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ぼくのマーラーはじめてものがたり(5/18)

この日がマーラーの没後100年にあたる。5月17日の夜にちゃんとCDをリッピングしてiPodに仕込んだのだ。
僕が初めて聴いたマーラーは、亡くなった祖父が自分のCDコレクションからくれて寄越した、ハイティンク/コンセルトヘボウ管の《巨人》。PHILIPSの臙脂色ラインと、ジャケットの色づかいがシックでしょ。

初めて聴いたマーラーは、奥行きと広がりのある音楽であった。ベートーヴェンもモーツァルトもいいけれど、マーラーは表現したい事柄がずいぶん違うようだった。しかしこの演奏だから、なんの苦もなく自然に、マーラー世界へ足を踏み入れることができたのだと思う。ここにプレーンの良さが極まっているのさ。

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c0060659_23293744.jpg【PHILIPS/32CD-615】
●マーラー:交響曲第1番
⇒ベルナルド・ハイティンク/
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団




第1楽章からして、未明の小雨で適度に湿気を含んだ夏の早朝みたいに気高い。そこへ木管の光線が差し込んでくる。心底きれいだ。浮かれがちなフレーズも(おそらくはハイティンクらしい品の良い自律心で)抑制が効いてる。
夜会のランプで魅せるマーラーもたくさんあるけど、日光と素肌美人、みたいなナチュラルな美しさはこの録音で聴けるコンセルトヘボウの一人勝ち。比類がないよね。マジでね。騙されたと思ってみんなに聴いてもらいたい。

大地の歌の終楽章を思わせるほど静謐に、丁寧に、ハイティンクはこの楽章を作り込んでいる。マーラーの本質のひとつでもある稚気から、注意深く離れて。そこにオケの深い音色が力を貸しているのは自明としか言えない。

第2楽章はエレガント。
ここに差し掛かると、ケーゲルがこの楽章をとっても残忍に作っているのがいつも思い出されるんだが、ハイティンクもコンセルトヘボウも、この楽章を幻想交響曲みたいに軽めのロマンに仕立てているんだよね。
さらに、第3楽章はまるでブラームスでもやるようにくすんだ音色が美しい。
木管のアンサンブルは高級きんつばのように深い色をしながらしっとりと湿り、極上の甘い香りを漂わすのです。

さて、ブルックナーの最終楽章みたいに堅牢な第4楽章の据わりの悪さが、この演奏の面白みであり、佳きところでもあろう。と、今こそ思う。

第1楽章の革新性は、ハイティンクの天性の勘とオケのスペックの猛烈な高さで乗り切ってしまったような感じだけど、比較的古めかしい様式の第4楽章は、既存の語彙に変換された上で処理が行なわれているようです。HrやらFlやらが弦の細かな模様の上でヒラヒラするパッセージなんて、オケの音がワーグナー専用みたいに重厚なギアにチェンジされて、いかにも古めかしい。柔らかなポルタメントがあちこちに降り注ぐ様子を一言で表せば、萌えである。
by Sonnenfleck | 2011-06-23 23:38 | パンケーキ(19)
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