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on the air:カンブルラン/南西ドイツ放送響のカーター

c0060659_6335761.jpg【2001年9月9日 ルツェルン・文化会議センター】
<ルツェルン音楽祭'01>
●ハイドン:交響曲第82番ハ長調 Hob.I-82 《熊》
●カーター:Ob協奏曲(1986-1987)
→ハインツ・ホリガー(Ob)
●同:Symphonia "Sum fluxae pretium spei" (1993-96)
 ~第3楽章 アレグロ・スコッレヴォーレ
●ラヴェル:《高雅にして感傷的なワルツ》
⇒シルヴァン・カンブルラン/南西ドイツ放送交響楽団
(2002年3月27日/NHK-FM)

エアチェックしたMDを眺めてたら、カンブルランの8年前のライヴが。恐らく彼が得意な古典とモダンの溶接プログラムでした。接合部が奇怪に目立つことこそカンブルランの狙い!

しかし真ん中の2曲のカーターが、カッコよかったんですな。
カーターは「ゲンダイオンガクらしいゲンダイオンガク」だけど、ダイナミックレンジへのあからさま挑戦は行なわれないケースが多いような気がする。ゲンダイオンガクに欠かすべからざる急激な音量増大が苦手な僕からすると、カーターの比較的穏健な前衛ぶりは心地よく響きまして、このオーボエ協奏曲だって、1945年に85歳のマーラーが交響曲第20番を初演した後に書き上げた気軽なピースくらいに思えます。

テクスチュアは混雑しているけどカンブルランの手腕もあってか追いきれないほどではないし、むしろ音響が塊になっているところよりも散逸しているところのほうが多くて、そういった箇所の和音の透明感はこの曲に強い価値を与えているんじゃないかしら。なるほど読響で聴いたラモーと《クープランの墓》から予想されたとおり、こういう作品をやると滅茶苦茶に透き通った時空を発生させるカンブルラン。ホリガーの適切な超絶技巧、幅の広い音色はこの時点でまったく健在であって、気まぐれな王様のように振舞います。オーボエを協奏作品のソロに仕立てる作曲家は、オーボエの音色がもたらす思念に捕捉されるんでしょうね。ラヴェルしかりシュトラウスしかり、カーターしかり。

Symphonia "Sum fluxae pretium spei"(なんと訳すべきだろう?)の第3楽章もその名前どおり滑らかで、激しいダイナミクスによる断崖絶壁がないので安心して混雑した響きに浸っていられます。子どものころ、実家の裏山に山菜を採りに入ると、ときどきこういう害のない安心カオスに周囲を取り巻かれることがあった(これは当然、人家に近接した里山だからあり得たことなのだろうと思うけど)。この感覚は音楽そのものからはかなり遠いけれども、曲調に微妙な懐かしさを感じるのは、そんな記憶が根を張っているからかもしれない。

+ + +

《高雅にして感傷的なワルツ》は、ジタバタドスドスとしたアーティキュレーションがグロテスク。なんかさ、、そもそもこういうのが好きな人なんだね。カンブルラン。
by Sonnenfleck | 2009-06-10 06:35 | on the air
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