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精神と時のお買い物XXVII

【HMV】
1 "ROSENMÜLLER, LEGRENZI, STRADELLA"(AMBRONAY) *RFC
2 ヘンデル:合奏協奏曲 op.3(DHM) *シュレーダー/バーゼル室内管
3 ファッシュ:協奏曲と序曲(DHM) *シュレーダー/バーゼル室内管
4 "kuniko plays reich"(LINN) *加藤訓子

【かつしかシンフォニーヒルズ】
5 バッハ:クラヴィーア練習曲集#2(Alpha) *バンジャマン・アラール

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⇒昔、ローゼンミュラーのソナタ・ダ・カメラを1曲、日本初演したことがある。いや、正確に調べたっつーわけじゃないんだけど、きっとあれが日本初演だったと思っている。ここにはたぶんその曲は入っていないが、マンフレート・クレーマーとレア・フルーツ・カウンシルの17世紀作品集が出たので、買いである。1。

⇒2と3。まだ少ないけれども「絶賛」を目にする機会が増え始めたユリア・シュレーダーとバーゼル室内管の録音が安かったので購入。ふぁっしゅふぁしゅ。

⇒4。2007年に愛知県芸で聴いた《ムナーリ・バイ・ムナーリ》のパフォーマンスがいまだに心に残る加藤訓子さんが、ライヒの「カウンターポイント」3部作をパーカッション版で録音。すでにこの夏のヘビロテが約束されている。

⇒そして5。ラ・プティット・バンド葛飾公演の会場売りにて衝動買い。
あのねあのね。今度一緒に来てるチェンバリストのバンジャマン・アラール(1985年生まれ)がすごかったでしたのよ。土曜のオペラシティ、日曜のザ・シンフォニーホール、チケットをお持ちの方はぜひお楽しみに。葛飾の感想文はそのうち。
by Sonnenfleck | 2011-06-30 21:33 | 精神と時のお買い物

on the air:ル・ポエム・アルモニークのテ・デウム祭り(ビゼーもあるよ)

c0060659_21544071.gif【2011年6月7日 サン=ドニ大聖堂】
●シャルパンティエ:テ・デウム ニ長調 H146
●リュリ:テ・デウム
→Amel Brahim Djelloul, Soprano
 Claire Lefilliâtre, Soprano
 Jean-François Lombard, Haute-contre
 Mathias Vidal, Ténor
 Geoffroy Buffière, Basse
→ジェフロイ・ジョルダン/ル・クリ・ド・パリ
⇒ヴァンサン・デュメストル/ル・ポエム・アルモニーク
(2011年6月25日/France Musique)

ここでのシャルパンティエは梅雨の晴れ間の土曜の朝にぴったりである。

緻密なイネガルを駆使した手弱女ぶりの造形も素敵だが、このように強く気高く、益荒男ぶりなシャルパンティエも好いよね。
デュメストルはところどころ爽やかな装飾を入れたりしているが、基本的には楽譜の持つエネルギーだけで安定的な自動運転に入っている。太鼓は元気印、トラヴェルソの重奏も模糊とせず、通奏低音の弾むアーティキュレーションは飛鳥の仏像のように、優美な衣の下のしなやかな筋肉を感じさす。

いっぽう、リュリはもっとごつい。今度は急に時代が下って(本当は逆だけども)、国芳の武者絵みたいにデフォルメされた漫画風の筋肉を思い浮かべる。リュリに荘重さを感じることはあってもごつさを感じることって普段はあんまりないので、シャルパンティエと並べて聴くと面白いすね。

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で、上記ライヴのあとの余った時間で放送されたビゼーのテ・デウム(NAXOS 8.572270)が、僕にとっては非常に衝撃的であった。
この曲、ローマ賞を獲ったあたりで作曲されたらしいんだけど、音楽が完璧に社会主義リアリズムをやってる。この単純な拍子にпартияの叡智が、無国籍な叙情的メロディにпионерの安らぎが載っけられてたりしても全然おかしくない。何か、、を讃える方式がたかが数十年で変化するわけがないということの良い例でした。
by Sonnenfleck | 2011-06-27 21:58 | on the air

華氏140度:15

「わたしの生活、わたしの青春、わたしの幸福、さようなら!」―チデージカ・ニコラエヴナはそう言って、両手で顔を蔽った。「7月24日がくるのね」
by Sonnenfleck | 2011-06-26 06:38 | 華氏140度

ぼくのマーラーはじめてものがたり(5/18)

この日がマーラーの没後100年にあたる。5月17日の夜にちゃんとCDをリッピングしてiPodに仕込んだのだ。
僕が初めて聴いたマーラーは、亡くなった祖父が自分のCDコレクションからくれて寄越した、ハイティンク/コンセルトヘボウ管の《巨人》。PHILIPSの臙脂色ラインと、ジャケットの色づかいがシックでしょ。

初めて聴いたマーラーは、奥行きと広がりのある音楽であった。ベートーヴェンもモーツァルトもいいけれど、マーラーは表現したい事柄がずいぶん違うようだった。しかしこの演奏だから、なんの苦もなく自然に、マーラー世界へ足を踏み入れることができたのだと思う。ここにプレーンの良さが極まっているのさ。

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c0060659_23293744.jpg【PHILIPS/32CD-615】
●マーラー:交響曲第1番
⇒ベルナルド・ハイティンク/
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団




第1楽章からして、未明の小雨で適度に湿気を含んだ夏の早朝みたいに気高い。そこへ木管の光線が差し込んでくる。心底きれいだ。浮かれがちなフレーズも(おそらくはハイティンクらしい品の良い自律心で)抑制が効いてる。
夜会のランプで魅せるマーラーもたくさんあるけど、日光と素肌美人、みたいなナチュラルな美しさはこの録音で聴けるコンセルトヘボウの一人勝ち。比類がないよね。マジでね。騙されたと思ってみんなに聴いてもらいたい。

大地の歌の終楽章を思わせるほど静謐に、丁寧に、ハイティンクはこの楽章を作り込んでいる。マーラーの本質のひとつでもある稚気から、注意深く離れて。そこにオケの深い音色が力を貸しているのは自明としか言えない。

第2楽章はエレガント。
ここに差し掛かると、ケーゲルがこの楽章をとっても残忍に作っているのがいつも思い出されるんだが、ハイティンクもコンセルトヘボウも、この楽章を幻想交響曲みたいに軽めのロマンに仕立てているんだよね。
さらに、第3楽章はまるでブラームスでもやるようにくすんだ音色が美しい。
木管のアンサンブルは高級きんつばのように深い色をしながらしっとりと湿り、極上の甘い香りを漂わすのです。

さて、ブルックナーの最終楽章みたいに堅牢な第4楽章の据わりの悪さが、この演奏の面白みであり、佳きところでもあろう。と、今こそ思う。

第1楽章の革新性は、ハイティンクの天性の勘とオケのスペックの猛烈な高さで乗り切ってしまったような感じだけど、比較的古めかしい様式の第4楽章は、既存の語彙に変換された上で処理が行なわれているようです。HrやらFlやらが弦の細かな模様の上でヒラヒラするパッセージなんて、オケの音がワーグナー専用みたいに重厚なギアにチェンジされて、いかにも古めかしい。柔らかなポルタメントがあちこちに降り注ぐ様子を一言で表せば、萌えである。
by Sonnenfleck | 2011-06-23 23:38 | パンケーキ(19)

ウルバンスキ/東響 第31回川崎定期演奏会@テアトロ・ジーリオ・ショウワ(6/12)

c0060659_8522144.jpg【2011年6月12日(日) 14:00~ テアトロ・ジーリオ・ショウワ】
●ルトスワフスキ:小組曲
●シマノフスキ:Vn協奏曲第2番 op.61
 ○バッハ:無伴奏Vnソナタ第2番イ短調~アンダンテ
→諏訪内晶子(Vn)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
⇒クシシュトフ・ウルバンスキ/東京交響楽団


先月から東響定期に通う格好になっているが、満足度がすごく高いんだよね。プログラムづくりの巧さもさることながら、「プチ重厚」なこのオケの音色の魅力がわかってきた気がしてます。

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1982年生まれのポーランド人、クシシュトフ・ウルバンスキ。体型が自分と似ててなんか変な親近感を感ずる(ただし向こうのほうがずっと格好いい)。暗譜。
バルトークとショスタコを溶融させてちょっと田舎風の寂しさを添加したようなルトスワフスキの民謡風小品に続き、シマノフスキの第2協奏曲である。後述するようにショスタコもよかったのだが、実はこっちがハイライトだったかもしれない。

「麻辣」は四川料理などには欠かせない味付けだが、このシマノフスキはまさしく音楽の「麻」、耳から始まって身体の神経がびりびりびり...と痺れていくような、鈍い快感を与えられた。これまでコンスタンティ・クルカのEMI録音を聴くこともあったが、実演で体感する痺れは、なかなかほかの作曲家からは得られない感覚であったことだ。
ウルバンスキの、この曲ばかりはスコアを捲っての音楽づくり。調味料の「麻」感を最大限に引き出すため、もともと不揃いの食感が楽しい食材をさらに乱切りにし、しかし乱切りのパターン分けをちゃんと行なって、その瞬間に口に入る食感がどんな様子かということまでちゃーんとコントロールしてるみたいだった。火加減も最高。

その火照った食材を取り分けて僕らの口に運ぶ、ひんやりと冷たい銀の匙のような諏訪内さんのソロ。高級な食器ほど「口に付けた瞬間、料理の味を損なわない触感」を大事にしているように思うけれども、諏訪内さんの歌い口、揺らぎ、高音の見事な透明感などは、まさにシマノフスキ専用の高級スプーンのように思われた。

この人のライヴはいっつもチケットが高すぎたり曲が面白くなかったりでずっと縁がなかったが、当の本人は、録音で聴くよりもずっと官能的な音色の持ち主なのだということをこの日のシマノフスキで理解。ごく純粋にブラヴァであった。ただし、バッハのあのアンダンテは曲のフォルムを成立させるのが困難な凄まじい難曲なので、アンコールはフツーレベルになってしまったけれど。



さて、サントリー定期の好評を目にし、タコ10ヲタとして厳しめに聴くことにした後半。厳しめに聴くことにしたのだったが。。

まず、第1楽章でのベートーヴェンみたいに剛直な拍の刻みがなかなかどうしてスリリングで、はじめから気持ちを持ってかれる。初演から60年近く経ち、そろそろ古典的な作品として処理する視点があってもいいと思っていたので、これは楽しかったな。
もちろん剛直といっても、ムラヴィンスキーみたいにカチカチに硬直してるわけでもないのが今風で、場合によってはメニューボタンからピッと選ぶみたいにして急に演奏モードを変えることも全然厭わず(たぶんあれはロジェストヴェンスキーモード)、結果ぐにょぐにょっと蠢く展開部などいかにも鮮烈である。

でも、この日いちばん感心したのは第2楽章だったんだよね。
シルヴェストリの闇タコを聴いたばかりで、あのグルーヴする第2楽章をどうしても思い描かざるを得なかったのだが、ウルバンスキの音楽の作り方はいみじくも、ブカレストと同じ方角を向いていたわけです。

速さや重さ、威圧感でこの楽章を押し切るのはたぶんそう難しいことではない。真に難しいのは、この小さくて凶暴な楽章に何らかの味わいを乗せることであって、何度も書くが90年代以降の録音が碌な結果を残せていないのには、そうした事情があるとみてよかろ。
剛直ムラヴィンモードから指揮姿もがらりと変え、マエストロ広上にも似たタコ踊りを始めるウルバンスキ。シルヴェストリと同じく、ダイナミックをかなり厳しく統制するために音楽は豊かに波打ち、さらに、過度のスピードを追求しない代わりにフレージングがたいそう華やかで、スターリンにフリルがついたみたいでメタ可笑しい。あっという間の出来事だったが、この指揮者の魔術的な手際を感じてしまったのだった(そしてもちろん、東響の巧さも)

ハチャトゥリャーンのいくつかの作品に特有な朗らかな稚気をショスタコに援用し、明るいリリシズムで塗り固めた第3楽章にも興味をそそられて、それだけに、第4楽章の圧倒的正統的正攻法に僕は無念を感じる。
正攻法になって急にオケの瑕が目立ったのも残念至極(個人の大きなミスだけじゃなく、アンサンブルのスタミナが尽きて草臥れてしまった)。あそこでもう一二回転予期せぬやり方で振り回され、驚かされる何かがあれば、生タコ10における伝説になるところだった。28歳マエストロのさらなる進化に激期待。

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さても新百合ヶ丘は遠すぎる。そして小田急文化圏は瀟洒である。駅の売店まで小洒落ている。オサレにゲロルシュタイナーなど買い求めて退散。
by Sonnenfleck | 2011-06-18 10:01 | 演奏会聴き語り

華氏140度:14

季節外れも甚だしいが、プレヴィン/RPOの《くるみ》がヘビーにローテである。なんでこんなに良くできたナンバーばっかなんだろう。
プレヴィンの音のブレンドは明るいミッドセンチュリーテイスト。世界中の善良を煮詰めてこしらえたキャンディが、容れ物にぎっしり詰まっているようだ。
by Sonnenfleck | 2011-06-15 07:49 | 華氏140度

華氏140度:13

中央線の対面に物凄い美少年(小5くらい)が座っている。まっ黒に日焼けして隣の友だちとじゃれ合っているが、甘い目線がすでにして冷ややかである。彼は国旗と信号を良く知る偽者だろうか?煙草は飲むだろうか?
あ、目が合った。
by Sonnenfleck | 2011-06-09 22:06 | 華氏140度

ブカレストの闇タコ

c0060659_22304874.jpg【HECTOR(ERECTRECORD)/H33-043】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
⇒コンスタンティン・シルヴェストリ
 /ルーマニア放送交響楽団

DSCHの世界は広い。こんなに恐ろしい演奏がまだ眠っている。タコ10はフェドセーエフの新旧盤とカラヤン/BPOのモスクワライヴが抜きん出ていて、それをコンドラシンとムラヴィンスキーが追う展開と考えてきたが、今回ようやく聴くことができたシルヴェストリ盤も、十分それらに並び立つような録音と思われるよ。

+ + +

きっと世の中にはシルヴェストリ・ヲタの方もおられるのだろうが、この指揮者をちゃんと聴くのはこれが初めてであるということは先に書いておこう。

第1楽章は長大な楽章なので、哲学を持たないフツーの演奏は「不穏な雰囲気ですよー不気味ですよーさっさと終わりましょうねー」という感じでいかにもこだわりのない浮薄な調子に終始するのが常です。
ところがシルヴェストリは、ほかにあまり例がないほど暗鬱で緊張した響きでもって第1主題を開始したのち、第2主題あたりからきわめて色気のあるルバートを多用し始めて、夜半過ぎのダンスパーティのような退廃を醸す(ちょっとスクリャービンみたいな空気)。クセのあるルーマニア放送響木管隊の音色を、うまく利用しているみたいだ。この楽章って3/4拍子なんすよね。

歴代最速ペースの4分2秒で駆け抜ける第2楽章は、確かに、アンサンブルがシルヴェストリについて行けずメタメタになってしまっている箇所もある。でも、そのようなスピード感を要求した上でさらに厳しくダイナミックレンジにこだわったことから生じる独特のグルーヴ感(1990年代以降の録音に多い、速度だけを追求したつまらない演奏には、これが圧倒的に足りない)は、ミトロプーロスやロジンスキーの狂気に勝るとも劣らない。僕は、やっぱりこれは「時代」だと思う。

一転して、不思議なことに後期バルトークのようにドライで都会的な第3楽章。リズムのエッジも柔軟で妙にぽわんぽわんしている。これは、ホントに、物凄く不思議。このような明るさがこの楽章を支配していたことがかつてあっただろうか。コーラングレのエキゾチックな音色もグッド。

さて、第4楽章は、これまでの真面目な緊張をすべてぶち壊しにする凄まじい造形である。主部に入ってからの猛烈に軽薄なキャラ付けはあまりにもヘンテコであり、とてもじゃないが筆舌に尽くせる代物ではない。バネやネジをばらばらと落としながら烈しいアッチェレランドで突き進んでいく様子は、ぐるりと一周してショスタコーヴィチの本質である「滑稽と悲惨」が見事に表現されていると言って差し支えないだろう。
遠藤周作の重厚な大作を読んでいたら、最後に突如として文体が町田康に変貌し、主人公が「あほんだらあ」とか言い始めるようなこの緊張感、つまり、第1楽章からの連続性は、本質的に保たれていると思うのだった。感じ入る。

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きっとアリアCDでしか入手できないと思います。最近の、丁寧だけど画一的なショスタコーヴィチにうんざりしている諸氏は必聴。
by Sonnenfleck | 2011-06-06 22:38 | パンケーキ(20)

on the air:シャンゼリゼ劇場の[ガラ・ヘンデル]

c0060659_12592131.jpg【2010年3月19日 パリ・シャンゼリゼ劇場】
<ヘンデル>
●Arrivée de la Reine de Saba Solomon
●« Frondi tenere... Ombra mai fù » Serse (+)
●« Where shall I fly » Hercules (**)
●« Son nata a lagrimar » Giulio Cesare (**/+)
●Scène de la mort de Bajazet Tamerlano (*/+/++)
●« Lascia ch’io pianga » Rinaldo (*)
●« As steals the morn » L’Allegro, Il Penseroso ed il Moderato (*/++)
●« E vivo ancora... Scherza infida » Ariodante (+)
●« Fermati » Rinaldo (*/+)
●« Le lusinghe... Non è amor, nè gelosia » Alcina (*/**/+)
●« Dall’ondoso periglio... Aure, deh, per pietà » Giulio Cesare (**)
●« Venti, turbini » Rinaldo (+)
●« E pur così in un giorno... Piangerò » Giulio Cesare (*)
●« Where’er you walk » Semele (++)
●« Dover, giustizia, amor » Ariodante (**)
●« Se bramate » Serse (++)
●« Io t’abbraccio » Rodelinda (*/**)
●« Da tempeste » Giulio Cesare (*)
●« Voglio tempo per risolvere » Il Trionfo del Tempo e del Disinganno (ALL)

→サンドリーヌ・ピオー(S *)
 マリー=ニコル・ルミュー(Ca **)
 フィリップ・ジャルスキー(C-T +)
 トピ・レティプ(T ++)
⇒エマニュエル・アイム/ル・コンセール・ダストレ
(2011年5月27日/France Musique)

このスター揃い踏み!そしてこの贅沢なプログラム!

予期せず《シバの女王の入城》から始まってとってもハッピー。僕が通っていた小学校の放送部は、朝の学級会を始める時間に、校内放送で毎日々々この曲を流してましてね。僕が生まれて初めて「音楽」として接したバロックは、間違いなくこのナンバー。エマニュエル・アイムはあんまり細部を抉らずにふあふあした作りに仕立ててて、ガラの期待感を高める。

« Lascia ch’io pianga »のピオーはまさしく女王さまで、、ああ、、なんと言ったらよいのか。。これまでに聴いたこの曲のどの歌唱よりもラグジュアリーで、しかし温かく。アマでプロで何度も何度も何~度も聴いて、隅々まで知っているつもりになってたこの曲で泣かされることになるとはうぐぐ。。

ボストリッジのヘンデル・アルバムで苦み120%増しで歌われていた« E vivo ancora... Scherza infida »も、ジャルスキーの声に掛かるとまるで正反対の、愛を告白する歌みたいに変貌しちまうね。

ソロも好いのだが、さらに重唱ナンバーの魅力は筆舌に尽くしがたい。
ああ、ヘンデルフルコースが気持ち良すぎて感想書いてくの面倒くさくなっちゃったなあ。そうそう、こういう気持ちにさせるのがヘンデルだよなあ。というヘンなまとめ方で締めつつ、期間限定ながらオンデマンドで簡単に聴けるのでバロクーな人たちはみんなみんな必ず聴いてください。おしまい。

+ + +

ところでね。NHK様がついにラジオのインターネット配信に踏み切るそうじゃないですか。かつて地吹雪にも負けず、夏の稲妻にも負けず、雑音が混じらないFM聴取に心血を注いだエアチェック小僧としては、ちょっと寂しい気がするくらいのニュースである。でも配信は48Kbpsらしいからな!まだまだ電波の価値はあるな!
by Sonnenfleck | 2011-06-04 13:25 | on the air