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新宿御苑、そしてオリエントの時を思う。

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勤労感謝の日、生まれて初めて新宿御苑を訪れた。予想以上に広い場所であった。

紅葉は盛りの始まり。フランス式整形庭園のバラ花壇は、ちょうど見頃から終わりの始まりといったところ。プレイボーイという名前のバラの隣にセクシーレキシー(だったかな?)というバラが植わっていて愉快。しかしプレイガールという名のバラもあって、そちらは遠くからプレイボーイたちを狙っていた。
プラタナス並木はちょっと日本とは思えない存在感。

イギリス風景式庭園の芝生に座って、走って遊んで、晴れやか。

+ + +

その後、代々木の隠れた名店「Bistro ひつじや」に意気揚々と乗り込むと、満席。あのお店の名物でもある濃い南アジア系の店員さんたち数人に「今日予約デイッパイ、トテモゴメンネ」と言われてしまい、しばし途方に暮れる。

折しも雨が降り出して、たいへんまずい状況のところ、すぐそばに「オリエント」というトルコ料理屋さんがあるのがわかり、一か八かで向かうことに。

店舗は古めかしいビルのさらに奥まったところにあり、非常に怪しげな雰囲気。先客なし。お店のトルコ人のおじさん(HPの記述から想像するに彼がオーナーだったんだろう)も最初は「客かよ」みたいなあしらいで悲しかったが、ラク(あの、水で割ると白く濁るトルコの蒸留酒です)をオーダーしてぐいぐい飲んでいるうちにすっかりトルコサイコー!な気持ちになってしまった。

前菜の盛り合わせを頼むと、自家製ヨーグルトに、ひよこ豆のペースト、いもペースト、トマトペースト、と不定形のものばかりで可笑しい。全般に香辛料が強く、味の輪郭がかなりくっきりしていて、はっきり言って酒が進むんである。パンは焼きたてでどっしりとした噛みごたえ、ケバブも美味い。

結局、最後まで僕たち以外にお客さんが現れず、おじさん(オーナー)たちも途中から離れたテーブルで飲み交わしはじめ、なんとも言えない緩い雰囲気と暗い照明に豊かな情緒あり。帰りはラクが効き始め、もったりとした不定形の眠気が襲う。

+ + +

この日は休演だったけど、このお店、週のうち四日はベリーダンスショーがあるらしいんですよ。上述したように、自ら給仕してくれるオーナー氏が飾らない雰囲気なので、日本の固い飲食店の常識は通用しない。ネット上の評価が完全に二極化しているのもよくわかります。僕はかなり楽しかったけどねー。
by Sonnenfleck | 2011-11-28 23:55 | 絵日記

アリーナ・イブラギモヴァ 無伴奏Vnリサイタル@所沢ミューズ(11/13)

今年は10月が長いなあ…という印象を持ってるんだけど、航空公園駅からミューズへの15分だらだら歩きがちょうどよく気持ちいい。ミューズのロケーションは関東最高クラス。それが実感できる季節が長くないにせよ。

+ + +

c0060659_23381619.jpg【2011年11月13日(日) 15:00~ 所沢ミューズ】
<バッハ>
●無伴奏Vnパルティータ第1番ロ短調 BWV1002
●無伴奏Vnパルティータ第2番ニ短調 BWV1004
●無伴奏Vnパルティータ第3番ホ長調 BWV1006
○無伴奏Vnソナタ第2番イ短調 BWV1003~アンダンテ
⇒アリーナ・イブラギモヴァ(Vn)


俊敏で獰猛、知能が高くてしなやかな猫科の動物を思わせた。イブラギモヴァのヴァイオリン。

更新を楽しみにしている2つのブログ、「miu'z journal *2 -ロンドン音楽会日記-」さんと「Langsamer Satz」さん。お二方をその魅力ですっかりとりこにしているのが、アリーナ・イブラギモヴァという1985年生まれのヴァイオリニストです。お二方があんまり誉めるのでどうしても気になり、今年の来日のチケットを早々に押さえたのであった。果たして客席は、こだわりのお客さんで満席。

なぜ所沢の300席ちょっとの小ホールで3000円で聴けたのか、僕は理解できない。王子ホールやトッパンホールを、あるいは紀尾井・しらかわ・いずみを連続リサイタルで満席にし、ヤフオクでチケットが高騰してもまったくおかしくない。

バッハの無伴奏としては、個人的には、もっと繊維質で静的な、様式感の強いピリオドの演奏実践が好みではある。でも、バッハを自分の様式で染め上げていく彼女の行為の高い完成度、堂々として幾分も照れず、ブレのない表現、こうしたところに完全に脱帽した。聴いたのがバッハでないほかの音楽だったら、椅子から立ち上がれないくらいの衝撃だったかもしれない。

+ + +

第1番はまだ、彼女が音楽を所有し切れていないように思われた。
第1番ロ短調はご存じのように楽句の抽象化が著しく、会話のような抑揚の巨大なブロックがぷわぷわと浮いているような曲(ドゥーブル部は宇宙的ですらある)。クーラントのドゥーブルなどは苦し紛れの早弾きで拍子が崩れ気味という感じ、サラバンドも焦点がぼやけてもやっとした様相を呈していたのは残念だった。しかし早晩、自分の切り分けで調理してしまうことだろうと思う。

なにしろ、第2番第3番を聴いてわかったことだが、彼女は彼女のセンスで楽句を切り開いて、調味し、「ピリオドじゃなく自分の好みの」フォームに整えていくことにまったく非凡な才能を発揮するみたいなのだ。高度に洗練されたクレーメル、と言い表すのがもっとも僕の印象に近い。

第2番はアルマンドの最初の一音から、第1番とは自信の持ち方が違って、大きな猫科の動物が獲物に躍りかかるときのような美しい勁さでもって楽句を支配している。クーラントの気ままなデュナーミク、グルーヴ感のあるサラバンド、明暗の対比が強いジーグ、いずれも佳い。シャコンヌでは、ボウイングがいっそう烈しさと正確さ、柔軟さを帯び、変奏をずいずい切り分けてゆく。恐ろしい緊張感と充実が両立した類い希な演奏が展開された(やっぱ音楽への自己の全面的信託という意味でクレーメル的なんだよなー)
繰り返すが、バッハの無伴奏にはクイケンみたいな静けさを求める自分でも、この午後の、イブラギモヴァの浪漫の迸りには惚れ惚れとさせられた。少なくともこれまでに実演で聴いたどのシャコンヌよりも強烈で、勁かった。

この日のお客さんは途轍もない集中力を発揮する集団で、聴きながら「自分と彼女との孤立した空間」を感じたくらいなのであった。シャコンヌの終わりとともに訪れた熱い泥のような静寂が、演奏内容と同じくらい印象に残る。

+ + +

そんなわけで、第3番は長大なアンコールのようで、却って肩の力が抜けた素敵な味わいの演奏になってしまった。ダンスミュージック。ジーグの最後でちょろっと舌を出すみたいにかわいい装飾を付けたのを聴いて、ああそういえば彼女は26歳の女性なんであったと、この日初めて気がついたのである。

サイン会は長蛇の列だったが、ハルトマンの葬送協奏曲のCD(Hyperion)を買ってサインをもらった。かわいいひとなので至近距離だとどきどきするス。
by Sonnenfleck | 2011-11-25 23:45 | 演奏会聴き語り

ピエール=ロラン・エマール|コラージュ―モンタージュ2011@トッパンホール(11/20)

【2011年11月20日(日) 15:00~ トッパンホール】

<Prelude elementaire/易しいプレリュード>
●リゲティ:ムジカ・リチェルカータ第1番
●バルトーク:ミクロコスモス第124番《スタッカート》
●シェーンベルク:6つのピアノ小品 op.19~第2番
●バルトーク:ミクロコスモス第135番《永遠に動くもの》
●ブーレーズ:ノタシオン第4番、第8番

<2. Sostenuto/ソステヌート>
●クルターク:《遊び》~"In Memoriam Gyorgy Szoltanyi"
●ムソルグスキー:《展覧会の絵》~〈カタコンブ〉
●スクリャービン:5つの前奏曲 op.74~第2番(十分に遅く、瞑想的に)
●ヤナーチェク:《消えた男の日記》~間奏曲
●クルターク:《遊び》~"for Dora Antal's birthday"
●ベートーヴェン:《ディアベッリ変奏曲》op.120~第20変奏
●クルターク:《遊び》~"Doina"
●ストロッパ:《ミニチュア・エストローズ》~〈ニンナ・ナンナ〉

<3. Melody and Melody/メロディ&メロディ>
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈ふたご座〉
●シューベルト:36の独創的舞曲 D365~第21番
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈みずがめ座〉
●シューベルト:16のレントラーと2つのエコセーズ D734~レントラー第12番
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈おひつじ座〉
●シューベルト:12のワルツ、17のレントラーと9つのエコセーズ D145~レントラー第6番
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈やぎ座〉
●シューベルト:16のレントラーと2つのエコセーズ D734~レントラー第7番
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈おうし座〉
●シューベルト:16のレントラーと2つのエコセーズ D734~レントラー第4番
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈おとめ座〉
●シューベルト:12のワルツ、17のレントラーと9つのエコセーズ D145~ワルツ第6番

<4. Capriccio/カプリッチョ>
●ベートーヴェン:6つのバガテル op.126~第6番ト長調(部分)
●ケージ:《7つの俳句》~第4番
●シューマン:《謝肉祭》~〈スフィンクス〉、〈蝶々〉
●ベートーヴェン:6つのバガテル op.126~第6番ト長調(部分)
●スカルラッティ:ソナタ第426番ト短調(部分)
●ベートーヴェン:11のバガテル op.119~第10番イ長調(部分)
●シュトックハウゼン:ピアノ曲第8
●ベートーヴェン:6つのバガテル op.126~第6番ト長調(終わり部分)

<5. Cloches d'Adieu/告別の鐘>
●ミュライユ:"Cloche d'Adieu, et un sourire...in Memoriam Olivier Messiaen"
●シェーンベルク:6つのピアノ小品 op.19~第6番
●クルターク:《遊び》~"Organ and Bells in Memory of Doctor Laszlo Dobszay"
●メシアン:前奏曲集~第6番〈告別の鐘と告別の涙〉
●ラヴェル:《夜のガスパール》~〈絞首台〉(抜粋)
●ムソルグスキー:《展覧会の絵》~〈キエフの大門〉(抜粋)

⇒ピエール=ロラン・エマール(Pf)


しばしばコンサートに一緒に行く、あるいはしばしば偶然出くわす友人二人と鑑賞。
終演後、友人二人はあんまり面白くなさげだったので(「空耳アワーだった」との友人の意見、これはたしかに一理ある…)、僕は黙って一緒に飯田橋駅まで歩いたのだが、いや、個人的にはかなり面白かったのよ。自分のように面白がりの閾値が低いと、ほんとに人生はお得の連続!大ハッピー!だと思う。

+ + +

これはコンサートでいつも同じ曲ばかりが取り上げられる状況への戦いなのです。
五ブロック、五楽章の作品。繋がりがすぐにわかるブロックもあれば、一聴しただけでは繋がりがわからないブロックもあるでしょう。モザイク、パッチワーク、あるいはコラージュ・モンタージュ。

今回の90分、作品と演奏行為に対して求められる能動聴取力は、フツーのコンサートの比ではなかった。繋がりを必死で探したり、探しきれずに響きに淫することを選択したり、主体的な判断の瞬間が90分間絶え間なく、ずっと続いた。正直、エマールの好きな小品を並べた「愉快なアンコール大全」くらいに思ってたんだけど、全然そうではなく、もっとずっとコンセプチュアルなプログラミングだった。

注意して、皆さんが自分で補いながら聴いてみてください。

ひとつの作品を二度繰り返して弾いたり、作品のすべての部分を弾かなかったり、作品同士をくっつけたり、作品をばらばらにして再配置したり。あちこちでこういった手法が取られた。プログラムに存在しないリストの曲を紛れ込ませたりということもしたようだった(リストヲタならはっきりとわかったのかしら)

第一ブロックは継ぎ目が明白で、まだしも普通のリサイタルに近い。新ウィーン楽派の作品が圧倒的に美しい(愛聴している彼のベルクのソナタの演奏を改めて体感できて嬉しかった)。リゲティとバルトークは上品な都市生活者の音楽に仕立て直されて、これはこれで素敵である。

そこへ第二ブロックの濃密なハーモニー地獄が訪れる。曲同士はいよいよぬめぬめとくっつき合い、アマルガム状態からハーモニーの毒湯気がもうもうと上がって窒息しそうである。痛気持ちいい。
ハーモニーが痛気持ちいいってどんな感じだと思いますか?クルターク、スクリャービン、ベートーヴェン…それはもう…痛気持ちいいのです。ちなみに昨年のポゴレリチは有機溶剤系の「臭気持ちいい」演奏でしたね。。

第三ブロックで観測されたのは、シュトックハウゼンとシューベルトを完全シームレスに加工する手法。これはまことに魔法で騙されるような快感であった。つるりっとした「継ぎ目」部分では、脳みそがぐにゃぐにゃするような気持ちよさ。シューベルトがアヴァンギャルドなのか、シュトックハウゼンがクラシカルなのか。

エマール。第四ブロックではベートーヴェンのバガテルを一度ばらばらに裁断して、シェーンベルクやシュトックハウゼンと縫合してしまう。そのパッチワーク袋の中身には、ケージの《七つの俳諧》と、たぶんシューマンの《謝肉祭》の音の「骨」だけを抜き出し(これがこの日一番の問題行為だったと僕は思いますが、何しろシューマンのピアノ曲には疎いので勘違いだったかもしれません)、仏舎利状態にして格納。
でも、違和感を生じさせない。ここの奇妙な感覚は拭いがたい印象を残した。

最後の第五ブロックでは、ミュライユの寒天培地からシェーンベルクとクルタークを培養、シェーンベルクとクルタークからラヴェルを化学合成し、ついにラヴェル模様の魔方陣からムソルグスキーを召喚するという黒魔術を披露。〈キエフの大門〉は「湧いて出た」としか書きようがないのだほんとに。

何を言ってるかよくわからないでしょう。変な体験。
これだけやった90分間の「骨格」が僕には見つけられなかった。感動はまだらにして時折、審美の感覚を揺さぶられるくらい強烈。あ、やっぱり空耳アワーか…。

<おまけ>
◆「エマール」でYahoo!リアルタイム検索を掛けると、演奏会直後は、洗剤とピアニストがほんとに半々くらいの割合で出てきてた。しかるに今は、9割以上が洗剤に関するツイートなんである。花王さんすげえよ売れてるよ。
by Sonnenfleck | 2011-11-22 23:44 | 演奏会聴き語り

テミルカーノフ/サンクトペテルブルク・フィル来日公演@文京シビック(11/12)

僕の友人の中でもっとも厳しい審美眼を持つ男が「今のテミル+サンクトは極めて素晴らしい状態にある、是非もなく聴くべし」と、いつになく熱心に勧めてきていたのであった。
関東唯一の週末公演であるこの日は、もともと夜に予定があったので諦めていたのだったが、急にキャンセルになってしまったのを幸いに当日券で突入。

+ + +

c0060659_1924079.jpg【2011年11月12日(土) 18:30~ 文京シビックホール】
●ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調 op.27
●チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 op.36
 ○エルガー:《愛の挨拶》
 ○チャイコフスキー:《白鳥の湖》~四羽の白鳥の踊り
⇒ユーリ・テミルカーノフ/
 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団


一言で申して、エレガントの極みでした。
この有名なオケを生で聴いたことのなかった僕はいまだに、ムラヴィンスキーみたいな響きをイメージしていたんだけど、今は、もうそうではないのだ。

テミルカーノフのセンスは、旧レニングラード・フィルを劇的に変えた。彼らの録音に興味が湧かなかったので僕は気づいていなかったんだけど、こんなに豪奢にして優美な響きになっていようとはねえ。冒頭に登場した友人はこの状況を「帝政ロシアの復活」と表現してて、それは僕もまったく同意するところである。面白い!

そんなわけで、今年の来日公演のプログラムがリアルなソヴィエト音楽をほとんどフォローしないのは、むしろ当然と思われるのね。当夜のラフ2&チャイ4は、そうした文脈では燦然と輝く星々である。

+ + +

ラフマニノフが、本当に素晴らしかった。普段ラフマニノフなんか聴かない僕が、ずたずたに感動させられた。「これ以外の」演奏にならこれからも出会いそうだが、「これ以上の」演奏には出会える気がしない。

たしかに、トゥッティのフォルティッシモにこそ、数々の録音で親しみ深いソヴィエト流の威嚇が名残を留めるのだけど、ことフレーズの「とめ・はね・はらい」においては、細心の注意の下で「洗練」が構築されている。ある種の焼き菓子が口に入れるとホロリと崩れるように切なく、やがて甘い。そういったコンディションで演奏される第3楽章が悪いはずはなく、思いのほかアクセントが軽やかなのも素敵(この交響曲はザンデルリング/フィルハーモニア管の「ごっついガトーショコラ」みたいな演奏が普通だと思っていたので、驚きである)

さらに付け加えるなら、このオケの木管楽器は実に独特な音を有していて、この楽章の長いクラリネットソロも藪に生えた野生の果物のように強い香味を放つ。にもかかわらず、全体の印象はあくまでも高貴なままなのが興味深い。土俗と高貴の両立こそ帝政ロシア文化の本質であるからして。

第4楽章「いきなりトロピカル」も、なんとなく箱庭的で現実感がなく、響きがパッと散ってすぐに霧消する。丁寧で繊細な響きを土台に、きらびやかな早弾きと金管の咆哮が映える。彼得堡貴族の温室のようなものを思わせた。

+ + +

チャイコフスキーは、これはラフマニノフを食らったあとではそんなに激しい感動はなかったが、ステーキのあとにすき焼きを食って感動が薄れるようなものと思います。すき焼きも単体ではたいへんな重みがあった。
ラフマに続いてこれも緩徐な第2楽章が素晴らしかったんだけど、それはテミルカーノフの貴族的音楽趣味の表出かと思われた。そして第3楽章の充実した分厚さは(あのように的確に水分を含むピツィカートもあるんだね)、よくよく煮えたマロニーちゃんを想像させた。

<おまけ>
◆1.休憩中、珍しく隣席のおじさんに話しかけられ、主にラフマの第3楽章の完成度の高さについて話し込んだ。おじさんも僕も高揚。
◆2.反対側の隣席には典型的なクラヲタ青年2人が座ってて、甲高い声のおしゃべりと猛烈な指揮マネに終始(しかし演奏の内容が良かったのですべてが許された)。指揮マネも急速楽章の主要主題オンリーじゃなく、経過句とか緩徐楽章が振れるようになったら素敵だと思うよ。
◆3.文京シビックは響きがナチュラルで良いホールだなあ。良いと言うひとが多いのもわかるなあ。ホワイエにエクセルシオール・カフェが出張してるのも肩肘張らなくていいなあ。あとはあの椅子だけなんとかしてほしいなあ。
◆4.〈四羽の白鳥の踊り〉はレミングスだなあ。
by Sonnenfleck | 2011-11-20 19:26 | 演奏会聴き語り

on the air:タモリ倶楽部「潜入!環状第二号新橋・虎ノ門トンネル」(11/19)

開通前に入れてもらおうシリーズ!潜入!環状第二号新橋・虎ノ門トンネル
~都会のど真ん中新橋にでかいトンネルが掘られている!外堀通りの先が地下に!超感動の初潜入!(テレビ朝日/2011年11月18日 24:20~)


小生、正直に申し上げますとこのあたりの地区に勤務しておりまして、それこそ毎日のように「環状第二号新橋・虎ノ門トンネル」の存在を感じながら出退勤を繰り返してるんであります。
レンガ通り、柳通り、そして新橋西口通りのあたりは、シャレオツな汐留とは全然違って、古き良きオトナの新橋の佇まいをかすかに残す静かな街区と、新興の低俗な情景がまだらに混じり合い、複層的な魅力のある街並みが形成されとります。

これらの通りを東西にずばとぶち抜くトンネルが、その巨大な開口部を第一京浜に向けてむき出しにしている光景…これを初めて目にしたときは度肝を抜かれたものです。それまで通行人の視線からトンネルの存在を隠すようにしていたフェンスが取り除かれてからというもの、いつかタモリが「タモリ倶楽部」か「ブラタモリ」でここに潜ってくれないかとずっと思ってきたのですが、ついにそれが叶いました。

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虎ノ門から汐留にかけて、地下10メートルという比較的浅い地点を掘り進めたトンネルです。もとは海底だったこの地区ならではの、堆積物から成る柔らかい土壌を掘っていくのにはかなりの労苦があると見えて、まだまだ未着手の箇所も多い模様。土留めの錆び錆びが生々しくも男臭くて風情がある。

「ブラタモリ」では久保田アナ(とNHK)に相当気を遣ってはしゃぎ方もだいぶ落ち着いてるんだけど、「タモリ倶楽部」で街歩きや巨大構造物観光をするときは、子どものように喜ぶ姿を見せてくれるので、ファンとしても嬉しい。今夜のタモリ倶楽部では、テンションが上がりすぎてトンネルを全力疾走する66歳の姿が見られた。
by Sonnenfleck | 2011-11-19 01:30 | on the air

華氏140度:22

東京スカイツリー公式キャラクター・同胞ちゃん
by Sonnenfleck | 2011-11-18 08:13 | 日記

うらにほんじんのさけび、と雑談

寒くなると気分も落ちこむ!「季節性うつ」にご用心(web R25 11月6日(日)7時15分配信)
では、冬季うつを防ぐためにはいったいどうしたらいいの?

「うつ病の治療法のひとつに日光に近い光を一定時間浴びる“高照度光療法”というものがあります。人の体は日に当たることで体内時計を調節しているので、意図的に光を浴びて体内バランスを整えるのが目的です。なので、手っ取り早く冬季うつを予防するなら、夜は早く寝て朝一番にカーテンを開け太陽を浴びること。うつ病予防にはホルモン分泌や体内のリズムを整えることが何よりも大切です」
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あさいちばんにカーテンをあけるとたいようがでているのがあたりまえだとおもうなよおもてにほんじんめ!!!うらにほんじんはこれできずつくのだぞ!!!

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12日はサンクトペテルブルク・フィル、13日はアリーナ・イブラギモヴァ、どちらも心が満たされる素晴らしい演奏だったですが、例年どおり本業が徐々に忙しくなり始める時期ゆえ、感想文を書く時間がなかなか取れなそうだわ。
by Sonnenfleck | 2011-11-14 23:25 | 日記

フランソワ×バンジャマン。

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●バッハ:VnとCemのためのソナタ BWV1014~19
●同:VnとB.C.のためのソナタ ト長調 BWV1021 *
⇒フランソワ・フェルナンデス(Vn)
 バンジャマン・アラール(Cem)
 フィリップ・ピエルロ(Basse de viole *)



注目のチェンバリスト、バンジャマン君が、重鎮フランソワ・フェルナンデスと一緒に演奏するバッハのソナタです。
このチェンバリストの只ならぬ風格については、彼が同行した、今年のラ・プティット・バンド来日公演を聴かれた皆さんのレヴューに詳しい。通奏低音奏者としてきわめてクレバーな補助と支配を行なういっぽうで、同時代的なグルーヴ感のある華やかなソロを聴かせていたこのひとが、バッハではどんなふうなのか?

+ + +

…ということを気にしながら聴き始めたのだが、僕はまず、フランソワ・フェルナンデスのヴァイオリンにすっかり心を奪われてしまった。

「シギスヴァルトの懐刀」としての実力はなんとなく感じつつも、彼ひとりの音楽を注意して聴く機会はこれまでに一度もなかったんだが、僕がとりわけ好きな第2番イ長調1015でのほんわか風情には本当に恐れ入った!
おおらかに雲が浮かぶ5月の青空のような第1楽章から、ヒバリがひゅーっと軽く飛ぶような第2楽章。地を這うイモムシのようでありながら線を太く保つことで深刻に陥らない第3楽章を伝って(草むらからも見上げれば青空がある)、いよいよこの世の快活を一手に引き受ける第4楽章のまぶしさよ。またヒバリが遠くで鳴いている。

第1番ロ短調1014の第2楽章での、自信に満ちて重い足取り(Allegro ma non troppo…)、また第3番ホ長調1016の第1楽章では、調性感をきわめて巧みに捉えてブロンズの風格を漂わせる。フェルナンデスがここまで雄弁に語るヴァイオリニストなのだということ、僕は知らなかった。

+ + +

翻ってチェンバロはどうなのか。もう一度、第1番の第2楽章を聴いてみよう。
通奏低音のいないこのソナタ集でも、半分以上の楽章は3声部で書かれているから、実質的にはチェンバロの左手が通奏低音化して支えになり、立体的な音場が形成されることになる。
アラールの左手のタイミングを聴き、「低音擦弦楽器への擬態」が完璧に処理されているような気がして、自分はたいへん驚愕しました。左手をほんの少しだけ右手の発音から遅らせることで、音量の核が遅れてくるような効果を、つまり、低音擦弦楽器のメッサ・ディ・ヴォーチェを表現してるんじゃないかと思うのだ。

もちろん、チェンバロが普通の伴奏に回る楽章では(第4番ハ短調1017の第3楽章とかね)、堅牢さと柔軟な伸縮を両立した「枠組み」の維持に余念がない。アラールのこの面はラ・プティットでよく現れていた。正確な仕事人でもある。

バンジャマン君、2009年録音のこのとき、23歳でしょう?
by Sonnenfleck | 2011-11-10 21:02 | パンケーキ(18)

立教大学交響楽団 第102回定期演奏会@蒲田(11/4)

c0060659_23125388.jpg【2011年11月4日(金) 19:00~ 大田区民ホール・アプリコ】
●シューマン:《マンフレッド》序曲 op.115
●チャイコフスキー:《眠れる森の美女》op.66 抜粋
●バルトーク:管弦楽のための協奏曲
⇒家田厚志/立教大学交響楽団


一年に一度くらいはアマオケを聴くのもよい。

友人からチケットを貰い受けて聴きに出かけた。蒲田で下車するのは七年ぶり、前回もアプリコで、前回もアマオケ(アイノラ響の最初の定演だったと思う)
アマオケの感想文って本当に難しいのでエントリにしないこともできたが、部分的になかなか素晴らしかったので、取り上げたいと思います。

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《マンフレッド》序曲は、彼らがアマチュアであり、しかも公演の一曲目で緊張しているということを差し引いても、味の薄い味噌汁みたいな物足りなさが残った。特にシューマンにおいては、楽句と楽句の間は「何もない空間」ではないと思う。指揮者の捉え方なのかもしれないけど。

で、《眠りの森の美女》抜粋ね。
この演奏は、プロのオーケストラではあまり感じたことのない「天然もののコケットリー」が、ほうぼうからふあふあっと薫ってきてたいへん素敵だった。
この一晩を(明日のパンのためではなく)ただこの一晩を良くするためだけに捧げる想念、みたいなものが、曲調のシンプルさと相俟ってこちらの胸を熱くする。"Rose adagio" なんてちょっとはにかんだような雰囲気もあり、上質な演奏だったぜ。

このたいへんシンプルな想念は、チャイコフスキー演奏に関してはとても大切なものと思う。だからカラヤンやプレヴィンのチャイコフスキーは好い。

最後のオケコンは正直に申し上げると不安だったんですが、失礼ながら予想を大きく上回る演奏精度で驚いてしまった。
ところどころ妙に艶っぽい響き、直線的な盛り上がりの激しさ、そうは言いながらもやや散漫なところもあるアンサンブル…これは旧東のオケに似てなくもないではないか!と思って、ノヴォシビルスク響とかソフィア・フィルを想像して楽しんだ。第3楽章の苦い詩情をよく表現していたのに大いに感服。

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帰り道の蒲田は、やっぱり今夜もぎらぎら。
by Sonnenfleck | 2011-11-07 23:16 | 演奏会聴き語り

幕末のリュートソング・ブック

c0060659_917721.jpg【キングレコード/KICX-8565】
<邦楽決定盤2000シリーズ・端唄>
●端唄名曲オムニバス
⇒根岸登喜子(Vo)、神楽坂まき子(Vo)ほか




この前の金曜、疲れて帰ってきてEテレの『芸能百花繚乱』を眺めていたら、「もしかしてこれじゃね?」という気持ちがにわかに湧き上がったのである。
純邦楽のデカダンス、閉塞感、閉塞感の中の粋。

iTunesストアですぐに「端唄」と「清元」をダウンロードする。
邦楽独特の呼吸感に慣れるまでは…などと思う間もなく、須臾にして身体中に邦楽のリズムが染み渡っていくので可笑しくなってしまった。これまで少しずつ身体に蓄積してきた邦楽の胞子が、喜んでぷちぷちと反応している。そうしてiPodに入れて通勤電車で聴けば何とも言えぬ酩酊に襲われて、目前の世界が現実味をなくす。

この変な身体感覚は何か?
身体の中の暗いところに密かに根付いていた菌糸から、見たことのない茸が生えてきたような感覚は。その茸の懐かしくまた頗る美味であることよ。

+ + +

天保の改革より後の年代で江戸庶民に大流行した、三味線(Smsn)伴奏付きの小歌曲を「端唄 はうた」と呼ぶ。
2~3分の小さな枠組みの中で、花鳥風月に色恋を仮託するスタイル。しかし、幽愁に満ちた音楽が多い…というわけでもないのがダウランドあたりとは如実に違うところで、端唄は掛け言葉や擬態語をリズミカルに使って愉快さや明るめの皮肉も追求している。旋律も覚えやすいね(このへんの江戸庶民の心情は、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)に詳しい)。

実は、リズムよりもメロディよりも、違和感が取れるのがずっと遅かったのが「日本語歌唱」という様式だった。
しばしば感じていることだが、僕らは日本の伎芸に対して(菌糸が届かない表面的には)すでにアラバマ州のボビーと変わらぬ視線しか持ち得ない。宿命的ねえ。
by Sonnenfleck | 2011-11-05 10:54 | パンケーキ(19)