<   2011年 07月 ( 11 )   > この月の画像一覧

モニクおばさんとモーリス

c0060659_1010927.jpg【DGG/00289 477 5353】
<ラヴェル>
●Pf協奏曲ト長調
●左手のためのPf協奏曲ニ長調
●ソナチネ
●高雅にして感傷的なワルツ
→ポール・パレー/フランス国立放送管弦楽団
⇒モニク・アース(Pf)

とっても佳い演奏です。知らなかったあ。
ラヴェルの協奏曲でいつも聴いてるロルフ=ディーター・アレンス+レーグナー/ベルリン放送響の録音は、オケの音色はほとんど最強なんだけど、ピアノが微妙な瞬間も多々あって、なんとかならないものかしらんと感じていたのだが、ここへ来てやっと美しいバランスの演奏に出会うことができた。

+ + +

ト長調のほう。
アースおばさんのきめ細やかさな音色は、彼女のドビュッシーを何度も何度も何ぁーん度も聴いた自分には、ごく当たり前に染み入ってくる。ばあちゃんの味噌汁という感じだ。ドビュッシーのプレリュードと異なるのは、そこでタッチのさらなる怜悧さが追求されているところかな。

パレーのサポートはちょっぴり癖がある。ラヴェルが本来的に抱えている「かたち」のエグさエロさをわりにストレートに演出することで、ドビュッシー風に流れるのをよく防いでいると思う(蛇足だけど、パレーはドビュッシーでも「ドビュッシー風を避ける」ので、結果としてあの剛毅な不思議音楽ができあがる)
第2楽章の複調的階層を、一部の管楽器をかなり強調することで炙り出したり、第3楽章ではピアノからゴジラ主題を受け取ってゾワゾワと蠢かしたり、この指揮者ならではの細かさは枚挙にいとまがない。

そして、より素晴らしく、理想的な演奏なのが「左手」。
ラヴェルの管弦楽作品のなかで最もラヴェルが「素」の状態なのが「左手」だと思っているんだけど、ほかの作品のお洒落な外側に影響されて、この協奏曲の岩山のような荒々しさはあまり顧みられない。でもこの録音は違う。

ここでのアースのタッチは野人のようであり、野人が岩山を駆けるような軽快な運動性と、同時に、野人が感じているシンプルな哀しみのようなものにもちゃんと気を配っていて、軸がぶれない。
パレーは岩山を蔽う黒雲や稲妻のような烈しい伴奏をつける。だいたい模っ糊り模糊模糊としてしまうこの曲のオケ部からちゃんと「かたち」を見つけ出して、いつものように鋭角的に仕上げている。藝術を感じる。



アンコール風に置かれた2曲。パレーもオケもいなくなってアースおばさんの肩の力が抜け、親しみ深いドビュッシーの薫りがふあふあと立ちのぼってくる。「ワルツ」が本当に高雅で感傷的に聴こえる演奏はけっして多くない。
by Sonnenfleck | 2011-07-30 10:12 | パンケーキ(20)

華氏140度:18

デンマーク放送(DR P2)のストリーミングでバイロイトの《マイスタージンガー》生中継。前奏曲だけ聴いてこれから寝ます。指揮はセバスティアン・ヴァイグレ。僕はワーグナー演奏に確固たる好みがあるわけじゃないけど、こんなに軽快で彫りのくっきりした前奏曲の演奏はこれまで聴いたことがなかった。あちこちがメンデルスゾーンのように爽やか。これなら全曲聴き通せそうだな…
by Sonnenfleck | 2011-07-26 23:20 | 華氏140度

明日ガ晴レデモ、曇リデモ

c0060659_16291156.jpg【SONG X JAZZ/SONG X 006】
<Takemitsu Songbook / Choro Club with Vocalistas>
●翼
●めぐり逢い(歌 : アン・サリー) 
●うたうだけ(歌 : 沢知恵)
●明日ハ晴レカナ、曇リカナ(歌 : おおたか静流)
●島へ(歌 : おおはた雄一)
●恋のかくれんぼ(歌 : tamamix)
●小さな空
●見えないこども(歌 : 松平敬)
●ワルツ~他人の顔(歌 : 松田美緒)
●死んだ男の残したものは(歌 : アン・サリー)
●三月のうた(歌 : おおたか静流)
●燃える秋(歌 : 沢知恵)
●翼(歌 : 松田美緒)
●MI YO TA(歌 : おおたか静流、沢知恵、アン・サリー)
●MI YO TA
⇒CHORO CLUB :
 笹子重治 : Guitar
 秋岡欧 : Bandolim
 沢田穣治 : Contrabass

隠れショーロクラブ・ファンとして(お!)―いや、別に隠れてなくてもいいんだろうが、このアルバムを聴き逃すことは絶対に許されない。武満の小さな歌曲たちとショーロクラブが合わさって、佳くならないわけがないんだ。

+ + +

メロディと歌詞は、僕らがよく知っている武満のものです。

でも、そのメロディを支えているそのほかのものは残らず、ショーロクラブのことばに変換されている。空気はふんわりとして温かく、少し湿っている。でも「ブラジル風タケミツ」みたいな一次的ニュアンスは、過度に期待しないほうがいい。ベートーヴェンの交響曲がさまざまなアプローチをごくりと飲み込むように、武満の音楽も武満そのもののまま、静かにショーロクラブに寄り添っているからだ。

秋岡氏のバンドリンの、特有の優しいトレモロ。沢田氏のコントラバスが、気だるく深く鳴る。目をつぶって聴いていると、自分がどこにいて、誰の音楽を聴いているか、だんだんわからなくなる。わからなくなってもいい。自分と世界との境界が穏やかに分解されていくような心地がする。

素敵な声をした歌い手たちが自分たちの様式でそれぞれに歌い、アルバムはインストゥルメントの《MI YO TA》で静かに終わる。夏だね。
by Sonnenfleck | 2011-07-24 16:34 | パンケーキ(20)

BCJ第94回定期演奏会[世俗カンタータ・全曲シリーズ Vol.1]@オペラシティ(7/14)

万事につけて頭の固い我が社でも今夏はサマータイムが導入され、急に夕刻に時間ができる日が増えた。BCJのオペラシティ定期はいつも平日で、しかも会場が(職場からは遠い)初台なものだから、まったく一度も聴きに行ったことがなかったのだが、この機を逃さず参戦することに。3階ステージ真上のバルコニー席。

+ + +

c0060659_21425061.jpg【2011年7月14日(木) 19:00~ 東京オペラシティ】
<バッハ 世俗カンタータ・全曲シリーズ Vol.1>
●セレナータ《日々と歳月を作り成す時間は》BWV134a *
●シンフォニア BWV1046a/1
●狩のカンタータ《楽しき狩こそわが悦び》BWV208 **
→ソフィ・ユンカー(S1/ディアナ **)
 ジョアン・ラン(S2/パレス **)
 ダミアン・ギヨン(A/「神の摂理」*)
 櫻田亮(T/「時」*、エンデュミオン **)
 ロデリック・ウィリアムズ(Bs/パン **)

⇒鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン
→ジャン=フランソワ・マドゥーフ(Corno da caccia I)
 ジェローム・プランセ(Corno da caccia II)
 山岡重治(Flauto dolce I)
 向江昭雅(Flauto dolce II)
 三宮正満(Ob I)、森綾香(Ob II **)、尾崎温子(Taille/Ob II)
 若松夏美、パウル・エレラ、竹嶋祐子(Vn I)
 高田あずみ、荒木優子、山口幸恵(Vn II)
 成田寛、深沢美奈(Va)
→鈴木秀美(Vc)
 今野京(Violone)
 村上由紀子(Fg)
 鈴木優人(Cem)


それでですなあ。これまでに聴いてきたBCJのライヴの中でも今回のはかなり良かった。得られた知見がとても多くって、記憶に残りそうだ。

数年前、名古屋のしらかわホールでしばしば聴いていたBCJは、彼らにとって新しい領域に踏み出そうとしてる雰囲気(汎用性がきわめて高いかわりにあんまり胸躍らない「オールドクイケンスタイル」みたいなものからの脱皮)がありありとして、ある種の迷い、あるいは組織が新しく変容する前のざわめきが音楽に滲み出ていた。いま思い返せば。
そのころは、旧い演奏様式と新しい演奏様式とが交互に登場してたんだよね。つまり、白い絹ごし豆腐みたいにつるんとした上品なアーティキュレーションと、舌触りも荒々しい木綿豆腐、あるいは油揚げのごときダイナミクスを追求した音楽づくりと。この両方がざわざわと同居していた。

この変化の芽みたいなものは、この日の演目が目出度い世俗カンタータ特集だったので判りやすかったにせよ、数年後の今日、花も実も結んでいたようだった。それはすなわち、バッハの官能性を無視しない曲づくりを、ついに雅明氏が始めたということなのですよ。これってすんごい変化だと思うの。

+ + +

ああ、BCJ(および雅明氏)変わったな、と感じたポイントは三点あった。

まず《日々と歳月を作り成す時間は》終曲。ここでVnのトゥッティをあえて粗っぽくわさわさわさっ、と響かせることで、ヴィヴァルディのような乾いた熱風をテクスチュアの中に含ませ、体感温度を上げる。こりゃあエロ熱い。

二つめは《楽しき狩こそわが悦び》第4曲、エンデュミオン(櫻田氏)の甘いソロ・アリアをチェンバロのみで伴奏する局面で見せた、雅明氏の濃密な歌いぶり。
これまでに彼のソロ録音では聴いたことがないような熱烈なルバートで、櫻田氏の清潔な声を装飾していく。これは実に、自信のあるときのシューマンが発散するような骨太の浪漫によく似かよっていた。こんなに堂々とした浪漫をBCJ定期で聴くとは思っていなかった自分は、心底驚いたのであった。

三つめはやはり《狩》の、〈羊は安らかに草を食み〉として知られる第9曲。
00年代後半は「バロックの森」OPテーマとして有名だった曲だが、あにはからんや、雅明氏はこのナンバーを凄まじくねっとりとした官能で彩ったのであった。これには吃驚仰天。
まず秀美さんと今野さんのウルトラ緻密テヌート。あれは単純なスラーではなかった。僕はボウイングが見下ろせる席に座ったんだけど、弦にひたり...と吸いつくようなアップボウとか、このときの二人の右手には一生掛かっても到達できんなと思ったねえ。そして、それまで姿勢を正して座っていた山岡・向江コンビがすくっと立ち上がり、ふわとろのハーモニーを聴かす(日本リコーダー界のツートップを惜しげもなく並べる最高の贅沢)。この響きはまさしくフラウト・ドルチェ。音楽が、ずいぶん肉感的な柔らかさを表現してたなあ。

こういう音楽。BCJがこういうバッハを聴かせてくれるようになった。
雅明氏さあ、最近マーラーとか振ってるじゃないですか。そこからの連想は短絡的すぎるかなあ。でもこういうエロ熱いバッハはマーラーとの円環を想像させるよ。

+ + +

まさかのブラ1初稿とか、そこにいきなりマドゥーフ氏登場で嬉しいとか、コルノ・ダ・カッチャの朝顔の上空に座れてよかったとか、優人氏頑張れ親父に負けんなとか、でもマチャアキ+ヒデちゃんのコンティヌオはいまだに最強だなあとか、にしても親父の一段鍵盤チェンバロはどうしてあんなに鳴ってたんだとか、櫻田氏絶好調とか、パレスを歌ったジョアン・ランの装飾がとっても素敵だったとか、やっぱりオペラシティ古楽は舞台サイドに限るとか、いろいろ考えつつ、佳い演奏会でした。
by Sonnenfleck | 2011-07-21 21:57 | 演奏会聴き語り

華氏140度:17

東京MXのCM嬢が「ネオクラシックの風 from 日本橋~♪」とか言うのを耳にし「愈々ダンバートン・オークスの持て囃される時代になったる乎…」などと妄想してたら颱風が来たでござるの巻。びゅー。
by Sonnenfleck | 2011-07-19 22:26 | 華氏140度

on the air:ブロムシュテット@ゲヴァントハウス、豪華三本立て!(7/3)

c0060659_2259949.jpg

日曜の午後に出掛けないのってなんか久しぶり。NHK-FMががっつりブロムシュテット特集を組んでいるので、お茶を淹れて付き合うことにする。

+ + +

【2010年10月1日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス】
●ウェーバー:《オベロン》序曲
●モーツァルト:Vn協奏曲第4番ニ長調 K218
 ○イザイ:無伴奏Vnソナタ第2番イ短調 op.27-2~第2楽章
→アラベラ・美歩・シュタインバッハー(Vn)
●ブラームス:交響曲第1番ハ短調 op.68
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(2011年7月3日/NHK-FM)


《オベロン》序曲の序奏。Hrの導入のあと、対向配置のVnがふわぁっと広がる空間の美しさはこれぞ独逸浪漫主義である。主部の推進力の若々しさ、そしてそれと共存する響きの柔らかさはブロムシュテットならではで、ああ、献身的で優れたオーケストラでブロムシュテットを聴くのはこんなに愉しいのか、と思う。

ゲヴァントハウスのオケは、ライヴでこんな音が聴けるのか…というくらい整ったコンディションで、驚愕せざるを得ない。終わりごろ、弦楽のめまぐるしいパッセージに、ぽつん、と木管隊の音が垂らし込まれて、絵の具が滲むように音が混ざってゆくブレンドの巧みさ。。
このコンビ、CDを買うまでの興味がなかったが、圧倒的に僕の好みの音楽をやってることに今ごろ気がついた。つーかこれやばいぜ。なんと薫り高い響き。この日放送された作品のなかでは、この《オベロン》序曲がもっとも素晴らしかったよ。

モーツァルトのコンチェルト。僕の愛する《軍隊風》
第1楽章で、独奏Vnが行進し入場してくるその前の、木管のバランスがぞっとするくらい美しかった。それはこちらを威圧する美しさではなく、自らこちらの胸に飛び込んでくる美しさである。第3楽章で一瞬短調に転調する直前、珍しい野草のような不思議な香気のするアーティキュレーションをオケに要求してたりするのもをかし。あらー。ゲヴァントハウスのオケっていつの間にこんなに素晴らしい音がするオケになったんだー。
ソロのシュタインバッハー嬢は、前に何かのコンチェルトを聴いてあんまりいいと思わなかった記憶があるのだが、今回はブロムシュテットの優しい音のブレンドの上で存分に伸び伸びと音楽をしている。

そしてブラ1はやはり、ロハス。ブラ1かと思ったら残像だったでござるというくらい透き通っている。内声の絶妙なコントロールによりハーモニーは深刻さを失い、ところどころふんわりとしたエアの吹き出し口があって、清涼な風が吹いている。ああ…第2楽章きれいだなあ…。

+ + +

【2010年9月24日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス】
●シューベルト:交響曲第7番ロ短調 D759《未完成》
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(2011年7月3日/NHK-FM)


ブロムシュテットのシューベルトは、名古屋で聴いた超速グレートが今なお耳に残るが、この《未完成》もフレーズの輪郭はとてもくっきりしている。

ところが、10月1日のコンサートに比べるとハーモニーに苛烈さや野性味を残しており、僕が知っているゲヴァントハウスの硬い音が、ここではそのまま運用されている模様。シューベルトの音響構造体が「遊び」を持たずに組み上げられた挙句、ギシギシギシ...と軋んでいるような。ブロムシュテットもちょっと肩に力が入ってるような気がすんなあ。
第2楽章はいっそう酷薄な雰囲気。でもブ氏の音楽とはちょっと離れている気がする。ブ氏の通常のやり方で曲に臨んだら思わぬ結果を招いて、ついに引き返せなくなった感。シューベルトにはこういう魔も潜んでいるのさね。

+ + +

【2010年10月8日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス】
●ヒンデミット:交響曲《画家マティス》
●ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調《ロマンティック》(ノヴァーク版)
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(2011年7月3日/NHK-FM)


そしていよいよ、十八番が並ぶ10月8日回。
当方は今年の2月頃から、仕事帰りの電車でヒンデミットの意地悪な音楽に癒されるというひび割れた日々が続いたが、ヒンデミットのシステムに親しむことができたのは良い経験であった。おかげで《画家マティス》にもすぐに入り込める。

ヒンデミットへのブロムシュテットの向き合い方は、ウェーバーやブラームスと大して変わらない。柔らかい響きのブレンドを駆使して、ヒンデミットの底意地の悪い音楽(←褒め言葉だからね)を丁寧に再構築していく様子は圧巻。第3楽章のしっかりすっきり整理された響き、好きです。
ゲヴァントハウスのオケも先ほどのシューベルトとは異なり、ブラームスのときのように自然に「呼吸している」様子があって、10月1日公演の出来がスペシャルではないことがわかり安心。どうやら8年間のブロムシュテット時代が、このオケをしっかりブラッシュアップしたようだった。

《ロマンティック》
どこかで身体感覚と結びついた、誇張のないフレージングがやはり好み。
「誇張のきわみ」みたいな演奏も、「誇張しないこと」を意識するあまりガチガチのサイボーグみたいな音楽を作り出してしまう演奏も、ブルックナーには両方が存在するが、ブロムシュテットの曲作りはそのどちらでもない(やはり9月24日のシューベルトは余裕がなかったなあ)。弦楽器奏者の右手のストロークや、管楽器奏者のブレス、あくまでそれらの集合体としてブルックナーを形成している。したがって音楽には誇張がない。

もちろんこの指揮者の場合、そうかといってつまらなかったり、大人しいだけだったりするわけじゃないのが好い。ところどころにあれっ、と思わせるスパイシーなギミックも隠れているのよねえ。

+ + +

老いてなお、ブ氏魂全開。9月のN響客演も楽しみです。
by Sonnenfleck | 2011-07-17 22:58 | on the air

ソルティ・ライチ/夏風の中で

c0060659_20533954.jpg2008年の夏に一世を風靡した伝説の名作「マセドニアグレープ」と肩を並べる逸品が、今夏、ついに誕生。

種々の果実が煮込まれて濃厚でポリフォニックな味わいが五官を刺激した「マセドニアグレープ」に対し、「ソルティ・ライチ」はライチの芳醇な薫りが一本の太い綱としてボトルを貫いており、かすかなスパイスとグレープフルーツの後味がそれを伴奏しつつ、塩気が最後の調性を決定づける。諸君、これはホモフォニーである。

口に含んでからのどに落とし込むまで、砂糖の味が力強く存在し続けるも好い。カロリーオフを謳う人工甘味料のくだらない甘さはもううんざりなんだよ。僕のウヰルキンソン・ジンジャエールを人工甘味料で汚した罪は重いのだぞよ。いい加減そこらへんに気がつかないのかね>飲料各社。

+ + +

正午の夏空の下、ウェーベルンの《夏風の中で》(←音楽のスタンスとしては「マセドニア」に近いが)など聴きながら「ソルティ・ライチ」を口にすれば、夏の佳きものに囲まれるような心地がする。演奏はベルティーニ/ケルン放送響(EMI)で。
by Sonnenfleck | 2011-07-13 20:59 | ジャンクなんて...

101回目のブラームス、またはさようならヨゼフ・スーク

c0060659_618772.jpg【DENON(SUPRAPHON)/COCO-79798-9】
<ブラームス>
●Pf三重奏曲第1番 ロ長調 op.8
●Pf三重奏曲第2番 ハ長調 op.87

●Pf三重奏曲第3番 ハ短調 op.101
●Hr三重奏曲変ホ長調 op.40 *


⇒スーク・トリオ
 ヨゼフ・スーク(Vn)、ヤン・パネンカ(Pf)、ヨゼフ・フッフロ(Vc)
→ズデニェク・ティルシャル(Hr *)

チェコのバイオリン奏者、ヨゼフ・スークさん死去(asahi.com/7月8日)

7月6日、ヨゼフ・スークが亡くなった。僕はこの人の音楽から、独逸浪漫の何たるかをたくさん教わったと感じているが、最後に感謝と追悼の気持ちを込めて、ブラームスの3番目のピアノ・トリオを聴くことにする。

+ + +

ブラームスのトリオの中では、第3番ハ短調の熟成された浪漫にもっとも強く惹かれます。作品番号からわかるように、この曲はブラームスが交響曲第4番を通過した1886年の夏になって取り組まれ、ハ短調の調性感を円やかにぼやかすほどにゆったりとリラックスした作曲家の姿が想起されるんですな。

聴きどころは数多いものの、もっとも味わい深いのは第1楽章の第2主題だと思う。この主題では3人がユニゾンで憧れに満ちて胸苦しい、いかにもオトコっぽい主題を歌うのだが、この局面でのスークはまるでヴィオラか、さもなくばチェロというくらい、深々と照る黒い漆器のような音色で2人をリードするのです。

展開部のあとに第1主題ではなくこの主題が帰ってくるなど、胸熱のきわみといえよう。再帰したスークの歌い回しには若干の興奮と、興奮を抑えようとする精神の働きがともに見られ、漆器に盛られたブラームスのメロディは見事なバランスによって大事に大事に守られている。これが浪漫ではないか?

氷雨の中をとぼとぼ歩く不幸とそこにおける微妙な自尊心を漂わせた第2楽章などもたいへん佳いし(パネンカの心細いタッチは見事の一言)第3楽章ではフッフロが素朴な温かみを添えて、この楽章の懐かしい雰囲気を醸成するのに一役買っている。フッフロの音色はちょっとくすんだキャメル色で、実家にあった古い石油ストーブなどを思い出さす。

第4楽章は再び炉に火が入って燃え上がるが、それでも案外あっさりしているのがブラームス後期だっすな(レーガーなら同じ主題で3倍くらい長く作曲しそう)。スーク・トリオのエッジは今日のハイパー室内楽の基準で言えばちょっぴり緩めだが、スークが形作る高音の輪郭線には独特の香気がある。お疲れさまでしたスーク先生。そしてこれからも、僕に浪漫を教えてください。RIP.
by Sonnenfleck | 2011-07-11 06:20 | パンケーキ(19)

〈エスポワール シリーズ 8〉日下紗矢子(Vn)Vol.2@トッパンホール(7/2)

ベルリン・コンツェルトハウス管(旧ベルリン交響楽団)の第1コンサートマスター・日下さんの帰国公演。まずもってプログラムが好みだし、メルヴィン・タンとペーター・ブルンズもセットとあっては出掛けずにはおれない。佳いシューベルトが聴けるなら、暑いさなかに飯田橋駅からてくてく歩く労も厭いません。

+ + +

c0060659_731223.jpg【2011年7月2日(土) 18:00~ トッパンホール】
●シューベルト:ノットゥルノ変ホ長調 D897
●シューベルト:幻想曲ハ長調 D934
●シュールホフ:VnとVcのための二重奏曲
●メンデルスゾーン:Pf三重奏曲第1番ニ短調 op.49
 ○ハイドン:Pf三重奏曲ト長調 op.73-2
       Hob.XV-25《ハンガリー風》~第3楽章
⇒日下紗矢子(Vn)
 メルヴィン・タン(Pf)
 ペーター・ブルンズ(Vc)


この日のプログラムのテーマは「民俗風・民謡風」かなと思われた。ロマン派音楽を19世紀ドイツの民謡とするなら、メンデルスゾーンもなんとか座る。



前半の2曲で、久しぶりにシューベルトの魔に遭う。こういう体験をさせられることが、僕がシューベルトに惹き付けられる理由なのよね。やっぱり大切な作曲家。
ノットゥルノもファンタジーも、生でちゃんと聴くのは初めてのような気がするんだけど、どちらもぽっかりと空いたパウゼや、答えの出ない問い掛けのような切ないゼクエンツが頻発し、調性も不安定で恐ろしい。

日下さんは共感に溢れた真っ直ぐな弾き手という印象。
ファンタジーは実に凄まじい難曲だったが、前半の圧倒的な不安感、民謡風歌曲に擬態した中間部の「何か」、そして後半の錯乱した追い込み、いずれも、僕の胸の裡にまっすぐ飛び込んでくるような歌い口。

美しいもの・悲しいものとは必ずしも言い切れない複雑なシューベルトの歌が、その混ぜこぜになった色々な感情のひとつひとつが丁寧に再現されることで、きれいに紐解かれていく。極端な技巧が要求されている箇所も多かったが、あえて安全運転ではなく、シューベルトの極北の感情を体現するように右手を操っていく日下さんには敬服の一言だった。喝采を浴びる彼女がそれとわかるくらい疲労困憊していたのも、むべなるかなという感じ。

ひょっとしてメルヴィン・タンはフォルテピアノ、ペーター・ブルンズはバロックボウを使ったりするんじゃないかなあと開演前に勝手に期待していて、実際はスタインウェイにモダンボウだったのでこちらの予想は外れてしまったけれども、やはり歴戦の強者の室内楽はシンプルに気持ちいい。特にタンの軽い指捌き、繊細なルバートにはまったく惚れ惚れしちゃうのだ。



シュールホフとメンデルスゾーンでは、前半の硬質な音色から変わってちょっとリラックスした日下さんの音色が心地よかった(高品質メンデルスゾーンでは安心しきって客席でぐうぐう寝てしまった)。日下さんはアンコール前のあいさつでもmusizierenの愉しみを率直に語っておられて、素敵。来年の〈エスポワール シリーズ〉は六重奏に取り組むとのことで、今から楽しみだな。
by Sonnenfleck | 2011-07-09 07:32 | 演奏会聴き語り

華氏140度:16

バルトーーク!
by Sonnenfleck | 2011-07-07 22:07 | 華氏140度