【2009年3月15日 ワルシャワ・ヴィトルト・ルトスワフスキ・コンサートスタジオ】
●バッハ:ミサ曲ロ短調 BWV232
→ドロシー・ミールズ、ヨハネッテ・ゾマー(S)
ヤン・コボウ(T)、ペーター・コーイ(Bs)
→カペラ・アムステルダム
⇒フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
(2009年3月16日/Polskie Radio Dwójka 生中継)
2月に錦糸町で提供されたハイドン・プロジェクトは瞬く間に過ぎ去りましたが、いくつかの交響曲よりも、やはり
最初に聴いた《天地創造》の印象が強烈です。ゆえに―この
《ロ短調ミサ》には、真冬のような、強烈な透徹を予想していました。曲も曲だしね。。
ところが、いざ聴いてみると全然そんなことなかったのです。
響きに(いい意味で)甘さがあって、冬の間であったら、たぶんこの楽観的な素振りに我慢がならなかったと思う。しかし冬が一目散に退却していくこの時期には、これ以上はないだろうというくらいよく嵌り込んでいました。
馴染みの18世紀オケの音がこの日はいつもよりもさらにずっと緩くて、ブリュッヘンが一人で昇ってしまわないよう優しい文鎮になっていたような。最近は18世紀オケ以外への客演が続いていたようだけど、古巣の団員たちは誰よりも指揮者のことを思っているのかもしれない。
2回目の
〈Kyrie eleison〉と
〈Crucifixus〉だけが異様なプレッシャーを含有していた(ここは指揮者の強い意向を抑え切れなかったと見える)他にそうした傾向は見当たらず、
〈Gloria〉の冒頭が曖昧にずれたりするのもご愛嬌。合唱もいい具合に編み目に空気を含んでいて、遊びの部分があるって素晴らしい。
何よりも―これは音楽の感想文では禁じ手だと思うのだがあえてやりますと―、ちょうど再読していた『潮騒』の大団円に、偶然
〈Dona nobis pacem〉が重なってきたときの陶酔感といったら!最初の小節における音の拡散の仕方も、石のように冷徹なフォルムではなくてどこか温かく湿っていましたが(これはカペラ・アムステルダムの味わいがよく出たのかもしれない)、特殊な装甲を誇るあの小説の結末部分にはぴったりでした。
ワルシャワのお客さんは基本的に手拍子になってしまうのか。
ミンコフスキのときも。