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ガッティ×モリーニ|未出版作品集”アッシジのコレッリ”世界初演@白寿ホール(11/21)

長い文章は書かずにいると書けなくなるなあと思った12月でした。すべての出来事や思いが140字に収まるわけがないのだ。

この11月、敬愛するヴァイオリニスト、エンリコ・ガッティが5年ぶりの来日を果たしました。まずはその初日、何とコレッリの未発表曲の世界初演という前代未聞のプログラムを聴きに行ったのであります。

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c0060659_9392733.jpg【2013年11月21日(木) 19:00~ 白寿ホール】
<コレッリ没後300年記念>
●アッシジのソナタ第1番ニ長調
●アッシジのソナタ第2番イ長調
●アッシジのソナタ第3番ニ短調
●アッシジのソナタ第4番ハ長調
●アッシジのソナタ第5番イ短調
●アッシジのソナタ第6番ト長調
●ソナタニ長調 anh.34
●アッシジのソナタ第7番ヘ長調
●アッシジのソナタ第8番ハ短調
●アッシジのソナタ第9番変ロ長調
●アッシジのソナタ第10番ト短調
●アッシジのソナタ第11番ホ長調
●アッシジのソナタ第12番イ長調
●ソナタイ長調 anh.33
●ソナタイ短調 anh.35
 ○ソナタニ長調 anh.36~Allegro
 ○アッシジのソナタ第8番ニ長調~Allemanda (Presto)
 ○ソナタヘ長調 op.5-10~Preludio:Adagio
⇒エンリコ・ガッティ(Vn)+グイド・モリーニ(Cem)


コレッリ農園の若い果実が、12個並んでいる。種類はすべて異なる果実。
ネットで子細は調べてもいまいちよくわからないのだけど、この12曲のVnソナタは10代後半のコレッリがボローニャで作曲し、アッシジの聖フランチェスコ教会の図書館に収蔵されていたらしい。
プログラムノートの寺西肇さんの記述をそのまま援用していくと、ガッティはこの手稿譜を注意深く校訂し、今回ようやく演奏可能な状況にこぎつけたとのこと。11月29日-30日にコレッリの生地・フジニャーノで開かれた学会で演奏される予定だったので、この11月21日の東京公演が本当の世界初演だった模様。

12個はいずれも、やがて成熟してのちの作品5に到達する道筋を示していた。旋律の運びはいかにもコレッリ好みで、平明と緊張を行き来しながら小体な世界を形成しているのであります。
ただ、技法が発展途上であるがゆえの未成熟な青臭さは、そのコレッリらしい小体な世界に少ない分量ながらも確かに混在していました。後年であればもっと自在に展開して広がるはずのメロディがすとん…と切れてしまったり、継ぎ目が不自然だったり、フレーズの形に少し無理があったり(ただ、第5番イ短調の妖しい旋律運びなどはコレッリ以前の世界をよく伝えていて、単なる若書き以上の煌めきを放っていた)

もちろん、こうした青い苦さはコレッリの成熟の土台になっているのだろうけれども、そのことを逆に強く印象づけたのが、一緒に演奏された「作品5には入らなかったソナタ」と、アンコールで取り上げられた作品5-10なのであった。

出版されたものの、作品5の12曲には組み入れられなかった3曲のソナタ。これらはあり得たかもしれない作品5のパラレルワールドとして十分な完成度を誇り、若書きの味から苦みやえぐみだけが注意深く取り去られているのがわかる。

しかしどうだろう。作品5-10のプレリュードの完熟した味わいは…!
その第一音から、黄金色の蜜が小さなホールをなみなみと満たしていく。装飾が丁寧に施された旋律線、その甘美にして健康な蜜の味わいに聴衆が息を呑む。ガッティのボウイングが余韻を完璧にコントロールして蜜が消え去ると、皆、痺れ薬から覚めたかのように震える溜息を吐いて、やがてじわじわと拍手が高まっていく。青い果実の酸味に慣れていた数十分の最後に、とどめの蜜なのであった。
なおこの日の装飾音はガッティ不滅の名盤とは少し違って、ちょっと爽やかテイストだったことを書き添えておきたい。

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エンリコ・ガッティは、僕がこの世の中で最も尊敬する音楽家のひとりなのですが、ついにこれまで生で体験することができずにいた。
2008年の「目白バ・ロック音楽祭」(これがもし続いていたら、首都圏の初夏はずっと薫り高いものになっていたでしょう)で来日して以来、ガッティはずっと日本には足を運んでくれなかったのだった。

初めて生で聴くガッティの音色は、もちろん録音で慣れ親しんできたとおりのフルーティな甘みを誇っていて、最初の調弦からして芳醇な香りがする。
ところがよくよく聴いていくと、そこには甘みだけではなくて、ハーブのような複雑な野性味がひとつまみ加えられているのがわかる。ボウイングの微かな加減によってこのビターな味わいが存在しているようです。

さらに、今回たいへんに驚きかつ心を揺さぶられたのは、彼の音色が燦燦と輝く太陽のような開放感を伝えてきたこと。密室の悦楽、室内の妖しい遊戯である後期バロック音楽のその入口に、燦然と輝く太陽!コレッリの音楽に「絶対的に不可欠な」強い陽光を、僕はついに聴き知ったように思う。
by Sonnenfleck | 2013-12-23 09:43 | 演奏会聴き語り

おまえが落としたのは金のコレッリですか、それとも銀のコレッリですか。

c0060659_10123075.jpg【ACCENT/ACC24281】
<Corellimania>
●コレッリ:合奏協奏曲ニ長調 op.6-4
●モッシ:合奏協奏曲ニ短調 op.3-3
●コレッリ:合奏協奏曲ニ長調 op.6-1
●ロカテッリ:合奏協奏曲ホ短調 op.1-4
●コレッリ:合奏協奏曲ニ長調 op.6-7
●ヴィヴァルディ:2Vnのための協奏曲ヘ長調 RV765
●ジェミニアーニ:コレッリのVnソナタ op.5-12による合奏協奏曲ニ短調《フォリア》
⇒フロリアン・ドイター/アルモニー・ウニヴェルセル

アルカンジェロ・コレッリ(1653年2月17日 - 1713年1月8日)の生誕300年にあたる今年、コレッリの典雅な音楽をリスペクトしたアルバムがたくさん登場しているが、これはそのなかでも圧倒的に変な光を放つ一枚。浮いている。でも浮いているのは善いこと。

バッハよりもテレマンよりも、ヴィヴァルディよりもヘンデルよりも、ひと世代後の音楽家たちに与えた影響の凄まじさはコレッリのほうが上である(コレッリは「音楽の祖母」くらいには呼ばれていいと思いませんか)。そのコレッリのコンチェルト・グロッソを中心に、影響を受けた作品を据えたアルバム。コンセプトとしてはごく普通でしょう?…しかしですよ。

このディスクに収められたコレッリのop.6-1,4,7には、トランペットとトロンボーンがアンサンブルのなかでリピエーノを吹いているのです。最初の6-4を聴いたときの驚きと言ったらない。
でもこれはお遊びなのかと思ったら、さにあらず。
12曲の合奏協奏曲を仕上げたころのコレッリはピエトロ・オットボーニの楽長として大規模な宗教声楽作品を振っていたし、そもそも1689年3月19日にコレッリが彼の協奏曲をトランペットともに演奏した、という記録もあるらしい。当時のローマでは、アンサンブル補強のためにトランペットとトロンボーンが追加されることも珍しくはなかったようなんだよね(ライナーノーツではコレッリのこの3曲が祝祭性の強いニ長調であることも触れながら、この試みを説明している)

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そんなわけで初めて聴いたときには、まったくコレッリらしからぬ、きんきらきんに光り輝くテクスチュアに「ヴェネツィアかwww」って思ったのですが、演奏実践のフォルムは第一級なのです。

もったりと熱を帯びた「動的な静けさ」で聴かせるコレッリのグロッソはもちろん佳いのだけれど、独特の長~くのたくる旋律がダレやすいロカテッリのグロッソが、かなり素敵な演奏。ロカテッリには金管楽器を加えていないので、このアルモニー・ウニヴェルセルというアンサンブルの機動力がグッと表に出る。しゃっきりと瑞々しいレタスを囓るような爽やか系ロカテッリ。

MAKやルーヴル宮音楽隊のコンサートマスターだったフロリアン・ドイターが創設したこのグループは、このディスクを聴くかぎりでは「現実を忘れさせるくらいニュートラルな」面白い音楽をやる。
どうしても念頭に浮かびやすいゲーベルやミンコフスキの音楽と正反対のその方向は、百花繚乱の10年代古楽シーンではきっととても強力な武器で、僕は彼らの演奏にブーレーズのラヴェルと同様の矜恃を感じるのだ(でも通奏低音にハープやギターがいたりもするから、一筋縄ではいかない)

かくして金管楽器に彩られた72分は、自他共に認める史上最強のコレッリマニアことフランチェスコ・ジェミニアーニの「5-12」グロッソがトリを務める。ここでもニュートラルの仮面をかぶったスペインが踊り、爽やかにまた平然と幕を下ろすのであった。
by Sonnenfleck | 2013-08-11 10:15 | パンケーキ(18)

on the air:【必聴】1984年のブリュッヘン+ビルスマ+レオンハルト@シャンゼリゼ【オンデマンド】

【1984年10月6日 シャンゼリゼ劇場】
<France Musique rend hommage à Gustav Leonhardt>
●デュパール:組曲第4番ロ短調
●フォルクレ:組曲第1番ニ短調~la Laborde, la Forqueray, la Bellmont, la Portugaise
●コレッリ:《ラ・フォリア》
●ウッチェッリーニ:?
●バルトロメオ・デ・セルマ:カンツォーナ
●フレスコバルディ:Vcと通奏低音のためのカンツォーナ
●フォンターナ:ソナタ第2番
●ルイジ・ロッシ:トッカータ
●カステッロ:ソナタ第2番
⇒フランス・ブリュッヘン(Rec)
 アンナー・ビルスマ(Vc)
 グスタフ・レオンハルト(Cem)
(2012年1月29日/France Musique オンデマンド)


フランス国営放送から、レオンハルト追悼企画として28年前のライヴ音源が蔵出しになった。バロックのソロソナタ編成を、ステージと客席に段差のないホールの最前列に座って聴くとちょうどこんな感じですね。生々しい音質が嬉しい。

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番組表だとテキトーな記述なんで、聞き取れた範囲で曲目も書いた。ご覧のように夢のような豪華なプログラムなんだけど、最初の1曲目はシャルル・デュパール Charles Dieupart (1667?-1740?) の第4組曲です。

ねばねばしたアルマンドの歩みに、また、烈しいジーグの跳躍に(本当に烈しいのです…)、われわれが彼の的確な通奏低音魂を聴かなくてどうする。ブリュッヘンは笛吹きキャリアの最後期でも相変わらず獅子王だし、ビルスマも思いっきり見得を張るし。名曲の名演奏としか言いようがない。

続いてフォルクレのニ短調の組曲からの抜粋を、レオンハルトのソロで。
もしレオンハルトのことを「無味乾燥な教条主義者」だと思っている方がおられたら、この演奏だけでも聴いていただかなければ困る。このフォルクレを聴いてもなおそのように思われるなら、僕が諦めることにしよう。
前に「フォルクレは女神転生」と書いたことがあるけれど、その表現を完全に満たす演奏が実現されている。驚いた。悪魔のような演奏(魔神クリシュナ LV57…)。チェンバロが破滅的に囂囂と鳴っている。センペやアンタイはお師匠さんのこういう側面をしっかり受け継いでいるんだな。

いっぽう、コレッリ《ラ・フォリア》には、脂が乗りきったおっさんたちのダンディズムが平らかに薫る。彼らの若いころの録音と違って、スリルではなくコレッリのコレッリ性をこそ追求してる、というか。
ブリュッヘンとビルスマに見せ場がたくさんあるのは変わりないので、レオンハルトは完璧な通奏低音者に徹することにしているようだ。

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続く17世紀作品たちだが、上の3曲から続く一夜のコンサートなのかどうか、自信がない。録音状態もまちまちなので、もしかしたら別日程を組み合わせて放送してるのかもしれん(フランス語よくわからないんで…)。

こちらのリンクから、たぶん来月17日までオンデマンドで聴くことができる。
by Sonnenfleck | 2012-01-29 10:11 | on the air

コレッリなんてしらない。

このまえ、ダントーネ/アカデミア・ビザンティナの演奏で、コレッリのop.6-2と6-4を聴いたんです。NHK-FMで。2010年、ドイツのハレでのライヴでした。

気持ちが悪かった。
趣味の悪い夜の蛾のような音楽。
あれほど無残に、品のない装飾をたくさんぶら下げて。白木でできた拍の枠はぼろぼろに蹴破られ、引き攣ったコンチェルティーノのご機嫌を伺うリピエーノ。かつてビオンディもかなり自由に振舞っていたけれども、少なくとも、彼らは音楽の自然な流れを堰き止めることはしていない。コレッリの成立要件が、たとえばヴィヴァルディとはずいぶん違うということがよくわかる結果だった。

僕は、コレッリのop.6に新しい像を示すのはたぶんダントーネだと思っていた。op.6の12曲を心のふるさととする人間として、それなり以上の期待をしていた。
ともかくも新しいコレッリだった。それをコレッリと認識することができれば。

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c0060659_22123420.jpg【PHILIPS/UCCP3050-1】
●コレッリ:合奏協奏曲集 op.6
⇒イ・ムジチ合奏団
  フェデリコ・アゴスティーニ(Vn)
  クラウディオ・ブッカレッラ(Vn)
  フランチェスコ・ストラーノ(Vc)
  マリア・テレサ・ガラッティ(Cem)
  ペーター・ソロモン(Og)

イ・ムジチの録音をずいぶん久々に聴いてみて、もしかしたら、自分の理想像が限りなくこれに近いのではないか、という(ある種の)恐怖に襲われている。

コンチェルティーノの装飾はほぼまったく存在しない(なんということでしょう!)。通奏低音のリアライゼーションは後ろのほうのダ・カメラになるとほんの少し浮き上がるけど、そんなもんです。もちろん弦楽器はバリバリのモダン奏法で、当たり前だけどピッチは高いし、合奏人数が多くて響きも肉厚。ところが、たっぷりと汁気を含んだがんもどきにかぶりつくようなこの幸福感はなんだろう。

彼らの足回りは決して鈍くない。1991年に、モダン楽器であえて全曲録音している意味は確かにあるっていうことだよな。
ここでは秘密も何もなくて、拍をそのまま丁寧になぞっているだけだと思うんだけど、この作品集はもうそれでよく、特に味つけは必要ないといえよう、とか言っちゃいたくなる完成度の高さ。

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僕はだいたい、新しいもの、面白いものが好きで、派手にお化粧するスタイルに拒否を感じたことはこれまでになかったのですが、このたびのダントーネ一派のコレッリは、ちょっとそれ違うだろ、と思うのです。声楽に由来するタイプの伸縮、それにともなうスリルの追及は、コレッリには全然合わないんだよ。コレッリがオペラを遺していないというのは、僕らが思っている以上に重い事実なんじゃないかな。

さて、今日もアンサンブル415を聴くしかないんだろか。
by Sonnenfleck | 2011-04-21 22:16 | パンケーキ(18)

猫としてのもうひとりのテレマン

c0060659_216632.jpg【ARIA VOX/AVSA9877】
●コレッリ:合奏協奏曲ニ短調 op.6-4
●テレマン:組曲二長調 TWV55:D6
●同:RecとGambのための協奏曲イ短調 TWV52:a1
●同:組曲ホ短調 TWV55:e1(ターフェルムジーク第1集より)
●ラモー:組曲《優雅なインドの国々》

→エンリコ・オノフリ(Vnコンチェルティーノ)
  リッカルド・ミナシ(Vnコンチェルティーノ)
  ピエール・アモン(Rec)
  マルク・アンタイ、シャルル・ゼブリー、イフェン・チェン(Ft)
  バラズ・マーテ(Vcコンチェルティーノ)、ルカ・グリエルミ(Cemb)
⇒ジョルディ・サヴァール/コンセール・デ・ナシオン

「ルイ15世時代のコンセール・スピリテュエル」とのこと。この企画はニケと彼のオケがCDを出すべきなんじゃないかしらんと思っていたが、サヴァールの新譜が出たので買ってきた。
数多い古楽才人たちの中で、サヴァールはどうも山師的存在というか、古楽のゲルギエフというか、刺激的かと想像させておいて完全な肩透かしとか、やる気がなさそうで突然濃密な音楽になったりとか、捉えどころのない人だと思ってます。
この人の熱心なファンにはなれそうもないわけですが、今回のディスクは何しろプログラムがもう、モダンでいったら「コリオラン序曲→メンコン→ブラ1」みたいな超名曲路線みたいなわけで。メンツも豪華だしなあ。

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コレッリの6-1でも6-8でも6-12でもなく、二長調 6-4を選んでくるところにサヴァールの鋭い山師的勘が見える(笑) 名曲ゆえに様々なアプローチがありうるこの曲で、サヴァールはそのイメージを激しく裏切り、清純派黒髪乙女のようなコレッリに仕立て上げている。しかしそこはそれ、何世代かにわたる古楽のヲタク化を経た後の黒髪乙女であるから、ピノックのコレッリのような素朴な黒髪乙女を想像してはいかにもまずい。
流れも響きも薄く涼やかなので騙されそうだが、第1楽章冒頭や第2楽章で聴かれるゴテ盛りの装飾、チョコチョコと賢しい第3楽章、ヘミオラの異様に軽い第4楽章前半―そして急激に響きを重くしてエグい後半。もはや、乙女でいるには病んでなければならないこの世界の悲劇。オノフリはいつもよりライトめ。

そしてテレマン。
サヴァールのテレマンって初めて聴いたあ。
いや、なんというか、シャム猫のようなテレマンだな。
ドイツやイギリスのアンサンブルの演奏とはだいぶ様子が違う。響きはからりと晴れ渡って、セクシーで熱っぽいくせに、フレーズの収めは13時の砂漠のように冷淡。世界中のテレマンが全部これだったら困ってしまうが、たとえばブルックナーにベイヌムとティーレマンがあるように、選択肢としては当然用意されていなければならない種類の演奏だよね。これまでの例が思い浮かばないな。全国のテレマンマニアの皆さん、こんな演奏ありましたっけ?
鬱勃としたエネルギーには定評のあるターフェルムジークの組曲ホ短調も、いやに紳士づらしてやがら。そのうえで動物みたいな艶っぽさが滲み出ているので愉快愉快。テレマン新境地。

このラモーは、まあ、ライヴならありかな。《アフリカの奴隷たちのエール》は、パーカッションが並外れてアフリカンである。ただし北アフリカ。

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サヴァールの体系的なテレマン録音を望むものなり。
by Sonnenfleck | 2010-10-09 21:19 | パンケーキ(18)

Weekend Concert 37th in 田園都市 ~冬の団欒 合奏の愉しみ~@横浜市歴史博物館

c0060659_8534338.jpg【2009年1月25日(日)15:00~ 横浜市歴史博物館講堂】
●テレマン:トリオ・ソナタ ニ長調

<ルネサンスのコンソート音楽>
 ●カベソン:イタリア風パヴァーヌによるディフェレンシャス
 ●同:ティエント第7番
 ●モーリー:《移り気》、《狩》
 ●シンプソン:《愛しのロビン》
 ●ジャヌカン:《恋の手習い》

●クヴァンツ:3本のRecのためのトリオ ニ長調
●バッハ:2声のインヴェンション第6番、第8番
●テレマン:ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ ホ短調
●コレッリ/シックハルト:トリオ ニ短調 op.6-3
 ○アンコール パーセル:シャコンヌ
⇒山岡重治、本村睦幸、平尾清治(Rec)、平尾雅子(Gam)、下山真理子(Cem)


土日は所要で外出していましたが、その計画の〆に立ち寄った演奏会。
日本人ガンビストの第一人者・平尾さんと、そのパートナーでもいらっしゃるリコーダー奏者/製作家・山岡さんを中心としたアンサンブル。この「田園バロック」は、「ヨーロッパの都市のように地域に密着した、気軽な、しかし本格的なコンサートを提供できないか」というコンセプトのもと開催され、まもなく開始20年に垂んとするシリーズとのことです。

所要が前日の深夜まで及んだためにとんでもなく睡眠不足だったのが実に悔やまれます。耳元に睡魔の羽音が聞こえるくらい強烈な眠気でした。そんなわけですから、前半のテレマンから後半のバッハにかけてはほとんど意識を集中できなかったので、感想文はパス。。最近こういうのが多くてホント情けないッス。

表情も虚ろに内側へ沈降していくようなカベソン2曲、和音が美しく決まったクヴァンツなど、睡魔を振り払いながら途切れ途切れに感激していたのですが、一気に目が覚めてしまったのがテレマンのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ ホ短調。これですね、楽章割りが
Cantabile
Allegro
Recitativo
Arioso
Vivace
ということで、あたかもヴィオラ・ダ・ガンバのためのソロ・カンタータといった趣きなのです。こんなにかっこいい作品を知らずにいたのは悔しい。第1楽章の痛切な語り、第3楽章の小気味好いディクション(まさしくエヴァンゲリスト!)、第4楽章の深い歌、こうしたところを巧みにモデリングしてしまった平尾さんの手腕に完全に脱帽でした。
そんなに大きくない講堂を埋めたお客さんたちも、ここでは拍手の質が違っていたです。

それから最後の、コレッリのニ短調「ソナタ」
コレッリの作品番号6ですからもちろんコンチェルト・グロッソなのですが、今回は、後期バロックの笛吹き・シックハルトによってトリオ・ソナタ形式に編曲されたバージョンでの演奏。この編曲が実に見事で、コレッリの清冽なオーケストレーションが凝縮しているのがよくわかる。
加えて山岡さんと本村さんの両声部による美しい遣り取り、さらに先ほどのソロ・ソナタとは明らかに異なる、チェロにずっと近い太い音色に変わった平尾さんの通奏低音、耳福でございました。新年から気持ちのいいコレッリが聴けて本当に嬉しい。

小空間で、豪華メンバーなのに、無理に日常から背伸びをすることのない親密な合奏が聴きたければ、東京圏の方はこの「田園バロック」シリーズを逃す手はないでしょう。
by Sonnenfleck | 2009-01-26 08:57 | 演奏会聴き語り

室内で妄想するクリスマス・コンサート

23日のカメラータ・ムジカーレさんのクリスマス・コンサートにどうしても行きたかったのです。
しかし、どうしても頭痛がする。病気の治りかけに横浜の先っちょまで電車を乗り継いでいく自信がない。正確に言えば、翌日以降の仕事に差し障りなく体調を持っていく自信がない。
しがない奉公人だしね。さっぱり諦めました。食っていくの大事だもん。

プログラムはこんな感じで、自分にとってさえ思い出深い、大切な作品たちばかり。
聴き手は合奏の喜びのおこぼれに与るようなものです。
【2008年12月23日(火) 横浜市開港記念会館】
●バッハ:ObとVnのための協奏曲ハ短調 BWV1060R
●バッハ:Cem協奏曲ホ長調 BWV1053
●テレマン:RecとFlのための協奏曲ホ短調
●クープラン:コンセール第8番《劇場風》
●コレッリ:合奏協奏曲ト短調 op.6-8 《クリスマス》
普段ここで「N響さん」とは書かないように、演奏団体名には敬称をつけないことにしているんだけど、かの団体は自分の音楽的大先輩に当たるので、呼び捨ては回避される。
これまでにも聴くチャンスはあったのですが、未だ達せられずです。待て次回。

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仕方なく夕食後自室に篭もり、手持ちのCDたちによってこれを再現する。

【2008年12月23日(火)20:00~ 自室】
バッハ:ObとVnのための協奏曲ハ短調 BWV1060R
→ヴェスターマン(Ob)+ウティガー(Vn)/カメラータ・ケルン(DHM)
~さっぱりとした身なりの快活な演奏。ハ短調って爽快な調だよね。

バッハ:Cem協奏曲ホ長調 BWV1053
→エガー(Cem)+マンゼ/アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(HMF)
~快刀乱麻、みたいな印象はすぐに裏切られる。インティメイトで温かい。

テレマン:RecとFlのための協奏曲ホ短調
→ブリュッヘン(Rec)+ヴェスター(Ft)+リュウ/アムステルダム室内管(TELDEC)
~打って変わって強烈な嵐の音楽。第4楽章のブリュッヘンの雄叫びは今聴いても怖い。

○休憩10分 ホットコーヒー

クープラン:コンセール第8番《劇場風》
→センペ/カプリッチョ・ストラヴァガンテ(naive)
~ちょっと反則だけどセンペ編曲版で。幸福が匂い立つようなひととき。
  デヴェルティスマンⅡの華やかな優しさの前にはすべてを投げ出してしまいたくなる。

コレッリ:合奏協奏曲ト短調 op.6-8 《クリスマス》
→イ・ムジチ合奏団 ※1991年録音(PHILIPS)
~クリコンについては実はイ・ムジチを好む守旧派だったりします。
  この曲は穏やかなアーティキュレーションで聴きたいんだもん。。

○終演、就寝。
by Sonnenfleck | 2008-12-26 06:37 | パンケーキ(18)

5時からダラバコ。

c0060659_718828.jpg【Stradivarius/STR 33740】
<エヴァリスト・ダッラーバコ>
●Vnと通奏低音のためのソナタ op.1から
●2本のVnと通奏低音のためのソナタ op.3から
⇒ジョルジョ・サッソ/インシエメ・ストルメンターレ・ディ・ローマ

ダッラーバコです。
エヴァリスト・ダッラーバコ Evaristo Dall'Abaco です。
俺はトリオソナタ・マニアだぜ、とか、イタリア半島の17~18世紀ならあたしの右に出る者はいない、とか、そういう趣味の方以外にはまず知られていない名前じゃないでしょうか。僕自身、かつて手軽なトリオソナタの楽譜を探す過程で彼のおかしな名前に引っかかったにすぎないわけですから。
トレッリの弟子としてヴェローナに学び、長じてバイエルン選帝侯の宮廷楽長に上り詰めたという、典型的な18世紀のイタリア人音楽家。このCDに収録された作品1と作品3でよくわかるように、作風はモロにコレッリライク…のように一旦は聴こえます。

しかし、どうも落ち着かない。
これは、ソナタ・ダ・キエザとソナタ・ダ・カメラが融合した、統一感のない楽章構成に端を発しているのか?作品1-5 ト短調なんか第3楽章まではきれいな教会ソナタなのに(きれいと言っても記号上の話だけど)、第4楽章にいきなりジーガが置いてあるというオチです。聴いてて非常にびっくりした。
この破綻の予兆のようなものは当然、曲調にも表れていて、作品3-12 イ長調のように軽薄なノリがあちこちに出現している。第2楽章アレマンダ・アレグロのテキトーなノリ!どうなんでしょうこれは!コレッリ風の重々しい多幸感から逃れようとして、ダッラーバコは高田純次みたいな快楽主義へと遷移していったようです(ときどきフッ...とシリアスに戻るのもそれらしい)。きっとこれは弾いていて楽しいだろうなあと思われる。

ただしここで取り上げたCDの演奏は…よく言えばクール、悪く言えば釣り目、かな。
もっと享楽的なアンサンブルで聴いたら面白みは倍増するかもしれません。
by Sonnenfleck | 2008-01-24 07:24 | パンケーキ(18)