【TELARC/80139】
<モーツァルト>
●交響曲第40番ト短調 K550
●交響曲第41番ハ長調 K551 《ジュピター》
⇒サー・チャールズ・マッケラス/
プラハ室内管弦楽団
恐らく、バーンスタイン/VPOの録音で初めて聴いてから、今の今までずうっと、このト短調交響曲が得意じゃない。
そのあとバロックの谷底に転落したせいもあってか、この作品に纏わりついている浪漫性の何物かに対して、あるいはもっと言うなら、
この作品を意味あるものとして演奏する行為そのものに対して、近寄りがたさを感じ続けてきた。
悲しみが疾走したりするネトネトの演奏も、「悲しみは疾走したりしません!」というピリオドの演奏も、そのどちらも、この作品が普通ではないことを前提にしていて、それが腑に落ちなかった。なんか、、もっとフツーの曲なんじゃないの?
そんな中で、ほぼ唯一、聴いていて厭にならないト短調演奏が、実はマッケラスの録音であった。これこそが、標題も伝説もないK550という作品の、すっぴんの演奏だと思うんだよね。
ちょっと聴いただけだと、速めに流してるだけのどうってことのないパフォーマンスに聴こえがちなのだけども、この演奏の縦方向における肌理細やかさ(第2楽章)、通奏低音が引き締めるリズムの輪郭(第3楽章)は、モダンもピリオドもなく、無類である。
「伝説」で勝負できないセレナードやディヴェルティメントは、演奏に際してはすっぴんの魅力を掘り起こすしかないわけですが、「大ト短調」だって、その方策が適用できるんです。かくして、セレナードやディヴェルティメントのように等身大で、非伝説的な、いち管弦楽組曲としての「大ト短調」が提示されるというわけ。
マッケラスは自分を伝説化しなかった。このあたりも、徹底していたよね。