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on the air:アントニーニ/イル・ジャルディーノ・アルモニコのハイドン@スロヴェニア

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【2011年9月9日 スロヴェニア・マリボル ユニオン・ホール】
●ボッケリーニ:弦楽五重奏曲ニ長調 op.40-2 G341
●ハイドン:Vc協奏曲第2番ニ長調 Hob.VIIb/2
 ○ソッリマ:インプロヴィゼーション?
→ジョヴァンニ・ソッリマ(Vc)
●ロカテッリ:合奏協奏曲変ホ長調 op.7-6《アリアンナの嘆き》
●ハイドン:交響曲第63番ハ長調 Hob.I:63《ラ・ロクスラーヌ》(第2稿)
⇒ジョヴァンニ・アントニーニ/イル・ジャルディーノ・アルモニコ
(2013年7月24日/NHK-FM)


ボッケリーニ。サヴァールの洒脱な大人ボッケリーニを知っているわれわれには、イルジャル好みに統一されたヤンキーボッケリーニはかえって格好悪いように聴こえるのだよなあ。とげとげとげ。
かねてからボッケリーニの作品は(たとえばベートーヴェンほどには)演奏者に「解釈」を許さないのではないかと思っている。魚が描いてある魯山人の絵皿にサイコロステーキを載せても仕方がないように、器に正しい料理を載せることはとても大切。

ハイドンはボッケリーニに比べて劇的に器の汎用性が増すので、アントニーニがやりたいように料理をつくっても音楽は耐えうる。
イルジャルのハイドンって初めて聴いたような気がするんだけど、溌剌とした第1協奏曲ではなく、バロックの優雅の裾を引きずった第2協奏曲で意外なマッチングを見せているのが面白い。優雅の裾の下にすね毛のいっぱい生えたごつい通奏低音を利かせているけれど、足はけっして裾から出てこないのがアントニーニの巧みさなのかも。ソッリマ(この作曲家氏の演奏実践も初めて聴いたな!)のなよっとして腰高な歌い回しを上手に支えている。

ソッリマのアンコール、NHKの番組表では「オリジナルのテーマによる変奏曲」とされていたけど、インプロヴィゼーションではないだろうか?明らかに直前のハイドンを元にした主題が上手に変奏されてた。

+ + +

さて後半。ロカテツのこの作品はちゃんと聴いたことがなかったなあ。
解説の方が話していたように、グロッソの名前を持っているくせにほとんどソロコンチェルトという詐欺みたいな曲ですが、コレッリではなく完全にヴィヴァルディに変質しているこのころのロカテッリにはイルジャル流のアプローチがよく合います。空間に溶けるようにしてぼやっと終わってしまった。ソロVnはオノフリ?

最後のハイドンは、名曲の名演奏だったと思う。
本当にここ最近、ハイドン不感症が治療される糸口が見つかり始めたんですが、ハイドンの1770年代に素材を求めることができるこの交響曲には、エマヌエル・バッハの残響がたくさんこだましているのがすぐにわかる。アントニーニ/イルジャルはもっとエマヌエル・バッハやクリスティアン・バッハをやればいいと思っている僕には、ここで示されている「チャラめな高校サッカー部員」みたいな運動能力の高いハイドンが心地よい。

それから、Vc協奏曲で感じられた「バロックの優雅の裾」の処理が、ここでも適切に行なわれているのが好ましい。第2楽章のある局面では、むしろその先のベートーヴェンの緩徐楽章にすっと繋がっていく理性の光も見える。以前よく聴いていた彼らのベートーヴェン録音(第1・第2)よりもその意味ではベートーヴェンらしい。アントニーニが少しずつ変わってきているのかな。。
by Sonnenfleck | 2013-07-25 23:11 | on the air

on the air:ペライア/ASMFのK491+BWV1058@プラハ

【2010年5月21日 ルドルフィヌム】
<「プラハの春」音楽祭2010>
●ストラヴィンスキー:《ダンバートン・オークス》
●モーツァルト:Pf協奏曲第24番ハ短調 K491
●バッハ:協奏曲ト短調 BWV1058
●ハイドン:交響曲第99番変ホ長調 Hob.I:99
 ○アンコール ハイドン:交響曲第92番ト長調 Hob.I:92~第4楽章
⇒マレイ・ペライア(Pf)/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
(2011年3月19日/Catalunya Musica)

夕食後、どうにも気持ちが塞いでしまって、こういうときは同質の原理だと思ってプレヴィン/ロンドン響の《シンフォニア・ダ・レクイエム》を聴いていたら、またぞろグラグラ。
もうやだ。しにたくない。
何かのスイッチがパタパタパタ、と入って、気がつけばカタルーニャのチャンネルにアクセスしている。いきいきとしてしかもむずかしくないおんがくがききたい。

+ + +

なんちゅうシンプルなプログラムでしょう。
《ダンバートン・オークス》が若干もっさりしているのはご愛嬌だけども、真ん中のモーツァルトとバッハの、無原罪的とでも表現すべき音楽には胸を打たれる。奇矯なものは何ひとつ見当たらなくて、クリーニングしたてでバリっと糊の効いたワイシャツに袖を通すような肌触りが心地よい。いい演奏だな、というより、いい音楽だな、一緒に演奏したいな、と思う。

それでも、1058の第2楽章の凛とした佇まいには、涙が出て仕方がない。
ペライアのタッチは格別に繊細でも特別に優しくもないのだが、一貫して、一定の速度で螺旋を描きながら上昇するような内在的なエネルギーを感じる。トゥッティにもよくそれが波及して、遠慮はないがガサツではないという親密な雰囲気。遠慮されないことの心地よさ、みたいなものが音楽全体から滲み出ている。
遠慮するのも遠慮しないのも、この音楽の間は考えなくてよいということだ。

ハイドンは「究極の平常運転」という感じ。ブリリアント変ホ長調。指揮者ペライアのあり方は彼のピアノとよく似ているようだ。計画通りに運動しているものの近くに身を寄せることができるのは、自分の巡航速度を見失っている者にとっての癒しだろうとさえ思う。

+ + +

ブログのスキンを昔に戻した。僕はオレンジ色が好きだったんだ。忘れてたよ。
by Sonnenfleck | 2011-03-19 21:39 | on the air

アーノンクール/CMW 《天地創造》@サントリーホール(10/30)

この10月30日は、奇しくも小生の誕生日でございました。台風なんどに降り込められるのは真っ平ご免、ハイドンとアーノンクールにわが創造を祝ってもらおうという傲慢も、まあ今日ぐらいは許されると思って、嵐の港区に降り立ったのであったことだよ。
風雨に曝されて芯から冷え切りながらボックスオフィスの前に並ぶこと40分、当日券とは思えないほどの良席をゲットしたのち、速やかに溜池山王方面に走ってドトールへ飛び込む。ホットココアとクロックムッシュでぬぐだまりー。

+ + +

c0060659_1232272.jpg【2010年10月30日(土) 18:00~ サントリーホール】
●ハイドン:オラトリオ《天地創造》Hob.XXI-2
→ドロテア・レッシュマン(S)
  ミヒャエル・シャーデ(T)
  フローリアン・ベッシュ(Br)
→エルヴィン・オルトナー/
  アルノルト・シェーンベルク合唱団
⇒ニコラウス・アーノンクール/
  コンツェントゥス・ムジクス・ウィーン


で、どうだったか?
音楽の神秘を、僕はなんとなく征服したつもりになっていたが、つまるところ、僕はおしゃか様の掌に寝っころがってキーボードをポチポチやっているだけで、稀におしゃか様が正体を見せると、もうダメなのよ。キーボードは木っ端微塵、四方に弾け飛んだキーを慌てて拾う手もいつしか痺れて、快感に飲み込まれてしまう。

多くは書けないが、アーノンクールは、ロ短のときのような「だまだま」まで捨て去って、とにかく静かで、ほんのりと明るい音楽を形作っていた(これが「悲観主義者の音楽」なのだとしたら、音楽は絶望のフラスコの中をゆらゆら漂うエーテルくらいの意味しか持たないな)
CMWの弦楽のコンディションが10/24の《ロ短調ミサ》に比べても格段に良く、硬質な音色の中にもどこか温かい濁りが混じって、すこぶる美しい。ロ短のとき以上に見せ場が多い管楽隊は、いとも贅沢なハルモニームジークとして華やぐ。

3人のソリストは《天地創造》のためにコンディションを整えたような、そんな趣きさえ感じられる。ドロテア・レッシュマンの第3日のアリア〈いまや野は爽やかな緑を〉など、輝かしさと寛ぎが合一して、途轍もない幸福感を放射していたなあ。
ここでまず、緑がざくざくと芽吹く様子を描写するCMWの音色にやられる。

それで、第4日に太陽・月・星が生まれる情景が描写されるのだけれども、あそこで奏でられた音楽の至高の神秘を、いったいどのように言葉にしたらよいのか、今の僕にはわからない。
甘美な多幸感によって身体が内側から張り裂けるような、苦しいような切ないような、なんだかよくわからないけれど猛烈な体験だった。こんな感覚がハイドンによって届けられたのは、僕にとってはとても意外な出来事なのだけれども、こんなことはきっと、一生に何度もない。

+ + +

台風のために気の乗らないお客が来なかったためか、マジな音楽好きで満たされたホール内は、6割の入場という実績以上の熱気であった。この日の聴衆とあの音楽を共有できたこと、これも幸せ。長蛇の列になったサイン会も、みんな幸せな顔。なお、間近で見るアーノンクールの目は本当に深かった。

しかしな。この《天地創造》で、ついにハイドンの偉大さに叩きのめされたわな。
ここにはヘンデルを通じて流れ込んできたアレッサンドロ・スカルラッティやコレッリの音楽があり、逆にここからベートーヴェンを通ってシューマンくらいまでは優に到達しうる、音楽史的な幅が観測される。アーノンクールもプログラムで語っているけれども、これがハイドンのアルファであり、オメガなのだろな。この公演に足を運ばなければ、ついに気がつかずに生涯を終えていたかも知れん。

これから、最終公演@オペラシティに出かけてきます。
by Sonnenfleck | 2010-11-03 12:49 | 演奏会聴き語り

岬のところ(11/7)

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出張でオホーツク海沿岸部に行くことになり、前日入りして「能取岬」に向かう。

能取岬(のとろみさき)は網走市の北約10キロにある突端部で、オホーツク海に突き出していることから流氷の季節には賑わうらしいが、晩秋にあっては人影もまばら。しかし僕の到着した15時にはすでに太陽が沈まんとしていて、辺り一面が金色に染まり、死んだように美しい光景が広がっていたのだった。
ボボボ...という漁船のエンジン音以外には何も聴こえない。風の音もない。

これで本当に無音だったならば何やら世をはかなんでしまう局面だけど、幸いにしてカーステレオから札響のライヴが聴こえてきたために助けられる。この10月にゲルハルト・ボッセが客演した定期演奏会がオンエアされていて、特に《時計》の引き締まったフォルムにはすっかり驚かされたな(ベト7は残念だけどオケにとってオーバースペック気味だった)。
もちろん、次に何が飛び出してくるかわからないスリリングさも今や極めて重要だけれども、一方で古典派をフォルムのみで聴かすのはかなり難しいと見えて、こちらはライヴではなかなかお目にかかることはない。
北海道内だけの放送ということだけど、もったいないね。

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間もなく雪に閉ざされるだろう。
by Sonnenfleck | 2009-11-09 18:43 | 絵日記

ブリュッヘン/新日フィル ハイドン・プロジェクト 94→98→97

c0060659_73537.jpg【2009年2月15日(日) 15:00~ すみだトリフォニーホール】
●ハイドン:交響曲第94番ト長調 Hob.I-94 《驚愕》
●同:交響曲第98番変ロ長調 Hob.I-98
●同:交響曲第97番ハ長調 Hob.I-97
 ○アンコール 第98番~第4楽章
⇒フランス・ブリュッヘン/新日本フィルハーモニー交響楽団


実によかった。曲の練り上げが大変うまくいっていた。ゲネプロ時にブリュッヘンがこだわっていた箇所もちゃんと改善されてて、この日はプロジェクト中でも出色の出来だったんじゃないかと思います(残り二回行けない負け惜しみじゃないよ)。

この日の曲はしっとりとした第2楽章を持つものばかりでした。最近のブリュッヘンの好みを体感するにはうってつけであったと言えます。
最初の《驚愕》第2楽章は局所的に有名ですし、ハイドン音痴の僕もあそこの一撃に期待を込めていたんですけど、ブリュッヘンは歩みを速めてさっさと通りすぎてしまった。むしろ面白かったのはこの楽章の終結部分で、「楽しい」仕掛けで盛り上がった名残が旋律に残るところ、急に響きが色彩をなくすじゃないですか。今回はここの空虚なムードの醸成が見事としか言いようがなく、ケーキの蝋燭を吹き消した後に部屋の蛍光灯を点けるような居心地の悪さを巧妙に表現していました。あの一瞬は忘れがたい。。

ゲネプロ時、ブリュッヘンは英語だけどボソボソっとしゃべるので、彼が何を発言しているかというのはほとんど聴き取れなかったんです。でも、続く第98番第2楽章では確か「モーツァルト…」という単語が聴こえてきたのですよ。この文脈は結局謎のままですが、この楽章がどうやらハイドンにしては異例なほど(まるでモーツァルトのように!)エモーショナルな雰囲気を持っているというのは、ゲネプロで気がついたことです。ここの歌い口が実に優しく、同時に儚くてたいそうよかった。
第4楽章は渡邊氏のソロが出るまでが長い(フォルテピアノ自体は始まりからずっとトゥッティの中にいるんだけど、あの大きな編成の中ではほとんど浮かび上がってこないんですよ)。それにしても、楽章の最後へ突っ込んでいく推進力は往時のブリュッヘンそのままで、快感だったです。一番最後の渡邊氏のソロはコロコロとしてかわいらしい上に通奏低音のノリを忘れず慎ましやかで、それに先立つコンマスさんのソロのフラフラギスギスした様子とは一味も二味も違っていました。ノンヴィブラートのソロって緊張するんだろうなあ。。

休憩を挟んで、第97番の充実ぶりには驚かされました。
ほんの少しも躊躇することのない第1楽章序奏のアインザッツと、そこから開始される堂々としたステップ。いつまでも終わるようで終わらない第2楽章の夢心地。第3楽章はちょっぴり軍楽調で、それをロココな第4楽章が締める。
ゲネプロの公開部分で最も絞られていたのがこの作品でして、特に第2楽章のアーティキュレーションには何度も手が入り、旋律そのものだけでなくてフレーズとフレーズの関節部分にも細かな気配りがされておりました。1stVnから木管へ主導権が移ったり、その裏をかいてVcが浮上したり、この折り重なりが細部にわたって成立するように調整された練習の結果、驚くほど滑らかなのにきれいさっぱり脂分を落としてしまった極上の響きに。ブラヴォ。

+ + +

これにて2009年のブリュッヘン生体験はおしまい。
次は、第104番を振り終えて成田に向かうタクシーの中で「Brahms symphonies」と書かれたメモが事務局に手渡されるに一票。新日フィルならきっとやれます。
by Sonnenfleck | 2009-02-16 07:04 | 演奏会聴き語り

ブリュッヘンのプローベを見学した。

c0060659_8333044.jpg【2009年2月14日(土)10:30~ すみだトリフォニーホール】
●ハイドン:交響曲第97番ハ長調 Hob.I-97~第2、3、4楽章
●同:交響曲第98番変ロ長調 Hob.I-98
→渡邊順生(FP)
⇒フランス・ブリュッヘン/新日本フィルハーモニー交響楽団


降って湧いたような春の一日。土曜の深夜から大気の様子がおかしくて、一夜明けたら雑駁たる春の匂いが漂っておりましたもの。
今回の新日フィルのハイドン・プロジェクトでは、チケット購入者に対して該当公演のゲネプロご招待という特典が与えられています。休日に当たるのは第2回公演だけですので、いそいそと錦糸町まででかけてきました。

ブリュッヘンはチノパンに薄いブルーのストライプシャツ(背はしわしわ)。やっぱりよろよろ…っとステージに出てくるけど、顔を見ると至って元気そう。
ネタバレになってしまうので詳細は書きませんが、ブリュッヘンは少しずつ演奏させては静かに止めて、時おり歌を混ぜながら静かに指示を与えて、また演奏させる、これで細切れながらもほぼ全曲を聴くことができました。客見せ用ゲネプロって本当に全曲通してしまうケースもあるけど、今回は真実味のある練習風景でした。
前回の感想文で「『フレーズをフレーズとしてそれらしくモデリングすること』への興味をやや薄れさせている」というふうに自分は書きましたが、練習風景を眺めているとそんなことは全然なくて、散々細かな表情を付けた上でそのように聴こえるのだというのが今回の気づき。第2楽章にどれほど時間を割いているかというのがわかっただけでも収穫です(やっぱりアダージョは難しい)。ブリュッヘンがちょっと指示しただけですぐにアーティキュレーションに反映させる新日フィルのクレヴァーな反応、そしてその良好な関係にも驚いた。

+ + +

で、さらに面白かったのは、休憩中に事務局の方が語ってくれた内容。
(※内容を出すのがNGであればメールでご連絡ください。すぐに対応します。)

今回のプロジェクトはそもそも、2007年の来日時にパルテノン多摩から帰るタクシーの中で、ブリュッヘンから渡された一枚の紙が発端だそうで。その紙には(以下想像)、
The Creation
Malin Hartelius, John Mark Ainsley, David Wilson-Johnson

Fortepiano Yoshio, Yokohama

London symphonies
96, 95, - intermission - 93
94, 98, - intermission - 97
99, 100, - intermission - 101
102, 103, - intermission - 104
とだけ書いてあって、「いつかどこかでこれをやってみたかったが、自分としてはこのオーケストラとやりたい」という話をされたらしい。指揮者にこんなことを言われたら完全にKOですわなあ。以降、事務局は東奔西走してスポンサーを見つけたり、曜日配置を見たり、「Yoshio, Yokohama」さんを探し当てたりして、これを実現に漕ぎ付けたというわけ。

あと、1ヶ月にわたって東京に滞在するブリュッヘンは、知り合いのシェフがやっているイタリア料理店に行くためによく一人で銀座に消えていくそうです。さらにあるとき、楽屋に『ミシュラン・ガイド東京』が置いてあって、「東京駅に丸ナントカというのがあるだろう。なんと言うんだ」という質問があったと。渡されたメモには今度は「TOKYO 36F」とだけ書いてあって、ははあ丸ビルだねと思ったそうです。グルメじいさんなエピソードです。

さて自分は今日の公演が最終回。目に耳にしっかりと焼き付けてきます。
by Sonnenfleck | 2009-02-15 09:02 | 演奏会聴き語り

ブリュッヘン/新日フィル ハイドン・プロジェクト 96→95→93

c0060659_5594351.jpg【2009年2月11日(水) 15:00~ すみだトリフォニーホール】
●ハイドン:交響曲第96番ニ長調 Hob.I-96 《奇跡》
●同:交響曲第95番ハ短調 Hob.I-95
●同:交響曲第93番ニ長調 Hob.I-93
 ○アンコール 同曲~第4楽章
⇒フランス・ブリュッヘン/新日本フィルハーモニー交響楽団


ハ、ハイドンを集中して連続三曲聴くのがあんなに疲れるとは。ハイドン不感症ぶり、ここへきてしっかり発揮してしまいました。。その上、《天地創造》で聴かれたような透徹した空疎とそれを実現させる精密な合奏も、残念なことにこの日はかなり断片的にしか出てこず、ちょっと拍子抜けしたというのが正直な感想です。日曜の多摩公演から中二日、時間的な余裕もないし、オケに疲れが出てたのかもしれません。

以下はハイドン音痴が書くことなのでそこは差し引いていただきたいんですけど、《奇跡》はなぜかアンサンブルが荒れている上に、フレーズ感を妙に希薄にする最近のブリュッヘンの好みがずいぶん表に出てきてしまってたと思います。結果として聴き手には何も方向性が示されず、半端な印象を受けてしまった。
スタヴァンゲル響とのベートーヴェンはフレーズ感の希釈が上手くいっていたけど、ハイドンの機関は、それ自体でレールに乗っかりある程度は推進していってしまうベートーヴェンとは違い、まだ指揮者が罐に石炭を入れてやらないと進まないと思うんだよなあ。

いっぽう、たぶん今のブリュッヘンに合っているのは暗くて真面目な第95番なのですが。。
第2楽章中間部には転調して一瞬だけシューベルトみたいになる部分がありましたが、《天地創造》でてんこ盛りだった空疎感(変な表現だ)は、この日はここが最大値だったように思います。そこ以外では従来の元気な音楽づくりが急に思い出されたように浸入して来、全体的にはややどっちつかずな雰囲気がありました。ううむ。

で、最もしっかりと練り上げられていたのは、最後の第93番だったんじゃないかなあ。
練習時間が長かったのかもしれないし、休憩を挟んで一息ついたのかもしれない。団員たちの顔も締まって、オケの響きも今度は統一されている。しかしそれだけではなくて、この作品の古典的なつくりの行間に漂う浪漫の萌芽もかなりプラスの方向に働いたような気がするのです。うまく説明できないので単なる主観でしかないけど、この作品はかっこいいニックネームがある第96番よりもずっと起伏が激しく、浪漫的なオーラがある。
やはりブリュッヘンは、「フレーズをフレーズとしてそれらしくモデリングすること」への興味をやや薄れさせているようで、むしろこのように作品の内燃機関がはっきりしていると響きの醸成だけに力を注ぐことができ、結果としてよい演奏につながるんではないかと思います。

喝采に笑顔で応じるブリュッヘン。何度目かのカーテンコールの時に、オケに向かって両手でピースをしたと思ったら、よっこらしょっと指揮台に上がってしまった!慌てて第93番の譜面から第2+2楽章のページを探し出すオケ団員の皆さん。どうやら予定外だったらしいアンコールは、昔のブリュッヘンみたいな演奏でした。
by Sonnenfleck | 2009-02-12 06:23 | 演奏会聴き語り

ブリュッヘン/新日フィル 第65回多摩定期 《天地創造》

c0060659_8564822.jpg【2009年2月8日(土) 15:00~ パルテノン多摩】
●ハイドン:オラトリオ《天地創造》 Hob.XXI-2
→マリン・ハルテリウス(S/ガブリエル、イブ)
  ジョン・マーク・エインズリー(T/ウリエル)
  デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン
  (Br/ラファエル、アダム)
→栗友会合唱団
→渡邊順生(通奏低音)
⇒フランス・ブリュッヘン/新日本フィルハーモニー交響楽団


土曜日の終演後にいてもたってもいられず、すみトリのロビーで翌日の多摩公演のチケットを買ってしまった。確かに一瞬、死神大暴れ日本初演も頭をよぎったのですが、ブリュッヘンが指揮するこの作品を生で聴くチャンスはもうないような気がして。
高いモノレールから眺める冬の多摩丘陵、あの風景はなんというか、未来で、自分の奥メンタルにはとことん馴染まない。緊張します。あれが当たり前の人が、いるんだよなあ。。

まあ。
結果的に土曜と比べることになりましたが、60%ほどの部分でさらに完成度が高まっていたように思います。「第1部」最初の混沌は土曜日の緊張感に軍配を上げたいけど、天体や星が誕生する場面の妙なる合奏は、最終多摩公演の開放的な雰囲気によって高められていたと思う。あの音の重なり合いは到底忘れがたい。
しかし特に、土曜日は響きの純度が少し落ちていた「第二部」以降で、細密描写と精密な地の部分とが奇跡的に併存に向かっていたのには驚きました。木管隊がさまざまな鳥の声を模倣する箇所なんか、声の模様だけが浮き彫りになってる中にガブリエルの歌が絡み、底無しに美しかったでありますよ。

多摩公演では前から4列目の1stVn真ん前の席くらいしか残ってなかったので、そこから指揮台を観察しました。ブリュッヘンは、指揮台に上がる前に窺われる足腰の衰えとは対照的に、長い指の先まで表出意欲がみなぎり、各パートへ飛ばす視線は鋭く、妙に安心させられたなあ。彼の音楽はますます空疎に静かに、実体をなくしていくけど、それもたぶん意志的にやっているらしいことが伝わってくる。
それと、渡邊氏の鍵盤とともに花崎氏の通奏低音Vcが間近で聴けたのも幸運でした。
昨年の10月に宗次ホールで素晴らしいメンデルスゾーンを聴かせてくれた花崎氏、今回は通奏低音Vcとしてレチタティーヴォを引き立てます。ネット上では彼の音程のことを腐す声を見かけたけど、それ以前にあの「ふよんっ」とした見事なメッサ・ディ・ヴォーチェがわからなかったのだとすれば、もったいないことです。鍵盤やソリストと身体全体で呼吸を合わせるタイミングも実に巧くて、しばし聴き惚れる。ブリュッヘンも満足げに視線をやっていました。
by Sonnenfleck | 2009-02-11 08:57 | 演奏会聴き語り

ブリュッヘン/新日フィル ハイドン・プロジェクト 《天地創造》

c0060659_8424358.jpg【2009年2月7日(土) 15:00~ すみだトリフォニーホール】
●ハイドン:オラトリオ《天地創造》 Hob.XXI-2
→マリン・ハルテリウス(S/ガブリエル、イブ)
  ジョン・マーク・エインズリー(T/ウリエル)
  デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン
  (Br/ラファエル、アダム)
→栗友会合唱団
→渡邊順生(通奏低音)
⇒フランス・ブリュッヘン/新日本フィルハーモニー交響楽団


求め、一方で恐れていた、あの「空疎」の現場に立ち会うことになりました。
ここにいるブリュッヘンはもう、新日との初共演時に18世紀オケと同じ音をさせて聴衆を興奮させたあのブリュッヘンではないようです。ベリオの《レンダリング》を取り上げた際の前半プロ《未完成》で聴かれた空疎で暗い響きが、スタヴァンゲル響との《田園》のあたりで平滑と静謐のブレンドに変化し、さらにバッハの《リチェルカーレ》で終末的な色彩を見せる。この日ブリュッヘンは新日フィルからその響きを立ち上らせていました。ウェブラジオで追いかけてきたものが今回のシリーズで聴けるとは、正直思っていなかった。

冒頭、〈混沌の描写〉。前も同じ表現を使いましたが、透き通った蜻蛉の羽のような模様が空気中に投影されているみたいな感じなんですよ。明解でシンプルなアーティキュレーションによって音のかたちはよく窺えるんだけど、普通ならその中に置かれてしまうであろう雑味がなく、無色透明。事実シューマンの第2交響曲なんか特にドタドタとしていた記憶があって、こうした雑味をまとった重さこそが、CDも含めてブリュッヘンを聴く愉しみだったのですが、もはやそのようには聴こえないというわけ。非意志的な模様だけが残った。

この透徹した空疎、逆にそこから急速に凝縮して一気にスパーンと爆発する「光あれ!」の部分の質感を実現した新日フィルを、僕はここで最大限に称賛したい。これまでに日本のモダンオケが持ち得たピリオドスタイルのうち、最高級のものだったんじゃないだろうか。
第1日から第4日までが描写される「第1部」は万事が万事、この背筋が凍るような透明な響きなのです(水面のような弦楽合奏には驚いた)。全般的に見たらファン心理による補正が掛かっているかもしれないけど、この「第1部」だけはガチ。ここが聴けただけでも僕はブリュッヘンのファンをやっててよかったと思いましたよ。それは椅子の上で身じろぎもできぬくらいに。

第5日と第6日、つまり「生物の創造」シーンである「第2部」、それから平和なエデンの園を描いた「第3部」と、細かなグラデーションをつけたみたいにして色味雑味が増えていったのは、オケの集中力とかスタミナに関係していたのだろうか?
それも少なからず影響していたと思う(あれだけ張り詰めた空気の中で2時間も集中するのは難しいでしょう)。でも、それだけじゃなくて、天体やら大地やら水やらの土台部分を創造し終えて安心したかのように、以後は指揮者の指示がもう少しミクロ的な部分に移行していったような気もするのです。全体のトーンはそんなに「第1部」と変わらないけど、いくつかの具体的描写も登場する「第2部」「第3部」は、あのように響きの襟元を緩めたほうが効果的なのかもしれない。か弱い人間の心拍音。―

ますます背すじが曲がって、袖と指揮台の間をそろそろと歩くブリュッヘン。あの表現を聴いていると、身を削って透徹した音楽を提供してくれているみたいで心が痛みます。。

+ + +

ソロの3名は、僕からしたら何の不満もありませんでした。イブを歌っているときにハルテリウスが見せた上品なコケットリーは大変素晴らしかったなあ。
一方、栗友会合唱団。。このレベルの演奏会に参画するのならさらなる精密さが求められるように思われました。あれが指揮者の判断だったらなんともしようがないですが、発音のタイミングが不揃いなのと、音量のコントロールが利かずにメゾフォルテでオケを踏み潰してしまう場面には興醒め。栗友会合唱団は巧い団体だし、いつもなら気持ちよく聴けていても、オケとソロ歌手があのようなパフォーマンスに達しているとどうしても点が辛くなってしまいます。

さても演奏前に配役表を見て仰天したのは、渡邊順生氏の通奏低音。
指揮者の前にフォルテピアノとチェンバロがL字型に配され、僕の前に6日の公演を聴いた友人の表現を借りると「全盛期のTKのような」変幻自在の活躍でした。最後のアダムとイブの二重唱でのフォルテピアノは殊に甘く神秘的で、まったく神懸っていましたね。。
使い分けの基準は、レチタティーヴォの伴奏と一部の叙情的なアリアにフォルテピアノ、アリアや合唱にはチェンバロ、としていたような気がしますが、記憶は微妙です。これって楽譜に指示が書いてあったりするんだろうか。

自分はハイドン不感症とか、、そういう甘っちょろいことは言ってられなそうです。
by Sonnenfleck | 2009-02-08 08:53 | 演奏会聴き語り

23包の特効薬

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アリアCDから到着しているのです。鈴木秀美氏とオーケストラ・リベラ・クラシカの「アルテ・デラルコ」レーベルがなぜか1000円/枚に値下げされていたので、これまで高額で手が出なかった鬱憤も暴発し、衝動的にすべて購入してしまいました。
これをもってハイドン不感症をなんとかしたい。2月のブリュッヘン来日までには。。
by Sonnenfleck | 2008-11-30 09:09 | 精神と時のお買い物