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ロダンとカリエール展@国立西洋美術館

c0060659_17313728.jpgGWの上野公園、、うぇ…。
というわけで、まずは人波かきわけ西美へ直行です。いつもは閑散としている前庭の《地獄の門》や《カレーの市民》にも黒山の人だかり。

カリエールという画家は日本ではそんなに知られた存在じゃないですよね。僕も彼の作品を目にしたのは昨秋のプーシキン美術館展@都美が最初でありまして、(モナリザと同じように「有名すぎる」という)キッチュ属性を纏うロダンと、厭世的でトロトロのカリエールを組み合わせていったいどんな展覧会を作るのか、興味深いところでした。
オーギュスト・ロダン(1840-1917)とウジェーヌ・カリエール(1849-1906)、私生活でも極めて親しい間柄だった二人は互いに影響を与え合い、その結果、特にロダンは、平面的な立体をいくつも生み出すことになります。

すべてがセピアの靄に沈むカリエールの作品、さて立体にするとどうなるか、、という問いに対するもっとも適切な答えがロダンの《最後の幻影》(1903年)であります。塊の中にほとんど埋没するようにして造形された人物はひどく曖昧な境界線しか持たないので、大理石に掘り込まれているにもかかわらず奇妙に軟らかい印象を残す。このように写真で見ると陰影がついてはっきりしてるじゃんと思われるかもしれませんが、実際のところはまったくのっぺりとしているのです。
また、並べて展示されているロダンの《ジャンヌ・ダルク》(1905年)とカリエールの《ジャンヌ・ダルク》(1898年)。法悦に浸るジャンヌをエロティックに描いた作品ですが、両者はかなり直接的に似てるんですよね。ロダンがカリエールの描写をそのまま3次元に移したのか…ここでもロダンはカリエール風に塊と人物との境界を曖昧にすることで、あえて「奥行きのない」表現に取り組んでいる。これまでロダンというと立体の表現を突き詰めたようなアクロバティックな構成をイメージしていただけに、これは非常に新鮮な発見であります。
(*しかし2月に聴いた《火刑台上のジャンヌ・ダルク》のおかげで、自分はすっかり一連の「ジャンヌもの」に弱くなってるようでした^^;;)

しかし二人の感性の差異が現れる箇所も当然ある。
本展覧会の出品作品において、ロダンの制作した女性はたいていが男性とペアであり、そこでは一分の隙もない濃密な愛が描写されています(《フギット・アモール》(1895以前)。まったく同じものではありませんが、こちらで同じ題名・同じ構図の作品を見ることができます。実に妖しい)。しかし一方でカリエールの描く女性は(その危うい輪郭に騙されそうになりますが)、実は扇情的な要素がすっかり削ぎ落とされて、あくまで高潔な様相を呈している(《母の接吻》(1898年))。
また肖像彫刻家・肖像画家として知られた二人は、同じ人物をモデルにした作品をいくつも残しています。しかしたとえばカリエールの描く《ジョルジュ・クレマンソーの肖像》(1889年)が猜疑心の強そうな小男でしかないのに対し、ロダンの《ジョルジュ・クレマンソー》(1911-1913年)からは堂々とした落ち着きが伝わってくるなど、同じ人物を描写していても二人の捉えかたが必ずしも一致していないのが面白いですね。

「有名なもの」が来ているから観に行く展覧会もいいですが、ただ新しいものを知るためだけに出かける展覧会もまた楽しい。立体と平面のギャップにドキドキさせるこの展覧会、この後オルセー美術館に巡回するということです。
by Sonnenfleck | 2006-05-07 17:48 | 展覧会探検隊
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