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オランゴーナ|ソヴィエトの反人民的炭酸がやってきた。(その1)

オランゴーナ|ソヴィエトの反人民的炭酸がやってきた。(その1)_c0060659_205114.jpg【DGG/4790249】
<ショスタコーヴィチ>
●未完のオペラ《オランゴ》からプロローグ(ジェラルド・マクバーニー Gerard McBurney によるオーケストレーション版世界初録音)
●交響曲第4番ハ短調 op.43
⇒エサ・ペッカ・サロネン/
 ロサンジェルス・フィルハーモニック

んんんー!こりゃ!もう!久しぶりに生唾が出て仕方がないタコ新譜。渇きを癒すにゃとっとと開栓するに如くはなし。

+ + +

でも、まず第4交響曲から聴いちゃう。
僕はこの交響曲だけは(もちろんコンドラシンの録音も魅力的なんだけど)ソヴィエト時代のオーケストラじゃなくて、モダンの、デジタルでハイパーでスマートな、ディストピア的超絶技巧フルオーケストラで聴きたいんだよね。文脈上。

その意味でこれまでのお気に入りはラトル/CBSOの1994年録音だったわけだが、事態は一変した。サロネン/LAPhの最強録音が登場したのであるからして。
みな人は聴くがよい。初演から50年の月日がこんな演奏を誕生させた。

冒頭リズムがモーツァルトみたいに整然として始まる第1楽章に、ちょっと面食らう。いささかのヒステリーもなく、異形の主題たちが統制されて並んでいる。鈍く光る拷問椅子やサッカリンやIDカードはすでに美しいから、その上さらにヒステリーのお化粧をするのは反審美的ということか。この交響曲は古典に成長する未来が約束されているのだから、そろそろこんな演奏が提示されてしかるべきなのかもな。

でも途中でそのモーツァルトの口がガバッと左右に裂け、見るもおぞましい相貌に変容するのは、やはりサロネンの指揮巧者たるところよね。ショスタコーヴィチは根幹が生臭いのだから、ドライでクリスプな音楽だけでは成立しないのだ(しかし、ブーレーズがショスタコを小馬鹿にして振らない理由はこのへんにあると思う)

第2楽章は途中、どう聴いてもMIDIシーケンサーソフトが奏でているとしか思えない「恣意性が介入しない」木管アンサンブルが見つかる。味わい深いのう。こういう音を出す指揮者とオケで《鼻》が聴きたいんじゃがのう。

第3楽章コーダで、宇宙船インテグラル号発射!(@『われら』)みたいなメタリックな大爆発コラールが起きて、そして急速に音場が希薄になり萎んでいく様子など、、ここまで鮮やかに対比を設計した演奏はあっただろうか。
そして、ショスタコーヴィチ的にはコラールの爆音よりもこの萎みにちゃんと傾斜が付いていることのほうが大切である。スコアは響きのマチエールに乾燥を要求しているが、哲学が生臭い。メタメタな二枚舌。

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本題に入れなかったな。次回、オランゴ。
by Sonnenfleck | 2012-07-31 21:47 | パンケーキ(20) | Comments(0)
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