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2010年の12月30日に

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実家に帰省していますが、今朝はまるで東京かどこかのように天気がようござる。
コンサートベスト10とかCDベスト10とか、今年はもう面倒なのでやりません。アーノンクールの《天地創造》が群を抜いて素晴らしかったことは自分の中に記憶されていますが、それぞれのマチネ、それぞれのディスク、みんなどこかしら、いいところがありました。

新しい年を迎えても、自分の思いやメモ、時には意見を書きつける場として、このブログはだらだらりと続いていくでしょう。また、そのとき、これまでと同程度にスタンドアロンでいるのか、それともフォローしフォローされるワイアードな環境に(部分的にでも)移行するのか、今の僕にはわかりませんが、どちらであっても、ここに書きつけられるものの中身にはそれほど影響しないでしょう。

皆さま、よいお年をお迎えください。
by Sonnenfleck | 2010-12-30 10:45 | 日記

ミ印良品(季節の品のお買い得)

2010年度のクリスマス中止派は、金→土という最強のカレンダー配置を前にして、戦わずして敗走したようであります。今年は「いつものあれ」が見つからない。中止派の職人は何してるんだよー!
(追記)あ。ごめんちゃんとあった

+ + +

c0060659_21265525.jpg【ARCHIV/UCCA3123】
<シャルパンティエ>
●《テ・デウム》 H146
●クリスマス・オラトリオ《主の御降誕のカンティクム》 H416から〈夜〉
●4声合唱、リコーダーと弦楽のためのクリスマスのミサ曲《真夜中のミサ》 H9

→アニック・マシス(S)、マグダレーナ・コジェナー(MS)
  エリック・ヒュエ、パトリック・ヘンケン(T)
  ラッセル・スミス(Br)、ジャン=ルイ・バンディ(Bs)
→ルーヴル宮合唱団
⇒マルク・ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊

さて、この季節はシャルパンティエだな。アンリのケーキじゃなく、マルカントワーヌの《真夜中のミサ》
内気な美少年みたいなシャルパンティエ、僕はわりと好きなのですが、このあいだ買い求めたミンコフスキ盤を聴いてみますと、彼ららしい「愉しませ・面白がらせ」が極めて良い方向に働いているのがよくわかりました。

クリスティ/レザール・フロリサンのディスクを取り出して比べてみる。
声を輪郭線に用いてしっとりとレガート気味の柔らかな響きを形成し、小節線にもそれほど拘らず、明らかにリュリのような流儀で《真夜中のミサ》を捉えているクリスティ(久しぶりに聴いたが、いい演奏だね)。
対するミンコフスキはラモー、までは行かずとも、もっとざっくりとした、通奏低音が拍子を形成するコレッリ流の器楽重視路線でこの作品を演奏する。この拍子はあくまでも厳格であり、声を完全に支配下に置き、それゆえの舞踊的魅力を備えているわけですね。

どちらが優れているかという判断はできないが、今のところはミンコフスキの録音のほうが好きだな。ダンスナンバーだけではない、マイナー曲を量産していた90年代のミンコフスキの美点として、この作品ではたとえば〈クレド〉のように、なで肩の親密な美しさを提供する部分も多いわけだし。

+ + +

ちなみに《テ・デウム》は、今日のミンコフスキの「愉しませ・面白がらせ」肥大症を予期させる、たいへん豪快愉快な演奏です。ラッパと太鼓がいない場面でもオルガンとリュートを打楽器みたいにして(!)拍を作ってガンガン前に進んでいくのは、聴いていて素直に凄いと思う。
by Sonnenfleck | 2010-12-25 21:28 | パンケーキ(17)

表現主義とミクラシックの甘い関係

久しぶりにニコニコ動画に潜ってみたら、途轍もないシリーズが始まってて注目せざるを得ない。楽器としての初音ミクは、まことに異様な存在感を持っている。オタのおもちゃというレベルをはるかに超えているのよ。

◆初音ミクにシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」を歌わせてみた。
→第1曲《月に酔う》


◆初音ミクにシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」を歌わせてみた#02
→第2曲《コロンビーナ》


◆初音ミクにシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」を歌わせてみた#03
→第3曲《伊達男》


◆初音ミクにシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」を歌わせてみた#04
→第4曲《蒼ざめた洗濯女》


+ + +

もともと萌えボイスは表現主義に合うなあと思っていたが(現にシュプレッヒシュティンメでもそういう声質のひとはいるしね)、そこへロボっぽさも加わるとかなりの感性論的威力を持つ。

今年の「あいちトリエンナーレ」で、平田オリザがロボットを出演させた演劇をやってましたよね。それに倣って、音源は初音ミクのシュプレッヒシュティンメ、歌手は株式会社ココロの「アクトロイドF」、アンサンブル・ノマドか東京シンフォニエッタの伴奏で、ピエロ・リュネールの新しいかたち。どっすかどっすか。
by Sonnenfleck | 2010-12-22 23:27 | 広大な海

デュトワ/N響 2010横浜定期@みなとみらい(12/18)

c0060659_10434174.jpg【2010年12月18日(土)14:00~ 横浜みなとみらいホール】
●ラヴェル:Pf協奏曲ト長調
 ○ブーレーズ:《12のノタシオン》~I, IV, V, II
→ピエール・ロラン・エマール(Pf)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調 op.65
⇒シャルル・デュトワ/NHK交響楽団


冬晴れの
土曜の午後の
横浜の
こんなところで 聴く曲じゃない

それはさておき(ああ)

タコ8。自分が生で聴いたN響の中では、ブロムシュテットの《グレート》以来のスマッシュヒットだった。それはオケ内の志向がばらばらにならず、きちんと意思統一が図られているという意味で。ミスの多寡はあまり問題ではない。

デュトワのショスタコーヴィチ、面白いんだね!特にそれを、第3楽章の拍の取り方に強く感じた。
ショスタコの中でもとりわけ深刻で重たい第8交響曲を取り上げるなんてのは、まずだいたいがロシア系の指揮者たちである。
彼らにもさまざまなタイプがあるから十把ひとからげにはできないが、中期ショスタコの急速楽章に限れば、小節の中を絨毯爆撃していくような「踏みしめ型」のリズム把握がほとんどだろう。非ロシア系でこの曲をレパートリーにするハイティンクやベルグルンドも、やはり同じタイプ(プレヴィンとショルティは聴いたことがないのでコメントできないのですが)。

ところがデュトワはね。違ったんだな。
Vaから始まるリズム[タ・タ・タ・タ│タ・タ・タ・タ│タ・タ・タ・タ]というのがこの楽章の「踏みしめ」だとすると、デュトワがやったのはタタタタタタタタタというような「跳ね飛ばし」(したがってそのぶん、聴感上の速さは著しい)。これは古楽では当然の拍取り方法だけども、ショスタコーヴィチでこういったのを聴くと胸が熱くなっちゃうよね。このスピードではトロンボーンとテューバは死んでしまうなあと思ったら、皆さん顔を紫色に染めながらも拍を崩さない。ここで拍が崩れなければ、デュトワの意思は実現されきったと言っても良いと思われた。まるで《ミューズの神を率いるアポロ》を聴いているかのようだった。ほんとだよ。

こうした拍取りに基づく演奏様式は、この日の演奏の急速な部分においては至るところで見つけることができたし、さらにじっくり聴けば、緩徐な部分でも見つけられそうであった。ショスタコ演奏でもこういったことができるのだということに驚くのと同時に、なぜ誰もこうした様式を用いたがらないのか、たいへん不思議に感じたのである。
今のところ、このようなスタイルのショスタコーヴィチを聴いたことはあまりないし(ティエリー・フィッシャーは比較的近かった)、もしデュトワがこのスタイルでぶれずに録音してったりしたら、ショスタコ演奏史に残る交響曲全集ができるだろう。あるいはリムスキー=コルサコフまで来ているインマゼールが、反対側からトンネルを掘り進めてきているのかもしれないが。。

リズムの話ばかりしてきたが、デュトワのハーモニーの感覚も、ショスタコにおいては新鮮な結果をもたらしている。
第1楽章では、濁りながらも黒光りするツヤあり感がプーランク(シリアス時)を思わせたし、第2楽章は野蛮のポーズとべちゃべちゃとしたテヌート(もちろんこれはわざとだよね)とが相まって、お腹をこわしたオネゲルのような趣き。第4楽章は冷たく湿ったブリテン風。第5楽章《ペトルーシュカ》の、謝肉祭の市場そのまま。
ロシア系の指揮者たちがつくる生真面目な第8とは一線を画すカラフルな様相、お見事としか言いようがない。

加えて、オケの状態も悪くなかった。いや、正確に書くならば「優6割、良3割、可と不可で1割」くらいのブレンド具合なのかな。いつもは「良」の割合が非常に高いN様ですが、今回は「優」が多くて素敵。池田さんのコーラングレがMVP、そしてVaVcKbと打楽器の皆さんの充実が著しかったでした。

+ + +

前半のラヴェル。いや、よかったよ。エマールもアンコール弾いてくれたしね。でもちょっと変な演奏だったような気がするぞよ。

第1楽章の鈍いアンサンブルにはガッカリさせられたが(どうしたことでしょうか)、第2楽章から急に立ち直って、そして第3楽章が来た。
相変わらずの美しさを放射する前の楽章との落差をつけるために、この両手協奏曲の最後の楽章では、不真面目なアーティキュレーションを多めに盛り付けて、はじけてしまうことが多いと思うんですよ。
ところが、この日の演奏は最後まで抑制が強く効き、箱庭的な停滞感が漂っている。箱庭の完成度が極めて高いために、音楽として展開していくことすら箱庭の中に組み込まれていて、内にしか向かっていないことを気づかせない。鉄道ジオラマの登場人物は、自分たちが模型の中にいるのだと、目の前を走る電車が同じところを回っているだけだと、そういうことに気がつくのだろうか。みたいな怖さ。

アンコールはブーレーズのノタシオンから数曲。前に進む音楽。収穫したての野菜のようにしゃきしゃきと瑞々しく、甘い。
by Sonnenfleck | 2010-12-19 10:56 | 演奏会聴き語り

さようならティシチェンコ

Obituary; Composer Boris Tishchenko dies in St. Petersburg at 71.(Санкт-Петербургский ресурсный центр современной академической музыки/12月12日)
Boris Tishchenko obituary:Prolific, expressive composer, a protege of Shostakovich(guardian.co.uk/12月16日)


ティシチェンコも死んでしまった。
こんなにお師匠さんに忠実な弟子があったろうか。今夜は、DSCHが愛したチェロ協奏曲を聴いて、一番弟子の死を悼むことにしよう。

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by Sonnenfleck | 2010-12-16 23:16 | 日記

on the air:旧ABQメンバー揃い踏み、シューベルティアーデ。

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【2010年6月24日 シュヴァルツェンベルク、アンゲリカ・カウフマン・ザール】
<シューベルティアーデ2010>
●モーツァルト:Pf四重奏曲第1番ト短調 K478
●ロッシーニ:VcとKbのための二重奏曲ニ長調
●シューベルト:Pf五重奏曲イ長調 D667 《ます》
⇒クリスティアン・ツァハリアス(Pf)
  ゲアハルト・シュルツ(Vn)
  イザベル・カリシウス(Va)
  ヴァレンティン・エルベン(Vc)
  アロイス・ポッシュ(Kb)
(2010年12月11日/NRK Klassisk)

ピヒラーぼっち。いやん。

僕の友人で、室内楽とメンデルスゾーンに魂を売り渡したヴァイオリン弾きがいるのだが(彼はメンデルスゾーンの胸像を自室に飾って毎朝晩拝んでいる)、小田原のあたりで彼と話をしていたときに「今ほど室内楽シーンが面白く、輝いている時代はない」との見解で一致した。
彼はアルテミス・カルテットの熱烈なファンなのであるが、僕の乏しい経験を振り返ってみても、たしかにここ数年でライヴを聴いた若カルテット~中堅カルテットは(本当に大げさじゃなく)どこも圧倒的完成度を誇っていて、この百花繚乱ぶりには聴神経スパークなのである。アルテミスも早く聴いてみたいものよな。

ところでABQは、たしかに凄い存在であった。最後のメジャーカルテットとして(ハーゲンごめん…僕ハーゲン得意じゃないんだ)、今の百花繚乱状態に「スタート地点」を提供したということだけでも、彼らは永遠に記憶されるべき。フェアウェル・ツアーのときのことを思い出すと、たいへん絶妙のタイミングで、彼らは彼らであることをやめたのだなあと感じる。

+ + +

《ます》。力が抜けきって、まことに大人の音楽であった。
シューベルトやってるオレらかっけー、という雰囲気が、若いカルテットだと隠し切れずにじわっと滲んでしまうことが多いと思っていて、しかしそれはシューベルトの音楽それ自体にも自己韜晦の末に潜んでいる毒なので別にいいんだが(オレの音楽書いてるオレかっけー)、そうした意識の力こぶから自由になってふわふわと浮遊する演奏。
こうしたふわふわは、古いウィーン系のカルテットが持つ専売特許だと思っていた。彼らの微笑ましい(そして決して責められるべきではない)技術的ムニャムニャが取り除かれ、あちこちがスマートに締め直されると、このような演奏になるのだろう。非常な幸福感である。

第2楽章アンダンテなどは桃源郷状態。桃配られてお腹いっぱい。
第4楽章は、これは驚き。ここに至ると、フツーの演奏ならば「ますキタ━」という感じで、ここがクライマックスであるかのように力が入るのが常と思っていたが、彼らの演奏では実になんということもなく、《ます》主題も、前の楽章から続いている部屋の壁紙くらいの扱いでさらりと変奏されてしまっている。
第5楽章がクライマックスなのだよ。扉の向こう側にブラームスが立っている。
by Sonnenfleck | 2010-12-14 22:05 | on the air

精神と時のお買い物XXIV

ここ最近のものをいくつか。

【disk UNION お茶の水店】
1 ショスタコ:Sym#10(TELARC) *P. ヤルヴィ/シンシナティ響

【アリアCD】
2 マーラー:Sym#4ほか(Disclosure) *ベルティーニ/ベルリン・ドイツ響
3 ショスタコ:Sym#10(LANNE) *ロストロ/カーティス音楽祭管
4 ショスタコ:Sym#12(AULIDE) *ドゥリアン/ゲヴァントハウス管

【TKDBB "T"】
5 シャルパンティエ:テ・デウム(ARCHIV) *ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊
6 ラモー:コンセール集(DECCA) *ルセ+レ・タラン・リリク
7 モーツァルト:管楽協奏曲集(PHILIPS) *ブリュッヘン/18世紀オケ
8 ベートーヴェン:変奏曲集(DGG) *カシオーリ
9 鈴木大介「française」(fontec)
10 鈴木大介「大聖堂/追憶のショーロ バリオス名曲集Ⅰ」(Bellwood)

+ + +

⇒1。いまだ正体不明の。このひとのことをわかる聴き手になる努力。

⇒2は、2004年2月29日、ベルティーニの最晩年のライヴ。この1年後に彼は亡くなる。許センセが聴いたのはこの演奏会だろう。
⇒ライヴのロストロは信頼のニジュウマル。3。
⇒オハン・ドゥリアンは誰でしょう。4。マジですごい指揮者だと思うんですけど。

⇒5から10までは、"T"での掘り出し物。メジャーレーベルの未架蔵品があっと驚く値段で手に入ってしまった。鈴木大介さんのディスクなんかは、中古市場でほとんど見かけないのだけども(購入者はきっとみんな、大切にしちゃうんだよね)。
by Sonnenfleck | 2010-12-11 10:21 | 精神と時のお買い物

未来は僕らのとなりにありてあるもの

ご存知のように、クラヴィコードは17~18世紀に流行し、チェンバロと同じように急速に廃れた鍵盤楽器だが、チェンバロとは異なる機構を持っていて、あちらが弦をはじいて音を出すように、こちらは弦を叩いて音を出す。ピアノフォルテと同様のシステムながら、しかしその音量はごくごく控えめ且つたおやかで、理想的な可聴範囲はせいぜい四畳半ひと間といったところだろう(けっして大げさではない)。

すでに何度か書いているが、チェンバロを弾く(今はオルガンを弾く)友だちが、一時期クラヴィコードを所有していて、触らせてもらったことがある。僕はピアノが弾けないから深くは語れないけれども、打鍵とともに鍵盤の奥のほうが弦に触れる感触が生々しく伝わってくるのがこの楽器の楽しいところで、したがって音量の強弱を含んだ広範なアーティキュレーションが実現可能みたいである。

+ + +

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●バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988
⇒ベンヤミン=ヨーゼフ・シュテーンス(クラヴィコード)

そのときの体験が面白くて、こんなディスクを買ってみる。クラヴィコードで聴くゴルトベルク。

まずね。ライヴ感追求のために、このディスクは収録音量が極微なのだな。いつもと同じようなヴォリュームで再生し始めると全然何も聴こえないので(直感的には10メートルくらいの距離感)、慌ててきゅうっとつまみを回す。あるいは、つまみを回さないのもいい。「つまみ」ってなんだ。世界には「つまみ」の感性論的意味を探る学者もいるだろうに。

シュテーンスというひとは、パリでアンタイやボーモンにチェンバロを学んだあと、アントワープでインマゼールに出会って劇的にクラヴィコード熱に罹ってしまったらしい。ほんのところどころクセのあるルバートが掛かるのは変態師匠の薫陶によるんだろうけども、楽器の特質もあって、身体の延長線上のように素直でリアルなゴルトベルクだなあと思う。すげえ楽。疲れない。
第15変奏から第16変奏のギャップがあえて避けられているところに、日々に倦んでいる心根がゆったりと刺激される。お城みたいなフランス風序曲が聴けない状態にあっても、これなら、大丈夫。
第20変奏:マルチタスク。
第22変奏:性的桎梏から解放された萌え。

こういう気張らない、サンダル履きのバッハを聴くと、レオンハルトやレオンハルトに対するコープマンなどの演奏は、今になれば本当に「力抜いてよ…」という感じだな。したがって、すでにアロハ+雪駄的だったスコット・ロスは偉大だな。

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amazonでは、この「アルバム」がMP3で購入できる。密室的抒情は回線を通してひとり静かに得られるべきだろう。音楽をダウンロードする行為の美学的意味合いについては、誰か研究してください。
by Sonnenfleck | 2010-12-07 20:57 | パンケーキ(18)

華氏140度:4

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今日の東北新幹線全線開通に合わせて、桃鉄AOMORIがリリースされてました。たのしいです。途中でちゃんと延伸イベントがあって、新青森駅が出現したりします。桃鉄は、ある一定の世代から下の文系男子の心のふるさとだと思います。
by Sonnenfleck | 2010-12-04 16:43 | 華氏140度