キレる客対策、業界本腰 クラシック演奏会でトラブル急増(asahi.com/3月16日)
この記事について、すでに16日夜からネット上ではいくつかコメントが出ているようです。その中で匿名でないものは「何でそんなに怒ってんの?もっと肩の力抜こうよ?」という論調が多く、いっぽう匿名のものは「上から目線のヲタがキレてるだけ」「いや俺はキレる」が半々というところ。記事がもともとそういう雰囲気なのもあってか、全体としてはキレる側が叩かれている割合が高めかなという感じがします。 ここで見栄張っても仕方ないですから書いちゃいますけど、僕はキレる側のクラヲタに同調しつつ親記事を読みました。したがって最高にナイスな気分ではありません。時間を作って出かけるコンサートがひたすら楽しみである人間としては、まずはどうしてマナー違反がそんなに擁護されるの?どうして「マナー違反対策」じゃなく「キレる客対策」なの?という素朴な悲しみしかないんですよ。業界および朝日新聞的にはヲタ客なんてどうでもいいのかなって。 しかしここから先は「マナーの範疇」のレベル設定をしなくちゃいけませんね。 どこまでをマナーだと思うかが、この話では重要な点だからです。 僕が「日本のコンサートホールでのマナー」だと思っているのは、想像力の有無。 我慢できない咳とかくしゃみとか、生理的な現象は正直仕方ないと思う。しかし鈴・飴の包み紙・ビニル袋といった「音が出るもの」について配慮がないのは…やっぱりどうしても許容できません。「これを気にする人間が、もしかしたらいるのかも」というほんの少しの想像力が、どうして働かないのかなあといつも思う。 以下はこのコンフィグを前提に。一般化するつもりなんかまったくないので、「鈴の音なんて別にいいじゃん」とか「パリじゃこんなの誰も気にしないよ?」とか言われても困ります。。 + + + もちろん親記事で引かれているような暴力・恫喝に肩入れするつもりは全くありませんし、上から目線とか偉そうとか我慢が足りないとか、そういう非難も甘んじて受けます。「心が狭い人間が書く文章なんか読みたくない」とか思われても文句は言えません。しかし「マナーを知らないこと」がどうして優位を持っているのか、その点は解せない。 「注意事項やアナウンスが増えると、雰囲気が堅苦しくなる……」という主催者の「配慮」が、他を圧倒するくらい為されすぎるのは誤っていると思うのです。主催者としても商売でやってる限り新規顧客の獲得は至上の命題でしょうから、門戸をオープンにしようと努めるのは当然でしょう。そこはわかります。でも自分が飛び込む文化圏にどういう考え方があるか、下準備さえしない、学ぼうとする気がない、もしくは臆病さを持ち合わせない者に対して、こちら側からの過剰な歩み寄りは果たして有効なのでしょうか。 ここで「ググれ」と言い放つのは悪なのでしょうか。 これから客になろうとしている人たち、悪意はないがそれを考えたこともない人たち、あるいは決定的に想像力の欠如した人たちに対して、「鈴の音を気にする人間も客の中にいくらかは混じっているのだ」ということを知らせるのが、そんなにまずいとは思えないのです。一旦「へえーそうなんだー」と思わせるだけで、かなり違うんじゃないかという気がするのだけど。 + + + ただし一度「マナーの範疇」の環境設定をリセットしてしまうと、「想像力の欠如」はそのままのパワーでこちら、ヲタ客側にも跳ね返ってくるわけですね。 「公の場には鈴を何とも思わない人がいるかもしれない」ということ、「音楽は娯楽であると捉える人がいるかもしれない」ということ、「落ち着きのないあの人は体調が悪いのかもしれない」ということ、「怒った素振りを見せる自分を見て気分を悪くする人がいるかもしれない」ということ、そして「自分のヲタ尺度が絶対ではない」ということを、その時点で想像できていないんですから。 相手の考えを想像して、汲み取って、思い遣る、なんていうのは全方向的に滅んだのでしょう。とりあえずここまで書いて強烈な自己嫌悪です。引きこもるしかないな。 だって究極的には、「オレが我慢してんだからオマエも我慢しろ」ってことでしょう。うわ。。
by Sonnenfleck
| 2007-03-21 09:01
| 演奏会聴き語り
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Comments(19)
私も Sonnenfleck さんに120%賛同です!実は私もこの記事についてエントリしようかと思ったんですが、過去のヤな事件を思い出すにつけフツフツと「キレる」自分を押さえられなくなり(笑)、冷静には書けないであろうと思ってエントリ自体を放棄したのです(←チキンなんですが)。
私もやっぱり、クラシックのコンサートに行く限りは「自分を徹底的に殺す」ことが、それがどんな演奏であれ前提にあると思ってます。自分の利害の上に「演奏者への忠誠/信頼」があるべきだと思うので、昔は積極的に(かなり丁寧に)注意してたんですが、やっぱり不快なので、今は「これはアブナい」と思ったらスタコラ逃げるようにしてます(そういう座席を買ってます)。でも、たまに逃げ場を失ってコンサートが始まる前から Game Over になることもしばしば……(T_T)。ここに聴衆としての「節度/品」という概念を持ち出すのは悪なのでしょうか……と、私も少し自己嫌悪。私も考え直してエントリ立てますです。
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こんにちは。
これは、難しい問題ですね。 個人的には、マナー対策の問題と切れる客の問題は、別々に考えた方がいいのかな?とも思っています。 マナーについては、クラオタの端くれとして私もSonnenfleckさんとほぼ同じ意見(というか同感覚)です。ただこういうのは辛抱強く粘り強くやっていかなければいけないことなので、劇的に何かが改善するということもないだろうとは思います。新規の客が大量に来る時期にはある程度はやむを得ないことで、リピーターになっていく人たちは徐々にマナーも周知していくでしょうし、少なからぬ人たちは一回・二回で離れていくでしょうし。 切れる客については、新聞記事に書いてあることにほぼ共感します。 彼らについて私が特に気になるのは、「ノイズ耐性」の著しい低さと、ことあるごとに「権威」(この場合は係員)を引き合いに出す卑怯さです。
もちろん、耐えられるノイズにも限度はあるし、「これはいくら何でも」と感じたことも10回や20回では私もありませんが、係員に対して切れる前に、「いや自分も、ほんの少しだけノイズ耐性を上げてもいいのかもしれないな」と自己反省することも必要だと思うのです。そうすれば、あそこまで激昂することもなく、もうすこしマイルドで理性的な物言いになるかな、と。
あと、やっぱり言えるんだったら本人に直接言うのが一番いいですよね。あと、言い方もできるだけ考えて、建設的な物言いで。私の場合、事なかれ主義なんで、shuさんと同じく「これは危ない」と感じた瞬間に逃げることが多いですが、ことあるごとに権威を引っ張ってきて介入を要求するのは、やっぱり感心しません。 一般的なイメージとしてクラオタの人って、物静かそうな外見で、几帳面な反面、「喧嘩の仕方を知らない」というか、変幻自在なコミュニケーション能力に乏しいところがあるような気がするんですが、激昂している観客を見ていると、そんな自分の分身を極端な形で見せつけられているようで、いたたまれない気分になります。「感覚はわかるけれど、でもやめて~」という。
私は殆ど大阪で聞くせいか、それとも経験が少ないということあるでしょうけれど、コンサート中の爆笑は聞いたことはあっても、コンサート中にトラブルが起きたというのは見たことがないですね。(会場の外で揉めているのは見たことはあるけれど)
実際にそんなに問題になっているのかと不思議な感じがします。 少なくとも鈴がちょっと鳴ったくらいでは、腹の中では「むっ」と思っても誰も何も言わないでしょうね。頻繁に鳴って注意を受けても言うこと聞かないとなると、そこではじめてキルる人がでてくるかも知れないけれど、そんな学校崩壊的な状況は今のところは無いように見受けます。 もちろん会場では出来るだけ音を立てないでおこうという、最低限のマナーを守るのは当然ですよね。実際に静かなところで咳が出そうになるのにも神経を使います。逆の立場では、故意でなければ多少のことは気にしないようにと思うのに、近頃はそれもむつかしくなったのかな。どなたかが書いていましたが、イビキを通奏低音にして聞いていたという話がありました。もっとも「イビキをかくなら外に出て寝てくれ」と言いたいですけれどね。
この記事ですね。
私は自分のブログでは「最低限のマナーは守って欲しい」、程度のコメントしか書かなかったのですが、 Sonnenfleck さんのエントリーを読んで、同じく自己嫌悪に陥るように同調してしまいました。 最近は飴の袋をカサカサする人が多いですね。無意識に音楽を聴きながら、食べるという。。。 あれ、自宅でテレビ観ながらせんべいをバリバリやる感覚と同じ。外からの視線を感じる感性の欠如、とでも言うのですか。見ていてイヤになります。そして、そんなことで過敏に反応する自分自身にも嫌悪を感じます。 キレルことは、ちょっと行き過ぎにせよ、気持ちは分かるなあと思います。実際、老若男女関わらず、マナーの悪い人はいますから。 あれを目の当たりにすると、本当に許せない。金返せとでも言いたくなる時があります。 私は、そんなマナーが悪い客を無意味に増大させるくらいなら、半分のキャパの会場で質の高い聴衆と感動を共にしたいと思っています。 私の個人としては、フライング拍手フライングブラヴォーがますます嫌気がさしています。拍手早すぎです。皆さん。
マナー違反はコンサート会場に限ったことではありません。日本中、いたるところに。恥知らず、という言葉が死語になってしまった・マナー違反を犯しているほうに何にも落ち度がないような書き方をする大新聞社そのものがマナー違反でしょう?
鈴が鳴る?郷に入れば郷に従わなければ。私がその場にいたらキレたかもしれません。
>shuさん
この記事をUPするべきか真剣に悩んだんですが、叩かれる側に属する人間の生の声が全然出てないのはなんだか釈然としなかったので、勇気を出してやってみました。私も頑張って抑えて書いてます。。 shuさんのおっしゃる「自分を徹底的に殺す」というのは、決して間違っていないと思います。それを現に実行している側からすると、どうやってそこを理解してもらうかというのが絶望的なポイントなんですよね。「節度」が想像できなかったヨ!とか言われると反論できませんし、やっぱり逃げるしかないんでしょうか。。
>Takuyaさん
マナーについてどう啓蒙していくかと、マナーのレベルを自分で設定してそれを他人に押し付けるキレ客の問題は、確かに同時に扱うべきではないかもしれませんね。 ところで、マナー低下のこととして「新規客が増えたのが一因」と親記事のほうに書いてあるのですが、私はそうは思わないんです。以前からずっとそうなのだと思うのですけど、新規っぽい人より老人のマナーが見るに耐えない場合が多いような。。経験上、マナーが周知されていくという点についてはどうしても疑問を感じてしまいます。 激昂する前に自分を顧みるべしというのは本当にその通りですね。本文ではそういうことが書きたかったような気がします。。
>Hokurajinさん
Takuyaさんの表現をお借りすると、東京でない土地は「ノイズ耐性」が格段に高いような気がするんです(名古屋含む)。これはもう人間的に成熟してるというのが最もしっくりくるんですが、私は情けないことにコンサートホールでは極端に神経質になってしまうので、「最低限のマナー」を拡大してそのうえ周囲に適用しようとしてしまいます。。その程度は気にならないと言われるようなところまで。。
>ピースうさぎさん
飴をチリチリやる人へ向かって「ここはあなたの家ではない」と言ったとしても、それは公の空間に静寂を期待しすぎるこちらにも同じく言えることなんですよね。普遍的なマナーなんてありませんから、結局主観のぶつかり合いになってしまう。。それでもホールのキャパやプログラムの内容によってそれが回避できる可能性が少しあるのがまたややこしいところで、、解決なんかないのがこの問題の悲しいところですね。
>かめさん
この親記事の書き方に問題があるとすれば、「ちいさな鈴がひとつついていた『だけとは感じない客』」の声にアプローチしなかったことでしょうか。そしてそれはおそらく記者さん自身は鈴を問題だとは思わないということを示しているのでしょうけど、大きな新聞がこうした書き方をすることにどういう意義があるのか、そこをもう少しだけ想像してみてほしかったです。
確かに楽観的すぎたかもしれません。
飴をチリチリやったり、傘を倒したり、プログラムを落としたりして、周りから白い目で見られたり、実際に注意されたり、あるいはそこまでいかなくても自分で反省したりと、「学習」を通じてちょっとずつ良くなってもらえればなあ・・・という願望なんですが、実際どうかというと、鈍感で全然気づいてない可能性は当然ありますよね。。。 そういう客って、あんまりリピーターとして来ない気もするんですが、あくまで想像ではあります。 個人的には、「飴を演奏中に開封してはいけません。プログラムをめくる音に気をつけましょう。荷物を隣の空席に置かないように。眼鏡ケースは膝の上に置かず、カバンの中にしまってください」等々の但し書きをプログラムに毎回のっけたり、場内放送で毎回流したりするような社会になることの方が、そうまでして得られる静謐な音響空間よりもはるかに害が大きいと思うので、毎回こういう情景に接する度に、むかっとしつつも「まあしゃあないか」と、ぐっと我慢することにしています。ただまあ、チケット代5万円のオペラ公演とかでそういう目にあったら、私ももしかして本当にキレるかも。
これ、本当に難しい問題ですよね…。Sonnenfleckさんのエントリーからもみなさんのコメントからも苦渋が滲み出ています…。
私も基本的にはTakuyaさんと同じく、あんまり注意事項でがんじがらめにするのも害は多いだろう、という考えなのですが、コンサート会場という閉ざされた約束事つきの空間ならそれもありかな、という思いも一方ではあります。 個人的には、紙をぱさぱさぱさぱさぱさ、飴をチリチリチリチリチリチリ…チリチリといったいつ終わるのか読めない騒音だとストレスがたまるものの、プログラムをぱさっ、飴をチリっとやったりするくらいは許容範囲なのです。ただ、「クラシック音楽というハイソなカルチャーが好きだけどみんなの味方なのさ」的アピールのために、自分の中の「寛容さ」を歪めてクローズアップすることは避けたいですね…下手するとやってしまいそうなんですが。
こんばんは。私自身はなるべく気にしないようにしているのですが、それは結局我慢しているだけ(もしくは諦めているだけ。)なのかなとも思います。やはりなるべく静かな環境で演奏に耳を傾けたいですよね。
結局マナーが仰るような主観のぶつかり合いになり、それこそ啓蒙にも限度があるのなら、やはり主催者側がある一定のルールを設けるしかないのかなと思います。 記事にもある、東京ニューシティ管弦楽団などの取り組みも一つのヒントになるのではないでしょうか。「うちのコンサートではこれがダメです。」と明示しておいた方がハッキリすることは事実です。(またこれならOKという、逆にベクトルの向いたコンサートがあっても良いと思います。)ただしルールが定まってもノイズが消える保証はありませんが…。(この辺がマナー問題のややこしい部分です。) それにしても、私はいわゆる「キレる」方をコンサートで見たことがありません。(本当に増えているのでしょうか。)ただし飴や紙の音はもう昔から聞いております…。(もしかしたら慣れてしまったら負け!なのでしょうか。)
リンク記事も拝見しました。状況はなんとなく察せれますし、嘗てこの私を注意するヴィーンからの輩も居たぐらいですから、段階は様々です。私自身は最近はあまり気にならなくなっていますが、昔は隣に座る人が「良い人」であったらと願っていましたね。明らかにやかましいのは、周りから演奏中でも攻撃してしまえば大抵は収まりますが、注意する音もまたやかましい。しかし効果もあり普通はあとを引かない。
昨日も受難曲途中で眠気覚ましに飴玉(私のはチリチリでなくてカサカサです)を曲間に取り出したり、列に一人二人なので椅子の軋みに自ら驚いたりです。大ホールの年間席ではいつも双眼鏡を首にかけています。 しかし言い出すと限が無いですよね。コーラ・ポップコーン駄目、コート駄目とか持ち物検査になる。 やはり定期会員が雰囲気を作る。熱心な集中力の高い天井桟敷もあれば、酒臭い平土間もありますし、出し物や定期のシリーズによって客層が違うのは当然ですね。 最低線は設置可能ですが、集中度を皆に課す事は不可能です。人によって聴いている も の が違うのが、これまたその多様な認知が面白いのです。チリチリやこんこん、ずーずーに集中している人もいそうです。
>Takuyaさん
自分の中にあるヲタ側の勝手な言い分からすると、白い目を白い目として受け取ってくれる感性がとにかく望まれます。それが不可能であれば明文化という実力行使もやむなしというのが、極端に言えば私のヲタ的主張というわけです。。おまけに、生で聴くクラシックの音響というのはTakuyaさんがお書きになっているがんじがらめがある程度実態を持って存在している世界だと思いますので、実に救いようがないです。
>yusukeさん
>「クラシック音楽というハイソなカルチャーが好きだけどみんなの味方なのさ」的アピールのために、自分の中の「寛容さ」を歪めてクローズアップする まさにそこなんです。。私が目にした限りいくつかの匿名でない記事では残念なことにそういう類の香りがしているんですよね。もちろんそれを攻撃につなげることに意味はありませんが…。
>はろるどさん
匿名の意見の中に、「騒音を完全に許さないコンサートと音出し完全OKのコンサート、両極端を作れ」という急進的なものを見つけて、結局のところそういう落としどころに向かって緩やかに収束するしかないのかなあと思ったりしています。 「最近のキレ客増加傾向」については、記者さんの記述を全面的に信頼する以外、確定的なことは何も言えないのが本当のところだと思います。
>pfaelzerweinさん
私の場合、「隣の良い人」はギャンブルでしかないです。。こちらは待ち望んでいるのに、確率があまりにも低すぎる。しかも客席の「質(この単語を使うのはあんまり誉められたことではないけど)」がある程度くらいは予測可能であるのが、難しいところです。。
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