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D先生の自然勾配主義

c0060659_7104888.jpg【DECCA/466 345-2】
<THE CLEVELAND SOUND>
●マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調
●同:交響曲第6番イ短調 《悲劇的》
⇒クリストフ・フォン・ドホナーニ/
  クリーヴランド管弦楽団

ドホナーニ先生の廃盤CDは実に高い。みんな探している。
特にこの<THE CLEVELAND SOUND>という2枚組みのシリーズは高額で、amazonの中古ではブルックナーの第5と第7を組み合わせたものに12,000円の値がついています。このCDも9,000円超えのとんでもない高値ですが、、先日、今池ピーカン・ファッヂに行ったらその10分の1の値段で売ってました(-_-;;)

まずはshuさん激賞の6番から。
最初にお断りしておきましょう。
マーラーはすべからく脂ギッシュで、人生の苦悩でもって常時ネトネトしていなくてはいけない、という考えの方、この演奏は絶対に聴いてはいけないと思います。探しても絶対にそんな局面は見つかりません。
僕自身はそういうマーラー観とまったく反対の考えを持っておって、おまけに「悲劇的なくらい騒々しく」演奏されることが多い交響曲第6番が大の苦手で、ベルティーニ/ケルン放送響のやり方が唯一の解決策なのかなあと思っていたのですよ。

、、でもこの演奏が、理想の《悲劇的》でした。
これを耳にしてしまって、他の演奏が聴けるか??

第1楽章の厳しい第1主題は、ドホナーニ流のやり方だとモーツァルトのように涼やかに自然に流れ出ます。逆に、冒頭のノーブルな響きにちょっとでも失望感を感じたら、聴くのをやめたほうがいいかもしれない。ずっとこんな感じですもの。
第2主題が訪れると、よく晴れた冬の夜空のように、キラキラしたものが眼前にぱぁっと広がります。発音はあくまで自然に引き上げるだけ、そしてその音が消えていく美しさを見届けて、今度は次の音符に見合った立ち上げを用意する。これだけです。これを守るだけで、音楽は何と官能的な勾配を持つのだろうかということ。「立ち上げる+消す」ではなく、「立ち上がる+消える」を尊重するやり方なのです。第2主題の息が消えていくところ、物凄いですよ。こんな弱音、アリなのか。
さらに、ステージから離れた席に座っているときに聴こえるような、少し遠くて1箇所に凝縮した録音コンディションが、発音から減衰までを完璧に計算に入れたドホナーニの造形美をよく伝えているように思う。ホールを楽器にしてこその指揮者ではないですか。
…そうして、音場は1箇所に凝縮しつつも、信じられないくらい分離がよい、という矛盾を書く羽目になる。各パートが描く勾配が縦横に交わる様子が、展開部の中でよく聴かれます。勾配の頂上に置かれたチェレスタとカウベルの惻惻とした混淆には目が眩む。

再現部第1主題の(経過句部分の、とすべきかな?CDでは17分30秒過ぎの)一瞬の悪夢のような煌きは何でしょうか。粘ついたり我を忘れたり、そういった状況を伴っていないのが、実に恐ろしい。コーダも形が崩れない。。

第2楽章スケルツォは第1楽章に比べて縮尺が大きい気がします。
トゥッティの様子は変わらずすっきりと爽快ですが、その中で今度はソロを自由に遊ばせてる感が強い。各プレイヤーの素晴らしい腕についていちいち書いてたらきりがありませんが、、こんなオケが常時そばにあったクリーヴランド住人が羨ましい。

第3楽章は、この楽章の演奏は、この曲が6番目の交響曲であることを忘れさせるに十分。
Vnの序奏が終わって主題が木管に引き継がれると、途轍もない世界が開けます。羽毛に包み込まれるようなこの感触は、痛ましい現実からの逃避のように感じられる。
ドホナーニ先生はここで初めて、禁断の歌い込みにちょっとだけ手を出します。
先生は勘違いされすぎている。つまり、「理性的で冷たくて歌えない」なんじゃなくて「必要がないから歌わない」だけなんですよ。現実逃避を支える甘い歌が必要になったら、こうして力でもって主旋律を「立ち上げる」ことにためらいはない。

あれよあれよという間に序奏が終わってしまう第4楽章。
主部に突入すると、各パートが描く勾配がぐるぐると螺旋状に絡み合いながら展開していく、神業のような響きが聴こえます。展開部においてはカウベルからの高揚がまことに自然な稜線で表現されていて、、第1のハンマーへ。小さくて硬質なハンマー音がいかにもこの演奏にふさわしい。
第2のハンマーは打撃音が重々しくて(打ち下ろした場所が異なるのか?)、悲劇的な調子を守り立てています。その後荒れ狂うトゥッティだけど、流線型の成り行きはまったく崩れる様子がない。騒々しく騒いだ挙句、勝手に内側から崩壊させる方法は、《悲劇的》には似合わないと思うんです。こんなに厳しく凝縮している交響曲には

3回目の序奏主題が、弾け飛ぶように瑞々しく演奏されます。俺はかわいそうに死んでいくんだという自己耽溺は、ここにはありません。死に絶えるように最後のアンサンブルが進行し、結末の軽快なモットー絶叫が理想的。重たい「意味」なんてまっぴらごめんというもの!

長くなりました。第5番はまた今度。
by Sonnenfleck | 2008-01-25 07:12 | パンケーキ(20)
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