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華氏140度:25

秋田新幹線に乗って、福島を通過する。
遠景に吾妻の峰の威容、近景に一面の桃の花が、天国的な和音を響かせて広がっている。僕の大切な東北。新幹線の強化ガラスの内側から視る。
by Sonnenfleck | 2012-04-28 10:37 | 日記

平成24年度熱狂計画

昨年はLFJ「本体」に一切参加しなかった。LFJ出演をキャンセルした演奏家たちを許すまじとする首都クラヲタ的空気に、震災後の自分の心中からして、少しでもかかずらうのが厭だったからである。
でも今年は一日だけ参加することにしたんです。LFJ1年目のベートーヴェンで体感したドタバタの熱狂が、やっぱり恋しい。

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◆5月3日(木)
・133 ベレゾフスキー他 アレンスキー&シュニトケ:Pf五重奏曲 [B5]
・134 ヴォックス・クラマンティス ペルト:カノン・ポカヤネン [B5]
・125 ヴォロディン ラフマ+チャイコ+ラフマ! [B7]
・156 VA “クレール・オプスキュール” [D7]
・137 ペヌティエ “スクリャービン最後のリサイタル” [B5]

今年は例年の反省を踏まえて、15時からの参加に。ピアノ成分が濃いので小さめのホールばかりになりました。あと、ショスタコは聴きません。
by Sonnenfleck | 2012-04-26 23:09 | 演奏会聴き語り

on the air:日曜の朝のニクソン・イン・チャイナ(4/22)

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【2012年4月18日(水) パリ・シャトレ座】
●アダムズ:《ニクソン・イン・チャイナ》
→リチャード・ニクソン:フランコ・ポンポーニ(Br)
 パット・ニクソン:ジューン・アンダーソン(S)
 ヘンリー・キッシンジャー:ピーター・シドム(Bs)
 毛沢東:アルフレッド・キム(T)
 江青:スミ・ジョー(S)
 周恩来:Kyung Chun Kim(キム・キュンチュン?)(Br) ほか
⇒Chen Shi-Zheng (陳士争)(演出)
⇒アレクサンダー・ブライガー/パリ室内管弦楽団、シャトレ座合唱団
(ARTE Live Web/2012年4月22日)


METライブビューイングで見逃してからも、一度は映像で見てみたかった作品。シャトレ座での4日前の公演がARTE Live Webで配信されてるのを聞きつけて、朝7時半から3時間にわたって鑑賞しました。

+ + +

初演を演出したピーター・セラーズに立ち向かった演出家は、陳士争という中国系アメリカ人の映画監督とのこと。
ニューヨークタイムズなどで見るセラーズの演出は、実際の事象を固定的に想起させる方向に(つまり映画の一場面のように)われわれを導くが、映画監督を本業としているはずの陳士争の演出がより抽象的で、かえって生々しいのが面白い。事象は必要最小限の小物によって固定されているだけである。

群衆の動かし方にはどことなく「慣れてねえ」感が残るんだけど、そのいっぽう、ほんの数種類に還元された色彩のつかい方がたいへん巧みで、無機質のなかに妙な湿度を感じさせる。こんな色彩設計のなかでニクソン夫妻とキッシンジャーは居心地が悪いだろうが、主席と江青は上機嫌ですね(周恩来は食えない男)

ある一面から見れば、アダムズの音楽はポピュリズムに染まっているのかもしれないが、ニクソン訪中という1972年の出来事を五線譜に落とし込むにあたってはそれ以外考えられないくらいしっくり来る。
アダムズの音楽はひたすら叙情的に美しく流れてゆき、ジャズのイディオムやリヒャルト・シュトラウスの引用めいた箇所を経由しながら静かで茫洋とした終幕につながっていく。イデオロギーの対立などそもそも存在しなくて、あるのは救いがたく情緒的で感覚的な人間(たち)同士の関係と相互運動だけである。

だから、終幕の演出はとても素敵だ。登場人物たちの衣装から初めて色彩が消えて、立場を放棄している(でもいちおうは、最後に思い出したようにポーズをキメる)。この期に及んでそんな文脈に何らかの意義を与えようとしている周恩来こそ、このオペラの真面目なアルルカンなんだろう。舞台中央にずっと置かれた主席の銅像をひたすら磨き続ける黙役と、周恩来が重なって見える。

歌手たちは全員が完璧な歌唱だったと言いたい。特にふたりのソプラノ、ジューン・アンダーソン(パット・ニクソン)とスミ・ジョー(江青)には惜しみないエア拍手。前者の暗めの声質と、後者の羽のような軽い声質が絡み合う第2幕後半から第3幕は絶品だった。スミ・ジョーはしばしば柴田理恵に見えたけれど。
by Sonnenfleck | 2012-04-22 12:43 | on the air

on the air:ルネ・パーペ Bsリサイタル@トッパンホール

【2011年2月19日 トッパンホール】
●シューベルト:音楽に D547
●同:笑いと涙 D777
●同:夕映えに D799
●同:野ばら D257
●ミューズの子 D764
●シューマン:《詩人の恋》op.48
●ヴォルフ:《ミケランジェロの詩による3つの歌曲》
●ムソルグスキー:《死の歌と踊り》
 ○R. シュトラウス:《献呈》
 ○シューマン:《子どものための歌のアルバム》op.79~〈子どもを見守るもの〉
⇒ルネ・パーペ(Bs)+カミロ・ラディケ(Pf)
(NHK-FM/2012年4月3日)


いっときルネ・パーペとルネ・コロとの区別がついていなかったどうも僕です。

最初のシューベルト5曲は、特に《夕映えに》が素敵だったな。深い飴色を思わせる高貴な声質に、このリートの拡がりゆく巨きな静けさがよく合う。人の良い王様が戯けて歌っているような《ミューズの子》も可笑しい。

《詩人の恋》には歌い出しから圧倒された。この曲集をあまり工夫のないテノールで聴くと、性根の捩じ曲がったルサンチマンしか感じられないわけですが、パーペの声で朗々と歌われるとまるで別の音楽のように神々しく堂々として、自信に満ちあふれて聴こえるから不思議だ。Im wunderschönen Monat Mai... この歌唱のように安定した暖かな春と風がそろそろ恋しい。

〈恨みはしない〉がもっとも変な雰囲気。まことに全然、恨まんよ構わんよという裏表のない音楽に仕上がっている。これでいいのかと問い詰められたら僕は回答に窮してしまうけれども。
〈あの歌を聴くと〉は逆に裏表がなさ過ぎて、嫉妬を通り過ぎて情欲の迸りみたいな感じである。伴奏のカミロ・ラディケもここぞとばかり真っ黒な打鍵で応じる。
〈僕は夢の中で泣いた〉は曲の持つ禍々しさが、ヴォルフのような前衛性がよく現れていると言える。ここまで自信たっぷりの男臭い男が、急に不安に襲われてへたり込んでしまった。パーペのアーティキュレーションはちょっと不安定で、乾いて掠れたような夢の風景を表す。
終曲〈古い忌わしい歌〉が、まるでピカレスク・ロマンのよう。

+ + +

それで後半は《ミケランジェロの詩による3つの歌曲》《死の歌と踊り》である。濃厚な死の香り!
はあぁ。ヴォルフはそれにしてもなんという音楽を書いているんだろう。第2曲〈生あるものはすべて滅ぶ〉の有機的な腐臭は。。
Menschen waren wir ja auch,
Froh und traurig,so wie ihr,
パーペが下線部に与えた苦痛の叫びは筆舌に尽くしがたい。総毛立つような思いで聴いた。この半年後にヴォルフは梅毒のために発狂する。

トリを飾るムソルグスキー。ロシア語の発音が巧みで仰天する。
古来より死神や悪魔の誘惑は甘美と決まっているが、ムソルグスキーも第2曲〈セレナード〉の最後に極めて恐ろしい音楽を与えている。
Нежен твой стан, упоителен трепет...
О, задушу я тебя
В крепких объятьях: любовный мой лепет
Слушай!... молчи!... Ты моя!
下線部は、お聞きなさい!…静かに!……そなたは私のものだ!という死神の勝利宣言なんだけど、絹のように柔らかく歌ったあとの残忍な叫びに戦慄。威風堂々たる白バスもいいが、聴き手に無条件の恐怖を植え付ける黒バスも好きです。

アンコールの《献呈》でこの世に再び呼び戻された。ああよかった。
by Sonnenfleck | 2012-04-20 06:29 | on the air

大友直人/東響 第599回定期演奏会<マーラーのリート・プロジェクト始まる>@サントリーホール(4/15)

c0060659_6284593.jpg【2012年4月15日(日)14:00~ サントリーホール】
●ラフマニノフ:ヴォカリーズ
●マーラー:歌曲集《子どもの不思議な角笛》~
 むだな骨折り/不幸な時の慰め/天国の喜び/
 魚に説教するパドゥアの聖アントニウス/
 塔の中の囚人の歌/死んだ鼓手/少年鼓手
→トーマス・バウアー(Br)
●スクリャービン:交響曲第2番
⇒大友直人/東京交響楽団


某オークションで良席がずいぶん安く出ていたので、急遽落札して聴きに行くことに。大友氏の指揮を聴くのはとーっても久しぶりです。

シェーンベルク年度の最後に《ペレアスとメリザンド》を聴いて、東響の恐ろしく深い音色に心から感じ入ったのだったが、その音色はこの日も比較的同じであった。あるプロジェクトを通じてオケの音色がもう一段階上に昇格するということはあるんだね。僕はスダーンの音楽づくりすべてに賛成という立場じゃ(たぶん)ないけど、「監督」の役割を着実に果たしている点に関して、強く敬意を表するものです。

+ + +

後半のスク2、あまり緻密な交響曲じゃないようだけれど、妙に破天荒な勢いがあって面白い作品だったな。。
ワーグナーの魂がリンツに避暑してブル3、ヤルタにバカンスに出掛けてスク2、といった風。曲中に愉快なリズムピースがたくさん潜んでるのも、ブルックナーと共通している。でも最終楽章でハ長調を爆発させちゃうのは、熱いロシア魂がなせるわざだ。しつこいパウゼのコンボに苦笑。

しかし肝心の大友氏は、、トゥッティを勢いに任せても響きに清潔感があり、若々しい音楽が形成されるのはよいものの、リズムピースを全然重視しないところ、それから音色のパレットに数色しか絵の具がないのには閉口した。パターン化は決して悪いことじゃないが、特に音色の単調さについては、共感覚を持ってたようなひとの音楽ではいかにもまずかろうと思う。また、しばらく聴くのを止そう。。

+ + +

でも、前半のマーラーがたいそう佳かった。
ソロを取ったバリトンのバウアーが、やや軽めの、健康的な明るい声質を活かしつつ、知的なデクラメーションを駆使してテキストを解釈してく。
この曲集、実はクヴァストホフ+オッター+アバドの録音がピンと来なくてこのかた、ずいぶん聴いてなかったんだけど、この日のバウアーの歌唱によって、この曲集のマーラー音楽における重要性を再認識することができた。

つまり、いくら1900年頃のマーラーが独墺楽壇の異端だったとしても、いちおうはシューベルトのような均整を踏まえた上で歌曲を作曲していたということを、歌い手と伴奏者は忘れるべきじゃないってことです。

〈塔の中の囚人の歌〉〈死んだ鼓手〉で、イロニーの後ろに静かに響いている寂寥感は、歌い手のわざとらしい諧謔で簡単に打ち消されてしまう。この日のバウアーの自然で高貴な発音は、浪漫の泥濘からちゃんとマーラーを掬い上げていたし、大友氏の清潔な音楽性もここではプラスに働いていました。
by Sonnenfleck | 2012-04-16 06:29 | 演奏会聴き語り

上陸のオランジーナ

c0060659_238766.jpgうーむ。これはけっこう売れるのでは。B級ドリンクを扱うこのブログにはふさわしくない大物の雰囲気が漂っているぞ。

たぶんこれまでもなんとなく視界の端には捉えていたんだろうが、フランス発祥の有名な飲み物だそうである。オランジーナが売られていない国を探すほうが大変だったのではないかな。日本に入ってこなかったのはC社の陰謀か。

肝心の味は、思いのほかフォルムが真面目で面白い。

バヤリースオレンジを炭酸で割り、ちゃんと柑橘類を絞って落として、少し砂糖を加えてステアするとこんな味になるんじゃないかな。果実繊維(オレンジピール?)の感触が絶妙のバランスで残っているのも新鮮だし、人工甘味料を使っていないっぽいのも好感度大。

カテゴリ的にちょうど重なってしまうファンタオレンジとは完全に一線を画す。あの昔懐かしい、稚気に溢れるジャンク感を好むひとならいざ知らず、正面からぶつかってはファンタに勝ち目はない。青と黄のどことなくバタくさいデザインも洒落ている。これから初夏に向けてはヘビロテだなっと。
by Sonnenfleck | 2012-04-12 23:17 | ジャンクなんて...

東京春祭マラソン・コンサートvol.2|ドビュッシーとその時代@東京文化会館(4/1)完走しました。

c0060659_22403460.jpg◆11時―
●《シランクス》
●《牧神の午後への前奏曲》
●《6つの古代の墓碑銘》
●《ベルガマスク組曲》~〈月の光〉
●《夢想》
●《2つのアラベスク》~第2番
●Fl、VaとHpのためのソナタ
⇒工藤重典(Fl)、山宮るり子(Hp)、藤井一興(Pf)、
 ロジャー・チェイス(Va)


ステージの照明も落ち、ハーピストがこっそり出てきたのに気をとられていたら、客席脇の扉から工藤重典氏が《シランクス》を吹きながら登場、そのまま登壇して《牧神の午後への前奏曲》。シンプルだけどかっこいい演出です。気の早い花見客で溢れかえった公園改札から、隔絶されたクロード祭へ。

しかしFl+Va+Hpソナタのクールさに圧倒される。この曲を生で聴くと、見事な錬成にいつも惚れ惚れしちゃうのだ。たとえば柿とこんにゃくと鯖みたいに、融け合うようで融け合わないキャラたちを、見えない調味料でまとめて懐石料理に仕立てたような。。ナッシュ・アンサンブルのヴィオリストが男臭くていい音の持ち主。

+ + +

◆13時―
●サティ:《薔薇十字団のファンファーレ》~〈教団の歌〉
●《忘れられた映像》
●《前奏曲第2集》~〈花火〉
●《映像第2集》~〈金色の魚〉
●《海》(ドビュッシーによる四手Pf編曲版)
⇒藤井一興(Pf)+本田聖嗣(Pf)


素晴らしい一時間。藤井一興氏を高く評価する声は以前からしばしば聞いていたけれど、しっかり生で聴いてみて、音のカラフルさと鮮烈さ、洒落ているくせにねちっこいタッチなど、なかなかに魅せられた。《忘れられた映像》のサラバンド、そして〈花火〉での空間の拡がり、見事だったなあ。

《海》は二人の熱気が正確さをざぶんと飲み込んで波浪警報発令だったけど、大オーケストラのクラングを完全に四手に移植したドビュッシーの魔術には驚嘆せざるを得ない(特に第2楽章は骨格がはっきりと見えてたいへん面白い体験だった)

+ + +

◆15時―
●《ビリティスの3つの歌》
●《艶やかな宴第1集》
●《前奏曲集第1集》~〈亜麻色の髪の乙女〉
●《子供の領分》~〈グラドゥス・アド・パルナッスム博士〉
●ショーソン:《リラの花》
●同:《7つの歌曲》~〈ハチドリ〉
●同:《ヴェルレーヌの2つの詩》
●《子供の領分》~〈小さな羊飼い〉〈ゴリウォーグのケークウォーク〉
●《夢に》
●《花に》
●《フランスの3つの歌》
⇒林美智子(MS)+河原忠之(Pf)


ごめんなさい。ドビュッシーの歌曲にはまだ親しめない。幸せの昼寝時間。

+ + +

◆17時―
●《夜想曲》(サマズイユによる四手Pf編曲版)
⇒藤井一興(Pf)+本田聖嗣(Pf)
●弦楽四重奏曲 ト短調 op.10
⇒渡辺玲子(Vn)+小林美恵(Vn)+川本嘉子(Va)+向山佳絵子(Vc)


カルテットの予想通りの素晴らしいパフォーマンスに大満足。この布陣で良くないわけがないのだ。
よく、常設団体>非常設団体みたいな図式を目にするけど、それは演奏する曲による。たとえばこの曲のように各パートのキャラクタが激しく対立する音楽なら、非常設団体に漂う緊張感が良い方向に作用するわけです。

今回も、互いに「これはソロVn(またはVa、Vc)と弦楽三重奏のための組曲よ!」みたいな4人の思いがぶつかり合って音楽が硬く引き締まり、鉱物のようなテクスチュアが生み出されてました。いやー素晴らしかった。

前半に演奏された《夜想曲》の四手バージョンは、ドビュッシー自身の編曲じゃないからなのか、原曲フォルムの取捨選択の仕方がなんとなく咨意的な感じがして。
ところがその咨意性の結実として、よりによってあの〈シレーヌ〉が、まるで南国の夕暮れの渚のように極上トロピカルミュージックに変容していたのは、特筆すべき吃驚ポイントだったと言える。

+ + +

◆19時―
●《前奏曲集第1集》~〈デルフォイの舞姫〉
●メシアン:《鳥のカタログ》~〈キガシラコウライウグイス〉
●《映像第1集》~〈水に映る影〉
●ラヴェル:《水の戯れ》
●《映像第2集》~〈葉末を渡る鐘の音〉
●ミュライユ:《別れの鐘と微笑み―オリヴィエ・メシアンを悼んで》
●《12の練習曲集》~〈5本の指のための〉
●マントヴァーニ:《4つの練習曲集》~〈レガートのために〉
●《仮面》
●メシアン:《4つのリズムの練習曲》~〈火の島Ⅱ〉
 ○《前奏曲集第1集》~〈亜麻色の髪の乙女〉
 ○クルターク:《激昂した亜麻色の髪の乙女》
⇒永野英樹(Pf)


ラフォルジュルネで十分に懲りてるはずなのだが、朝から夜まで生演奏を聴くとさすがに集中力が持たない。が、この最終公演ではすっかり引き込まれてしまった。

永野英樹氏を知ったのは、10年くらい前に帰朝公演の様子がNHK-FMで流れたのを聴いたとき。Ensアンテルコンタンポランのピアニストは伊達じゃなく、ルー・ハリソンのピアノ作品をバリバリ弾いてるかっこええ兄ちゃん、という認識でいたが、この日の公演で、メシアンとミュライユをバリバリ弾くかっこええ兄ちゃん、にアップロード。見かけはイチローみたいなのにね!

彼の明晰なタッチはエマールをさらに細身にしたような感じ。つまり耳に痛いくらい鋭敏であるから、メシアンの鳥もずいぶん生き生きとピーチクやるし、ミュライユの鐘もぎゅんぎゅんと鳴り渡る。メシアンは神懸かっていたなあ。。

でも、そんな彼が弾くドビュッシーは瑞々しい果汁のように甘口で、とても興味深い。象徴主義文学ヲタとしてのドビュッシーのキャラクタを忠実に掘り下げると、案外こういう様式が正しいのかもしれないな。

メシアンの《火の島Ⅱ》大噴火演奏のあと、アンコールとして〈亜麻色の髪の乙女〉が食後のソルベのように供された。爽やか。

で、これで終わりかと思いきや。最後でまさかのクルターク〈激昂した亜麻色の髪の乙女〉が僕らを待ち構えている。最初は「亜麻色の髪の主題によるインプロヴィゼーション」でも始めたのかと思ったけど、ちゃんとこういうパロディ作品があるんですね。デザートにも熱くて苦いソースを掛けるのを忘れない永野シェフ。2曲ずつセットの趣向も楽しかったな。

+ + +

一日券を買って楽しんでるコアなファンが、目算では20人くらいはいたように思う。会場のオペレーションがアルバイト学生ばっかりでパッとしなかったり、各1時間の休憩時間をすっかり持てあましたりしたが(一度などは上野公園の坂を下りて一蘭に入りとんこつラーメンをすする始末)、そんな環境も含めてお祭り。でもそのわりにはガチな演奏ばっかりだったよなー。

すっかり満足して家路につくころには日も暮れて、いまだ春浅し。
by Sonnenfleck | 2012-04-09 22:45 | 演奏会聴き語り

華氏140度:25

タモリ倶楽部で聖金曜日の陀羅尼。見よ、グラールに甘茶が満ちる。

…ちゃんとそのあと、レヴァイン/バイロイト'85のパルジファルを聴いてます。もう時間も遅いので、第3幕だけね。
by Sonnenfleck | 2012-04-07 01:39 | 華氏140度

アレクサンドル・メルニコフ Pfリサイタル@浜離宮朝日ホール(2/26)

c0060659_2314478.jpg【2012年2月26日(日) 13:00~ 浜離宮朝日ホール】
●ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ op.87
⇒アレクサンドル・メルニコフ(Pf)


自分がショスタコーヴィチに共感を覚えるたちで本当によかったと思った。そうでなければ、この3時間のショスタコ漬けに耐えられないス。

ニコラーエワの録音を聴いていたところで書いた、この曲集の巨大さ勁さへの畏怖は、通しで聴いてみてもあまり変わらなかった。しかしニコラーエワが一歩一歩の徒歩登頂とすれば、メルニコフはもう少し「ずるい」。

ロープウェーを利用したり、自動車でショートカットしたりすることも厭わないかわり、突然、匍匐前進や五体投地を始めたりもする。それでショスタコーヴィチのマジメ性(バッハ性と言ったほうがいいか)は一気に減ぜられるわけだが、反面ショスタコーヴィチのなかに確実に最後まで存在したスラップスティック的好みが炙り出されてくるので、メルニコフの捉え方のほうが初演者ニコラーエワよりもかえって本質に近いかなという気もした。
(※wikipediaにこの曲集を評して「平明な音楽」と堂々と書いてあるのは、何か違うと思うんだよね。五線譜の土中から掘り起こされてないだけでさ。)

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個々のピースの感想文を書いていくと際限がないので止しますが、第14番のことと、第22番ト短調から第24番ニ短調への緊張に満ちた時間のことは書いておこう。

第14番の前奏曲は、この曲集の中でいちばんショスタコーヴィチらしくない変な曲である。僕はムソルグスキーの影響を強く強く強く感じるんだけど、あるいはムソルグスキーの師匠のバラキレフ、そこに流れ込んでいるリストの残響も聞こえる。
メルニコフの演奏は理想的であった!あまり理知的ではない化け物がでろでろと這いずり回る…様子を説話で聴くような、演出された気味悪さがまさにディカーニカ近郊夜話の趣き。

さて、前述のように比較的賑やかで抑揚の強い演奏をしてきたメルニコフだったが、最後の3曲では音楽が静謐な運動に還元されていくのがよくわかる。曲集の途中は上述のようなドタバタコメディも許されるけど、最後の3曲だけはそうもいかないんだよなあ。第23番のプレリュードはショスタコーヴィチの優しさが強く滲み出た、不思議と明るい音楽であるが、メルニコフはここも期待を裏切らない。第24番のフーガでは、あくまでも静謐な運動のまま大伽藍を組み上げる禁欲的姿勢に天晴れ!

聴き終えて理性は晴れ晴れ、でも感情はこんな感じ↓。とにかく疲れたのである。

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※会場でK産党のC書記長を見かけた。さすが斯界一のタコヲタ!
by Sonnenfleck | 2012-04-04 23:20 | 演奏会聴き語り

背水の陣で臨みます NHK「ん響アワー」放送へ

背水の陣で臨みます NHK「ん響アワー」放送へ(asali.com/4月1日)

NHKは1日、3月で放送を終了するとしていたクラシック音楽番組「N響アワー」を、「ん響アワー」として復活させると発表した。

「N響アワー」は1980年に始まり、NHK交響楽団の定期公演を中心に放送してきた。当初NHKでは「N響アワー」32年の歴史に幕を下ろし、初心者にも分かりやすく魅力を伝える「ららら♪クラシック」への模様替えを行なうとしていた。

ところが先月25日、最終回の放送終了直後からNHKには「オーケストラこそ金科玉条」「最後の選曲がチャイ5というのは許せない俺にアーカイブを見せろ俺ならブル8を選ぶもちろん指揮はマタチッチ様」「ふみたん萌え」などと5000通以上に及ぶ問い合わせが殺到し、NHKでは対応を協議していた。

その結果「N響アワー」は、スクウェア(現スクウェア・エニックス)が人気ゲーム『ファイナルファンタジー』を開発した際の故事にちなみ、「俺たちの最後のアワー」を意味する「ん響アワー」に番組名を変更した上で、再スタートを切ることが決定した。

放送開始日と放送時間帯は未定だが、「ららら♪クラシック」の放送を中止し、再び同時間帯の放送となる可能性も残る。しかしある関係者は「一週間の最後のどん詰まりってことなら、毎週日曜23時55分から5分間がいーんじゃねーの。僕らも『2355』で慣れてるし」という。

また「ん響アワー」で再び司会に復帰することが決まった作曲家の池ベエ晋一郎さん(68)は「クラシック音楽がオーケストラだけではないことを明言する姿勢はたいへん評価できるが、「ららら♪クラシック」という番組名は安易すぎるよ。らクして数字を取ろうなんて甘いということだね」と話した。

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うーんマジかー。個人的には「ららら♪クラシック」も、石田衣良氏のクラヲタぶりがどこで炸裂するかけっこう楽しみにしてるんだけど!

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(4月2日追記)おおかたの皆さんの見立てどおり、これは嘘です。残念ですね。
by Sonnenfleck | 2012-04-01 08:36 | 日記