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さらば柿の木

このブログで何度か書いてきた、隣家の庭の巨大な柿の木が、この木の芽時に切り倒されてしまった。
樹高は僕の部屋のある2階の高さをゆうに超え、3階の高さと同等かそれ以上に見えていた。「柿8年」のことを思えば、あの樹高に達するまで10年や20年ではきかないのではないかと考える。夏には照り返す緑色で僕の部屋のなかを染め、秋にはたくさんの鳥が舞い降りては実をついばみ、冬にも堂々とした枝ぶりを寒空に示していた。そして春にはまた、新しい葉をつけようとしていた。

2009年4月30日 美しい4月に。
2009年11月1日 柿の午後
2009年10月18日 暮色蒼然
2012年11月10日 柿の晝

隣家の敷地には、古いアトリエのような建物と、柿の木を中心にした活力に満ちた庭が含まれていた。いまはすっかり更地なのだ。小さな一戸建てが2軒建つのだろう。そして庭のことを知らない、罪のない一家が引っ越してくるのだろう。一家には犬がいるかもしれない。犬は柿の木があった気配を感じるかもしれない。

さらば柿の木!
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by Sonnenfleck | 2014-04-12 10:22 | 日記

西瓜糖だったあの日々

c0060659_89420.jpg毎年この時期になると伝説の「ペプシ アイスキューカンバー」を思い出して感傷に浸るのですが、10年代前半も半ばが過ぎようとしているこの夏、もうちょっとだけ洗練されたウリ系飲料がコンビニの棚に並んでいました。

もともとスイカの味を好まないのにスイカの風情だけは好きなので、まずパッケージのインパクトにまず嬉しくなっちゃう。
それからキャップをぐねりと捻って液体の匂いを嗅ぐと、あの懐かしき「夏はやっぱりスイカバー」と完全に同じスイカの香りが漂ってきて、口に含んでも、喉の奥に落としても、鼻に抜けるのはノスタルジックな少年時代の思い出。そのうち山でヒグラシが鳴き始めて、庭木に水を撒いて、夕ごはんが待っている。。

いつも水っぽい「小岩井純水」シリーズなのに、なぜかここでは夏の夜のスイカ的気分をぎゅっと凝縮した素晴らしい仕上がり。純水シリーズ最高の完成度に達しているのでは。。
by Sonnenfleck | 2013-07-21 08:10 | ジャンクなんて...

ぼくのクライズラー&カンパニー

c0060659_22571266.jpg【BIS/CD-1196】
<クライスラー>
●ウィーン風狂想的幻想曲
●中国の太鼓 op.3
●蓮の国
●ジプシー奇想曲
●ファリャ/クライスラー:《はかない人生》~スペイン舞曲第1番
●グラナドス/クライスラー:スペイン舞曲
●アルベニス/クライスラー:タンゴ op.165 No.2
●ジプシーの女
●ヴィエニャフスキ/クライスラー:カプリース 変ホ長調
●道化役者のセレナード
●オーカッサンとニコレット
●ロマンティックな子守歌 op.9
●ドヴォルザーク/クライスラー:スラヴ舞曲第2番 op.46 No.2
●同:スラヴ舞曲第16番 op.72 No.8
●同:スラヴ幻想曲
●愛の悲しみ
●愛の喜び
●ウィーン奇想曲 op.2
レオニダス・カヴァコス(Vn)+ペーテル・ナジ(Pf)

僕がクラシック音楽について初めて「これはクラシック音楽のようであるぞよ」と認識したのは、たぶん、葉加瀬太郎が率いていた「クライズラー&カンパニー」が編曲演奏するクライスラーの曲たちを子ども時代に聴いたときなのである。だからいま、葉加瀬太郎がどんなに脂ぎった太めのおっさんに変容していたとしても、彼への感謝の念が薄れることはない。

やがてクラシックへの傾倒が強まるにつれ、ご多分に漏れずそうしたものを小バカにし始めた僕は、それから後、クライスラーの小品を集めたCDを1枚も持たないで暮らしてきた。でもいま一度立ち返ってみる。

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以前も書きましたが、現役最強のヴァイオリニストはテツラフとカヴァコスだと思っています(2人は1歳違いなのよ)。抜群の切れ味を誇る最新鋭の超硬工具のようなテツラフに対して、カヴァコスはまったくその逆、20世紀前半の西欧のヴァイオリニストのように艶やかで乾いた貴族趣味を感じさす気品ある唄い口が魅力。

どの曲がどんな演奏で、という感想文はこうした音盤には似合わないだろうから、カヴァコスの銀線のように細身の美音によって織り上げられていく総体の印象を愉しむのがよい。ウィーンのお澄ましからスペインに旅し、そこからひらりと翻って後半のスラブ趣味から、最後はまたウィーンに回帰していく、この章立て。しかしそれでも、スペイン=アラブ風味が5曲続く地区ではカヴァコスのボウイングが特に冴えて、伊達な仕上がりが聴かれるようには思うんですけどね。

このディスクはカヴァコスのディスコグラフィの比較的初期に録音されたものだと思うんだけど(ジャケットのセンスもどこか冴えない)、クライスラーがたくさん作った例の擬バロック様式の作品がチョイスから漏れているのが面白い。ヨーロッパの空間を自在に移動するアルバムに、時間の軸を導入しないことによってコンセプトをくっきりさせる。洒落ていますよね。

やっぱり買ってよかったな。小さめの音で、よく晴れた土曜日の朝に聴きたい。
by Sonnenfleck | 2013-05-28 22:58 | パンケーキ(20)

梅香幻譚

c0060659_2351846.jpg琴線に触れるものが半年に一度くらいしか出てこないのが残念ですが、このカテゴリはまだ続けてます。

アサヒ飲料から出た「三ツ矢梅」。三ツ矢サイダーブランドの梅風味。…情緒的じゃない説明はこれ以上は難しくて、直球勝負のネーミングにもそれが現れているよね(笑)

で、何が好いかというと、後味がたいへん美しいんだな。
後味が「美味しい」じゃなく「美しい」と書くのはなぜかというと、飲み口を顔に持ってきて最初に梅香がしたあと、口に含んで喉に落とし、最後にふわりと漂ってくるのが翳のあるというか隠微なというか、ともかく昏い後味だからなのである。この後味は、昔、祖母が青梅をホワイトリカーに漬けて保管していた実家の仏間を想起させるほど昏い。北側のひんやりとした部屋だった。
by Sonnenfleck | 2013-03-27 23:06 | ジャンクなんて...

ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー|二人の写真家@夜の横浜美術館(3/9)

c0060659_19472216.jpg2月、たまたまNHKスペシャル「運命の一枚~"戦場"写真 最大の謎に挑む~」を見た。僕は不勉強で知らなかったのだけれど、「もっとも偉大な戦場カメラマン」と呼ばれた男、ロバート・キャパが撮影した一枚の古い写真に関するドキュメンタリーだった。

番組では、キャパが1936年にスペイン内戦で撮影した《セロ・ムリアーノ付近、コルドバ戦線(崩れ落ちる兵士)》Wikipedia)という有名な一枚が、実はキャパではなく、キャパに同行していたゲルダ・タローの撮影した写真ではなかったか、という説を作家の沢木耕太郎氏が紹介していた。
タローは世界初の女性戦場カメラマンで、キャパの3歳年上で、師匠で、ライバルで、恋人で、そして27歳でスペイン内戦を取材中に戦車に轢かれて命を落とした。《崩れ落ちる兵士》は、恋人を成功へ導こうとしたタローがキャパの名前で発表した「完璧すぎる」戦場写真だった。

タローの死後、キャパは命を省みないほど戦場の最前線を転々とし、圧倒的な写真を何枚も撮影し、最後はインドシナで地雷を踏んで爆死した。番組を見るかぎり、キャパはタローのあとを追って死ぬために生きていたかもしれなかった。

+ + +

そのキャパとタローの大規模な回顧展が横浜美術館で開催中なのです。
僕はたまたま美術館のサイトで発見した「夜の美術館でアートクルーズ」というイベントに申し込むことにして、なんとか限定30名の枠に滑り込むことに成功した。4,000円支払うかわりに、担当キュレーターの解説を聞きながら閉館後の美術館を楽しめる好企画(私立の美術館はもっとこういうのやってほしい)

当日の参加者は基本的にオヒトリサマが多くて快適。上は70歳くらいのじいさまから、下は僕と同世代くらいの数名。女性の比率がかなり高めだったのは興味深かったし、お互いに全然干渉しないのも好かった。
基本的に担当キュレーター氏の解説をレシーバで聞きながらついて回るんだけど、別に離れて別の写真を見ていても構わない。あまり離れすぎると別の職員さんがやんわりと流れに戻るように促す。

1 タローの個展
本展が面白いのは、タローの写真とキャパの写真が完全にそれぞれ別の部屋で構成されていること。キュレーター氏によると、本展の企画段階では厖大なキャパの写真に混ぜてタローの写真を展示する案もあったらしいんだけど、タローの写真を管理する団体(?)から「タローをキャパの飾りにはしないでほしい」という要請があり、議論のうえでこうした構成にしたのだとか(メモを取らなかったので間違ってるかもしれません)

タローの作品はもちろん、彼女が27歳までしか生きられなかったことを考えなければならない。成熟していくキャパの写真と同列に扱うことはできない。
それでも。それでも、そのことをタローの個性と見なしてよいのであれば。タローの写真は対象の像を画面の中心に納める安定的な構図が多いようだった。

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《海岸で訓練中の共和国軍女性兵士、バルセロナ郊外》(1936年8月)

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《戦艦ハイメ1世で楽器を弾く海兵たち、アルメリア》(1937年2月)

そしてその戒律は下の作品のように緊迫した状況でさえ守られた。
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《共和国軍兵士たち、ラ・グランフエラ、コルドバ戦線》(1937年6月)

タローがもし、スペイン内戦を生き抜いてカメラマンとして成長したら、どんな写真を撮ることになったのだろうか。それは誰にもわからない。

2 キャパの個展
実はタローと同じころにスペイン内戦を撮影したキャパの写真は、「戦場のドキュメントとしては」あまり目立たないんである。これが今回わかったタローとキャパのいちばんの違い。タローの写真からは土煙や血の臭いが漂ってきそうなのに。

それでもキャパの部屋を見て歩きながら、少なからぬ枚数の「知っている」写真が展示されていたのには驚いた。タローの死後、キャパは変わったのかもしれない。彼は戦場で戦闘を撮影するんではなく、人間を撮影することに決めたようだった。

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《難民の少女、バルセロナ》(1939年1月)

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《20人の少年パルチザンの葬儀、ナポリ》(1943年10月)

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《Dデイ、オマハ・ビーチ、ノルマンディー海岸》(1944年6月)

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《ドイツ兵との間にもうけた赤ん坊を抱いて家に帰る若い女性、シャルトル、フランス》(1944年8月)

キャパの写真は、キャパという人物の成長に伴ってどんどん決定的なものになっていった。技術的にも、対象の「重大性」という面でも。タローという人物が1937年のスペインに永遠に留まっているのとは対照的です。
でもそれゆえに、タローから離れていく自分が疎ましかったのかもしれない。キャパがあれほど真実に肉薄する写真を撮り続けられたのは、彼が命を惜しいと思わなかったから、という説もあるそうだ。

藝術として写真を見る方法を僕は知らないけれど、参考として展示されていたカルティエ=ブレッソンの美しい写真と、キャパの写真(および、タローの写真)とは、根本から何かが違うようなのだった。その違いを静かに観測した。

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この後、みなとみらい駅から東急東横線の急行に乗って、終点・渋谷駅のホームと大改札の姿を目に焼き付けたことを記しておく。さようなら僕の青春の渋谷駅。
by Sonnenfleck | 2013-03-17 19:52 | 展覧会探検隊

ヱヴァンゲリヲン:Q 感想文

c0060659_2213593.jpgネタバレするので、ご注意ください。

続き
by Sonnenfleck | 2012-11-18 00:26 | 日記

館長 庵野秀明 特撮博物館|ミニチュアで見る昭和平成の技@東京都現代美術館(9/5)

c0060659_9285248.jpg毎夏恒例となった都現美の日テレ系展覧会ですが、今年のはちょっと雰囲気が違ってるので出かけてみた。相変わらずの残暑なれば、木場駅からの徒歩でなく、少しでも木陰のある清澄白河駅から。

いやー。会場に足を踏み入れてみて驚くのは、平日の正午過ぎというのになかなかの人出だということ。おっさんお一人様から若いカップル、ヲタ風青年グループまで客層も厚い。夏休み中はさぞ混雑していたことだろう。
(※しかし聞くところによれば、むしろ会期末のほうが、入場制限が行なわれるほどの大混雑だったとか。)

+ + +

いくつかの細かいコーナーに分かれてはいるものの、本展は前半のソフトウェア編と、後半のハードウェア編に大別されるように思われた。

ソフトウェア編は、自分の世代にとっては(って拡げて拙いんであれば、僕にとっては)正直言って退屈である。知らないメカの模型が所狭しと並んでいても、特に感慨はない。ただ、60年代から70年代に子ども時代を過ごした方たちにとっては汲めども尽きぬ懐古の泉なのだろうということは、十分理解する。周囲のおっさんたちの目の輝きはなかなかであった。
(※アイテムたちが発する独特の熱い進歩主義、そしてそのデザインは、共産趣味者の琴線に触れなくはないので、その視座から眺めればよかったかもしれない。モスクワ大学の尖塔すげーよ!という興奮とたぶんあんま変わらないもの。)

+ + +

ところがハードウェア編になるとすぐ、不思議な熱狂に誘われる。
熱狂の入り口にあるのが、本展のために制作された特撮短編映画「巨神兵東京に現わる」のハイクラスな幻想世界であることは言うまでもない。実は日本の特撮の技術はCGの隆盛によりもはや消滅寸前らしいのだが、この短編はCGを一切使用せず全編特撮でいこうという哲学の下で制作された、まさに特撮の「博物館」と(または「墓標」と…)呼ぶにふさわしい作品なんである。

ストーリーは、あってないようなもの。『風の谷のナウシカ』原作に登場する「腐ってやがらない」完全体の巨神兵が、東京を破壊し尽くす様子を描く。一人称の女性(CV:林原めぐみ)が、舞城王太郎のテキストを淡々と読み上げていく。巨神兵は東京を焼く。特撮らしいところもあり、CGにしか見えないところもあり。

そして、上映部屋のすぐ隣に配置された「メイキング」部屋が、このハードウェア編の胆である。あれはこのように動かした、爆発させた、崩壊させた、というものがたりがするするっと解体されていく様子は、まさしく上質なエンタメ。メイキング映像を見ながら観覧者がみんなで笑ったり頷いたりする一体感も新鮮だ。

最後のコーナーでは、観覧者は実際に組まれた特撮セットのなかに出入りしながら、自由にジオラマを撮影できる。これもまた上質なエンタメ。
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↑西荻窪駅のカットはわれながらなかなか上手くいった!

物販コーナーの充実ぶりにはただ驚愕。ソフトウェア編に登場した懐かし作品のソフトウェアがずらりと並んで、しかもそれが飛ぶように売れているのだな。今や財を成した子どもたち。
最後に巨神兵のミニフィギュアのガシャポンを楽しむことができるのも楽しく、僕も3種中2種をゲットして嬉。美術展というよりも体感型アトラクションに近い感興が得られるからこその、「博物館」なのである。
by Sonnenfleck | 2012-10-13 09:38 | 展覧会探検隊

平野政吉美術館で藤田嗣治の超大作《秋田の行事》を見る(9/22)

藤田嗣治と秋田県のゆかりについては、美術ファンのなかでもご存知でない方が多いのではないかと思う。乳白色のFoujitaと、《アッツ島玉砕》の藤田と、その間にある彼の変遷を知るのに、フジタの秋田滞在に関して知ることは不可欠なのです。

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秋田市に、大素封家にして美術コレクター・平野政吉というひとがいた。
彼がフジタと知り合った経緯は定かではないけれども、平野が夢見ていた秋田での私設美術館設立に、フジタは強く共鳴した。それは、帰国したフジタの野心や啓蒙心のためかもしれないし、フジタがパリから連れてきた愛人マドレーヌの葬儀費用を、平野が工面してあげたからかもしれませんね。

フジタは滞欧末期、北南米を訪問してその色彩溢れる文物に魅了され、そのムードに浸ったまま海路日本へ帰国する。帰国してから従軍画家になるまで、つまりフジタの1930年代には「色彩と活気の時代」のような時期があったのだが、平野はフジタが30年代に描きためていたそうした作品を次々と購入してゆく。僕たちが知らない土俗的なフジタ作品が秋田にたくさんある理由が、これです。

フジタはやがて、平野家の米蔵に滞在しながら平野の委嘱作に没頭する。平野が委嘱したのは、やがて完成する彼の美術館の存在意義とイコールになるような巨大な壁画―それがいま、平野政吉美術館=秋田県立美術館の壁に掛かる超大作《秋田の行事》なのだ。ずいぶん久しぶりの再会。

+ + +

僕が最後にこの巨大な作品を見たのはおそらく小学校低学年のころでないかと思うのですが、実はあまり記憶にない。しかしそれもそのはずで、20年後のいまでさえ、あの巨きさを認識するのに少し苦労するのだから、当時の視覚把握能力ではまったく絵画として認識できなかったのだろう。

《秋田の行事》は縦3m65cm横はなんと20m50cmという途方もない空間を恣にして描かれた作品である。僕はこんなに巨きな絵画を他に見たことがない。どれくらい大きいか、美術館のサイトは貧弱で情報が何もないので、写真が入った北海道新聞の記事をリンクしておきますからぜひご覧ください

《秋田の行事》(1937年)
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(C)ADAGP,Paris & SPDA,Tokyo,2011

画面の構成は大きく二つに分けられる。右3分の2が秋田市内の有名な三つの祭り(竿燈、太平山三吉神社の梵天奉納、日吉八幡神社の山王祭)の並列的描写、左3分の1が積雪した冬期の秋田の風俗である。
それらを分割するのが「香爐木橋(こうろぎばし)」という木製の橋で、画面奥の小高い部分に向かって伸びているが、伸びていく先はあえて描かれていない(「香爐木橋」は実在していて、僕の小学生時代はこの近辺くらいまでが自転車で遊びに行ける行動範囲だった。地元では「伽羅橋(きゃらばし)」と呼ぶひとも多い)

また、全面的な積雪のため、画面の時間設定は容易に冬とわかるけれども、三つの祭りのなかに夏祭りと秋祭りが含まれることを知る秋田県民だけが、画面の時間の捻くれに気づいてゾクとするのだ。竿燈の持ち手たちはご丁寧に、雪上に足袋の足あとまで付けてアリバイ工作を図っている…!

祭りの人々と冬の人々の平面的群像描写は、彼の戦争画や、2008年に札幌で見た《争闘》とよく似ている。身体性へのこだわりはハレの局面もケの局面も関係なく、ギラギラと光っていて、もはや虚飾のように白い秋田音頭の歌い手、もがき苦しむような竿燈の持ち手、ヒロイックな秋田犬など枚挙に暇がない。

その一方で、例大祭の屋台の紅白幕や梵天の緋、竿燈の持ち手の浅葱、冬外套の渋茶、そして地面の雪に対応する空の青鉛、という色彩の舞踏も特徴的。フジタのエキゾチズムの巨大な結晶であるかもしれない。

特に僕が強力に打ちのめされたのは、秋田の冬の夕暮れの青黒い空の色が完璧に再現されてキャンバスの上に広がっていたことである。ある種の嫉妬を覚えるくらい、フジタはあの色を完全に自分の麾下に収めていた。心の中で大切にしている色彩を奪われる敗北感のようなものをフジタから感ずるとは、思ってもみなかったんである(それが秋田に収蔵されているのはせめてもの救いだ)

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来年正式に開館する新秋田県立美術館に、《秋田の行事》を含むフジタ作品は移設されることが決まっている。1967年に開館した秋田県立美術館=平野政吉美術館はやがてその役目を終えるようだが、いま《秋田の行事》が展示されている巨大な空間については、老境のフジタ自身が採光や展示スタイルにアドバイスを与えていたみたいで、なんとなく惜しいことでもある。

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↑部分開館している新美術館の2階から、現美術館を望む。新美術館もこちらはこちらで安藤忠雄らしい、スマートな建築なのだ。手前の水盤から久保田城址のお堀へと、視線が後景に導かれる。


by Sonnenfleck | 2012-10-04 06:27 | 展覧会探検隊

日本海のこと

明日は朝から所用で名古屋に出かけるので、今日は仕事を早めに切り上げて帰宅。NKHニュース9で、寝台特急「日本海」引退のニュースを知った。

鷹ノ巣駅からの中継で郷里の言葉を聴き、黒いゴム長を履いて寒さに顔を赤くした親爺の姿、そしてまたホームを滑り出ていく「日本海」のテールランプを見て、胸が張り裂けるような思いに駆られる。

―楽しいことなど何もなかった僕の高校生活のなかで、唯一と言ってもよいカラフルな思い出が、京都大阪奈良への修学旅行である。
この旅行の帰り、僕たちは「日本海」に揺られて秋田に帰った。

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+ + +

今年の3月11日、僕はすみだトリフォニーホールで、オーケストラ・ダスビダーニャの定期演奏会に臨んだ。
前半に演奏された伊福部昭の〈佞武多〉も、メインプログラム《レニングラード》の直前に設けられた14時46分の黙祷も。その第3楽章も。
「日本海」の引退を告げるニュースも。

同じように、これまでに感じたことのないほど酷い、酷い無力感と強い悲しみを僕に与える。僕は、僕の東北のために何をしたらいい。
by Sonnenfleck | 2012-03-16 22:15 | 日記

思い出A級。

c0060659_2162185.jpgその覆刻の報せを受けてより、ずっと楽しみに待っていた。懐かしい「はちみつレモン」。

10月7日の東響定期に向かう際、溜池山王駅構内のローソンで見つけ、あんまり嬉しくなって急いで買う。サントリーホールに着いてから、ホールの廊下の椅子に座って飲んでみると、ああ。昔とおんなじ砂糖とはちみつの優しい味がする。ほんとによかった。思い出を壊さないでいてくれたサントリーに大きなありがとう。

パッケージを見てるだけで、子どものころを思い出すんだよね。
ごくそっけない描線のみつばちとか、その軌跡の曲線とか。本当にあのころのままでね。昔どおりのアルミ缶だったら最強だったが、こればっかりは時代の流れだろう。それにしても…はちみつレモンを前にして自分の子ども時代を思い出しながらでは、ひねくれたことのひとつも書けない。
by Sonnenfleck | 2011-10-20 21:08 | ジャンクなんて...