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ミ印良品(季節の品のお買い得)

2010年度のクリスマス中止派は、金→土という最強のカレンダー配置を前にして、戦わずして敗走したようであります。今年は「いつものあれ」が見つからない。中止派の職人は何してるんだよー!
(追記)あ。ごめんちゃんとあった

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c0060659_21265525.jpg【ARCHIV/UCCA3123】
<シャルパンティエ>
●《テ・デウム》 H146
●クリスマス・オラトリオ《主の御降誕のカンティクム》 H416から〈夜〉
●4声合唱、リコーダーと弦楽のためのクリスマスのミサ曲《真夜中のミサ》 H9

→アニック・マシス(S)、マグダレーナ・コジェナー(MS)
  エリック・ヒュエ、パトリック・ヘンケン(T)
  ラッセル・スミス(Br)、ジャン=ルイ・バンディ(Bs)
→ルーヴル宮合唱団
⇒マルク・ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊

さて、この季節はシャルパンティエだな。アンリのケーキじゃなく、マルカントワーヌの《真夜中のミサ》
内気な美少年みたいなシャルパンティエ、僕はわりと好きなのですが、このあいだ買い求めたミンコフスキ盤を聴いてみますと、彼ららしい「愉しませ・面白がらせ」が極めて良い方向に働いているのがよくわかりました。

クリスティ/レザール・フロリサンのディスクを取り出して比べてみる。
声を輪郭線に用いてしっとりとレガート気味の柔らかな響きを形成し、小節線にもそれほど拘らず、明らかにリュリのような流儀で《真夜中のミサ》を捉えているクリスティ(久しぶりに聴いたが、いい演奏だね)。
対するミンコフスキはラモー、までは行かずとも、もっとざっくりとした、通奏低音が拍子を形成するコレッリ流の器楽重視路線でこの作品を演奏する。この拍子はあくまでも厳格であり、声を完全に支配下に置き、それゆえの舞踊的魅力を備えているわけですね。

どちらが優れているかという判断はできないが、今のところはミンコフスキの録音のほうが好きだな。ダンスナンバーだけではない、マイナー曲を量産していた90年代のミンコフスキの美点として、この作品ではたとえば〈クレド〉のように、なで肩の親密な美しさを提供する部分も多いわけだし。

+ + +

ちなみに《テ・デウム》は、今日のミンコフスキの「愉しませ・面白がらせ」肥大症を予期させる、たいへん豪快愉快な演奏です。ラッパと太鼓がいない場面でもオルガンとリュートを打楽器みたいにして(!)拍を作ってガンガン前に進んでいくのは、聴いていて素直に凄いと思う。
by Sonnenfleck | 2010-12-25 21:28 | パンケーキ(17)

ことしもなつかしいいちにちとモンドンヴィル(10/2-3)

昨年に引き続いて、古巣の団体のOBOG有志によるアンサンブルのお手伝いに行く。そして自分が楽器で参加しなかったことをしばし悔いる(結局)。家族連れが芝生でバドミントンに興じていたりするこの季節の大倉山は、東急沿線的幸福の顕れなのよな。
《夏》のソロが考え抜かれて最高にクールだったり、バッハの1043が断弦の危機を乗り越えたり、テレマンのマニアックなトリオ・ソナタがリコーダーのユニゾンを要求したり。それからこの日、日本広しといえども、ローゼンミュラーのシンフォニアが鳴り渡ったのは大倉山だけだったろう。打ち上げもまた楽しからずや。

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c0060659_2283937.jpg【ARCHIV/457 600】
●モンドンヴィル:6つのソナタ op.3
⇒マルク・ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊

何度聴いてもモンドンヴィルには才能の閃きを感じない。ラモーの劣化コピー、と言ったらあんまりかもしれないけど、デカダンするでもなく、大店のぼんぼんが趣味でへろへろりと作曲しました、みたいなあの白っぽい雰囲気がかえって魅力なのかも。
そんなモンドンヴィルには、ミンコフスキも攻めあぐねて手を焼く。曲調の変遷があまりにも唐突であるのは、フランスの様式とイタリアの様式がねるねるねるねのようにテキトーに混ぜられているからなのか(その点、テレマンは大天才だった)
しかし、たのしい思い出と軽い脱力感をもって日曜の朝に聴くのはけっして悪くないということがわかったので、だいぶよしとする。お猿さんもいい顔である。
by Sonnenfleck | 2010-10-04 22:17 | パンケーキ(18)

ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊@オペラシティ(11/5)

快楽瞬間沸騰型のコンサートの感想文を今から書く必要があるのかという気もするが、年度を越す前に簡単に書いちゃおう。

c0060659_2294685.jpg【2009年11月5日(木) 19:00~ 東京オペラシティ】
●ラモー/ミンコフスキ:もう一つのサンフォニー・イマジネール
* 『カストールとポリュクス』序曲(1754年版)
* 《ゾロアストル》(1756年版)より
 〈エール・タンドル・アン・ロンド〉(第1幕第3場)
* 《レ・パラダン》より〈怒りのエール〉(第2幕第8場)
* 《優雅なインドの国々》より〈アフリカの奴隷たちのエール〉、
 〈太陽への祈り〉、〈西風の神へのエール〉、
 〈西風の神への第2のエール〉、〈北風の神へのエール〉
* 《アカントとセフィーズ》序曲
* 《カストールとポリュクス》(1754年版)より〈エールI・II〉(第2幕第5場)、
 〈ガヴォット〉(第3幕第4場)、〈タンブーランI・II〉(第1幕第4場)
* 《ピグマリオン》より〈彫像のためのサラバンド〉
* 《アカントとセフィーズ》より〈リゴードン1・2・3〉(第2幕第6場)
* 《カストールとポリュクス》(1754年版)より〈シャコンヌ〉(第5幕第5場)

●モーツァルト:セレナード第9番ニ長調 K320 《ポストホルン》
〈付〉行進曲ニ長調 K335/1(K.320a/1)

○ラモー:《優雅なインドの国々》より〈トルコの踊り〉
○モーツァルト:セレナード第7番ニ長調 K.250 《ハフナー》より第4楽章〈ロンド〉
→Thibault Noally(Vn)
○グルック:バレエ《ドン・ジュアン》より〈怒りの舞〉

⇒マルク・ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊


この日は午後から有給休暇を取得し、アートギャラリーでヴェルナー・パントン展を見たり、面影屋珈琲店でぼんやりして、そのときに備えた。

で、2時間半におよぶパフォーマンスの内容によって得られたもの。
強烈な快感、だけじゃなくて、そこに深い絶望感がくっついてきたんだな。
ノッてやろうぜノらせてやろうぜ!という自信満々の押し出しの強さ。これがミンコフスキ/ルーヴルの本質のひとつであった。こうしたノリのラモーをライヴで、しかもあのように巨大な編成で聴くことは、いまの日本の古楽シーンではまず叶わない(あの、大きく筋肉を使った奏楽の姿からして全然違う)。

たとえば青白く燃える精妙なバッハであればたぶんBCJに一日の長があるけれども、それ以外の側面においてはまったく大人と子どもくらいの差が見えてしまった。
この場合は「どちらもいい」というきれいごとは書きたくない。「どちらもいい」というのは、どちらのタイプも存在した上でないと説得力がないんだからな。日本の古楽界は先鋭的・意欲的な小アンサンブルを除き、総体的には能面古楽としてガラパゴスの島々のように取り残されるよりほかにないのか。戦後に来日した一流のフルオケを聴いた人たちはこういう気持ちになったんだろうか。

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ラモーの細部について書くことにはあまり意味がないと思った。
アルバム「une symphonie imaginaire」が生です、もっと情報量が多いです、といったふう(曲順等は微妙に異なったけれども)。

彼らのモーツァルトは、いかにも軽佻浮薄で、とっっっても好きです。ト短調とジュピターのアルバムで聴かせていたシリアスも造られたシリアスだったようで、《ポストホルン》のように展開単位が小さい組曲になると一気にフランス革命前の気分にコネクトされてしまうのがまた不思議愉しい。
※少し前のottavaで林田さんが、ロマン派音楽を理解する上で欠かせない資料として山川の『フランス革命の社会史』を取り上げておられた。ここらはちゃんと勉強し直す必要がありますな。

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明日3/19の「芸術劇場」で、11/6のハイドンの公演が放送されるようです。
by Sonnenfleck | 2010-03-18 22:15 | 演奏会聴き語り

マルクを待ちながら

c0060659_6321994.jpg【Brilliant(ARCHIV)/93930】
●ラモー:オペラ《アナクレオン》
●同:カンタータ《忠実な羊飼い》*
→ティエリー・フェリックス(T/アナクレオン)
  ヴェロニク・ジャンス(S*/バッカスの巫女)
  ロドリーゴ・デル・ポゾ(T/アガトクレス)
  アニク・マシス(S/クピド)
⇒マルク・ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊&合唱団

日本にいてヘンデルを観聴きする機会はなんとなく増えているような気がしますが、翻ってほんまもんのラモーに触れるチャンスというのはまったくもって少ないままであります。だからこの秋のミンコフスキ/ルーヴルのラモー・プロには激しい期待を寄せているわけ。

その予習でもないけれど、最近BrilliantがDGGからライセンスを得て再発売した《アナクレオン》に耳を傾けています。全1幕で40分程度の短いオペラでして、解説を読んでみると、どうやら「愛と酒は両立するか」という問いを中心に据えた他愛のない作品のようです。ただ、初演されたのが1657年とラモーの晩年期にあたりますから、解説にも書いてあるとおり音楽がかなり如実にイタリア様式の影響を受けていて、じっとりと聴いているとなかなか面白い。

第3場冒頭で老詩人アナクレオンが打ちひしがれて眠り込んでしまう部分の猛烈な半音階や細かくて強いパッセージ、あるいは第5場でのクピドのアリアなんか、ヘンデルとヴィヴァルディを経由してハイドンからベートーヴェンに接続されても全然おかしい感じはしないですね。最盛期のけばけばしいタンブーランとかはもう作中に登場しないですから、打楽器シャンシャンの賑やかラモーを期待しているとちょっと肩透かし。でも晩期ラモーの趣味が汎ヨーロッパ的に展開していくのが記録された興味深いスコアですから、ミンコフスキがあえてこの作品を録音した理由がなんとなくわかりますし、ルーヴル宮音楽隊がフランス・バロックを飛び出ても活躍しうるかということを、こういう音楽で実験していたのかもしれないな。

歌手については、作中ではアナクレオンとクピドの対話が多いので、クピド役のアニク・マシスのショタ趣味っぽい美声に聴き惚れるのがよいかと思いますね。
ヴェロニク・ジャンスを期待する向きには、むしろカップリングの短いカンタータ《忠実な羊飼い》がオススメ。1728年くらいの作曲ですから、古式ゆかしいフランス・バロックのスタイルを普通に味わうことができます。ミンコフスキはどちらの様式もドンと来いといったふう。

これがBrilliant価格の700円で売ってるんだからなあ。たまらんわなあ。
by Sonnenfleck | 2009-06-23 06:33 | パンケーキ(18)

on the air:ミンコフスキ/シンフォニア・ヴァルソヴィア(その2)

前回から続きます。

c0060659_7141416.gif【2008年6月20日 ポーランド国立歌劇場】
●モニューシコ:歌劇《ハルカ》から2曲
●オリヴィエ・グレフ:交響曲第1番(BsとOrchのための) op.327
→Wojtek Gierlach(Bs)

●ブラームス:交響曲第4番ホ短調 op.98
  ○アンコール ラヴェル:《亡き王女のためのパヴァーヌ》
マルク・ミンコフスキ/シンフォニア・ヴァルソヴィア
(2008年6月21日/Polskie Radio Dwójka生中継)

休憩中はミンコフスキ:フランス語、吹き替え:ポーランド語、という独特の言語世界にまったくついていけませんでしたが、グレフの名前と一緒にライヒやアダムスの名前が聞こえたんですよね。もしかしたら「これから取り上げるッスよ」っていう話だったのかな?

さていよいよブラ4
ブラームスに欠かせない「脂身」が、痺れるような浪漫が、すっかり除去されてます。
しかし虚心になって耳を傾けると、白身の淡白な魚でも肴にして辛口の酒を味わうようなしっとりとした酩酊感がある。基本的に音価は短く、歌い込みは淡く、アタックも鋭く薄いんですが、フレーズの流れを殺していないので全体は快調のひとこと。
第1楽章も第1主題は探り合うような感じなんですが、経過句から第2主題にかけては爽快な拍節感が浮き彫りになって気持ちがいい。そんな中でミンコフスキは重要なパッセージをわりと大きなダマにして目立たせる方法を用いるために、音のくせに触覚へ訴えかけてくる力が強いんですね。ワルシャワの聴衆もついここで拍手。
ひたすら静謐で透き通った第2楽章。HMVのレヴューでも見られる「ミンコフスキといったら熱狂」みたいな図式はまったく通用しないのがよくわかります。本質的にはこういう音楽をやる人なんだろうな。。オケがちょっとついていけてないけど。
一方で第3楽章はそうした熱狂的なイメージを裏切らないかっとびブラームス。またラモーやヘンデルのところに戻った。どっちが本当のミンコフスキ?

ところが第4楽章は一筋縄ではいかない。
冒頭のシャコンヌ主題が上行ではなく下行にスポットライトが当てられた形で極めて悲劇的に提示されます(トロンボーンやファゴットに強烈な指示が飛んだものと思われる)。ここの終止の古めかしさが後々響いてきて、あのフルートのソロが聴こえるころにはテクスチュアに浮遊感と諦念が満ち始める。
ただテクスチュア自体は透明になっていくのに対し、旋律の表現はどんどん脂ぎってきて、浪漫的に悲観した響きになってくんです。第1楽章の淡白な表現はどこかに飛んでってしまい、最後は「死にたくねえー」って絶叫して事切れるんですな。。あの第2楽章で執着を絶つことができず、享楽的な第3楽章で現世の快楽を楽しんでしまった末路かな。。最後は聴くのが辛いブラームスでした。

しかしてワルシャワの聴衆大喜び。拍手が手拍子になっちゃったので苦笑してたら、思いがけずアンコールで《亡き王女のためのパヴァーヌ》が演奏されてクールダウン。。
このコンビは注目せざるを得ないなあ。来年のLFJではこれまで微妙に軽んじられてきたシンフォニア・ヴァルソヴィアが物凄いピリオド・アンサンブルとして帰ってくるかもしれない。
by Sonnenfleck | 2008-06-27 07:15 | on the air

on the air:ミンコフスキ/シンフォニア・ヴァルソヴィア(その1)

エアチェックってやっぱいいよなあ。昔の感覚を取り戻してきたよ。

c0060659_6351220.gif【2008年6月20日 ポーランド国立歌劇場】
●モニューシコ:歌劇《ハルカ》から2曲
●オリヴィエ・グレフ:交響曲第1番(BsとOrchのための) op.327
→Wojtek Gierlach(Bs)
●ブラームス:交響曲第4番ホ短調 op.98
  ○アンコール ラヴェル:《亡き王女のためのパヴァーヌ》

マルク・ミンコフスキ/シンフォニア・ヴァルソヴィア
(2008年6月21日/Polskie Radio Dwójka生中継)

LFJでおなじみのシンフォニア・ヴァルソヴィアの新しい音楽監督に、なんとミンコフスキ。
ちょうどGW明けくらいにこの情報が出回ってけっこう吃驚したんですが、早くもそのコンビのライヴを聴くことができました。いつものように坂本くんさんの番組表で見つけて、さっそくポーランド放送にアクセス。「.pl」に踏み込むのは初めてだなー。

まずモニューシコ。ポーランド国民楽派の祖。
その代表作であるオペラ《ハルカ》の、おそらく序曲とどこかの前奏曲か間奏曲が続けて演奏されます。スメタナとやや湿り気を帯びたロッシーニが握手をしてるような、力強くもどこか切ない旋律を押し出してきます。モニューシコ。
ポーランド放送はあんまり音質がよくないので細部まで判断を加えるのは難しいんだけど、特に2曲目は後半からラモーのように陽気で単純な舞踏が乱入してくるナンバーでして、湿気を一気に吸収してあっけらかんと大団円に持ち込む「乾燥ぶり」はいかにも(特にバロックをやるときの)ミンコフスキ。強く乾いたアタックの裏で木管をひゅーひゅー鳴らすのも◎。先日聴いたカルメン+アルルの女よりはずっとバロックに近いところで演奏してる感じがします。
オケは、コルボのシューベルトで聴いた時点と比べると段違いに軽量化が図られた模様。

続いてグレフ Olivier Greif (1950-2000)の交響曲第1番
ポーランド系ユダヤ人の両親のもとパリに生まれたグレフは、パリ音楽院とジュリアード音楽院で学び、主にピアノ曲と声楽曲で知られているらしい。僕は寡聞にして存じ上げない。
この交響曲は彼の最晩年である1997年に作曲されています。
バス歌手が歌うのは、パウル・ツェランのドイツ語詩。
曲調は、、、、これは《バービィ・ヤール》の正当な末裔でありました。テキストの内容はあまり聴き取れないんですが、ツェランの詩ということはきっと救いのない内容であるだろうし、グレフをして作曲せしめた何かがあると思われる。何より、晩年のショスタコーヴィチにまったく酷似した暗い調性感に基づく語法で、しかしショスタコにあった冷笑と幽かな希望をすっかり消し去って、どんよりと濁った視線をこちらに投げかけてくるんですな。
これは演奏がどうこうという作品じゃない。ひたすら重い。

+ + +

長くなりそうなのでこの辺でいったんお開き。その2へ続きます。
by Sonnenfleck | 2008-06-26 06:40 | on the air

detoxification

子どもの頃は、サザエさんで見られる「梅雨時にお菓子にカビが生える」描写がまったく理解できませんでした。僕の育った北東北では梅雨の存在が明確ではなかったし、そもそも梅雨時の暑い湿気よりも晩秋の寒々しい湿気のほうがずっと強烈であったからです。

今、名古屋に来て3回目の夏を迎えようとしているのですが、カツオくんが隠したケーキにカビを生やした湿気はこれであったのかと、東京にいた頃以上に強く深く感じ入っているのだった。毎日のジメジメに泣きそうだ!ジメジメを忘れるにはこれだ!

c0060659_6345668.jpg【naive/V5130】
<ビゼー>
●《カルメン》組曲
●《アルルの女》第1組曲
●劇付随音楽《アルルの女》からの8曲
●《アルルの女》第2組曲
⇒マルク・ミンコフスキ/
  ルーヴル宮音楽隊、リヨン歌劇場合唱団

大方の予想に反し、このミンコフスキにはエキセントリックなところがまったくない。
古楽器古楽器したクセのある音をクローズアップすることすらなく、このオケの繊細な響きだけを抽出して、感覚的な、薄く張りつめた世界を構築しています。ステージの上で豪奢なスポットライトを浴び、こってりねっとり演奏されてきたこの「通俗名曲」のデトックスに成功しているんだもの。手垢にまみれた表現で恐縮ですが、まさしく、土くれのにおいと草いきれの漂う精悍な表情を取り戻している。

格別なのは《アルルの女》の、組曲ではない部分です。
組曲に収斂していく前の「狙ってない」素のスコアには「唄」が含まれていて、その控えめで単純な旋律は、目頭が熱くなるくらい懐かしく、心地よく、寂しい気分にさせてくれます。そこへミンコフスキと彼のオケが淡い彩色を施してくるわけですから、たまりません。

たとえばトラック9の〈パストラーレ〉。第2組曲第1曲に収集されたこの素材のすっぴんの美しさを知るためには、その組曲バージョンと連続して聴き比べてみる必要があります。実は元々の編成はごく薄く(管楽器の音が目立つ)、魅惑的なメロディも後腐れなくあっさり途切れてしまう。自然な起伏がいくつか折り重なるだけで成立しているんですね。。
中には第2幕第2場の2つの〈メロドラマ〉のように、《トリスタンとイゾルデ》を想起せざるを得ないねっとりしたナンバーがあったり、プロヴァンス太鼓が組曲バージョンよりずっと生き生きしている合唱入り〈ファランドール〉があったりして、第2組曲を編んだギローとの壮絶な差異を的確に捉えているミンコフスキの審美眼には舌を巻きます。

かつて、グールドが録音した《半音階的変奏曲》を聴いて、普段慣れ親しんだグランドマナーのビゼーとの落差に違和感を感じていた僕にとっては、模範的な回答でした。厚化粧も虚飾もビゼーの本質からは遠いんだろうな。
ゴッホを大胆に使ったアートワークも、所有する喜びを満たしてくれます。オススメ。
by Sonnenfleck | 2008-06-16 06:48 | パンケーキ(19)

楽しいときは疾く過ぎ去る◆その2

c0060659_20462249.jpgそこの貴方。
これは絶品です。
御代なんぞは安いもの。
まずはどうか、
買ってらしてくださいね。
そうしてひととき、楽しんでくださいね。
終幕。

なにやらそういう雰囲気の演奏なのです。
細かい工夫が山のように盛ってあるんだけど、そのひとつひとつを細かく解説するのは野暮天なんじゃん??人生なんて短いし気楽に楽しもうよ!…とこう思わせるような、人を堕落させるようなどうしようもない快感を放っている。
脳髄に甘い吐息を吹きかけられるような、未体験のモーツァルトであります。ボクのような快感に弱い系のクラヲタは、これで人生を台無しにされますね。されてもいい。

ミンコフスキはこれまでモーツァルトを上手に避けてきました。
しかしそんな彼がルーヴル宮音楽隊と録音したのは、なんといきなり泰西古典名曲の親玉であるところの「40番&ジュピター」。発売されるというニュースを何ヵ月か前に見て仰天、それから指折り数えてついにこの日を迎えましたが、予想の遥か斜め上を行くその出来にとにかく目を回しております。
78分間、あらゆる音が重なり合って、とんでもなく豊潤な響きが耳を支配する。
しかし強調しておきたいのは、奇異なテンポ設定や、毒々しい楽器バランスはここにはないし、もっと言えばもはや「古楽器らしさ」もあんまりないということ。これがアーノンクールやブリュッヘン、ノリントンとの決定的な違いかと思います。驚かせる必要もないし、汚い音を出す必要もない。「正しい」奏法に拘泥する必要もない。キレイなものをキレイに演奏して/楽しいものを楽しく演奏して/悲しいところを悲しく演奏して何が悪いの?というプリミティヴな邪気のなさがここにあるように思うのです。「ピリオド楽器」という道具は、ここにきて「思想」とオサラバし、ついに本当にただの道具になった。そんな感じで普通にエポックメイキングですよ。40番の第2楽章なんかは、目指すところがバーンスタイン/VPOの録音と同質。いよいよこんなところに辿りついたのかと。

* * *

同じ文脈で、「無邪気な」美の追求。アバド/マーラー室内管の《魔笛》について。
楽しいときは疾く過ぎ去る
by Sonnenfleck | 2006-06-12 22:14 | パンケーキ(18)