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レンブラント版画展―呼び交わす光と闇―@名古屋ボストン美術館

c0060659_663686.jpg3ヶ月も開催してたのでいつか行けばいいやと思ってたんですが、気がついたら最終日!7時半に起きて、風呂に入って、コーヒーだけ淹れて、10時の開館に間に合うようにクルマでぴゅーっと出かけました。
版画は油彩に比べて「目的」っていうより「手段」の色合いが濃すぎて退屈だよね―もっと平たく言えば白黒で退屈だよね…そう思っていました。正直に白状します。でも今回の版画展を見て、僕の脳ミソの中では感性学的に革命が起こったようでした。大多数の版画はそれ自体が強烈な個性を放つものばかりで、認識は完全に改まった。自分が間違っていたと言うほかない。

それにここ何回かの展覧会から判断する限り、名古屋が本家から貸してもらえる作品のレベルはお世辞にも高いとは思えなかったんですが、今回は名古屋、粘りましたね。会場で感銘を受けるものがあまりにも多かったので、帰宅してからネットで調べてみると…レンブラントの代表作と言えるような作品がじゃんじゃん出品されていたことがわかりました。すげ。

個人的に感性を揺すぶられたものから泣く泣く絞り込んで数点紹介します。

■1 《蝋燭の明かりのもとで机に向かう書生》(1942年頃)
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遠目からだと、最初は真っ黒な正方形にしか見えない。
でも近づいてじっとりと見つめていると、徐々に暗闇に目が慣れてくるんです。冗談抜きで。
あ、、ここに机がある、本がある、ここに男が座っている、ここにカーテンが掛かっていて―。
「現実」以外にこんな感覚が呼び起こされることがあるのか…と思った瞬間に「現実」がぐらりと揺れました。僕が気づいていないだけで、澱んだ闇の中にはまだほかに何かが潜んでいるんじゃないか。
ようやく我に返って、続いて並んでいる他の作品を見たあと、どうしても気になったので引き返してまた眺めてみたら、もうぐらぐらすることはありませんでした。ほんの一瞬、レンブラントに引っ張られてしまったのか。これは自画像だとされているようです。

■2 《暗い部屋にいる聖ヒエロニムス》(1642年)
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その隣に掛かっていたのがこれ。
やはり最初は窓しか見えない。次に窓辺の聖ヒエロニムスが見えて、本が見えて、髑髏が見えて、、そしてある瞬間、部屋の後景に忽然と螺旋階段が出現するんですね。なんという鮮烈な体験。ちなみに螺旋階段は見えたり見えなかったりします。これも冗談抜きです。

■3 《神殿から商人を追い払うキリスト》(1635年)
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劇的瞬間です。中央、憤怒の形相で鞭を振り下ろすキリストの恐ろしさといったらない。
右後方、それでもたじろがないラビの冷たい表情がなお恐ろしい。

■4 《ラザロの蘇生》(1642/左:エッチング、右:銅板)
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世界で81点しか現存しないレンブラントの銅板。その一枚が展示されてました。
キャプションにもあったんだけど、まさにペンでササッと書き殴ったかのような自由な「筆致」でした。画面底の土くれなんか実にテキトーだし、最後景に霞む塔の姿も子供の落書きみたいなんだけど、反面ホッとしたようなラザロの表情や、苦もなく奇跡を起こすキリストのクールな面持ちはこの人でないと表現できなかったんだろうなあと思わせる。種明かし眼福。

■5 《三本の木》(1643年)
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うねる雲と雲間から差し込む光線、沼地の農夫に丘の上の画家。(このほかにも草叢に恋人たちが潜んでるらしいんだけど、どうしても見つけられなかった。)
なんとロマンティックな佇まいだろうかと惚れ惚れしてしまう。フリードリヒの赤い月とレンブラントの高い空と、どれほどの違いがあるというのでしょうか。

+ + +

この版画たち、たぶん他の美術館には一切巡回しません。
今年初めて東京に勝った!ははははは!(空しい)
by Sonnenfleck | 2007-12-12 06:11 | 展覧会探検隊
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