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壮年期の終わり

壮年期の終わり_c0060659_8381485.jpg【WORLD MUSIC EXPRESS/WME-S-CDR1117】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
⇒クルト・ザンデルリング/ボストン交響楽団
(1991年4月11日/ボストン・シンフォニーホール)

クルト・ザンデルリングがドイツに生まれたのは1912年9月19日でありますから、今年で御年95歳。ブラームスとかシベリウスについては古くからファンが多いみたいですが、ショスタコーヴィチ指揮者としても独特の位置を保っていますよね。彼の指揮によるタコ10はこれまで確認したものだけで4種類あり、時系列順に並べますと次のようになります。

(1) 1973年 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(VIBRATO/ライヴ海賊盤)
(2) 1977年 ベルリン交響楽団(Deutsche Schallplatten/スタジオ録音)
(3) 1978年 フランス国立管弦楽団(naive/ライヴ正規盤)
(4) 1991年 ボストン交響楽団(WORLD MUSIC EXPRESS/ライヴ海賊盤)

比べてみて面白いのはやっぱり演奏時間の変遷ですねー。
第1楽章は(1)が23分台ということで最も速いのですが、予想通りどんどん緩やかになり、ついに(4)では27分台。数々のタコ10演奏の中でも屈指の遅さになります。ここまでくると泰然とした趣きすら消えて、生き物の住まない世界のようにひたすら静かになってしまう。
ザンデルリング/クリーヴランドの第15交響曲は静かで「純粋な」内容なので評価が高いですが、このボストン響との第10はそれをはるかに凌ぐ静寂、というか無表情、無愛想。すべての音が輪郭を失ってまったりと混ざり合ってしまう…。16年前会場にいた聴衆はこれを聴いて理解できただろうか。僕にはちょっと理解できない。。

第2・第3楽章はさらに面白くて、大質量の物体が音もなく移動しているような、宇宙的な雰囲気があります。スコアに書いてあるバカ騒ぎとは対照的な謎の落ち着き、、これはモントゥー/北ドイツ放送響の《幻想交響曲》第5楽章でも感じた要素なのですが、行き着くところまで行ってしまった老人にしか出せない味なのだろうなあ。先日聴いたドゥダメルとの差異が凄まじい。

ところが第4楽章は、アンダンテの木管がたっぷり歌ったり、アレグロ最強奏レミ♭ドシに大きなリタルダンドがかかったり、意外に表情づけが強い。タコ10の演奏でよく言われるのは、楽章間のバランスが微妙でどこにヤマを持ってくるべきなのかが難しいという点でありますが、ザンデルリングの場合は前述(1)~(3)まですべて第4楽章にアクセントを施そうとする気配が濃厚で、総決算たる(4)もやはりその方法を踏襲し、一貫して解釈が安定している。

ただし演奏時間という観点では、(1)~(4)の中では(4)が突然変異的に速いのです。聴感上、確かにより柔軟に、より軽く、より音の圧力が低くなる方向性が感じられる。そうした志向と、先に述べたような少し濃いめの表情づけとが矛盾しそうで矛盾しないのがザンデルリングが身につけたテクニック、あるいは老獪な部分なのかもしれません。
そうなると、やはり80年代の演奏が聴いてみたくなる。いつごろから「晩年」に突入したんだろう。
by Sonnenfleck | 2007-08-24 08:20 | パンケーキ(20) | Comments(0)
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