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ジェールジ、最後のメイ盤

ジェールジ、最後のメイ盤_c0060659_6302813.jpg【DECCA/POCL1208】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
⇒サー・ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団
(1990年10月/シカゴ・オーケストラホールでのライヴ録音)

「ショルティの芸術」みたいな国内廉価再発売シリーズにも、この録音だけは登場しません。このディスクだけは絶対的に入手困難であり、タコ10コンプリートのラスボスの一角なのでありましたが、ついに先般、某オークションにて落札に成功しました。えがったえがった。

とりあえず一周聴いてみて思うのは、オケがベラボーに巧いというその点であります。
この交響曲の録音史にはカラヤン/ベルリン・フィルの2種類のスタジオ録音や、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの作曲家追悼ライヴみたいに圧倒的なアンサンブル天国(あるいは地獄)を見せ付けられるものがいくつかありますが、シカゴ響唯一の録音であるこのショルティ盤は、オケメンたちが自分たちの技巧をこれでもかと誇示するような不敵な明るさがあって、カラヤンやムラヴィンスキーとは違う地平に存在しているようです。

この交響曲は本当に変な音楽なので、いかにも雰囲気ありげな肌触りとのバランスに目を配りすぎるあまり、楽天の中に「悲劇的な」調子を混ぜ込むという細工を弄した結果として、これまで聴いた演奏の大部分は火の加減に失敗して生煮え状態になってしまっていたのが現実です。
果たしてショルティの指揮は何を生んでいるか?第1楽章第3楽章の意味深長なアトモスフィアは一顧だにされていませんが、反対に第2楽章、それから特に第4楽章はちょっと類を見ないくらい猛烈な躁状態で、全体を俯瞰すると竹を割ったように明快な構造をしています。1953年の作曲家が脳裏に描いていたのは、たとえばデプリーストやリットンのように真面目くさった生硬な曲づくりではなくて、きっとこのショルティのように突き抜けてしまう音楽だったのだと思う。
アレグロに突入した後の第4楽章は、興奮のあまり息を継ぐ暇もなくて、浅い呼吸による酸欠的な快感を漂わせています。僕がこの交響曲を聴き尽くそうと思ったきっかけは、このアレグロの破滅的な身振りから電波的な何かを受信してしまったためでありますが、ここにきて十全のカーニヴァル状態に浸ることができ、今まさに幸せを噛み締めているところなのです。
by Sonnenfleck | 2009-08-27 06:33 | パンケーキ(20) | Comments(0)
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