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on the air:プレヴィン/N響の《ダフニスとクロエ》

on the air:プレヴィン/N響の《ダフニスとクロエ》_c0060659_792374.jpg【2007年9月14日(土) 第1599回N響定期/NHKホール】
<オール・ラヴェル>
●組曲《マ・メール・ロア》
●Pf協奏曲ト長調
→ジャン・イヴ・ティボーデ(Pf)

●バレエ《ダフニスとクロエ》全曲
⇒アンドレ・プレヴィン/NHK交響楽団

もし、もうちょっとお金に余裕があったら、土曜日は名フィルをパスして東京に行き、N響定期を聴いていたかもしれない。しかし「みなさまのNHK」FMは僕らの指定席!ということで、金曜のライヴから後半のダフクロのみ録音して拝聴いたしやした。

これは「(鋭いリズムや鮮やかな分離感ではなく)ラヴェルが配合した完璧な響きの感触を楽しませる/またお客はそれを積極的に感じ取って楽しむべき」という演奏を志向しつつも、ライヴならではの制約からオケのメカニックが今一歩及ばず、結果としてあとちょっとだけ微妙に物足りないところに落ち着いてしまった、そんな感じの演奏なんじゃないでしょうか。。

第1部の冒頭、〈序奏と宗教的な踊り〉なんか、悩ましいくらい綺麗な音が出てますし、続く〈全員の踊り〉で聴かれる抑制された美しさは特筆すべき事項であります。いやそれどころか、(弦に限って言えば)全曲にわたって素晴らしく柔らかい音が連綿と放出されていて、デュトワ時代を彷彿とさせる。さすがN響、と書いてしまっていいと思う。
全然「グロテスク」に聴こえない〈ドルコンのグロテスクな踊り〉(爽快!)に至って、こちらはこの楚楚とした美しい響きがこの演奏の機軸だ、と思ってしまいます。事実、滑らかで落ち着いた素敵な音のブレンドが立ち上がってきている。。
そうなると、海賊が来る少し前、〈ダフニスの優美な踊り〉のあたりから綻びを見せ始める管楽器が物凄く目立つわけですね。客は―事実いい演奏を目の当たりにして―開始十数分で理想の展開を妄想し始めている。砂場に落ちている石ころと、シルクの上に落ちている石ころと、どちらが許せないかという話になってきます。

誤解しないでいただきたいんですけど、僕はここで管楽器のミスをなじりたいと思っているわけではないのです。期待するものが高いゆえの、N響ならもっとできただろうという残念な気持ち、そして全体の完成度の高さが、部分の瑕に焦点を合わせてしまう原因だと思う。
第2部は総じて完成度が高く、〈戦いの踊り〉が大変ノーブルな音楽になっていて驚きます。これはもうプレヴィンのセンス勝ちだよなあ。
第3部へはあっさり突入。〈夜明け〉の部分は相変わらずシルキーな手触りなのに、石ころがポツポツ落ちていて実に残念。実に惜しい。室内楽的な響きを残した繊細な〈無言劇〉を通り過ぎて(ここのパフォーマンスは細い旋律線が全体に少しずつ、美しく溶け合っていて、この日の演奏の中で最も素晴らしかった)、〈全員の踊り〉も興奮を抑えて◎。デュトワの鮮やかで官能的な(しかし十分に理知的な)演奏よりも、さらに理性と溶け合いと落ち着きを重視した和食系ラヴェル、とすれば座りがよいか。
by Sonnenfleck | 2007-09-19 07:13 | on the air | Comments(11)
Commented by shu at 2007-09-19 20:02 x
こんばんは。私は初日よりも出来がイマイチだったと言われている次の日に行きました(*_*)が、2日目も全く Sonnenfleck さんの仰る通りでした。ネットの評判も良くないですね。

私はミスに関しては日頃から大○フィルに鍛えられてますから、それほど大きな傷にはならないはずなのですが、そのミス+αが、どこか「ほころび」を感じさせたことは否めないです。何かこうビシッと決まり切らなかった後味の悪さは確かにありました。私の方は意識的にプレヴィンの美点を汲み尽くそうとしておりまして、そういったマイナスポイント=石ころを道の外側に蹴り出して、なんとかゴールに辿り着いた感じでした。
確かにヘルシーな懐石料理ではありましたが(笑)、毒気が無くてもラヴェルを聴かせてしまうプレヴィンの懐の深さもあったような気がします。私もテレビ放映を見直してみます。
Commented by Sonnenfleck at 2007-09-19 21:58
>shuさん
shuさんのプレヴィン+モーツァルトの評を拝見し、これは録音しないと後悔するなあと思って当日の朝に慌ててタイマーをセットしたのでした。実は。
結果、ネットの評判が実に振るわなくてちょっとビックリしてます。「リアル」のほうは、というか、定期会員として座ってるご老人方がどう思ったのか、という点は気になりますが、私自身はあそこまで散々に貶されなくちゃいけない演奏だとは思いません。。「甘みが残る煮え切らなさ」も、よく考えるとプレヴィンの美点のひとつのようにも思えてきますし。デトックスされたラヴェル、というのもアリですよ。ただしこのやり方は、石ころが余計に目立つ諸刃の剣のようですね。ライヴの場合^^;
Commented by dr-enkaizan at 2007-09-20 00:53
毎度です
プレヴィンのフランス音楽は系譜的にはピエール・モントゥーになるところがあります。

その為か否か?ストラヴィンスキー以外のモントゥーのレパートリに名演奏の音盤が多くあり、今回NHK交響楽団では色々難色があったダフニスやドビュッシーのレパートリーでの映像や牧神は、現代オケのオーソドックスな様式の上に、リファインして、それらの魅力を流布するかのような出来栄えになっています。
それゆえ
>shuさん
の毒気のない
というあたりはこの辺から来ている想像されます。
つづく
Commented by dr-enkaizan at 2007-09-20 01:00
これは同時期に、フランスの仕草という点でディティールに拘った、デュトワのデッカへのフランス音楽セッションの影へ隠れてしまいましたが。

 自身の純粋な現象としての、結果はことなっても、、音楽の表現という点ではアンゲルブレシュトやモントゥーらの往年のフランス巨匠の目指したもの方向性は同じものであり、むしろ今となっては、嘗て輸入ワインに密かに混入されていた車の不凍液のように、あざとすぎるローカリティーのディティールをマネージメントされ続けたデュトワのほうが毒気がじつあったのかもしれません。

つづく
Commented by dr-enkaizan at 2007-09-20 01:20
今回の演奏会の結果は・・・
 その辺の指揮者の「押し」不足や時間不足もあっ たような気もしますしオケの責務のほうが比重がありうそうで・・・・ゆえに辛口の評が出てもなんら不思議ではないともいえそうです。
 しかしながら、多くの批判者の多数の帰結でのプレヴィンのフランス音楽属性は、非本流とか価値を低く見ることは、彼の録音したデジタル初期のドビュッシーの映像など聞いてみてからでも遅くはないと日頃から円海山的にことある事に仄めかしています。

 また友好ブログのコメントの一部で盲目的に「極上のラヴェル」などという向きもありますが、果たして?指揮者の先入観なしで聞いて、デュトワのころのオケのある種の毒気に当てられたかのような、個性への呼応の有無をもっての極上なのか、それとも前例をしらない情報不足なのか解りかねるところがあります。

 実は・・・・その違いをみてもオケがわにすらも?この指揮者でやる価値を見出せていないのではと妄想すらしております。

 あの演奏はオケ側での指揮者の受容の程度での呼応なのでは?という思いにも駆られます。
づつく
Commented by dr-enkaizan at 2007-09-20 01:23
おそらく本音としてオケは当該指揮者とはガーシュインとかイギリス音楽あたりで意欲を感じるのかもしれませんが・・・・
 その点では客演でのフランスにとらわれないような活躍をしめした師匠モントゥー譲りということを見過ごしているような気もします、当該指揮者は周知のジャズが絡むあたりで、世評が混乱しているところがありますゆえに仕方ないところがあるでしょう。
 
 これは嘗てアンセルメのフランス音楽では指揮者こき下ろされながらも一生懸命ついていった事例も、デュトワ以前にもあり、さらに昨今では、朝比奈のブル八などの事例もあり、これら意義を見出したこのオケの凄まじさき豹変は存在しています。 

 やはりオケの意欲の問題なのかもしれませんが、皆様は この辺でどう思われますでしょうか(笑)ながくしつれいしました。
Commented by Sonnenfleck at 2007-09-20 21:53
>ドクター円海山さん
考えさせられるネタです。
演奏者の側の「熱中度」みたいなもの、そういった要素は、いよいよ聴き手の妄想触角によってのみ見出されるものなのかなと思います。演奏の巧拙や雰囲気は、百の感想があってもそんなにはばらつきが出ないような気がするんですが(性善説?)、演奏者がどのように感じているかという話はとかく難しい。。妄想の「正しさ」よりも、この話の場合は妄想に「どれだけ聴き手の自信が感じられるか」という点、自信の差を楽しむべきものなのかもしれません。なんとなく思いました。

>輸入ワインに密かに混入されていた車の不凍液のように、あざとすぎるローカリティーのディティールをマネージメントされ続けたデュトワ

考えてることの内容をすぱりと言い当てられた気分です(笑)
Commented by dr-enkaizan at 2007-09-21 02:00
どうもです・・さて本題の前に、世間は不幸な斧少女のせいで、真っ黒なオンデマンドな楽しみをお預けにされて少々欝はいっています。(*)
(*)竜宮 とか レナでようつべや二個二個で紐解くと解ると思いますが。
>いよいよ聴き手の妄想触角によってのみ見出されるものなのかなと思います。
そこですね、それが肝です。
>演奏者がどのように感じているかという話はとかく難しい。
今回の選定の経緯がどの辺にあるのかはわかりませんが・・非常に
>演奏者がどのように感じているかという話はとかく難しい
の通り(笑)難しいですのであくまでも私見ですが・・・・。
例えばダフニスは合唱のない代理器楽演奏であることなどや、過去にデュトワで散々やっているレパートリであることなど、さらにアシュケナージュとも他のラヴェル管弦楽のセッションなどがあること、を念頭におくと、なにか主宰者側のセットアップの意欲の不足を感じ、オケ側の指揮者に求めるものと、指揮者の求めるものズレが明らかにありそうな気があり、演奏の状態にて妄想をより強固にした次第であります。
 つつく
Commented by dr-enkaizan at 2007-09-21 02:16
おそらく客演という様々限定された条件ということを加味すると、手放し喜ぶ内容にはその困難がどのように覆されたのか、否かの争点が語れるはずですが、その辺をプレヴィンのラヴェルが非本流という概念で切り出すものが多く、じっさいEMIのアナログ~デジタル録音期にダフニスや他管弦楽を録音するもセールス的に当時のデュトワのデッカぐるみでの破竹の勢いには勝てなかった氏ですがしかし・・・、子供と魔法(*)などマルティノン急死によるレパートリ補完を依頼されたりしているのを見ると。
 一部の日本人が思うより属性においてプレヴィンにはラヴェルの適性はあるとも言えそうです。
(*)昨今ラヴェルの二つのオペラを(一つは再録音)DGに録音もしております。デュトワのころのような両者時間のなさが致命的な要因だったのかもしれませんね。さて真意は不明ですので、お庭汚しはこの辺で。
Commented by Sonnenfleck at 2007-09-22 19:01
>ドクター円海山さん
お返事遅れました。不幸な斧少女のお話、ググってみましたが…アニヲタ保守本流の人々にとっては不運でしたね。。もし「本日の《エレクトラ》は諸般の事情に鑑みて不適切な場面があり、公演中止とします」って言われたら愕然としますもの。
確かに、プレヴィン8年越しの競演にしては、N響に(そして運営に)もうちょっと頑張ってくれよと言いたくなる要素が多すぎる気もしますね。N響は「老巨匠」を迎えるつもりでいたのに、指揮者はそんなことお構いなく自分にとって大切な「美しいラヴェル」を作った、という感じでしょうか。
プレヴィンの《子供と魔法》、はやくゲットしようと思います。
Commented by dr-enkaizan at 2007-09-23 12:48
Sonnenfleckさんどうも
>「本日の《エレクトラ》は諸般の事情
じつは竜宮レナねたでは、幾つかあるシナリオのうち今回のそれを彷彿させる「罪滅ぼし編」での行動が、母親の不在否定など「エレクトラコンプレックス」の仮説に近いところあり、近日公開しようと書き溜めています。

 現在のアニメのセカンドシーズンでは繰り返される時と場所での惨劇と悲劇の謎解きに入っており、原作の同人ゲームの帰結を多少大雑把になぞっていますが、それらを繰り返しているもの、そして惨劇を起こす根本的な運命を導く者と見えてきたところであり・・・・もう一つの「恋愛沙汰」な、放送中止のアニメよりはマトモな気持ちになれる内容といえます。

>プレヴィンの《子供と魔法》
これはそのオケの鳴りの素晴らしさと平均的要素がプラスに作用しており、本来はスタンダードな名盤評価たるところがありますね。
これはお勧めです。
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