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西国三十三所 観音霊場の祈りと美@名古屋市博物館

c0060659_6214673.jpg仏像リテラシーについて思っていた。

たとえば僕がドナテッロの《ガッタメラータ》を視るときと、243年ぶりに開帳された清水寺奥の院本尊《千手観音坐像》(本展にも出品された右の像です)を視るときと、一体何が違うだろうか。何も違わないのです。

「かたち」としてしか捉えられない自分には、それ以外の味わうべき点がわからない。ガッタメラータ将軍が何をした人かということと、千手観音が何を為す存在なのかということと、同じレベルで付け焼刃の知識しか持たない。付け焼刃以上の知識を持った鑑賞者が捉えていると思われる情報、あるいは仏像を純粋に信仰の対象としている人々の想いを十分に汲み取ることができない。仏像を視に出かけるといつもこんな悔しさを感じる。

でも、そのように絶望的な敗北感のもとで鑑賞してもなお、大概の仏像たちはこちらの視線を温かく受け止めてくれます。「かたち」だけを視てもいいのか。許してくれるのか。

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「西国三十三所」に関してまったく何の知識もないのは当方の不勉強のせいでしょうが、そうは言っても北国生まれの人間にとって馴染みがないのは事実です。
この―有体に言えば―スタンプラリーは、近畿一円から滋賀・岐阜にかけて33の寺を巡るのです(33の数字は、観音菩薩が衆生を救うときに33の姿に変化するというところからきているとのこと)。そのコースを確立した花山法皇という方の1000年忌を記念して夏に奈良国立博物館で開催されたものが、名古屋へ巡回してきたというわけですね。

c0060659_622473.jpg《菩薩半跏像》(8世紀、奈良・岡寺)

7世紀や8世紀の仏像は、頭が大きかったり、表情が薄かったり、衣紋が簡潔だったりでやっぱり古拙なフォルムをしている。手のひらサイズであればなおさらですが、デフォルメのためかオタク保守本流のフィギュアを想起させるのも面白いところであります(表情や所作も案外かわいらしい)。

一箇所、展示物をライトアップするための小さな電灯が壊れているコーナーがあり、ゆらゆらとした光線に照らされると、そんなかわいらしい像でも一気に神秘の帳が下りるというのがよくわかりました。たぶん自分は照明機構に細工をされると弱い。若冲と江戸絵画展のときもKOされたもんなあ。

名古屋圏的には西国三十三所はメジャーな存在なのだろうと思います。日曜の15時半に入ったのにここの博物館にしては考えられないくらい人が多かったですね。三重っぽい感じの話し言葉も多く耳にしました。
11月末で会期が終了して、仏像たちもみな自分の寺に帰っていったと思う。
by Sonnenfleck | 2008-12-05 06:26 | 展覧会探検隊
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