夢十八夜

不思議な話をします。

ある朝、目覚めたら、枕元にライヒの《18人の音楽家のための音楽》のCDが置いてあった。僕は寝る前に絶対にそんなことはしていないと断言できるし、僕が寝ている間にそんなことをやらかしそうな他の生物も部屋にはいなかった。僕は寝ぼけても多少は記憶が残るたちなんですが、一切、何も覚えていない。

不思議に思って見遣れば、そのCDが挟まっていたあたりの積ん聴きCDタワーに若干崩れが見られる。現実的には自分で寝ぼけてCDが必要になり、適当に(もちろん夜中なんだから部屋は暗い)たまたまライヒを選んできたのだろうと思う。
そう思いたい。

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c0060659_6155635.jpg【ECM/ECM1129】
●ライヒ:18人の音楽家のための音楽
→スティーヴ・ライヒ(Pf, Mb)ほか

《18人の音楽家のための音楽》を初めて聴いたのは最近のことです。
加藤訓子さんの驚くべきライヒ作品集にすっかりハマった僕は、いよいよライヒ自身の古典的な演奏で彼の作品を聴いてみようと思い立ったのだった。そしてみんなが誉めているこの「名盤」に手を出し、打ちのめされ…なかった。最初は。

Linnの極上にクリアな録音で加藤さんのマリンバやスティールパンに淫した愛好者からすれば、18人樂でカウンターポイントシリーズと同じ感激に浸るのは難しかった。編集の荒々しさ、楽音のハンドメイド感、そして何より、激しく自己の存在を喧伝するかのようなその「長さ」などが、ECMのドライな録音と相俟って、一昔前の流行りものに触れるみたいで少し埃っぽかった。

そう何度も聴くことなくiPodから消去されることになった18人樂。
でも。あの夢十八夜のあと、僕はもう一度この曲に向き合っている。

より短い作品であったカウンターポイントシリーズのことを考えてみると、たぶん僕は繰り返しの回数や加藤さんの演奏の変化を聴きながら「記憶」していたんではないかと想像する。
ミニマルミュージックが「記憶」されてしまうということが、犬が繋がれ鯉が生け簀に閉じ込められるのと同じであるとすれば、何度聴いてもどこをさまよっているのか理解できない18人樂には、野生のライヒとして永遠に狎れぬままにしておくべきなのかもしれない。そしてたまに会いに行く。
by Sonnenfleck | 2013-04-04 06:18 | パンケーキ(20)
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