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[不定期連載・歌舞伎座のクラシック者]その一の下 壽 初春大歌舞伎@新橋演舞場(1/26)

「その一の上」から続く。

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c0060659_22335074.jpg【2013年1月26日(土) 11:00~ 新橋演舞場】
<壽 初春大歌舞伎>
●一、 寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
→三番叟 中村梅玉
 千歳  中村魁春
 附千歳 片岡進之介
 翁 片岡我當
●二、 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)~車引
→梅王丸 坂東三津五郎
 桜丸  中村七之助
 杉王丸 坂東巳之助
 金棒引藤内 澤村由次郎
 藤原時平公 坂東彌十郎
 松王丸  中村橋之助
●三、 新古演劇十種の内 戻橋(もどりばし)
→扇折小百合実は愛宕山の鬼女 中村福助
 郎党右源太 中村児太郎
 郎党左源太 中村国生
 渡辺綱 松本幸四郎
●四、 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)~土佐将監閑居の場
→浮世又平後に土佐又平光起 中村吉右衛門
 女房おとく 中村芝雀
 狩野雅楽之助 大谷友右衛門
 土佐修理之助 中村歌昇
 土佐将監 中村歌六
 将監北の方 中村東蔵


3 観てみた&聴いてみた
今でも「ハイライト集」の上演が続いている歌舞伎の世界。こういうスタイルってクラシックではもう廃れたけど、こっちのほうが客席の欲望に忠実と言えるんだろうねえ。
そして音楽やダンスは4演目ともばらばら。これが歌舞伎感想文の難しさを助長している。丁寧に書くと長くなるし、知識を前提にすると歌舞伎ファン以外には途端にわかりづらくなってしまう。。仕方がないので地道に書いていきます。

(1)寿式三番叟
おはなし
まずこれは20分くらいの全曲上演。能「翁」から派生した演目なので、ストーリーはあってないようなもの。歌舞伎では翁と千歳、三番叟に附千歳の4人が鳴り物付きで踊る舞踊に変化している。

伴奏と役者と踊り
この演目では、舞台奥の台に13人の大オーケストラ+7人のコロスが座っていて、その重厚な伴奏で4名が舞う。三味線が7人もいると圧巻だが、どうやらコンサートマスターみたいな「首席三味線」がリードして合奏を行なっていました(このオーケストラは囃子連中、と呼ぶみたい)
さらに面白いのは、小鼓や大鼓、笛以外の打楽器。バスドラムやトライアングル、グロッケンシュピールみたいな音のする打楽器は舞台の上におらず、袖のほうでドンシャラやってるんだよね。この差は何。能から派生しているからなのか。

歌舞伎の舞いは、僕には「舞い」じゃなく「踊り」に見える。「舞い」にないあざとさや外連味、クールな肉体さばきは、歌舞伎の芸能としての矜持だと思います。その意味ではチャイコフスキーなんかのバレエとそんなに遠くない。

で、コロス(長唄連中、でいいんだろうか)が唄う歌詞。
今月の初めに国立能楽堂で素謡「翁」を聴いたばかりで、同じ歌詞が使われながらもあまりにも異なる歌舞伎の様式に驚きを隠せない。たとえるなら「Veni Creator Spiritus」というラテン語歌詞を持つヒルデガルト・フォン・ビンゲンの聖歌と、同じ歌詞のマーラーの交響曲第8番第1部と、これらの差を思い起こす。

(2)菅原伝授手習鑑~車引
おはなし
菅原道真と藤原時平の政争を土台にしたすっげえ長い演目から、3兄弟が敵味方に分かれてケンカする幕を抜粋。時平も出るでよ。
寿式三番叟は舞踊だったけれど、この演目以降はすべて劇です。

伴奏と役者と劇
さて伴奏。急に小編成になるのが可笑しい。地の文を唄うエヴァンゲリスト的ナレーター・浄瑠璃と、それを伴奏する三味線のたった二人が、基本的に全編を前に進めていく(三味線の通奏低音チェンバロ感がすごい)。浄瑠璃のディクションは明快のひと言なので、字幕なんかなくたって問題ない。

坂東三津五郎・中村橋之助・中村七之助という、歌舞伎ファンでなくても知っている著名な俳優陣を間近で見る。これがまずミーハーな楽しさとして確かに存在する。
で、よく眺めていると、彼らの肉体とそこから繰り出される所作、江戸弁と古い口語の混合する台詞捌き(能と違って役者は「唄」わず語る)があまりにも美しくてついつい引き込まれてしまうんである。やっぱりかっこええ。

劇は3兄弟がそれぞれのボスによって引き裂かれているという鉄板の設定。そして後半で時平が現れて睨みを利かすシーンは、マンガやRPGの前半でラスボスが出てきて主人公たちを圧倒する作劇法の先祖みたいな感じで、妙にしっくりくるのよな。

(3)戻橋
おはなし
河竹黙阿弥作。鬼が夜な夜な人を攫うと噂の一条戻橋。通りかかった渡辺綱は、独り歩きの妙齢の女性を守って家まで送り届けようとするが、その女性こそ鬼だった、というこれまた鉄板のパターン。最後は渡辺綱に腕を切り落とされた鬼が、黒雲の彼方に飛び去るというワイヤーアクションも見もの。

伴奏と役者と劇
オーケストラは1st2nd3rd三味線の3名のみ。これに加えて、能の地謡のように地の文を担当する3名の唄い手が、舞台上手の台座に座ってる。作品によって伴奏のスタイルがあまりにも異なっていて混乱するなあ。。
三味線は原則的には3声部ユニゾンが多いんだけど、ときどき和音を発生させることにもこだわっているようなんだよね(内声である2nd三味線とかがキーマンっぽい)。謎の音楽だ。三味線の巧拙なんてこの先もわかる気がしない。。

それでです。この演目で、僕は歌舞伎の重大な魅力にとりつかれてしまったようだ。
それは、女形・中村福助が演ずる「扇折小百合実は愛宕山の鬼女」の凄まじいエロス。一流の女形は、女性なら無意識的に行うことができる仕草や表情を、実物の何倍にも増幅して客席に放射するんだなあ。手足の指先から頭のてっぺんまで、毒々しいくらいの女性性
女性は観ていて気持ちが悪くないのだろうか、、と勝手に心配するのだが、僕らはケルビーノやオクタヴィアンを聴いて楽しめるんだからあんまり関係ないのかな。。

(4)傾城反魂香~土佐将監閑居の場
おはなし
近松門左衛門作。絵師・土佐将監に師事する吃りの又平。弟弟子に栄達の先を越された悲しみのあまり又平は自害しようとするが、妻おとくの懇願で、生涯最後の作品として庭の手水鉢に自画像を描く。すると奇跡が起こり、手水鉢の反対側の面に自画像が透けて現れる。その一部始終を見ていた将監は又平に土佐の苗字を与える。歓喜する又平とおとく。

伴奏と役者と劇
今度のオーケストラは三味線2本のみ。エヴァンゲリストたる浄瑠璃がストーリーを進め、舞台の上の役者たちもよくしゃべる。

中村吉右衛門の又平。魯鈍な表情とトロい身のこなしを演じ、セリフも吃りまくりでほとんど何を言っているのかわからない。もっとも彼の巧妙さを感じさせたのは将監から苗字を許されたときの「笑い泣き」の演技で、歓喜が極まった大笑いから嬉しさのあまりの男泣きへ、完璧にシームレスな移行を果たしていた。これが人間国宝の至芸なのか。。

そして中村芝雀のおとく。前の演目で女形のエロスにKOされていた僕はもちろんこの役者さんをしっかり観たのだが、中村福助の若々しい官能とはまた一味違った秋の落ち葉のような情感に、涙が出てくるのであった。歌舞伎に泣かされるとはねえ。周囲の善男善女もみんなまなじりを拭ってました。

この演目は昼の部のトリだけあって長大だったが、退屈とは無縁だった。他愛もないプロットだけど、破綻はしていない(少なくとも日本人の僕としては無理のない展開に思える)。これはトンデモなストーリーを音楽の力で無理矢理つなぎとめているオペラと異なるんだなあ。

4 クラ者の雑感
・歌舞伎は全般的に19世紀オペラに似ていたけど、台本に感じる納得感が善い。オペラは劇として楽しむには台本がひ弱なことが多いし、歌入りの器楽として楽しむには台本が主張しすぎる。歌舞伎は(もちろん例外もあるんだろうけど)まごうことなく言葉と音が統合された歌劇だと思う。これは非常にショックです。

・能でも思ったことだけど、終演後の拍手が恐ろしくあっさりしている。これがクラシックのマナーともっとも異なる点だろうなあ。これだけの長丁場で、最後の演目も感動的、しかもこの日は千秋楽なのに、一般参賀どころかカーテンコールすら起きないんである。みんなこの昂った気持ちをどこにぶつけてるの??

+ + +

これが歌舞伎かー。おもしれー。
by Sonnenfleck | 2013-01-31 22:38 | 演奏会聴き語り

[不定期連載・歌舞伎座のクラシック者]その一の上 壽 初春大歌舞伎@新橋演舞場(1/26)

歌舞伎は謎の存在だった。

TVで観ていると見かけはオペラのようでもあり、伴奏音楽の大部分は三味線が君臨するジャパニーズな音響、役者の所作は客観的に見ても独特すぎる、上演中にも関わらず「中村屋!」「成田屋!」とかいう謎の掛け声が飛んでいる、客席は客席でお金持ちの和装おばはん連中ばっかりっぽい、必ず幕の内弁当を買わなきゃいけないような気がする、チケットの買い方もよくわからない、もう!

でも、ここ数ヶ月で能にはまり込んでからは歌舞伎への興味も少しずつ高まってきていた。能という巨大な岩盤の上に歌舞伎や文楽が繁栄しているのであれば、それらも確認しなくちゃならない。

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c0060659_5524249.jpg【2013年1月26日(土) 11:00~ 新橋演舞場】
<壽 初春大歌舞伎>
●一、 寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
→三番叟 中村梅玉
 千歳  中村魁春
 附千歳 片岡進之介
 翁 片岡我當
●二、 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)~車引
→梅王丸 坂東三津五郎
 桜丸  中村七之助
 杉王丸 坂東巳之助
 金棒引藤内 澤村由次郎
 藤原時平公 坂東彌十郎
 松王丸  中村橋之助
●三、 新古演劇十種の内 戻橋(もどりばし)
→扇折小百合実は愛宕山の鬼女 中村福助
 郎党右源太 中村児太郎
 郎党左源太 中村国生
 渡辺綱 松本幸四郎
●四、 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)~土佐将監閑居の場
→浮世又平後に土佐又平光起 中村吉右衛門
 女房おとく 中村芝雀
 狩野雅楽之助 大谷友右衛門
 土佐修理之助 中村歌昇
 土佐将監 中村歌六
 将監北の方 中村東蔵


1 チケットを買ってみた
Twitterで先達に教えていただき、デビュー戦に選んだのは新橋演舞場の「初春大歌舞伎」。今年は1月2日から3週間以上、昼の部と夜の部を毎日繰り返していて、僕が買ったのは千秋楽26日の昼の部。初心者にもわかりやすく華々しい演目が多いというアドバイスによった。

東京では、

・歌舞伎座 ※リニューアルにつき閉館中
・新橋演舞場
・国立劇場
・その他(浅草公会堂、日生劇場などを借りて)

というあたりが歌舞伎の会場であり、このうち国立劇場以外は松竹が運営。チケットはチケットWeb松竹で簡単に買える。ちなみに国立劇場はこちら

デビュー戦でもどかしい思いをするのは自分のなかに遺恨を残すので、思い切ってサントリーやオペラシティならS席に相当する1等A席、1階の7列目を購入してみたのです。16,000円也。でもオペラに行くと思えばむしろかなり安いんだよね。これ。どうせ休憩も含めれば4時間くらい座ってることになるし。

2 出かけてみた
今回の会場は新橋演舞場。東銀座駅と築地市場駅の間くらいの、いかにも江戸港湾部っぽい場所に建っている。
建物入口でチケットをもぎって入場すると1階ロビー。お弁当や飲み物、プログラムを売る売店が所狭しと並んでいる姿は…これはNHKホールとよく似てる。NHKホールのなかにある露骨な売店や自販機が許せないとかいうクラヲタがいますが、あれはこういう施設から派生しているんだろうからむしろ正統!

座席はちゃんと椅子である。畳敷きとか枡席だったりはしない。暖色をベースに非日常が広がっている様子は、能楽堂よりはクラシックのホールに近いです。おそらく新しい建物ではないけれど、公共の施設じゃないから高級感の追求には余念がない。

客層は能を少しチャラくした感じ。つまり「≒バレエ」である。おばはんたちが主流ではあるものの、家族連れもいれば若い男女もいるし、じいさんたちも多い。そしてクラシックではマジョリティの40~50代のおじさんお一人さまが、ここではマイノリティ。

あとお弁当ね!みんな買って持ち込んでましたよ!
この日は二番目と三番目の演目の間に30分の休憩があって、そこで各自食事をする。みんなまた楽しそうになんだよねえこれが。新国立劇場のバーコーナーで高いシャンパンを啜っているお客と、どっちが幸せなのかはわからない。
僕は事前にコンビニで買っておいたカツサンドと、デザートに大福を食べました。サントリーホールでお弁当をぱくついてたら係員がすっ飛んでくるよねえ。この愉快な違和感!

+ + +

さて前段が長くなりすぎたので、ここでいったん筆を置きます。
鑑賞してどうだったかは、続き(その一の下)をご覧ください。
by Sonnenfleck | 2013-01-29 06:21 | 演奏会聴き語り

インバル/都響<新・マーラーツィクルス>その5@東京芸術劇場(1/20)

c0060659_23334721.jpg【2013年1月20日(日) 14:00~ 東京芸術劇場】
●モーツァルト:Fl協奏曲第2番ニ長調 K314
→上野由恵(Fl)
●マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調
⇒エリアフ・インバル/東京都交響楽団


くどくどと感想を書く気になれない音楽会。
僕はインバルの全面的信奉者じゃない。しかしインバルに率いられた今の都響が一段階ステージを上がってしまったのは間違いなかった。こういう演奏は好き嫌いの次元で語ってはいけない気がする。

都響マーラーツィクルスの5回目。僕が聴いた芸劇公演は3度演奏されるマラ5のうちの第2回目だった。
白眉は第1楽章と第2楽章。インバルは粘り気を込めつつも違和感のない(もうちょっと言うならベタな)フレージングを全面的に採用していたけれど、縦の一瞬一瞬ではまさに痺れるような音響を作り出していた。特に弦楽の内声・管楽器たちの音色に対する優れたこだわり、マーラーに必要な、切なげに甘えるような音色を実現するセンス、これに恵まれて失敗するわけがないんである。

僕は今回芸劇のRB1列、つまり舞台直上に座ったのだけど、第2楽章に顕著なユダヤっぽいメロディの瞬間のインバルは、恍惚として鼻歌を唄いながらVaやVc、Clにねっとりとした指示を出していた(ちなみにこの席は芸劇のなかでもっとも好い音がする場所と思う)。その結果として都響が啼く。その音響はである。
繰り返すけどこういうマーラーは苦手だ。でもあの響きを評価しないなんて許されない。矢部コンマスの鬼神のようなリードも忘れがたい。

アダージェットがドライだったのも違和感がない。こういうところでインバルが見せる醒めきったバランサーとしての姿は「敵ながらあっぱれ」という感じ。

むろん終演後は凄まじいブラヴォの嵐。僕の席はだいたいステージ上と同じような聞こえ方がしていたはずで、楽員さんたちの喜びと驚きの表情もよくわかる。最後はインバルの一般参賀→インバルがTp高橋首席の手を引っ張って一般参賀その2→さらに矢部コンマスまで捕まえてきて一般参賀その3、という大盛り上がりなのであった。

+ + +

この公演の前日、マーラーツィクルス後期セット券を購入した(本当は芸劇がよかったけど、諸々の事情からみなとみらい)。後期交響曲はインバルの大きくてふてぶてしい自意識をがっしりと受け止めるのだから、これを聴き逃すわけにはいかないんだよね。ただ多くの人たちがそのように考えたみたいで、1回券がほとんど発売されないかも、という回もあると聞いている。。

みなとみらいはベルティーニのマーラーをたくさん聴いた思い出のホールだけど、いつまでも彼の思い出のなかに生きるわけにはいかない。今のハイパーな都響を、きっとベルティーニもにこにこして見つめているだろう。
by Sonnenfleck | 2013-01-27 00:08 | 演奏会聴き語り

メッツマッハー/新日フィル 第503回定期演奏会@すみだ(1/12)

c0060659_9333315.jpg【2013年1月12日(土) 14:00~ すみだトリフォニーホール】
●J. シュトラウスⅡ世:《ウィーンの森の物語》op.325
●ヤナーチェク/マッケラス:《利口な女狐の物語》組曲
●R. シュトラウス:アルプス交響曲
⇒インゴ・メッツマッハー/
 新日本フィルハーモニー交響楽団


メッツマッハーを聴くのはこれが初めてではない。前にもどこかで書いたかもしれないけど、2004年に、ペーター・コンヴィチュニー演出の《モーゼとアロン》をハンブルクへ観に行ったことがあって、そのときにタクトを執って異様に鮮やかな音楽を聴かせてくれたのがインゴ・メッツマッハーでした。これまでの新日客演はタイミングが悪くて聴き逃しちゃったけど、ついに9年ぶりの再会。

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この日のプログラムはすべて、作曲家が自然を解釈して生まれたはずの作品だったのだけれど、メッツマッハーは不敵にも、何かの描写を一切行わなかった。客席が自然を想像するための補助線としての表情づけや音色効果が、ない。

その作業はまず《ウィーンの森の物語》を、ヨハン・シュトラウスの「交響詩」のようにしてシンフォニックに仕立てることから始まった。
先月、僕はハーディングのショスタコーヴィチを聴いて、マッシヴな迫力を感じさせないのが新日の個性だと書いた。でもメッツマッハーは、冒頭から全力でゴリゴリした響きを生み出そうとしている。そしてそれが上手くいっている…!驚いてしまった。いつもの新日の音と全然違うのだから。

ともすると緩やかに「和し」がちなこのオーケストラを、鮮やかに分離させることで「主張」のぶつかり合いに導いている。ゴワゴワした織物になるけど、そのゴワゴワがダイナミックに揺れ動く愉悦は、たぶんこれが19世紀音楽のひとつのあるべき姿なんだと思うんである。
メッツマッハーの指揮姿には、彼のやりたいことがストレートに表現されている。彼が考える交響的ワルツは、豪快に跳ねたり伸縮したりする。オケもちゃんとついてきてる!

利口な女狐組曲は、さらに一歩進んで構築されている。ヤナーチェクのなかに埋まっている都会性を、ヨハン・シュトラウスからのシームレスな展開でちゃんと炙り出しちゃうんである。ヤナーチェクの青春はブルノという工業都市にあったということを忘れてはならない。
まさに小股の切れ上がったヤナーチェク。組曲のあちこちに浮かび上がる器械的リズムは、ビストロウシュカを未来主義的女狐として華麗に変化させている。どんどん先に流れていくのだ。こんなヤナーチェクがあったっていいんだよね。

+ + +

そしてアルペン。これも見事のひとことでした。
あえて無理やりに登山に例えるなら、タイムアタックトレッキング。実際の所要時間はほかの数々の演奏と大して違わないんだろうけど、体感する音楽の流れの速いことといったら!流麗だ!
そして(前半のプログラムを聴いていてもよくわかったけど)メッツマッハーは各パートの統合じゃなく、分離の良さを第一に考えている。オーケストラの100人が、100通りの軌跡で横に展開していくんだよね。穏やかにまろやかに統合された響きは、別の指揮者に求めよう。これは、すべての楽器がコンチェルティーノになりうる、リヒャルト・シュトラウスのコンチェルト・グロッソだった。

過去の《モーゼとアロン》では感じ取れなかったメッツマッハーの重要な美質として、この日のアルペンは「横の流れへの鋭敏な感覚」を気づかせてくれた。

それは、こういうふうに横方向に豊麗かつ急速な流れができる指揮者、たとえばマルケヴィチやベイヌムに通じる美質。ハイパーな解像度で。僕は聴きに行かれないけど、今日のサントリーのブルックナーは必ず面白い演奏になる。
by Sonnenfleck | 2013-01-19 09:34 | 演奏会聴き語り

羊の腸はレニングラードの夢を見るか

c0060659_23564722.jpg【Hänssler Classics/CD98.644】
<ショスタコーヴィチ>
●弦楽四重奏曲第3番ヘ長調 op.73
●弦楽四重奏曲第4番ニ長調 op.83
●弦楽四重奏曲第7番嬰ヘ短調 op.108
→メタ4


2004年のショスタコーヴィチ国際弦楽四重奏コンクールで第1位を受賞した弦楽四重奏団・メタ4。ライナーノーツの情報によると、彼らの楽器は全員が18世紀のオリジナルとのことである。
ということを書くと、僕らは彼らの音をボッケリーニやハイドンの器でイメージしてしまいがちなんだけど(事実、彼らのデビューアルバムはハイドンみたいだが)、なんとまあ、彼らが取り上げたのはショスタコーヴィチ。これは彼らの出自であるコンクールを踏まえるとまったく正しい挑戦じゃないかと思うし、古楽器タコには純粋に興味がある。

さて、第3番の最初の音を聴くと、どうもこれは全員がガット弦を張っているとしか思えない。もしボウイングだけでこんな音を出しているのならけっこう驚きだけど、たぶんそうじゃない。彼らの楽器を考えるとガットが自然な選択。

ショスタコーヴィチの音楽は具体的な何かを想像させることが多い。そして時には具体性の高まりが汚濁になったりするのも魅力のひとつ。でも、メタ4さんたちの演奏を聴いていると、もっと透明感のある音楽に変貌を遂げているので面白い。古楽タコの愉悦。これは嘘っぱちかもしれないけど、つまらない真実より魅力的な嘘がより善かったりするのが藝術ですよね。

唯一、遊びで弾いてみたことがあるのが第7番の第1楽章なのだけど、ここも古楽由来な感じのサービス精神にあふれる。アーティキュレーションのあちこちに楽しいこだわりが潜んでいるいっぽうで、その楽しい発音の瞬間、他のパートがさっと最適化されてカチリカチリと前に進んでいく。クリスティアン・バッハみたいに。

第3楽章でフーガ風の展開のあと、チェロが中心になって威圧的な音型を弾くところでも、ぜんぜん圧力勝負じゃない。彼らは汚濁を武器にしないんである。そのままユニゾンで第1楽章の主題を取り戻し、ワルツを踊って終わる。カチリカチリ。

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昔、許光俊が「弦楽四重奏曲は音のぶつかり合いが汚い、指揮者によって調整されるべき」というような趣旨の奇妙な言説を披露していたけれど、許センセはガットによるカルテットを聴いてもなおそのように思うんでしょうかね。
by Sonnenfleck | 2013-01-16 00:07 | パンケーキ(20)

フルシャ/都響 第745回定期演奏会Bシリーズ@サントリーホール(12/15)

c0060659_21225649.jpg【2012年12月15日(土) 19:00 サントリーホール】
●バルトーク:Pf協奏曲第2番 Sz.95 BB101
→ゲルハルト・オピッツ(Pf)
●コダーイ:《ガランタ舞曲》
●バルトーク:《中国の不思議な役人》組曲 op.19 Sz.73 BB82
⇒ヤクブ・フルシャ/東京都交響楽団


どこで見かけても感想はほぼ絶賛の嵐、という注目の若手指揮者ヤクブ・フルシャ。今年ようやく聴けたのだ。

フルシャは1981年生まれの31歳。僧帽筋が発達したハリポタのような雰囲気だけど、彼がつくる音楽もまた、魔法のように鮮やか。驚いた。
しかしもちろん彼の魔法は、たとえば20世紀中葉であれば魔法だったかもしれないが、いまや指揮者の呪術的カリスマによって立ち昇る紫の煙ではなく、明確に乾いた高速演算処理の賜物であるのが痛快だ。

協奏曲を飛ばしてまずガランタ舞曲。急激に立ち上がる豊穣な響き。
前半は自分があまり聴けていなかったのかもしれないが、細部の音色の選択が練りに練られているところに、舌を何回転かぐるぐるっと巻かざるを得ない。拍手と歓声もずいぶん大きい。

そしてミラクルマンダリン…。上述の鋭い音色センスに加えて、縦方向の精密な積み重ねがビシッ、、ズシッ、、と重たくキマっていくので、重厚で華麗なマチエールがちゃんと現れている。こういう拍感覚って今日の指揮者ではプリインストールアプリみたいなものだけど、フルシャのセンスはちょっと高級感がある。
さらにそこへ、都響のバランスのいいクリアな音色もうまく相乗し(彼らの音響はロンドン響に似てきていると思う)、ある種の現代的な格闘技を観戦しているような快感を想起させられたのだった。都響は佳いオケだよねえ。ほんと。

+ + +

さて。前半のバル2はいささか問題の多い演奏だったのだ。
フルシャと都響は(すでに書いたように)非常に精密でしかもマッチョな快感も忘れない伴奏を繰り広げていたようなんだけど、そこに、オピッツのソロが乗り切らない。。まるで東京メトロの運行システムに旧い蒸気機関車をムリヤリ乗せているかのような齟齬が続発している。

オピッツにはカーテンコールで鋭いブーが飛んでしまったが(とても見事なブーだった)、蒸気機関車自体はそれほど悪くない。もうちょっと異なるタイプの伴奏―つまりリズムや色彩、力感じゃなく、しっとりした空気感や「間」みたいなものに重点を置く伴奏だったなら、より佳い演奏になっていたんじゃないかと思うんだよね。

フルシャは、あるいは、オピッツに主導権を譲るべき局面だったかもしれない。でも、協奏曲を自在に合わせるスキルも、きっと彼なら身につけられると思う。今後のフルシャ追っかけが楽しみです。
by Sonnenfleck | 2013-01-11 21:25 | 演奏会聴き語り

[不定期連載・能楽堂のクラシック者]その二 素謡「翁」&能「弓八幡」@国立能楽堂(1/5)

昨秋からあれよあれよという間に嵌りはじめた能。2013年はコンサートホールじゃなく能楽堂でライヴ初めをすることにしました。

チケットをもぎってもらい入場すると、ロビーに正月のお飾りを発見。
これ、比べる対象が写っていないからわかりにくいけど、250L冷蔵庫くらいの存在感です。鏡餅の直径は下のお餅で30cmくらい。伊勢えびも誇らしげ。目出度い。
c0060659_2213942.jpg

ほぼ初体験と言っていい前回11月定期は正面の席に座ったのですが(下の写真では右の方に広がっているエリア)、今回はいちばん安い中正面という斜めの席をチョイス。舞台に近いしいいじゃん♪と開演前はるんるん。でもこの場所がなぜ安いのかは後ほど判明する。
c0060659_222759.jpg
↑お正月限定の紙垂が鴨居に掛かってます

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c0060659_2222987.jpg【2013年1月5日(土) 13:00~ 国立能楽堂】
<国立能楽堂1月定例公演>
●素謡「翁」(宝生流)
→近藤乾之助(翁)
 金井雄資(千歳)
●狂言「牛馬」(大蔵流)
→大藏吉次郎(シテ/牛商人)
 善竹十郎(アド/博労)
 山本東次郎(アド/目代)
●能「弓八幡」(宝生流)
→大坪喜美雄(前シテ/老人|後シテ/高良の神)
 小倉健太郎(ツレ/男)
 福王和幸(ワキ/臣下)
 喜多雅人(ワキツレ/従者)
 是川正彦(ワキツレ/従者)
 善竹富太郎(アイ/山下の者)ほか


1 「翁」に驚愕
今回はまず「素謡」と言われる、囃子方(オーケストラ)も舞(バレエ)もいない、謡(ソロ)と地謡(コロス)だけの無伴奏合唱曲が演奏されたのだった。

「翁」っていうのは、どうも詳しくはわからないのだけど、能の演目のなかでもっとも成立が古く、能にして能に非ずと言われる作品らしい。
翁 とうどうたらりたらりら、たらりあがりららりどう
地謡 ちりやたらりたらりら、たらりあがりららりどう
翁 所千代までおはしませ
地謡 我等も千秋さむらはむ
翁 鶴と亀との齢にて
地謡 幸ひ心に任せたり
翁 とうどうたらりたらりら...
ここにことばを載せた前半部分は、呪術的なオノマトペによって水滴からやがて滝の轟音を描写し、続く後半部分では鶴と亀のいる渚の砂(いさご)がさくさく、朝日の輝きを謡いあげて、最後は全員で「万歳楽(まんざいらく)」と和して終わる。ストーリーはない。天下泰平。寿ぎの極致。

たった6人の声楽アンサンブル、しかもソロを謡うのが84歳の老翁・近藤乾之助氏であるにもかかわらず、巨大なモダンオーケストラが演奏するスクリャービンやシェーンベルクと同じくらいの圧倒的な極彩色を感じ取った。遥か眼前の広大なランドスケープ。この体験は何だったか?

この15分くらいのうちに能の秘め事が全部入っていたような気がする。バッハでいうとフーガの技法、ベートーヴェンでいうと32番ソナタみたいな。隣の席に座っていたおじさんは、「翁」だけ聴いて帰っていった。

2 「弓八幡」に背筋を正す
牛と馬のどちらが優れているかを競い合うほんわか系狂言にうとうと。休憩時間に中庭に出て冷たい外気に触れて眠気を散らす。後半は能「弓八幡」です。

(1)おはなし
11月同様、神様の化身が出てきていろいろと由来を語ったのち掻き消えて、後半で神様本体が登場し舞う。たぶん「脇能」っていう種類だな。

八幡神がいる石清水八幡が舞台。後宇多上皇の臣下が参詣していると、弓を袋に入れて携えている老人と出会う。弓が袋に入っているのはすなわち天下治まった泰平の徴で、自分は実は石清水八幡の摂社※ の神(高良神)だと語って消え失せる。
(※この高良神社は、「仁和寺にある法師」が石清水八幡宮と間違えてお参りしてしまった徒然草のエピソードで有名みたいです)

やがてどこからともなく妙なる音楽と薫香が漂い、白髪の老人から若々しい黒髪の姿に戻った高良神が顕現、爽快にして雄渾な舞を舞う。やっぱりバロックオペラとそんなに変わらないぜ。

(2)アリアとバレエ
そういう演目なのか、演者のセンスなのか、その両方なのか、まだ全然判別できないんだけど(クラシック聴き始めのころと同じ!)、今回の「弓八幡」は前回観た「賀茂」よりずっと快活な語り口が多く、舞も涼やかで直線的だった。

ただ、ここに来て中正面に座ってしまった失敗がじわじわ効いてくる。
中正面が安いのは、ずばり「柱が邪魔だから」の一点に尽きる。正方形の舞台の対角線に沿って舞われる局面が多いので、演者と柱がダダかぶりで全然見えない!柱を切り倒したくなる、というのもよくわかるねえ。以後注意しよう。

ともあれ、特に後宇多院の臣下(ワキ)を演じた福王和幸氏のレチタティーヴォが弾むようなアーティキュレーションだったのと、後半で高良神(後シテ)を演じた大坪喜美雄氏の舞いが実にイケメンだったのが印象深い。黒に金の上着(なんて呼ぶのかわからん)の袖をぶあっっっと返す仕草に、金の砂子が飛び散るようなエフェクトを幻視。イケメン神様っていいよね!

3 クラ者の雑感
・やっぱり英語字幕がわかりやすい。ものがたりを追うことができる。
・" ...during the reign of the emperor Kinmei, Usa, Kyushu... "って表示されたときの「なんでアメリカなの?」感。
・今回の詞章は"emperor"を"he"に置き換えるとだいたいメサイア。なにしろheのreignを寿ぐ内容ですので。

・毎回の囃子方(オーケストラ)の演奏を比べて違いを聴きわけるなんて、今の段階では全然できる気がしない。そもそもあれは楽譜があるんだろうか…?

・実は今回、終演後に「みんなで謡おう!高砂」っていう超アグレッシヴなコーナーがあった。
・歌詞カードもプログラムと一緒に配られたんだけど、フツーの「《歓喜の歌》を歌いましょう」などとは格が違う。技術的困難を思って早々に退散。

・でもその後、ロビーでコートを着たりしていてもあんまりお客は出てこなかったので、みんな謡ったんだなと思われる。すげえなあ。この「鑑賞と実践のお隣感」はクラシックとは違うなあ。
by Sonnenfleck | 2013-01-07 22:06 | 演奏会聴き語り

頌春

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あけましておめでとうございます。実家から戻ってまいりました。
今年はとにかく「感想文を書き残さない」という基本に立ち返って、地道に書いていこうと思います。スダーンの大地の歌も、ゲルギエフの幻想交響曲も、オピッツのシューベルトも、これから思い出して、、ちゃんと。。

読初や読まねばならぬものばかり(久保田万太郎)

お正月の俳句は情景を描写したものばかりで、しかもその情景は詠み手が思うよりはるかに詠み手の家の風習や地域に帰属するために、案外ピンと来なかったりします。でもこの句は、実際的で、理性的で、前向きで、今年の気分にぴったり。聴かねば、観ねば、感じねばならぬものばかりです。

2月にはブログ開設8年目に突入します。今年もよろしくお願いいたします。
by Sonnenfleck | 2013-01-05 09:42 | 日記