せめて、ひと月に一度の更新くらいは死守したいよね。
+ + + 【2014年2月15日(土) 17:30~ 三鷹市芸術文化センター・風のホール】 <バッハ> ●ブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調 BWV1046 ●ブランデンブルク協奏曲第6番変ロ長調 BWV1051 ●ブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調 BWV1047 ●ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調 BWV1048 ●ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調 BWV1050 ●ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調 BWV1049 ○テレマン:Vn、Obと2つのHrのための協奏曲ヘ長調 TWV54:F1 ~ジーグ ⇒ペトラ・ミュレヤンス(Vn)+ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ(Vn)/ フライブルク・バロック・オーケストラ いかにも雪の多い2月であった。 2月14日の昼から降り始めた関東甲信の雪は、日が暮れると勢いを増し、大規模に降り積もっていった。2月15日の朝、われわれは東京とは思われないような光景を目の当たりにするのである(別に北国ならふつう)。よって、摩周岳登山に活躍した登山靴を引っ張り出すことになり、ひさびさに「雪わらを漕いで」三鷹へ向かうのだ。 自宅からバスでアクセスできる三鷹市芸術文化センター。ここはたいへん素直な響きの中ホールを持っていて、案外、古楽の重要公演が開かれることが多い。2012年のフライブルク・バロック・オーケストラ初来日公演も、僕はこのホールで聴いた。 聴いたが、感想文を書いていない。なぜか。 僕は2012年1月に初めて「古楽のベルリン・フィル」であるFBOを耳にして、どうにもピンと来なかったのである。 理由はいくつか考えられるが、このときの演目がバッハの管弦楽組曲全曲だったのは鍵になり得る。FBOのパリパリッと(ときどきゴリゴリッと)しながら特に 束 感 の あ る 響きは、特にヘンゲルブロックが去ってからこの楽団のアイデンティティになっていると思うんだが、このキャラクタと「かんくみ」のフランス様式とは必ずしも相性がいいわけではない、と感じるんだよねえ。 そのため、翻ってバッハの「コンチェルトグロッソ」であるブランデンブルク協奏曲に相対したとき、彼らの音楽づくりが輝くのは十分に期待ができ、またその期待ははっきりと満たされたのであった。 + + + チェンバロを搬入する予定だった「チェンバロ漫遊日記」さんのこのエントリにも少し触れられているが、2月15日の公演はチェンバロ・コントラバス・ヴィオローネといった大型の楽器がついにホールに到着することができず、ホール備え付けのチェンバロに、市中で調達した(!)コントラバスとヴィオローネを用いるという苦肉の策で、どうにか開演に漕ぎ着けるFBO。だいいち本人たちも、飛行機がキャンセルになったため急遽新幹線で京都から戻ってきたのだから、気の毒である。 こうしたトラブルがあったためか、冒頭の第1番についてはアンサンブルの状態が最上ではなく、少し心配させられたのではあったが、やがて尻上がりに調子を出し始めるのがさすが「BPO」なのですな。 アンサンブルは優秀な個の音の積み重ねであるというすんごく当たり前のことを、第6番と第2番で胸ぐらを掴まれグワッと理解させられる。バロック音楽で時には大切な「ひとつの円やか」に、やはり彼らは収斂されない。でもその代わり、果てしない重層構造が聴こえてくる。この強靱な束感こそFBOの美質なのだなあ。 後半は第3番のアダージョが思いのほかどす黒い装飾を与えられていたのでびっくりしたが、白眉は第5番の第2楽章と第4番なのだった! この日、第5番でチェンバロを担当したセバスティアン・ヴィーナント Sebastian Wienand氏の軽やかで色気のあるタッチ、そして通奏低音Vcを弾いたシュテファン・ミューライゼン Stefan Mühleisen氏のしっとり吸いつくような美音により、第2楽章は震えるほど美しい時間になった。 ミューライゼン氏は特に、これまで自分が生で耳にしたなかで最強のアンサンブル系古楽Vcだったと断言できます。フォルムは強固なのに芯は空疎で、その「洞」に高音楽器の旋律をぴたりと填めてしまうあの音。自分のなかに少しだけ残っているプレイヤーとしてのペルソナが、あんな音が出せたら死んでもいいなと言っている。 ↑シュテファン・ミューライゼンが通奏低音に参加した、ヴィヴァルディのトリオ・ソナタ編成《ラ・フォリア》。お聴きくださいよこの音を。 トリの第4番は、言葉で形容するのが難しい。こういうときは本当にアマチュアでよかったなあと思うのよ。プロの物書きはあの究極的なアンサンブルの魔法を分析して、それをわかりやすい言葉で公衆に提供しなければならないんだから。 第1楽書の終わり、無数の美しい音の束に優しく縛られて法悦を感じてしまったことを書いておく。聴き手を音楽的ドMに突き落とす演奏実践ってどうなのよと思う。それは確実に大正義だけれども。 + + + アンコール。テレマンっぽいなあ、きっとテレマンだなあと思って聴いていたら当たりだった。このアンコールの演奏からすると、いまのFBOはファッシュやジェミニアーニといった華麗系下世話バロックでも平然と素晴らしい演奏をするはず。聴いてみたい。ものすごく。 #
by Sonnenfleck
| 2014-02-23 11:34
| 演奏会聴き語り
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Claudio Abbado dies aged 80(The Guardian, 2014.1.20)
Claudio Abbado, an Italian Conductor With a Global Reach, Is Dead at 80(The New York Times, 2014.1.20) Claudio Abbado ist tot(Die Zeit, 2014.1.20) Le chef d'orchestre Claudio Abbado est mort(Le Monde, 2014.1.20) 世界的指揮者のアバド氏死去(NHK, 2014.1.20) ある音楽家の死について、いつもであれば僕はわりとすぐに平気になってしまうのだが、今回だけはだめである。この指揮者のことをどれだけ好んでいたのか、彼が永遠にいなくなって初めて理解したのだ。もう遅い。 僕がアバドを「本当に」認知したのはそんなに昔のことではない。クラシック好き後発組としてBPO治世の最後のほうをFMで聴いていたころ、アバドは遠い世界で活躍するスター指揮者のひとりであり、特段、大切な指揮者とは感じていなかった。 その認識が根底から覆されたのは、彼がBPOのシェフを辞めて自由な活動を開始してからのこと。2006年5月にマーラー室内管とライヴ録音した《魔笛》のディスクを聴いてから、アバドは僕のスターになった。 + + + 1月20日の夜、残業を切り上げて帰宅する地下鉄の車内で、友人から届いた知らせが第一報。Twitterにあふれていく追悼の言葉。帰宅してすぐに僕は、あの魔笛を聴くことにした。この夜に聴くのはこの演奏以外であってはいけない。 アバドが彼の晩年に集中的に取り上げたモーツァルトは、どれも素晴らしかった。生のスコアが彼のなかを通ることで昇華されて、すべての音符は羽が生えているみたいに素早く、あっという間に飛び去るように価値づけられた。この陰翳と軽さはピリオド由来なのかもしれないし、そうでないかもしれない。いま、指揮者の死を知った僕の耳を通過して、アバドの魔笛はどこかに飛んでいこうとしていた。0時を回って、太陽の教団が勝利を収める。 いまの気分では、書きたい思いが全然まとまらない。 アバドの音楽をどのように考えているか、2013年7月のエントリ「天上謫仙人、またはアバドに関する小さなメモ」へもう一度リンクを張っておこうと思う。言い訳のようにして。オーケストラ・モーツァルトとのシューマン全集の完結を僕たちの想像力に委ねて、マエストロは遠いところへ行ってしまった。 #
by Sonnenfleck
| 2014-01-26 11:33
| 日記
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あけましておめでとうございます。 旧年中はこれまでにないほどブログの運営から遠ざかってしまい、もうそれほど多くはないであろう、でもとても大切な読者の皆さんには平身低頭、お詫び申し上げるほかありません。日々のつれづれに、Twitterに短い文章を書いて気を紛らわせることも多いのですが、この年頭に声を大にして申し上げたいのは、このブログを閉じるつもりはないということです。自分の本拠地はここです。 かつて大勢いたクラシック音楽系ブロガー仲間の多くがTwitterに移住して、そのまま戻ってこなくなったのは無理からぬことと思います。僕も実際に使ってみて、あの楽ちんさを理解しました。あれを覚えるともうブログを書く気にはならないかもしれない。 しかし(ふたつ前のエントリでも書きましたが)すべての事象、またそれに対するすべての思いが140字ずつの房でまとまっているわけはないんですよ。ところが、Twitterに首までどっぷり浸かることで、その房に収まるように自分の思いや記述方法がだんだん矯正されていくのを僕は感じています。それではまったくよろしくない。自分で自分に用意する原稿用紙は無限の白紙でないといけなくて、それだけが、またそれこそが「ブログ」の有している圧倒的な価値です。 従来のようなたくさんの投稿は今年も難しいはずです。でもしぶとく続けていきます。この場所でね。 #
by Sonnenfleck
| 2014-01-04 11:07
| 日記
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音楽会の感想文はこのブログの主たるメニューであるが、もう全然書けてない。溜まりに溜まってもう首が回らない。2013年分はここらでご破算としましょう。
+ + + ◆慶應義塾大学コレギウム・ムジクム合唱団・古楽アカデミー演奏会 【2013年1月5日(土) 18:30~ 慶應義塾大学・藤原洋記念ホール】 ●シュッツ:《宗教的合唱曲集》、《シンフォニア・サクラ集》より* ●ハッセ:《クレオフィーデ》序曲ニ長調 ●ヴィヴァルディ:4Vnのための協奏曲ロ短調 op.3-10 ●ムファット:《音楽の花束》第1巻より組曲第6番ホ短調 ●リュリ:《ロラン》~第4幕最終場・第5幕* ⇒佐藤望/慶應義塾大学コレギウム・ムジクム合唱団* ⇒石井明/慶應義塾大学コレギウム・ムジクム・古楽アカデミーオーケストラ 慶應の教養のいち授業として発足したコレギウム・ムジクム。その合唱団とオーケストラの初めての大規模合同演奏会。 曲数が多すぎて明らかに練習の足りていない作品もあったのだけど(3-10とか)、最後のリュリ抜粋で帳消しかと思う。驚くべきことにちゃんとリュリの舞台上演なのだった。バレエもパントマイムも、合唱もオケも、照明も字幕も手作り。バロックの演奏実践は音程より発音・フレージングが絶対条件になると考えていますが、この点ではオケも合唱も相当に訓練されていた。ただの総合大学の教養の授業で、よくここまでマニアックに仕上げたなあと素直に驚いたのだった。 ※ちなみに年末年始にはコジファントゥッテを上演してしまうみたい。行かれないのが残念。 ◆大野和士/水戸室内管弦楽団 第86回定期演奏会 【2013年1月13日(日) 18:30~ 水戸芸術館コンサートホールATM】 ●ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調 op.22 ●ブリテン:《ノクターン》op.60 →西村悟(T) ●シューベルト:交響曲第6番ハ長調 D589 ⇒大野和士/水戸室内管弦楽団 大野さんのブリテンが聴いてみたくて、初の水戸遠征となった。 前半の《ノクターン》ではあの素敵なホールの親密さがぐるっと反転、寒さと孤独と夜の気配が空間を満たして、忘れられない藝術体験になってしまった。振り返ってみると10月のギルクリスト+ノリントン/N響よりさらにきめ細やかな残忍さが全体を覆っていたように思う。西村さんの声質も、バボラークのホルンも、アルトマンのティンパニも、みな冷たく光っていた。 後半、凍りついた心胆を再び温め直してくれたのが、シューベルトの第6。マエストロ大野のシューベルトはまるでロッシーニみたいに、楽しいものも、きれいなものも、美味しいものも、気持ちのいいものも、全部ぎゅうぎゅうに詰まった幸せ空間であった。第4楽章を聴いていてどんどん頬が緩んできたのを覚えている。 この夜、帰りのフレッシュひたち号でNHKスペシャルのダイオウイカを見逃したことを知る。ノクターン第2曲のクラーケンが脳裏に浮かぶ。 ◆東京春祭 ストラヴィンスキー・ザ・バレエ 【2013年4月14日(日) 15:00~ 東京文化会館】 ●《ミューズを率いるアポロ》 →パトリック・ド・バナ(振付) ⇒長岡京室内アンサンブル ●《春の祭典》 →モーリス・ベジャール(振付) ⇒ジェームズ・ジャッド/東京都交響楽団 控えめに言ってうーん…という感じ。自分はバレエ観者にはなれないかもしれないなと改めて思ってしまった。 能や歌舞伎からのエコーで今回のような振付のバレエを見ると、「ルールなんかないのサ!」というルールに縛られてるようですこぶる窮屈に感じる。びょんびょん飛んだり跳ねたりするモダン振付バレエの身体性が、能や歌舞伎ほどには納得できない。いやまったくすとんと落ちてこない。ギチギチのルールの中で身体を満開に咲かせている日本の劇作品のほうが、端的に言って好みなんであるよ。 でもそれゆえに、古典的な振付のバレエをちゃんと観なければばならない。くるみ割り人形とか。 ◆ヘレヴェッヘ/コレギウム・ヴォカーレ+シャンゼリゼ管弦楽団来日公演@所沢 【2013年6月9日(日) 15:00~ ミューズ所沢】 <モーツァルト> ●交響曲第41番ハ長調 K551《ジュピター》 ●《レクイエム》ニ短調 K626 →スンハエ・イム(S) クリスティーナ・ハンマーストローム(A) ベンジャミン・ヒューレット(T) ヨハネス・ヴァイザー(Br) →コレギウム・ヴォカーレ・ゲント ⇒フィリップ・ヘレヴェッヘ/シャンゼリゼ管弦楽団 初めての生ヘレヴェッヘで嬉しい。 まず前半のジュピター、アンチ通奏低音な演奏実践にすごく驚いたのを覚えている。指揮者を含めて誰も(低弦やファゴットでさえ!)リズムに責任を持っていないように聴こえるんだけれど、しかし中音域にコアのあるオケは、清涼な小川のようによく横に流れてゆく…。これは実践の文法が違うだけなのだね…。いま思い出してみても特異な演奏だった。面白い。 そして後半のレクイエム。これは別次元の名演奏だったと思う。 前半、ヘレヴェッヘが何を指揮しているか自分にはよくわからない局面も多かったのですが、後半にコレギウム・ヴォカーレが入って、あれは声を最上位に置いた指揮なのだと確信。ヘレヴェッヘの両手は合唱とぴたり、、声が拍節を支配しているのだよねえ。声はヘレヴェッヘにとって旋律であり拍子であり和音なのだなあと改めて感じたのだった。 ◆沼尻竜典/東京トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ 第64回定期演奏会 【2013年6月30日(日) 15:00~ 三鷹市芸術文化センター風のホール】 ●プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調 op.25《古典》 ●ショスタコーヴィチ:交響曲第14番 op.135 →黒澤麻美(S) デニス・ヴィシュニャ(Bs) ⇒沼尻竜典/東京トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ 武蔵野でひっそりと執り行われた演奏会だったけれど、実は日本のショスタコーヴィチ演奏史上、決定的な名演のひとつだったのではないかと思う。からっとドライ、喉ごし鮮烈、、からの、、深い闇。抉られる日曜の午後。指揮者もオーケストラも歌手もお客さんも、あの小さなホールごと闇に沈んだ。 今日の日本でもまだ、演奏することに価値があるように思われがちなショスタコの第14交響曲に、沼尻さんはちゃんと第5や第10と同じ「交響曲」としてメスを入れていた。演奏で精一杯、なんていう時代はもうお終いにしよう。この交響曲では比較的単調になりがちな響きの色づけ、特に弦楽器のアーティキュレーションを丹念に見直すことで、フルカラーのショスタコーヴィチが眼前に現れて、、そして第11楽章のв нааааааас!!!!!!!の絶叫とともにホール中の照明を落とした。 若くて主張のはっきりしたTMPの巧さと、彼らをキレよくドライヴしてゆく沼尻さん。前半のプロコフィエフの第1交響曲もたいへん好みで、この作品のライヴであそこまで納得がいったのは初めてだと思う(プロコの古典交響曲は極めて難しい作品だと僕は考えてる)。あちこちでぶつかり合い反応し合うフォルムによって、ホール中に色や形が散乱していた。実に気持ちよかった。 ◆ブロムシュテット/N響 第1761回定期公演 【2013年9月21日(土) 18:00~ NHKホール】 <ブラームス> ●交響曲第2番ニ長調 op.73 ●交響曲第3番ヘ長調 op.90 ⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団 先日、Eテレのクラシック音楽館でも放送されたので、多くの方がご覧になったのではないかと思う。言葉には尽くせない稀代の名演奏だった。 前半の第2番では第2楽章の艶と照り、第4楽章の爽快な爆発が印象に残る。こういう演奏をいまでも自在に繰り出すあの老人には心から敬意を表したい。何なんだろう。すごい。 後半の第3番は第3楽章がばらっとほどけて始まったんだけれど、風で揺れる梢が、瞬間的に途方もない複雑性を獲得するような感覚を受け取った。これまでブラームスでは体感したことのない不思議なマチエール。ブロムシュテットはブルックナーでもときどきこういう「自然のような複雑性」を花開かせたりするので、今回も何らかの事故ではなくああいう設計だったと考えている。 + + + (下)に続く。 #
by Sonnenfleck
| 2013-12-28 11:50
| 演奏会聴き語り
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長い文章は書かずにいると書けなくなるなあと思った12月でした。すべての出来事や思いが140字に収まるわけがないのだ。
この11月、敬愛するヴァイオリニスト、エンリコ・ガッティが5年ぶりの来日を果たしました。まずはその初日、何とコレッリの未発表曲の世界初演という前代未聞のプログラムを聴きに行ったのであります。 + + + 【2013年11月21日(木) 19:00~ 白寿ホール】 <コレッリ没後300年記念> ●アッシジのソナタ第1番ニ長調 ●アッシジのソナタ第2番イ長調 ●アッシジのソナタ第3番ニ短調 ●アッシジのソナタ第4番ハ長調 ●アッシジのソナタ第5番イ短調 ●アッシジのソナタ第6番ト長調 ●ソナタニ長調 anh.34 ●アッシジのソナタ第7番ヘ長調 ●アッシジのソナタ第8番ハ短調 ●アッシジのソナタ第9番変ロ長調 ●アッシジのソナタ第10番ト短調 ●アッシジのソナタ第11番ホ長調 ●アッシジのソナタ第12番イ長調 ●ソナタイ長調 anh.33 ●ソナタイ短調 anh.35 ○ソナタニ長調 anh.36~Allegro ○アッシジのソナタ第8番ニ長調~Allemanda (Presto) ○ソナタヘ長調 op.5-10~Preludio:Adagio ⇒エンリコ・ガッティ(Vn)+グイド・モリーニ(Cem) コレッリ農園の若い果実が、12個並んでいる。種類はすべて異なる果実。 ネットで子細は調べてもいまいちよくわからないのだけど、この12曲のVnソナタは10代後半のコレッリがボローニャで作曲し、アッシジの聖フランチェスコ教会の図書館に収蔵されていたらしい。 プログラムノートの寺西肇さんの記述をそのまま援用していくと、ガッティはこの手稿譜を注意深く校訂し、今回ようやく演奏可能な状況にこぎつけたとのこと。11月29日-30日にコレッリの生地・フジニャーノで開かれた学会で演奏される予定だったので、この11月21日の東京公演が本当の世界初演だった模様。 12個はいずれも、やがて成熟してのちの作品5に到達する道筋を示していた。旋律の運びはいかにもコレッリ好みで、平明と緊張を行き来しながら小体な世界を形成しているのであります。 ただ、技法が発展途上であるがゆえの未成熟な青臭さは、そのコレッリらしい小体な世界に少ない分量ながらも確かに混在していました。後年であればもっと自在に展開して広がるはずのメロディがすとん…と切れてしまったり、継ぎ目が不自然だったり、フレーズの形に少し無理があったり(ただ、第5番イ短調の妖しい旋律運びなどはコレッリ以前の世界をよく伝えていて、単なる若書き以上の煌めきを放っていた)。 もちろん、こうした青い苦さはコレッリの成熟の土台になっているのだろうけれども、そのことを逆に強く印象づけたのが、一緒に演奏された「作品5には入らなかったソナタ」と、アンコールで取り上げられた作品5-10なのであった。 出版されたものの、作品5の12曲には組み入れられなかった3曲のソナタ。これらはあり得たかもしれない作品5のパラレルワールドとして十分な完成度を誇り、若書きの味から苦みやえぐみだけが注意深く取り去られているのがわかる。 しかしどうだろう。作品5-10のプレリュードの完熟した味わいは…! その第一音から、黄金色の蜜が小さなホールをなみなみと満たしていく。装飾が丁寧に施された旋律線、その甘美にして健康な蜜の味わいに聴衆が息を呑む。ガッティのボウイングが余韻を完璧にコントロールして蜜が消え去ると、皆、痺れ薬から覚めたかのように震える溜息を吐いて、やがてじわじわと拍手が高まっていく。青い果実の酸味に慣れていた数十分の最後に、とどめの蜜なのであった。 なおこの日の装飾音はガッティ不滅の名盤とは少し違って、ちょっと爽やかテイストだったことを書き添えておきたい。 + + + エンリコ・ガッティは、僕がこの世の中で最も尊敬する音楽家のひとりなのですが、ついにこれまで生で体験することができずにいた。 2008年の「目白バ・ロック音楽祭」(これがもし続いていたら、首都圏の初夏はずっと薫り高いものになっていたでしょう)で来日して以来、ガッティはずっと日本には足を運んでくれなかったのだった。 初めて生で聴くガッティの音色は、もちろん録音で慣れ親しんできたとおりのフルーティな甘みを誇っていて、最初の調弦からして芳醇な香りがする。 ところがよくよく聴いていくと、そこには甘みだけではなくて、ハーブのような複雑な野性味がひとつまみ加えられているのがわかる。ボウイングの微かな加減によってこのビターな味わいが存在しているようです。 さらに、今回たいへんに驚きかつ心を揺さぶられたのは、彼の音色が燦燦と輝く太陽のような開放感を伝えてきたこと。密室の悦楽、室内の妖しい遊戯である後期バロック音楽のその入口に、燦然と輝く太陽!コレッリの音楽に「絶対的に不可欠な」強い陽光を、僕はついに聴き知ったように思う。 #
by Sonnenfleck
| 2013-12-23 09:43
| 演奏会聴き語り
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