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ヘンゲルブロック来日と離日に寄せる自己憐憫

たった三晩の公演を残して瞬く間に離日したヘンゲルブロック/NDR交響楽団のコンビ。聴衆からあがる賞賛の声を尻目に、僕は自室に籠り、PCの白い光に跳ね返す一枚のディスクを見ている。

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c0060659_10253212.jpg【DHM】
●ヴィヴァルディ:歌劇《オリンピアーデ》序曲
●バッハ:管弦楽組曲第4番ニ長調 BWV1069
●ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲イ長調 RV158
●バッハ:カンタータ第42番《されど同じ安息日の夕べに》BWV42~シンフォニア
●ヴィヴァルディ:4Vnのための協奏曲ロ短調 Op.3-10
●バッハ:3Vnのための協奏曲ニ長調 BWV1064
⇒トーマス・ヘンゲルブロック/フライブルク・バロック・オーケストラ

僕にとってのヘンゲルブロックは、極めて優れた古楽指揮者である。彼がモダンのフルオケを振っているなどとはいまだに信じられない。数は多くないながら、フライブルク・バロック・オーケストラを振っての録音は圧倒的に素晴らしい。
(蛇足ながら付け加えるが、今年1月のFBO来日公演@三鷹の感想文を書いていないのにはちゃんと理由がある。僕がFBOの個性だと思いこんでいた強固なフォルム感と沸き立つリズムは、どうやらヘンゲルブロックやヤーコプスの個性に依拠する部分が大きいようであった。確かにアンサンブルや舞曲の拍感はたしかに佳かったけれど、「フランス風」という魔物が召喚できるような大きな魔方陣が描いてあったかという点に関しては、強い疑念が残った。)

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フランス風・イタリア風という二大様式に対するヘンゲルブロックの異様に鋭い嗅覚、そして彼が現在のキャリアに至った理由がわかるのが、このディスクである。

《オリンピアーデ》序曲から管組4番への顕な落差は、偽ヴェルサイユの偽性を否応なく高め、こちらの心を躍らせる。
舞曲ひとつひとつが、その煌めく何層かのコーティングでもって偽性を自己拡張しながら、あり得べからざる幻時間を形成している。のみならず、ひとつながりの人造真珠のような重みにも事欠かない(これこそがゴルツのまだ会得してない魔法と思われる)。バッハがなぜああいう様式で音楽をつくったかは、いたずらに各舞曲のエッジを立てても見えてこないのではないだろうか。

さて、ヘンゲルブロックを彼たらしめている要素が、バッハの《されど同じ安息日の夕べに》のシンフォニアと、ヴィヴァルディの3-10にさらによく現れている。

それはとりもなおさず、がっちりと肩幅の広い通奏低音で、音を三角形に組み上げる流儀なんですね。ヴィヴァルディの3-10などは僕も遊びで演奏してみたことがある曲だけど、あのヴィヴァルディらしいクリスプな通奏低音を、ここまで鋼のような土台に仕立て上げるのは至難のわざである。

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ヘンゲルブロックがつくるこうした三角形フォルムは、昨今流行の流線型をしたラテン系アンサンブルと明らかに一線を画しており、そして残念ながら、このセンスはベートーヴェンやブラームスへまっすぐ伸びてゆく。ヘンゲルブロックがNDR交響楽団というオーケストラに招かれたのは必然なんである。

バロクーはこの集いから泣きながら立ち去ることにしよう。でもたまにはバッハとかテレマンとか…やって…ね…
by Sonnenfleck | 2012-07-28 10:26 | パンケーキ(18)
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