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グスタフ・レオンハルト オルガン・リサイタル@明治学院チャペル(5/29)

c0060659_2132583.jpg【2011年5月29日(日) 15:00~ 明治学院チャペル】
●スウェーリンク:プレルーディウム
●シャイデマン:プレルーディウム(1637)
●アラウホ:ティエント第54番
●ラインケン:トッカータ ト短調
●フィッシャー:シャコンヌ ヘ長調
●ブロウ:3つのヴォランタリー
●ケルクホーフェン:ファンタジア第131・132・129番
●パーセル:ヴォランタリー ト長調
●ベーム:コラール前奏曲《キリストは死の絆につかせたまえり》
○アンコール フィッシャー:《音楽のパルナッソス山》~組曲《メルポメネ》のシャコンヌ イ短調
⇒グスタフ・レオンハルト(Org *ヘンク・ファン・エーケン(2009))


今日30日はレオンハルトの83歳の誕生日とのことだ。めでたい。

前にレオンハルトを生で聴いたのはこのブログを始める前の2004年6月であるから、実に7年ぶりということになる。そのときの感想メモを読み返すと「ベームとヴェックマンがすごかったです」と書いてあるのだが、前回は本人を目の当たりにするだけで感激してしまったので、内容に関してしっかりとした記憶があるわけではない。

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雨脚が弱まらない中、白金台の駅から傘を差して日吉坂を下る。明治学院大学に立ち入るのは初めてですが、きれいなところですね。晴れた日に来てみたかったな。
チャペルは入り口が狭く、また雨も降っていることから、開場してからも長い長い行列に。並んでいると雅明氏の姿を発見。行列もみんな古楽好きなものだからその辺は心得ていて、みんなニコニコして氏を眺めるの巻。

客席から演奏台が見えないのをいいことにどうやらずいぶん前からスタンバってたレオ爺、入場の儀もなくいきなりのスウェーリンク。電撃的。いくぶんの揺れやふらつきもなくはないが、タッチの鮮やかさは83歳とは思えないね。

さて、シャイデマンの古色蒼然としたストップによる分厚いブレンドから、アラウホの最初の一音で一気に、赤っ茶けて乾いた空気が空間を充たしたのは驚愕であった。これが巨匠の技か。乾いた真夏の強い日差しのような音の線が、見えないけれども確かに、チャペル内部の湿った木組みを貫いていた。完全に残響なしの明治学院チャペルの特性も、音の追い易さに寄与したようだった。

フィッシャーは個人的萌え曲なので、公正公平には聴けませんでしたけどね。
アラウホからさらに一歩進めて鋭く尖ったラインケンでのストップ捌きから、今度はすっと方向を変えて、フィッシャーでは軽く鼻に掛かって掠れたようなブレンドが用いられた。アーティキュレーションも素朴で可愛らしくて思わず涙ぐんでしまう。でも、フォルムが絶対に壊れず、低音が着実に推進しているのは、やっぱりレオ爺の通奏低音魂のゆえだろう。いまだ衰えぬ推進力。

ブロウの3つのヴォランタリーは、2曲目のストップが実に刺々しく、またタッチもたいへん攻撃的でちょっとびっくり。でも3曲目で、今度はあっと思わされるくらい香りの薄いブレンドが用いられて、その落差設計に舌を巻くという結末。

重たく輝かしいベームが終わると、前方の客席からいいタイミングで拍手が巻き起こる。オルガン直下の住人は上を見上げるしかなかったが、ちょうどバルコニーから顔を出して下を覗き込んだレオ爺と目が合ってハッピー。妄想じゃないぜ。絶対目が合ったぜ。
アンコールに、まさかのもう一丁フィッシャー。今度は短調のシャコンヌ。フィッシャーが最強に輝くのは、このリュリ風のシャコンヌなんである。ストップはまたぽそぽそしたブレンドに調合されていた。幸福のきわみ(聴いたことある、、と思って帰宅して調べてみると《メルポメネ》のシャコンヌであった)

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↑レオ爺はこのバルコニーからひょいと顔を覗かせた。直上と直下の出会いさ。


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昔、といってもそんなに昔じゃないが、山之口洋『オルガニスト』というSF小説があってですな。僕は今でも好きなんだけどね。
グールドみたいな演奏をする天才オルガン科学生が、ヴァルヒャとレオンハルトを足して3倍したようなギチギチの超マエストロ師匠と対立して、学生君のほうが失踪したと思ったら、超マエストロがオルガン演奏中にいきなり爆死(文字通り)して、返す刀で怪しい組織が登場し、いつしかお話はSFの高みへ、というぶっ飛んだ話。

『オルガニスト』は、いかにオルガンがメカであり、また音楽そのものであり、人間はメカと音楽に思いを寄せながら、果たしてその合一は図られるか?という切ない主題をも扱っている。この日、レオンハルトのオルガンを聴いていて、僕はこのSF小説の終結部を思い出していた。もしカーテンコール(と呼んでいいものなのかわからないが)でレオンハルトが姿を見せなかったら、あれはオルガンそのものが何らかの意思を得て自ら鳴っていたと錯覚するところだったのね。

奏者を見えないようにして音楽を神化する教会建築の狡猾さを実感するのと同時に、奏者も聴衆が見えないのだから、弾いているうちにオルガンや音楽との合一感が高まってくるものなのかなとも思う。不思議な楽器だ。

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オルガンの音が消滅すると、その隙間を雨音のホワイトノイズが埋める。またオルガンが鳴り出し、止み、雨だれ。深呼吸すると、古い木造建築が湿ったときの懐かしい香り。これらがあの濃密な一時間の世界のすべてであった。
by Sonnenfleck | 2011-05-30 21:43 | 演奏会聴き語り

華氏140度:12

いみじき荒天ながら、今日は明治学院大学のチャペルまで足を伸ばす。グスタフ・レオンハルトのオルガンを聴くためである。彼のオルガンを生で聴くのはこれが最後の機会だろうなという気もしている。プログラムの中央に注意深く置かれた、フィッシャーのシャコンヌを心待ちにして。
by Sonnenfleck | 2011-05-29 10:44 | 華氏140度

華氏140度:11

ボクも人間活動に専念したいです。
by Sonnenfleck | 2011-05-28 15:23 | 華氏140度

テツラフ+児玉桃+スダーン/東響 第589回定期演奏会@サントリーホール(5/14)

c0060659_222419.jpg【2011年5月14日(土) 18:00~ サントリーホール】
●シェーンベルク:室内交響曲第2番変ホ短調 op.38
●メンデルスゾーン:VnとPfのための協奏曲ニ短調
→クリスティアン・テツラフ(Vn)+児玉桃(Pf)
●ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 op.55《英雄》
⇒ユベール・スダーン/東京交響楽団


充実した一夜。聴きに行ってよかった。

何を隠そう、在京オケの中でもユベール・スダーンだけは生で聴いたことのないシェフで、10年くらい前はしばしばNHK-FMで流れていたモーツァルテウム管とのライヴ(ザルツブルク音楽祭)のほうが、東響よりもなじみ深いくらい。

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◆片付けないシェーンベルク。
第2楽章がとてもよかった。シェーンベルクによるマーラーへのオマージュとでも言うべきこの楽章を、あえてとっちらかったままばらばらばらっと開帳したのは、これはひとつの見識だと思う。楽器があちこちでぶつかり合う小爆発が連続して、テンションも上がる(もちろん、爆発を避けて太い縄で縛り上げるのもやり方)



◆「メンコン」タイトルに史上最強の挑戦者
ただの忘れ去られた秘曲だと思ってました。第二次大戦後にソロ+弦楽オケのみのパート譜が発見。この日の演奏で使われた、管楽器とティンパニ入りの完成稿が見つかったのは80年代に入ってから。その完成稿の蘇演はなんと1999年ということで、バリバリの秘曲だよね。
ところが聴いてみたらね。この曲のクールなことといったらない。こんな名曲がいまだに市民権を持たず、10年以上もほったらかしなのは理解に苦しむ。ソリスト複数ってのが鬼門なのかな。

ニ短調の疾走で幕が開く第1楽章の第1主題は、古風な気配。まるでバッハがアリアを導くようにして二人のソロの登場を促している。この曲を作曲した14歳のメンデルスゾーンは、wikipedeiaによれば、クリスマスプレゼントにマタイ受難曲のスコアをもらっているようで、何か意義深いものを感じずにはおれない。
オケがメン様らしい爽快な第2主題を仄めかして消えると、ソロの二人が電撃のように降り立つ。テツラフの鋼のような音と(すげーうめーまじでー)、桃さんの円やかな音が融け合って、えも言われぬ快空間。なおオケは軽めのギアに完全に切り替えられて、ひたすら薄くて軽い刻み隊に徹している。

擬バッハの硬質な第1楽章を引き継ぐ第2楽章は一転して緊張がほぐれ、特有の麗しい浪漫がふあふあと漂う。テツラフは相変わらず鬼神のような弓捌きだけども、時おり垣間見える優しい歌心にギャップ萌え。
そこへ桃さんの綺麗なアタッカで第3楽章。リズミカルでちょっぴりセンチメンタルなロンド形式はこれぞメンデルスゾーン!の貫禄。それにしてもテツラフがあまりにも巧くて言葉を失うのだった。なんだありゃあ。



◆凍れるエロイカ
この夜のエロイカには、ネット上ですでに多くの賛辞が集まっている。同意しないわけじゃない、が、僕はここでのスダーンの造型に物凄いフェティシズムを感じざるを得なかった。なるほどこういう音楽ができあがってくるのか。面白いなあ。

第1楽章の進まなさは果てしなかった。リピートなしに思わずホッとしてしまったくらいには。そこにあるのは、推進力をほぼすべて犠牲にするかわりに、発音にとことん拘って高い解像度を獲る、という哲学だった。録音を聴く限り、あの「遅さ」の中でもチェリビダッケは推進力を保持しているので、スダーン+東響の面白さはチェリとも異なる。勝れて絵画藝術的と言ったらいいのか。

つまり、進まぬ進まぬと思うかわりに、瞬間を輪切りにして聴くように努める。そうすることでその一瞬の鮮やかさに気づくことができる、というわけで。
あたうかぎり生硬で岩石のような1stVnと、春霞のようなFlがしっかり重ねられ、Vaがふっくらとした芝生を描けば、Obが鋭い光線を投げ掛ける。けっして油彩絵の具ではなく、水彩絵の具を品良く(しかし偏執的に)重ねたような美しさ。モローの水彩画を一度だけ見たことがあるのだが、たとえるならばそんな感じだ。

僕は弦の体験しかないから弓づかいの細やかなアーティキュレーションに注目したけれども、管プレイヤーの方の見方も気になる。とまれ、発音にこれだけ拘ると、さすがにクリーヴランドやベルリンフィルじゃない東響は推進力が落ちてしまうようで(各パートで次の音符を拾うのが若干遅れて、それが縦に積み上がる)、そのためにあの前に進まない独特の風貌が出現していると思われた。
でも、それが面白い。このやり方だと長いフレーズは勢いを無くすけど、短いフレーズはむしろ活き活きと輝く。変奏曲である第4楽章、そしてシェーンベルクがとても佳かったことの説明もつこう。

ただ、瞬間は鮮烈でも全体はのっぺらぼう、な葬送行進曲を聴いてしまうと、この楽章に代表されるような息の長いフレーズで構成される音楽に対して、スダーン+東響がどう向き合っているのか、ちょっと気にならないではない。スダーンそのものというより、スダーンがこのオケで採っている施策がそうさせているのかもしれない。

少なくともオケの献身的姿勢は素敵だ。これまで何度か聴いた東響の演奏の中では最も自発的で、俺らが監督の音楽を作るんだ、といった良好な雰囲気が確かにある。
by Sonnenfleck | 2011-05-24 22:04 | 演奏会聴き語り

精神と時のお買い物XXVI(ヘルネ充)

「クラシック音楽系女子力」のエントリはtwitter界隈に大きく流れて、うちのブログが始まって以来の途轍もないアクセスを呼び込んだのだが、普段はこんな程度のことを細々と書いてるだけなのでぜひ失望してくださいね>一見の皆さま。

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アリアCDから。すっかり忘れたころにどっと届く。

【アリアCD】
1 Robert Casadesus plays Mozart(SONY) *カサドシュ+セルほか
2 ラヴェル:Pf協奏曲集(DGG) *アース+パレー/RTF管
3 ショスタコ:Sym#10(HECTOR) *シルヴェストリ/ルーマニア放送響
4 ヘルネ古楽祭自主制作盤:2000年「帝国、日の沈まぬところ」*VA
5 ヘルネ古楽祭自主制作盤:2001年「同盟―音楽と政治」*VA
6 ヘルネ古楽祭自主制作盤:2002年「音楽の中の女性」*VA
7 ヘルネ古楽祭自主制作盤:2003年「拘束から放たれて」*VA
8 ヘルネ古楽祭自主制作盤:2004年「現実と妄想」*VA
9 ヘルネ古楽祭自主制作盤:2005年「越境」*VA

⇒1。カサドシュのモーツァルトがまとまって再発売されたので、この機会に全部揃えてしまおうと。楽しみだなあ。単純に楽しみだなあ。
⇒2。こんな録音があったんだね。メンツからするといかにもよさげ。
⇒3。羅ERECTRECORDのLPでしか存在していなかった、シルヴェストリのタコ10。覆刻メーカーがついにやってくれました!ああ!

⇒4~9は、在庫処分セールで一枚あたり数百円と狂ったような値段がついていたので、衝動的に買ってしまったハコものども(いつもは物凄く高い)。ヘルネとレーゲンスブルクは、いつまでたっても古楽系エアチェック小僧の憧れの地なのでした。あと今谷先生の紳士的な解説も。これでヘルネ充ライフに邁進。
by Sonnenfleck | 2011-05-21 09:18 | 精神と時のお買い物

モテるクラシック音楽系女子力を磨くための4つの心得

高度なネタと見なされて愉快なパロディがたくさん生み出されている「モテる女子力を磨くための4つの心得」。ちょっと今更感もありますけれども、一丁クラでもやってやるです。冗談のわからない方はスルーしといてください。

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こんにちは、クラヲタ女の少なさを逆手に取る研究をしているエビサワ嬢です。私は楽理もわからないし楽器も弾けませんが、クラヲタ男子の心に関してはプロフェッショナル。今回は、モテるクラヲタ系女子力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います。

1. あえて西ドイツプレスのDECCAを飲み会に持っていく

あえて西ドイツプレスのDECCAを持って行くようにしましょう。そして飲み会の場で好みの男がいたら話しかけ、わざとらしくCDを取り出して蛍光灯に当てて検盤するふりをしてみましょう。そして「あ~ん! このCD本当にマジでチョームカつくんですけどぉぉお~!」と言って、男に「どうしたの?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。「ショルティとかドホナーニとかデュトワとか好きでぇ~! ずっとコレ聴いてるんですけどぉ~! 蒸着が剥げかかって無音のとこがあるんですぅ~! ぷんぷくり~ん(怒)」と言いましょう。男は80年代の録音に軽いノスタルジーを感じる習性があるので、ディスクユニオンに初発盤を高く売って、そのお金で再発盤の廉価BOXを買い直しているはずです。

そこで男が「新しいBOX買わないの?」と言ってくるはず(言ってこない空気が読めない男はその時点でガン無視OK)。そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ~! 最近ブーレーズのマーラー全集が人気なんでしょー!? あれってどうなんですかぁ? 新しいの欲しいんですけどわかんなぁぁああい!! 私かわいそーなコ★」と返します。すると男は「それってジンマンのことでしょ? ブーレーズはまだ出てないよ。本当に良くわからないみたいだね。どんなのが欲しいの?」という話になって、次の休みの日にふたりでタワレコ渋谷のデートに行けるというわけです。あなたの女子力が高ければ、男が満タンのポイントカードを譲ってくれるかも!?

2. Twitterで><を使うとモテる

「ディミヌエンド」とか「クレッシェンド」などを表現する「><」をコメントに入れると、Twitterの男性ユーザーは「なんかこの子強弱がくっきりしてるなぁ」と思ってくれます。インターネット上では現実世界よりもイメージが増幅されて相手に伝わるので 「><」 を多用することによって、男性はあなたを感情豊かな女性と勘違いしてくれるのです。
なお「>」はアクセント記号と混同されることがありますが、論争になるのはせいぜい未完成交響曲の第1楽章ぐらいなので気にしないようにしましょう。

3. とりあえず男には「えー! なにそれ!?  知りたい知りたーい♪」と言っておく

飲み会などで男が女性に話すことといえば未聴CD枚数の自慢話ばかり。よって、女性にとってどうでもいい話です。でもそこで適当に「へぇーそうなんですかぁ~?」とか「よくわかんないですけどすごいんですねぇ」と返してしまうと、さすがの男も「この子、俺様のフルトヴェングラー覆刻コレクションに理解がないな」と気がついてしまいます。佐川のお兄さんがポストに入れた不在票を見てヒステリーを起こすのだとバレたら終わりです。そこは無意味にテンションをあげて、「えー! なにそれ!?  知りたい知りたーい♪」と言っておくのが正解。たとえ興味がない話題でも、テンションと積極性でその場を乗り切りましょう。積極的に話を聞いてくれる女性に男は弱いのです。

いろいろと話を聞いたあと、「マルチバイ30%+ポイント15倍は0.7/1.15だから=0.609、39.1%オフなんですね! 覚えたぞぉ! メモメモ!」とコメントすればパーフェクト。続けて頭に指をさしてくるくる回しつつ「ランランラン! ランランラン!」と言って、「どうしたの?」と男に言わせるのもアリ。そこで「ランランの変顔のイメトレをしているのでありますっ☆」と言えば女子力アップ! そこでまた男は「この子ホワイトハウスで海道東征をピアノ編曲して弾いてくれるかも!?」と思ってくれます。私は知識はさっぱりですが、こういうテクニックを使えば知識がない私のような女のほうがモテたりするのです。男は優越感に浸りたいですからね。

4. コンサートホールでは1階席1列目を選べない女をアピールせよ

男と当日券売り場に行ったら、真っ先に1階席1列目の空席を探して「あーん! 私これ選べないんですよねぇ~(悲)」と言いましょう。するとほぼ100パーセント「どうして? 嫌いなの?」と聞かれるので、「嫌いじゃないし座りたいけど座れないんですっ><」と返答しましょう。ここでまた100パーセント「嫌いじゃないのにどうして座らないの?」と聞かれるので、うつむいて3~5秒ほど間をおいてからボソッとこう言います。「……だって、……だって、いつもここに座ってる人たちが座れないじゃないですかぁっ! いつもの人たちかわいそうですぅ! まだ開場もしてないのにぃぃ~(悲)。みんな遠慮して1列目は予約しないんですよ……」と身を震わせて言うのです。

その瞬間、あなたの女子力がアップします。きっと男は「なんて優しい天使のようなコなんだろう! 絶対にゲットしてやるぞ! コイツは俺の女だ!」と心のなかで誓い、あなたに惚れ込むはずです。意中の男と付き合うことになったら、そんなことは忘れて好きなだけ1階1列目を選んで大丈夫です。「座れないんじゃなかったっけ?」と言われたら「大丈夫になった」とか「あなたの好みに付き合っていつもLAじゃやだ」「たまには私もかわいい女性ソリストを凝視したい」と言っておけばOKです。

(文=MOZマネジメント・エビサワ嬢)

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[参考リンク]
モテる現代思想系女子力を磨くための4つの心得
もてる栄養士系女子力を磨くための4つの心得
モテる鉄道系女子力を磨く4つの心得
H.P.ラブクラフトが教える「モテる女子力を磨くための4つの心得」

本物の女性クラヲタの皆さま、すんませんした。笑って許してくださいね。
by Sonnenfleck | 2011-05-18 21:54 | 日記

五百羅漢│増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信@江戸東京博物館(5/1)

普段はあまり極端な言葉遣いをなさらない「はろるど・わーど」のはろるどさんが「猛烈におすすめします」と激賞されていたのを見、これは何かあるなと思って、会期が始まってすぐに出かけることにした。

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c0060659_9195567.jpg芝の増上寺に、狩野一信(1816-1863)の描いた100幅の《五百羅漢図》が眠っている。この作品たち、幕末から明治の初めころはわりと知られた連作だったらしいが、今ではすっかり忘れ去られ、増上寺でも思い出すようにして数幅が取り出されるような状態だったようなのですね。それが140年ぶりに寺外に出され、このたび大規模展として一堂に会し、それはもう目も眩むような色彩と構図の乱れ雪月花、という感じなわけです。

羅漢というのは仏教の聖者たちのことで、しかし一信の描き方では、キリスト教の聖人たちのように清潔でもなければ非人間的でもなく、どこまでいっても泥臭くて、人間的であった。目を血走らせて怒っているものもあれば、風呂に入ってふやけた顔もあり、竜宮城に招かれて楽しそうにしているものも、施しに集まる餓鬼どもに呆れて引いているものもある(ついでながら餓鬼のがっかり感も必見)。

羅漢の肉体の肉々しさは江戸最後期のマニエリスム的な様子をよく伝え、また羅漢の衣や地獄の鬼や異教徒の描写の鮮やかさは、きついアクセントで演奏されるロカテッリやジェミニアーニを聴くような、才気走った鮮烈な印象を残すのです。

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↑第22幅《六道 地獄》 今回のポスターにも使われているド迫力の一幅。AKIRAもベルセルクもこのあたりからそんなに離れてないよな。

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↑第61幅《禽獣》 羅漢が一角獣の耳を掃除してやっている。《地獄》のような威圧的な作品は実はあんまり多くなくて、このような動物関連の和みシーンの絵が多い(一角獣の気持ちよさげな表情はぜひ実物で確認方)。二頭の霊獣がじゃれ合って毛玉化している「ぬこムービー」作品もある。

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↑第82幅《七難 震》 81から90までの七難セットは、背景が黒々と塗られて恐ろしい。地震で倒壊した家屋から人々を救出する羅漢隊。


全部で100幅、加えて下書きやら、東博所蔵の写しやらが数幅、一信が描いた成田山新勝寺の巨大壁画まで、この世の中のほとんどすべての事柄がこの中にあるんではないかと思われるくらい、宇宙的な規模の展開です。作品はそれほど小さくないけど、細部まで偏執狂的に描かれているので、ぜひ混雑しないうちにどうぞ。
by Sonnenfleck | 2011-05-15 09:21 | 展覧会探検隊

嗚呼ラブコメが僕を呼んでいる。

c0060659_2245583.jpg【passacaille/961】
<ヨハン・クリスティアン・バッハ>
●ソナタ ハ短調 op.17-2
●ソナタ ト長調 op.5-3
●ソナタ 変ロ長調 op.17-6
●ソナタ ニ長調 op.5-2
●ソナタ ホ長調 op.5-5
⇒ニコラウ・デ・フィゲイレド(Cem)

やっぱクリスティアン・バッハって佳い…というアルバム。かつ、ニコラウ・デ・フィゲイレドの代表作となるべき録音と思われる。

op.5-3 ト長調の、聴いてるこっちが痒くて恥ずかしくて身悶えするようなギャラントぶり。これは、上質なラブコメにニヤニヤしているときの気持ち、そして、読後に必ず感ずる幸福な空しさによく似てら。今日から僕はクリスティアン・バッハ≒ラブコメと認識することにする。なお、ここから中二病をこじらせるとブラームスの緩徐楽章になります。

op.17-6 変ロ長調などは様式が下っているせいか、モーツァルトの雰囲気かなりに接近しているけれど、モーツァルトのように展開部で深淵を覗くこともなければ、かと言ってハイドンほど健康的でもない。
でも、現世利益の何が悪い。俗気と色気の漂うフィゲイレドのタッチで聴くのに、これほど合う音楽もないだろう。第2楽章など、上品な香水が体温で温められて匂い立ってくるかのごとき現実的エロスである。

そんな曲どもを、ひたすら伊達に弾きまくるフィゲイレド。軽いタッチと絶妙の弾力、罪のない揺らめきが得意なフィゲイレドには、息子スカルラッティよりも親父バッハよりも(もちろんそれらも素敵なんだが)、この浮薄なキャラクタがよぅく似合っている。すべてのチェンバリストがアンタイやセンペだったら、この世は息苦しかろうよ。
そして、ここでフィゲイレドが弾いている1749年グジョンモデル(エミール・ジョバン製)のフレンチがかなり華奢な音のする楽器であり、この軽~い雰囲気づくりにまったく一役買っていることも、忘れちゃならない。
by Sonnenfleck | 2011-05-12 22:48 | パンケーキ(18)

Tonika [独]

c0060659_223121.jpgもともと冬から春は、ジャンク飲料の枯れ時。
そんな折、大震災が発生する。ジャンク飲料が棚を占有するのってどうなのよという無言の圧力を店長諸氏が感じたのかどうか、近隣のコンビニから水とお茶、少数のスポーツドリンク以外の飲み物が消えてしまった。

それでも夏はやってくる。すでにして今日も暑かった。夏はB級ドリンクの季節なのである。ジャンク枯れを破ってこのたび大塚食品が(大塚食品が!)発売した「tonika」は、桃の香りのトニックウォーターで、これがまあ手加減なく苦いのです。「苦味料」ってはじめて見たよ。

内容量が290ml、パッケージデザインも華やかすぎて、いかにもC級ドリンクっぽい(ファンタとか飲むプリンとかそういうやつね)のは、マーケティング的にほんとどーなのよ。こんな苦いの、おっさん層しかリピートしないよ?
尚、おっさん化しつつある僕はリピートするでしょう。

微炭酸シュワ音。
by Sonnenfleck | 2011-05-10 22:07 | ジャンクなんて...

晴読雨読:ルネ・マルタン+高野麻衣『フランス的クラシック生活』

この本でクラシックと出会うひとは幸せだと思います。何しろ、誰々のブルックナーなど聴きにいく方がわるい、とか、邪悪、とか、もうそういうのやめにしませんか、ということをきっぱりと示した、気高い本なものだから。
クラシックを聴こうとしているひとに、僕はこれから、この本をプレゼントすることにしたいと思う。そういう本が見つかってとても嬉しい。

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c0060659_8344393.jpgルネ・マルタン+高野麻衣『フランス的クラシック生活』、2011年、PHP新書。

「電車内読書のお供に」「5月、友だちを家に招いて」「秋、散る落ち葉を眺めながら」「つまらないデート、つまらないケンカ」「静かな夜の音楽」といったシチュエーションごとに、シチュエーションに寄り添う音楽をルネ・マルタンが薦め、それを受けた解説や、解説からの楽しい逸脱を含むエッセーを高野さんが記していくというスタイル。マルタンの名前が大きく出ているが、実際は半分以上のセンテンスを高野さんが担当しておられる。

この本の主役は、あなたです。洋服も、お茶の時間も、ちょっぴり物語を意識して演出してしまうようなあなたです。そうした方たちと、音楽についておしゃべりする―これがまさに、ルネに教えてもらったフランス語「partager(分かち合う)」だと思うのです。それは、
「美しい音楽を見つけたよ。この音楽の裏にはこんな物語がある。最高の演奏だから、君に聴いてほしい」
そんな、軽やかで自由な連帯感です。自由であるからには、「本物」を伝える責任が大前提としてあります。しかしそれは、知識をひけらかしたり、自分と違う聴き方を見下したり、好みでないものの悪口を言ったりする態度とは対極にあります。そこには本物の音楽の姿があると、私は信じています。

高野さんは、あとがきでこのように表明されている。

ルネ・マルタンはLFJで用意するプログラム・演奏家に関し、絶対に手を抜かない(今年はいろいろ不幸が重なったが)。たとえお客さんが、初めてクラシックに触れる子どもたちや家族連れであっても。2005年のベートーヴェンのときに僕がもっとも驚いたことのひとつは、そこなんだよね。
これまでのライトなクラシック入門書は、この点に関して圧倒的に弱かった。パッヘルベルのカノンに、モルダウに、花のワルツに。演奏はなに、全部カラヤンでいいや。初心者には初心者向けの音楽を当てとけ。。手加減と見下しは表裏一体。

そして、なお悪いことに、この次のステップにある数多のディスクガイド本が、知識をひけらかし、あるいは悪口を言うものばかりなのだな。ここに読者の背伸びが加わると、無知は恥だと、悪口は当然なのだと、そういうドロドロした流れができ、ほら、あっという間に一人前のクラヲタができあがる。

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マルタンも高野さんも、シチュエーションに合わせてクラシック音楽の「雰囲気」を楽しむ、ということを衒いなく勧めている(僕だって、クラシックを聴き始めたほんとうに最初のころはそうやって楽しんでたじゃないか!)。そしてシチュエーションのセレクトはひとつひとつ洒落ている。
もちろん、選曲や推薦する演奏に関して、マルタンはこの入門書でもまったく手加減していない。最初のシチュエーション「晴れた朝、窓を開けて」に対する選曲からして、ロドリーゴの《アンダルシア協奏曲》←アランフェスじゃないですからね。運命も未完成も新世界もなくて、その代わりにシューベルトのトリオやショスタコーヴィチのワルツが入っている。

ぼくの選曲は誰にも媚びない、ぼくだけのもの。麻衣さんのコラムだってそうだし、あなたもそうであっていい。それは洋服の着こなしといっしょで、真似をしながら、少しずつあなたのオリジナルになっていくものだ。
だからこそ分かち合おう。すてきなクラシックは、あなたのすぐ隣にある。

と、マルタンの言。いいこと言うじゃない?日本の音楽おじさんたちの中からついにこういう本が生まれなかったのは、残念だけども。

[参考リンク]乙女のクラシック | GIRLS GUIDE to Music, Movie & Books
by Sonnenfleck | 2011-05-08 08:41 | 晴読雨読