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精神と時のお買い物XXIX(今池やっとかめ!)

【ピーカン・ファッヂ 今池店】
1 ブクステ&バッハ:"Organ Music for Christmas Time"(MDG) *ランペ
2 ダングルベール:組曲集(ERATO) *ロス
3 ラモーほか:いくつかの小品集(ERATO) *ロス
4 バッハ:半音階的幻想曲とフーガほか(ERATO) *ロス
5 ソレール:ファンダンゴとソナタ(ERATO) *ロス

いつの間にか公式HPができている名古屋今池のピーカン・ファッヂに突撃。薄暗い照明も懐かしい。たぶん2008年以来。

以前に比べると全体的な在庫数が減ったような気がするが、集まってきているものの独特の面白さは変わらない。たっぷり時間があるわけではなかったので、隅々まで調べられなかったのは残念です。
今回は新入荷の棚に、マルP1997年の「スコット・ロスの神髄」シリーズが(未開封を含み!)何枚か並んでいたので、スカルラッティ以外を購入することにした。3に入っているダングルベールのリュリ組曲、きっと素晴らしいだろうな。聴く前からうずうずしてしまうね。そしてすべて一枚500円。ホントありえない価格設定。

あと、ランペさんの(おそらく目が覚めるような)ブクステフーデ&バッハも楽しみ。こんな録音が出てたのか…。こちらも800円くらい。安い。

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名古屋の地下鉄に乗ってあらためて思い知らされるのは、乗客に70歳くらいまでの男性が極端に少ないということ。少年1:幅広い年代の女性8:おじいさん1、みたいな。みんなクルマに乗ってんだろうな…

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今日は誕生日。ひとつ年を取った。
by Sonnenfleck | 2011-10-30 09:32 | 精神と時のお買い物

華氏140度:21

土曜日だけど名古屋に出張。時間に余裕があるので久しぶりに今池のピーカンファッヂに行きたい。90年代の強烈にマニアックな輸入盤があっけなく見つかるのは、この店ならではの魅力である。
by Sonnenfleck | 2011-10-29 10:30 | 華氏140度

on the air:ギルバート/NYPの”くるみ”でラブのような何かが注入される。

仕事でどうしようもなく疲れ切って電車に乗るときなど、女子のように甘いチョコを、あるいはおじさんのように駅前の居酒屋でホッピーを口にする代わりに、iPodに入れたプレヴィンの《くるみ割り人形》をかなり大きな音量で聴く。目をつむってだまって聴く。聴き終えるころには、意外に疲れが遠のいている。

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c0060659_21425234.gif【2011年7月24日/コロラド州、ジェラルド・R・フォード野外劇場】
<ヴェイル・ヴァレー音楽祭2011>
●ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 op.43
→アレクサンドル・ロマノフスキー(Pf)

●チャイコフスキー:《くるみ割り人形》op.71~第2幕
 ○同:《エフゲニー・オネーギン》~ポロネーズ
⇒アラン・ギルバート/
 ニューヨーク・フィルハーモニック
(NYP オンデマンド)

そんな”くるみ”が、10年代初頭のアメリカでどう演奏されているのかがとても気になって、ニューヨーク・フィルのサイトで聴いてみた。今年の7月、コロラド州の国立森林公園のなかにある野外劇場でのライヴ(Google先生で確かめてみると劇場の周りは本当にただの山林である)。
7月の夕暮れ、外でくるみ。これは実に気持ちがいいだろうな。

野外での録音なので直接音がびりびりと響くが、ギルバートの切れ味鋭いフレージングではそれが良い効果を上げていて、《中国の踊り》《葦笛の踊り》のエッジの立ったパフォーマンスなどたいへんな快感です。

ところがそれらの純粋にスポーティな瞬間よりも(そういうのを突き詰める仕事はこれからのBPOとかに任せておけばいいだろう)第15曲《終幕のワルツとアポテオーズ》と、アンコールで演奏された《エフゲニー・オネーギン》のポロネーズに聴かれる20世紀後半様式のブリリアントな演出に、今はむしろ強く惹かれた。見栄っ張りで煌びやかで健康的で明快なサウンド、これは有効なセルフブランディングの帰結だろう。NYPに期待するのはやっぱりこういう音楽だったりする。

大喜びしているコロラド州の観客は、良い気持ちで家路についただろうと思う。
by Sonnenfleck | 2011-10-26 21:44 | on the air

プレヴィン/N響 第1710回定期@NHKホール(10/22)

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【2011年10月22日(土) 15:00~ NHKホール】
●メシアン:《トゥーランガリラ交響曲》
→児玉桃(Pf)、原田節(オンド・マルトノ)
⇒アンドレ・プレヴィン/NHK交響楽団


ほかの何でもなく、これは緩慢な愛の交響曲なのだなあ。
スリリングなリズムの饗宴、エロティックな音色の乱舞、そうした要素は結果として付加されうるだけで、本質ではなさそう。僕はこの日までその副次的要素をトゥーランガリラのお楽しみポイントだと思ってきたが、しかと覆された。そういったわけで10月22日はトゥーランガリラ記念日。

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ケント・ナガノのCDが好きな僕からすると、この日の演奏のあまりに悠然とした歩みが、まずたいへん強い違和感を催させたのは事実。(黒色の歩行補助カートを押しながらよろよろと袖から出てきたプレヴィンを見て、「ゆるふわ☆とぅーらんがりら」を覚悟したのは僕だけだったろうか?)
でもただの「ゆるふわ」じゃなかった。ちゃんと聴いていれば、その違和感の理由は単純に音楽の構えがかなり大きいせいなのだということがわかる。拍が整然と揃っているのは明白であって、緩慢ではあるが弛緩しているとは言い難い。目前の楽句に喰らいつくようにして前に進んでいく演奏ではないっつうこった。

あり得なくもなかったはずのことだけど、晩年のクレンペラーがトゥーランガリラを振っていたらどうだったろう。大質量の巨大な立方体がひたすら等速で、すー…っと滑っていくようなあの音楽、あそこからクレンペラーらしい頓狂な発声を無くし、アンサンブルが分離しすぎないよう念入りにブレンドすれば、この日のプレヴィンの曲作りに接近するんでは。

+ + +

実は、週日の疲れが出て、全曲の間で5、6回は眠りに落ちたのです。
それは音楽に慈しまれるような、たいへん心地よい眠りでした。

ふと眠りに落ちて、覚めてもまた同じ音型がふあふあしたタッチで続いている。音楽が倦怠と漸進の間の絶妙なバランスを保って、時間を統御しているんだな。
プレヴィンのこの日の音楽づくりを「とろい」と罵るのはとても容易いことだけど、トゥーランガリラ交響曲の本質は、こういう醒と睡のあわひ、停まった時間のなかの緩やかな愛にあるんじゃないかしら、ということを気づかされました。おしまい。
by Sonnenfleck | 2011-10-23 09:07 | 演奏会聴き語り

思い出A級。

c0060659_2162185.jpgその覆刻の報せを受けてより、ずっと楽しみに待っていた。懐かしい「はちみつレモン」。

10月7日の東響定期に向かう際、溜池山王駅構内のローソンで見つけ、あんまり嬉しくなって急いで買う。サントリーホールに着いてから、ホールの廊下の椅子に座って飲んでみると、ああ。昔とおんなじ砂糖とはちみつの優しい味がする。ほんとによかった。思い出を壊さないでいてくれたサントリーに大きなありがとう。

パッケージを見てるだけで、子どものころを思い出すんだよね。
ごくそっけない描線のみつばちとか、その軌跡の曲線とか。本当にあのころのままでね。昔どおりのアルミ缶だったら最強だったが、こればっかりは時代の流れだろう。それにしても…はちみつレモンを前にして自分の子ども時代を思い出しながらでは、ひねくれたことのひとつも書けない。
by Sonnenfleck | 2011-10-20 21:08 | ジャンクなんて...

on the air:Bach méridional|オノフリが導く南欧風バッハ

「AMBRONAY」っていうオサレ系の古楽レーベルがあるじゃないすか。あれの母体が音楽祭だっていうことを自分は知りませんでした。そんなわけでその中から、オノフリと彼のアンサンブルの演奏を聴く。

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c0060659_22181821.jpg【2011年9月18日/アンブロネ大修道院】
<アンブロネ音楽祭2011>
●P. A. アヴォンダーノ:シンフォニア ニ長調
●同:カンタータ《アベルの死》抜粋 *
●同:シンフォニア ヘ長調
●テレマン:カンタータ《雷神を称える》TWV 6:3 *
●ヴィヴァルディ:4Vn協奏曲ロ短調 op.3-10 RV580
●バッハ:Obダモーレ協奏曲イ長調 BWV1055a
●ヴィヴァルディ:Vn協奏曲二長調 RV.208《ムガール大帝》
→アナ・クイントン(S)
⇒エンリコ・オノフリ/ディヴィノ・ソスピーロ
(France Musique オンデマンド)

"Bach méridional"と題されたこの演奏会、バッハが編曲対象にしたヴィヴァルディの協奏曲を二つ並べていていかにもちゃんとしているのだが、そうすると前半に配されたペドロ・アントニオ・アヴォンダーノ Pedro Antonio Avondano(1714-1782)という作曲家が謎である。wikipediaによればリスボンの宮廷で活躍したイタリア人作曲家らしいんだけどね。

ただ、音楽を聴いてみてわかったのは、アヴォンダーノのきわめて器用な作曲姿勢であった。エマヌエル・バッハ(1714-1788)と同い年の彼の音楽は、エマヌエル以上に変わり身が上手だったようで、ヘ長調のシンフォニアではヴィヴァルディ風を描いてみせているが、その返す刀で、ニ長調のシンフォニアでは兄グラウン風の華麗なギャラント、そしてカンタータ《アベルの死》では一気にグルックくらいまで作風を進めている。各様式への適応の見事さはテレマン級と言ってもいいと思う。

リスボンの隠れバッハ、ということ?かな。アヴォンダーノは様式を統合してさらに新しいものを生み出しているのではなさそうだし、フリーデマンやエマヌエルのような変態っぽさはまったく感じないが、エマヌエルとクリスティアンの間にJSの「音楽的庶子」がいたらこんな感じだったのかもしれないね。

+ + +

さて、2ヴィヴァルディ1バッハで感じたのは、オノフリさんこれまで聴かず嫌いでまことにすみませんでしたという点に尽きる。
90年代、アントニーニ/イルジャルの下でコンマスをやっていた頃の録音のイメージがあまりにも強くて(つまり、なんとなく「やることが読めてしまう」ような先入観があって)、近年のオノフリを全然聴かないできたんだけど、いやいや実際は黒光りするような高級感があって面白かった。

特に、バッハの1055aでの、余裕たっぷりのダンディズムには吃驚です。
相変わらずアントニーニ流でキアロスクーロがきついのは想定どおりだけど、拍の捉え方・枠組みの作り方にしっかりとした工夫が窺われるんです。

まず、第1楽章を「よゆーッス」という感じでぶっ飛ばす演奏が主流であるなかで、あえて四股を踏むようにどっしりと構えているのが好い。根本的に音の陰影が強いので(このへんはいかにも、音色による表現に強いこだわりがある南欧のアンサンブルという感じだ)、同じ四股踏み傾向のカフェ・ツィンマーマンの録音のように、プラスチックのようなペラペラ感に陥ることもない。

逆に第2楽章と第3楽章では、拍を前に前に取ることによって、横方向への進行を軽くし、刹那的でギャラントな雰囲気を醸し出したりしている。巧妙である。1055は難しい作品だけど、オノフリの高級志向の曲づくりにはブラヴォを贈りたいと思う。
by Sonnenfleck | 2011-10-17 22:19 | on the air

ペーター・レーゼル ベートーヴェンの真影|第7回@紀尾井ホール(10/1)

c0060659_7563755.jpg【2011年10月1日(土) 15:00~ 紀尾井ホール】
<ベートーヴェン>
●Pfソナタ第24番嬰ヘ長調 op.78
●Pfソナタ第25番ト長調 op.79《郭公》
●Pfソナタ第11番変ロ長調 op.22
●Pfソナタ第7番ニ長調 op.10-3
●Pfソナタ第13番変ホ長調 op.27-1
 ○アンコール 6つのバガテル op.126~第3番変ホ長調
⇒ペーター・レーゼル(Pf)


レーゼルのピアノの「感想書けない性」の強さに立ち向かえないでいるどうも僕です。心の中で2週間も熟成させてたけどやっぱりダメだったので、もうテキトーに書いちゃいますよ。

・聴き手に緊張を強要しない音楽って、今や貴重な存在だ。
・だからと言って輪郭が曖昧なわけではない。ただ、行間に余裕がある。
・00年代は演奏に鋭い緊張感が求められた時代、あるいは、そうでなければ「名演」とは見なされない時代だったと思っている。じゃあ、これから先は?

・ベートーヴェンのPfソナタを目前にすると、アナリーゼが苦手だった学生時代のゼミのことを思い出して憂鬱な気分になる。だから、これらの32曲は老後の楽しみにとっておくことにしている。
・僕はレーゼルのシューベルトが好きだ。最小限のシューベルト。
・この日の演奏で、10-3の第2楽章と第3楽章にむしろシューベルトの真影を見つけてしまったのですが、どう考えたらいいでしょうか(アナリーゼができればその理由もわかるのか)。ニコニコにカサドシュの演奏があったので貼っておく↓


・絶望的に拍手の早い人物が一名。
・休憩時間にその彼を執念深く見つけ出し、大音声で罵り上げる人物が一名。
・ヲタが真影にやあらむ。

+ + +

・終演後は同行の友人と、四ツ谷駅前しんみち通りのルノアールへ。体調芳しからざれば黒蜜抹茶ミルクで暖まろう。あそこはルノアール各店の中でもルノアールレベルが高くて居心地が良く、実は何度も利用している。デイリーポータルZの情報ではあそこがルノアールの第一号店とのことだが、本当だろうか。
by Sonnenfleck | 2011-10-15 08:00 | 演奏会聴き語り

on the air:《ヴェニス・ヴィヴァルディ・ヴェルサイユ》音楽祭のアレッサンドリーニ

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【2011年7月2日 シャペル・ロワイヤル】
<ヴィヴァルディ>
●グローリア ニ長調 RV.589
●TpとObのための協奏曲ニ長調 P.210 RV.563
●マニフィカト ト短調 RV.611
→ロベルタ・インヴェルニッツィ(S)
 ラファエラ・ミラネージ(S)
 ロミーナ・バッソ(CA)
⇒リナルド・アレッサンドリーニ/コンチェルト・イタリアーノ&アカデミア
(France Musiqueオンデマンド)

毎年やってるのかなあこれ。ヴェルサイユ宮殿とNaïveがタイアップして、6月から7月にかけて「3V」音楽祭が開かれてたみたいです。クリスティ、スピノジ、ビオンディからジャルスキー、バルトリ姐さんまで、なるほど豪華な出演者陣。

+ + +

アレッサンドリーニ、個人的にはかなり好不調の波の激しい指揮者だと思っていて(この人はよく「学究肌」とか書かれるけど、僕は全然そう思わない)、調子の良いときはほかの誰も辿り着かないような軽やかな音楽をやるのに、調子が沈むとそれこそ死んだような音楽を鬱々とやる。で、死んでるほうがちょい多め。
(※蛇足だけど、須賀敦子の随筆などを読んでいると、イタリア人のインテリってこういう振れ幅の大きな人が大多数なんじゃないかという気がしてくる。)

この日の演奏は、良いときのアレッサンドリーニが最高のかたちで表出してた。
グローリアもマニフィカトも、ヴィヴァルディらしいシンプルな起承転結には持ち込みにくいフォルムをしているので、彼の厖大な作品の中でも演奏困難なほうに属していると思うのだ。最強の機会音楽にしてアンチ機会音楽の親玉…これはバッハのいくつかの作品と事情がよく似ているんではないかしらん。

で、アレッサンドリーニはそれを逆手に取る。いや、ヴィヴァルディらしい起承転結がそんなに得意でない人だからこそ、これが可能なのか。

マニフィカトは特にお見事。各構成部分ごとにトゥッティに対して多彩な色分けを施し、なおかつコンティヌオをきゅっと引き締めて、細くて強い光線が空間に向かって放射されるのを眺めるような快感、さらにそこから、ヴィヴァルディがこの作品に与えた自律的な安定感まで感じさせた。当然ながらインヴェルニッツィもバッソもその安定感をよく守っている。

ヴィヴァルディに「反機会性」を発見できずにお困りのドイツ系バロヲタの皆さん、いくつかのヴィヴァルディ作品の、なおかつ良い演奏ではそれが聴けるから、騙されたと思って耳を傾けてみてくださいな。
by Sonnenfleck | 2011-10-12 23:08 | on the air

続「ある日、私は蝶になった夢を見た」

c0060659_12381842.jpg【アトラス/SLPS91029】
◆《女神異聞録ペルソナ》
(プラットフォーム:PS、発売:1996/9/20)





お。ゲームのちゃんとしたレヴューって初めてかも。

暇に飽かしてニコニコでプレイ動画を見てたら無性に懐かしくなって、Amazonマケプレで中古(完動美品が500円しない!)を買い求めてしまったのだった。それにしても、僕はいつ自分のディスクを無くしてしまったんだろう…。

+ + +

本作は、FC時代から続く伝統のダークRPG「女神転生」シリーズの外伝にして、PS初参入作品。
実は僕はメガテン本編をちゃんとプレイしたことがないモグリのメガテンファンなのだが(攻略本を読み込んでゲームの内容を空想するのが好きなタイプの少年でした)、この「ペルソナ」は古参のメガテンファンの評価も高いので、外伝とはいえ本編に似た雰囲気を持っているのだろう。

高校生たちの平凡でちょっとささくれ立った日常に大きな亀裂が入り、天使や悪魔が入り乱れての凄惨な争いに巻き込まれる、というジュブナイルの様式美に則りつつ、90年代末の爛熟した世相を感じさせるメタなギミックをたくさん備え、かつ、われわれ「ジェネレーションY」の不安定な気持ちをひとつの目に見えるかたちで表現してくれていたことへの不思議。そうしたことが綯い交ぜになって、「女神異聞録ペルソナ」はDQにもFFにもない独特の雰囲気を漂わせてるのよね。

発売当時中学生だった僕は、ゲーム中盤にある中ボスの居城であまりの面倒くささに途中でプレイを投げ出してしまい、何とも言えない心残りがあったんです。
本作は発売から十数年経っても評価が高く、2009年にはPSPに移植されたりしてる。僕みたいにクリアを諦めた向きがたぶん大勢いて、アトラスはそうした人々が懐かしがるのを上手く狙って再発売したんじゃないかと思う。でもやっぱり、もともとの据置型プラットフォームでやり直したいんだよねえ。

+ + +

ゲームの難易度は高い。
ゲーム中で課される選択肢をただの一度でも選び間違えると、救いのあるエンディングには二度と到達しない苛烈な設定。
フィールドやダンジョンでの会敵率は絶望的に高く、敵側の攻撃もしばしば痛烈であるため油断すればパーティはすぐに全滅する。唯一プレイヤーの助けとなる「ペルソナ」(召喚モンスターみたいなもんです)の合成には複雑なシステムが組まれ、パーティは簡単には強化されない。さらに戦闘シーンではグラフィックに凝りすぎたために多大の時間を要し、クリアまでの手間は尋常でない。こうした特徴は、人をして本作を「伝説のマゾゲー」と呼ばしむるに十分なんである。

しかし、プレイを開始しよう。あとサトミタダシ。
by Sonnenfleck | 2011-10-09 14:27 | 日記

戦闘的で官能的。

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ジョナサン・ノット/東響の《ダフニスとクロエ》が終わった。彼らはたいへん高いところを目指し、そこに到達していた。
by Sonnenfleck | 2011-10-07 21:47 | 日記