【2010年7月2日 紀尾井ホール】
●ヤナーチェク:Pfソナタ変ホ長調 《1905年10月1日》
●ベートーヴェン:Pfソナタ第17番ニ短調
op.31-2 《テンペスト》
●プロコフィエフ:Pfソナタ第7番変ロ長調
op.83 《戦争ソナタ》
●ムソルグスキー:組曲《展覧会の絵》
⇒ファジル・サイ(Pf)
(2010年9月23日/NHK-FM)
雨降りの一日だった。雨の休日は落ち着く。なおFMの電波は荒れる。
ふつうのクラヲタなので、ファジル・サイ=ハルサイ多重録音、くらいの認識しかなかった。なんとなく好きそうじゃないな、とも思っていた。でも、あれはああいう打楽器系単色コンセプトに則っているだけだったんだな。
つまり。
とても感覚的に音楽を捉える人だと思った。こだわりの強い箇所は歯切れよくクリスプな印象、あるいはメープルシロップとろとろの芳醇な音楽になって聴き手を引き込む。そういった部分はいずれも中間色がふんだんに用いられて実に重層的なんだよね。一方、当人がそうする必要なしと判断した箇所は、ポリプロピレンみたいに乾いて素っ気ない
(これが重症化するとポゴレリチになってしまうのか…)。
だから、このチラシデザインはサイの一側面に偏りすぎていると思う。
+ + +
ヤナーチェクはまだ詳しくないので自信がないが、
《1905年10月1日》は全編にわたってサイのお気に召しているようで、隅々まで名演だったような気がする。和音のバランスに独特の華やかさがあって、それも紺鼠とか鴇浅葱とか、微妙にくすんだ色の乱舞でありましたことよ。
《戦争ソナタ》は予想外に輪郭が甘く、歌謡的な演奏だった。ガチガチの軍隊調に演奏されがちのこの曲にも、プロコフィエフのセルフツンデレは隠れているんだよね。そっちのほうを意図的に引っ張り出すピアニストは多くないのだけども、サイはそういうことを試みていた。
第1楽章の第2主題、および
第2楽章の奇妙な美しさに絡め取られてしまう。おまけに
第3楽章がパワーとテクニックの誇示でなく、プロコフィエフ好みのダンスナンバーみたいにストイックだったのも、僕には嬉しかった。
カサカサのスポンジのように始まったプロムナードが、急に潤う一瞬。
《展覧会の絵》も、油断のならない、先の読めない、猫のような立ち居振る舞いが魅力的だったです。あっという間に終わってしまったけど、各曲がどんないでたちだったか、あまり覚えていない不思議。
次はライヴで。