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フリルのついたショスタコーヴィチ

フリルのついたショスタコーヴィチ_c0060659_643044.jpg【DECCA/433 028-2】
<ショスタコーヴィチ>
●室内交響曲ハ短調 op.110a
●交響曲第10番ホ短調 op.93
⇒ヴラディーミル・アシュケナージ/
  ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

一時はショスタコばかりであったこのブログも、最近は関連するエントリが激減してしまって、客観的に見てもちょっと寂しい状況かなと思われます。2006年のメモリアルイヤーも過ぎ去り、買わなきゃ!という新譜も、聴かなきゃ!という演奏会も見当たらなくなってしまった。あとは過去の遺産からぼちぼち感想を書いていくしかないかしら。。

長らく探していたアシュケナージの第10交響曲を、年末に新宿音盤組合にて発見。
…もう、まったく予想を裏切らない内容なので、心安らかに聴いています。

これほどきれいに静まり返って何も起こらないショスタコーヴィチも、なかなかあるもんではない。若干の悪意とわりと大きな賞賛の気持ちを込めてお嬢様芸と書いてしまっていいだろうと思う。速めのテンポで、引っかかりも取っかかりも何もなく、あらあら、、という間に全曲が終わってしまうんですよ。これはすげーよ。
響きもレース地のように薄くて軽くて、フリフリの格好をしたお嬢さんが一生懸命演奏しているようだ、と言ったら怒られるでしょうか。ごく一部分、どうしても重苦しくなる箇所もなくはないんですが(第1楽章の展開部はそうならざるを得ない)、そういう箇所で音の濁りがないのは、この演奏の特筆すべき美点のひとつでしょう。コーダもいい音してます。

第3楽章冒頭で思いっきりテンションが落下したのには驚きました。まったく別の日にセッション組みました、というのでなければ、指揮者アシュケナージのオケ掌握術は大変なレベルであると思う。社交的な上品さではなく、内向きの家庭的な上品さが漂っているわけで、ショスタコからそうした種類の「上品」を引っ張り出してしまったというのがすごい。
第4楽章もアレグロに入るとモーツァルトみたいな喜遊性が出てしまう。

けっして危険地帯へ踏み込まず、きれいにまとまるのがアシュケナージの指揮の特質なんだろうと思います。それは彼ならではの魅力的なポイントであり、また同時に致命的な欠点でもあるのでしょう。ショスタコーヴィチ、特に第10番のような中期作品でこのような演奏に出会うと余計に考えさせられます。《死者の歌》なんか、バルシャイ的な方向とは逆に、可愛らしく小さく完結してなかなかいい演奏になっていそうな気がする。気は、、する。
by Sonnenfleck | 2008-02-07 06:43 | パンケーキ(20) | Comments(0)
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