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2013年感想文まだで賞(上)慶應リュリからブロムシュテットのブラームスまで

音楽会の感想文はこのブログの主たるメニューであるが、もう全然書けてない。溜まりに溜まってもう首が回らない。2013年分はここらでご破算としましょう。

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◆慶應義塾大学コレギウム・ムジクム合唱団・古楽アカデミー演奏会
【2013年1月5日(土) 18:30~ 慶應義塾大学・藤原洋記念ホール】
●シュッツ:《宗教的合唱曲集》、《シンフォニア・サクラ集》より*
●ハッセ:《クレオフィーデ》序曲ニ長調
●ヴィヴァルディ:4Vnのための協奏曲ロ短調 op.3-10
●ムファット:《音楽の花束》第1巻より組曲第6番ホ短調
●リュリ:《ロラン》~第4幕最終場・第5幕*
⇒佐藤望/慶應義塾大学コレギウム・ムジクム合唱団*
⇒石井明/慶應義塾大学コレギウム・ムジクム・古楽アカデミーオーケストラ


慶應の教養のいち授業として発足したコレギウム・ムジクム。その合唱団とオーケストラの初めての大規模合同演奏会。
曲数が多すぎて明らかに練習の足りていない作品もあったのだけど(3-10とか)、最後のリュリ抜粋で帳消しかと思う。驚くべきことにちゃんとリュリの舞台上演なのだった。バレエもパントマイムも、合唱もオケも、照明も字幕も手作り。バロックの演奏実践は音程より発音・フレージングが絶対条件になると考えていますが、この点ではオケも合唱も相当に訓練されていた。ただの総合大学の教養の授業で、よくここまでマニアックに仕上げたなあと素直に驚いたのだった。

※ちなみに年末年始にはコジファントゥッテを上演してしまうみたい。行かれないのが残念。

◆大野和士/水戸室内管弦楽団 第86回定期演奏会
【2013年1月13日(日) 18:30~ 水戸芸術館コンサートホールATM】
●ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調 op.22
●ブリテン:《ノクターン》op.60
→西村悟(T)
●シューベルト:交響曲第6番ハ長調 D589
⇒大野和士/水戸室内管弦楽団


大野さんのブリテンが聴いてみたくて、初の水戸遠征となった。
前半の《ノクターン》ではあの素敵なホールの親密さがぐるっと反転、寒さと孤独と夜の気配が空間を満たして、忘れられない藝術体験になってしまった。振り返ってみると10月のギルクリスト+ノリントン/N響よりさらにきめ細やかな残忍さが全体を覆っていたように思う。西村さんの声質も、バボラークのホルンも、アルトマンのティンパニも、みな冷たく光っていた。

後半、凍りついた心胆を再び温め直してくれたのが、シューベルトの第6。マエストロ大野のシューベルトはまるでロッシーニみたいに、楽しいものも、きれいなものも、美味しいものも、気持ちのいいものも、全部ぎゅうぎゅうに詰まった幸せ空間であった。第4楽章を聴いていてどんどん頬が緩んできたのを覚えている。

この夜、帰りのフレッシュひたち号でNHKスペシャルのダイオウイカを見逃したことを知る。ノクターン第2曲のクラーケンが脳裏に浮かぶ。

◆東京春祭 ストラヴィンスキー・ザ・バレエ
【2013年4月14日(日) 15:00~ 東京文化会館】
●《ミューズを率いるアポロ》
→パトリック・ド・バナ(振付)
⇒長岡京室内アンサンブル
●《春の祭典》
→モーリス・ベジャール(振付)
⇒ジェームズ・ジャッド/東京都交響楽団


控えめに言ってうーん…という感じ。自分はバレエ観者にはなれないかもしれないなと改めて思ってしまった。
能や歌舞伎からのエコーで今回のような振付のバレエを見ると、「ルールなんかないのサ!」というルールに縛られてるようですこぶる窮屈に感じる。びょんびょん飛んだり跳ねたりするモダン振付バレエの身体性が、能や歌舞伎ほどには納得できない。いやまったくすとんと落ちてこない。ギチギチのルールの中で身体を満開に咲かせている日本の劇作品のほうが、端的に言って好みなんであるよ。

でもそれゆえに、古典的な振付のバレエをちゃんと観なければばならない。くるみ割り人形とか。

◆ヘレヴェッヘ/コレギウム・ヴォカーレ+シャンゼリゼ管弦楽団来日公演@所沢
【2013年6月9日(日) 15:00~ ミューズ所沢】
<モーツァルト>
●交響曲第41番ハ長調 K551《ジュピター》
●《レクイエム》ニ短調 K626
→スンハエ・イム(S)
 クリスティーナ・ハンマーストローム(A)
 ベンジャミン・ヒューレット(T)
 ヨハネス・ヴァイザー(Br)
→コレギウム・ヴォカーレ・ゲント
⇒フィリップ・ヘレヴェッヘ/シャンゼリゼ管弦楽団


初めての生ヘレヴェッヘで嬉しい。
まず前半のジュピター、アンチ通奏低音な演奏実践にすごく驚いたのを覚えている。指揮者を含めて誰も(低弦やファゴットでさえ!)リズムに責任を持っていないように聴こえるんだけれど、しかし中音域にコアのあるオケは、清涼な小川のようによく横に流れてゆく…。これは実践の文法が違うだけなのだね…。いま思い出してみても特異な演奏だった。面白い。

そして後半のレクイエム。これは別次元の名演奏だったと思う。
前半、ヘレヴェッヘが何を指揮しているか自分にはよくわからない局面も多かったのですが、後半にコレギウム・ヴォカーレが入って、あれは声を最上位に置いた指揮なのだと確信。ヘレヴェッヘの両手は合唱とぴたり、、声が拍節を支配しているのだよねえ。声はヘレヴェッヘにとって旋律であり拍子であり和音なのだなあと改めて感じたのだった。

◆沼尻竜典/東京トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ 第64回定期演奏会
【2013年6月30日(日) 15:00~ 三鷹市芸術文化センター風のホール】
●プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調 op.25《古典》
●ショスタコーヴィチ:交響曲第14番 op.135
→黒澤麻美(S)
 デニス・ヴィシュニャ(Bs)
⇒沼尻竜典/東京トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ


武蔵野でひっそりと執り行われた演奏会だったけれど、実は日本のショスタコーヴィチ演奏史上、決定的な名演のひとつだったのではないかと思う。からっとドライ、喉ごし鮮烈、、からの、、深い闇。抉られる日曜の午後。指揮者もオーケストラも歌手もお客さんも、あの小さなホールごと闇に沈んだ。
今日の日本でもまだ、演奏することに価値があるように思われがちなショスタコの第14交響曲に、沼尻さんはちゃんと第5や第10と同じ「交響曲」としてメスを入れていた。演奏で精一杯、なんていう時代はもうお終いにしよう。この交響曲では比較的単調になりがちな響きの色づけ、特に弦楽器のアーティキュレーションを丹念に見直すことで、フルカラーのショスタコーヴィチが眼前に現れて、、そして第11楽章のв нааааааас!!!!!!!の絶叫とともにホール中の照明を落とした。

若くて主張のはっきりしたTMPの巧さと、彼らをキレよくドライヴしてゆく沼尻さん。前半のプロコフィエフの第1交響曲もたいへん好みで、この作品のライヴであそこまで納得がいったのは初めてだと思う(プロコの古典交響曲は極めて難しい作品だと僕は考えてる)。あちこちでぶつかり合い反応し合うフォルムによって、ホール中に色や形が散乱していた。実に気持ちよかった。

◆ブロムシュテット/N響 第1761回定期公演
【2013年9月21日(土) 18:00~ NHKホール】
<ブラームス>
●交響曲第2番ニ長調 op.73
●交響曲第3番ヘ長調 op.90
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団


先日、Eテレのクラシック音楽館でも放送されたので、多くの方がご覧になったのではないかと思う。言葉には尽くせない稀代の名演奏だった。

前半の第2番では第2楽章の艶と照り、第4楽章の爽快な爆発が印象に残る。こういう演奏をいまでも自在に繰り出すあの老人には心から敬意を表したい。何なんだろう。すごい。
後半の第3番は第3楽章がばらっとほどけて始まったんだけれど、風で揺れる梢が、瞬間的に途方もない複雑性を獲得するような感覚を受け取った。これまでブラームスでは体感したことのない不思議なマチエール。ブロムシュテットはブルックナーでもときどきこういう「自然のような複雑性」を花開かせたりするので、今回も何らかの事故ではなくああいう設計だったと考えている。

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(下)に続く。
by Sonnenfleck | 2013-12-28 11:50 | 演奏会聴き語り

on the air:ブロムシュテット/パリ管のブル8|ブルックナー・ダッシュターボ(9/27)

【2012年9月27日 パリ・サルプレイエル】
●ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
 ○同:交響曲第2番ハ短調~第3楽章
→ヘルベルト・ブロムシュテット/パリ管弦楽団
(2012年9月27日/France musiqueオンデマンド)


パリ管の副コンマス・千々岩英一氏が万感の思いを込めていろんなことをツイートしておられたコンサートです。

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やはり想定どおり、フレーズのひとつひとつは主や副に分かれておらず、野の草木や花と同じようにおのおの勝手気ままな非等速直線運動を行ないつつ、しかし全体としては緩やかにブルックナーを形成している。大蛇のように渾然一体となってのたくるブルックナーとは、あるいは一度分解され精密に組み上げられた上で機能を付加された義体化ブルックナーとは、まったく異なる。

ブロムシュテットのフレージング感とパリ管の魅力的な音色は、第2楽章を豊かな霧で包み、他のどのような演奏でも耳にしたことのない幻想的な総体としての山岳を生み出した。楽章が終わり霧を抜けると、狐に化かされたような感覚だけが残る。いいですか皆さん、第3楽章じゃなく、野人のスケルツォで、ですよ!

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霧を抜けた第3楽章は一転して、晴朗で快活でポジティヴな音楽が展開されている。アーティキュレーションの曖昧さは微塵もなく、フレージングは山中で出会う奇勝や高地の植物のように独特の自意識を湛えている。楽章の幕切れですら酸素が濃く、実体感を喪わない。第2・第3楽章のこのポジション逆転が澄明な心地よさを残すんだなあ。ああ。すげえ好いなあ。

聴き手の立場で表現するなら、ブル8のように登山道の姿形が有名な山であっても、目的地まで一気に駈けてしまわず、路傍の植物や鉱物の混沌にしばしば目を取られつつ、それでいて快速と快活を守る不思議な演奏であると言える。登山道に自分以外の人間は誰もいない。快活にして寂寞。

第4楽章のコーダは終わりではなく、続いていくものの途中である。

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アンコールのブル2スケルツォがまた開放的で、健康的で、すこぶる気持ちのいい演奏。あのブル8なら、登山が終わったあとにさっぱりしたデザートがあっても全然おかしくないよね!
by Sonnenfleck | 2012-10-10 06:18 | on the air

シベリウスに関する告白

クラシックを聴き始めたころは、シベリウスはすなわち、自室の外のクマザサや地吹雪と同義であったために、敢えて取り出して聴く音楽ではないと思われて仕方がなかった。また、その意味で極端に具象的な音楽であるものよなという気もし、人々がなぜシベリウスにそれほど惹かれるのかわからなかった。

気候の烈しい北国に生まれて育った18年間で自分の中に蓄積されていた、厳しい自然への親近感や、その裏返しの恐怖のようなもの。いつしか、焙煎した珈琲豆から炭酸ガスが抜けるみたいにしてゆっくりとそれらが失われてゆき、今度は、都会暮らしの湿気やある種の臭みが、僕の内部の空いた組織に染み込んできた。あれほど当たり前に周囲にあった山や森への憧れが、近年は特に高まっている(僕がほとんど毎年のように北海道に出かけてしまうのは、たぶんそのためだ)

そうした惨状下で、シベリウスの音楽はもしかすると生涯の伴侶となるべき存在なのかもしれぬという考えが、頭にまとわりついて離れない。ことに、都会に暮らす苦しみを和らげてくれるのは、バッハやショスタコーヴィチではなかった。

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c0060659_758259.jpg【DECCA/POCL1089】
<シベリウス>
●交響曲第4番イ短調 op.63
●交響曲第5番変ホ長調 op.82
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/
 サンフランシスコ交響楽団


そんなわけでブロムシュテットのシベリウスを初めて聴いてみる。

サンフランシスコ響との共同作業ではシューベルトの5番&8番が(特に5番の出来が)あまりにも素晴らしく、今でも隠れてこっそり聴いているのだが、このシベリウスもエッジが厳しく立ってて気持ちが良い。
Amazonのレヴューに「もう少し母性的と言うか、優しさや温かさと云った表情も出せていれば理想的な定盤になっていたことだろう」って書いてあって、まさしくそれがこの演奏の特徴を簡潔に言い当ててると思った。自然について受け手が何を言おうが思おうが、自然は意に介さない。シベリウスもそうじゃないか?

じねんに、さらさらと聴こえるようにブロムシュテットが巧みに響きを束ねている4番。けっして肥大しない非人間的な推進力、自律性が、この人の音楽を決定的に高級なものにしている。もちろん、響きをストイックに束ねるのを得意にする指揮者はほかにも大勢いるのだが、その一歩前の、味付けされていない素材まで丁寧に見せてくれるひとはほとんどいないんじゃないかと思う。

まれにハイティンクの演奏でそれを感じることがあり、しかしブロムシュテットはだいたい何を振ってもそのように仕上げるのが凄い(9月のN響《新世界から》も、ブルックナー味のソースが掛かっていたにせよ、素材の繊維は溶けてしまわずにちゃんと主張してた)。唐突に途切れる第2楽章から、旋律のかたちも定かでない第3楽章にかけて、そして曇天に霙の第4楽章後半など、誰かが何かを感じ取る前の、一次資料としてのクラングがひゅうと流れていく。

5番もまったくアンキャッチー。険阻だが、昇ってきた陽は暖かい。
by Sonnenfleck | 2011-12-17 08:04 | パンケーキ(20)

on the air:ブロムシュテット/N響 第1708回定期@サントリーホール(9/21)

らじる★で聴くのはやっぱりやめ。フツーにチューナーで聴いた。

山田美也子さん「今日は大変な一日になりました。どうぞお気をつけてお過ごしください。ゲストで音楽評論家の安田和信氏は、交通機関が乱れているため、まだご到着ではありません。今日は客席に空席が目立っています」とのこと。

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【2011年9月21日(木) 19:00~ サントリーホール】
●シューベルト:交響曲第7番ロ短調 D759《未完成》
●ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(ノヴァーク版)
→ペーター・ミリング(ゲストコンマス)
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団
(2011年9月21日/NHK-FM生中継)

まず前半の《未完成》である。
先だって聴いたゲヴァントハウス管との同曲ライヴに比べて、ずっとずっとオケの音が柔らかいんだな。これは(失礼承知ですが)たいへん意外な結果。響きの骨格がギシギシと軋み、険呑な雰囲気さえ漂っていたゲヴァントハウスのオケに対して、輪郭はお洒落にくっきりしながらもあくまで柔軟な音で応えるN響の皆さま。状態が良いときのウィーン響かワルシャワ・フィルみたいな音がしてる。
うーむ。薫り高い。佳い演奏だと思う。

拍手の音量が、、小さい、、こりゃあお客が全然いないね…
休憩に入っても安田氏は到着せず。ブ氏のCD(K136)で時間が稼がれる。

さて後半。休憩の間に何人のお客さんが溜池山王に辿り着いたろうか。
今日のノヴァーク版はブ氏の判断で「シンバルとトライアングル除き」だそうな。
前回のN響定期でブロムシュテットの《新世界から》を聴き、そのあまりのブルックナーぶりに驚愕したのだが、それじゃあブルックナーは何になる?
ブルックナー・ダッシュターボ?
…ダッシュターボである。
現役の例を挙げれば、スクロヴァチェフスキのちょうど正反対に位置するというか、ブルックナーのスコアを全力で信頼してそこに身を委ねるような、そういう演奏。
風の噂ではこの前のアルミンク/新日フィル「仲直り第7」もずいぶん佳かったみたいだが、ブロムシュテットの第7も佳いな。ブ氏はこの交響曲にとってもシンプルな美を見ているんだろうな。こういうナチュラルシンプル気持ちいい系の演奏を聴くと、もう、懐疑の沼地に足を取られて転ぶのは嫌になっちゃうよね。

わあ。第2楽章きれいだなあ。すごくワーグナーから遠くて。
by Sonnenfleck | 2011-09-22 06:22 | on the air

ブロムシュテット/N響 第1706回定期@NHKホール(9/10)

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【2011年9月10日(土) 18:00~ NHKホール】
●シベリウス:Vn協奏曲ニ短調 op.47
→竹澤恭子(Vn)
●ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調 op.95《新世界より》
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団


ドヴォルザークについて書きますと。
僕は、この曲がこんなにブルックナーのように聴こえたことはありません。
よく聴き慣れたこの交響曲で、新しい経験でした。

第1楽章は直線的な音楽で、またブロムシュテットもそれをことさら直線的に造形していたので「ブルックナー的」は表出しなかったが(むしろ「シューベルト的」だったかもしれない)第2楽章の途中から、あれ、なんかおかしいなあ変だなあという雲行き。音塊の束ね方、浮き上がる奥のリズム。

第3楽章になるとその空気はいっそう明確になる。
スケルツォのダイナミックレンジはきわめて幅広く取られるいっぽう、細密なグラデーションをあえて止め、音量のごつごつした移動を志向している。また、緊張の強いスケルツォに対置してふつう茶目っ気や長閑さを狙って造形されるトリオなど、逆にくそ真面目に音価を引き摺って頑迷な雰囲気を醸す。そうした手法により、経過句を経て第2トリオに至る道は完全にブルックナー状態である。

さて第4楽章は、ほとんど非人間的と言ってもいいリズム管理にぞくぞくさせられる。著名なメロディたちが颱風の雲のようにひゅうと流れていくその下で、ひたすら整った打点を取り続けるブロムシュテット。ブルックナーの理想はこういうリズム管理ではないか?
再現部、第2主題とともにホルンが高く歌った直後に置いてある「たぁらんた|たぁらんた|たぁらんた」というフレーズに予想外の強い粘りを込めてアッチェレランドさせる様子。それからコーダ、金管を中心としたトゥッティのコラール風の歩みを、全要素を全開にするんではなくきちんと束ねてリズムをくっきりさせるやり方。

ドヴォルザークはもっと野放図に歌えたほうが好いという声も(演奏者と聴衆の両方から)あがりそうだけど、理性によって管理されたアントニンがアントン化する様子をしかと見届けました。たいへん面白かった。
by Sonnenfleck | 2011-09-16 06:22 | 演奏会聴き語り

on the air:ブロムシュテット@ゲヴァントハウス、豪華三本立て!(7/3)

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日曜の午後に出掛けないのってなんか久しぶり。NHK-FMががっつりブロムシュテット特集を組んでいるので、お茶を淹れて付き合うことにする。

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【2010年10月1日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス】
●ウェーバー:《オベロン》序曲
●モーツァルト:Vn協奏曲第4番ニ長調 K218
 ○イザイ:無伴奏Vnソナタ第2番イ短調 op.27-2~第2楽章
→アラベラ・美歩・シュタインバッハー(Vn)
●ブラームス:交響曲第1番ハ短調 op.68
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(2011年7月3日/NHK-FM)


《オベロン》序曲の序奏。Hrの導入のあと、対向配置のVnがふわぁっと広がる空間の美しさはこれぞ独逸浪漫主義である。主部の推進力の若々しさ、そしてそれと共存する響きの柔らかさはブロムシュテットならではで、ああ、献身的で優れたオーケストラでブロムシュテットを聴くのはこんなに愉しいのか、と思う。

ゲヴァントハウスのオケは、ライヴでこんな音が聴けるのか…というくらい整ったコンディションで、驚愕せざるを得ない。終わりごろ、弦楽のめまぐるしいパッセージに、ぽつん、と木管隊の音が垂らし込まれて、絵の具が滲むように音が混ざってゆくブレンドの巧みさ。。
このコンビ、CDを買うまでの興味がなかったが、圧倒的に僕の好みの音楽をやってることに今ごろ気がついた。つーかこれやばいぜ。なんと薫り高い響き。この日放送された作品のなかでは、この《オベロン》序曲がもっとも素晴らしかったよ。

モーツァルトのコンチェルト。僕の愛する《軍隊風》
第1楽章で、独奏Vnが行進し入場してくるその前の、木管のバランスがぞっとするくらい美しかった。それはこちらを威圧する美しさではなく、自らこちらの胸に飛び込んでくる美しさである。第3楽章で一瞬短調に転調する直前、珍しい野草のような不思議な香気のするアーティキュレーションをオケに要求してたりするのもをかし。あらー。ゲヴァントハウスのオケっていつの間にこんなに素晴らしい音がするオケになったんだー。
ソロのシュタインバッハー嬢は、前に何かのコンチェルトを聴いてあんまりいいと思わなかった記憶があるのだが、今回はブロムシュテットの優しい音のブレンドの上で存分に伸び伸びと音楽をしている。

そしてブラ1はやはり、ロハス。ブラ1かと思ったら残像だったでござるというくらい透き通っている。内声の絶妙なコントロールによりハーモニーは深刻さを失い、ところどころふんわりとしたエアの吹き出し口があって、清涼な風が吹いている。ああ…第2楽章きれいだなあ…。

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【2010年9月24日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス】
●シューベルト:交響曲第7番ロ短調 D759《未完成》
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(2011年7月3日/NHK-FM)


ブロムシュテットのシューベルトは、名古屋で聴いた超速グレートが今なお耳に残るが、この《未完成》もフレーズの輪郭はとてもくっきりしている。

ところが、10月1日のコンサートに比べるとハーモニーに苛烈さや野性味を残しており、僕が知っているゲヴァントハウスの硬い音が、ここではそのまま運用されている模様。シューベルトの音響構造体が「遊び」を持たずに組み上げられた挙句、ギシギシギシ...と軋んでいるような。ブロムシュテットもちょっと肩に力が入ってるような気がすんなあ。
第2楽章はいっそう酷薄な雰囲気。でもブ氏の音楽とはちょっと離れている気がする。ブ氏の通常のやり方で曲に臨んだら思わぬ結果を招いて、ついに引き返せなくなった感。シューベルトにはこういう魔も潜んでいるのさね。

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【2010年10月8日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス】
●ヒンデミット:交響曲《画家マティス》
●ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調《ロマンティック》(ノヴァーク版)
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(2011年7月3日/NHK-FM)


そしていよいよ、十八番が並ぶ10月8日回。
当方は今年の2月頃から、仕事帰りの電車でヒンデミットの意地悪な音楽に癒されるというひび割れた日々が続いたが、ヒンデミットのシステムに親しむことができたのは良い経験であった。おかげで《画家マティス》にもすぐに入り込める。

ヒンデミットへのブロムシュテットの向き合い方は、ウェーバーやブラームスと大して変わらない。柔らかい響きのブレンドを駆使して、ヒンデミットの底意地の悪い音楽(←褒め言葉だからね)を丁寧に再構築していく様子は圧巻。第3楽章のしっかりすっきり整理された響き、好きです。
ゲヴァントハウスのオケも先ほどのシューベルトとは異なり、ブラームスのときのように自然に「呼吸している」様子があって、10月1日公演の出来がスペシャルではないことがわかり安心。どうやら8年間のブロムシュテット時代が、このオケをしっかりブラッシュアップしたようだった。

《ロマンティック》
どこかで身体感覚と結びついた、誇張のないフレージングがやはり好み。
「誇張のきわみ」みたいな演奏も、「誇張しないこと」を意識するあまりガチガチのサイボーグみたいな音楽を作り出してしまう演奏も、ブルックナーには両方が存在するが、ブロムシュテットの曲作りはそのどちらでもない(やはり9月24日のシューベルトは余裕がなかったなあ)。弦楽器奏者の右手のストロークや、管楽器奏者のブレス、あくまでそれらの集合体としてブルックナーを形成している。したがって音楽には誇張がない。

もちろんこの指揮者の場合、そうかといってつまらなかったり、大人しいだけだったりするわけじゃないのが好い。ところどころにあれっ、と思わせるスパイシーなギミックも隠れているのよねえ。

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老いてなお、ブ氏魂全開。9月のN響客演も楽しみです。
by Sonnenfleck | 2011-07-17 22:58 | on the air

ブロムシュテット/N響 第1671回定期公演Cプロ(4/17)

長引いている謎の咳を診てもらうため早くに家を出ると、外にはまだ前夜の雪が残っていました。郷里で過ごしてきた「4月」はおずおずとしているのが常だったから、初めて上京したとき、春の人懐っこさと力強さに衝撃を受けたが、今年の東京の「4月」はまるで北国のようによそよそしい。

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c0060659_9383813.gif【2010年4月17日(土)15:00~ NHKホール】
<ベートーヴェン>
●Pf協奏曲第5番変ホ長調 op.73 《皇帝》
→ルドルフ・ブフビンダー(Pf)
●交響曲第3番変ホ長調 op.55 《英雄》
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団


咳を(幸い、「謎の」は取れた)抑える薬を飲んで、NHKホールに向かう。
一ヶ月前のインバル/都響のベートーヴェン・プロ(皇帝+運命)とは、いきおい、比較関係になるのだが、あのときとはまるで正反対の音楽が存在することになったのだから、つくづくベートーヴェンって面白いなあと思う。
(後半は薬由来のひどい眠気に襲われてしまったために、誠実な鑑賞態度を維持できなかったので、今回は前半に関してのみ感想文を書きます。)

《皇帝》は華々しいけど奥行きのない作品だなあと、正直、思っていた。
炭水化物系のたとえを使うなら、チーズがごってりと乗ったパンだとか、二郎の麺だとか、そういうものをイメージしていた。でもこの日の演奏は、ひとことで表すならおコメの《皇帝》だったと言える。この作品がこんなに飽きの来ない、聴き疲れしない姿になることがあるんだなあ。

まず第1楽章の最初の和音を聴いて、つややかなのに非常に透き通っていることに驚く。確かに編成が小さかったし、響かないホールで聴いているから、そもそも豊麗な響きにはならないんだろうけど、どうもそれ以前にブロムシュテットがかなり細かくバランスをいじっているような気がする。でも、おうおうやっとるわい、、というあざとい雰囲気にならないのが最近のブロムシュテットの面白いところだと思います。
要するに、炊き立ての白米の中に、管楽器の「オコゲ」が顔を覗かせたりする絶妙のバランスが幾箇所も聴かれたというか。もとは同じ白米であるところの「オコゲ」であって、決して梅干しではないというか。

第2楽章第3楽章は異様に精緻で、コンチェルトグロッソのような認識のフラット感+実音響の多層感が、心にドキドキ、かつ耳に心地よい。
このように聴こえる理由はピアニストのブフビンダーにも求められそうな気がしました。第3楽章のはしゃぎがちなロンド主題においてすら、ほとんど浮上してこない潔さ(悪く言えば目立ちたがらなさ)が、自らをして、やはり梅干しではなく「オコゲ」としてキャラクタライズする。フラットエンペラー。20世紀の皇帝は死んだ。
by Sonnenfleck | 2010-04-24 09:11 | 演奏会聴き語り

on the air:ブロムシュテット/N響、春の新マーラー

謎の咳が3週間も治まらず、ライヴから遠ざかっている。
この日もFM定期会員。間が大事な作品がNHKホールで演奏されるときは、FMで聴くのが一番、NHKの収録力は世界一ィ!というのが持論。

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c0060659_18421184.gif【2010年4月10日(土)18:00~ NHKホール】
<第1670回定期公演>
●マーラー:交響曲第9番ニ長調
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団
(2010年4月10日/NHK-FM 生中継)

少し前だったら、こういうマーラーは嫌いだったかもしれない。
表面はざらりとしたマットな仕上げ。
縦方向は空隙が多く、決して均一ではない。
横方向への流れも、人間の呼吸のように、やはり均一ではない。
でも、そうだ、ブロムシュテットはこれだ。予想に違わずこれだ。素晴らしい。

宇野功芳が(いつも持ち出してしまうのはきっと「オヤジ」への反抗心なのですが)「生への凄まじい執着といえよう」と表現するこの作品は、FMマエセツで沼野雄司氏が言ったように、ストレートな葬送行進曲が実は存在しない、珍しいマーラー作品でもあるんだわなあ。
そんなことを思うと、この演奏の第1楽章がカラフルなサラダボウルというか、音色セリーみたいに聴こえるのは、とても新鮮だが、そのことにこちらが気づいていなかっただけで、まったく自明のことなのかもしれない。

陰気な皮肉が快速3/4拍子で遠心分離されて、いとも軽やかな第2楽章
ホ長調(B部分?)に突入すると、運動体としての健やかな面白さがさらに強調される。2年前に同じ組み合わせで聴いた《グレイト》のときに「各要素が悪戯っぽく自己主張しながら、それでもふわっと1本にまとまって流線型に推進している」って書いているんだけど、これはそのまま今日も当てはまるなー。あー面白ぇー。ディヴェルティメントだ。
これが82歳ブロムシュテットが僕らに伝えてくれる芸道。なんだろうと思う。

第3楽章がこれまた面白いのは、フツーの演奏ならここで一気に響きを刺々しくしてそれらしい雰囲気を醸成しようとするところ、むしろ逆方向に突っ走ってレガートを(かなり)増量し、今まで以上に繊細優美な音色にしてしまうところ。こういうやり口は初めて体験するぜ。

そんななかで第4楽章がどのように表現されるかについては、それまでの楽章の間中、脳内会議の主要議題だったのだが。
それまで粒状・線状だったマチエールが集合し、太い綱のようにして揺らぐ。これは当然かもしれない。でも、ここに至るまでのバラケ具合が良好だったためか、いざ集合してもずいぶんしなやかに、呼吸するように揺らぐんですね。そのためにトゥッティが官能的なメロディを熱っぽく歌い上げる際にも窒息感がない。かと言って、圧力が弱くて届かないという状況とは根本的に違う。

そして、なぜそのように感じるかわからないのだけど、この演奏からは肯定することの幸福みたいなものを強くイメージするんですわなあ。「おじいさんが指揮するマラ9」的なものをなんとなく期待していた自分の脳髄は、何かまったく新しいものをスパコーンと提示される。N響も素敵でした。
by Sonnenfleck | 2010-04-11 18:57 | on the air

ブロムシュテット/N響の《グレート》@名古屋

c0060659_22170.jpg【2008年1月26日(土)18:45~ 愛知県芸術劇場】
●マーラー:《さすらう若者の歌》
→クリスティアン・ゲルハーヘル(Br)
●シューベルト:交響曲第8番ハ長調 D.944
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団


あれが80歳を迎えた指揮者の音楽でしょうか。
まったく若者のようでした。

2週間前、FMで《プラハ》と《ロマンティック》を聴いて、僕はブロムシュテットの音楽を「ふわふわの卵焼き」であり、縦方向へのこだわりほどには横方向を顧みないと、そういった内容のことを書きました。
こちらのアホな思い違いだったようです。
訂正します。
昨日のシューベルトは、ふわふわと柔らかい音響ながらも爆発的に横方向へ推進していました。もしこの演奏が48kbpsくらいの粗いウェブラジオで流れて、すなわち美しい弱音や縦方向のバランスが聴き取れなくて、「只今の演奏はグスターヴォ・ドゥダメル指揮、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラです」って言われたら、信じてしまうかもしれない。

第1楽章の冒頭で、ホルンのパッセージがかなり速い。速いです。。
この日の大ハ長調は本当に爽快だったのです。
呆気に取られていると、美音と輪郭を同時に保ちつつ、弦のユニゾンで第1主題。
あーこの音はN響本気だなあ。本気になったN響をNHKホール以外の場所で聴くと、なかなかに素晴らしいことになる。過去の経験からそんなことが察せられます。

いつものようにステージ真横の2階席に座ったのですが、それでも十分に聴き取れる明解な対向配置。1本のメロディを1stと2ndで受け継ぎ、引き渡し、また取り戻す、そこへVaとVcが遊びに来て、遠くからKbが近づいてくる。弦についてはこうした3次元遊戯を、柔軟なバランス感覚でもってよく実現させていたと思います。
管になるとN響のメンバーは個性的な音の人が多いので(よく耳にするから覚えているっていうのもあるし)一筋縄ではなかったけども、音色の差異による多重化がここでは行なわれていたのかなと。こういうところはオケの個性を引き出して、おまけにそれを凹凸でなくしてしまうブロムシュテットのパワーによるのかもしれない。ふわとろ卵焼きワールド。

あ、コーダ。序奏の楽句で再びのクリティカルヒット。すぱーんっ...と終わってしまった。余韻の質で、聴衆が緊張しているのがわかります。ブ氏はニコニコしてるぞ。。

第2楽章は冒頭のObソロが一瞬だけ崩れてヒヤリとしましたが、美点はなんと言っても、前半のクライマックス(「破綻」ですかね)が美しいままで鳴り響いていたというところに尽きます。その後恐る恐る戻ってきたVcの厚く柔らかい歌わせ方は、いくらこの日の演奏が若干のピリオド風味に聴こえたとしても、ブロムシュテットの底にあるのは質朴で控えめな浪漫なのだ…ということの証拠として提出されるでしょう。

後半二楽章はザクザクした肌触りが痛快で、一気呵成に持ってかれてしまった。
特に第3楽章のメカニックには素直に感心。。サントリーホールほどには響かない愛知県芸で、しかもステージに近接した位置で聴いてもしっかり揃っていたです。N響って決して下手ではないよなあ。トリオのレントラー風味はあくまでも健康的で、木管は控えめながらふわふわの音響。もし広すぎるホールであったら拡散してしまうような類の。
第4楽章は各要素が悪戯っぽく自己主張しながら、それでもふわっと1本にまとまって流線型に推進しているのが面白いです。いやーすごいなー。ゼロ・リタルダンドで突っ込むコーダの野太い音に感激。こんな音が出てくるのかN響。。

+ + +

ゲルハーヘルも大変よかったんです。よかったんですが後半が凄すぎて印象が薄まってしまった。抜けのいいヒロイックな声質のバリトンで、きっとこれから日本でも人気を獲得するんだろうなあ。でも2月5日の《白鳥の歌》@しらかわホールには行けそうにないッス。

+ + +

本日岡山で聴かれる方、ぜひ呆気に取られてください。80歳にして永遠の青年ブ氏。
by Sonnenfleck | 2008-01-27 02:07 | 演奏会聴き語り

on the air:ブロムシュテット/N響の《プラハ》&《ロマンティック》

c0060659_90201.gif【2008年1月12日(土)18:00~ NHKホール】
<第1610回定期公演 Aプログラム>
●モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K.504 《プラハ》
●ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調 《ロマンティック》
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団

N響名誉指揮者陣の中で唯一現役のブロムシュテット。N響1月はブ氏月間。
同年代のスクロヴァチェフスキのことは(あの老獪な音楽へ親愛の情を込めて)スクロヴァ爺さんと書けるけど、ブロムシュテットのことは、なぜか爺さんとは呼べない。

後半の《ロマンティック》は、僕がこの曲に親しんでいないせいも多分にあるのでしょうが、各パート間の意識の差がひどくて…何だかとてもちぐはぐな演奏に聴こえました。
いつものブロムシュテットらしいふわっとした音塊が形成されなくて、むしろ音は筋張ってバラバラ、ささくれ立った響きに終始イライラさせられてしまったです。ゲストコンマスのペーター・ミリング(SKD)がひとりで必死に輪郭を整えようとしているのがFMではよく聴こえたのだけど…なんでこんなことになったんだろう。練習時間の不足だろうか(単純にそうであってくれればむしろ安心する)。この演奏に関してはこれ以上は書かずにおきます。

前半の《プラハ》は、これはよかった。
NHKホールからの中継ってマイクが直接音ばかりを拾っている印象があって(あの広さだから残響なんか拾えないのかもしれないが)、ただでさえ響きは痩せ気味になる傾向があると思うんですが、そんな悪条件を超えて、ふわふわの卵焼きのような一瞬の縦の重なり合いがちゃんと聴こえました。第1楽章の展開部でいくつか折り重なってくる要素が、整理されきることなく、かと言ってカオスになるでもなく、ちょうど層が聴き取れるくらいの絶妙なバランスで響いていたのには感激。NHKホールの演奏でここまでふわふわになるのだから、まともなホールではきっと素晴らしいバランスで聴こえることでしょう。

つまり、一瞬のふわふわした美しいバランスを縦方向に聴かせるのがブロムシュテットの最大の武器なのだと僕は思うんですが、いっぽうで横方向の流れは彼の中では最優先の事項ではないんだろうなという気がします。スピード感や爽快感を求める聴き手にとって、すべてを律儀に繰り返した今回のモーツァルトは退屈だったかもしれない。でもそれって、お母さんが朝早く起きて作ってくれたお弁当の卵焼きに、胡椒やにんにくが利いていないからと言って怒るみたいなもんではないでしょうかね。。

26日に名古屋でブ氏/N響の《グレート》を聴きます。ふわふわしてくれるとイイナ。
by Sonnenfleck | 2008-01-13 09:10 | on the air