タグ:デュトワ ( 4 ) タグの人気記事

デュトワ/N響の "Kékszakállú" 第1715回定期@NHKホール(12/10)

デュトワがN響に客演しに来るのは毎年12月に固定されてしまっているが、僕の本業は12月からピークを迎え始めてしばしば土日も潰れるので、だいたい毎年聴きに行けてない。今年は幸運です。

+ + +
c0060659_2273479.jpg

【2011年12月10日(土) 15:00~ NHKホール】
●ブラームス:Vn協奏曲ニ長調 op.77
→リサ・バティアシュヴィリ(Vn)
●バルトーク:《青ひげ公の城》op.11
→バリント・ザボ(Br/青ひげ)
 アンドレア・メラース(MS/ユディット)
⇒シャルル・デュトワ/NHK交響楽団


で。当然ながら週日の疲れが出て眠くなる。コンディションは悪い。

なので、偉そうなことは全然言えないんですけどもね。あちこちで人気のこのソリスト、少なくともブラームスでは、生硬な節回しに変化のない音色、ごぼうの固い水煮みたいで、演奏は全然好みじゃなかったんだよなあ。ブラームスのコンチェルトはもっと豊饒で贅沢な音楽として捉えたいのが、僕の正直な気持ち。

ブラヴォも飛んでたし、ネット上の感想も上々なので、きっと僕が彼女の良さを感じ取れなかったのが悪いんでしょう。しかしこういうキャラクタなら浪漫作品じゃなく、ディーリアスかバルトーク、ストラヴィンスキーのコンチェルトでも聴いてみたいものです。

+ + +

まったくこれじゃいかんと、休憩中に3階自販機でリアルゴールド120円を買い求め、ぐいと飲む。NHKホールならではです。

《青ひげ公の城》を生で聴けるのはこれが初めての機会であったために、この2週間ほど一生懸命に予習をした。朝一番から通勤電車で青ひげ。残業帰りにヘロヘロになっても青ひげ。不吉のきわみだよなあ。

その予習に使っていたケルテス/ロンドン響の演奏と比べて、デュトワ/N響の演奏では優雅さ・流麗さが非常に際立つ格好となっていたのが面白い。ほとんど「反表現主義的」と言ってもいいくらいだろう。
冒頭の東方風音響の柔らかさから違いを認識させられ、その後はパッセージ同士がぬるぬると連結して豊かに流れていく(先日のマーラーとは正反対の作り方と言える)。第5の扉、ハ調の爆発なんか《妖精の園》かよっていうくらい肯定的な響きだったし、第6の扉から第7の扉に掛けて、つまり音楽がもっとも妖しく光る局面においても、響きは乾燥しない。血は干からびず、前妻たちも生きている。

それに輪を掛けて素晴らしかったのが、青ひげを歌ったバリント・ザボと、ユディットを歌ったアンドレア・メラース。
ナチュラルなアーティキュレーションで、しかし(ここが重要だが)デュトワのつくる柔らかい地を生かして、彼らはちゃんと表現主義的な鮮烈な歌唱を行ない、強烈な図を提供していたのであった。ザボの苦悩の混じった声、メラースのヒステリックな声がやがて催眠に掛かったように沈んでいく有り様。

+ + +

演奏会がはねて原宿駅に向かって歩いていると、代々木競技場の第2体育館の上に巨大な満月が昇っていた。その夜、月は欠けて赤く光る。
by Sonnenfleck | 2011-12-13 22:12 | 演奏会聴き語り

デュトワ/N響の "Tausend" 第1715回定期@NHKホール(12/3)

c0060659_21461930.jpg
【2011年12月3日(土) 18:00~ NHKホール】
●マーラー:交響曲第8番変ホ長調
→エリン・ウォール(S)、中嶋彰子(S)、天羽明惠(S)
 イヴォンヌ・ナエフ(A)、スザンネ・シェーファー(A)
 ジョン・ヴィラーズ(T)、青山貴(Br)、ジョナサン・レマル(Bs)
→東京混声合唱団、NHK東京児童合唱団
⇒シャルル・デュトワ/NHK交響楽団


デュトワが造形した第一部は、日本での第8演奏史上、もっとも個性的な部類に入るものではなかったかと考える。音楽が自律的前進に、音楽家のほうで制限をかけたという意味で。あるいはこの作品で、ちゃんと「表現した」という意味で。

+ + +

マーラーのこの交響曲に魅入られてまだ三四年程度ではあるけど、僕が聴いてきた指揮者はすべて、この夜のデュトワのようではなかった。
ことに、第一部はよほどのことがないかぎりは、曲自体の重みで豪華客船のように前進していくものだと思っていたんだよね。それ以外の在り方があるとは全然考えていなかった僕の眼前に広がったのは、異形の「流れない」演奏であった。

夏くらいにウェブラジオで聴いたダニエレ・ガッティ/フランス国立管の第8もずいぶん「流れない」演奏だったが、あっちが曲に多量の水とき片栗粉を入れただけだったのに対し(それはもうでろでろ)、デュトワはもうちょっと老獪である。

彼が取り組んだのは、執拗とも言える「響きのバリケードづくり」。
陶酔的なレガートのかわりにクリスプなスタッカートを全面的に適用した結果、余計な水気が蒸発。楽句は裸になって、パーツ同士が一瞬で縦方向に組み上がり、マーラーが元来この曲に与えたであろう立体感が自然に現れる。このバリケードが邪魔をして、温暖湿潤な流れはすっかり犠牲になったが、そのかわり得られた新鮮な響きといったら!この曲にはこんなに豊かな表情がつく余地があったんだね。
(※ネット上では、このマーラーの不思議な感触の理由をNHKホールのデッドな音響だけに求めるレヴューも目立つが、自分はそうは思わない。デュトワが元からトゥッティを強烈に締め上げて、楽天的ぶよぶよを排除した結果だと思うんだ。)

+ + +

さて、これでは大方の千人ファンはぷんぷん怒ってしまうんじゃないかと思ったんだけど、第二部は清純系「フツー千人」への見事な転身をやってのけるのが心憎い(テノールだけ妙に不純で残念でした)。やっぱりデュトワの独墺レパートリーって独特の魅力があって面白いよねえ。
by Sonnenfleck | 2011-12-05 22:12 | 演奏会聴き語り

デュトワ/N響 2010横浜定期@みなとみらい(12/18)

c0060659_10434174.jpg【2010年12月18日(土)14:00~ 横浜みなとみらいホール】
●ラヴェル:Pf協奏曲ト長調
 ○ブーレーズ:《12のノタシオン》~I, IV, V, II
→ピエール・ロラン・エマール(Pf)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調 op.65
⇒シャルル・デュトワ/NHK交響楽団


冬晴れの
土曜の午後の
横浜の
こんなところで 聴く曲じゃない

それはさておき(ああ)

タコ8。自分が生で聴いたN響の中では、ブロムシュテットの《グレート》以来のスマッシュヒットだった。それはオケ内の志向がばらばらにならず、きちんと意思統一が図られているという意味で。ミスの多寡はあまり問題ではない。

デュトワのショスタコーヴィチ、面白いんだね!特にそれを、第3楽章の拍の取り方に強く感じた。
ショスタコの中でもとりわけ深刻で重たい第8交響曲を取り上げるなんてのは、まずだいたいがロシア系の指揮者たちである。
彼らにもさまざまなタイプがあるから十把ひとからげにはできないが、中期ショスタコの急速楽章に限れば、小節の中を絨毯爆撃していくような「踏みしめ型」のリズム把握がほとんどだろう。非ロシア系でこの曲をレパートリーにするハイティンクやベルグルンドも、やはり同じタイプ(プレヴィンとショルティは聴いたことがないのでコメントできないのですが)。

ところがデュトワはね。違ったんだな。
Vaから始まるリズム[タ・タ・タ・タ│タ・タ・タ・タ│タ・タ・タ・タ]というのがこの楽章の「踏みしめ」だとすると、デュトワがやったのはタタタタタタタタタというような「跳ね飛ばし」(したがってそのぶん、聴感上の速さは著しい)。これは古楽では当然の拍取り方法だけども、ショスタコーヴィチでこういったのを聴くと胸が熱くなっちゃうよね。このスピードではトロンボーンとテューバは死んでしまうなあと思ったら、皆さん顔を紫色に染めながらも拍を崩さない。ここで拍が崩れなければ、デュトワの意思は実現されきったと言っても良いと思われた。まるで《ミューズの神を率いるアポロ》を聴いているかのようだった。ほんとだよ。

こうした拍取りに基づく演奏様式は、この日の演奏の急速な部分においては至るところで見つけることができたし、さらにじっくり聴けば、緩徐な部分でも見つけられそうであった。ショスタコ演奏でもこういったことができるのだということに驚くのと同時に、なぜ誰もこうした様式を用いたがらないのか、たいへん不思議に感じたのである。
今のところ、このようなスタイルのショスタコーヴィチを聴いたことはあまりないし(ティエリー・フィッシャーは比較的近かった)、もしデュトワがこのスタイルでぶれずに録音してったりしたら、ショスタコ演奏史に残る交響曲全集ができるだろう。あるいはリムスキー=コルサコフまで来ているインマゼールが、反対側からトンネルを掘り進めてきているのかもしれないが。。

リズムの話ばかりしてきたが、デュトワのハーモニーの感覚も、ショスタコにおいては新鮮な結果をもたらしている。
第1楽章では、濁りながらも黒光りするツヤあり感がプーランク(シリアス時)を思わせたし、第2楽章は野蛮のポーズとべちゃべちゃとしたテヌート(もちろんこれはわざとだよね)とが相まって、お腹をこわしたオネゲルのような趣き。第4楽章は冷たく湿ったブリテン風。第5楽章《ペトルーシュカ》の、謝肉祭の市場そのまま。
ロシア系の指揮者たちがつくる生真面目な第8とは一線を画すカラフルな様相、お見事としか言いようがない。

加えて、オケの状態も悪くなかった。いや、正確に書くならば「優6割、良3割、可と不可で1割」くらいのブレンド具合なのかな。いつもは「良」の割合が非常に高いN様ですが、今回は「優」が多くて素敵。池田さんのコーラングレがMVP、そしてVaVcKbと打楽器の皆さんの充実が著しかったでした。

+ + +

前半のラヴェル。いや、よかったよ。エマールもアンコール弾いてくれたしね。でもちょっと変な演奏だったような気がするぞよ。

第1楽章の鈍いアンサンブルにはガッカリさせられたが(どうしたことでしょうか)、第2楽章から急に立ち直って、そして第3楽章が来た。
相変わらずの美しさを放射する前の楽章との落差をつけるために、この両手協奏曲の最後の楽章では、不真面目なアーティキュレーションを多めに盛り付けて、はじけてしまうことが多いと思うんですよ。
ところが、この日の演奏は最後まで抑制が強く効き、箱庭的な停滞感が漂っている。箱庭の完成度が極めて高いために、音楽として展開していくことすら箱庭の中に組み込まれていて、内にしか向かっていないことを気づかせない。鉄道ジオラマの登場人物は、自分たちが模型の中にいるのだと、目の前を走る電車が同じところを回っているだけだと、そういうことに気がつくのだろうか。みたいな怖さ。

アンコールはブーレーズのノタシオンから数曲。前に進む音楽。収穫したての野菜のようにしゃきしゃきと瑞々しく、甘い。
by Sonnenfleck | 2010-12-19 10:56 | 演奏会聴き語り

朝からルーセル。

c0060659_7152248.jpg「からるー」の部分が発音しにくいな。
今週はどうも疲れの抜けない一週間であったです。

そんな土曜の朝から何を聴いているかというと、デュトワ/パリ管《バッカスとアリアーヌ》なのであります。
「バカアリ」には幾多の名盤がどどどんと聳えていて、優れて健康的な交響曲全集を残したさすがのデュトワも、この曲の録音においてはちょいと目立たない存在。検索してみても、どうやら8年前に発売されたULTIMAシリーズを最後に現役盤は出ていない。

このバレエ音楽についてはそれほど多くの聴き比べをしているわけではないんですが、いざ「バカアリ聴きTEEEEEEE」と感じたときに、なんでクリュイタンスでもマルティノンでもなく、比較的目立たないデュトワの演奏に手が伸びるのかなあと思うわけですね。

おそらく、この演奏に魅力を感じ取るとすれば、ルーセルの書いた管弦楽の独特の柔らかみがストレートに刻印されている点に尽きるんじゃないかと。打楽器や金管が突出することもないし、第2幕の終盤でガツガツすることもなく、デュトワが最低限のリズムを確実に整えた上にパリ管のふんわりとした響きが乗っかっている。微温的だと言われると…ううむ…反論できないところはありますが、マルティノンが刺激的なスパークをあちこちにちりばめているのとは対照的に、この穏やかさはやっぱり捨てがたいのですよ。

で、2005年に録音されたエッシェンバッハ/パリ管の演奏は、第3の方向として「エロまっしぐら!」なのではないかと思われますが^^;; 聴かれた方、いかがでしたか?
by Sonnenfleck | 2007-05-26 08:08 | パンケーキ(20)