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オランゴーナ|ソヴィエトの反人民的炭酸がやってきた。(その1)

c0060659_205114.jpg【DGG/4790249】
<ショスタコーヴィチ>
●未完のオペラ《オランゴ》からプロローグ(ジェラルド・マクバーニー Gerard McBurney によるオーケストレーション版世界初録音)
●交響曲第4番ハ短調 op.43
⇒エサ・ペッカ・サロネン/
 ロサンジェルス・フィルハーモニック

んんんー!こりゃ!もう!久しぶりに生唾が出て仕方がないタコ新譜。渇きを癒すにゃとっとと開栓するに如くはなし。

+ + +

でも、まず第4交響曲から聴いちゃう。
僕はこの交響曲だけは(もちろんコンドラシンの録音も魅力的なんだけど)ソヴィエト時代のオーケストラじゃなくて、モダンの、デジタルでハイパーでスマートな、ディストピア的超絶技巧フルオーケストラで聴きたいんだよね。文脈上。

その意味でこれまでのお気に入りはラトル/CBSOの1994年録音だったわけだが、事態は一変した。サロネン/LAPhの最強録音が登場したのであるからして。
みな人は聴くがよい。初演から50年の月日がこんな演奏を誕生させた。

冒頭リズムがモーツァルトみたいに整然として始まる第1楽章に、ちょっと面食らう。いささかのヒステリーもなく、異形の主題たちが統制されて並んでいる。鈍く光る拷問椅子やサッカリンやIDカードはすでに美しいから、その上さらにヒステリーのお化粧をするのは反審美的ということか。この交響曲は古典に成長する未来が約束されているのだから、そろそろこんな演奏が提示されてしかるべきなのかもな。

でも途中でそのモーツァルトの口がガバッと左右に裂け、見るもおぞましい相貌に変容するのは、やはりサロネンの指揮巧者たるところよね。ショスタコーヴィチは根幹が生臭いのだから、ドライでクリスプな音楽だけでは成立しないのだ(しかし、ブーレーズがショスタコを小馬鹿にして振らない理由はこのへんにあると思う)

第2楽章は途中、どう聴いてもMIDIシーケンサーソフトが奏でているとしか思えない「恣意性が介入しない」木管アンサンブルが見つかる。味わい深いのう。こういう音を出す指揮者とオケで《鼻》が聴きたいんじゃがのう。

第3楽章コーダで、宇宙船インテグラル号発射!(@『われら』)みたいなメタリックな大爆発コラールが起きて、そして急速に音場が希薄になり萎んでいく様子など、、ここまで鮮やかに対比を設計した演奏はあっただろうか。
そして、ショスタコーヴィチ的にはコラールの爆音よりもこの萎みにちゃんと傾斜が付いていることのほうが大切である。スコアは響きのマチエールに乾燥を要求しているが、哲学が生臭い。メタメタな二枚舌。

+ + +

本題に入れなかったな。次回、オランゴ。
by Sonnenfleck | 2012-07-31 21:47 | パンケーキ(20)

ヘンゲルブロック来日と離日に寄せる自己憐憫

たった三晩の公演を残して瞬く間に離日したヘンゲルブロック/NDR交響楽団のコンビ。聴衆からあがる賞賛の声を尻目に、僕は自室に籠り、PCの白い光に跳ね返す一枚のディスクを見ている。

+ + +

c0060659_10253212.jpg【DHM】
●ヴィヴァルディ:歌劇《オリンピアーデ》序曲
●バッハ:管弦楽組曲第4番ニ長調 BWV1069
●ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲イ長調 RV158
●バッハ:カンタータ第42番《されど同じ安息日の夕べに》BWV42~シンフォニア
●ヴィヴァルディ:4Vnのための協奏曲ロ短調 Op.3-10
●バッハ:3Vnのための協奏曲ニ長調 BWV1064
⇒トーマス・ヘンゲルブロック/フライブルク・バロック・オーケストラ

僕にとってのヘンゲルブロックは、極めて優れた古楽指揮者である。彼がモダンのフルオケを振っているなどとはいまだに信じられない。数は多くないながら、フライブルク・バロック・オーケストラを振っての録音は圧倒的に素晴らしい。
(蛇足ながら付け加えるが、今年1月のFBO来日公演@三鷹の感想文を書いていないのにはちゃんと理由がある。僕がFBOの個性だと思いこんでいた強固なフォルム感と沸き立つリズムは、どうやらヘンゲルブロックやヤーコプスの個性に依拠する部分が大きいようであった。確かにアンサンブルや舞曲の拍感はたしかに佳かったけれど、「フランス風」という魔物が召喚できるような大きな魔方陣が描いてあったかという点に関しては、強い疑念が残った。)

+ + +

フランス風・イタリア風という二大様式に対するヘンゲルブロックの異様に鋭い嗅覚、そして彼が現在のキャリアに至った理由がわかるのが、このディスクである。

《オリンピアーデ》序曲から管組4番への顕な落差は、偽ヴェルサイユの偽性を否応なく高め、こちらの心を躍らせる。
舞曲ひとつひとつが、その煌めく何層かのコーティングでもって偽性を自己拡張しながら、あり得べからざる幻時間を形成している。のみならず、ひとつながりの人造真珠のような重みにも事欠かない(これこそがゴルツのまだ会得してない魔法と思われる)。バッハがなぜああいう様式で音楽をつくったかは、いたずらに各舞曲のエッジを立てても見えてこないのではないだろうか。

さて、ヘンゲルブロックを彼たらしめている要素が、バッハの《されど同じ安息日の夕べに》のシンフォニアと、ヴィヴァルディの3-10にさらによく現れている。

それはとりもなおさず、がっちりと肩幅の広い通奏低音で、音を三角形に組み上げる流儀なんですね。ヴィヴァルディの3-10などは僕も遊びで演奏してみたことがある曲だけど、あのヴィヴァルディらしいクリスプな通奏低音を、ここまで鋼のような土台に仕立て上げるのは至難のわざである。

+ + +

ヘンゲルブロックがつくるこうした三角形フォルムは、昨今流行の流線型をしたラテン系アンサンブルと明らかに一線を画しており、そして残念ながら、このセンスはベートーヴェンやブラームスへまっすぐ伸びてゆく。ヘンゲルブロックがNDR交響楽団というオーケストラに招かれたのは必然なんである。

バロクーはこの集いから泣きながら立ち去ることにしよう。でもたまにはバッハとかテレマンとか…やって…ね…
by Sonnenfleck | 2012-07-28 10:26 | パンケーキ(18)

on the air:BBC Proms 2012 / Prom 3 - ガーディナー/ORRのペレメリ、炸裂するコレデショ感。

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【2012年7月15日 ロイヤル・アルバートホール】
●ドビュッシー:《ペレアスとメリザンド》
→Phillip Addis (Br/ペレアス)
 Karen Vourc'h (S/メリザンド)
 Laurent Naouri (B-Br/ゴロー)
 Sir John Tomlinson (Bs/アルケル)
 Elodie Méchain (A/ジュヌヴィエーヴ)
 Dima Bawab (S/イニョルド)
 Nahuel di Pierro (Bs/医師・牧童)
→モンテヴェルディ合唱団
⇒サー・ジョン・エリオット・ガーディナー/
 オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティク
(2012年7月21日/BBC Radio 3オンデマンド)


モダン楽器による腰高にして権高なペレメリは、ことごとくこの演奏実践の前に平伏すべきであると思うた。それくらい不遜なことを考えてしまう。

ガーディナーという指揮者の、音楽のフォルムに対する異常に厳格な態度は、しばしば僕を彼の演奏するバロック音楽から遠ざけてきた。率直に言って。
でもペレメリのようにフォルムの曖昧な(あるいはフォルムが音楽全体に亘って引き延ばされているためにその把握が難しい)作品では、彼の常の好みとしていずれの楽句も明瞭に、適確に処理されることで、むしろ蔦が這うている古い塔がくっきりと姿を現したように鮮明な感覚を与えてくれる。

それは間違いのないところだ。
しかしながらそれ以上に僕は、この演奏実践から、響きの複雑な美しさのほうをより強く感じるんだよね。これはガーディナーが主として想定している効果ではなく、アーティキュレーションの厳正な取扱いに伴う副産物として生まれ出たものなのかもしれないけれど、何しろ震えが来るくらい幽玄である。

第2幕「盲目の泉」の蒼古とした響き。その直後の、嫉妬を燃やすゴローにまとわりつく音の湿気と、第3幕に通底するメンデルスゾーンのような清涼感。そして、大抵は不自然に浮かび上がるイニョルドの声が、ほかのパートや楽器たちとともに合奏協奏曲のコンチェルティーノのようにしてテクスチュアに取り込まれている様子。

この演奏を評する幽玄という言葉は、曖昧の同義語ではない。そしてまた、ドビュッシーもしばしば曖昧とはかけ離れた音楽をつくる。
by Sonnenfleck | 2012-07-24 21:37 | on the air

スダーン/東響 第602回定期演奏会<マーラーのリート・プロジェクトその3>@サントリーホール(7/21)

c0060659_22153219.jpg【2012年7月21日(土) 18:00~ サントリーホール】
●マーラー:歌曲集《さすらう若人の歌》
→ヴォルフガング・ホルツマイアー(Br)
●リスト:ファウスト交響曲 S108
→チャールズ・キム(T)
→東響コーラス
⇒ユベール・スダーン/東京交響楽団




本日のプログラムは、手ひどい失恋によって恋愛にトラウマを負った非リアバリトン青年が精神的修行のすえリア充テノールになって帰還し、最後は永遠に女性的なものによって救われる仕様です。

《さすらう若人の歌》。ずいぶん久しぶりに聴いたのだが(2003年の河野克典+アルブレヒト/読響以来じゃねえかな)、当夜は後期マーラーにまっすぐつながる要素をいくつも発見したのが大収穫。
第3曲に聴かれるのはたとえば第6交響曲のスケルツォのような陰惨さ、第4曲に見つかるのは、のちにはマンドリンを導くようなふんわりとした諦念。ホルツマイアーのちょっとクサい演出と、シェーンベルクシリーズを経由したスダーン/東響の響きに対するセンスが、これらを十分に顕現させていたようでした。

+ + +

そしてファウスト交響曲。変な曲だなあ。
第3楽章の後半までホントに退屈でつまらない。僕の耳ではこの曲の楽しさはわからなかった(リスヲタ上級者向けなのか)。それはたぶん、小粒な主題をゾロゾロと並べ、カラオケの伴奏みたいな薄めの音楽を展開するリストの筆によるものであって、指揮者やオケのせいではない。どうにも仕方がないので、途中でワーグナーっぽい架空のアリアを考えて乗せる作業に没頭する。

ところが第3楽章のラスト5分でテノールソロと男声合唱が加わって、音楽は突然、完全体である「千人の交響曲」に変容してしまうんである。そうか重要なパーツがあらかじめ抜かれてたのか。道理で物足りないはずだ。合体ロボ物だったんすね。

歌詞だってわかりやすいチョイス。
Alles Vergängliche
Ist nur ein Gleichnis;
Das Unzulängliche,
Hier wird’s Ereignis;
Das Unbeschreibliche,
Hier ist’s getan;
Das Ewig-Weibliche
Zieht uns hinan.
マーラーの場合、この部分は「神秘の合唱」という名前で、全体合唱とソロによるオールマイティな音楽が付与されているが、リストも完全に同じ。まさしくマーラーの元ネタみたいな感じですね。

一時間以上続く小粒な主題群に倦むことなく、生真面目に音楽を織り上げていったスダーン/東響に大きな拍手を。やっぱりこのオケの、どこか東欧の小国のオケを思わせるような、くすんだ音色が好きである。プチ重厚。この音色はホントに貴重だ。東響コーラスも(どちらかというと苦言を呈すコメントのほうがよく見つかる団体だけれども)この日は匂いやかで柔らかい響きを、東響と一緒に作り上げていた。

テノールはブリリアント☆リア充。

さて、音楽の仕組みがネタっぽくて面白いということと、何度も聴いて楽しみたいということの間には、致命的な溝がある。まあ人生で一度は生で聴けてよかったな…というレベルの感興が自分に残っているのを発見したのであった。
by Sonnenfleck | 2012-07-21 22:47 | 演奏会聴き語り

「細川忠興と香木、蒔絵香道具」展@梅雨時の永青文庫が好き(7/1)

c0060659_21351119.jpg予定していた予定がキャンセルになってしまったので、起床してからちょっと考えて、久しぶりに目白台の永青文庫を訪ねてみることにした。

永青文庫というのは、細川幽斎に始まる細川家歴代のコレクションを管理・展示している団体である。幸いなことに細川家コレクションは大きな戦禍や散逸を免れているので、安土桃山から江戸後期にかけての美術工芸の歴史をひもとくのに重要な意味を持つらしい。

かつて細川侯爵邸が位置していた目白台上の緑地の、今は「和敬塾」として知られる寮組織の隣にひっそりと建つのが、永青文庫の事務局兼展示室(和敬塾は村上春樹のおかげで有名ですね)
ここはもともと昭和初期に細川家の「事務所」として建てられたところなのですが、首都圏の人々は生涯に一度は訪ねてみるべきです。中の暗さ、静けさ、重厚さは比類がなく、あんな場所が未だに改装されず、600円払えば誰でも入れる状態にあるというのは僥倖としか言いようがないよね。

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目白駅から15分くらい、目白通りに沿って汗を拭き拭き歩く。椿山荘の少し手前を右に折れると、とても2010年代とは思えない空間が目の前に開けるのである。

いつも宣伝が地味なので、いつ出掛けても他の観覧者は一二人…といった感じ。反面、展示されている物の質は極上なので、たいへん贅沢な時間が約束される。今回の展覧会もなかなか地味度が高いわけだが、僕が今回訪れたのは、細川家伝来の最強の香木「白菊」が展示に出ているからなのね。

暗い階段を上って3階の特別展スペースに辿り着くと、部屋の最奥部に「白菊」が魔王のように鎮座している。

大きめの豚肩ロースみたいな形状の木材がふたつ(上のポスター写真参照:ふたつセットみたいです)。キャプションによれば、17世紀の初めころに細川忠興が後水尾天皇や伊達正宗にプレゼントするために切り取った痕が今でも生々しく残っているということで、それをじっくり眺めていると、なんというか、生き物感が濃厚なんだよね。隋の仏像や明の茶碗にはこんなこと感じないもんな。

自分はこの木っ端の10分の1も生きていない、、と思ったそのとき、「白菊」の気魄に押し潰される。僕と奴のほか誰もいない展示室内に、エアコンが少し低く響く。汗で濡れたシャツが背中にべたりと張り付いている。
by Sonnenfleck | 2012-07-19 21:40 | 展覧会探検隊

on the air:ドホナーニ82歳、タングルウッド75周年を祝う@タングルウッド音楽祭'12(7/6)

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【2012年7月6日(金) 20:30~ クーセヴィツキー・ミュージック・シェッド】
<ベートーヴェン>
●《レオノーレ》序曲第3番 op.72b
●交響曲第6番ヘ長調 op.68《田園》
●交響曲第5番ハ短調 op.67
⇒クリストフ・フォン・ドホナーニ/ボストン交響楽団
(2012年7月7日/WGBH Classical New England生中継)


タングルウッド音楽祭2012のオープニングコンサート。75年前のこの夜、クーセヴィツキーが振った同じプログラムを、ドホナーニが振ります。ということで久々のドホ爺ネタ。

+ + +

最近しばしば考えるのは、ドホナーニがやるような様式のベートーヴェンは、われわれの多くが気づかないだけで、もうすぐライヴでは聴けなくなる可能性が相当高いということである。

モダンオーケストラの機能を全開にした《田園》の音響の美しさよ。
この美しさは、五線譜の行間が拡張されて、増強されて、加重された結果なので、まったくナチュラルではないかもしれないが、ナチュラルなものだけが美しさのすべてではないのだ。それでいて清冽な透明感をまったく喪わないドホナーニ先生の手綱捌き、これが全然衰えていないのが確認できたのは慶賀の至り。
ドホ爺のものと思われる鼻歌が随所で聴かれる。萌えである。

第1楽章再現部の貴族的な高血圧、第2楽章での自信満々な低弦の勁さ、同じ楽章のおしまいに登場する「義体化カッコウ」、きわめて観念的な第4楽章などは、この交響曲が持っている複雑な性格を浮き彫りにしている。
ベートーヴェンの作品たちを18世紀交響曲の終わりとして見るのがフツーであるのと同じくらい、これらを19世紀交響曲の始まりとして捉える視座も、僕たちは忘れてはいかんのだと思う。ほんとに思う。

燦爛と輝く第5楽章の威力に恐れをなしつつ(omnipotent!!!)休憩。

後半の第5交響曲も、一貫して同じ哲学が底部にある。
第3楽章からまっすぐに伸びた高張力鋼のようなブリッジ、全曲における第4楽章の明確な優位性、ボストン響の高雅な音色、そしてもちろんドホナーニ好みの清冽な響き。どれをとっても第一級の20世紀中後半様式なのさ。いいね。とてもいいね。
by Sonnenfleck | 2012-07-15 11:20 | on the air

「​ニコニコ現代音楽 #3」双子座三重奏団ライヴ@ニコニコ生放送(6/27)

c0060659_2124329.jpg【2012年6月27日(水) 19:00~】
●中川俊郎:双子座三重奏団のテーマ
●松平頼暁:《Why not?》*
●伊左治直:《竜の湯温泉郷への追憶》
●オズボーン:《フラミンゴタイムライン》(Tpソロ)
●中川俊郎:《アフリカの花嫁》(Tp+Pf連弾)
●カーゲル:《ヒポクラテスの誓い》(3手Pf)
●シェーンベルク/双子座三重奏団:《分かれ道》
●モーツァルト/双子座三重奏団:カノン《僕のお尻をなめて下さい》K559
●松平敬: 双子座三重奏曲
●シュヴィッターズ:《Ursonate》より 第1楽章(Voソロ)
●中川俊郎:間奏曲(Pfソロ)
●M.カーゲル:《オールド/ニュー》(Tpソロ)
●M.カーゲル:《Rrrrrrr...》
●C.ウォルフ:《GRETE》より
●中川俊郎:《ベルジュレット》
 ○中川俊郎:双子座三重奏団のテーマ*

⇒双子座三重奏団
  曽我部清典(Tp)
  中川俊郎(Pf)
  松平敬(Vo)
→桑原ゆう(MC、パフォーマンス*)
(2012年6月30日/タイムシフト視聴)


ふと気が向いたので、ニコニコポイントを購入して視聴した。

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まるでNHK教育テレビの幼児向け番組のテーマ曲のようであり、たくさん流れた「帰るわwwww」などといったコメントから判断するに、ここで一気に視聴者を減らした「双子座三重奏団のテーマ」。一周回ってカッコ悪いってどーなのさ。

幸いにして松平頼暁の《Why not?》はけっこう楽しい。
無作為に切られたトランプをめくり、4つのマークと13までの数字に応じて、4名が演奏行為をコラージュする作品。
旧約聖書朗読、ショスタコーヴィチ、リコーダー、手拍子、モンテヴェルディ、室生犀星『蜜のあはれ』朗読、ショパン、電子ノイズ、ビゼー、大きな栗の木の下で、ボイスパーカッション、マーラー、犬の鳴き真似、武満、ホーミー、などが滅茶苦茶に混じり合うカオスは、しかし意外になじみ深い。これは僕たちの「街」じゃないかい。変な詩情がある。

架空の温泉郷を設定し「温泉らしい音響と感興」で音楽を創った、伊左治直《竜の湯温泉郷への追憶》。
ピアノ筐体内に向かって歌ったりトランペットを吹き入れたりしてお風呂場の音響を模したり、そこらへんのちゃぶ台を叩いているような鼓の響きが加わったり、いろいろな行為が実践される。アイディア倒れに終わらないのは、温泉らしさの周辺にある日本文化のエッセンスがよく移植されているからかな。

中川氏の自作自演、生放送前日に仕上がったという「間奏曲」は、ドビュッシーの初期作品みたいな果物的ロマンティシズムが、かえって怪しい。気持ちが悪い。

そしてカーゲルの《Rrrrrrr...》が熱演。いろいろな編成のために作曲された小品集である《Rrrrrrr...》から、ヴォーカルが入るものが抜粋されました。特にSL走行音のテープによって伴奏される最後のピースは駘蕩とした雰囲気で、幼いカーゲルが捉えたブエノスアイレスの《パシフィック231》のようでもあった。

+ + +

僕は偶然、松平敬氏のブログ「KLANG weblog」でこの生放送を知ったんだけど、もっと各所で宣伝されればよかったのにな。

たとえばコンサート会場で配られるチラシの束にこのニコ生のチラシが潜り込んでいても、いいと思う。この内容に500円を支払うことについて僕は全然やぶさかでないし、現代音楽のコンサートに詰めかけている特定の聴衆層だって、そう感じる人が多いんではないだろうか。ただし、お金を取ることを当然と彼らが認識しているならば、バラエティ番組風の笑い声SEなんかはたいへんお寒いからやめてほしいし、奏者の駄弁りも刈り込んで、全般にグダグダ感をなくすべきと思う(楽壇のコメディ感覚って、いったいいつになったら改善されるもんなのかねえ)

なお、MCの桑原さんは藝大院卒作曲家かつ読者モデルという凄いキャラクタ。
by Sonnenfleck | 2012-07-13 21:28 | 広大な海

ハーディング/新日フィル 第497回定期演奏会@すみだ(7/7)

c0060659_22122948.jpg【2012年7月7日(土) 14:00~ すみだトリフォニーホール】
●シューベルト:交響曲第7番ロ短調 D759《未完成》
●R. シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》op.40
⇒ダニエル・ハーディング
 /新日本フィルハーモニー交響楽団


生でもネットラジオでも、聴くたびに印象が変わってしまって、そのへんが扱いに困るハーディング氏。この日の公演では職人的趣味性というか、ギチギチにしろしめす気質というか、彼のそういう側面を特に強く感じさせられたのだった。

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このまえ目白の永青文庫で、細川家の香道具コレクションを眺めてきたんですよ。ハーディングの「統率」は、あのいともまめやかなるオートクチュールに似て、一切の不随意を排除する。排除して、隙間という隙間を随意の螺鈿で埋めていく。暗いと思われた空白も、実は全面がねっとりと黒漆で塗り固められている。

だからあのシューベルトは、僕には極めて不自然に聴こえた。
シューベルトの演奏にあっては、空気の薄さと靄のような余韻がなにより大事だと僕は思っています。第2楽章の終末に向けて空中分解していく様子など(それが意図された結果であるにせよ、そうでないにせよ)いくつかの演奏ではよく表現されているのを知っているだけに、ハーディングの「統率」の高い完成度は不毛な贅沢としか感じられない。
しかしこのような作り込みに対して、東京のオケでもっとも感度が良さそうなのが、たしかに新日フィルなんである。彼らがハーディングをパートナーに選び、またハーディングもそれに応えたのは、本当に納得のいくところでもある。

《英雄の生涯》は、その点ではとてもよくハーディングの特性と合致する(何しろ初めから隙間のない音楽だもの)
たとえば「英雄の戦場」のきれいな捌きなんかは聴いていて胸がスカッとしたよね。あの部分のほとんどクラスターみたいな混雑した響きを、ショスタコーヴィチみたいなダッサダサのリズムに乗せてするっと解体してみせたハーディングの手腕と、新日フィルの細身のアンサンブルは、なるほどいいコンビ。

ことほどさように、蒔絵小箱やつぶらな香炉のごとき凝縮した予定調和で物事は解決されていくのだから、何を反駁することがあるだろうか。ひとまず、その「誂えられすぎ」を退屈と言い換える必要が出てこない限りは。
by Sonnenfleck | 2012-07-09 22:16 | 演奏会聴き語り

twitter始めました。

http://twitter.com/sn_fleck

なんだかまだよくわかんねえな。
このブログの更新情報を載せるため、twitter村に出張所を建てました。文章をだらだらと長く書くのが僕は好きなわけですから、カテゴリ「華氏140度」などは向こうに行くだろうけど、このブログはたぶんまだ続くでしょうよ。
by Sonnenfleck | 2012-07-07 21:41 | 日記

Кухни в Минске:シャリアール王にニシンとヴォートカを!(6/23)

都響のプロムナードコンサートでロシア音楽に浸ったあとは、泉ガーデンを通り過ぎて徒歩5分にあるベラルーシ料理店「ミンスクの台所」へ。これまで何度か店の前を通ったことはあったけれども、これが初入店である。
90年代初頭風フォントのまま古びた外看板とは裏腹に、木材の色がいい感じに歳月を積み重ねた内部。BGMにロシアンポップスが流れて情緒がある。なお事前の情報どおり、店員さんはみな日本語を話すスラヴ系美女(もしくは元美女)。

<食前酒>
◆ピロスマニ(赤)

<前菜>
◆ストリチナヤ/ストリチナヤ ゴールド
・にしんとビーツのサラダ「毛皮のコートを着たにしん」
◆モスコフスカヤ/モスコフスカヤ
・ジャガイモとレバーのズラズイ
・ミンスク風ボルシチ(↓。お皿の向こうに見えるのはモスコフスカヤ。)

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<メイン>
◆ロシアン・スタンダード/白樺樹液入りヴォートカ(名前忘れた)
・サーモンのソテー サワークリームソース

<デザート>
◆クランベリーフレーバードのヴォートカ(名前忘れた)
・ホームメイドアップルケーキ 「シャルロトカ」

出てくる料理はことごとくどぎつい色合いなのに、味は素朴で滋味豊か。どのお皿も美味しかったけれど、いちばん初めに食べたビーツ+にしんのミルフィーユが忘れられないです。ヴォートカの硬質な風味との対比で、料理も盃もどんどん進む。。
ヴォートカに強い相方さんに比して、すっかり気持ちよく酔っ払ってしまうワタクシ。でも翌朝に残らないのはさすがだ。

ほかのお客さんたちは女子グループが多くて意外。カウンターにはひとりで来てスラヴ系美女店員さんとロシア語で話し込むスラヴ系女性なんかもいて、趣深い。
スラヴ系美女店員さんたちも立ち居振る舞いがツンツンしてて、愛想が良くないのである。そのへんも僕の共産趣味を優に満足させる。
by Sonnenfleck | 2012-07-05 21:36 | 日記