的な断絶なのかもしれないのだが―、遠いなりに、この作曲家の不思議さに敬意を払ってもいる。人はこれを敬遠と呼ぶのか。

今やブームの去った《シンフォニエッタ》も、手許にあるのはノイマン/南西ドイツ放送響の録音(Arte Nova)だけ、という状況で、その乾いた静物画のような演奏を聴いて、僕はこれがヤナーチェクなんだあと思っていた(これは想像に過ぎないけども、村上春樹が聴いていたセル/クリーヴランド管の録音も、ノイマンの録音に似てるんじゃないかなと思う)。そういう状態で、マッケラスに寄せたアリアCD店主氏の追悼文に心を動かされてこのディスクを購入しました。

《シンフォニエッタ》を聴いて、ぶったまげた。
テクスチュアのあちこちがギョロギョロと蠢いて、とても気持ち悪いんだよね。
8月に熊野の山の中を歩いているとき、「森の音」としか表せないような、しーん、という音を聴いたのだけど、この、しーん、という音も、杉が気体を吸い込んだり、蟻が小枝を踏んだり、落ち葉が腐ったりする、そういう小さな音のハルモニーなのだろうと思った。気持ち悪くても、それが真。
僕はこの曲の主役を横への機械的運動だとばかり思い込んで(あるいはこの曲に限らず、ヤナーチェク特有の抑揚だけに囚われて)、縦の豊饒な空間を見ていなかったし、同じように、殊ヤナーチェクにおける指揮者マッケラスの練達の手捌きも、僕にはほとんど見えていなかったようだった。

第1楽章の立ち上がりは磐石ではなく、せかせかと速いテンポにオケが幾分ふらついてさえいるんだけど、第2楽章後半から響きが急激に引き締まりつつ、泥のような、草いきれのような強い香りを纏う。
第3楽章の弦楽合奏の綿密さに天下のBPOだなと素直に感激しつつ、フィナーレに向けての管楽隊への追い込みは圧巻の一言に尽き、ちょっと信じがたいような曼荼羅的音響が立ち上がって、須臾にして全曲が過ぎ去ってしまった。百鬼夜行のようであった。あるいは村上春樹の好きな表現を使うなら、このヤナーチェクは「損なわれていなかった」ということか。

+ + +

このような私は、次に何を聴いたらいいでしょうか。《利口な女狐の物語》でしょうか。《草陰の小径》でしょうか。
by Sonnenfleck | 2010-09-19 23:32 | パンケーキ(20)

on the air:ラトル/OAEの《トリスタンとイゾルデ》第2幕が凄かった@プロムス

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【2010年8月1日 ロイヤル・アルバート・ホール】
●ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》第2幕
→ヴィオレッタ・ウルマーナ(S、イゾルデ)
  ベン・ヘップナー(T、トリスタン)
  フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ(Bs、マルケ王)
  サラ・コノリー(MS、ブランゲーネ)
  ティモシー・ロビンソン(T、メロート)
  ヘンク・ネヴェン(Br、クルヴェナール)
⇒サイモン・ラトル/エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団
(2010年8月27日/NHK-FM)

啓蒙時代管が、野獣のような、物凄い音を出していた。

これは、ここを覗いていただけるような方は、きっと聴かれた方がいいと思います。プロムスだからウェブラジオにはたくさん流れるし、普通のコンサートのライヴよりも遭遇できる可能性が高いものね。

弦楽器が主役になる局面は、恐らく19世紀中頃の(あるいはその頃のレプリカの)楽器が使用されているだろうし、普通のモダンオケで聴くワーグナーとそう大差はない。音色の点では若干細身で薄化粧かな?という程度の違いしか感じ取れなかった。もちろん、アーティキュレーションは粘つくことなく爽快で、話し言葉のように自然な知性があるけれども、ノリントン/LCPのワーグナー演奏のように極端なストイックさを予想していると肩透かしにあう。

しかし。しかしながら。管楽のアンサンブルになると一気に雰囲気が生々しい。
美しく野生的な雑味の混じったこの響き!
この楽劇が作曲された19世紀の中頃まで、管楽器は現代と異なる様々な形を保っていたはずで、ラトルや啓蒙時代管がそのどれを選んだとしても、現代のフルモダンオケのように均質な音色になることはない。
オーボエ、クラリネットにフルート、ホルン、、ブランゲーネの夜警の歌に折り重なる木管楽器の複雑な風合い、そして冒頭の不吉な一発と、不倫バレの瞬間の禍々しい金管楽器の叫び。。このあたりはピリオド楽器の響きがまったく生きる。

ただ、マルケ王がっかり場の後半で前奏曲のテーマが再生されるけども、あの動機だけはモダンの肉厚な響きに慣れきっているためか、ちょっと物足りなさが先行した。これは一応書いておきたい。ピリオドの《トリスタンとイゾルデ》も万能とは思えず。素敵な部分はとても多いけどね。

+ + +

歌手は、奇しくも2年前の夏に聴いたセラーズ演出のパリ国立オペラと2人かぶる(ウルマーナとゼーリヒ)。ブランゲーネ役のコノリーも素敵でしたが、ヘップナーは少し調子が悪そうでした。オケとのバランスは、ちょっと声が強すぎる箇所が多かったように思うけど、これはマイクで拾われて調整されてるでしょうから、生で聴いたらどうだったろう。
by Sonnenfleck | 2010-09-16 23:04 | on the air

甘皮に火もほのめけや焼林ご

c0060659_212148100.jpg芥川竜之介の俳句集を捲っていて、こういう句を見つけた。ヴィヴィッドにイメージが広がるね。

KIRIN「世界のキッチンから」シリーズ、秋の新作。
元来、林檎ってのはそんなに甘くなくて、後味を引かない果物であるけれども、「アップルモーア」のツンと澄ました味わいには非常に心惹かれた。
舌触りは滑らかで、かすかに甘いミルクの香りをさせながら、口に含むと確かに加熱した林檎の味わいがある。そして何事もなかったかのように味も香りも消える。これいいなあ。「とろ桃フルーニュ」よりなお好き、伝説の名作「マセドニアグレープ」にもじわりと迫るキャラ立ち。

最近流行りの「人工甘味料ドバドバ=カロリーゼロ」を謳う、不味すぎる、ジャンクドリンクとすら呼べないような駄液体が立ち並ぶコンビニの保冷棚のなかに、「アップルモーア」の細身の姿を発見したら、買い逃してはいけません。
by Sonnenfleck | 2010-09-14 21:23 | ジャンクなんて...

ラザレフ/日フィル 第623回東京定期演奏会(9/10)

c0060659_1152388.jpg【2010年3月13日(土)14:00~ サントリーホール】
<プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクト vol.5>
●チャイコフスキー:組曲《白鳥の湖》より
●プロコフィエフ:Pf協奏曲第3番ハ長調 op.26
→上原彩子(Pf)
●同:交響曲第5番変ロ長調 op.100
 ○同:《戦争と平和》op.91~〈ワルツ〉
⇒アレクサンドル・ラザレフ/
  日本フィルハーモニー交響楽団


ふう。またもべた褒め路線なのか。
第3、第4と聴いてきて、しかし今回も素晴らしいのだから仕方がない。
2005年に彼らが同じ第5交響曲をやったとき、自分は「実演でここまでの5番が聴けるとはゆめ思いませんでした」と書いてるんだけども、今回はそのときの印象をさらに上回る圧倒的な完成度。第4楽章の最後の音が消えきったのと同時に、おおぉっ...という低い感興の声が客席から沸き上がったのであったよ。

+ + +

さて、2005年の演奏を「ブルックナーのような」「大蛇がずるずる」と感じた自分の感覚を疑うわけではないけれど、2010年の演奏はそうした雰囲気がほとんどなくって、むしろ全編にわたって柔らかく、大変にエレガントな様相を呈していたのだった。ラザレフにあっては標準装備の、打楽器・金管の瞬間的な強調を槍玉に上げて「だからダメ」とする意見もウェブ上ではちらほら見かけたが、それでは木を見て森を見ずではないかなあ。

プロコフィエフが演奏もされず、録音も多くないという現実からは、この「セルフツンデレ作曲家」の分裂した内面を実現する困難さが透けて見える。「悪ぶり」と「人民のためのリアリスト」と「かわいいメロディ大好きっ子」と。。第5交響曲はまだしもそのバランスが取れているほうではあるものの、第1楽章などは、期待された雄大さとメロディ愛との齟齬が肝になっていると思うのね。大概の演奏ではメロディ愛のほうを潰しちゃうんだけども。。
で、ラザレフは。嘘くさくなるところまで雄大さを膨張させる一方、渾身の制御で響きの柔らかさと潤いを保って抒情的なメロディの登場を促し、結果としてパステルピンクの巨大戦艦、みたいな大矛盾をそのまま答えとして提出してきたのだった。齟齬が齟齬のまま輝いてしまうという不思議。音価や音程に関するアンサンブルはこれまでのシリーズに比べると落ちるかなと思ったけど、柔らかなアーティキュレーションは隅々まで徹底されていたので、これは問題にならない。

第2楽章は想定どおりのハイテンションコメディだったので満足しつつ措くことにし、第3楽章第4楽章
これらの楽章の造形は2005年の記憶とまったく異なっていて、架空のバレエ組曲のとあるナンバーのように、引き摺らない快速のテンポにアクセントは軽く、山場もあくまで紳士的で絶叫しない。大蛇どころか透き通った羽虫のような仕上がりだったなあ。
これはラザレフがアプローチを変えたのか、僕の感覚が変わったのか、その両方なのか、、しかしまるで後期プロコフィエフそのもののような哀感が惻惻と漂ってきて、次回第6交響曲の仕上がりに強く期待せざるを得ない。交響曲プロジェクトはもうすぐ終わってしまうけれども、ラザレフ政権のうちに《石の花》なんかがライヴで聴けたら、まさに本望でしてね。

アンコール。《戦争と平和》のワルツも物凄く静かだった。

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第2楽章から当日券で入ったので、あんまり自信はないけど、協奏曲第3番はソロとオケが最後まで合わず、アンサンブルもざわついていて出来がいいとは思えなかった。《白鳥の湖》抜粋はずいぶんよかったみたいですね。聴きたかったな。
by Sonnenfleck | 2010-09-12 11:05 | 演奏会聴き語り

王さまリリカルマシン

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はああ。こんなに良いプロコフィエフが聴けていいんだろか。
by Sonnenfleck | 2010-09-10 21:28 | 日記