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ヱヴァンゲリヲン:Q 感想文

c0060659_2213593.jpgネタバレするので、ご注意ください。

続き
by Sonnenfleck | 2012-11-18 00:26 | 日記

サントリーサマーフェスティバル2011|映像と音楽 - グラス・ハーモニカと砂漠(8/22)

【2011年8月22日(月) 19:00~ サントリーホール】
●シェーンベルク:映画の一場面への伴奏音楽 (1929-30)
●フルジャノフスキー監督へのインタビュー
●フルジャノフスキー×シュニトケ:《グラス・ハーモニカ》(1968)
 (35mmフィルム、カラー、21分)生演奏付映像 世界初公開
●「ビル・ヴィオラ《砂漠》を語る」
●ヴィオラ×ヴァレーズ《砂漠》(1994制作/1949-54作曲)
 (35mmフィルム、カラー、29分)生演奏付映像 日本初公開
→有馬純寿(エレクトロニクス)
⇒秋山和慶/東京交響楽団


ソヴィエト文化に興味を持つ者としてはやはり、フルジャノフスキー×シュニトケの短編アニメ《グラス・ハーモニカ》に強いインパクトを受けた。こんなお話。
金権支配の激しいある都に一人の音楽師がやって来る。人心を惑わせる者として彼は逮捕され、楽器も破壊される。が、その音はひとりの少年の心を捕らえて離さなかった。その少年が大人になったとき・・・黒帽警察とその黄色い魔力に落ち、果てしない欲望、孤独、残酷、野蛮にかられた人々はひたすら、シュール、グロテスクに描かれる。グラスハーモニカの静かで澄み切った美しい音色はその魔力を解き、人々に徳が宿り、善行をせしめ、マリアのいる天井の世界へと誘う。ボス、デューラー、アルチンボルドグラスの肖像やルネッサンスを思わせる均整のとれた美しい典雅な世界が広がる。(サントリー芸術財団HPより)
以下、フルジャノフスキー監督の言葉をかいつまんで。

◆《グラス・ハーモニカ》は完成当初、当局の検閲を通り抜けられなかった。
◆そのためソヴィエト指導者のカリカチュアライズをやめた改訂稿を制作し直したが、それでも結局、公開できなかった。
◆改訂稿には「これは資本主義の国のお話です」というテロップを入れざるを得なかったが、民衆がそれを見たら笑っただろう。本当はどこの国のことか、すぐにわかるからだ。
◆現在のロシアに残るフィルムコピーは4本のみで、上映はいまだ困難。そのため今日この東京公演が、公開のかたちでの世界初演である。
◆私の大切な友人アルフレート・シュニトケの音楽もまた、当時は公開演奏されるようなことはほとんどなかった。
◆「アルフレート、君はやがて世界でもっとも著名な音楽家の仲間入りをすることになるよ」と言ったら、彼は笑っただろう。
◆世界はこのアニメの内容のように、金こそがすべて、という状況になってしまった。今こそ、この作品が上映されるべき時だ。
◆ドストエフスキーは「美は世界を救う」と書いている。
◆美に対して鋭敏な感覚を持つ日本でこの作品が上映され、また自分がその場に立ち会うことが出来、たいへん嬉しい。ありがとう。

という感じ。
YouTubeにあった断片を貼っておく。僕がごちゃごちゃと描写するより、実際にこれをご覧いただくのがずっといいよね↓


シュニトケの音楽はすでに、後年と同様の厳しさを備えている。
すなわちスラップスティックと激しいクレッシェンド、打楽器の透明感、バンドネオン、怪物たちの乱痴気騒ぎの躍動感。グラス・ハーモニカの優しいBACH主題から展開する典雅な擬バロック、そしてそれを台無しにする強烈な不協和音…。秋山/東響のプチ重厚な響きが美しい。シュニトケの純音楽的作品はあまりにも苛烈で個人的には敬遠気味だったが、ちょっと考えが改まったのだった。

「金貨の悪魔」によって二度も破壊されたグラスハーモニカが、最後は薔薇の姿で人々を救済し、悪魔は滅びる。理知の時計塔が再建され、画面は静かに暗転する。再びBACH主題が流れるエンドロール。幕。大喝采。
客席のフルジャノフスキー監督は何度もステージに呼ばれ、歓声と拍手を浴びる。隣に座る奥さまは感に堪えない様子で、ずっと泣いておられた。そりゃそうだよね。

監督が最後にとった行動は、この公演のモニュメント性を示していた。秋山さんからシュニトケのスコアを受け取り、僕たちに向かって高々と掲げたのである。

+ + +

後半はビル・ヴィオラ×エドガー・ヴァレーズ。

さて、僕には、ヴィオラの映像が美しすぎて、少なくとも音楽との共同ではなくなっていたように思えた。これはヴィオラの映像を貶しているわけではないし、ヴァレーズの音楽に力がないと言っているのでもない。ただ「どちらがカンヴァスか」という順序構造ができてしまっただけだと思うのだ。
したがって僕にとっては、生演奏付きの、とびっきり贅沢なヴィデオインスタレーションだった。もし生演奏でなければ、都現美の暗い部屋に座って眺めるインスタレーションとそれほど変わらなかった。

もちろん、ここで想起されるのはパリ国立オペラ《トリスタンとイゾルデ》でのセラーズ+ヴィオラ+ワーグナー、というコラボだが、思い返しても、あのときは今回のようなインスタレーション風味を感じなかったのはなぜか。それは何よりも、ワーグナーが生み出したのが「音楽」というより「オペラ」であり、それ自体が強大な重力を持つ「ものがたり」だったからである。

ヴィオラは奇しくも、総合藝術としてワーグナーを引き合いに出していた。そして「いずれもわれわれの脳みそを走る電子の表象であるなら、音楽と映像の間に(そして絵画や彫刻との間にも)差はない」と語っていた。
「差」の定義は抽象的な段階にあるようだが、ここではもっと卑近なところまで段階を落としましょう。それらが共同するとなれば、「ものがたり」があるためにより理解が容易いほう、より官能を満足させるほうが、受容する側にとってのカンヴァスになってしまうのは仕方がないことだと思うのよね。

カンヴァスなしの公平な受容は僕には難しい。差はないかもしれないが、差はある、ということだ。
僕はあのときワーグナーの官能的なスコアをカンヴァスだと判断したし、今回はヴィオラのぞっとするような美しい映像をカンヴァスとして捉えた(それは、ヴァレーズの音楽をBGM以上のものとは認識できなかったということでもある)。それぞれに逆の感想を持った方が大勢おられると思うし、あるいは、ヴィオラとワーグナー、ヴィオラとヴァレーズを等距離で観察できた方だっておられたはず。

+ + +

その文脈では、フルジャノフスキーの映像とシュニトケの音楽は、どちらかがカンヴァスになるというわけではない、正真正銘の共同だったと思われる。互いに話し合い、改良し合うことのできた幸福な作品だ。
そしてヴィオラ×ヴァレーズは、共同ではなかったかもしれないが、ヴィオラの映像作品として第一級の価値があるというわけだ。それでいいんじゃね?

(追記1)フルジャノフスキー監督からサインを頂くことができた。かわいい↓
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(追記2)《グラス・ハーモニカ》とまったく同時期に作曲されたシュニトケのヴァイオリン・ソナタ第2番。BACH主題が執拗に登場している。


by Sonnenfleck | 2011-08-28 09:40 | 演奏会聴き語り

「青い文学」第5&6話―坂口安吾『桜の森の満開の下』

メリクリ!(←テンション5割増し)
善男善女の多いクラブログ界隈ではまだ誰もやっとらんだろうと思ってのんびりしてたら、ヽ['A`]ノキモメンさんに先を越されてしまってぐぬぬぬ。

ガーター亭さんに倣ってオネゲルを聴こうかとも思ったけれど、連日の残業では元気も出ず。この時期は仕方がないのだ。そうしてまた今年も、一年に一度しか聴かないレオンタイン・プライス+カラヤンのクリスマスアルバムを聴いている。

+ + +

さて。こういうトンデモ作品が何の前触れもなくポッと出たりするから、まだまだテレビも捨てたもんじゃないよね。
土曜日深夜に日本テレビで放送中の「青い文学」は、堺雅人が冒頭数分のナビゲータ兼主演声優として登場し、『人間失格』→『桜の森の満開の下』→『こころ』→『走れメロス』→『蜘蛛の糸』→『地獄変』の順番に有名作品がアニメ化されていくシリーズ。なのだが、『桜の森の...』の知名度はこのラインナップの中では明らかに他より劣っているような気がするし、どうしてこの作品が選ばれているのか、不思議ではあった。

最初の『人間失格』は、堺雅人が演ずる葉蔵クンがゾッとするくらいはまり役だったくらいで、まあこんなもんかな…という感じでしたが、この『桜の森の満開の下』は違っている。
妙なるエロと血の臭いのするグロが静かに渦巻いたこの作品に、まさかのスラップスティックコメディと、わざと安っぽく崩したためにかえって記号的になった萌え要素を混ぜて、しかもそれをミュージカル仕立てにしようなんて、誰が考えるだろう。普通は誰も考えない。異常な演出だ。作り手がシリーズ中のどこかでこうした異常な演出を施したいがために、この作品が選ばれたような気がしてならない。従ってもともと異様なストーリーがさらに奇怪な姿になってしまった。

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キャプチャ画面からはコメディや萌えの部分をあえて外しましたが、シリアスなエログロシーンもなかなか美しい。

時節柄もしかすると微妙かもしれないネタはカッチリと原作準拠で、切り取られた首同士を接吻させて女が遊ぶ様子や、絞め殺された女の表情をリアルに描写してしまう。深夜帯とはいえよくこんな描写が許されて電波に乗っているなあと感心するのと同時に、コメディや萌えを混ぜてもギリギリのところで「文学」に踏み止まるバランス感覚にも驚いた。(ただし、盗人の姿が桜の花びらと化すラストシーン、ここを原作の文章のカットを多用して閉めるのは少しずるい。)

このお話、たとえばCG混ざりの実写でやったって面白くもなんともないでしょう?こういう野心的なアニメーション作品を見ると、表現手段としてのアニメはイメージ面でつくづく損をしているなあと思う。
いよいよ今週末、『蜘蛛の糸』と『地獄変』の二本立て!
by Sonnenfleck | 2009-12-24 23:06 | on the air

ヱヴァンゲリヲン:破 感想文

今日はクラ雑談はお休み。

c0060659_8245338.jpg世代的に、どうも最後の最後まで見届ける責任があるような気がして、映画館まで見に行ってきました。

館内はほぼ完全に満員で、いかにもヲタク保守本流っぽいお一人様から、かなり若めの中学生グループ、普通のカップル、クールビズがあんまり似合ってないサラリーマン、ちょっとオサレなOL風女子二人組、高等遊民っぽいおっさんまで、老若男女問わずいろいろなタイプが。
以下、好きなようにネタバレしています。(当ブログ読者の中にはあんまりいらっしゃらないとは思いますが)ちょっとでも興味のある方はひとまずここで読むのを止められて、本編をご覧になった後に再度お越しください。

+ + +

「ガンダム」って、こう、明るい男子っぽくて好ましいじゃないですか。普通の雑誌で特集されたり、お台場にでっかいのが建造されたりして。自分の堅い職場にも生粋のガンダム好きがいたりするので、受容というよりも社会的受理に近い感覚です。一個のカルチャーとして立派に育ちつつある途中のようなね。
ところが「エヴァ」となると途端にダメだ。自分がガンダム世代ではないから僻みやその裏返しの変な優越感が混じっているかもしれないですが、あのジメジメザラリとしている「エヴァ」が社会に広く受け入れられるような気は到底しません。いくらパチンコで名前が売れたといっても、あれに染み付いている妙な湿気は抜けようがないんじゃないかと思うんですよ。

そのジメジメザラリの元になっているのが、ストーリーの救いのなさだったり、あの主人公の徹底しただらしなさだったり、難解なキリスト教学に擬態した装飾要素だったり、一途な心理描写だったりするとしましょう。あるいは、そうした雰囲気を好む「エヴァ世代」が醸し出す得体の知れない湿気であるとしましょう。であればこそ、新劇場版三部作としてリビルド中の「ヱヴァンゲリヲン」には、非常に強力で恣意的な脱湿処理が施されているように思うわけです。

エキセントリックな新キャラクタが適度に絡んできて、使徒のデザインが洗練されていて、3号機に乗って使徒に乗っ取られたあげく「破壊」されるのがアスカで、最後にカヲル君が出てきて、と、旧作に則りながらも細部は大胆に作り変えられています。キリスト教的装飾要素も(ナブッコ?)、夕暮れ電車の心理描写も、どちらも必要最低限に減らされている。ただ旧作と何が一番違うかと言ったら、それは対人恐怖症であったはずの登場人物たちが惹かれあう関係における意志性だろうな。
たとえば、旧作ではかたや心理的ヒキコモリ、かたや人形であって、互いの領域を侵すことがなかったあの2人が、直線的に惹かれあう描写の多いことといったら。終盤で使徒に取り込まれた綾波レイを、あの碇シンジが「来い」と叫んで救い出した瞬間、重く垂れ込めていた主人公のだらしなさも、綾波レイのネクロフィリア的美もすっかり除湿されて、観客は旧作とは完全に違う方向に来てしまったことに気づくのです。心理的ヒキコモリにも、人形にも、「ジェネレーションY」である我々の中にも、もしかして意志があってもいいんじゃないかと。そうか意志があってもいいんだ!おめでたいおめでたい!

話を冒頭に戻すなら、この熱風ドライが次回作<Q>にまで及ぶようであれば、「ガンダム」と同じような社会的な受理がこの作品にも起こるかもね、というところなのです。
言い換えれば、作品そのものがシンプルに補完され、それを見た人間もシンプルな形質に補完され、自分たちの社会的受理が確認できるくらいの世界にはなるかも、ということ。この新劇場版に対して賛意の波が発生しているのは、補われることの悦びを「旧エヴァ世代」が知ったからではないかと思う(旧作で補われたのはシンちゃんだけだったですから)。「してもらうこと」が大切なのは結局変わりなさそうだけどね。

+ + +

旧作のように印象的なクラシックの使用はありませんでした。 ソルの《魔笛の主題による変奏曲》が使われていたみたい。nobumassaさん情報多謝です!
ただ、ダミーシステムで動く初号機が、3号機のハラワタを引っ張り出すBGMに当てられていたのが《今日の日はさようなら》であった。陳腐をぶっちぎりで通り越したためむしろ効果的でしたが、やはりこの手の猛烈な悪趣味がこの監督の好みの核なのですな。
by Sonnenfleck | 2009-08-01 08:59 | 日記

【アニメ】のだめカンタービレ 巴里編 第6話

c0060659_6345223.jpg【2008年11月20日(木) 東海テレビ(予定)

パリ編第6話は、原作のLesson72(マルレ・オケ常任の知らせ)Lesson73(マルレ・オケ定期…)Lesson74(Rui強襲)そしてLesson75(トヨタ・ニッサン君、代振り決定)の途中まで。

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のだめ+黒木君+デュボワ(バソン吹き)のプーランク《ピアノ、オーボエ、バソンのための三重奏曲》は鮮やかに省略されつつも、原作準拠のままガンガン進んでゆきます。このハイスピードにももう慣れたわい。千秋が変装した「トヨタ・ニッサン君」は使われないかなあと思いきや、案外許してくれるんだねえ。

ジェームズ・デプリースト
が音楽監督に就任することになっているルー・マルレ・オーケストラ。
通称マルレ・オケ、指揮者コンクールに優勝した千秋が初めて指揮を任されることになったパリのオケです。原作をご存じない方のために説明しますと、彼の推薦で千秋はマルレ・オケの常任指揮者に就任することが決定した、ということになってるんですよ。
原作が書かれたのは04-05シーズンの東京なので、都響のシェフが内定していたデプリーストへの期待感が滲み出ていますね。あと数年遅ければインバルが出てきたかもしれない。。原作どおり「オレゴン響を育て上げるなど」というセリフが入るわりには、都響の名前は一片たりとも出てこないのはやっぱり不思議ですが(都響らしきオケの画は出てきました)。

今週のクラヲタポイント
・千秋によって「大雑把」と評された、マルレ・オケによるリムスキー=コルサコフの《スペイン奇想曲》は、確かに「ちゃんと」縦の線が揃ってなかった。ソロのほうは千秋が言うほど崩れてはいなかったのですが、実際に演奏したゴーストオーケストラの皆さんはけっこう苦労されたんではないだろうか。
by Sonnenfleck | 2008-11-20 06:39 | on the air

【アニメ】のだめカンタービレ 巴里編 第5話

c0060659_6581331.jpg【2008年11月13日(木) 東海テレビ(予定)

パリ編第5話は、原作のLesson69(黒木くん青緑)Lesson70(リュカと教会劇その1)Lesson71(リュカと教会劇その2、ロバ)、そしてLesson72(帰ってこないノエル、千秋とのだめの格闘)の途中まで。ムッシュ長田は千秋父エピソードへの伏線としてここに登場したようだ。

黒木くん
燻し銀(→ピンク)オーボイスト・黒木くんがついに登場。まだアパルトマンの仲間にも出会っていなければ、のちに重要なサブエピソードに発展するターニャとの関係も始まっていないし、ひたすら異国に翻弄される寂しい日本人留学生を体現。。泣いてるし。。
アニメ版の黒木くんはドラマ版ほどの味わいを出せていないんだけど、ストーリーの進み行きおよび声優さんの演技とともにこれからに期待でしょうか。

演出次第
リュカの教会劇のシーンはのだめをよく喋らせたり動かしたり、黒木くんを警戒するリュカの表情を作りこんだりして、原作よりもさらにコミカルな要素を抽出。なかなかよかった。

ノエルに不在ののだめに業を煮やした千秋が「もういい」と言い放ち、喧嘩になるシーン。
いつもの作画よりも2人の動きが鮮やかで、凄まじい格闘シーンに発展するんですが、BGMがバッハの《平均律クラヴィーア曲集》第2巻のハ長調プレリュード(笑) これは笑ってしまった。千秋が命乞いをして仲直りした後にアパルトマンでのだめがこの曲を弾くシーンへとつながるんですが、ここは演出が活きたよい例ですね。第2期は第1期に比べて演出がキレている場面が多く、その面は大いに評価できる。

今週のクラヲタポイント
・バッハの平均律クラヴィーアを本気でBGMに導入してくれたので何も文句はありません。
上で書いた第2巻のハ長調プレリュード、それから原作どおり嬰ヘ短調プレリュード。
by Sonnenfleck | 2008-11-13 06:59 | on the air

【アニメ】のだめカンタービレ 巴里編 第4話

c0060659_6242412.jpg【2008年11月6日(木) 東海テレビ(だったはず)】

パリ編第4話は、原作のLesson65(ホタルのだめ再び)Lesson66(オクレール先生リベンジ+《マ・メール・ロワ》&シベ2)Lesson67(オルセー、手をつなぐ)。どうやらムッシュ長田は出さないらしい。

編集次第
前回・前々回とあまりにも展開を急ぎすぎて、大事にしてほしいエピソードが切り貼りされていくのを無念な思いで見ているしかありませんでしたが、今回は原作3話分詰め込んだにしてはまずまずの出来でした。
ホタルのだめを改善しようと「的外れ」なことをしてしまう千秋、拒絶するのだめ、そこから《マ・メール・ロワ》の〈眠れる森の美女のパヴァーヌ〉と〈美女と野獣の対話〉を使った2人の回復。オクレール先生が弾く《もじゃもじゃ組曲》、のだめが弾くシューベルトのイ短調ソナタ冒頭。ここまでの一連の流れ(と行間)がしっかり映像になっていたのは評価に値します。
映像のカットは、原作のコマ割りをそのまま使った安心バージョン。
…まあ結局われわれクラ好きは、クラが流れてきたら単純に嬉しいのです。マヌケだな(笑)

前回テキトーに流されたユンロンやリュカの造形にも、いちおう気を遣っているようです。
リュカは動いているとかわいらしいなあ。声優さんがいい仕事をしているのかもしれん。

今週のクラヲタポイント
《遠い呼び声の彼方へ!》はカット。史上初の「アニメで武満」は実現しなかった。
・Ruiのジャケットがちゃんと「今風ドイチュ・グラモフォン」デザインになってるのがいい。
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・デプリーストきたー。けどもう都響にはいない。
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by Sonnenfleck | 2008-11-10 06:26 | on the air

【アニメ】のだめカンタービレ 巴里編 第3話

c0060659_6423956.jpg【2008年10月30日(木) 東海テレビ(予定)

パリ編第3話は、原作のLesson61(シュトレーゼマン再訪)Lesson62(ひじきとユンロン)Lesson63(Ruiの登場)、そしてLesson64(のだめとオクレール先生の「ぜんぜんダメー」)
うわー。そりゃ正味20分間に4話分詰め込もうとしたらエピソードはカットせざるを得ないけどさ、、ズタズタに切り貼りされてるですよ。。
巴里編はそういう方向で行くことにするのね。だったらこっちもそのつもりで見るまでだが、原作の丁寧な映像化にこそアニメ版の意義があったのに、これではなあ。

ユンロンの役割
アニメ版のユンロンは、のだめにRuiの演奏ビデオを見せるためだけの装置として働いていました。人間としては造形されなかった。不憫だね(前回のジャンも同じだった)。
のだめと無銭飲食しそうになり、店の親父が歌う《私は町の何でも屋》をピアノで伴奏して自信を回復するあのエピソード、好きだったんだけどな。。カットされちゃった。。

優しくリライトするシュトレーゼマン
シュトレーゼマンの落ち着いた声が好きです。
日本を舞台しているときはそりゃ竹中直人でもよかったけど、パリ編ではシリアスなシーンが一気に増えるし、人間らしい弱さも見せなきゃならないから、渋い声の声優さんを選択したのは大正解と思う。第1期のころの英断であった。
その老巨匠が「ウットリのだめのことを想い」ながら放置している千秋に向かって、「もう拒絶するのはやめなさい、みっともない」と諭す。この部分は原作では指示代名詞が多くて、シュトレーゼマンの吹き出しの中には「そーゆーの もうやめなさいヨ」としか書いておらず、いかようにも解釈できるんですが、監督さんと脚本家さんはそのように読んだようです。
最新の第21巻でシュトレーゼマンはメフィストフェレスになってのだめを誘惑しますが、制作側にそこまで描くつもりがないんであれば、まあいいんじゃないでしょうか。

今週のクラヲタポイント
・千秋不在中ののだめが弾くショパンの夜想曲第8番 変ニ長調 op.27-2
それから、Ruiの演奏ビデオ、およびオクレール先生ののだめ初レッスンで、リストの超絶技巧練習曲第4番 ニ短調《マゼッパ》。ううむ…両方とも原作には出てこないじゃないッスか…。特に後者、原作でRuiが演奏してるのは《鬼火》なのに、どうして変えたのか理解に苦しむ。
・ブラ3のアナリーゼも超!期待外れ。あーあ。
by Sonnenfleck | 2008-10-30 06:43 | on the air

【アニメ】のだめカンタービレ 巴里編 第2話

c0060659_6162139.jpg【2008年10月23日(木) 東海テレビ(予定)

パリ編第2話は、原作のLesson55(プラティニ指揮者コンクールへの旅)Lesson56,57,58(コンクール1次~3次予選)、およびLesson59,60(コンクール本選)(全部やっちゃった!)
途中のエピソードが入れ替えられたりするものの、セリフは原作の吹き出しそのままのものが多いし、コマの中の文字が画面に現れたりして、基本的に原典重視路線は変わらず(紙芝居)、と思ってたんだけど…。

CG指揮者の時代
千秋の《ロンドン》【黒】とジャンの《ウィリアム・テル》序曲【白】がそれぞれ流れる。このアニメでピアノ等の作画に生かされている「実写加工」が指揮にも適用されたのかどうか、、一気に流麗になりすぎて笑ってしまった。ジャンのヘコヘコした動きに萌え(笑)
2次予選の「間違い探し」ドヴォ8って…間違い探しVer. ?わからん。

3次予選はジャンが《ティル・オイレンシュピーゲル》、千秋も同じ。で、千秋はまた「人間性」のところでやらかすんですが、このへんは急ぎすぎちゃって面白くない。

「ハイドンで試されるのは光栄である」という部分がなかったのはクラヲタとしては悲しいし、そうでなくても作劇上せめてジャンの人となりを形成するくだりはあってもよかったはず。コンクールの話はもっとじっくり取り組むべき素材なんだけどなあ。監督さんが第1期と変わったらしいという情報を見つけたんだけれども、こういうところに姿勢の違いが現れつつあるのかねえ。

片平!!
そんな中でひとり気を吐く片平元(30)のエピソード。彼のジャンプ式《ルスランとリュドミラ》序曲はアニメでもやっぱり面白いですね。ドラマ版はアリキリ石井の怪演にブラヴォだったけども、アニメ版では動きそのものが重力から自由で素晴らしい。

D
いい演出。しかし着実にエンタメ化しつつある。

今週のクラヲタポイント
・そんなわけで、《舞踏組曲》もラロもチャイコフスキーも、本選の様子は根こそぎカット。
・これはやっちゃったっぽいですね。ハイドンがDOOON。↓
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【アニメ】のだめカンタービレ 巴里編 第1話
by Sonnenfleck | 2008-10-23 06:44 | on the air

【アニメ】のだめカンタービレ 巴里編 第1話

c0060659_6512854.jpg【2008年10月16日(木) 東海テレビ(予定)

またこれを見続けるのかい?1クール?
でも一人くらいはクラヲタが感想文書いてたっていいですよね。マニアな選曲はどうかそのままで。。そんなわけでパリ編第1話は、原作のLesson53(パリ到着)Lesson54(のだめのフランス語習得)

導入。
アバンタイトル部分で千秋とのだめのパリ到着シーンを描き、まずはBGMに《エロイカ》第1楽章…って《オテロ》@バスティーユのシーンが端っからカットされてしまったので一抹の不安。でもアパルトマンでのだめがちゃんと《道化師の朝の歌》を弾き始めたのでとりあえずは安心か(ここでたとえばペトルーシュカだったら、もう「原作準拠」はダメだなと思った)。
フランクもターニャもユンロンもイメージどおりの声。「プリごろ太」フランス語版も可笑しい。

オケの作画が!!
Bパートでヴィエラ先生のベト7第4楽章を聴くシーンになるのですが(《オテロ》は作画が大変だったからこっちに化けたのかもしれない)、オケメンたちの、というかボウイングの作画が第1期のころに比べて劇的に改善されています。CG処理されたであろうその右手は寸分の狂いなく音程を当て、左手の揃い方はまるでアンドロイドのように、、、、ってこれでは絶頂期のレニングラード・フィルではないか(笑)
でも、最後の和音が消えてオケメンたちが腕を下ろすタイミングがバラバラだったのは、細かいけれども実によく作りこまれている。感心した。

今週のクラヲタポイント
・ヴィエラ先生が指揮するオケ、個人個人は良作画だったけど、俯瞰した絵はビミョー。。あんなに密集してたら弓で隣の人刺しちゃうよ。
・《道化師の朝の歌》は、のだめらしい変なアクセントがいっぱい付いた演奏。でもフランクのセリフは「ラヴェルの《鏡》…」だから、別に道化師じゃなくてもいいんですよねこれ。あるいはコマの外で全曲弾いていたのかのだめ(パワフル)。
by Sonnenfleck | 2008-10-16 06:54 | on the air