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新世紀プーランク慕情

c0060659_6211287.jpg【Zig Zag Territories/ZZT110403】
<プーランク>
●2台Pfと管弦楽のための協奏曲ニ短調
●《フランス組曲》
●《田園のコンセール》
→クレール・シュヴァリエ(Pf)
 カテジナ・フロボコヴァー(Cem)
⇒ジョス・ファン・インマゼール(Pf)/アニマ・エテルナ

インマゼールのモダンシリーズのなかで、最強のスマッシュヒットと思う。
革命的なプーランク。

まず2台ピアノのコンチェルトを耳にして、ぶったまげてしまった。
それは、プーランクの「愉快」や「諧謔」だけでなく、そうしたアトモスフィアを生じさせようと意気込んだ作曲家の設計図面までつまびらかにされるような、ほとんど残酷と言ってもいい細かな作り込みがインマゼールによって展開されているからだ。そのせいで音楽は極端に重層的になるし、プーランクの―たぶん彼の本質であるところの―宗教的厳格までもが炙り出されている。

ストラヴィンスキー趣味の第1楽章・第3楽章では、これまでこの曲には存在しないと思っていた陰翳が、ふあさふあさと五線譜の隙間に降り積もっている。それはインマゼールが非情に微細なフレージングをこれでもかと積み重ねた結果であるが、それがために、プーランクらしいフラットな感興が損なわれていると感じる人がいてもおかしくはない。それぐらい凡百のプーランクとは異なる。

特に第1楽章の終結部では(しかしおそらく、これは1896年製と1905年製エラールのおかげでもあるが)、仄暗いなかから非情に奇妙な「何ものでもない音楽」が立ちのぼってきて戦慄する。直後、第2楽章の擬モザールに救われました。

《田園のコンセール》も、ずいぶん厳しくて清潔な風貌の音楽に姿を変えている。第1楽章の序奏なんか、まるでカベソンでも聴いているかのようだ。

+ + +

インマゼールもここまで来たのなら、いっそショスタコーヴィチまで駆け抜けてほしいもんです。第1、第6、第9交響曲、あるいはぐるっと一周して死者の歌や第15交響曲。それからもちろん弾き振りでピアノ協奏曲第1番。鼻に黄金時代にボルト(このへんは組曲があるんだからちょうどいい)。インマゼールのスタンスが通じるこれらの作品たちはきっと著しく成功するだろう。
by Sonnenfleck | 2012-11-12 06:22 | パンケーキ(20)

SIDE-B/SIDE-I (4)

◆フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラ(06@Karna Musik)
◆ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ(08@ZIG ZAG)

あまり間を置かずに聴いてゆかなければ。

c0060659_632558.jpg<SIDE-B> ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
【Karna Musik/KA-378M 1】
●交響曲第4番変ロ長調 op.60 ※()内は正規全集
  第1楽章 '12"29 ('11"21)
  第2楽章 '9"38 ('8"52)
  第3楽章 '5"39 ('5"14)
  第4楽章 '7"02 ('6"29)
(2006年12月2日 パリ・シャンゼリゼ劇場ライヴ)

昔ながらのブリュッヘンらしい気魄・力感を中に込めて、それでいてライヴとは思えないような美しいかたちを保っている。作品の性格と、新世紀に入ってからのブリュッヘンの好みが、ちょうどバランスを保った貴重な記録のように感じます。
たとえば普段フルトヴェングラーの録音を聴いている人や、バーンスタインや、あるいはカルロス・クライバーを好む人でも、これを耳にしたら一目置くんではないかと思います。もし僕がGlossaのマネージャなら(笑)真剣に発売検討するかも。

第1楽章の序奏からもったりと重たい期待感、それから主部に入る瞬間の、血が飛ぶような鮮やかな破裂。こういった決定的な部分が凡百の演奏とは違うし、彼らの昔の録音とも異なっています。いつものように管楽器をぶわわっと浮き立たせるバランスを踏襲しつつ、作品の自重を活かした無理のない展開に歳月の経過も感じさせるところ。この匂い立つように鮮烈な発色に比べてしまうと、1990年録音もやや古ぼけてしまった感じが拭えないなあ。

一方で第2楽章の低体温ぶりには今世紀のブリュッヘンを強く感じる。正規録音の「企らんでいる」ような不穏さは溶解して、構造が化石になって残っているだけのようです。白くふやけたような感じも少しあるから、人によっては年月の残忍さを思うところでもありましょう。

第3楽章では肉が少し戻って、慣性に逆らおうとする動きが若干窺える。巨匠風のたっぷりとしたアゴーギクによる広がりが味わえるポイント。さらにそれだけではなく、この楽章の豊麗な和音を味わわせようという指揮者の意志もあってか、妙なる耳のご馳走楽章ともなっています(正規録音以上のサービスサービス!と言えます)。我々がその豊麗さにしたたかに酔うことが許されているのは幸せですね。

この演奏の第4楽章がいいのは、最終楽章であることの重みから逃げていないところだ、とでも書いたらいいのかなあ。「艶のある不遜さ」のようなものをフォルムとして活用しているので、作品自重以上のスピード感があるし。これはライヴならではの自意識の作用かもしれませんね。

+ + +

c0060659_6331279.jpg<SIDE-I インマゼール/アニマ・エテルナ>
【ZIG ZAG TERRITOIRES/ZZT080402.6】
●交響曲第4番変ロ長調 op.60
  第1楽章 '10"22
  第2楽章 '9"42
  第3楽章 '5"28
  第4楽章 '6"44
(2005年12月10-12日/ブリュージュ・コンセルトヘボウ)

かたやSIDE-Iはどうなのかというと、方向性が全然違うけれども、こちらも名演と言えそうなのです。
ブリュッヘンを聴いた耳で触れると、初めは交響曲としての展開構造の弱々しさに驚くことになります。これはダメっぽいなあと思って最初はそういう感想を書き始めたのですが、何度か繰り返し聴いているうちに、どうやら瞬間々々のテクスチュアのレベルがかなり高いんではないかということに気がつきまして。広げられたパッチワークを感じることができるようになれば、これは聴きものです。インマゼールは旧来の(揺らぎ幅の雄大な)展開構造ではなくって、パッチワークの模様の連続によって展開を行うようにしているのかもしれません。

たとえば第1楽章ですが、かなり浅い呼吸感の下で爽やかなスピード感に偽装しているものの、本当はギチギチと動く木管ギミックの気持ち悪さだったり、雨後の筍のように生物的に林立する弦楽の不思議な触感だったり、そういうものに専ら関心が向けられているような気がします。自然、微視的な模様比べが主要な出来事に躍り出ることになるわけだ。

第2楽章はもともと締め付けの緩やかな楽章だから、恐らくまさにそこに起因するブリュッヘンの軽さ透明さに比べると、インマゼール流の賑々しいモデリングに軍配を挙げたいな。木管楽器を合奏協奏曲のように美しいソロに仕立て上げるバランス配分も自分の好みであると言えます。アニマ・エテルナのクラリネットは巧者ですなー。

第3楽章になると、第1楽章で少し気になったアーティキュレーションの不徹底がほぼ解消されて、第1交響曲のように鉄壁のアンサンブルを聴く喜びが浮上いたします。しかしあくまでも、インマゼールが鉄壁のアンサンブルでもってやるのはパッチワーク状の音楽でありまして、俯瞰できるのはせいぜい微細繊細な箱庭なのです。開放的で磊落な広がり感はあまり感じられないので、嫌な人は嫌だろうな。僕は大いにアリだと思いますが。
第4楽章もほとんど似たような傾向。
by Sonnenfleck | 2009-08-04 06:46 | パンケーキ(19)

SIDE-B/SIDE-I (3)

このシリーズは2008年の7月のエントリを最後に丸一年間更新が止まっていましたが、先日読者の方からメールでリクエストを頂戴してしまったので、あたふたと復活。

◆フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラ(06@Karna Musik)
◆ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ(08@ZIG ZAG)

前者は2006年12月1日から4日にかけてシャンゼリゼ劇場で行なわれた全曲演奏会の海賊ライヴ、後者は2005年12月から2年間かけて録音された正規セッション全集。この2組の交響曲全集で、ピリオド・ベートーヴェンの最新事情を聴いてみます。

c0060659_617976.jpg<SIDE-I インマゼール/アニマ・エテルナ>
【ZIG ZAG TERRITOIRES/ZZT080402.6】
●交響曲第3番変ホ長調 op.55 《英雄》
  第1楽章 '16"46
  第2楽章 '13"23
  第3楽章 '5"36
  第4楽章 '10"54
(2006年5月1-4日/ブリュージュ・コンセルトヘボウ)

今回は「SIDE I」の方から先に。
このシリーズが止まったのは、もしかするとインマゼールのエロイカのせいであるかもしれませぬ。どこをどのように聴いてもツッコミどころがなく、超高性能の高分子材料のようにツルリとしてカッコよく、抜け目のないスマートさを一番に感じてしまって、そこから何も書けなかったのですよ。うん。
こうして再び聴いても、やはり同じような感想を持ちます。このようにフルピリオドのヴィルティオーゾオケを完璧にドライヴされちゃ誰も敵いませんや。特に第1楽章の展開部をバッサバッサと切り分けてゆく快刀乱麻ぶりには(それから、ちょっとハイドンみたいにキュッと凝結している音響には)ほとんど嫉妬に近い感情を持ちますね。そのかわりコーダの最後のあたりの面白くなさも第一級であります。ホントに全然高揚しない。なんじゃこりゃという感じだ。

第2楽章以降はもっと面白みが消えて、フレージングの掴み方が著しくミクロになっています。結果として部分的な和音の愉しさ、重なり合う音色の豊かさは確かに耳に残るものの、前方への流れは完全に停滞してしまって、異様な長時間を費やしているような気持ちにさせられます。テンポはスコアに忠実のようであるから、まあそこは措いておくにしても、チェリビダッケがハイドンやベートーヴェンを料理するとき、こんな感じのことをしていなかったか?

第1番第2番のときは、こんな印象は受けなかった。浪漫への扉が開いた作品でこういうことを感じさせるということ自体に、インマゼール自身の藝術的な向き不向きが現れてきているような気がします。彼の得意なシューベルトはベートーヴェンとは違って、聴きようによっては多島海状のテクスチュアをしているものな。。

+ + +

c0060659_6172981.jpg<SIDE-B> ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
【Karna Musik/KA-378M 1】
●交響曲第3番変ホ長調 op.55 《英雄》 ※()内は正規全集
  第1楽章 '18"45 ('18"22)
  第2楽章 '13"10 ('13"09)
  第3楽章 '5"58 ('5"35)
  第4楽章 '12"12 ('12"06)
(2006年12月1日 パリ・シャンゼリゼ劇場ライヴ)

ここへきて、ブリュッヘン/18世紀オケの存在感が物凄い。。
ここ最近のブリュッヘンに感じられている妙な透明感(この2年後の2008年にスタヴァンゲル響とやったツィクルスで顕著だった空気ね)はこのライヴでは鳴りを潜めていて、いつものリコーダー仙人節が聴かれます。それも、正規録音の頃よりずっと色濃く、愉快な形で。
浪漫的な流れを掴んだり、場合によっては何もないところから流れを作り上げてしまうのが巧い指揮者なので、このライヴ・エロイカが面白いことになっているだろうというのは想像していたけど、インマゼールと並べて聴くとこんなにセンスが異なるものなのかと驚いてしまう。アンサンブルはあちこち怪しげだし、いつもみたいに管楽器を前方に引っ張り出すし、はっきり言って全般的に猥雑なのですが、一筆書きによる流れの太さ巨大さに心を揺さぶられます。

第1楽章の2和音後の最初の提示で、およそ考えもつかないようなアゴーギクを実行するブリュッヘン(正規全集ではこんなこと全然やってない!) もしかしたら事故なのかもしれませんが、簡単にそうとは思えないこのゆらゆら感がマジックかもしれない。時間が曲げられたような衝撃。こんなのはSIDE-Iの人は許さないだろうなあ。。
それから、混沌パワフルの第4楽章はまさに見事の一言。ここ最近になって聴いたエロイカの中では最も興奮させられたと言っても言い過ぎではありません。人生を振り返るような最後のObソロも、そこまでが楽しければ楽しいほど、雄大であれば雄大であるほど、じんわりとした切なさをかき立てるものだからね。

+ + +

あながち僕のブリュッヘン補正のためだけではないような雲行き。インマゼールは次の第4番、それから第8番あたりに強く期待しますが。。
by Sonnenfleck | 2009-07-14 06:19 | パンケーキ(19)

on the air:インマゼール/アニマ・エテルナの《幻想交響曲》

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【2008年5月11日 デュッセルドルフ・トーンハレ(シューマンフェスト・デュッセルドルフ)】
●リスト:《メフィストワルツ》第1番 〈村の居酒屋での踊り〉 S514
●グリーグ:Pf協奏曲イ短調 op.16
→リアン・デ・ヴァール(1886年エラールPf)
●ベルリオーズ:《幻想交響曲》 op.14
⇒ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ
(2008年7月20日/WDR 3)

インマゼール、、八面六臂すぎる。5月にはデュッセルドルフに現れて、ベッタベタのロマン派プログラムを披露したようです。ますます聴き逃せない。

《メフィストワルツ》第1番は完璧なショウピース。
冒頭Fgのぶおーん、ぶおーん、ぶおーん、という明確なキャラクタづけに笑ってしまいました。そこへだんだん他の管楽器が集まって来、弓をきつく当てた塩辛いVnの音とともにワルツの幕が開くシーンは鮮やかのひとこと!途中で《ラ・ヴァルス》のご先祖さまとしか思えない黄昏時のような響きが何度も聴かれ、こういうところにもラヴェル管弦楽曲集の収穫が活きてきているんだろうなと思われます。続くグリーグのPf協奏曲はベストフォームではなかったので…感想はパスさせてください。

しかし、、メインの《幻想交響曲》です。お楽しみは。

一聴しまして、ああこれは前の2曲とは次元が違うとすぐに気づく。
とにかく切なく歌っているんですよ。この幻想。甘ーい昂ぶりをそのままストレートに旋律線へ託してしまう。こんなに歌い上げているとは思わなかったものだから、胸が締めつけられます。でも低弦のドライな刻みを残忍にもかなり目立つ形でそのまま残しているために、隣り合っている破局の影を視ないようにすることができない。第1楽章のコーダなんかは特にイデーフィクスへの切ない歌い込みがとびきりの繊細さで行なわれて、ここで涙が出ました。

第2楽章。絶品と書くのは易いが、どんな魔術を使えばこうなるか見当がつかない。
考えられないくらい切なく、匂い立つような響きが充満しているのです。
横方向はときどき思い出したように立ち止まることが多いので、弛まぬ3拍子のフォルムで言えば他にいくらでもスタイリッシュなものが見つかりますが、こんなにものがたりの豊かな起伏と曲線を感じさせる縦方向の響きは経験したことがない。標題性を強く追求したグランドマナーの磊落な演奏も、標題性に重きを置かないメカニカルな演奏も、どちらもこんな体験はさせてくれなかった。夢でも見ていたようでちょっと呆然。

ところが第3楽章でも夢は続いていて、響きは美しいままなのに今度は妙に荒涼とした風景が眼前に広がるのでした。これは、各所の重要なパッセージで残響を敢えて切り落とすようにポツ...ポツ...と句読点を置いているのでそのように聴こえるのだと思うんですが、寂しげな「情感」とは正反対の方向へ押し出されてしまったのに、いつのまにか最終目的地である「神秘」へ辿り着いていたような感じ。

ここまでずっと続いてきた切ない夢のような響きは、ここで打ち止め。
夢から醒めたら救いようのない現実が待っていました。
ここまで甘く切なく歌われた代償なのかどうかわかりませんが、第4楽章は絶望的な重苦しさによって聴き手をどこかへ突き落とします。アクの強いアニマ・エテルナの金管楽器隊がこうして恣意的なくらい遅いテンポに乗っかると、一瞬の破裂に集積するエネルギーが大きくなってずいぶんな威力になるわけだ。最後のドラムロールはいかにもねばねばとまとわりついて厭らしい。カタルシスなんかないのです。ただ辛く、ただ厭らしい。

醜く変容したイデーフィクスに感慨を覚える向きは、この演奏では相当の覚悟を持って第5楽章に臨まなければならなかったのでしょう。横方向にだらしなく伸ばされただけで、そこまで激しく崩れているわけではないのに、前半で甘く歌われたためにギャップが大きい。あまり用心していなかった僕は大ダメージを受けたです。
さらなる衝撃は、鐘の声部がピアノによって演奏されていたことでありました。
鐘の曖昧な音響とそこにまつわるイメージが掃われただけでこんなに異常な雰囲気になるとは…冗談抜きで心臓が止まるかと。。「怒りの日」とピアノの打鍵が混ざると皮肉な感じがなくなってしまって、なんだかとても悲劇的な響きになるのでした。一体なぜ?初版の楽譜だとこうなっているのか?インマゼールのことだから綿密な考証に基づいているとは思うけど。。

終結部分は切なさも気持ち悪さも、いくつもの相反する感情がぐるぐると渦を描いており、これも今までにないヤバげな感覚。風邪を引いて熱があるときに音楽を聴くと音楽に形が見えることがあるけど、熱もないのにそれを感じさせられました。ううむ。魔術。
終演後は一瞬、お客が引いてました。拍手もできない。ブラヴォも飛ばせない。

+ + +

ここを訪問くださる皆さんは、きっと音楽に「BGM」以上のものを求めておられると思います。
これまでと同じであれば、この《幻想交響曲》もやがて録音され正規に発売されるでしょう。
いつか、買って聴いてください。これまでにない感覚が味わえます。
by Sonnenfleck | 2008-08-08 06:45 | on the air

SIDE-B/SIDE-I (2)

9回シリーズ(不定期)で聴く、ピリオド・ベートーヴェン最新事情。2回目です。

c0060659_6143279.jpg<SIDE-B> ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
【Karna Musik/KA-378M 1】
●交響曲第2番ニ長調 op.36 ※()内は正規全集
  第1楽章 '12"56 ('11"50)
  第2楽章 '10"36 ('10"12)
  第3楽章 '3"46 ('3"25)
  第4楽章 '6"20 ('6"34)
(2006年12月1日 パリ・シャンゼリゼ劇場ライヴ)

うわわわ。第2番は1988年録音の正規全集盤演奏からかなり遠い。。

この18年の間に第1楽章序奏の質量が飛躍的に増大して、象のような重みとして聴き手にのしかかるのであります。冒頭に集約された大質量はどろりと澱んでいて、一筆一筆がしつこく、清涼感などまったく感じさせない。なんだこれは。フルトヴェングラーか。
その大質量序奏が無理のあるアッチェレランドに乗ってアレグロ・コン・ブリオの主部に運搬され、あとは自重によりコーダの方向へゴロゴロゴロと転がっていく…。そういう曲だったっけこれは?この変容はショックと言わざるを得ません。
長大な第2楽章も冒頭の爽快感に騙されてはいけない。一瞬のそよ風(クラリネットにちょっと面白い表情がついてる)に和んでいると、追い立てられるような中間部の葛藤に激しいギャップを感じなくてはいけませんもの。
呼吸が浅く、拍も乱れ、アクセントだけは重いのでギクシャクとした第3楽章。うーん…。
第4楽章はさらにアンサンブルが乱雑になって、部品をぼろぼろと落としながら動くロボットのようで痛ましい。しかし途中で(前の3つの楽章ではあまり出会えなかった)木管の美しい折り重なりが聴こえたりするので、破綻の中に花が咲いているようでとても美しい。―


c0060659_6145413.jpg<SIDE-I> インマゼール/アニマ・エテルナ
【ZIG ZAG TERRITOIRES/ZZT080402.6】
●交響曲第2番ニ長調 op.36
  第1楽章 '12"25
  第2楽章 '10"49
  第3楽章 '3"41
  第4楽章 '6"12
(2006年5月1-4日/ブリュージュ・コンセルトヘボウ)

したがって、ブリュッヘンとインマゼールを聴き比べるのはあまりにも酷であると言えます。
完璧に透き通った第1楽章序奏から主部に至る道筋は、葉末を渡る5月の風のようになよやかであり、過不足なく心地よいスフォルツァンドやナチュラルな楽器バランスとともに、やはりこりゃ理想的だわなあと思う。そして、この方向でこれ以上を目指すのはもう無理なんじゃないかしらとも思う。
ただ、彼らであれば物凄いレベルを達成してくるだろうと思われた第2楽章は、意外にも粉っぽくヒステリック。残念です。ピリオド楽器の抑制の効いた瑞々しい音という意味ではブリュッヘンたちのほうがずっと上へ行っているように思います。
気を取り直して第3楽章。プリッとした歯ごたえの蒸し海老にツンと強い山葵が効いている。小気味よい「形」を鼓膜へ中ててくるところで職人的な正確さを見せるインマゼール+アニマ・エテルナ、このようにリズミカルな楽句が連続する箇所は彼らの独壇場ですね。メカニカルな面でのスペックは18世紀オケと比べてはいけない。
第4楽章を耳にして、ああこれは一筋縄ではいかないスコアなのねと「ここで」気がついたのは内緒。リズムとバランスの冴えだけで片づけると意外なくらい面白みがないのでした。よたよたして聴こえたブリュッヘンに音色への強いこだわりがあったんだ。

+ + +

あまりにもアンバランスというか傷だらけというか、、ブリュッヘンと彼のオーケストラの名誉のためにこのライヴは正規盤で発売されるべきではないと思う。
でも、インマゼールがフォルム整備のために切り落としたような要素に関して、ブリュッヘンたちがこだわっているのは確かなんですよ。そういう要素に魅力を感じる方にとって、インマゼールの新録は意外につまらなく聴こえるかも。
by Sonnenfleck | 2008-07-22 06:16 | パンケーキ(19)

SIDE-B/SIDE-I (1)

9回シリーズ(不定期)で、ピリオド・ベートーヴェン最新事情を聴いてみます。
取り上げるのは以下2組の交響曲全集。

◆フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラ(06@Karna Musik)
◆ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ(08@ZIG ZAG)

前者は2006年12月1日から4日にかけてシャンゼリゼ劇場で行なわれた全曲演奏会の海賊ライヴ、後者は2005年12月から2年間かけて録音された正規セッション全集ですから、単純な比較は許されないような気もするんですけど、まあいいや。。

c0060659_6361959.jpg<SIDE-B ブリュッヘン/18世紀オーケストラ>
【Karna Musik/KA-378M 1】
●交響曲第1番ハ長調 op.21 ※()内は正規全集
  第1楽章 '10"44 ('9"53)
  第2楽章 '8"08 ('8"14)
  第3楽章 '3"31 ('3"44)
  第4楽章 '6"07 ('6"08)
(2006年12月1日 パリ・シャンゼリゼ劇場ライヴ)

引き摺るような、粘りつくような、ブリュッヘンのベートーヴェンは健在です。
ただしその「引き摺るテンポ」はいっそう疲弊してどす黒くなり、溌剌たるベト1の譜面と著しい対比を描くようになったのもまた事実。昔ながらの生っぽい古楽器の響きを保持しつつ、不機嫌そうにワンテンポ遅れるホルンや豪快なフルートがアンサンブルを彩ります。極めつけは第1楽章終盤の三段腹!ブヨブヨっとテンポが揺れて、どっこいしょという感じでコーダに突入。正規盤とテンポがほとんど変わらないのに若干停滞した印象を受けるのは、つまりバランスやアーティキュレーションが変化したということでしょう。
でも、それは悪いことなのかな?
これをもってブリュッヘンは終わったと、そう叫ぶのは正しい?
疲弊して苛立ち、不機嫌な巨大ベートーヴェン、他の誰がこんな音楽を作る?
モダンの指揮者が時代考証に過敏な反応を示している脇を、巨体を不自由そうに揺らしながら一歩一歩土を踏みしめて通り過ぎるブリュッヘン印のベートーヴェン。衣装も話し言葉も立ち居振る舞いもしっかりした考証を経ているはずなのに、役者のアクが強すぎる!

c0060659_636364.jpg<SIDE-I インマゼール/アニマ・エテルナ>
【ZIG ZAG TERRITOIRES/ZZT080402.6】
●交響曲第1番ハ長調 op.21
  第1楽章 '8"51
  第2楽章 '7"05
  第3楽章 '3"17
  第4楽章 '5"43
(2007年4月20-21日/ブリュージュ・コンセルトヘボウ)

その後にインマゼールの造形を聴くと、まるで別の作品のように晴朗であり、スマートであり、また自然に推進しているので吃驚します。でもここ数年のインマゼール+アニマ・エテルナであれば、この境地に達していたって全然不思議じゃない。すべてにおいて完璧にバランスが取れていて、まさしくピリオド・ベートーヴェンが達した理想形のひとつだと思う。精密な考証がどのような考えに基づいているかは、本体に封入されたインマゼールの解説日本語訳を読んでいただくとして、もしこれからベートーヴェンを聴こうとする人がいたら、迷わずこの全集を薦めるだろうなあ。

こうなると比べる意味があんまりなくなってくるんだけど(シリーズ1回目にして頓挫?)、ブリュッヘンがベートーヴェンの最初の交響曲として第1番を捉えているのに対し、インマゼールはウィーン古典派交響曲の最終形としてこの作品を捉えているようです。
この曲で最も「古っぽい」のは第2楽章だと思うんですが、この古雅なマチエールを薄いレースを重ねるようにして造形していくセンス、これが好きだなあ。しかも古楽器の乾いた響きをこの楽章でだけ前面に押し出すんですから、ずるいです。アニマ・エテルナの名高い木管ソリストたちの歌い交わしがレース地を通して聴こえてくる様子が大変美しい。ピリオド・アプローチでも、この楽章が野暮でない演奏は案外見つからない。

予想以上に隙がないインマゼール。予想以上に凄い方向へ変容しているブリュッヘン。
by Sonnenfleck | 2008-07-07 06:48 | パンケーキ(19)

海の日とシンドバッドの船

c0060659_75343.jpg【Zig-Zag Territoires/ZZT 050502】
●R=コルサコフ:交響組曲《シェエラザード》
●同:序曲《ロシアの復活祭》
●ボロディン:交響詩《中央アジアの草原にて》
●同:《イーゴリ公》~〈韃靼人の踊り〉
⇒インマゼール/オーケストラ・アニマ・エテルナ

見事な台風一過。朝から夏らしく晴れ渡った一日でした。こんな日にエアコンの効いた部屋に引きこもって音楽を聴くのは最高ですね(クラ廃人)。

インマゼール/OAEの《シェエラザード》です。棚卸し。
まず聴いてみて感じるのは、この曲特有の押し潰されるような威圧感がまったくないこと。しかしラヴェルに筋肉質の響きを期待する向きは少ないでしょうが、R=コルサコフには分厚い音のカーテンがないとダメ(というかそれが当然と考える)聴き手はけっこう多いでしょうから、一聴、中古屋へ、となった人もいたんじゃないですかね。はっきり言って最初は、響きの精妙さよりも物足りなさのほうが先に来ます。僕もピリオド贔屓のつもりでいますが、それでも慣れというのは恐ろしいもので、、一周目は「なんじゃこりゃ」という感じ。

でも二周、三周としていくと、「普段モダンオケの演奏においても威圧的とは感じない部分」の美感がとんでもないことになっているのに、だんだんと気づかされるんですね。。
弦楽・木管・金管の音量バランスって、楽譜を素直に音にすると自然に金管>弦楽>木管になっちゃうと思うんですよ。作曲家だってこの不等号を念頭に置いて作曲したのは間違いないだろうし、聴き手もそれを当然だと思っている。
ところがインマゼールがここでやってるのは、ノンヴィブラートを基調に、木管を主に置いて、弦楽は土台に、金管はただ一瞬ピリッとくるスパイス程度に扱う(露骨な!)戦術。それによって随所で木管の美しいアンサンブルが浮かび上がってきてるわけです。
効果的なピリオド奏法を選択することでこれまでにない美感が出現するなら、作曲家が意図しなかった(かもしれない)響きを作ることも辞さない、これがピリオドアプローチが結局行き着いた結論なのではないかと最近思うんですよ。誤解を恐れずあえて二元論的に書いてしまうと、最終的にはモダンvsピリオドではなく、やっぱり両陣営がそれぞれ分離して、表現主義vs即物主義になっちゃうんじゃないかなーって。

脱線しましたが、つまりミドリ・ザイラーのVnソロは、ハンス=ペーター・ヴェスターマンのObソロと完全に同格であり、それがインマゼールの意図したバランス感覚ではないかと思うのです。通常粘っっっこくやられることが多い第4楽章冒頭のシェエラザード主題の提示(Vn)なんか実にあっけないもので、明らかにそのあとの祭りの主題・海の主題のほうに主眼がある。「難破」でも、木管が金管の前に出てくる不思議なバランスで、まったく鮮烈な響きが眼前に広がります。最後にほんの軽いヴィブラートで波が引いていく。

そしてノンヴィブラートの《中央アジアの草原にて》が…(ある程度は想像していましたが)衝撃的な美しさです。このトラック、6分強が聴けただけでも、買った価値がある。。
by Sonnenfleck | 2007-07-17 07:11 | パンケーキ(19)

生の反対

c0060659_6523670.jpgさすがに昨日は、人が死ぬことについて考えました。
ニコニコ動画で《マイフレンド》のクリップ見てたら泣いちゃったですよ。。いつもはひどいコメントの嵐なのに…。合掌。

ところでインマゼールのCD、何枚目だろう?
シューベルトのヴァイオリン・ソナタ集。
昨年の新譜なのですが、例のラヴェルやラフマニノフの後ろに隠れてあんまり目立たなかった気がします。蔵吉さんのエントリで「名駅の新星堂が50%オフのセール」というトンデモ情報を知り、駆けつけたところ偶然にも1000円にて捕獲いたしました(マジ感謝です)。

ミドリ・ザイラーは言うまでもなくアニマ・エテルナのコンミスであり、インマゼールのよき同僚として多くの演奏を支えているはずであります。しかし彼女のソロを意識して聴くのはこれが初めてなんですよ。
そんなわけでイ短調ソナタ D385の第1楽章、まずは松脂が飛び散るような情念たっぷりのボウイングを聴かされてドキドキします。おそらく弓の圧力をかなり強く設定しているためにヒステリックな音が出ており、特に古楽器がこれをやるのを嫌がる向きも多いでしょうが(少なくともいわゆる「美音」ではない)、続く第2楽章との間に大きなギャップを作り出すという意味では非常に有効でありましょう。
抑制の効いた細身の音で奏でられるアンダンテはしっとりと濡れて、伊予柑でもほおばるような清々しさがあります。でもそれでいて主題はどことなく空しさに侵食されている。パッセージを収め方、というより潔い放り投げ方が、ここではとても魅力的。。
by Sonnenfleck | 2007-05-29 07:07 | パンケーキ(19)

サイバー詩神/三角の残酷

c0060659_21164054.jpg音楽幻想小節として前々から気になっていた高野史緒の『ムジカ・マキーナ』を最近入手し、読了したのですが…ちょっと不満足な出来。。核になる仕掛けがいかにも「ありがち」、かつ開き直って澁澤龍彦的にけばけばしいところは好みですが、肝心要のストーリーがあんなに粗末だとなあ。もしかしてそこも狙っているのかと疑わせるくらい陳腐な爆発オチ。

1870年のヨーロッパが舞台なので、作中にはブルックナーとヨハン・シュトラウス2世が重要な脇役として登場します。ラヴェルの新譜に引き続いて、インマゼール/アニマ・エテルナのシュトラウス・アルバムを久しぶりに取り出して聴いているのはそれくらいの理由ですが…このシュトラウスはロックですよ>全国の峰ファンの皆サマ。

【Zig-Zag Territoires/ZZT 020601】
●《トリッチ=トラッチ・ポルカ》 RV.214
●《こうもり》序曲 RV.503-1
●ワルツ《春の声》 RV.410
●ワルツ《美しく青きドナウ》 RV.314 他
⇒ジョス・ファン・インマゼール/オーケストラ・アニマ・エテルナ

ウィーン流に訛った3拍子はボスコフスキー他に任せるとして、ここで「絶対にタメない」仮借ない3拍子を振っているインマゼールには脱帽するしかありません。《ボレロ》でラヴェルの自作自演を解析したのと同じく、ここではクレメンス・クラウスの1929年の演奏が分析され、そこから室内楽的アンサンブル・ノンヴィブラート・2拍目強調の排除が導き出されてきています。素晴らしい!
《春の声》ってこんなにアグレッシヴな音塊だったんですね。内部でギラリと閃くClとかFlを聴いていると、《ラ・ヴァルス》は突然変異じゃなくシュトラウスの正当な後裔であることがなんとなく掴み取れてきます。
by Sonnenfleck | 2006-10-25 22:16 | パンケーキ(19)

ゼンマイ仕掛けの時計職人

c0060659_20261329.jpg【Zig-Zag Territoires/ZZT 060901】
●《ボレロ》
●《亡き王女のためのパヴァーヌ》
●左手のためのPf協奏曲
→クレール・シュヴァリエ(Pf;1905年エラール製)
●《スペイン狂詩曲》
●《ラ・ヴァルス》
⇒インマゼール/オーケストラ・アニマ・エテルナ

この秋もっとも楽しみにしていた新譜、インマゼールのラヴェルがついに登場しました。
美しい白のディジパックと明るい臙脂色のディスク。Zig-ZagとAlphaはフランスの至宝だな。。
この録音がとにかく画期的なのは、アニマ・エテルナの使用している楽器がすべて19世紀末~20世紀初頭にかけて製作されたものであるという点。弦楽器がガット弦を張っているのは言うまでもないんですが、インマゼールこだわりの管楽器もまたすべてが70~100年前の「近古楽器」であると。意外と残ってるもんなんですねえ。

たとえば《ボレロ》。
インマゼールは、1930年に録音されたラヴェル/ラムルー管による自作自演(リンク先で1分間試聴可)に遡って丁寧に調べたらしいんですが、そこで
◆1.ラヴェルのテンポ設定は四分音符=66、演奏時間で16分10秒
    →作曲者は、速く振りすぎたトスカニーニとコッポラへの批判を口にしている
◆2.ヴィブラートはほんの僅か、もしくはまったくかけていない
    →第2次大戦以前はこれが普通(ノリントンも同じこと言ってますよね)
という2点、および1963年のクリュイタンスの録音を踏まえ、ゆったりとしながらも(演奏時間は16分53秒)繊細なノン・ヴィブラートが心地よい、新感覚の《ボレロ》を作り出しています。
(*これはライナーでは触れられていないけど、テンポについては1959年のロザンタールの録音との共通性も見出せるように思う。)

御託はこんな感じなんですが、そこから立ち上る音の「香り」、あるいは「匂い」―
これがちょっと筆舌に尽くしがたいくらいエロティックなんですね。
構造的にはもう現代の楽器と大して変わらないはずなのに、出てくる音は「楽機」と「楽器」くらい違う。奏者の息や筋肉の動きがよりストレートに伝わってくるので、1stVnが登場するまでの管楽器ソロが続く部分なんか震えちゃいますよ。特にバソンやテナーSax、ピッコロやトロンボーンの(現代楽器の光り輝く音とは異なる)円い音―。ううう。

「古楽」はついに初演当時の録音が残っている時代にまで侵攻してきたわけですが、しかしインマゼールの目的がラヴェル自作自演の模倣ではないのは明らか。この演奏を豊かにしているのは「近古楽器」の音だけでなく、彼の指示によるであろう退廃的な歌い回しと和音のセンス、そしてアニマ・エテルナのメンバーの超絶的なテクニックなんですな。クリュイタンスやチェリと同じ土俵に乗せない理由はない。
ナチュラルHrと徹底的にヴィブラートを排した弦がしっとりと歌い上げる《パヴァーヌ》(超絶的に美しい...)、短いメッサディヴォーチェが3次元的に交差する《スペイン狂詩曲》。けっして躊躇しない残酷なテンポが時折官能的に揺らめく《ラ・ヴァルス》。素晴らしい。
…今度はノン・ヴィブラートで萌えるストラヴィンスキー、就中《プルチネッラ》を!
by Sonnenfleck | 2006-10-15 22:24 | パンケーキ(20)