<   2012年 03月 ( 11 )   > この月の画像一覧

精神と時のお買い物XXXII(さよなら新宿の工藤淳)

学生のころは本を買う上で新宿にはあまり縁がなかったが、数年前から再び東京に暮らすようになってからは、新宿三越の上にあるジュンク堂が主たる漁場となっていた。網はいくら広げても足りなかった。漁場は3月31日に閉まる。

3月27日に少しだけ時間が取れたので、最後のつもりで立ち寄った。釣り人は多いが、魚はもうあまり残っていない。魚の寝ていた棚が今はがらんとして並んでいるだけです。寂しいね。その、最後の釣果。

+ + +

【ジュンク堂書店 新宿店】
1 石井あゆみ:『信長協奏曲 2・3・4』(ゲッサン少年サンデーコミックス)
2 串田孫一:『山のパンセ』(岩波文庫)
3 オースティン:『高慢と偏見 下」(ちくま文庫)
4 須賀敦子:『須賀敦子全集 3』(河出文庫)
5 種村季弘:『東京百話 人の巻』(ちくま文庫)
6 多和田葉子:『ゴットハルト鉄道』(講談社文芸文庫)
7 バード:『日本奥地紀行』(平凡社ライブラリー)
8 ブーレーズ:『ブーレーズ作曲家論集』(ちくま学芸文庫)
9 三島由紀夫:『文豪怪談傑作選―三島由紀夫集 雛の宿』(ちくま文庫)
10 村上春樹:『1Q84 BOOK 1 前編・後編』(新潮文庫)

慌てて選んだので、たいへん混沌としたチョイスになった。

1は、ヒラコー『ドリフターズ』を思わせる転生話に秀吉悪党説をたらし込み、そのうえ大胆にも光秀と信長を二重協奏曲のソリストに仕立てた意欲作。トーンをほとんど使用せずに細い描線で動きと陰翳を見せる筆致と、話の展開の恐ろしい速度が、互いをよく引き立て合っている。

文学を研究する友だちから薦められていた多和田葉子作品。やっと買う。6。
渡辺京二『逝きし世の面影』からの遡り。大事な東北学文献。やっと買う。7。
ときどき三島のナルシシスティックな文章を摂取しないと気が済まない。9。
まーもっかい読むかー。10。
by Sonnenfleck | 2012-03-31 12:37 | 精神と時のお買い物

ケコカケコケコケコケコーラ

c0060659_2304497.jpg

クラシカルなデザインの瓶コーラを見つけて、ふらっと買ってしまった。コカコーラ125周年記念ボトルとのことで、昨年から発売されていたようです。

このブログでときどき話題にして楽しんでいたB級ドリンクの発売は、この一年ほどでほんとうにすっかり減ってしまった。あるいは、僕の普段の行動範囲であるオフィス街―住宅街のコンビニからは見当たらなくなってしまった(学生街とか歓楽街は違うかもしれん)
小さな遊び心を忘れてはいけない。どんなときでも。

+ + +

瓶コーラは(もちろん中身はペットボトルやアルミ缶と一緒だけれど)、その飲み口の艶めかしい感触によって、きわめて異例の存在感を有する。瓶の飲み口はひんやりと硬いようでいて、滑らかで柔らかくもある。

それぞれの嗜好品に第一義的官能以外の要素をプラスする手法は、もっと大々的にマーケティングされてもいいと思う。たとえば香水メーカーとコラボして「いい匂いのする」セヴラックのリサイタルなど面白くないですか。シリーズ化して毎回プログラムに凝って、いろんな匂いを試したりしてね。

そのようなコラボが偽物に見えるのは、どちらかが本気ではないときだろう。話を少し戻せば、コカコーラ社と瓶メーカーはたぶんどちらも本気だ。
by Sonnenfleck | 2012-03-28 23:01 | ジャンクなんて...

碧色

c0060659_19341785.jpg

by Sonnenfleck | 2012-03-25 19:34 | 日記

黄色

c0060659_14121317.jpg

by Sonnenfleck | 2012-03-25 14:12 | 日記

秘色

c0060659_946938.jpg

「そうぞうしい世界から露地入りをして手水を使って世塵を洗い落し簡素な茶室に入って釜のたぎる音を聞く。俗世のわずらわしいことをすべて忘れ去り無心の境地で茶をたて、かつ茶を喫する」

福田恆存『南坊録』
by Sonnenfleck | 2012-03-25 09:46 | 日記

華氏140度:25

いずれ感想文を書きたいと考えているが、ようやく文庫化されたジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』が猛烈に面白い。ビバ文庫化。高校生のときに本書に出会っていたら、植物学者や言語学者を目指してたかもしれない。ほんのところどころに点在する上品なジョークも好い。
自分には好奇心があると少しでも思っていて、かつ日本語がそれほど不自由でない人間はすべからく読むべき。あなたの好奇心の飢えを、危ないクスリのように素早く確実に満たすはず。
by Sonnenfleck | 2012-03-22 08:32 | 日記

こえがききたい

c0060659_2365226.jpg【DGG/POCG4085】
<ヴォルフ>
●ミニョンI 《語らずともよい》
●ミニョンII 《ただあこがれを知るひとだけが》
●ミニョンIII 《もうしばらくこのままの姿に》
●ミニョン 《ごぞんじですか、レモンの花咲く国》
●《四季すべて春》
●《問うなかれ》
●《お澄まし娘》
●《羊飼い》
●《ヴァイラの歌》

<マーラー>
●《無駄な骨折り》
●《ラインの伝説》
●《去って!去って!》
●《高い知性への賛美》
●《春の朝》
●《ファンタジー》
●《わたしは緑深い森を楽しく歩んだ》
●《想い出》
●《セレナーデ》
●《トランペットが美しく鳴るところ》

⇒アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(MS)+ラルフ・ゴトーニ(Pf)

今や熟女の魅力でわれわれを煙に巻くフォン・オッターおばさんだが、このディスクは、まずジャケ写真の80年代的雰囲気に驚かされる。オッターの厖大な録音歴のごくごく初期のものであるらしい。そしてなぜか、彼女自信の公式サイトのディスコグラフィからは消去されている。

ヴォルフの音楽はほんとうに変だ。変すぎて今でもあまり聴かれていないのは納得のいくところで、至極まっとうな現状だ(わかりやすい藝術などクソ喰らえ)。ヴォルフと並べて聴くと、マーラーが根っこに持っているポピュリズムが芬々と臭ってきて実に厭な気持ちになるのが、このディスクの善いところ。

ところで、むすめさんが唄うヴォルフは佳い。
フォン・オッターおばさんになってからアーティキュレーション錬金術の生け贄になって消えてしまった、素肌の奥にわだかまっている闇のような暗い地声が、ヴォルフの奇怪を引き立ててやまない。
by Sonnenfleck | 2012-03-19 23:49 | パンケーキ(20)

日本海のこと

明日は朝から所用で名古屋に出かけるので、今日は仕事を早めに切り上げて帰宅。NKHニュース9で、寝台特急「日本海」引退のニュースを知った。

鷹ノ巣駅からの中継で郷里の言葉を聴き、黒いゴム長を履いて寒さに顔を赤くした親爺の姿、そしてまたホームを滑り出ていく「日本海」のテールランプを見て、胸が張り裂けるような思いに駆られる。

―楽しいことなど何もなかった僕の高校生活のなかで、唯一と言ってもよいカラフルな思い出が、京都大阪奈良への修学旅行である。
この旅行の帰り、僕たちは「日本海」に揺られて秋田に帰った。

c0060659_2293184.jpg

+ + +

今年の3月11日、僕はすみだトリフォニーホールで、オーケストラ・ダスビダーニャの定期演奏会に臨んだ。
前半に演奏された伊福部昭の〈佞武多〉も、メインプログラム《レニングラード》の直前に設けられた14時46分の黙祷も。その第3楽章も。
「日本海」の引退を告げるニュースも。

同じように、これまでに感じたことのないほど酷い、酷い無力感と強い悲しみを僕に与える。僕は、僕の東北のために何をしたらいい。
by Sonnenfleck | 2012-03-16 22:15 | 日記

日露友好ショスタコーヴィチ・プロジェクト2012@日比谷公会堂(3/4)

c0060659_1171727.jpg【2012年3月4日(日)14:30~ 日比谷公会堂】
●シチェドリン:カルメン組曲
●ショスタコーヴィチ: 交響曲第14番 op.135
→アンナ・シャファジンスカヤ(S)
 ニコライ・ディデンコ(Bs)
⇒井上道義/オーケストラ・アンサンブル金沢


2月26日のメルニコフの感想がなかなか書けなくて困っている。日比谷の件を先に書く。

ショスタコーヴィチの交響曲のうち、ついぞ生で聴いたことがなかったのが《バービィ・ヤール》と《死者の歌》である(最難関の第2第3は2003年の井上/都響で済んでる)。これでついに残すところあと一曲となった。
巨大匿名掲示板によれば、第14番が日本で演奏されたのは10回に満たぬ由。この薄ら寒い午後に生を聴いて知ったのは、この「敬遠」状態の正当性であった。死の香りがあまりにも濃厚すぎる。

+ + +

さて、これまでに聴いていた録音とライヴでもっとも違って聴こえたのは、激しくディヴィジされた弦楽器のニュアンスが予想以上に艶かしく、カラフルに感じられるという点。
〈ラ・サンテ監獄にて〉〈おおデーリヴィク〉といった静かなアダージョは、これまではレンブラントの暗い銅版画のような風景を思い浮かべていた。漆黒の闇ですね。でも実際には、深夜のデパートのおもちゃ売り場のごとく、そこにはさまざまな形象と色彩が溶闇していた。13番目の弦楽四重奏曲や第15交響曲の風景に、思ったより近いんである。とても興味深い発見(日比谷の超絶デッド音響のおかげかも)

それらが最晩年様式の表出とすれば、壮年期の禍々しさと露西亜浪漫は、より激烈なかたちで〈自殺〉〈コンスタンティノープルのスルタンに対するザポロージェ・コザックの返答〉に結実している。

+ + +

この日のソリスト2人は、悪いところがひとつも見つからない。バスのディデンコはアレクサーシキンの代役だけど、録音で聴くかぎりでは僕はアレクサーシキンが好きじゃないので、むしろ大歓迎だったし、現に素晴らしい成果を残した。

ソプラノのシャファジンスカヤの見せ場、つまり〈自殺〉から〈用心して〉、〈マダム、ご覧なさい〉までの流れが、この午後は極度に感動的だったと言ってよい。
彼女は〈深き淵より〉の抑制が強かったのでちょっと心配だったんだけど、〈ローレライ〉の途中から音にGを伴う烈しい加速を果たして(ライン身投げ!)、ヴィシネフスカヤが霞むくらいの捨て鉢歌唱となった。

〈自殺〉で歌われるТри лилииの三本目では歌詞通りに、彼女の心の口も、周囲の空間もびゃーっと裂ける。戦慄するほかない。
この楽章の途中からシャファジンスカヤは感情を昂らせて涙を流している。曲の合間に涙を拭うけれども、声が上ずる。おかげで次の二つの楽章が(近親相姦と寡婦の楽章が)、あからさまに「疑わしい語り手」になったのは言うまでもない。хохочу хохочу...は美しい欺瞞の笑いである。

ミッキー/OEKは、予想をはるかに上回る稠密なアンサンブルで歌手を下支え。それでも〈ラ・サンテ監獄にて〉の真ん中(ウッドブロックが出現する暗い回廊)で織り目がほつれ、分解間際まで行ったのはスリリングだった。大変な難曲である。

+ + +

それにしても日比谷公会堂の妖気たるや!

昭和4年の竣工から、シゲティにティボーにコルトーにシャリアピンに…伝説の巨匠の音を梁や壁に蓄え込み続けて80年。ここで聴くショスタコーヴィチは究極としか言いようがない。豪奢な昔を偲ばせる内装にレニングラードを幻視する。

幕間に探検しに上がった二階で、iioさんとばったり遭遇。少しだけ立ち話をさせていただいたけど、この希有な空間は(端的に言えばLFJで)もっと活用されるべきと僕も感じる。国際フォーラムのホールD7とか、音響的にはこことほとんどどっこいどっこいだよね。
美しい五月に有楽町からアクセスする日比谷公会堂はいかにも佳さそうだ。溜池山王も初台も錦糸町も、申し訳ないが日比谷のゲニウスロキの敵ではない。

さて僕の隣席には、でっぷりと太って宝飾品をじゃらじゃらさせた婆さんが座って、テンプレのような金持ちトークを繰り広げていた。彼女はカルメン組曲に喜び、死者の歌で眠りに落ちていた。
どうやら麻布狸穴町のソ連大使館が、資本家の典型的悪行を宣伝するために工作員を雇ったようだった。ここは東京、1969年―。
by Sonnenfleck | 2012-03-11 11:08 | 演奏会聴き語り

男だらけで、遠く離れて、密かに隠れて。

c0060659_2124918.jpg【Virgin/5099907094323】
●ボノンチーニ:Pietoso nume arcier
●マンチーニ:Quanto mai saria piu bello
●コンティ:Quando veggo un'usignolo
●ボノンチーニ:Chi d'Amor tra le catene
●同:Bella si, ma crudel
●ポルポラ:Ecco che il primo fonte
●B. マルチェッロ:Chiaro e limpido fonte
●同:Veggio Fille
●A. スカルラッティ:Nel cor del cor mio

→フィリップ・ジャルスキー(C-T)+マックス・エマニュエル・チェンチッチ(C-T)
⇒ウィリアム・クリスティ(Cem,Org)/レザールフロリサン
 ~ヒロ・クロサキ(Vn)、カトリーヌ・ジラール(Vn)
  ジョナサン・コーエン(Vc)、エリザベス・ケニー(Tb,Lt)

近年出色の、エロバロデュオアルバム。禁色すなあ。
当代の人気カウンターテナー2人が組んずほぐれつ、差配はクリスティ以外の誰が務めよう。間違ってもピノックやルセじゃ義しすぎる。

品物を渋谷塔で見かけ、むんむんと漂うあちら側の雰囲気を感じて思わず衝動買いするも、オペラのデュオ曲集かというのは勘違いであった。

ここに収められているのは、1680年代から1720年代にかけて流行した「室内カンタータ」の系譜に属する作品たち。主として貴族の館の狭い室内で展開された、洗練され様式化された愛の歌である。華美というバロックの一大要素から正反対に舵を切り、隠微な美しさをこそ求める音楽。。

+ + +

どれもこれも官能の極致なのだが、就中、筆舌に尽くしがたいというか、その淫靡さに身悶えせざるを得ないのが、ベネデット・マルチェッロのカンタータ《ティルシとフィレーノ》からの重唱〈Veggio Fille〉である。

これ、歌詞を見るかぎりでは、ティルシ♂(ジャルスキー)がフィレ♀を想って、そしてフィレーノ♂(チェンチッチ)がクローリ♀を想って、それぞれ「じっと見れるけど口がきけねえ/口はきけるがじっと見れねえ」と男子中二病的な悩みを炸裂させてるようなんだけどさ(下図参照)。

 ティルシ♂ → フィレ♀(不在)
 フィレーノ♂ → クローリ♀(不在)

若干自信がないのは、フィレ♀=フィレーノ♂の愛称形ではないか、という点なのです。そうするとこのテクストは、

 クローリ♀(不在)
 ↑
 フィレーノ♂ ← ティルシ♂

という妖しいBL世界に変容してしまいます。
なんたって2人の歌の熱っぽい柔らかさと、クリスティのかそけきオルガンの音が、この誤解のままでもいいじゃない―?と僕を誘いに来るのです。この誘いに乗ってはいけない気がします。気がするけれど、それにしても美しい…。

あ、このアルバムにはポルポラや親父スカルラッティのかっこいいナンバーもいちおう入ってますんで。いちおうね。。
by Sonnenfleck | 2012-03-08 21:07 | パンケーキ(18)